Neetel Inside ニートノベル
表紙

【星辰麻雀】
01.さすらう切札

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 恐ろしい形をしたいくつもの黒雲が、すごい早さで空を横切っていった――。
 麻雀放浪記、坊や哲が学生服の空っぽのポケットに手を突っ込んで上野の空を見上げていた、その冒頭だ。
 坊や哲が麻雀打ちになってから六十年経って、いま、俺の上にそっくりそのままの空が切り取って持ってきたように広がっている。
 バスの座席に腰かけて、両手をだらっと垂らし、俺は自由を惜しむ囚人のように窓から見える外を眺めていた。
 土をむき出しにした崖と、うっそうと茂った森をはるか眼下に望む崖に挟まれた狭い道路をバスは走っていた。
 どこいきのバスなのかは俺も知らない。
 昨夜、しこたま飲んでからの記憶がない。ツレもいつの間にか消えている。
 あの野郎、俺を置いてどこかへいっちまったに違いない。薄情者め、いつか後悔するといい。
 まったく風みたいなヤツだ。
 とても手綱なんかつけられない、という意味で。
 俺は、自分の青ざめた顔と不穏な空越しに車内を見た。
 人はそんなに多くない。みんな、布をつぎはぎしたようなボロきれを着ている。
 膨らんだ買い物袋を提げている人が多いから、街からの買出しの帰りなんだろう。
 つまり俺はどうやら、こいつらの村だか集落だかにいくバスに乗っているらしい。
 俺が濡れた口元を袖で拭うと、乗客たちは気持ち悪そうに顔を寄せ合って何事か囁く。
 ただゲロを拭っただけなんだが、そうか、と俺は合点した。
 学ランなんか着てて酒臭かったら、まあ、昭和生まれの老人はいい顔しないに決まっているものだろう。
 しかし、俺だって好きで飲んだわけじゃない。酒は苦手なんだ。
 ビールの泡はしゅわしゅわして気持ち悪いし、日本酒なんかオチョコ一杯流しただけで食道が焼け付いちまった。
 いつか慣れるかと思って我慢して飲めども飲めども、酔いに達する前に襲ってくる頭痛で酩酊まで届かない。
 飲みで飲めないことほどしらけるものはないとわかっていても、できないものはできないのだ。
 みんな俺に冷めた目を向けながら酒に興じられない体質への哀れみを口にするけれど、あんな炭酸のなにがいいのか……こっちこそ理解できん。
 まずいんだよ。
 酒も煙草も、なにもかも。
 バスが大きく横揺れした。カーブを曲がっているのだ。
 サングラスをかけた運転手の白手袋が冷静にハンドルを切る。慣性に引っ張られるのが終わると、またまっすぐに走り始めた。
 冷たい窓ガラスにほてった頬を当てる。
 寄りかかって体をもたれかけさせるのが無機物というのも寂しいが、まあ、寂しいのには慣れてるし、あんまり邪険にしたらガラスだって可哀想だ。
 ガラスだって好きで有機物じゃなくなったわけじゃないだろう。いろいろあったんだよ、ガラスにも。
 こいつらだって、綺麗だったらチヤホヤされて、汚れていたら顔をぐりぐり拭われてそれでもだめなりゃ廃棄処分。
 ガキの野球ボールがぶつかれば割れるし、靴のまま座席に上って外を眺めるガキの鼻水でべとべとになったりだってする。
 可哀想だ、本当にかわいそうだ。もっとわかってやるやつがいたっていい。
 嗚呼。
 ぶつぶつ言っているのが自分の独り言だと気づいて我に返ると、もう客は先頭の方にしかいなくなっていた。
 ふん――。
 俺は鼻息に頭痛と倦怠感を乗っけて吐き出す。
 これで他人の吐いた息を吸う割合が減ったというものだ。べつに傷ついてなんかない。
 それにしても、あのおばちゃんよくもまあ見ず知らずの他人をあんなひどい目で見れるもんだな。リサリサ先生だってもっと思いやりを持った目つきをすると思う。
 ああ、他人だからこそか。
 俺には他人しかいないから、そいつがどこの誰であろうと、親近感を持ってしまったりする。
 ガラスにさえ。
 甘いと言われたり孤独で脳みそがやられてると言われたこともあるが、俺みたいなヤツがこの世に一人ぐらいいたって、べつに地球が真っ二つに割れるわけでもないんだから、ぐちゃぐちゃうるせえっていうもんだ。
 俺は愛しのガラスちゃんに頬づけしたまま、暗い山の奥へ奥へと運ばれていった。



