Neetel Inside ニートノベル
表紙

HVDO〜変態少女開発機構〜
第五部 第二話「土曜日」

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 一応、自分も年頃の男子です。
 例えそれがややこしい背景を持っていようと、家庭崩壊の危機を孕んでいようと、相手が世界屈指のお金持ちであろうと、そんな事情とは一切関係なく逢引という物は緊張を強制する事件であり、それ相応の覚悟を持って挑む必要がある訳です。普段めったに見ない鏡を何度も確認し、髪をいじったり、鼻毛のチェックをしたり、眉毛を整えてみたり、ボディスクラブで身体を洗ってみたり。
 もちろん自分は自他共に認める非モテ男子であるが故に、その作法は酷く付け焼刃的であり、堂に入っていない事は重々承知の上ですがそれでも、何かしら努力らしい事をして挑む必然があると思ったからこそ、そうしてみたのです。
 準備が完了したのが7時40分。予定では、三枝委員長が車で8時に迎えに来るという事なので、自分はそわそわと落ち着きませんでしたが、それ以外にする事もないので、とにかく待つ事にしました。デートの心得などを春木氏に尋ねようかとも一瞬思いましたが、まともな返答は帰ってくるはずもないのでやめ、代わりにLOの最新号の話などを少しばかり。
「じゃ、そろそろ僕はお暇するよ。幸運を祈る」
「はい。良い勝負でした」
 颯爽と去っていく春木氏とりすちゃんを見送り、自分は玄関でなんとなく萎縮してしまって、気づくと正座して待っていました。
 8時5分。
 三枝委員長は決して時間にルーズな方ではないので、何らかのトラブル、例えば交通事故で道が渋滞しているなどの理由がまず浮かびました。
 8時10分。
 それにしては何の連絡も無いというのは不自然です。もしかすると、交通事故をしたのは三枝委員長の方だったのでは、という不安が芽生えます。
 8時15分。
 ……いえ、もしかしてもしかすると、三枝委員長は最初から自分とデートするつもりなど無かったのではないか。という最悪のシナリオが脳の端っこから侵食してきました。仮に何らかの事故や事件に遭っていたとしても、三枝委員長が今日デートをする事自体は既に執事やメイド、春木氏でさえも知っているはずなので、15分も遅れれば何らかの連絡が相手である自分に来ても良いはずです。
 となると、最初から三枝委員長は自分の純真を弄ぶ為だけにデートの約束をして、こうしてすっぽかして嘲笑っているという可能性が濃厚になってきます。
 考えてみれば当たり前の事です。美人、資産家令嬢、露出狂の彼女が、引く手数多でない筈がなく、一介の庶民でありおしっこ好きの自分など、本来ならば選択肢にすら入る事が出来ないはずです。
 どんよりと暗い気持ちになってきた所に、電話のベルが鳴りました。自分は慌てて受話器を取ります。
「もしもし、五十妻君?」
「はい。その声は三枝委員長ですね」
 ひとまず安心した自分でしたが、どうも様子が変です。
「えっと、ちょっと面倒くさい事になっていて、悪いのだけれどタクシーか何かでうちまで来てもらえないかしら?」
「面倒くさい事?」
「ええ、説明は来てからするわ」
 そうして切れる通話。自分は一瞬何が何だか分からなくてぼんやりとしましたが、すぐに気を取り直し、とにかく三枝委員長の指示に従う事にしました。大通りまで出てタクシーを捕まえ、前に1度訪れた三枝委員長の邸宅へ。道中、もしかして三枝委員長は新手のHVDO能力者に襲われているのではないかと心配し、ならば助太刀しなければと覚悟を決めましたが、そこで自分を待っていたのは想定していたよりも遥かに強力な相手でした。


