中部国際空港近海。私は海中にいた。
「私達はSAT、自衛隊と一緒に正面から突入する。アンタ達3人は海から潜入して」
空母から小型潜水艦が出された。ある程度中部国際空港に近付いた所で、さらにその中から私達が出て泳ぎ出した。夜の海中だが、ライトの類は許されない。私達は月明かりを頼りに空港を目指し、私はそれについていくように海水を掻き分けた。しばらくして前を泳いでいたレオンが浮き上がり、私もそれに続いて水面を目指す。水から顔を出すと、まだ星の出ていない夜空が、目の前に広がった。
外では銃声や爆発音が鳴り響いている。パクが自衛隊と共に正面切って河原崎の勢力と戦っている筈だ。私達はロープを使って上陸し、建物内へと侵入していく。
「今は警備も手薄だから、今の内に滑走路を目指す」
樫尾が先導し、私達が後に続いた。人気のない空港の中には外の戦いの音が静かに響き、私の心には緊張の糸が張り詰めていた。セントレアの展望台の手前には様々な店が並んでいるが、明かりが消え、更に人もいない有り様は、まるでホラー映画の様だった。人知れず胸を叩く心臓をどうにかなだめながら、私は展望台にゆっくりと入っていった。
展望台に出ると、滑走路を照らす明かりが私の目を塞いだ。目を開けると、暗い空が出迎えてくれた。ジェット機はまだ遠いが、ここに着くのは時間の問題だろう。樫尾が、パクから貰った強力な麻酔銃で展望台にいる敵の戦闘員を素早く眠らせていた。私達は駆け足で展望台を駆け抜けて、まるで忍者の様に、飛行機に乗るときに通る通路の屋根の上を通っていた。樫尾やレオンが、手際よく近くの敵を無力化していく。
「飛び下りるぞ」
樫尾が言った。その言葉と同時に、私はエレンにヒョイと持ち上げられた。彼女にそこまでの力があるとは思えなかったが、その後、エレンはすっと軽くジャンプした。空中に放り出され、体が落ちていく。制御の利かなくなった体が固くなって、背中で恐怖がざわめく――
いつの間にか、目を瞑っていた。エレンは難なく着地していた。私は下ろされ、地面に足を着けた時、この上なく安心した。
「はい……怖かった?」
エレンの柔らかい声が私に向かって笑い掛けた。固くなった体が、少し解れていく気がした。
「エレンも……大丈夫なの? その腕……」
包帯を巻かれた腕を指差した。その指の先を追ったエレンは、何て事ないと言う様に腕を振って見せた。
「何ともないよ。ちゃんと動くから、安心して」
エレンを見ていると、彼女から元気を貰った様な気がする。私は、樫尾に振り返ると、力強く一歩を踏み出した。
樫尾やレオンが消音器付きの麻酔銃を敵に当て、こちらに気付かれることなく敵が倒れ込んでいくのを遠目で見ながら、建物の死角を慎重に進んでいく。やがて、小型のジェット機のような機体が目の前に現れた。
「あれか……?」
レオンが呟くと、樫尾が頷いた。
「あの中を調べるぞ」
樫尾とレオンがそろりとジェット機の背後から近付いていき、中に侵入していく。静かに入口の淵に立ち、中に何かを投げ入れると、それが『パン』という音を立てて機体の中が煙まみれになった。それから2人は銃を突き出しながら機体の中に忍び込み、次の瞬間には乗組員を連れ出していた。
「すごい」
「あの2人だからね」
エレンが隣で周りを見回していた。敵が来ないか見張っているのだろう。樫尾が3人の乗組員をこちらに連れて来た。
「中に河原崎はいなかった。もう来てもおかしくはないんだが……」
その時、樫尾の動きが止まった。私は樫尾に向かって言った。
「どうしたの?」
「……囲まれた」
「えっ……」
私は辺りを見回す。どこにも影は見当たらない。
「何言ってるの?」
その時、私は背中に冷たい物が触れる感触がした。
「さて、ここで手を上げて貰おうか」
後ろで声がした。頭の中で繰返し再生してみても、それはレオンの声だった。
レオンの……
「えっ?」
振り返ろうとしたが、突き付けられている感触に、私はそれを踏み止まった。再び前を向くと、目の前に今まで見えなかった敵の戦闘員が現れていた。その中で樫尾が一歩前に出る。その場にいる誰一人として戸惑いを隠せない。
「レオン、お前は」
「ああ、俺はあいつらの一味だ」
「れ……レオン」
エレンが小さく溢す。
私は頭の中が混乱していた。銃を突き付けられ、いきなり出てきた戦闘員、そして、レオンの……裏切り?