 トンネルを抜けると、雪国だった、なんて風情があればよかったのだろうが、生憎そのバスの終点はなんの見所もない、田んぼの端っこにぽつんと置かれたバス停だった。
 乗客ががやがやしながら下り、俺もそれに習った。
 ぬかるんだ地面に足をつけるとちょっと沈み込んだ。雨でも降ったのかもしれない。
 記憶を引き出そうとすると割れるように頭が痛むので、最近のお天気情報を思い出すのはやめておいた。
 さてどうしようか、と顔を上げると、突然、俺の前にいた農夫然とした男に胸を蹴られた。胸の皮膚がすれてバチッと痛む。
 俺はもんどりうって水田のなかに転げ落ち、ぐっしょりして頭に葉っぱを乗せたまま呆然と男を見上げた。
 男は、鍬でも持っていたら俺に突きつけていただろう。そういう顔をしていた。
「うせろ」
「え……」
「どうせ街から家出してきた学生だろう。帰れ。ここにはおまえみたいな役立たずの居場所はない」
 居場所なんてものがあると信じるほどお子様ではなかったが、面と向かって初対面の人間に教えられるような事柄でもなかった。
 俺はあまり期待せずに聞いてみた。
「俺、なにか悪いことしましたか、ね」
 男は答えなかった。けれど俺は答えを知っていた。
 いるだけで悪い。
 ――ふうん、そうかよ。
 俺は無言のまま立ち上がり、男の顔を見ないまま、とぼとぼとバスが戻っていった山に続く道を戻り始めた。
 街までどれくらいかかるかわからないが、ぐしょぬれのままでは間違いなく風邪を引くだろう。
 山の中には暖かい布団もできたてのおかゆも看病してくれる家族もいない。
 歩くたびに靴のなかの水を踏んで気持ちが悪かったが、胸の痛みがほんの少しだけまぎれたので、ありがたくもあった。
 大丈夫。
 ひとりぼっちには慣れている。



 日が落ちるまでにはまだ時間があった。
 頭の上を見上げると、格子状になった葉の隙間から昼時の光がバラバラになって零れていた。
 けれど湿った服を乾かしてくれるパワーはなかった。粉々にされては仕方もあるまい。
 身体を引きずるようにして歩いた。
 なかで怪物の卵が孵化でもしているように、不気味な頭痛がした。
 二日酔いか風邪か記憶障害、どれかのせいか、どれでもないのか。
 なんにせよ、日が暮れてからのことを考えると寒気がする。
 まさかクマまではいないだろうが、変質者なら世界中で過剰在庫が唸っている。
 さすがに俺のみょうちくりんな人生の更新データに”処女喪失”の四文字熟語をタイプしたくはない。
 歩く。ただ歩く。目的も希望もなく。
 どこへいきたいのかすらわからずに、やるべきことも見つからずに。
 どこにも敵の姿はない。味方も、仲間も、ない。
 いてくれたらどれだけ助かるだろう。救われるだろう。
 味方が?
 違う。
 敵が、だ。
 敵の存在は俺がどうあるべきか、それを教えてくれる。
 生きるべきか死ぬべきか、そんなことは問題じゃない。
 生きるべきだ。
 間違いなく。
 それは知性の原点だ、誰にも犯すことはできない。
 神にも鬼にも俺にも誰にも。
 だから生きる。
 それだけのこと。
 俺は学生服の前をぎゅっと掴んで引き寄せた。
 さっきから寒気がひどくなっている。
 風がうなじを執拗に撫でてくる。誰かにくるぶしを掴まれている。俺はそれを懸命に引きちぎって前へ進む。
 ――死ね。
 頭の中で聞いたことのある声が囁いてくる。
 ――止まればラクになる。
 そうだろうな、と思う。歩くのなんかやめちまえばいい。すげえラクだ。バカにもわかる。俺にもわかる。
 でも、ラクになっても、なにもないんだ。
 俺には。
 視界が低くなっていた。子どもになったみたいに。
 俺はのろくなった頭で、自分が膝をついているのだと悟った。
 ゆっくりと前のめりに倒れる。落ち葉に顔から突っ込む。羽毛みたいに落ち葉が飛んだ。
 俺はやけに動き回りたがる眼でそれをわけもわからず追いかけた。
 唇にアリがよじ登ってきて、がじがじ齧り始めた。やめろ、焼いてから食ったほうが美味い。
 死にたくはないし死ぬ気もなかったが死にそうではあった。
 顔の横で、指が無意識に真空を盲牌する。
 生きていくのだってそうだし、麻雀するときだってそうだ。
 やっぱりひとりじゃ、なにもできやしない。
 恋しい。人が? そうかもしれない。いやきっとそうだ。
 勝つにしろ、負けるにしろ。
 俺は、人が恋しい。


 ゆっくりと、瞼を閉じる。
 死ぬ時は、どうせなら烈しく燃え尽きて死にたいと思っていた。
 こんな風にあっけなく散っていくのは、無念だが、まあモブキャラとして扱われてきた俺には相応しいのかもしれない。
 だが、この世でもっとも嫌いな言葉のひとつが「相応しい」であるこの俺には、やはり簡単に承服できる結末ではなかった。
 誰だってそうなんだ。
 主人公になりたい。でも、なれない。それもまたひとつの真実だ。
 自分の人生の主人公は自分、なんて励ましがあるが、俺たちが望んでいるのはそんなやすっちいセリフじゃねえんだ。
 俺たちは、変えたいんだ。
 何かを。
 それを変えることができたら、俺たちを凍てつかせてるそれをなんとかすることができたら、俺は、べつに主人公じゃなくたっていい。
 村人Aでも被害者Bでもなんでもいい。
 持っているやつには、わからない。
 生涯かかっても、わからない。
 だから、俺がやるんだ。
 歯を食いしばって、拳を握り締め、痛みが虹色に輝く視界をもう一度開き、唸り声を出す。
 モブキャラなら、物語の端役なら、死んでもせいぜい話の筋のてこ入れで、三秒経ったら忘れられ、スタッフロールにも載りはしない?
 見下してんじゃねえぞ。
 俺は生きてる。
 まだ、生きてる。
 死ぬだと? 丁重にお断りしてやる。
 痛みだと? そんなもんはちょっと強めの刺激薬にすぎない。
 だが、それでも意識の帳は下りていく。
 どこかで誰かが、くすくす笑っている――。

     