「どうしてそうなるのよ!」
 執事の方に通された部屋にいたのは、1人虚空に向かって声を荒げる三枝委員長でした。
「私ももう16なのよ? 1人くらいそういう人がいたっておかしくないし、デートくらいおおめに見てくれたっていいじゃない!」
 部屋に入ってきた自分に気づかず、なおも何も無い空間に向かって話しかける三枝委員長。それにしても奇妙な部屋です。豪邸らしい内装で、良く手入れされているというのに物が何もなく、位置も屋敷の隅の方ですし、何をするのかよく分からない部屋でした。
「あの……」
 そう話しかけ、振り向いた三枝委員長の表情は焦りの色を隠すのも忘れているようでした。今まで見た事のない雰囲気の三枝委員長にたじろいでいる自分を、三枝委員長は引っ張ります。
「お父様、紹介するわ。私のボーイフレンドの五十妻君よ」
 お父様!? そう言われても、目の前には何もありません。高い天井と、高そうなカーペットの間には、自分と三枝委員長以外の人間がいるようには見えないのです。
「ほら、五十妻君、自己紹介して」
 そう言われても……。三枝委員長はもしかして自分とデートをするのが余りにも嫌過ぎて頭がおかしくなってしまったのではないだろうかと心配している矢先、どこからともなくその声は聞こえました。
「私が瑞樹の父だ」
 驚愕して周りを見回しますが、やはり何もありません。しかもその声は、およそ生身の人間の物ではなく、なんというかボイスチェンジャーでも使ったような、というよりむしろ機械で作られたような音声だったのです。
「ど、どうも、五十妻元樹です。よろしくお願いします」
 とりあえず軽く頭を下げてみたものの、一体何が何やら分かりません。
 その様子を察してくれたのか、三枝委員長が改めて説明してくれました。
「父は別室からここの様子を見ているわ。この声は、父が手元にあるキーボードで入力している合成音声。とても多忙な人なのよ。口、左手と右手両方のキーボード、それと足を使って同時に4人の相手と会話しているの」
 流石は三枝委員長のお父様。なかなかにぶっとんでいらっしゃる。感心しつつも、それならばと先ほどの会話が気になりました。
「とにかく、今日は私、五十妻君とデートに行くと決めているの。止めても無駄だから」
 機械音声、もといお父上が答えます。
「私はお前を止めてなどいない。だが、三枝家の意に反するというのならば、三枝家にいる恩恵は受けられないと言っているだけだ」
「だからどうしてそうなるのよ! 私は私の自由意思で五十妻君とデートをすると言っているの!」
「瑞樹、私は権利を主張する前に義務を果たせと言っているのだ。お前には三枝家の当主としてふさわしい結婚相手候補が既に何人か用意されている。それを拒否して五十妻君を選ぶというのならば、お前が三枝家の権力を行使する事も許されないという事を私は言っているのだ」
「だ、だけど……」言い負かされている三枝委員長は世にも奇妙です。
「五十妻君、気を悪くしないでくれ」
 突然に話を振られ、動揺する自分でしたが、機械音声は変わらぬ抑揚で、しかしなんとなく優しげにこう言いました。
「君には申し訳ないが、私は君が瑞樹の相手として相応しい人物であるとは現段階で思っていない。そんな相手に三枝家の金やコネクションを使わせる訳にはいかないのだ。理解してくれ」
「は、はあ……」
「お父様、それは違います。デートプランは私が1人で立てた物ですから、彼は関係ありません」
「そうか。だがそれでも、三枝家の物を勝手に利用する事は許さん。瑞樹、お前なら分かるだろう」
「……」
 長い沈黙の後、三枝委員長が口を開きました。
「……ええ、分かったわ。でもデートには行く。もうあなたからは何も受け取らない」


 まとめると、どうやら三枝家の当主、三枝委員長の父は、自分と三枝委員長とのデートに反対しており、それを阻止したかったようです。まあ、逆の立場から考えてみればそれも至極当然の事であり、どこの馬の骨とも分からない自分を、お嬢様の相手として簡単に認める訳がありません。
 ですが三枝委員長の意思は堅く、何が何でもデートをすると主張。よってここに対立が生まれ、その結果、三枝委員長が立てていたという本日のデートプランはご破算となった訳です。
「恥ずかしい所をお見せしてしまったわね」
 屋敷から外に出て、第一声、三枝委員長がそう言いました。
「普段はあんなに頑固な人ではないのだけれど……」
「いえ、考えてみれば当たり前の事かもしれません」
 沈黙。なんとなく気まずくなって、自分から話しかけます。
「ちなみに、どんなデートプランを考えていたのですか?」
「そうね、まずはチャーターしたジェット機で南の島のプライベートビーチへ向かって、そこで海水浴。昼間は呼び出したイタリアの一流三ツ星シェフの豪華なランチを食べて、午後は島を散策しながら好きな事をして、夜になったら、またジェットで日本に戻ってきて会員制の豪華ホテルで最高の……」
「も、もう結構です」
 なんだか聞いているだけで気が遠のいてしまいそうだったので止めました。
「まあ、全て父にキャンセルされてしまったのだけれど」
 残念そうに、三枝委員長が俯きます。
 怒って声を荒げたり、焦って取り乱したり、しょんぼりとして気落ちしたり。
 これまでに見た事のなかった三枝委員長の表情は実に新鮮で、確かに超豪華デートプランは惜しい所ではありましたが、それでもこの三枝委員長が見られただけでも、同じくらいの価値があるのではないかなんて、自分は思いました。
「これからどうしましょうか」
 三枝委員長の質問に、自分は頭をかきます。
 どこかへ行こうにも、家から放り出された三枝委員長は一銭も持っていませんし、自分も一応なけなしのお小遣い5000円は持ってきましたが、ここまでタクシーで来るのに結構使ってしまって、1000円ほどしか残っていません。高校生の男女がデートするのにこの額はいかにも不安で頼りなく、何をするにも金が必要な今では、何も出来ないと言っても言いすぎではないでしょう。
 悩む自分を見て、申し訳なさそうにする三枝委員長。考えてみれば、自分にだって三枝委員長の財力をあてにしていた部分があるかもしれません。そもそもデートプランを三枝委員長1人に任せきった事も、考えてみれば男として失格です。先ほど三枝委員長は自分を庇ってくれましたが、その辺も含めてお父上は自分の底という物を見透かしていたのではないでしょうか。
 ふと、自分に良い案が浮かびました。
「お金が無いのなら、稼げば良いのではありませんか?」
 自分の発言に、三枝委員長が首を傾げます。
「友人の紹介なら、日雇いで出来るバイトがあるはずです。午前中はそこで2人で働いてみませんか? もちろん、三枝委員長さえ良ければ、の話ですが」
 しばらくの後、三枝委員長はこれまた珍しい笑顔でこう答えてくれました。
「とても良い案ね。私、1度バイトというのをしてみたかったの」