「今まで騙して悪かったな。だが、任務となれば話は別だ。それはお前がよく知ってるだろ?」
その瞬間、私の頭には『今は心を捨てろ』と言った樫尾の影が浮かんだ。
「レオン……!」
樫尾が銃を構えようとしたが、その銃を握る手を戦闘員が撃ち落とした。手を押さえ、樫尾は私の背後にいるであろうレオンを睨み付けていた。私からはレオンの顔は見れなかったが、後ろから流れてくる空気から、レオンの蔑みを含んだ笑いが容易に想像できた。
「手を挙げろと言ったはずだろ?」
「くっ……」
さて、とレオンが小さく息を吐いた。
「お前達が大人しくしていれば、手荒な真似はしない。約束するよ。そのまま、黙って手を上げていればね」
レオンは念を押した。
「レオン……」
エレンが今にも泣き出しそうな顔をしていた。それを見て、後ろではレオンが愉快にほくそ笑んでいたに違いない。
「お前達の信頼は、漬け込むには最適だったよ。全く疑うこともない。気味が悪い位だよ」
「俺はお前に吐き気がする」
樫尾がお返しとばかり嫌味を言った。
「言うねぇ。じゃ」
冷たい感触が、背中を伝って頭に回ってきた。その瞬間、恐怖が体を覆いつくし、ピクリとも動かなくなった。
「どうだ?」
私に向けられたのか、それとも樫尾に言ったのか判然としないが、それでも樫尾の顔には怒りがくっきりと刻まれていた。
「さて、お遊びはこれでおしまい。最後に1つ、最初で最後の要求だ」
敗北を感じながら、私達は絶望していた。
「その状態のまま……」
「機体から離れる必要なんてないわ」
誰かの声がした。そして、回りの戦闘員達が苦しそうに頭を抱え、その場に倒れ込んだ。突然の声にびっくりして、私や樫尾、エレン、それにレオンも、その声に顔を向けた。
セス。
『サクリ』のあったビルで出会った、彼女がいた。手にはアサルトライフルが握られている。
「だって、そこの男はレオンとかそういう名前じゃないもの」
「え」
「何のつもりだ?」
後ろの声が、浮き足だったようなふらふらした感情を露呈していた。その様子に、更にセスは勝ち気になる。
「でしょ? 河原崎健一郎さん」
「……な」
樫尾もエレンも、勿論私も、今の発言を凝視するように確かめていた。やがて、レオンは銃口の先を私から彼女に移して、諦めたように口を開いた。
「サイは騙せないね……そうだ。私が……」
私はすぐに樫尾とエレンの近くまで逃げ、振り返ってレオンだった人を見た。何か機械が動くような音がして、レオンの顔がみるみる薄っぺらくなり、徐々に違う顔が現れ始めた。それはやがて、大画面で見たことのある、あの、河原崎の顔になった。
「私が……河原崎健一郎だ。全く、余計な事をするものだ」
テレビで見た彼の顔とは、若干違うところが見受けられた。という事は、テレビに映っていた彼は影武者か何かだろうか。
「レオンはどこにいる?」
樫尾の問いに、河原崎はふん、と軽く笑った。
「……君達の仲間かい? 残念だが、東京で既に、私が殺した。一緒に行動していた、長谷と言う奴もね」
「そんな……そんな……」
エレンの声が震えていた。
「さて、手筈通りなら……あそこを見て貰えるか?」
そこには、打ち上がるロケットの炎が、小さく見えていた。
つまり、『最終兵器』が打ち上げられた、ということ。
「君達の仲間はやり遂げられなかった。これは事実だ」
河原崎は絶望が駆け抜けている中をひとしきり眺め回すと、今度はセスに向かいあった。
「君もやはり人間なんだな。だから要らぬこともする」
「いらない事?」聞き返すセスの声には、潮風にも似た力強さを感じた。目の前の敵を威嚇するように、セスは続けた。
「私は、ただ友達に、死んで欲しくないだけだよ」
