「ゼンッ!! クアッ!! 大丈夫!?」
訓練場にミーシャの声が響いた。すでにディライツの飛行船は遠くへ飛び立って行き、残されたゼンは柵にもたれかかり、空を見上げていた。
「……ゼン。なにしてんの」
ゼンに駆け寄り、見下ろすミーシャ。それでもまだ空を見上げ続け、ミーシャのことなど目にも入っていない様子のゼン。
「なにしてんだって、聞いてんのよッ!!」
ゼンの胸ぐらを掴み、持ち上げるミーシャ。だらりと下がる腕には、一片の生気も感じられない。
「クアはどうしたのよ!? ――もしかして、連れ去られたって言うんじゃないでしょうね!?」
「……その通りだよ」
答えたのは、ミーシャの後ろに立ったアズマだった。
「ゼンくんはクアちゃんを守る為に戦ってたけど。敵のマジシャンみたいなヤツに、『クア・ロイツェは魔女だ』って言われて、立ち向かう気力を無くしたんだ」
「……魔女? なによそれ。そんなことでクアを見捨てたの!?」
「……ミーシャちゃん。キミは事の重大さがわかっていない。魔女は人間じゃない。災いを呼ぶんだ。現にクアちゃんは、ディライツを連れてきたじゃないか」
「クアが悪いみたいに言うなッ!!」
渾身の力を込めて叫んだミーシャは、ゼンを思い切り睨みつける。
「アンタもそう思ったの? だから、クアを見捨てたの!?」「…………」口をボソボソと動かし、何かを呟いたゼン。だが、風に掻き消され、ミーシャには何も聞こえなかった。
「なに。なんて言ったの?」
「……お前は平気、なのかよ」「なにが」
「クアは魔女だったんだ!! 人間じゃないんだぞ!? 俺達は騙されてたんだ!! お前だって知ってるだろ!? 俺達が地上に住めなくなったのは、魔女が地上を汚染したからだってことくらい!! そんなやつかばって戦うなんてイヤなんだよ!!」
ゼンの叫びを聞いたミーシャは、太もものベルトからゆっくりとキャスターを取り出し、ゼンの首筋に押し付ける。
「騙した? ……いつ、クアが私達を騙したのよ」
「いつって……」
「それに、クアが人間じゃないって本気で言ってるの? 魔女ってなによ。災いを呼ぶ? 知らないわよそんなこと。悪いのは空賊の連中じゃない。だいたい、地上が汚染されたのは三百年以上昔の話。地上に愛着も未練もないクセに、なに言ってんのよ」
「けどさ」
「……けど?」
ミーシャの肩が震え、ゼンの胸ぐらを掴む手に更なる力がこもる。そして、ゼンを見上げた。その目は、怒りで研ぎ澄まされ、酷く鋭い。
「見損なった。もう何も言いたくない」
ゼンの胸ぐらから手を離したミーシャは、体を翻し、アズマへと向き直る。
「隊長。……また黙って見てたんですか?」
アズマはバツの悪そうな顔で、自身の爪先へと視線を下げる。
「……黙って見てた件については、もう何も言いません。どっちに飛行船が飛んで行ったか、わかりますか?」
「あぁ。……あっちだ」
顔を上げ、エボラの進行方向を指さすアズマ。
「……ゼン」ミーシャは、ゼンに背を向けたまま彼の名を呼ぶ。
「私、明日クアを助けに行くから。もし来たいなら来ればいい。けど、来なかったら……」
すう、と息を吸い込んで、
「ゼンとは二度と、口きかない!!」
思い切り叫ぶと、ミーシャは訓練場から出て行った。
「……何よゼンのヤツ。あんなに情けない男だと思わなかった!」
石畳の坂を下り、街に降りてくると、道の向こう側から、ボルトが巨大なレンチを背負って走ってきた。
「あ? なにやってんだミーシャ。ゼンはどうしたよ」
「知らないわよ。あんな情けない男!」
突然の大声に、耳を塞ぐボルト。首を傾げ、「何があったんだ?」
「……クアは魔女だった! ゼンがそれ聞いてあの子を見捨てたの!! 信じられる!?」
「信じられるよ。……そうか、あの子は魔女だったか」
「でも、たかだかその程度で……!!」
「その程度、ねえ。お前も学校で、魔女の伝説くらいは教わっただろう」
「教わったけど、それが何? ボルトさんまでクアを見捨てるんですか!?」
「ちげえよ。……強いな、と思ったのさ」
「……誰が」
「お前だよ。魔女は差別されている存在だ。それをたかだかそんなこと呼ばわりとは」