     

 ここで言う友人というのは、無類のおっぱい好きとして国内外を問わず絶大な支持を受ける等々力氏の事であり、彼は高校入学と同時にその飽くなき好奇心からか、あるいは乳系エロ雑誌の購入資金の為か様々なバイトを始めていたようで、自分もあまりそれに関しては興味は無く、話半分に聞いていたのですが、意外と持っているコミュニケーション能力の所以で、いわゆるバイトのキープという物をいくつか持っているようなのでした。
 その内容はあくまでもうろ覚えですが、高校生としてはベタなコンビニ店員から土木関係の作業員、ファミレスのウェイター、ニッチな所では雑誌編集のアシスタントやら未発売ゲームのデバッガーといった仕事を入学後僅か数ヶ月の間にこなし、そんな彼ならば突然でも2人分、仕事の口を紹介してくれるのではないかという期待を持ち、電話をかけてみました。
「お前なあ、たかがバイトって言ってもそんな気軽なもんじゃないんだぞ。身元の保証もいるし、シフトだってある。当日急に、しかも午前中だけなんて、そんな都合の良いバイトがあると思ってんのか」
 等々力氏に正論を言われると何故か無性に腹が立つのは自分だけなのでしょうか。いえ、隣で電話から漏れる声を聞いている三枝委員長も、若干ですがぴくぴくときているようです。
「そこを何とか、何でもいいのでありませんか」
「しかも2人分だろ? うーん……。っていうか2人ってさ、お前とあと誰だよ」
「三枝委員長です」
「はぁ!? 委員長がなんでバイトなんだよ。会社ごと買えるだろあいつ」
「それはまあそうなんですが、色々と事情があるんですよ。本当に何でもいいので、お願いします」
「そう言われてもなぁ……」
 ここで突然、三枝委員長が自分から受話器を奪いました。そしてたった一言。
「今度1乳首見せてあげるから私にバイトを紹介しなさい」
 突然現れた謎の単位「乳首」に疑問を抱く間もなく、電話の向こうの等々力氏は答えます。
「ちょっと待て! 乳首は2つで1単位だろうが!」
「駄目よ。1乳首だけ」
「もう一声!」
「……仕方ないわね。1.5乳首。これ以上は譲れないわ」
「やったぜ!!」
 果たしてその1乳首という単位の価値がどの程度あるのかは不明でしたが、とにかく変態間での会話が成立し、契約が成り立てばまあ良いとします。
「でも本当に何でもいいんだな? 最低時給だぞ? 地味な仕事だぞ?」
「構わないわ」
 と、断言する三枝委員長。自分もそれに頷きます。
「じゃあ紹介してやる。今から連絡先と場所を言うから、とりあえず向かってくれ。俺から話はしておくよ」
「助かるわ」
「1.5乳首忘れるなよ!」