 だんだん意識がはっきりしてくると、頭の座りがたいへんよろしくないことに気がついた。
 なにか枕のようなものに後頭部を乗せているようなのだが、真ん中あたりに溝のようなものがあって、それのせいで顎が上がってしまっている。
 喉仏をさらすのは戦闘生物として間違っている。
 俺は床屋で髪を洗ってもらっているときのように、首をもたげて喉を隠した。
 が、筋力不足で俺の首はあえなく墜落し、また溝に後頭部を沈めてしまう。
 そのとき、すぐ近くでくすくす笑う声がまた聞こえた。

 俺は眼を開けた。
 柔らかな日差しが降り注いでいる。
 木洩れ日のなか、俺は見知らぬ少女に膝枕をされていた。ビー玉みたいな目が、俺を覗き込んでいる。
 ああ、と思う。嫌な予感がする。
 それはすぐに的中した。
 見知らぬそいつは俺の頭に手を差し込むと、ボーリングでもするようにするっと転がした。
 俺は落ち葉の海に埋没し、茶色と黄色の色彩を跳ね飛ばして起き上がった。頭が痛い。
 威勢よく少女を見下ろしたはいいものの、情けないことに言葉が出てこなかった。
 軽く息を切らしたまま、少女を頭のてっぺんから畳まれた膝までじろじろ検分する。
 俺と同じくらいか、一つ二つ下の歳だろう。健康的な狐色をした頬はしわひとつなく叩いたらいい音がしそうだ。
 人形のような無機質な感じは一切しない。動きを止めて俺を見上げているのが不自然なくらい活動的な気配を四方へみなぎらせている。
 服装は普通じゃない。
 日本史も現国もまともに受けたことなんてないから確かなことはわからないが、一千年くらいの貴族が着ていそうな装束だ。
 黒装束の肩には切れ込みが入り、その中に着た赤いインナー(和服にインナーもくそもないがほかに言葉が見つからないので勘弁していただきたい)がちらっと見えている。
 下は正月に神社でおみくじ売りのバイトが着ているような袴。しかし色は窒息した顔色みたいに青かった。
 総括すれば、そいつは巫女さんの装束の色を反転させたような格好をしていた。
 これで髪でも白ければ親御さんを説教してやりたいところだったが、明るい茶髪はどこにでもいる高校生の染髪とあまり変わらなかったので、まあ許容範囲に含んでやらないこともない。
 こちらがそうしたのと同様に、向こうもこの俺をあらかた検め終わったらしい。
 無意味なニコニコ笑顔を浮かべながら立ち上がった。
「こんにちは」
 確かに昼だった。それは間違いない。俺の上で今日もお天道様は燦々とご燃焼なさっている。
 だが、この状況でコンニチハもないものだ。
 もっといきなり女の子の膝の上で起きた人間の心理を慮って欲しい。
 とりあえず気まずいんだ。
 気まずくなれば、舌なんて回るわけもないし、変な汗だってかいてしまう。
 なにもできずに腰の横で両の拳を固め、ただただ不思議な巫女野郎を睨みつけることしかできなかった。
 たぶん、向こうからしてみれば、そのときの俺の様子は怯えた小動物のようだったのだろう。
 少女は両手を開いてみせて敵意がないことを示しながら、一歩ずつ近づいてきた。
「どーどー」
 馬か、俺はっ。
 そう突っ込みたかったが、「――ォゥェ」と団子虫がつぶれるような音が喉から漏れただけだった。
 屈辱で耳が熱い。これはべつに相手が女だからじゃない。男でもこうなる。
 人からあまり好かれた覚えのない俺だが、オカマにもそれが当てはまるのだけは役得だった。
 少女は俺の拳を手に取ると固くなった指を一本一本はがし始めた。
 目の前で奇行を始められたら人間はどうするか?
 答えはなにもせずに見守る。百人が百人そうする。
 バクチで言うところの「見」というやつだ。
 片方の手をパァにし終えた奇妙な巫女はすぐもう片方に取りかかり、それも開き終えると口を弧にして満足げに頷いた。
「うん、これでわたしに敵意がないことは伝わったかな?」
 俺は生唾を飲み込んで、変な息が漏れたりしないようにしながら第一声を放った。
「――まあ」
 気が利くってなんだ? 食えるのか?
 とりあえず俺はいま猛烈に死にたいが。
 巫女が大して気にした風でもないのが唯一の救いだ。
「いや~久々に見たよ、行き倒れなんて。あともうちょっ――と、もぞもぞ動くのが遅かったら、わたしひとつ拝みして通り過ぎちゃってたよ」
 よく喋るやつだ。おしゃべりは俺の意見を聞こうとしないからキライだ。
 俺はそのまま背を向けて立ち去ってしまおうと思った。無駄話の在庫は発注中だ。
 だが、巫女は俺の袖をつまんで離さなかった。
 俺は顔を思い切りしかめて振り返った。
「こんなところで会ったのも天の導き世の流れ。ん、なにか聞きたそうな顔してるね?」
 してない。
「あ、そっかわたしだね? わたし紙島詩織。紙っぺらの紙にトリじゃない方の島。詩はポエムのポ――あ、ちょっとどこいくのさ!」
「どこって、帰る」
 言ってから、自分には帰る家などとうにないことを思い出した。
 この旅の毒々しい解像度の思い出の奥には、妹や両親の顔が埋もれているはずだが、いまは掘り返す気力がない。その意味も。
 詩織は、背伸びして虚勢を張る子どもを見るような顔をして肩をすくめた。
「やれやれ、これだから困るんだよ」
「なに、が?」
「遭難者はみんな迷ってないって言うんだ。おとなしく認めなさい。あなたは迷える子羊ですね?」
 仏教だか道教だか基督教だか知らないがハッキリひとつにしとけ、と冴えた返しを言おうとして、「仏教だか知らないがハッキリしととけ」と言ってしまった。
 詩織はクエスチョンマークを頭に乗せて小首を傾げている。
 死にたい。
 どうしてセリフくらいちゃんと言えないんだろう、今日び幼稚園のガキでもジョークのひとつくらい飛ばせるだろうに。ちくしょうめ。
「ねえねえ君、名前なんていうの? どっからきたの? 血液型って何型? 幽霊って信じる? 人生楽しい? 友達いる? いないよね」
 いつも思うんだが、どうしてどいつもこいつもそこだけすぐに断定するんだ。
 そんなに侘しく見えるのか、俺は。
 友達ぐらい俺にだっている。はずだ。たぶん。
 友達の定義から考えなくっちゃならないが、まあ毎日顔を突き合わせてたクラスメイトは学友の範疇には入るだろう。学友は友達ってことだ。
 たとえ口を利かなくても心の底では通じているものだ。
 なんだか胸の中で木枯らしが吹き始めたので俺は考えるのをよした。
 ガン無視も気が咎めるので、一番最初の質問にだけ答えてやった。
 詩織はふむふむと口をもごもごさせて俺の名前を繰り返し呟いている。格好が格好だけに呪いでもかけているように聞こえる。
「馬場天馬、か。ねえ、子ども頃さあ、『ババ抜き』って言われてドッジボール入れてもらえなかったでしょ?」
「なぜ、それを?」
 あっさりと黒歴史の蓋が開き、暗黒の過去が黒煙をあげて蘇りかけたので俺は心の中でしっかりと蓋に釘を打ち直した。
 詩織は半分冗談だったらしく、「え、ごめん」と子犬の死骸を見るような目で俺を哀れんだ。さらに落ち込む。
 なんで生きてんだっけ俺。
 詩織がぱたぱたと両手を振った。
「わーわーわーわーそんなにへこんじゃだめだったらぁ。誰にでも思い出したくない過去ぐらいあるよーぅ。ごーめんって。マジ謝るって。めんご?」
 だいたいこの手のタイプは首つかんで脳震盪起こすほど揺さぶっても本気で謝罪なんかしない。いつまでも俺をおちょくる。経験上わかっている。
「もういいから、いくならいこうぜ」
「ほいほい」
 詩織はにこやかに賛同してくれたものの一向に動く気配がない。バスケットボール一個分くらいの距離を開けて俺たちは見つめあった。
「は?」と俺。
「え?」と詩織。
「俺を街まで連れてってくれるんじゃないの?」
「いつ、わたしがそんな約束を?」
 そのとき、俺に天啓が落ちた。
「おまえも迷ってるな?」
「てへっ」
 俺は格子越しの空を仰いだ。
 お天道様が、知らぬ顔をしてやがる。





