八月の中旬。
地獄の熱帯夜の中、明日への英気を養うべく、団扇片手に寝ていると、俺の携帯電話が鳴った。最初は暑さの所為で動くのが億劫だったので無視を決め込んでいたが、電話の相手はよほど俺に伝えたいことがあるのだろう。着信音が鳴り止む気配はない。
しばらく電波とセミがコーラスしていたのだが、さすがに鬱陶しくなり携帯を取った。
「はい、もしもし……」
「あー、暑い……やっぱりそっちは涼しいんだろうなぁー。葉平(ようへい)くんは涼しすぎて寝てたのかなー」
電話の相手は俺――葉平の妹――葉子(ようこ)だった。
俺とは二歳離れていて(俺は二十歳だから十八歳)、なぜか俺をくん付けで呼ぶ。
「……暑すぎて寝てたんだよ」
あくび混じりで言ったが、葉子は興味なさげに「ふーん」と流した。
「――まぁいいや。……あのさ、葉平くん明日暇?」
「んー……」
頭のスケジュール帳を引いて、明日の予定を読み上げる。
「明日は一日中工房入りだ」
まぁ、読み上げるもなにも一行なんですけどネ。
「工房? 葉平くん仕事なにやってたっけ? 仕事の話なんてしないから、ニートだと思ってた」
「バカ言うなよ、俺はすげー仕事やってんだぜ?」
「なにやってるの」
言葉に迫力を出すための酸素と間を稼ぐため、俺は息をたっぷりと吸い込んで一言「ガラス職人だ」と言った。
「へー。それじゃ、明日葉平くんの家に行くから」
と、あっさり電話を切りやがった。
……兄がガラス職人やってるんだぞと自慢気に言ったら、黄色い声を上げてくれるのが妹じゃないのか。
しかし、葉子に会うのは久しぶりだ。確か前に会ったのは、両親が両親する前だから、十年くらい前になるのか。それから電話で近況報告するだけ。
……なんで急にこっちくる、なんて言い出したのやら。つか、住所知ってんのか? ――まぁ知ってておかしくはねえな。母さんには一応伝えてあるし、母さんから聞いたんだろう。
――久しぶりに会う妹のためだ、明日は仕事を見せてやるか。
そう決心して、明日の英気を養うべく、俺は万年床へ再び寝転んだ。買った時の柔らかさなど面影もない布団だったが、俺はよほど眠かったのか、すぐに意識は落ちていった。
■
翌日、俺の目覚ましは荒々しいノックとチャイムがセットだった。
「う……るせぇ」
NHKの集金切羽詰まりすぎだろ。と思ったが、昨日の葉子からの電話を思い出し、俺は急いで玄関へ向かった。
「はいはーい……」カギを開け、ドアノブを捻って押す。
そこには、二つのキャリーバックを従えた少女が立っていた。
大きめの麦わら帽子からは長い黒髪が覗き、白いワンピースに白いパンプスを合わせた涼しげなファッション。
「や、葉平くん。久しぶりだね」
「――もしかして、葉子か?」
「そう。葉子だよ~」
驚いた。前に見た時はまだ俺の腰くらいしかなかったのに……。今は胸くらいにはなってるし、だいぶ大人っぽくなった。しかし、俺とは二歳差だから、いま十八歳。そう考えたら歳相応、もしくはちょっと幼いくらいか。
「ん、どうした葉平くん。じろじろと妹を見て」
「いや、十年振りだから、ちょっと噛み締めておこうと」
可愛くなったな……。
俺が最後に見たのは、十年前。まだ八歳の葉子だ。俺の腰に抱きついて、離すまいと、別れたくないと泣きじゃくっていた葉子だ。
「ん……本当にどうしたの葉平くん」
「え、――あ」
気づけば、俺は葉子の頭を麦わら帽子越しに撫でていた。「すまん」と謝って、手を離す。
「別にいいよ。そういう、家族の触れ合いみたいなの、久しぶりだし」
「……母さんとは上手く行かなかったのか?」
「そんなことないよ」と言って、苦笑する。「過保護なくらいだった」
それを聞いてホッとした。
「――で、葉平くん」
「ん?」
「暑いから、早く仲に入れてくれると嬉しいんだけど」
俺は慌てて、葉子を招き入れた。
「うわっ、葉平くんの部屋きたなっ!」
葉子が俺の家に入って発した第一声はそれだった。
築ウン十年の六畳一間である。しかもそこに整理整頓の出来ない俺が住めば、あっという間に物が溢れる万年床の完成だ。
「せっかく新しいワンピース買ったのに、これじゃ汚れちゃうよ~……」
「着替えりゃいいだろ。そんだけデカいキャリーバックが二つもあんだから」
本当にデカいんだよなぁキャリーバック……。結構スペース取ってるし……。泊まるのはなんとなくわかるが、デカすぎだろ。
「あんなに必要なのかねえ」
「必要だよ。――それより葉平くん」
「なんだ」
「葉平くん、仕事は?」
言われ、壁に掛けられた時計を見る。すでに長針と短針は天を指していた。『おばあちゃんが言っていた……。出勤時間は10時であると』
「ち、遅刻じゃぁぁぁぁッ!!」
■
「珍しいねぇ、葉平が遅刻なんて」
猛暑の中を全力疾走して死にそうになりながら、俺は師匠の工房にやってきた。荒れた息を整え、額の汗を拭い、「ずいまぜん……」と謝った。
構わないよー、と言ってから、路の中に入った熱いガラスを取り出し、外の空気で冷える前に一息で膨らませる(宙吹き)。まだ熱くて触れないため、机に置いて放置する。それらの動作には無駄がなく、長年の経験が裏打ちされていた。
