Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミゼットウォーズ
一日目 1‐いっくよぉ!

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 男子3番、井上祐二は勘付いていた。登校時、校門の前には十数台ものトラックが列をなして止まっていたし、下駄箱でも廊下でもクラスメイト以外と出会わなかったし、なにより、もうそろそろ「この時期」だということを理解していたから。それでもやはり、実際にこの状況になると、気持ちとは裏腹に冷や汗が流れる。まさかとは思っていたが、本当に選ばれるとは思っていなかったのだ。
 いつもならホームルームが始まる時間。教室にはクラスメイト全員が席についていて、今日に限り欠席者はいない。後は担任の教師が前の扉を開けて、そのハゲ頭を光らせながら出席確認をするのを待つだけ。そのはずだったのに、教室に顔を出したのは見慣れたハゲ頭ではなく、一括りにした髪をぴょこんと揺らす幼い少女だった。
「はいみんな静かにー」
 だるだるの軍服。袖の中に隠れた手を懸命に伸ばして、少女は甲高い声を上げる。しかしそんなもので、クラスのあちこちから湧き出る疑問と不安の声は収まるわけがなく、喧騒は渦を巻いて教室に木霊するばかり。軍服を着た少女はむっと頬を膨らませてから、廊下の方へ視線をやった。
 クラスの何人かが、視線の先を確認する。そこには腕に小銃を抱えた数十人の大人たちが待ち構えていて、彼らはやがて二人ずつ、規則正しい足音と共に教室へ入ってきた。

「ひぃっ」

 男子11番、このクラスでも一二を争うほど胆の弱い名取忠司が悲鳴を零す。続いて女子たちも次々と声にならない息を飲み込み、教室はたちまち静寂に包まれた。その様子を見回すと、先程の少女は教卓の前に置かれた椅子に立ち上がって、平たい胸板を精一杯張った。

「えっと、岸岡中学校のみんな、こんにちは。わたしはキタノ准尉です。気軽にキタノ様って呼んでねっ!」

 返事がない、ただのシカトのようだ。少女、キタノは苦笑いを一つしてから、もう一度、教室を隅々まで眺める。 

「みんなしんないかもしんないけど、このクラスは特卒に選ばれたのですっ。おめでとー!」

 舌足らずな言葉が、教室にいる全員の耳を打った。そうして、井上祐二は確信する。
 つい半世紀ほど前までは世界随一の経済大国だった日本が、すべての面で急下降し始めたのは歴史的に見て最近のこと。先進途上国だった中国はロシアと合併し、かつてアメリカがいた地位を独占した。それはアメリカに頼りきりだった日本の崩壊を意味し、世界から弾かれたこの国に、以前のような栄光は消えたのだ。
 犯罪の少子化や就職率の低下で騒いでいた頃を懐かしく思えるほど、今の若者に希望はなくなった、と時の首相は宣言した。それから段階的にではあるものの、様々な新憲法が作られたり改正されたりを繰り返し、なにを間違ったのか中学生同士を戦争させるなんて、ふざけた法律が作られた。それこそが特卒であり、今、岸岡中学校3年B組のこの教室で起きている出来事なのだ。
 井上祐二のように、この時点で全部に気づく者は少ない。一方では訳も分からず驚いたような顔をしている生徒もいれば、舐めかかっている生徒も見受けられる。そして、キタノはほくそ笑むだけ。

「どういうことだよ」

 秒針が一周した頃だろうか。突然聞こえたその声に生徒のほとんどが振り返ると、教室の隅の席で、腕を組んでいる男子14番、三河翔が見えた。キタノは「発言するならちゃんと挙手してよぉ」と呟いてから、口許を歪めて彼の質問に答える。

「このクラスのみんなをね、半分に分けて戦争をしてもらうのです。それが特卒。中学課程特別卒業試験ですっ」

 彼女のこの発言で、やっと状況を把握した生徒たちがざわめき始めた。各々に脚を震わせ肩を震わせ、事の重大さを飲み込めずに、呆けて口を開けている。
 三河翔は薄々気づいていたようで、それほどの動揺は見せない。小さく息を整えてから、背もたれに背中を預けた。

