アハッピーメリーマリークリスマス
雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしい
雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしい。
「さいれんなぁあいぃうぉおおうほぉおりぃいなぁあぁいぃ」
バイトが終わり、いつも通り日が変わる前に店を出た。空を見上げると一面の闇が広がる。月が出ていない事からどうにか空が雲に覆われていると言うことを悟った。
「あぁクリスマス、クリトリスマタスだなぁ」
僕はネックウォーマーに顔を埋め、ジーンズに手を突っ込む。きつめのジーンズなので下にパッチをはけないのが難点だ。
バレンタイン、ホワイトデー、花火大会に夏祭り。
その中でもクリスマスと言うのは独り身の人間にとって最も辛いシーズンになるのだ。
いっそのこと全く無関心でいられたら楽なのだろうが、どうしてだろう、どうしても意識せずにはいられないのである。
皮肉にも彼女のいない人間ほど、こう言うイベント事に対してアンテナを張り敏感に反応してしまう物なのだ。
「結局クリスマスに嘆く自分が好きなんだよね」
歩きながら呟いたこの一言が全てである。
バイト先からは五分も歩けば我が家である。
八階建てマンションの最上階、一番端。そこが我が家だ。
鍵を開けて寒気から逃げるように中に入った。刺すように吹いていた風がピタリとドアに阻まれる。どうにか生き延びたようだ。
リビングに入ると母がいた。もう寝間着を着ている。寝る直前なのだろう。
「ただいま」
「おかえり。あんた、晩御飯は」
「いらない。寝る」
「明日大学は」
「いらない。寝る」
「あぁそうだ、明日お母さんとお父さん朝早いから。六時には仕事で家出るから。ちゃんと起きて学校行きなさいよ」
「いらない、寝る」
リビングを抜け、自室のふすまをピシャリと閉めた。そのまま勢いよくベッドの上にダイブする。空中で布団をめくり、着地する前に既に体を羽毛で包むことも随分上手くなっ*た。全く意味の無い無駄な特技だ。
布団に入ると自然と瞼が下りてきた。どうやら相当疲れていたらしい。クリトリスシーズンのかきいれ時だったのだ、当然か。
眠りに落ちる前に携帯を開いた。日付が変わっている。
十二月二十四日。クリスマスだ。
きっと明日の今頃、沢山のカップルが夜の街に消え、オマンコするのだろう。僕に出来る事はオチンポを擦ってピュルピュッピュするしかない。悔しい、でも感じちゃう……!
皮肉にも明日はアルバイトが入っていない。
二十四日は出勤でシフトを提出したはずなのだが、人手が足りていると言うことで休みにされてしまった。クリスマスにあえてバイトを入れて不幸自慢をしようとしたのだが、どうやらバイト先の独り身の奴らも同じ事を考えていたみたいだ。全く鬱陶しい物である。
僕は瞼を閉じた。暗闇が一日の終わりを告げ、安寧を僕にもたらす。
「クリスマスは独りかぁ。せめて肉便……彼女がいればなぁ。ムニャムニャ」
肉便器、と言いかけて言葉を正した。もしサンタさんがこの独り言を耳にしてしまった時、肉便器を比喩表現と捉えずに文字通り肉で出来た便器を用意する恐れがあるからだ。
二十一にもなって割と本気でそう言った事を配慮する自分の馬鹿さ具合を愛おしく思いながらいつの間にか僕は眠りに落ちた。
妙な夢を見た。
雪が一粒、ゆっくりと落ちてくる夢だった。
ゆらりと空気の抵抗に揺られながらその結晶は徐々に高度を落とし、まるで鏡の様に景色を反射した湖の中心に落ちる。
結晶が水に溶け、波紋を作った。それと同時に、鈴の音が鳴った。
シャンシャンシャン。
シャンシャンシャン。
波紋は大きく広がっていく。鈴の音も、波紋に共鳴するように空間に浸透する。
その音色はどこまでも広大に広がる気がした。
パッと目が覚めた。深く眠ってしまったのだろうか、驚くほど寝覚めが良かった。締め切ったカーテンの向こう側から雀の鳴き声が聞こえていた。わずかながら外の光も侵入している。
ふと時間が気になって枕もとのに置いておいた携帯を手に取った。朝の七時。僕が寝たのが零時だったから丁度七時間眠ったことになる。
「なるほど、どうやらお昼まで寝て怠惰に一日を過ごす、と言うのは認められないみたいだな」
二度寝するのも面倒だったので僕は思い切り反動をつけて上体を起こした。そのままぐっと伸びをする。
ふと台所からトントントン、と包丁の音がした。誰かが朝ごはんを作っているようだ。母が昨日、今日は朝早くに出ると言っていた。でもこうして朝食を作っていると言うことは、何か事情でも出来たのだろうか。