 詩織の話によれば、いまこの山には俺たちのほかに二人の遭難者がおり、近くの神社で休んでいるのだという。
 ひとまずはそこに向かうことにした。雨風ぐらいはしのげるだろう。
 こんな場所に建てるなら電話とトイレと非常食と地図つきの山小屋にするべきだが、日本の近代化はまだまだすべてをアメリカナイズし終えたわけではないのだった。ファック。
「なあ」
 詩織は背の高さほどの雑草に埋もれて見えないが、声からすると二メートルほど先行している。
「なに? ――うっわなにこのカエルでっかーい!」
「――カエルどけといてくれ」
「ほい」ぐちゃっと嫌な音がした。カエルの運命はわからない、ことにしておく。
「あんた、そんな格好してるけど、何者なんだ。コスプレ?」
「さあ、なんだろうねえ。ケース1、絶賛全国行脚中さすらいの巫女。ケース2、家の姿見の前はもう嫌だけど人に見られるのも感じなくなってきた生粋の服装のみに拘るコスプレイヤー。ケース3、期待を背負って修行中、目指すは一位だルーキー陰陽師カスタムオブ競神。さあどれ? 選んでいーよ。ちなみにわたしのケースは五十三万まである」
 げんなりした。返しに困る。俺みたいに根暗なのもどうかと思うがドヤ声でスベってそのままスベり倒すのもいかがなものか。
 雑草をかいくぐりながら、心ののれんもついつい押しのけて、俺はつい本音をぽろっと零してしまった。
「すっげえおしゃべり」
「むかっ」
 こいつ、擬音を言葉にしやがった……。俺は戦慄した。十年後とかに思い出して恥ずかしくなるって思わないのだろうか。
 がさささ、っと草むらが蠢いて、ぬっと俺の鼻先に詩織の顔が飛び出てきた。
 呆気にとられて俺はその場に立ち竦む。
「あのね」
「ハイ」
 思わず素直。
「男の子はバカだからバカ同士ですぐ気が合うからいいけどね、女の子は、喋って喋って喋りまくって相手のこと知ろうとするの。言葉はソナーなの。やたらめったら反射させて敵艦の大きさとか形状とか装填魚雷数とか確かめんの。無視してほしいの?」
「イイエ」
「なら語尾にマムをつけてついてこい」
「イエス、マム」
 すっかりやつのペースになっていた。
 始まり方は剣呑だったものの、ちょっとノリのいい会話ができた気がして、俺はこっそりと満足感を得ていた。
 やはり男とはバカな生き物なのかもしれん。