「戦争って……ようは殺し合いだろ?」
「まあ、平たく言うとそうなるかな。期間は一週間。そのあいだに相手チームの人をみんな殺してもらいます」
「それを過ぎても決着がつかなかったら?」
「テレビとかでやってるでしょ、もう。期間を過ぎても両チームに生き残りが一人以上いたら、そんときはみんな処刑です」

 ぷっくらと頬を膨らませて、キタノは言い放った。息を呑む生徒たちに理解できたかは分からないが、つまりはこういうことになる。チーム対抗で殺し合いをし、相手チームの人間をすべて殺せば合格。一人でも殺し損ねれば失格となり、全員が処刑されてしまうのだ。

「卒業試験だからね。頑張って皆殺しにしちゃってくださいな」
「い、嫌だ……」

 あまりにも唐突に宣告された現実を、受け入れられないのは当然のことだ。その現実が悪いものならば尚更、子供は駄々をこねる。
 男子18番、吉田幸雄は椅子を弾き飛ばして勢いよく立ち上がると、奥歯を噛み締め、両の拳を握り締めた。窓から入る朝陽がふくよかな体を象って、薄くシルエットを伸ばす。

「嫌だ嫌だ嫌だ! 俺は帰る! 帰してくれ!」
「聞き分けのない子はキタノ様、すんごく嫌いなんですよぉ?」
「うるせぇっ、俺は帰るんだっ!」

 地響きでもするんじゃないかというくらい、力強く床を踏んだ彼は、そのまま一直線に廊下へと駆け出した。しかし、逃げられるわけがないと他の生徒たちは分かっているのだ。だから何もしなかったし、何も出来なかった。
 扉の前で吉田幸雄を止めたのは、彼より頭二つ分も背の高い軍人の男。その手に握られた小銃の先は下を向いていて、狙撃する意志のないことを表している。

「どけよぉっ!」

 捻り出したその声よりも高く、乾いた音が教室を満たした。それからスローモーションのように、ゆっくりと、騒いでいた少年の太い体が崩れていく。周りにいた生徒たちは一斉に身を引き、哀れにも双眸を開けたまま、床にキスをして動かない彼を凝視する。黒板の上に設置された時計は淡々と鳴り続けて、ただそれだけが空気を振動させていた。

「あっちゃー、当たっちゃった……えっと、きみ、大丈夫ですかぁ?」

 うつ伏せに寝転がったまま、立ち上がろうともしない吉田幸雄へと、キタノが恐る恐る近づいていく。それから少しの時間を待って、彼の脇腹を蹴り上げて裏返した。胸にぽっかりと穴が開き、源泉のように沸々と湧き上がる赤い血。生徒たちは目を背け、軍人たちは時間を確認して小声で何かを耳打ちする。
 硝煙を上げる拳銃を片手に、口を押さえるキタノ。その頬が弛んでいたのを、井上祐二は見逃さない。

「おわっ、ごめんなさい! 殺すつもりはあったんだけど、まさかホントに死ぬとわ!」

 床に、まるで世界地図を描くように広がる血、吉田幸雄の血液。女子たちは目を伏せ、互いに肩を寄せ合って口元を覆う。血生臭いというのはきっと、この臭いのことをいうのだと、それぞれが初めて知った。

「キタノ様っ」

 黒板の端に立っていた軍人が、さっとキタノの隣に並ぶ。眉間に皺を寄せた表情を見て、彼女はバツが悪そうに俯いた。

「ごめんなさいってばぁ。ついパッとなって……」
「ああ、それなら仕方ありませんね」
「えへへ。ごめんねぇ」

 彼らのやり取りを横目に見ながら、井上祐二は、腕に飛び散った血を拭う。血液がこんなにも熱いなんて、なんの本にも書いていなかったのに。
 教室を見渡すと、嘔吐する者、すすり泣く者、ただただ震える者、小声で話し合う者。色んな者がいることがわかる。しかし様々な面持ちの彼らも、一様にキタノの言葉を待っていた。