僕はふすまを開けた。
サンタ服を着た女性がキッチンに立っていた。僕が起きたのを悟り、ゆっくりと振り向く。目が合うと、彼女はにっこり微笑んだ。恐ろしく美人だ。美人過ぎて嫌悪感がわくレベルである。
「おはようございます、マスター」美人が言った。透き通るような澄んだ声だった。
僕は気付かれないように深呼吸して、気持ちを整え軽く頷く。
「うむ、おはよう。何作ってるの?」
「お味噌汁用にネギを切ってるだけです。朝食に昨日の晩御飯の残り物を食べられるかと思ったんですが、やっぱり残り物のお味噌汁だとネギが欲しいかと思いまして」
「期待はずれもはなはだしいな……」
僕は呟くと玄関へ向かった。そのままドアを開ける。
「うわぁ、ちょっとすごいよ! 君も来てみなよ」僕はリビングへ叫んだ。
「どうしたんですか? マスター」
とてとてと彼女が駆けてきたので、僕は手招きして彼女を呼び寄せた。
「ちょっとここ立ってみて」外の廊下を指差す。
はい、と彼女は不思議そうに指示に従った。僕は「うむ」と呟くと扉を閉め、鍵をかけた。誰だあいつは。
リビングに戻ってキッチンに目を向ける。先ほどの美女が切り物をしていた跡が残っていた。どうやら夢でも幻でもないらしい。
まな板の上には青ネギがみじん切りされており、独特の匂いを放っていた。
僕はまな板の上のネギを全て味噌汁の入った鍋にぶち込んだ。さすがに量が多すぎたか。味噌汁の表面は鮮やかな緑で染まった。
まな板と包丁を洗うとふと先ほどの女性の事を考えた。勢いで追い出したが大丈夫だろうか。心配する義理もないが、さすがにあれだけ冷たくすると良心の呵責にさいなまれる。
「話くらい聞くべきだったかな」
僕は玄関まで行くと、覗き穴から外を見た。誰もいない。どこか行ったのだろうか。
鍵を開けて、恐る恐る扉を開く。扉から頭だけ出して周囲を確認した。やはり彼女の姿はない。
冷静に考えれば、あれだけの美女と話す機会などないのだ。素直にクリスマスプレゼントだと受け取っていたらよかったかもしれない。
僕は後悔の念が渦巻くのを感じながら扉を閉めようとした。しかし閉まらない。何か挟まっているのかと視線を下にやる。
頭が挟まっていた。
「酷いじゃないですかマスター。このご時勢に外に放り出すなんて」
サンタ服の彼女は横たわりながら頭を扉に挟んでいた。僕は悲鳴を上げた。
「私はクリスマスプレゼントなんですよ」
彼女は赤外線ストーブの前で手を擦りながら言った。
「クリスマスプレゼント?」
「はい。今業界ではクリスマスキャンペーンと言うものを行っていまして。全国のモテない男性方に神様からプレゼントを与えようと言うことになったんです」
どこの業界だよ、とは突っ込まずにいる事にする。
「つまり今頃僕のように全国各地の男性に肉便……彼女がプレゼントされているって事?」
「もちろん、願わなければ与えられませんけどね。それにプレゼントされるには条件があるんです」
「どんな?」
「彼女いない暦と年齢が一致している。非童貞以下、つまり童貞と素人童貞である。ノンケ、もしくはバイである。恋愛対象が三次元の女性である。二十歳以上である。そんなところです」
「なるほど、つまり女性をプレゼントしても問題ない人間がチョイスされたわけか」
「そういうことです。お分かりいただけましたか?」
「お、おぉ」僕は曖昧に返事した。「まぁ大体は。うん、プレゼントか、なるほど」
「マスターは非常に適応性と言うか、柔軟性と理解力が早いですね」
「ある日突然美少女が目の前に現れてトラブルに巻き込まれる。アニメではよくある事さ」
「現実ではまず起こり得ないと思うんですけど……」
「もちろんその通りだ。現に僕はこうして物分りが良い人間のフリをしているが君の話など微塵も信じていないし、両親の留守を狙って我が家に無断で入り込んだ詐欺師か泥棒か強盗ではないかと思っている。君が妙な行動をすれば躊躇せずに拘束して警察に突き出すつもりだよ」
「本音出しすぎですよ……」
傷ついたような表情だった。だが仕方ない。表には出さないが、僕だって混乱しているのだ。
それでも彼女をこうして家に上げているのは、もしかしたら本当に神様がクリスマスプレゼントをくれたのかもしれないと言う祈りにも似た願いがあったからだった。
「一つだけ確認したい事があるんだけど」
「何でしょう」
「君は確かに僕の肉……彼女なんだよね」
「はい。肉便……彼女です」自分で肉便器と言おうとした彼女に狂気を感じた。
「早い話、僕の願いが具現化したんだよね」
「そう思ってもらって構いません」
なるほど。それなら彼女が僕の事をご主人様ではなくマスターと呼ぶのも理解できる。