     


 草むらの海を抜けると、一気に空気が澄んだようだった。
 徹夜して日の出を眺めるために窓を開けたときのにおいが鼻腔をくすぐる。
 しかし俺たちの眼前にあったのは半円の太陽ではなく神社の鳥居だった。
 塗装はあちこち剥げ、風雨に晒された柱は茶色くなっている。神様も不景気らしい。
 賽銭箱を迂回して俺と詩織は社のなかへ入り込んだ。
 電池式のランタンが天井から吊るされている。
 円錐形の灯りが、二人の男と麻雀卓を照らしていた。
 男たちの説明に入る前に嘆いておくが、やっぱり麻雀卓だった。そんな気はしていた。
 だって牌が囁いてたもん、嘘じゃない、俺に囁いてたんだもん。
 男のうち俺から見て下家(右側)のやつは、革ジャンにジーンズ、短い髪はパラノイアに隙間なく金に染め上げ、ロックマンの命を一撃で奪い去る刺々しさを天へと向けている攻撃的な男だった。
 鼻にピアスをしているので『牛若丸』と名づけよう。
 俺と目が合うとにやにや笑ってきたので、俺は咄嗟に眼を逸らした。
 見なくてもそれで相手が気分を害したのはわかったが、仕方ない、元から合わないタイプなのだ。
 手が出るより先に大声と殴るフリで威嚇してくるタイプ。
 もうひとりは、山伏のような格好をして猟銃を背負った男。
 混沌とした時代劇の撮影から抜け出してきたのだろうか。
 ぜひそうであってほしい、本物の山伏であるよりかは……。
 眼鏡(!)のつるを押し上げ、慎重に俺を値踏みしている。
 猟銃とその鋭い眼光にちなんで『シモヘイヘ』と名づけた。
 ヘタレだとわかったらヘイポーに格下げしてやろう。
 詩織はとことことこ、っとシモヘイヘのうしろを通って俺の対面に正座した。
 どこに仕舞ってあったのか座布団なんか敷いてやがる。
 すうっと息を吸い込んだ詩織は両手で印を結び口のなかで何事か素早く囁いた。
 そしてカッと目を見開き、
「ややや! なんとメンツが足りないところに都合よくひとりの若き雀士が現れたではないか! これこそ天の導き世の流れ! 不肖この紙島詩織、誠心誠意を以ってお祈り捧げ給うたのが功を奏したと言わねばなるめえ!」
 なにこいつ。
 セリフが喉まで出かかったが、牛若丸とシモヘイヘの前でじゃれ合うのもなんだか気まずい。静かに飲み下した。
 埃まみれの座布団にあぐらをかく。まさかこの座布団どもも再び仕事を全うすることになるとは思ってなかったであろう。これも天の導き世の流れ。
 牛若丸と目が合った。牛若丸の指輪まみれの指が、ぴっと俺を指し示した。血色の悪い指だった。いまにも砕けそうだ。
「知ってるぜ、おまえ。馬場天馬だろ? GGS-NETの……あれはは俺もよく使うんだ……最近行方知れずだって聞いたがこんなところに潜んでやがったとはなァ」
「俺はあんたを知らない」
「知らなくっていいよゥ。へっへへ。どうせ俺は三下だよなァ? 魔王討伐の勇者サマに名前を覚えられてたら恐れ多くってションベンちびっちまうぜ」
「魔王って――もしかして雨宮のことか?」
「馬場天馬、おめーにゃ懸賞金がついてるのよ。見つけ出してブチ殺せってゲームさ。知ってたか?」
「いや」
「名声なんかいらねえが、はした金を捨てておく趣味もないからな。俺様がその御首(みしるし)ちょうだいしてやるぜ」
 牛若丸の小汚ェツラァ見てたらだんだん俺もエンジンがかかってきちまったらしい。
 全身の血が流れているのが感じられるようになり、脳みそがぶくぶく沸騰する音が聞こえた。
 心臓のやる気も力強いビートを叩いて十二分。
 俺は、いくらか重くなった目玉でキッと牛若丸を睨みつけ、
「ありがとよ」
 と言った。
「は?」
 唐突に感謝されて牛若丸は面食らったようだった。説明したくても俺の気持ちは言葉にはできない。
 俺は、嬉しい。
 勝負ができる。
 敵と。
 なんの気兼ねもなく。
 すべての細胞肉とあらゆる神経樹を自壊するほど稼動させて。
 それまで止まっていたなにかが、心の回転数が一定上限に達すると同時にカチッと音を立てて動き始めた。
 だが、まだだ。
 まだ足りない。
 俺は牛若丸に張り付いた視線を無理やり逸らし、卓を見た。
 奇妙な卓だった。手積み卓だ。当然といえば当然、山奥なので自動卓のための電気はない。
 敷いてあるラシャは緑ではない。夜明けのような群青色だ。ちりばめてある金平糖は星を象っているのか。
「天馬、事情を聞かないんだね。もっと慌てふためくかと思ったのに」
「どうせ俺の人生はロクでもないことばかりだ。いまさら一つ二つどうってこたァない」
「ふふ……でも一応、言い訳させてよ。君がここに来たのも、わたしが見つけたのも、ぜんぶ偶然。ホントだよ? この装束を賭けたっていい。わたしたち三人はたまたまこのお社に集まって、この牌と卓を見つけたんだ」
 そうそう、と牛若丸が頷く。
「それで詩織がルール表を見つけてよ。どうもこの麻雀牌は妙なルールでやるらしくってな。サンマじゃ味気ねえってんでダメで元々、帰り道を探しがてら外に出てった詩織が見つけてきた選ばれしカモがおまえってわけ」
「興味ねえ。とっととルール説明だ」
「あん――?」
 牛若丸が色めき立ったが、シモヘイヘに諌めるような視線を投げかけられると不思議に大人しくなった。
 詩織は懐から変色した紙を取り出して、それを星降る卓に投げた。
 すべった紙が落ち着いたところには、見慣れない牌がまるで誰かがそこに集めておいたように四枚、転がっていた。
 獣が刻まれている。
 朱雀、青龍、白虎、玄武。
 俺は紙を手に取った。目の前にかざすときに、引き絞った弓のように歪んだ詩織の赤い唇がちらっと見えたが、すぐに隠れた。
 その唇が甘い声音を紡ぐ様が、紙を透かして見えるようだった。
 詩織が言った。