「ま、とりあえずこれでも飲みなよ」
工房の奥にあった冷蔵庫から、ペットボトルのスポーツドリンクを俺に投げる。
「ありがとうございます」
頭を下げ、蓋を外して一気飲み。土石流のような勢いで喉を潤していく。師匠も、自分の分のスポーツドリンクを取り出し、一気飲み。
「「はぁー……」」
喉から勝手に声が出て、それが師匠の声と重なる。
「で? なんで遅刻したの」
師匠が口元を拭い、笑顔で俺をからかうかのように言った。どうも照れくさいので、頭を描きながら「いや、まぁ普通に寝坊しまして……本当はもうちょっと早くこれる筈だったんですけど、妹が来ちゃって」と弁明する。
「妹がいたの? ――そんな話、聞いたことないけど」
「十年前に両親が離婚して、それっきりでしたから」
「へぇー……だったら、今日は休んでもいいんだよ。妹さんと二人で、遊びにでも」
「いやいや。俺は風鈴作るのが好きだし、妹が急に来たのが悪いんですから」
「――そんなこと言って。妹さんが来たの、嬉しいんじゃないの?」
「やっぱわかりますか」
わかるよ、と先ほど熱したガラスの温度を確かめながら言う。ガラスが熱くないとわかると、机の上に置いてあったやすりで表面を削っていく。
「今日は機嫌がいいみたいだからね」
「はは、――まぁ、一応十年ぶりですからね。妹が可愛くなってて嬉しかったですし」
「なるほど。確かに可愛いね」
「でしょう? 別れた時はあいつ、小学生でしたからね。年の割には子供っぽいですけど、やっぱり大人びたって印象が――」
――あれ、なんで今、目の前にいるみたいな言い方したんだ?
「いやー、うれしいなぁ。そういうのは本人の前で言ってくれればいいのにぃー」
「だぁぁぁ!?」
いつの間にか葉子が後ろに立っていた。俺は驚いて飛び上がる。
「なっ、なんでいるんだ葉子!」
「なんでって。葉平くんの仕事見たかったし」
「だからってタイミング悪すぎる! だいたいなんで場所わかったんだ!」
「それはー……愛のち・か・ら」
「それは家族愛なんだよな!? 言い方怪しいぞ!?」
「Drリンにきいてみて?」
「自分の胸にきいてみてだろう!?」
Drリンなんて懐かしいもん出してきやがって……。――あれ、どうやって来たのかはぐらかされた。……まぁ、人に訊いたんだろう。ここら辺だと、結構有名だし。
「ははははっ。仲がいいね、本当に十年ぶりかい?」
師匠は何故か楽しそうだ。俺としては、なんか恥部を晒したようで複雑だが……。
「えぇ、もうバリバリ十年ぶりですよ! ――ところでー、おじさんは?」
「僕は、葉平の師匠でベテランガラス職人の志村です」
「葉平くんの師匠!」なぜか目を見開く葉子。「葉平くん、他人に物教わるの嫌いな人だったのに。変わったねー」
「当たり前だろ。それだって十年前の話さ」
人は日々成長するのだ。葉子が大人びた様に、俺だってちょっとは――
「僕のところに来たとき、葉平は結構な問題児で、言うことなんかまったく聞かなかったよ」
「なーんだ。葉平くんは成長してないじゃん」
――ちょっとは、成長……してるといいなぁ……。
■
その日は妹の監視下での仕事となった。さすがにカッコ悪いとこは見せられないので、特に気合いを入れて仕事をしたのだが、そういう時に限って気合いが空回りして失敗する。そのたび「葉平くんダッサー」だの、「葉平くんの、ちょっといいとこ見てみたいー♪」だの。たっぷりと野次られた。そして、日が落ちて仕事が終わった頃。
「お疲れ様葉平。……まぁその、今日はいつもよりミス多かったね。わかってるだろうけど、集中しなきゃ」
師匠の優しいことばがただただ痛い。傷口に砂糖って感じだ。
「いやー、葉平くんの仕事っぷりを見られて満足満足! 相変わらずな感じで安心したよー」
こっちは明らかに粗塩を塗ってきやがる……。ちくしょー、誰のために頑張ったと思ってんだ。――ていうか、マジで成長してないのか俺……。
■
「はぁー……」
帰り道。満天の星空の下、俺はどんよりとため息を吐いた。
「やめてよねー。綺麗な星空に雲でもかかったらどうすんのよー」
「俺のため息でかかるか」
「隣でため息なんか出されたら、綺麗な物も曇って見えちゃうよ。都会じゃこんな綺麗な星空、見たことないんだから」
「あぁ……お前は東京にいたんだっけな」
俺は父さんの田舎に、葉子は東京で母さんと暮らしていた。最初は東京から離れるのはいやだったが、なかなかどうして、田舎のスローライフも性に合っていた。
「……ねぇ葉平くん。実はさ」
「ん?」
「葉平くんの家に、私を置いてくれないかな」
「あぁ、泊まってくんだろ? あんな大きなキャリーバック二つも持ってきたんだ。わかってるよ。あんなにたくさん何が入ってんだ?」
「そりゃ、夏冬用の服に、靴。化粧品や生理用品みたいな必要なもの。ゲームや本みたいな娯楽品」
「あ? お前夏冬用の服って……何年間いるつもりだよ?」
「……最低十年は」
「ハァッ!?」
じゅ、十年!?
