席を立つと同時に、横に彼がやってきて、
突然「やぁ」と言った。
彼とは話したことがなかったので、
その一言に私は固まってしまった。
「ちょっといい?」
訳が分からないまま彼についていった。
その間、彼の背中をじっと見つめていたが、
彼はまったく喋らないままだった。
ワックスのかかった廊下を歩き、
階段を上り、上り。
ついに私たちは屋上についた。
「あの……」
屋上は立ち入り禁止なんですよ。
去年、私たちがまだ二年生のころ、
受験勉強に疲れた三年生が飛び降りてしまったから。
「大丈夫。ちょっとだけだから。」
声に出さないでも、分かっているようだった。
ちょっとだけってどのくらいよ。
屋上にふく風は少し強く、
空が近いからか、少し眩しかった。
全部、地上より、少しだけ強かった。
「……好き。かもしれないんだ。」
彼の口が開いた。
「好き?」
「うん……分からないんだけど……。」
好きとはどういうことだろうか。
屋上にわざわざ連れてきて言う「好き」って。
多分、きっと、確実に、
恋愛の対象として好きってことだ。
でも。でも……
「分からないって……どういうこと?」
分からないんだったら、言わなければいいのに。
自分自身の中で、確信を持ってから言えばいいのに。
「俺自身のことなんだけど、何か、本当に好きなのか分からないんだ。
この気持ちが何なのか分からないんだ。
なんだか、苛立ちにも似ている。
のどに魚の骨が刺さった感覚にも似ている。
もしかしたら、ただいつもより体温が低いだけなのかもしれない。
でも、分からないって気持ち、どうしても言いたくて。」
私は、そういう彼の眼をじっと見つめていた。
あぁ、黒目が大きいな。
その眼に引き込まれたら、どこへ行くんだろう。
素敵な場所かな。
私も、よく分からなくなった。