その後、彼女は少しの間があって、友達の友達は友達だから、と付け足した。
「そうか、友達か」
河原崎の反応は驚くほど静かだった。彼は何かを噛み締めるように言った。
その面持ちに何か引っ掛かる物を感じたまま、私はセスの言葉を聞いた。
「河原崎。任務とは言え、あなたがこの人達を傷付けようとするなら、私は許さない。誰一人、指一本触れさせない!」
すると、何か考え事をするように話を聞いていた河原崎がおもむろに話し出した。
「友情か……だがね、いくら君が大切にしていても、この人間は敵だ。向かうものは、消えて貰わなくてはいけない。その邪魔をするなら、君にも手を下す事になる」
「なら、下してみてよ」
そう言うセスの表情には焦りがあったが、射抜くようなその瞳に湛えた光は、ギラギラと狂暴さが見え隠れしていた。対する河原崎は、余裕を見せながらも何処か違う感情を持ち合わせていた。
「それも今の内だ。後悔などしないようにな……」
突然、河原崎の姿が消えた。消えたと思った瞬間、その拳がセスの腹部にめり込んでいた。セスが苦しみに悶え、うずくまろうとする。それを逃さず河原崎は手からナイフを取り出し、セスに向けて降り下ろそうとした。だが、次の瞬間、河原崎の体は吹き飛ばされる。
「超能力とは便利だね」
「くっ……」
「特殊合金の人工筋肉だよ。常人の50倍の出力が出る。高速移動が怖いかい?」
セスは目を閉じた。すると、倒れていた戦闘員がゆらゆらと起き上がる。
「ほう、君の得意なマインドコントロールか。この部隊はなかなか骨がある奴ばかりだが、君に掛かれば、そんなものか」
言ったその直後に、河原崎の体が闇の中に溶けた。影となって飛び回る河原崎は、その影を目で追う部隊に次々にナイフを突き刺し、瞬く間に全滅させた。
「なかなか。この身体はまだ試作型でね。上手く機能するか分からなかったが、これは最高だね」
「もしかして……そのナイフは……」
セスの強張った声が、張り詰めた空気にへばりついた。
「ああ、クヴァールのものだ。あの後、君が止めを刺さなかったのは知っているさ。どの道、死んでいたが、生き延びられてはマズイからね。部下に殺させた」
「……!」
セスは目を見開いた。声が震える。私は懐を探った。ナイフは、あった。河原崎の手にあるもう一本のナイフは、血によって赤く染まっていた。
「河原崎……河原崎ッ!!」
セスの声、表情、動き、どれを取っても怒りが溢れ出していた。その怒りに動かされる様に、周りの物がガタガタと音を立てた。
照明が消えた。ガラスの破片が辺りにばら蒔かれる。
次の瞬間、回りに落ちている銃やナイフが浮かび上がった。優に50はある銃が、河原崎を包囲した。
「許さない……絶対に許さないからッ!!」
「殺してみればいい。出来るものなら」
刹那、河原崎に向けて無数の銃が発砲され、ナイフが彼目掛けて飛んでいった。だが、彼は微動だにせず、全ての弾丸が彼を避けるように急なカーブを描き、ナイフは彼を逸れていった。
「電磁波さ……これで終わりかな?」
「まだ!! まだ終わってない!!」
その直後、空港にあった巨大な旅客機が浮かび上がった。まるで、『スターウォーズ』のワンシーンの様に、それは河原崎に襲い掛かった。
飛んできた旅客機に、河原崎は一瞥をくれ、手を差し出した。すると、その旅客機が真っ二つになり、見れば河原崎のその手に、刀のような物が握られているのが解った。
「諦めた方がいい。君と私では、経験が違いすぎる」
「うるさい!!」
「物分かりが悪いのは私と同じらしいな。だが、これはどうだ?」
