俺の悩みを一言で表すなら、高校デビューだ。
いや、俺がしたわけじゃない。俺はデビューしても、おそらく保たないだろうだろうなと思った。人間普通が一番だし、俺は中学までの、平均的な立ち位置にいる自分は別に嫌いじゃなかったので、それまで通り。
デビューしたのは、俺の友達だ。
「なあ、大和」
目の前で女子の制服を来た友達が、弁当を食べながら不満げに俺を見つめてきた。
時は六月。そろそろ、というか、確実にある程度クラスでの立ち位置が決まってきた頃合いだと思う。俺こと陸奥大和は、中学の頃と同様、可もなく不可もなく、という中間ポジションを獲得していた。
そして、目の前に座る高坂亜樹は、浮いたポジションにいる。同じ中学じゃなかったら、俺だって友達なんてやっていない。
「なんだよ、高坂」
「なんで俺に友達できないんだろう?」
「……バカなんじゃねえの、お前」
俺は呆れてしまった。なんでそんな簡単なことがわからないんだろう。
ヤツの一人称が『俺』ということからわかるだろうが、高坂は男だ。だが、女子の制服である、セーラー服を着ている。なんで?
高校デビュー、というやつだ。
中学の頃から童顔だったのだが、高校入学を機に、なぜか就学への門戸ではなく、新しい性癖の扉を開き、女装して学校に通う様になった。
正直言うと、顔は可愛いと思う。ばっちり開いた目と、まばたきすれば揺れるほど長い眉。もともと男だったからか、身長も女子と比べれば高く、スタイルもいい。スレンダーな体型の、モデル系美少女。ゆるふわカールの金髪が正直よく似合っている。
そんな高坂に、読モやってる、というわけのわからん噂が入学当初は流れたし、やつの本当の性別を知らずに告白してきた男子が、クラス内に三人もいる。
きっと、一世一代の決意を固めた告白だったんだろう……。
それを、『いや、俺男だし』の一言で玉砕。考えるだけでゾッとする。その三人の内、一人は「そんなの詐欺だろ!?」と言って、男に告白した恥ずかしさからか、一週間くらい学校には来れなくなったし、もう一人は「え、なんで女子の制服着てんの!? 紛らわしい!」と怒った。そしてもう一人は、「男でもいい。むしろなにかに目覚めた!」と言って、今でも高坂の事が好きらしい。
「んな格好してるやつと、友達になろうって思うやつはそう居ないだろ」
「なんで」
「詳しい理由が必要なのか!? 俺も同じ中学じゃなかったら絶対に話しかけてないわ!」
「おかしくねえ? 俺は女子ともっと仲良くなる為に女装したのに」
「……」まさか女子が、『あいつ男なのに私達より可愛いとかムカつく』と思っているなんて、高坂は夢にも思っていないんだろう。「そうだね、おかしいね」
面倒くさくなって、俺は何も言わないでおいた。
「感情籠もってねえなぁー。高校入学二ヶ月で、俺のケータイ、新しいアドレス増えてないんだぜー」
「アドレス帳に乗っても、『変態ヤロー』って名前にされるのがオチだと思うぞ」
事実、俺は高坂が女装して登校してきたその日から、高坂という名前をアドレス帳から消し、『女装ヤロー』にした。
「未だに友達はお前だけ……。むしろ、お前以外の中学からの知り合いは全滅だよ」
「そうだろうな」
「……むしろ、なんでお前、まだ俺の友達なんだ?」
「そりゃ、一応中学からの同級生だし、簡単に縁切るのもなあ」
高坂は、こういう素っ頓狂なところはあるが、面白いヤツだし、それなりに友情も感じている。今の俺の使命は、高坂に女装をやめさせる事と、高坂をクラスになじませる事だ。
「お、お前……!」涙ぐむ高坂。一瞬ドキっとさせられたが、すぐに中学までの男の姿が蘇ってきて、きっしょいという感想以外出なくなる。「やっぱり、大和はいいやつだなぁ……!」
「まあな」
さっき買ってきた食後のコーヒー牛乳を啜りながら、周囲を見渡す。熱心に、こっちを見つめる男子生徒が目に飛び込んできて、俺は慌てて目を逸らした。彼こそ、高坂に告白した男の一人であり、『男でもいい』という、我がクラスに伝わる名言を叩きだした張本人。