「えっと、続けるね。んーと、なんだっけ。あっそうだ、武器とかのことだけど、色んなとこに隠してあります。特別カードも隠してあるから、見つけたら使うといいよ」

 特別カード、と聞いて、三河翔の眉尻が微かに持ち上がる。

「カードってなんだ、使うってどういう意味だ?」
「あーもぉ、難しいことは紙に書いてあるから。自分たちでそれ見てくださいっ。キタノ様言いたくありませんっ」

 ぷいっとそっぽを向いて、彼女は説明を打ち止めた。その代わりに何人かの軍人が教卓の前に出て、前の席からプリントを流し始める。そのあいだに別の軍人二人が、吉田幸雄の巨体を引きずって廊下へ消えた。井上祐二は最高尾に座っていたので、手元に来るまで頬杖をつく。やがて回されてきた紙を見ると、そこには確かに卒業試験のルールが書いてあった。
 試験期間は七日間。会場はこの岸岡中学校の敷地内。その他に、「特別カード」や「捕虜」などの項目がある。さっと目を通しただけでは読みきれないほどの情報が載っていた。

「あ。あとでそれぞれのチームごとに教室を出てもらうんだけど、そのときに鞄を渡すからね。そん中にはオレンジジュースのペットボトルが一本と、アンパンが一個。これはキタノ様の好みで選びましたっ。そいでね、ケータイも入ってるから。みんなが今持ってるのはここじゃ使えなくしてるからね」

 それを聞いて、教室のあちこちで携帯電話を取り出す生徒たち。しかし彼らの表情を見るなり、キタノの言葉は真実で、使い物にはならないようだ。

「そだ、忘れるとこだった。あのね、女の子の鞄にだけ、生理用品が入ってます。なくちゃあ大変だしね、勝手に使っていいよ」

 取って付けたような彼女の笑顔。男子8番、ハンフリー・ディフォレスト・ストラスバーグはロリコンとしてクラスでも名高いが、そんな彼でさえも教師キタノを鋭く睨んでいる。ちなみに彼、ハンフリーはそのあまりにも長い名前のせいで、名札の字がすごく小っちゃい。
 「チーム分けの方法だけどですね」と甘ったるい声がして、すべての生徒の視線が、プリントから教卓に立つ少女へと移った。

「出席番号の奇数と偶数で分けまーす。好きな子と違うチームになっちゃった人は諦めてください。えへへ」

 人差し指をくわえて、キタノが首を傾けて微笑む。誰も愛想笑いすらせず、空しく秒針の進む音だけが無機質に聞こえた。

「それじゃあ、もうすぐ始めなくちゃいけない時間なのです。残念だけどお別れなのです」

 そう言って、隣に立つ軍人に目配せをする。生徒たちはまだ、固まったまま動かない。

「奇数の者は我々の後に続け」

 教室前側の扉で、大柄の軍人が野太い声を出した。初めは皆が躊躇して立たなかったが、井上祐二が腰を上げたのを合図にして、ぞろぞろと席を立つ生徒たち。それからすぐ、後ろ側の扉でも同じように、今度は出席番号偶数の者が呼ばれた。
 誰もが顔を強張らせて、膝を震わせて軍人の背中を追っていく。一人ひとり、鞄を受け取ってから廊下に出ると、兵隊が一列に並んでいるのが見えた。子供たちが不審な動きをしないか眼を光らせているのだろう。ここから逃げることなど出来ないのだと、脅すように銃を見せびらかせて。
 生徒のいなくなった教室には、キタノと数人の軍人だけが残っていた。他の兵士は既に学校から出て、脱走者が出ないように周囲を警戒する任務にあたっている。

「みんなー、聞こえてますかぁー」

 マイクを掴むキタノは、底抜けに明るい声で言った。それはスピーカーを通して、少しのハウリングと無慈悲な言葉が、校舎に響き渡る。

「それでは、岸岡中学校、特別卒業試験を始めますっ。いっくよぉ!」

 長い戦いの始まりを告げる、短い祝砲が鳴った。




一日目

男子18番 吉田幸雄 死亡

偶数チーム 残り17人
奇数チーム 残り18人


       

表紙

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