「人呼んで――――――――――――――星辰麻雀」

     




 俺はその不思議な牌を手にとって、小さな虫を掌で転がすようにして眺めた。
 彫り手の牌に対する畏怖さえ感じられる、美しい獣の彫りを指でなぞってみる。
 盲牌した感じは独特だ。イーソウに似ているが、東のようなざっくりとした深みもある。
 これが東南西北の代わりだという。
 星辰麻雀では、四人はまず獣牌を通常通り掴み取りする。
 そのときに掴んだ獣が自分の式神になる。
 式神とは陰陽師が使役する鬼神や精霊のことを示し、この星辰麻雀の中核を担う特殊ルールだ。
 俺は忘れないように逐一メモを取りながら聞いていたが、牛若丸は失笑を隠そうともしなかった。好きに笑えばいい。
 通常、半荘を何度か繰り返す場合は二回か三回に席替えするのが通例だが、星辰麻雀は最初に選んだ席のまま動かない。
 それどころか、親決めのサイコロさえ振らない。
 最初の半荘で青龍(東家)だったものは次の半荘以降もずっと東家から始まる。
 掴んだ式神とは心中するときまで一緒なのだ。
 東南戦、食いタン後付赤ドラあり。
 カンドラ即めくり、四人リーチ、九種九牌、三家和は流局。
 25000点持ちの30000点返し。ウマはワンスリー。
 半荘六回戦で最多得点保持者が場の有り金をかっさらう。
 有り金?
 牛若丸、シモヘイヘ、紙島詩織の三人が卓にカードを放った。
 俺はそれをぼうっと見つめた。
 つやつやしたカードだ。金色なので偉いのだろう。
「どうした」とシモヘイヘ。
「なにが」
「おまえもさっさとGGS-NETの会員カードを見せろ」
 三人が訝しげな視線を向けてくるので、俺は一応まぎらわしに制服の内側に手を突っ込んだが、そんな会員カードなんて知るわけがなかった。
 場の気配から察するにお互いの賭け金の保証になるものなのだろう。
 だがバクチ打ちが己の懐の残高を証明するものを受容するわけがない。
 金をどれだけ喰らいこんでいるかはバクチ打ちの生命線だ。
 だから、おそらくそれは――戦績を証明するカード。
 一定額以上をギャンブルで勝ち得たことを証明はするが、その金が残っているかどうかは知ったこっちゃない。そういうカードだ。
 余計なもの作りやがって。GGSめ、そんなものを作ったのならメールの一本くらい出してお知らせしろというのだ。
「あのさ……」
 頭の中で言葉を拙く寄り合わせながら俺は喋った。
「実はカードさ、どっか落としたみたいで……いや探せばあると思うんだけど……でもいまから山に戻るのもかったるいし……なあ?」
「で?」
「だからさ、カードはない。でも、金ならある」
 懐からパンパンに膨れた財布を取り出して軽く振ってみせる。牛若丸がそれを鼻で笑った。
「ばか言ってんじゃないや、ユキチなんか何枚あったって俺たちの間じゃ意味なんかないんだ」
「わかってる。この中にはカミしか入ってないよ。それでいいか?」
 カミとは俺たちの隠語でバクチで巻き上げた誰でも換金できる小切手などのことを指す。
 ふうん、と牛若丸は途端に剣呑さを引っ込めてシモヘイヘと詩織に確認の視線を送った。
 詩織が微笑んだ。
「いいよ、それで。じゃ、獣牌の説明に戻ろっか」
 助かった。
 俺はそっと深い息をついて財布を制服の内側に仕舞った。
 確かにこの財布には万札なんて一枚も入っていない。
 カミはカミでも、ブックオフのカミなのだ。
 レシートを無意味に溜め込む性格がこんなところで役に立つとは、にやにや笑いを抑えるのに苦労した。