 人生初のバスに乗った三枝委員長は、興味津々で降車ボタンを押そうとした所を他のお客さんに押されてしょんぼりするという子供のような表情を見せつつも、車輪の上の少し高い席からの景色を楽しんでいるようでした。ただ単に節約の為に乗ったバスでしたが、生まれてこの方高級車にしか乗った事のない彼女にしてみれば、こっちの方がおそらく新鮮なはずで、かえって良かったかもしれないとも思えました。
 自分からすればなんて事のない日常ですが、三枝委員長からしてみればそれは未知なる経験であるという事。これからするバイトもおそらくはそうなるはずで、これも意外と悪くない展開かもしれないと思った矢先、意外な程に弱気な言葉をもらいました。
「こんな事になってしまって、ごめんなさいね」
「気にする事は無いですよ」
「でも安心して。今日は駄目でも、私は必ずお父様を説得してみせる」
 説得……。自分はどうしても気になって、あるいは確かめたくなって、こんな質問をぶつけてみました。
「三枝委員長は、本当に自分と付き合いたいのですか?」
「あら、当たり前でしょう。でなければこんな事はしないわ。こう見えてもね、お父様に逆らったのはこれが初めてよ」
 面食らうほどにあっさりと、「当たり前」を口にしたので、自分はどう答えていいか分からずにたじろぎました。
「好きよ、五十妻君。前に春木君に指摘された時よりも素直に、今はこの事実を受け入れている。不思議ね」
「では、どうして……」
 言いかけた時、三枝委員長が人差し指でそれを止めました。
「どうしてHVDOの幹部、つまりあなたのお父様に仕えているのか、でしょう」
 三枝委員長には何でもお見通しのようです。
「それについては、そうね、後で時間をかけてお話しましょう。ほら、もう着いたわ」
 バスから降り、降り立った停留所はちょっとした工場地帯にありました。街の外れで、ほとんど自分も来た事はありませんでしたが、空気が市街地とは違ってややどんよりとしており、これもスモッグや排気ガスの影響なのかと推察されました。
 なんとなく、三枝委員長、いえ、三枝お嬢様をこんな所に連れてくるのは、煌びやかな宝石をドブに落とすような気がして気が引けましたが、当の本人はというと実にやる気満々で、むしろ自分を引っ張るくらいの勢いで、目的地へと向かっていきました。
 その時、なんとなく自分はもしもこの人と結婚したら、こうして前を歩いてくれて、周りからは尻に引かれていると思われながらも、でもそれはそれで幸せだったりするんだろうな、などとこっ恥ずかしい事を考えて、1人赤面したりしていたのでした。


 そうしてやってきたのは、小さな工場でした。小さいと言っても工場ですから、何も無ければ校庭と同じくらいのスペースがあり、そこにベルトコンベアやらタンクやら、ほとんどは名称も分からない機械が所狭しと並び、轟音をたてて稼動していました。
 等々力氏からの話はきちんと通っていたようで、工場に備え付けの事務所をノックすると、工場の責任者らしき人がすぐに出てきて、大した挨拶をする暇もなく、白衣と白い帽子とマスクを着るように指示し、その後自分達を仕事場に連れて行きました。既にラインは動いているようでしたが、仕事は用意されていました。
「これから君達にはサラダ油の梱包作業と、『撫で』作業を行ってもらう」
 そこがサラダ油の工場だった事すら初耳の自分でしたが、梱包の方はまだしも、「撫で」というのは流石に分からず、質問しました。
「このベルトコンベアをサラダ油の入ったボトル容器が流れてくるから、それをひたすら撫でてくれ」
 ひたすら撫でる?
 製品を世の中に送り出す前に、愛情を込めておいしくする担当がいるというのは初めて知りました。が、どうやらそういう事ではないようです。
「不良品のチェックだよ。容器にひびや割れが無いかをチェックしてもらう。もしもあったらその製品をコンベアからどかして脇に置いてくれればいい。それだけだよ」
 なるほどそういう事か、と納得します。とはいえ世の中にはすごい仕事があった物です。刺身にタンポポを乗せる仕事というのはなんとなく聞いた事がありますが、まさかサラダ油の容器を撫でるだけの仕事とは。
「各作業1人ずつ必要なんだが、どっちがどっちをする? 梱包の方はダンボール上げ下げの力仕事だから、出来れば彼の方にしてもらいたいが」
 もちろん、そのつもりでした。男として、女子に重労働をさせる訳にはいかず、ここに来るまでに余りにも作業がきつそうだったら三枝委員長だけでも辞退させようと思っていた所に、撫でるだけという仕事はありがたく、自分は同意も待たずに梱包作業に立候補しました。
 やがて作業が始まります。自分はひたすら指示に従いながらフォークリフト用のコンテナに油の入ったダンボール箱を積みまくり、三枝委員長は流れてくる容器を撫でまくる。
 ひょっとすると自分は、物凄く罪な事をしているのではないかという疑いが作業中に思い浮かびました。三枝委員長のスペックは既知周知の通り高校生としては飛びぬけた物ですし、家に戻ればきっとこの工場を丸ごと買える程のお小遣いがあるはずです。にも関わらず、そんな人にこうして、誰がやっても同じような作業をさせてしまうというのは、ひょっとして世界にとって大きな利益の損失なのではないでしょうか。三枝委員長の人生という時間は、自分などとは違ってとてつもなく貴重な物なのではないでしょうか。
 今更になってバイトの提案を後悔し始めたのですが、自分は自分で目の前のダンボール箱を捌くのに精一杯で、せいぜい合間合間に撫で作業をする三枝委員長を遠目から見る事しか出来ませんでした。ボトルを撫でる三枝委員長の手つきが妙にいやらしく見えたのは、とりあえず自分の気のせいという事にしておきます。
 やがて作業開始から約3時間が経過し、もうすぐ切り上げかという頃、疲労も相まってか自分はなんとなくネガティブな気分になっていました。いえ、現実に戻されたといった方が正確かもしれません。
 やはり自分は、三枝委員長には似つかわしくない存在なのではないか。
 三枝委員長からの好意は非常に嬉しく、自分の人生にはもったいない程の贈り物だと思うのですが、それを受け入れてしまうという事は、三枝委員長の時間を無駄にする事にも繋がるのではないか。現にこうして今も、自分の提案は三枝委員長には役不足も甚だしい単純作業を強いている。
 そして先ほどのバスでの会話。もしも三枝委員長が、お父さんを説得出来なかったら? 諦めてくれるならまだましですが、もしも駆け落ちなんて事になったら、自分のしでかしてしまった罪は一体……。
 どうやら、明日のくりちゃんとのデートを待つまでもないようです。
 今日のデートの最後、あるいはこのバイトが終わったらすぐにでも、自分は三枝委員長に頭を下げて、常套句過ぎて気持ちが悪いですが、「あなたは自分にはもったいないお方だ」という事を伝えようと思いました。やはり、誰がどう考えてもそれが普通であり、正しい事だと思うのです。