次の瞬間、原崎の背後から水しぶきと一緒に飛び出してくるものがあった。四足歩行の生き物の様に見えるその形は、サクリと良く似ていたが、目の前のそれにはホイールは付いておらず、曲線の多いな輪郭はサクリの角張ったそれとは随分違うものだった。
犬だ。巨大な犬。
私はその形をそう形容した。
「紹介しよう。これが『アクター』だ」
呻き声の様な地響きが起きた。次の瞬間、高く飛び上がり、セス目掛けて落下してきた。逃げるのが間に合わず、超能力でその落下を止めた――。
血が滴り落ちる。その光景は暗い中で、セスにスポットライトが当たったみたいにハッキリと見えていた。刺さっているのは、河原崎のナイフ。セスは信じられないというような顔をして、河原崎をじっと見つめていたが、絶望の陰が、目に宿る。
ナイフを抜き去ると、吊っていた糸が切れた様にセスは倒れこむ。その力なくぐったりと倒れたその身体に落ちようとしていたアクターは、その手前に落ち、地面がその衝撃で震えた。彼女は何か言おうとしているが、掠れた呟きとなって暗闇に溶けた。
「お前は……何を……!!」
樫尾が叫んだ。その中でも、セスの言葉を消した。
私の名前を、呼んでいるのが分かった。その呟きは、樫尾が、何か叫んでいるのにかき消されているはずだったが、その言葉の形は、どういう訳か私の耳に滑り込んだ。
……ユウ。
私の名前。
耳を通り抜けて、私の中に、突き刺さる。
「リオ!!」
私は叫んでいた。自分の意思とは全く関係のない声が、河原崎の耳に届く。
「リオ……?」
河原崎の目が、色を変えた。
「君は……」
私はその言葉の中で、動き出していた。自分では信じられない位に素早い動きだった。
それに反応して動き出すアクターが、私の前に立ちふさがった。機関銃が、私に向けて火花を散らす。それを反射的に切り返してアクターの胴体に潜り込み、河原崎に向かっていった。
銃口を彼に向けると間もなく、その銃を河原崎は叩き斬った。
すぐ後ろのアクターから蹴りが飛んできた。上に跳んでかわし、自分の懐からナイフを取り出し、河原崎の追撃を受け止め、更に横に受け流して河原崎のがら空きになった顎に膝蹴りを当てた。ナイフで防ぐ間もなく、河原崎の手から刀が離れた。それをすぐさま掴み、身体を反転させて斬りかかる。水平に薙ぎ払うと、アクターの足がいとも簡単に断面を露にした。バランスを無くしたアクターは足を引き摺る様にして倒れた。河原崎の、驚きの声が、後ろで上擦った響きを上げた。
「君は……!!」
私は答えなかった。
右腕を振り上げると、河原崎はその一撃をナイフで受け止め、一瞬にして私の背後に回った。その動きに反応し、私は後ろに向かってナイフを投げた。何かに刺さる音と共に、河原崎は短い悲鳴を上げた。
ナイフは、河原崎の腕に突き刺さっていた。その隙に私は距離をとった。樫尾やエレンは固まっていた。
「まさか……な。君は三年前に死んだものとばかり思っていたが、まさか生きていたとは」
河原崎の声は、言葉の中身とは反比例するように、落ち着きを払っていた。一方の私は興奮と先程の戦闘で息が上がっている。思えば、フィールドホッケーの試合よりも激しく動いていた。更に、意識が私の中に二つあるような気分が、私を一層混乱させていた。
「生きてて悪い?」
私の中にいるもう一人の私は、河原崎に向かって吐き捨てた。刀を握る拳に自然と力が入る。もう1人の私は怒りを感じていた。それは、私が持っている河原崎への憎しみと合わさって共鳴し、心の中で唸りを上げていた。月が雲によって隠れ、私達を照らすのは遠く離れた街灯だけになった。
「ふ、逞しい物だ。だがね、それは誤算の内にはならない。調子に乗るのも大概にな」
河原崎の後ろで、蠢くものがあった。足を切断されたアクターが起き上がったのだ。月が再び私達を青白く照らし始めた。