 獣牌に関しては箇条書きにしてまとめようと思う。

 1.青龍、朱雀、白虎、玄武はそれぞれ東南西北に該当する。
 2.風牌としては使えない。
 3.自分の式神であっても役牌にはならない。
 4.獣牌はピンフの頭としては使えない。
 5.自分の獣牌は手中にあるとき、必ずドラになる。他家の獣牌はその限りではない。
 6.アガリ牌が自分の獣牌(単騎ないしシャンポン)だったとき、ロンアガリは二倍の点数となる。ツモの場合は通常の点数のままである。
 7.他家の獣牌を手牌の内で雀頭にしている場合、その式神の使役者からはアガれない。単騎のみ例外。
   ツモった場合はほかの二人からのみ得点となる。例:二千・四千→三千・五千。
 8.他家の獣牌を暗刻・明刻に限らず手牌のうちで使用しているとき、そのアガリはその獣牌の他家の得点となる。
   また、放銃した場合もその他家の失点となる。これを<式神に乗る>という。
 9.複数の式神に乗っている場合はどれかひとつを選択する。それは和了、放銃したときに獣牌のコーツをさらして宣言すればよい。
 10.獣牌は字牌ではないため字一色には使用できない。その代わり、四喜和に該当する四聖獣という役満が設定されている。
 11.四聖獣は獣牌を四種二枚以上使用した手牌に適用される。
 12.Bの獣牌をコーツにしたAが、Aの獣牌をコーツにしたBからアガった場合は、和了したAの失点となる。
    このとき、Aが親だった場合は連荘、Bが親番だったときは次局へと進む。
 13.獣牌は国士無双の構成牌である。
 14.獣牌はどの牌も染め手に使用できる。

 俺はぎゅっと眼を細めて自分のクセ字を読みながら尋ねた。
「自分以外全員の獣牌をチートイツのときに使ってるときのアガリはどうなる?」
「ツモ専」
「二つの式神には」
「乗れない」
「ハコ下」
「なし」
「ダブロン?」
「頭ハネ」
「零点」
「続行」
「よし」
 おおよその感じは掴めた。ルール表をくしゃくしゃにしてポケットに突っ込み、尻でずって座布団を卓に寄せた。
 この星辰麻雀の天空卓を前にして、ハイナシで打つ身であることも忘れ、俺は事もあろうにワクワクさえしていた。
 勝ち負けや有利不利はともかく、おもしろそうだ。
 よく赤ドラなし、一発裏なしのルールを「本当に強いやつが勝つ麻雀」なんて言い表すのを耳にするが、どうだかわからん。
 私は全員右利きのバッター相手になら負けないが、南米の村からその腕一本で来日した左利きのルーキーバッターを相手にしたってデータがないし慣れてないので勝負デキマセンなんていうピッチャーがいたら、みんな「しょうがねえな」ってスタンドで頷くのか?
 野球帽被った三頭身の幼稚園児が「今回は相手が悪かったから、次は見知った相手だといいね、パパ!」とか言って肩をすくめてみせるのか?
 違うだろ?
 どんな時だろうと勝負は勝負だしルールも条件もへったくれもない。
 勝てばいいんだ。それだけだ。
 負けたやつは、死ねばいい。
「じゃ、掴み取りしようか」
 詩織が散らばった四牌を寄せ集めてガラガラかき混ぜる。
 俺は牛若丸の次に牌を掴み、卓に打ちつけた。
 タァンと小気味いい音が捨てられた社に木霊する。
 白虎。俺は西家だ。
 これから六半荘、こいつと付き合っていくことになるらしい。
 俺は思わずくすっと笑った。
 朱雀のシモヘイヘと玄武の牛若丸に怪訝そうな目で見られたが構うことはない。
 俺は、なんとなくこの白虎を引けたらツキが寄るんじゃないかと思っていたところだったのだ。嘘じゃない。
 シマシマ模様だ。縁起がいいぜ。
 やってやろうじゃないか、星辰麻雀。





 青龍、紙島。朱雀、シモヘイヘ。白虎、俺。玄武、牛若丸。
 奇しくも座席はそのままとなった。
 ガラガラとおなじみの音を立てて、洗牌がはじまる。
 詩織はにこにこしながら牌をかき混ぜている。
「動かなくて済んでラッキー♪ これはわたしの一人勝ちの予感だねえ」
「そりゃ東家だからな」
 慣れた手つきで牛若丸は煙草を一本くわえ込み、不味そうに煙を吐いた。
「毎回東発なんだ、誰よりも親番が回ってくる可能性が高ぇ。ちっ、俺なんか親番一回も来ない回があるかもな」
「ハハハ、その代わりこっちは親っかぶり喰らってドボンだよ。進んでも地獄オリても地獄、ってね」
 どこかで聞いたような言葉の押収。
 牌で両手を洗いながら、俺は胸の中にじんわりとしたものがこみ上げてくるのを感じた。
 麻雀なんて、そういえばだいぶ打っていなかった。
 どこの雀荘にいっても半荘三回も打てば客が気分を害して帰ってしまうから、なんらマナー違反なんてしていないにも関わらず俺は尻を蹴られて叩き出される。
 フリードリンクのオレンジジュースを飲み干すこともできなかったことさえある。
 それに比べて、ここはいい。
 莫大な金が俺をひとりの人間として存在させてくれる。
 金さえあれば誰も文句は言わない。
 いや、金でなくても、支払うものがあり、それを求めるものがいる限り、賭博は成り立つ。
 死んだ魚のような目をした落伍者なんてここにはいない。
 なにもかもが燃え、輝き、不可視の線をばら撒いている。
 燃え尽きる前に、相手を焼き尽くしたやつが生き永らえる。
 カチッ。
 紙島詩織が誰よりも速くヤマを積み終えたのを、俺は上目遣いに見やった。







 二三七八九(456p)33s白朱青玄 ドラ:(9p)
(白は三元牌の白。白虎は虎と表記する。漢字はマンズ、カッコつきの数字はピンズ、なにもない数字がソーズ)