     

 決意したというのに、心に誓ったというのに、何故自分は今こうして、三枝委員長とラブホテルに来ているのでしょうか? ほとほと自分の意思の弱さが嫌になりますが、とはいえ合理的に考えるとこれが最善の選択である事は間違いなく、断言しますが決していやらしい事をしにこのラブホテルに来た訳ではありません。
 意味が分からないかもしれませんが事実なのです。順を追って説明します。
 午前中のみのバイトを終え、1人約3000円ずつ、合わせて6000円程の給料を受け取った自分と三枝委員長は、どちらもぐったりと疲れた様子でした。自分は単純に体力面での疲労であり、三枝委員長の方は精神面での疲労です。
「働く事がこんなに辛い事だったなんて……」
 三枝委員長の漏らした言葉に、自分も心の中で同意しました。今まで当たり前のように享受していた衣食住は、全てその扶養者による労働の対価であるという当たり前の事実がリアルになって、社会という現実が恐ろしくも思え、また、母への感謝も湧いてきました。
「ああ、そうだった。五十妻君、ちょっと待ってて」
 三枝委員長はそう言って、1度出た事務所に戻ると、しばらくして封筒を持って戻ってきました。そしてその中から出てきたのは、1万円札が3枚。
「え!? どうしたんですかそのお金?」
 一瞬、三枝委員長が社長のを手や口でしてあげたのかという邪な思いが過ぎった自分はやはりクズです。
「工場の経営に関してちょっとアドバイスをしただけよ。今日働いていて目に付いた所とか、少しね。そうしたら謝礼にって。最初はいらないと言ったのだけれど、どうしてもって。きっとライバル会社への口止め料も含んでいるんでしょうね。あと、卒業後にうちで働かないかと誘われたけど、丁重に断っておいたわ」
 三枝委員長は至って普通の事をしたといった口ぶりでしたが、おそらく社長からしてみれば、それは目から鱗のアドバイスだったように思われます。例えその道の専門家でなくても、鋭い観察力と素早く正確な思考は至極のアイデアを生み、それは時に業界を革命させたりもするのです。
 例え将来、三枝委員長が三枝家から追い出されたとしても、その身に染み付いた帝王学は人の下にいる事を許さず、すぐに一定の地位へと駆け上る事が容易に想像つきました。何せたった3時間ばかりのアルバイト、それも撫でるだけの仕事だというのに、3万円も稼いだ上、就職先まで確保してしまったのですから、その才覚は恐ろしい物です。
 やはり凡人である自分などとは違うのだと再認識した所で、こんな提案が投げかけられた訳です。
「油の匂いが少しついたみたい。シャワー浴びたいわね」
 自分も荷物の上げ下げで随分と汗をかきました。
「大した仕事はしてないけれど、慣れないから疲れてしまったわ。どこか個室でゆっくり出来ると良いのだけど」
 自分も疲れています。座りたいというよりむしろ寝転がりたいくらいに。
「それと五十妻君に、出来れば2人きりで話しておきたい事があるの」
 自分も三枝委員長には話したい事と訊きたい事があります。
 2人の需要はぴたりと一致し、そしてそれに応えられる施設は自分の知る限り1つしか存在しませんでした。
 即ち、ラブホテルです。