「……AIは打開し、学習する」
切れた足を巧みに操って、アクターはこちらに向かって突進して来た。横に跳んでかわそうとしたが、そこを機関銃で狙い撃ちされた。辛うじて直撃はしなかったが、太股に鋭い痛みを感じた。痛みの中で私は刀を振るったが、高くに飛び上がり、私目掛けて落下した。重力の加速は私の手に負えるものではなく、転げるようにその影から外れた。
目の前に河原崎の姿があった。私が腕に突き刺したナイフを振るい、私を切り刻もうと猛然とした勢いで襲い掛かってきた。刀で初撃を受け止めたが、私の横腹から血が流れていた。もう一本のナイフが、私を貫いていた。
「結局は死ぬ運命だ」
支えきれなくなった体は、無惨に崩れていく。息切れが激しく、流れる血で服が染まり始めた。
「友達、というものに惑わされ過ぎたな。所詮、人間では不完全なものしか生み出すことは出来ない」
月光に照らされたナイフが、以前見たものよりも生き生きといた光沢を放った。まるで、魂を喰らおうとする獣が発する眼光のように、呼吸と共に揺らめいている。恐怖が私の背筋をなぞった。
「さあ、終わ……」
銃声が弾けた。
樫尾が、河原崎に向けて拳銃を撃っていた。
「まだ終わらせないさ」
河原崎の目に、陰りが映った。顔を引き攣らせ、狂暴さが暗闇に映えた。
「随分、肩を入れているな。だが、自分の心配をしたらどうだ?」
次の瞬間、4体のアクターが水面から飛び出してきた。私は、出血している横腹を押さえて、どうにか立ち上がった。生命が流れ出しているような、生々しい感覚が私を包む。
「さあ、終焉の始まりだ」
狼が群れで獲物に襲い掛かるように、5体のアクターは樫尾とエレンに向かっていた。そこから離れた私の目の前で、河原崎は両手のナイフを構えて私に向かった。
「息の根を止めて欲しいようだな。……良いだろう」
冷たい瞳が、私を釘付けにした。心無い輝きを湛えた刃は、残像を伴って躍り狂うように私に迫る。
戦うんだ。
私は刀をぎゅっと握り締めた。戦う事に、何の雑念すら抱かなくなっていた。
次々とナイフを受け流す。刀は最早私と一体となっていた。その間も、血は流れ落ち、私の生命を一刻と削っていた。その源が消えていく程に、私の太刀筋は冴え渡っていく――。
――私の一太刀が、河原崎の右手を削ぎ落とした。ぼとりと、今までに聞いたことのない響きを聞いた。そして、次の瞬間には私は河原崎の体を貫いていた。
「……やるな……」
フフフ、と笑う河原崎。
「さて、ここでクイズだ。何故血が流れないと思う?」
「え……?」
もう残り少なくなった力を振り絞って、私は彼を振り払った。5メートル位の間が、私と河原崎の間にできた。見てみると、血が、一滴すら流れてはいなかった。
どうして……
その時、目眩を感じて膝を突いた。生命はそこから居なくなり始めていた。まだ、まだ終わっちゃいけない、と思っても、その時は容赦無く迫っていた。
「残念だったな。答えは『不死』だ。もし頭を貫かれていたなら、場合は違ったかもしれないが」
手に力が籠らない。体が重い。視界がぼやけているような気がする。河原崎は私に歩み寄った。
「この計画によって、黄昏はいよいよ始まりを告げる。ナグルファルに乗って、巨人達は神々の国に侵攻する。レーヴァテインは世界を焼き尽くし、神々は死に絶える。そこから新たな世界が誕生する。これが……」
河原崎のずっと奥で、海水が盛り上がるのが見えた。その盛り上がった海水から、巨大な船が現れた。
「……『ラグナロク』だ」
河原崎は、左手を高く突きだし、指を鳴らした。耳を引き裂くような音がする。背後で、大爆発が起こっていた。そこは、セントレアだった。
「ぱ……パ……ク……」