「……そんなの、当たり前でしょ」
「だがな、ミーシャ。その強さを他人に押し付けるな。ゼンはお前と違って、弱いんだ」
ボルトはそれだけ言い残すと、ミーシャの横を通り抜け、坂を登って行った。その姿を見つめ、ミーシャは「弱い……? ゼンが?」と呟いた。
■
ミーシャの背が見えなくなるまでを見送り、姿が見えなくなると、アズマはゼンの隣に腰を下ろした。
「ゼンくん。俺はキミの気持ち、わからなくはないよ。魔女は存在の真偽さえ疑われていたが、その恐ろしさだけは、旅していた時各地で耳にしているからね……」
チラッとゼンの顔を窺うも、反応はない。湖底に沈む石のように、ジメジメとした固い表情だ。
「俺達のご先祖様がまだ地上に住んでいた頃。その地上に毒素を撒き散らし、今でもこの空のどこかで世界を闇に落とし込もうとしている――。それがクアちゃんだったなんて、信じたくはないだろう。ミーシャちゃんはああ言ったけど、キミの反応は正しい。……なにより、キミがクアちゃんを守る義理はない」
「……違うん、です」
今まで無言を貫いていたゼンが、ようやく口を開いた。その声は洞穴から響いてくるかのようだ。
「クアは俺を守ってくれた。きっと見せたくはなかっただろう力を使って。……でも、その力を、俺は怖いと思ってしまったんです。それで、自分が無力に見えて。苛立ち、って言うのかな……」
「『そんな力があるなら、俺なんか要らないじゃないか』――ってこと?」
頷くゼン。
「……俺は、ゼンくんが無力とは思わないけど。キミはミーシャちゃんと違って戦う訓練を受けてない。俺はここから見てたけど、それでもキミはダスロット相手に善戦したじゃないか」
「……それは、ミーシャの援護だったから」
「援護も大事な仕事さ。けど、キミの腕力は即戦力になると思うよ。キミが騎士団にいないのは不思議だ」
「でも、腕力だけあったって……」
「腕力『も』ない、よりはマシだよ」
アズマは立ち上がると、腰に差してあった刀を鞘ごと抜く。
「けど、勇気を無くしたらすべて終わりだ。……キミは自分の力を鞘から抜かず、錆びるまで待つか?」
ゼンはさらに身を丸くし、俯いた。
「……錆びるまで待つのも、またよし、かな」
アズマは刀を抜いて、それをゼンの前に放り投げた。草が押しつぶされた様な音がして、その刀を見ると、その刀は刀身が錆び付いていた。
「……これ」
「錆びた後使おうとしても遅いんだ。使える時に使わないと」
刀を拾い上げ、鞘に納めると、アズマは多少頼りない足取りで訓練場の奥にある小屋へと戻って行った。その背中を見ながら、ゼンは先ほどの錆びた刀を思い出していた。
使わなければ錆びる。その言葉が、酷く頭にこびりついた。
「勇気……か」
「おい、ゼン」
ゼンの目の前に立ったボルトが、ゼンの隣に巨大レンチを立てかけた。
「じいちゃん……」
「……クアを見捨てたらしいじゃねえか」
「ち、違う!!」
頭を上げたゼンは、ボルトのズボンを掴み、思い切り握り締めた。
「別に責める気はねえよ。お前のしたことは間違ってねえしな。……相手は空賊。しかも守ってたのは魔女と来たもんだ。弱いお前には耐えきれないだろうよ」
何かを言おうと、口を動かすゼン。だが、肝心の言葉が出ない。
「けどよ、魔女だっつー括りでクアを『恐ろしいヤツ』だって決めつけていいのかね。少なくとも俺には、そこら辺にいそうな、ただの女の子に見えたが」
ゼンにも、そう見えていた。だが、クアは自分を騙していたのだ。ただの女の子ではない、異形の力を使う魔女。しかし、あの時月の下で語り合って、自分はどう思っただろう。彼女を、どう感じただろう。単純に、心が安らいだ。それだけは確かだった。
「俺は自分の目を信じる。……お前はどうする? 他人の言葉を信じるか、自分の目を信じるか。仮に間違えても、満足する方を選べよ」
そう言って、ボルトは踵を返し、街へ降りて行った。
ゼンは、クアの顔を思い出す。楽しそうに笑っていた。柔らかな月明かりの下、心安らいだ笑みを見せる彼女に、偽りはなかったはずだ。
「俺はバカだ……!!」