 仕方なかったのです。
 三枝委員長の家は当然使えませんし、我が家もいつ母が帰ってくるか分からないので駄目です。また、デート中のカップル相手に部屋だけを提供してくれる友人を自分は持っていませんし、漫画喫茶等では話をするには周囲にいる人が気になります。
 だから決していやらしい意図をもってラブホテルに来た訳ではないという事だけはあらかじめ断言させていただきますし、三枝委員長もそういった意味でついてきた訳ではないと思われます。あの日、両親の前で2人とデートの約束を交わした時、デート中のそういった行為は禁止されました。いわば抜け駆け禁止というか、きちんと1人の女子に絞り、片方にけじめをつけてから正式に交際を始めるべきだと母からは言われ、自分もそれに同意しました。よって、ここは約束を守る意味で、絶対に三枝委員長には指一本触れないと誓います。
 入り口にて部屋を選び、ご休憩にて入室。一息ついた直後、三枝委員長からこう言われました。
「シャワー、五十妻君から先に入って」
 自分は首を横に振ります。自分は今ここにおいて、かつて無い程に紳士ですから、レディーファーストは当然のマナーです。
「でも、私長いし、お湯にも浸かりたいから……」
 と、三枝委員長。そうは言われても、早くシャワーを浴びたい気持ちがあるのは紛れも無い事実でしょうし、何より自分の後の風呂にこの高貴なお方を入れる訳にはいきません。慎ましく遠慮の意を持って断固先の入浴を薦めると、こんな提案が帰ってきました。
「……それじゃあ、一緒に入る?」
 仕方なかったのです。
 どちらも譲歩出来ず、かといって入らないという選択肢はなく、それにご休憩には時間制限がありますし、2人さえ良ければ誰にも咎められない状況なので、合理的に考えるとこの案が最も良い解決だったのです。2人で一緒にお風呂に入れば時間の節約にもなり、また、本来の目的である「互いを良く知る」という目標にも物理的な意味で一歩近づけます。
 ですから、何度も言うようにエロ目的などでは断じて無く、ただただこれがこの場における正解であったという訳で、自分は三枝委員長と一緒にお風呂に入る事になりました。
 久々に見る三枝委員長の裸身。目からもその柔らかな感触が伝わるような肌で包まれた肉体、滑らかに伸びる四肢は細くて長く、そして瑞々しさを持っていました。その下に骨の存在を確かめさせる鎖骨、恥骨、くるぶし、指のあたりが描く曲線は、艶やかに性的な何かを主張し、そこに舌を這わせてみたい衝動を揺り起こしました。
 胸、鮮やかな桃色の突起物を頂点とした山は、卑猥であると同時に神々しくもあり、もしもその2つの果実に挟まれる事が出来るならば全ての罪が許されるのではないかと思うほどでした。一方で、ふいに後ろを向いた時のたわわな尻の丸みは、数多くの男に道を外させ、痴漢という犯罪者を生みだす悪魔の装置であるように思えました。
 そして前方の割れ目と、美しく生えそろったクロスグリの野原は、近づきすぎれば崩壊するであろう自制心を予感させました。
「恥ずかしいから、後ろを向いて。背中を流してあげる」
 慌てて背中を三枝委員長に向けましたが、それは自分にとっても好都合でした。タオルの1枚下で祭りを起こしつつある息子を晒さずに済んだからです。というか三枝委員長にもせめてタオルをつけて入ってきて欲しかったのですが、露出癖のある彼女に言ってもおそらく無駄な事でしょう。


 仕方なかったのです。
 先ほど自分は三枝委員長には指1本触れないと断言したばかりでしたが、背中を流してもらったら、流し返すのが礼儀という物であり、それを逸するのば人としての道徳に反する行為だと思いました。ボディーソープで泡を立て、それを背中に広げていく作業はこれまで自分がしてきたどんな労働よりも心躍り、夢中でそれに興じました。
 三枝委員長に背中を流してもらっている時も、どきどきが止まらなかった胸の鼓動は更なる高鳴りを見せ、もしも今、後ろから覆いかぶさったら、彼女はどんな反応を見せるのだろうかという悪戯心がちくりちくりと心を刺しました。
「お湯の加減はいかがですか?」
 間が持たず、そう尋ねると、「……いいわ」とだけ答えが返ってきました。泡を流し終え、また眼前に美しい背中が現れると、自分は「終わりました」と声をかけます。
「もう少し、続けてもらえる?」
「え? でも……」
「あと少しなの」
 ? が ! に変わったのは、横にあった鏡を見た時でした。三枝委員長の指は、ご自身の秘所に伸びて、そして何やらその影で蠢いていたのです。頬はお湯で温まっているからではない理由で紅潮し、耳を澄ませば短い吐息が漏れています。
 おかずにされているという自覚を持った自分は、1度目よりもゆっくりと時間をかけて、三枝委員長の背中を洗いました。いや、確かにそういった行為は禁止されていますが、ですがこの場合はあくまでも三枝委員長の1人プレイですし、自分は鏡さえ見なければ気づかない場合も十分にあり得たのですから何の問題もないはずです。
 ぶるぶるっと三枝委員長の身体が震え、到達したのが分かりました。少しばかりの放心状態の後、それぞれ前を洗って、お湯を溜めた湯船に浸かりました。妙に気まずく、2人とも無言で、すぐにのぼせてしまいそうだったので、結局長い時間は入れませんでした。
 そして今度こそ本当に、自分は心に誓います。決して三枝委員長を襲ったりはしないと。自分はあくまでもルールを守り、欲望に負けたりなどはしません。
 仕方なかったのです。
 あんな物やこんな物を見せられて耐えられる男がいるでしょうか。いいえ、いません。いるはずがありません。
 お風呂を出て、バスタオルで水滴を拭くやいなや、自分は三枝委員長をベッドの上に押し倒しました。上から覆いかぶさり、口付けを交わします。
 それはまさしくあの日の再現でした。初めて三枝委員長にご自宅にお呼ばれした時。
 そして今度は、誰にも邪魔はされません。