私の声は掠れていた。
「そこに君達の仲間がいたんだろう? 僅か20分で制圧するとは大したものだが、爆弾に気が付かないのはお笑いだ」
河原崎は笑いを圧し殺したような声で言い、ナイフの代わりに拳銃を取り出した。
終わりだ。
諦めが私の強張った体を緩めた。ぐったりした眼差しは、河原崎の疲れた顔を見ていた。
しかし、それから何秒経っても、終わりは来なかった。見ると、河原崎は銃を取り零していた。
「まだ、終わらせないって、言ってるでしょ!!」
エレンの、張り詰めた声が届いた。首を回すと、エレンは銃を河原崎に向け、更に狙いを定めていた。だが、彼女はアクターの蹴りを食らって吹き飛ばされた。咳き込み、立ち上がれないでいるエレンにアクターが迫る。エレンの顔に恐怖がくっきりと刻まれる。
「エレン!!」
樫尾はランチャーを担いでエレンに詰め寄るアクターに向かった。だが、別のアクターが道を塞ぎ、レールガンのようなものを打ち出した。滑走路に穴が空き、樫尾は一歩下がらずにはいられない。そこを、また別のアクターが狙い、撃たれた樫尾はランチャーを手離して蹲った。レールガンが樫尾を捉えた。同時に、アクターのライフル銃の銃口がエレンに向いた――。
私は、無力だ。
過る焦燥は通り過ぎた。
それが疾風の様に私を通過した後、そう思う。そうした感情が、涙と一緒に溢れ出していく。声は出ない。ましてや、動く事すら叶わない。
誰も傷付けたくない。
誰も傷付けたくなかった。
なのに。
私は何も護れていない。
私さえも。
悲しいよ。
「……時間か」
河原崎は何か話していた。ジェット機に歩くかと思いきや、アクターの上に乗って、巨大な船へと跳ねていった。
樫尾はピクリとも動かない。そのだらりと垂れ下がった手に向かって、私はズルズルと這っていった。樫尾はまだ生きていた。
「白井……か」
樫尾は、聞こえるか聞こえないかの声で囁いた。今までの険しい顔じゃない、柔らかい表情だった。
「……皮肉だな。俺は、敵を信頼していたのか」
「話さなくて……いいから」
「何だろうな。随分長いことお前と一緒にいたみたいに思えるよ」
私は、ありったけの力を込めて体を起こし、樫尾の顔を覗き込んだ。樫尾が笑おうとしているのが分かった。だけど、顔に力が入らないせいか、顔が少し歪んだだけだった。それを見ていると、胸の中が鷲掴みにされ、喉の奥に込み上げてくるものがあった。目頭から鼻にかけても熱い。
「泣くなよ」
「……うん」
樫尾は目から、一筋だけ涙を伝わせた。
それだけだった。
「…………」
ぽっかりと空いた穴に、悲しみが流れ込んできた。今すぐにでも大声で泣きたいのに、泣けない。
そこで私は、もう既に終わりはすぐそこにあることに気付いた。諦めにも似た気持ちに心を委ねれば、直ぐにそれはやって来るように思えた。
「……ユウ……」
名前を呼ばれた。
私は振り向く事も出来なかった。リオは、近くには居なかったが、頭の中に声は流れ込んできた。
「リオ……?」
「何だか、久しぶりだよね。こうして話すのって……最後かもしれないけど」
「止めてよ……私は……」
「君の記憶……消したのは私なんだ」
「え?」
「……覚えてる? ジャックと戦う前のこと」
「…………」
「覚えてないでしょ……だから……私が死ぬ前に返しておきたくて……」
リオの声が、調子の悪いラジオの様に途切れ始めた。私は、いなくなりかけている自分とリオを思い、それが怖くなった。
「大丈夫。私は、例え君の中にいなくても、君との思い出の中にいる。思い出せば、そこにいる……だから……」
途切れ途切れに聞こえるその後に、私は確かに聞いた。
「生きて……」
私の意識はそこで消えた。