 最初の配牌だ。なかなか速そうではある。
 とっとと一四萬を引いて、そのあとはくっつきテンパイという流れが見えてくる。マンズに寄せてのピンフ一通が最高打点というところか。
 詩織、打8p。シモヘイヘ、打一萬。
 俺は3sを打った。
 雀頭落としだ。おかげでテンパイ速度はガタ落ちだが構わない。
 しかし、続く牛若丸も字牌を一切打たない。当然だ。
 獣牌は役こそつかないものの該当者には無条件でドラになる。ポンしてもドラになるのだ。迂闊には打てない。
 しかし、押さえればいいというものでもない。
 青龍の詩織に青龍を打って当たれば点数二倍。
 しかもその時点で最低リーチドラドラ。七七は一五四。その威力は子の倍満に匹敵する。
 だからおそらく、獣牌は第一打で整理すべき牌なのだ。三元牌はこの限りではない、ポンされた場合それはこの星辰麻雀においてパオにも等しい罪だ。
 では、なぜ打3sなのか。簡単だ。
 第一打で整理すべき、なんてことは詩織もシモヘイヘも承知していてしかるべき。
 その二人が獣牌を捨ててこないということは、手中に獣牌がないか、トイツか。
 なんにせよ青龍も朱雀も切れない。
 牛若丸にいたっては、俺が獣牌を押さえた理屈がひとり分増してのしかかってくるから、警戒のために打てないだけかもしれない。
 俺は、対面の河と、凍てついたような微笑みを浮かべている黒い巫女を睨んだ。
 第一打がドラ表示牌の8p。速い手からドラの9pが重なっている気配。
 だが、おそらくその手を透かしてみれば、ドラは一枚もないのだろう。
 これはただのブラフ。俺たちをびびらせて萎縮させようとしているのだ。
 親を誰も蹴らなければ、親は永遠に失点しない。
 麻雀の基本だ。
 だからこそ圧迫してくる。オリろオリろと攻めてくる。
 くそったれ、そうそう思い通りにはさせないぞ!
 数順後、詩織が切った獣牌を合わせ打ち、俺の手はこんな風に変化した。

 一二三七八九(456p)1s白白青青 ドラ:(9p)

 1sを切り、テンパイ。ヤミテン。
 青龍は俺の式神ではないからドラにはならない。
 白のみの1300点。もっとも青龍をツモった場合、親の四千オールになってしまうのでアガれない。
 またリーチをかけて青龍が詩織から零れ出た場合、詩織から詩織への放銃という奇妙な形になり、点数変動なしの連荘となる。
 白が出た場合は雀頭が青龍であるためにアガれない。つまりこの手、どうアガいても親からの収入はないのだ。
 気に入らなかったが、テンパイを取らないわけにもいかない。
 するとひょっこり次順、青をツモった。
 手牌を倒せば四千オールだ、そんなマネはしない。
 だからこうした。











「リーチ」













 フリテン白待ち。ツモって失点。
 我ながら、惚れ惚れするほど完璧だ。

     



 牛若丸、打3s。詩織、打九萬。
 シモヘイヘ、
「ちょうどそれが切れなかったんだ……おまけに張ったぜ」
 細長い指を綺麗に折り曲げ、牌を卓に叩きつけた。
 白切りリーチ。
 日の丸の代わりに赤星を印した千点棒がやつの河でハネる。
 シモヘイヘの河からは打点も待ちも読めない。強いて言うならタンピン系か。
 注目の第一発目、俺は手をヤマに伸ばし、ゆっくりと味わうようにツモ牌を盲牌する。
 これだといいが。
 俺は盲牌するやいなや、河にツモ牌を打ちつける。
 打(7p)
「ロン!」
 シモヘイヘ、メンピンの(1-4-7p)待ち。高めタンヤオ。一発で八千だ。
 だが、俺は支払う必要は、ない。
 死にたがってるやつの背中をそっと押すようにして……俺は青龍暗刻をさらした。
「これで、いいんだろ」
「うん――いいリーチだね」
 詩織は細い顎を撫で、俺の河を見渡した。
「この星辰麻雀のお手本みたいなアガリ方だよ」
「なんでもいいけど点棒を払えよ。シ……朱雀のやつに」
 詩織は頷いた。
「その必要は、ない」
 え、と俺が身を乗り出すと、詩織は自分の手牌を開けた。
 (7p)単騎のチートイツ。2400点。俺は唇を歯で噛んだ。
 あれほど輝いて見えるチートイもそうそうなかったろう。
「頭ハネだ」
 青龍持ちの俺からのアガリ、2400点は変動しない。失ったのはリー棒のみ。
 だが、痛い。
 まだ千点、とは俺は思わない。
 いや、そう思うやつがいてもいい。それがツキを呼び込むかもしれないし腐ってるよか百倍マシだ。
 それでも、いまの手並みは鮮やかすぎる。
 イカサマじゃない、配牌は俺のヤマからだったし(星辰麻雀でも開門の際のサイ振りはする)、ツモはほとんどシモヘイヘのヤマにかかっていた。
 ブッコ抜きなんかもやってはいない。
 手なりで作ったチートイツ。そういうのが一番怖い。
 百点棒を積んで詩織は再びサイを振った。
 どうせなら点棒を振って欲しいものだ。
 毒づく俺の心を、果たして牌は聞き届けてくれるのか。
 そんなことは、逆立ちしたってわかりはしない。
 それが麻雀というものだ。
 こうして俺の長い長い勝負は始まった。
 星辰麻雀――他家の打点を操作できる地獄の麻雀が。




 詩織(青龍):27000
 シモ(朱雀):24000
 天馬(白虎):24000
 ウシ(玄武):25000

 次局――東一局 一本場

       

表紙

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