     

 覆いかぶさる形は、逃がさないように拘束する為ではなく、むしろあらゆる敵から守る為でもあります。
「三枝委員長」
 高校生の男女が2人、ラブホテルで裸で身を重ねあう。これを健全と呼ばずして何を健全と呼ぶのでしょう。
「……何?」
 上気する両頬を視界の端に捉えつつ、潤んだ双眸をまっすぐな視線で捕まえて、段々と合っていく呼吸を離さずに、自分は三枝委員長に問いかけます。
「誰に負けたのですか?」
 諦めたように目を瞑って、ゆるやかに笑う三枝委員長。
「何でもお見通しって訳ね」
「そちらこそ」
 いくらなんでも自分の目は節穴という訳ではありませんし、ましてや他ならぬ三枝委員長の事です。自分の手の内が読まれているその瞬間、相手の手の内もまた、自分の目の前にあります。自分と三枝委員長を結ぶ変態という絆は、時に厄介なくらいに堅く、面白みさえ失ってしまう物なのです。
「だけど、誤解よ。私は誰にも負けていない」
 あれ、なんか間違えたっぽい。
「でも確かに、私は今、HVDO能力を失っているわ」
「やはり、そうでしたか」
 朝からずっと一緒にいて、風呂場に入るまで1度も三枝委員長が脱がないなんて事はありえない事ですし、移動だってわざわざバスなんて使わずに戦艦マジックミラー号を発動させれば良いだけの事です。あえてそれをせず、しかも口にさえ出さず、ましてや思いつかないなんて事は三枝委員長にあるはずもなく、そこにあるのはやはり、HVDO能力に何かしらの制限がかかっているという事に他なりません。
「もしも私が負けていたとしたら、あなたはどうしてくれたの?」
 正直に答えます。
「仇を取ります」
「嘘ね」
「はい、嘘です」
 正直に答えました。
「私は負けた訳ではないけれど、仇はとってもらうかもしれないわね」
「詳しくお願いします」
「いいわ。私がHVDO能力を失った理由、それと、あなたのお父さんである崇拝者に仕えている理由もお話しなければならないわね」
「そうしていただけると助かります」
「こうまでされたら、ね」
 見くびってもらっては困ります。
 自分は何も性欲に負けて三枝委員長を襲った訳ではありません。冷静に、問い詰めるタイミングを見計らっていただけなのです。そして嘘をつかせないこの体勢に持ち込んだ後、ゆっくりと聞き出す。これぞまさしく策略家たる自分のやり方であり、決して流れに身を任せていたらたまたまこうなってしまった訳ではなく、全て計算尽くでの事であったのです。勃起に関しては多めに見てもらえると助かります。