あの時、クアを見捨てたのは、魔女が恐ろしくなったから。しかし、クアはゼンにこう言った。『騙してて、ごめんなさい』と。それはつまり、バレればこうなると予期していたということではないか。きっとクアは、これまでも差別を受けてきたのではないだろうか。
ゼンはそれに気づいて、頭を抱えた。クアは確かに魔女なのかもしれないが、クアはクアでしかないのだ。
「あぁ……そう、だ」
ただ声を漏らすことしかできない。もっと早くわかっていれば、もっとクアを理解していたら。罪悪感が胸を満たし、収まらなかった分が涙となって瞳からこぼれ落ちた。
「違う。謝るのは俺の方だ……!!」
悔しくて、髪を掴んだ。いろいろな感情がゼンの中でごった返しになって、涙が止まらなかった。
■
ミーシャが空を見上げると、満月より少しだけ欠けた月が空に浮かんでいた。街をぐるぐると歩く内、いつの間にか夜になっていたのだ。ただ家に帰るのは気が高ぶっていて納得できないし、だからと言って行きたい場所があるわけでなく、ただボーっと歩いていた。
「……体でも動かそっかな」
クアのことが頭にちらついて仕方ないミーシャは、それを忘れるべく訓練場へ向かった。どうせ明日には、ディライツのアジトへ向かうのだ。少しでも万全を整えておきたい。
坂を登っていき、訓練場へ足を踏み入れると、その中心でゼンがレンチを担いで月を見上げていた。先ほどゼンに言い過ぎたと感じていたミーシャは、居心地の悪さを感じながら、ゼンにゆっくりと歩み寄ってみる。
「ミーシャ」突然ゼンに名前を呼ばれ、固まるミーシャ。
「……な、なによ」
「稽古つけてくれないか。今更だけど、俺やっぱり、クアを助けたい」
ミーシャはそれを聞いて、腹の辺りから込み上げてくる何かを感じた。それが顔までやってくると、ミーシャの頬がつり上がり、意図しない内に微笑んでしまう。
「さすがゼン! あたしが見込んだ男!!」
「見込んだ? ……まあなんだかわからねーけど、頼むよ」
ミーシャは太もものベルトに刺さった二振りのナイフを引き抜いた。ゼンも巨大レンチを構え、二人は同時に走り出した。振り下ろされたレンチを避け、ミーシャの大きな方のナイフ、ストラトスがゼンの首元へ飛ぶ。身を仰け反らし、それを紙一重で避けたが、ミーシャは前蹴りでゼンの体をさらに押し、ゼンを倒してマウントを取り、首筋にキャスターを突きつける。
「……やっぱりミーシャは強いな」
「相変わらず、ゼンは弱いわね」
二人は上と下で互いに笑い合った。ナイフをベルトに納めると、ミーシャはゼンの腹の上に座ったまま、「けど、ゼンは強くなるわよ」
「……ならなくてもいい、って、いままでなら言ってたけど。今は違う。今度はどんな結果になっても、満足したいんだ」
「……ねえ、ゼン。あたしさ、さっきボルトさんに、『ゼンは弱い』って言われて、納得できなかった」
「なんだよ突然。俺は強くなんかねえって。現に今だって、マウント取られてるしな」
「いや、そういうんじゃなくてさ」ミーシャは頬を赤くして、その赤らみを消そうとするかの様に頬を掻く。「ゼンは戦いに関して言えば、私よりは弱いかもしれないけど。ゼンの心は強い。今だって、なんだかんだ復活したじゃない」
「……でも、一度は折れたんだぞ?」
「誰だって一度や二度は折れるって。そこから必ず復活するから、あたしはゼンって男に惚れてんのよ」
ミーシャよりも顔を赤くするゼン。
「ほ、ほ、惚れ? それってつまり、ミーシャ、俺のことが……」
「それ以上は野暮よ。……やっぱり空賊のアジトに行くんだから、一応言っておきたかったのよ。返事はいらないから。ゼンがあたしに惚れた時、何より熱いキスをくれたらそれでいいから」
「な、なんだよそれ!? ……つーか、お前男前過ぎねえか!?」
恥ずかしさが度を超えたのか、真っ赤にした顔を見られまいと顔を背けるゼン。
「んで? ゼンはなにか言っておきたいことないの?」
「俺はねえよ。生きて帰るつもりだからな。言いたいことは、然るべき時に言う」
「なにそれ! あたし告白までしたんだけど!!」
ゼンの胸ぐらを掴んで、上半身を持ち上げ揺らすミーシャ。しかしそれでも、ゼンはそれ以上口を開かなかった。