「馬鹿かお前!? 母さんはどうするんだよ! 大学とかは?」
「たまに帰るからって、説得した。大学は来年こっちの受ける」
「いや……でもだな……」
「ねぇ、いいでしょ? 葉平くんのウチに置いてよ」
「そりゃ、大学に行く間、ウチにいるのは構わない。けど十年てなんだ? どっから出てきた数字だよ」
「……両親が離婚した時からの、私達の時間」
「はぁ?」
「葉平くんは寂しくなかった? か、可愛い妹の、私がいなくなってさっ」
自分で可愛いって言って顔赤くしてんじゃねぇよ……。こっちが照れるだろ。
「そりゃ、……まぁ寂しかったよ」
「わ、私も。毎日泣いたもん。葉平くんの名前呼びながら」
「まぁ、俺は名前呼ばなかったけどな――いてぇ!?」
ケツ蹴られた。……ちくしょー、いい蹴り持ってるなぁ。
「何!? やっぱり葉平くん寂しくなかったの!?」
「寂しかったよ! いつも後ろについて回ってた金魚のフンが居なくなったんだからな!」
「き――ッ!?」
「いてぇ!?」また蹴りやがった!!
「最初の『僕寂しかったよー』がなかったら死んでたね」
ちくしょー……色々言いたいけどケツがいてぇ……。
「……寂しかったよ。葉平くん」
「……お前、相当なブラコンだろ」
「会えない時間が愛を募らせたんですー。それに、葉平くんだって相当なシスコンでしょ」
「……よし、じゃあ愛の印にこれをやろう」
俺は、持っていた細長い箱を、葉子に渡す。「なにこれ?」と聞いてきたので、「開けてみろよ」
葉子が恐る恐る箱を開ける。中には、緑に澄んだ葉が描かれた風鈴が入っていた。
「うわ……綺麗……」
「俺が作ったんだ。綺麗だろ」
「ミスばっかしてた割には、いい出来だねー」
そんな風に言いながら、箱から風鈴を取り出し、音を風に乗せる。ちりん、ちりん、と涼しげな音を出す。
「師匠が言ってた。『素晴らしい夏は素晴らしい風鈴で始まる。』ってな」
「ふぅん……この風鈴だったら、いい夏になりそうだねぇ」
「だろ? 俺の最高傑作だからな」
「最高傑作を、私にくれるの?」
もちろん、と頷いた。
「あー、あれだな。結婚指輪みたいなもんだ。職人が自分の最高傑作渡すんだからな」
そう言うと、葉子は顔を真っ赤にして驚いた。
「結婚、指輪って……意味わかって……」
「冗談だよバーカ。実の兄からプロポーズされてときめくなよ」
ブチ、って音が聞こえた。
「実の妹にプロポーズすんなバーカッ!!」
また、ケツを思い切り蹴られた。
「いてぇッ!!」
これからの十年、ケツが保つか不安だ。
紅い紅葉の短編集
貴方へ捧ぐ(結婚風鈴)
貴方へ捧ぐ
風鈴、夏。
というお題で書いた小説だったはず。比較的書きやすいお題だったので、わりかしするする書けたけど。
でもなーんか味気ない気がする。ていうか、こういう兄妹(あくまのしっぽ♪っぽい)ばっか書いてる気がする。やんちゃな妹と、ちょっと大人な兄。こう、能ある鷹は系の主人公は書いてて楽しい。評価としては、文章は気持ちよく読めたが、背景設定が曖昧。だったかな。僕は短編になると、雰囲気で推し進めようとする傾向にあるので、そこら辺を見破られたっぽいです。むう。残念。
風鈴、夏。
というお題で書いた小説だったはず。比較的書きやすいお題だったので、わりかしするする書けたけど。
でもなーんか味気ない気がする。ていうか、こういう兄妹(あくまのしっぽ♪っぽい)ばっか書いてる気がする。やんちゃな妹と、ちょっと大人な兄。こう、能ある鷹は系の主人公は書いてて楽しい。評価としては、文章は気持ちよく読めたが、背景設定が曖昧。だったかな。僕は短編になると、雰囲気で推し進めようとする傾向にあるので、そこら辺を見破られたっぽいです。むう。残念。