「あなたが私の家に最初に来た時の事を覚えている?」
「はい、招待されて行きました。くりちゃんが幼女化していた頃の事です」
「そう、あの時あなたは、柚之原のHVDO能力に捕まえられて、拷問を受けたわね?」
 思い出したくもない記憶が一瞬蘇り、顔をしかめます。
「あの時、あなたに助け舟を出した人を覚えている?」
 確か自分はあの時、柚之原様のHVDO能力を解除する為に、自分がホモであるという嘘をついて切り抜けようとしました。しかしいまいち騙しきれずに困っていた所に、声が聞こえたのです。
「トム、と確かあの女の声は名乗っていました」
「そう、あれね……」三枝委員長は至って真剣に言います。「きっと私」
 三枝委員長が、トム? 
「で、ですが、三枝委員長は腐女子ではないですよね?」
「ええ、腐女子というのは柚之原とあなたを騙す為の嘘の性癖でしょう。のぞきという行為が不自然に思われない為の」
「しかしですね、三枝委員長のHVDO能力らしくないではないですか。人の行為を覗くだけなんて」
「そうね、それはおそらく、他の人物のHVDO能力を使っていたのでしょう」
 自分は三枝委員長の口ぶりに疑問をぶつけます。
「さっきから『きっと』とか『おそらく』とか、これは三枝委員長ご自身の事ですよね? どうしてそんなに曖昧なのですか。まさか今更多重人格なんて言い出さないでしょうね?」
 少し言い過ぎた感もありましたが、自分には不可解すぎる事実に、苛立ちを覚えていたのも事実でした。
「違うわ。でも、それに近いかもしれない」
「詳しく、具体的にお願いします」
「トムというのは、未来の私。何年、あるいは何十年後かの私が、声だけを過去に飛ばしてあなたを助けた。私が公園でストリップショーをした時も、あなたをそこに誘導してきたのはトムだったはずよ」
 自分はあの時の事を思い出します。
「あ、あの時、トムは自分の身体に触れていたはずです。過去に飛ばせるのが声だけというのなら、説明がいきません」
「そんな事は、誰かを雇っているのだとすれば説明がつくわ。声だけだとしても、中身は未来の私なのだから、講座の番号も金庫の鍵の在り処もみんな知っているはずよ」
 確かに、それで入手した過去のお金を利用して自分を拘束し、能力を使用しているように見せかけているのだとしたら、あり得ない話ではありません。
「未来の私であるからこそ、トムが動いていた時の私のアリバイも完璧」
「それでは……未来の三枝委員長の目的とは……?」
「あなたと私が結ばれる事」


 確かに、この三枝委員長の推理には根拠がありました。「トム」という名称は、覗き魔の俗称である「ピーピング・トム」から来ている事は明白であり、ピーピング・トムという俗称は、ゴダイヴァ夫人の逸話に出てきた人物の事です。と言っても何の事やら自分は分からなかったので、三枝委員長の解説をそのまま言います。
 ゴダイヴァ夫人とは、11世紀イングランドに実在した人物で、領主である夫の圧制を憂いて意見した所、「ならば全裸で馬に乗って街を行進しろ」という無茶振りに応えてそれを実行しました。すると、夫人を慕う領民達は夫人に恥をかかせないようにとその恥ずかしい姿を見なかったという美談です。その時、覗き見をした男が1人いて、その名がピーピングトムだったという訳です。ちなみにゴダイヴァ夫人はベルギーの有名なチョコレート会社の名前とロゴマークにもなっています。
 三枝委員長が語るに、彼女はこのゴダイヴァ夫人の逸話を初めて聞いた幼少時代、「裸で街を歩く」という行為に対して言い知れぬ興奮を覚えていたそうで、トムという人物があえてその名前を使ってきたのは、トムが三枝委員長自身であるからに他ならないという確信を得させる為だったようです。
「三枝委員長は子供の時からアレだったんですね」
「それがきっかけという訳ではないけれど、片鱗はあったという事かしらね」
 色々と事実が分かった所で、やがて会話は最初の疑問に帰結しました。
「それで、三枝委員長がHVDO能力を失った理由は?」
「それが、時をかける能力を発動させる『条件』だったからよ」
「時をかける能力……」
 自分は三枝委員長が隠していた裏の事情を察しましたが、口に出すのは躊躇われました。
「崇拝者のHVDO能力の1つに、そういう物があるの。HVDO能力を生贄にして、時を遡り、過去に影響を与える能力がね。それを手に入れる為に私は、HVDOの幹部となって、崇拝者の命令を聞いた」
 これは春木氏からもらった忠告にも一致します。
「そしてこれらから導かれる結論は1つ」
 世にも恐ろしい事実。
「あなたは2日後の決断において、私ではなく木下さんを選ぶ。そしてあなたと木下さんが結ばれた時、崇拝者は自分のHVDO能力を犠牲にして時間を遡り、あなたが奪ったはずだった木下さんの処女を奪うはず。つまり、『あなたが選ばなかった方の処女をもらう』といのは嘘であり、罠という訳ね」
「息子の奪ったはずの処女を横取りする……確かに、究極的な変態行為と言えますね」
「そうね。だけどあなたなら、崇拝者に勝てるかもしれない」
「くりちゃんが選ばれても、ですか?」
 自分の残酷な質問に、三枝委員長は目を逸らして「ええ」とだけ答えました。
 いよいよ自分は三枝委員長の拘束を解きます。三枝委員長は起き上がりシーツを身体に引き寄せると、部屋の中をうろうろする自分をじっと見つめていました。そして自分は決心します。
「三枝委員長、『ダイブ』させてください」

       

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