昨晩、僕は確かに肉便器を願ったが、妙な配慮から途中で彼女が欲しいと願いを改めた。つまり肉便器と恋人の中間的な存在が生まれたのだろう。
「しかしそうだとすると分からない事がある」
「なんでしょうか」
「僕の願いを具現化したくせに君はどう見ても僕の好みではない。僕が求めていたのはGカップのロリっ子美巨乳なのだが、君はCカップのお姉さん系美女だ。貧乳に用は無い」
「そんなはっきりいわないで下さいよ……」辛そうな表情だ。「ほら、マスターの願いがそのまま形になったら、色々まずいでしょう? 法律とか」
「大人の事情が配慮されたって事か……」
「そうなんです。特に最近規制が厳しいし、色々すみません」
「せめて巨乳だけでも通してくれたら……」
僕は悔しさがこみ上げるのを感じた。重い沈黙が満ちる。
「まぁ、ほら、せっかくのクリスマスに女の子がいるんですから、元気出してくださいよ」
場の雰囲気を和ませようと彼女が言った。僕は優しく微笑むと、軽く頷いた。
「そうだね。こんな機会滅多にないんだから。とりあえずエッチしようか」
「待って下さいよ。直球過ぎます。せめてもうちょっとオブラートに包んでくださいよ」
「無理だよ。僕は可愛くない女の子を無理やり褒めてどうにかエッチに持ち込もうとする世の男性方の様に器用じゃない」
「だから童貞なんですよ……」
「痛い所を突くね」
「痛い所を突くって、なんだかゲイに掘られるのを連想させますね」
「顔射されて正にホワイトクリスマスだな」
アッハッハと僕らは笑った。どうにか場は和んだようだ。酷い和み方だ。
では、と不意に彼女が手を叩いた。
「どこか出かけましょうか、マスター」
「どこかって、どこへ?」
「デートですよ、デート。クリスマスに男女がいてデートもしないなんて馬鹿げた事がありますか」
「でも僕お金ないよ。今三回生でもう時期就活だから貯金しなきゃ駄目だし、使いたくないんだ」
「そういう現実的な問題を持ってこないで下さいよ……」
「すまない。僕は男性に奢らせて当然だと言う考え方の女性が嫌いなんだ」
「大丈夫です。私が奢ってあげます」
「君、お金あるのかい」
僕の問いに彼女は頷いた。
「ちゃんと天界から軍資金を提供されています。一千万ほど、私名義の口座に」
「提供し過ぎだろ……」
「じゃあマスター、早く着替えてきてください。行きましょう、デート」
こうして夢の様なクリスマスが始まった。
「さいれんなぁあいぃうぉおおうほぉおりぃいなぁあぁいぃ」
バイトが終わり、いつも通り日が変わる前に店を出た。空を見上げると一面の闇が広がる。月が出ていない事からどうにか空が雲に覆われていると言うことを悟った。
「あぁクリスマス、クリトリスマタスだなぁ」
僕はネックウォーマーに顔を埋め、ジーンズに手を突っ込む。きつめのジーンズなので下にパッチをはけないのが難点だ。
バレンタイン、ホワイトデー、花火大会に夏祭り。
その中でもクリスマスと言うのは独り身の人間にとって最も辛いシーズンになるのだ。
いっそのこと全く無関心でいられたら楽なのだろうが、どうしてだろう、どうしても意識せずにはいられないのである。
皮肉にも彼女のいない人間ほど、こう言うイベント事に対してアンテナを張り敏感に反応してしまう物なのだ。
「結局クリスマスに嘆く自分が好きなんだよね」
歩きながら呟いたこの一言が全てである。
バイト先からは五分も歩けば我が家である。
八階建てマンションの最上階、一番端。そこが我が家だ。
鍵を開けて寒気から逃げるように中に入った。刺すように吹いていた風がピタリとドアに阻まれる。どうにか生き延びたようだ。
リビングに入ると母がいた。もう寝間着を着ている。寝る直前なのだろう。
「ただいま」
「おかえり。あんた、晩御飯は」
「いらない。寝る」
「明日大学は」
「いらない。寝る」
「あぁそうだ、明日お母さんとお父さん朝早いから。六時には仕事で家出るから。ちゃんと起きて学校行きなさいよ」
「いらない、寝る」
リビングを抜け、自室のふすまをピシャリと閉めた。そのまま勢いよくベッドの上にダイブする。空中で布団をめくり、着地する前に既に体を羽毛で包むことも随分上手くなっ*た。全く意味の無い無駄な特技だ。
布団に入ると自然と瞼が下りてきた。どうやら相当疲れていたらしい。クリトリスシーズンのかきいれ時だったのだ、当然か。
眠りに落ちる前に携帯を開いた。日付が変わっている。
十二月二十四日。クリスマスだ。
きっと明日の今頃、沢山のカップルが夜の街に消え、オマンコするのだろう。僕に出来る事はオチンポを擦ってピュルピュッピュするしかない。悔しい、でも感じちゃう……!