高坂にとって不幸なのは、彼がクラスで――というか、学年でも相当モテる男だった、という所だろう。そんな彼を男色に目覚めさせた罪が、高坂の肩には乗っているのだ。
彼はまだ高坂を諦めていないし、なぜか、俺を目の敵にしていて、大変迷惑。
そんな彼がこっちを見ている事に、高坂も気づいたらしく、睨み返して「見せモンじゃねー! ホモ野郎がこっち見んなッ!」と中指を立てて威嚇する。
俺もだが、おそらくクラスのほぼ全員が『女装ヤローが言うなよ!』と思ったことだろう。
「あんまり威嚇すんなって。そもそも、お前が悪いんだしよぉ。女装して、この世で最もピュアメンタルと噂される男子高校生を騙したんだから。お前だって、同じ男子高校生ならわかるだろ?」
「見りゃあわかんだろ? 俺が男だってくらい!」
こいつはどうも、自分がどれだけの美少女になったか自覚していないらしい。それを俺が言うのもすっげえ嫌だ。
「わかんないからこういう事になったんだろうが。いいから、女装をやめろ。そしてクラスに馴染む努力をしろ」
「……いっ、いまさらこのキャラを崩せってのか!?」
キャラっつったぞこいつ。性癖とかじゃなくてキャラって言った。
「キャラなら崩せよ。大丈夫だって、むしろ早くやめてほしいって思ってるやついっぱいだぞ?」
いっぱいっていうか、一人を除いてクラス全員だと思う。
「そうなんかなぁ……」
「当たり前だろ。とくに、俺は男の格好してるお前も知ってんだからな。あと、髪切れ」
高坂の髪は、ウィッグではなく、地毛である。
中学後半から髪を伸ばし初めて、まさか高校でこんなことになるとは……。
「えー。綺麗な髪だし、もったいなくねー?」
「自分で言っちゃうの? こわい」
それ他の奴が言うやつでしょ。
「……ま、確かに綺麗な髪ではあるけどなぁ」
俺は、思わず手を伸ばし、その髪を触った。手触りはいいし、見た目にも傷んでいる様子はない。俺の髪なんてもっとボサボサで痛みまくりなのに、おんなじ男でこれってのは、一体どういう魔法を使ったんだろう?
そうしていたら、なぜか高坂の顔が赤くなる。
「いっ、いつまで俺の髪触ってんだ変態!」
「痛ッ!?」
と、何故か鋭いビンタが頬に飛んできた。
「なんで俺いま叩かれた!?」
「ば、バッキャロー! 女の髪をそんな着やすく触んじゃねえ!」
「お前男だろーが!?」
態度まで女になられたら、俺はもうお前にチンコが生えてるって信じられなくなるから気をつけてくれないかなぁ!?
周囲が俺と高坂のやり取りで、ガッツリ引いているので、ホントいい加減にしてほしい。
「……いってぇクソが」俺は舌打ちしながら、まあ、急に髪を触ったのは俺がわりーもんな、となんとか納得する。「お前、好きなヤツとかいねーの?」
「あん? なんだよ、急に」
「いるんならアシストするぞ。よーく考えてみろよ。お前、好きな子がいたとして、その格好でデートするんか?」
高坂は、少し考えて、「まあ、そうなると思うが」と言った。少し考えてそれかよ。ほんとに考えたのかよ。
「そうしない方がいいだろどう考えても! 彼女を変態にしてーのか!?」
「純粋な愛を変態とはひどくない?」
「純粋なら格好くらいしっかりしろタコ!」
なんだか、とたんに馬鹿らしくなった。まあ、別に彼女を作る気がないというのなら、俺が無理に言うことでもない。好きな女でもできたら、男らしくする絶好の機会になると思うんだがなぁ。
「お前、マジで、男らしくしないと、いつか俺も友達やめっかもしれねーぞ」
俺はそう言って、立ち上がる。
「あ、おい、どこ行くんだよ?」
高坂が、不安そうに俺を見たので、「トイレだよ」と言い残し、背を向けようとしたのだが、もう一度「なあ」と呼び止められた。
「……お前、男らしいのがタイプ?」
言っている意味がびっくりするくらいわからない。少しだけ考えて、俺の女性のタイプという話だろうか、と推測できたので、
「女の子らしいのがタイプに決まってんだろ。バカかお前?」
そう言い残して、今度こそ、トイレに行こうとした。
「……そうかあ、そうだよなあ」
と、妙にニヤニヤする高坂。
そんなやつを見て、俺は、恐ろしい事に気づいた。
あいつのスカートの前、膨らんでる。