皮肉にも明日はアルバイトが入っていない。
二十四日は出勤でシフトを提出したはずなのだが、人手が足りていると言うことで休みにされてしまった。クリスマスにあえてバイトを入れて不幸自慢をしようとしたのだが、どうやらバイト先の独り身の奴らも同じ事を考えていたみたいだ。全く鬱陶しい物である。
僕は瞼を閉じた。暗闇が一日の終わりを告げ、安寧を僕にもたらす。
「クリスマスは独りかぁ。せめて肉便……彼女がいればなぁ。ムニャムニャ」
肉便器、と言いかけて言葉を正した。もしサンタさんがこの独り言を耳にしてしまった時、肉便器を比喩表現と捉えずに文字通り肉で出来た便器を用意する恐れがあるからだ。
二十一にもなって割と本気でそう言った事を配慮する自分の馬鹿さ具合を愛おしく思いながらいつの間にか僕は眠りに落ちた。
妙な夢を見た。
雪が一粒、ゆっくりと落ちてくる夢だった。
ゆらりと空気の抵抗に揺られながらその結晶は徐々に高度を落とし、まるで鏡の様に景色を反射した湖の中心に落ちる。
結晶が水に溶け、波紋を作った。それと同時に、鈴の音が鳴った。
シャンシャンシャン。
シャンシャンシャン。
波紋は大きく広がっていく。鈴の音も、波紋に共鳴するように空間に浸透する。
その音色はどこまでも広大に広がる気がした。
パッと目が覚めた。深く眠ってしまったのだろうか、驚くほど寝覚めが良かった。締め切ったカーテンの向こう側から雀の鳴き声が聞こえていた。わずかながら外の光も侵入している。
ふと時間が気になって枕もとのに置いておいた携帯を手に取った。朝の七時。僕が寝たのが零時だったから丁度七時間眠ったことになる。
「なるほど、どうやらお昼まで寝て怠惰に一日を過ごす、と言うのは認められないみたいだな」
二度寝するのも面倒だったので僕は思い切り反動をつけて上体を起こした。そのままぐっと伸びをする。
ふと台所からトントントン、と包丁の音がした。誰かが朝ごはんを作っているようだ。母が昨日、今日は朝早くに出ると言っていた。でもこうして朝食を作っていると言うことは、何か事情でも出来たのだろうか。
僕はふすまを開けた。
サンタ服を着た女性がキッチンに立っていた。僕が起きたのを悟り、ゆっくりと振り向く。目が合うと、彼女はにっこり微笑んだ。恐ろしく美人だ。美人過ぎて嫌悪感がわくレベルである。
「おはようございます、マスター」美人が言った。透き通るような澄んだ声だった。
僕は気付かれないように深呼吸して、気持ちを整え軽く頷く。
「うむ、おはよう。何作ってるの?」
「お味噌汁用にネギを切ってるだけです。朝食に昨日の晩御飯の残り物を食べられるかと思ったんですが、やっぱり残り物のお味噌汁だとネギが欲しいかと思いまして」
「期待はずれもはなはだしいな……」
僕は呟くと玄関へ向かった。そのままドアを開ける。
「うわぁ、ちょっとすごいよ! 君も来てみなよ」僕はリビングへ叫んだ。
「どうしたんですか? マスター」
とてとてと彼女が駆けてきたので、僕は手招きして彼女を呼び寄せた。
「ちょっとここ立ってみて」外の廊下を指差す。
はい、と彼女は不思議そうに指示に従った。僕は「うむ」と呟くと扉を閉め、鍵をかけた。誰だあいつは。
リビングに戻ってキッチンに目を向ける。先ほどの美女が切り物をしていた跡が残っていた。どうやら夢でも幻でもないらしい。
まな板の上には青ネギがみじん切りされており、独特の匂いを放っていた。
僕はまな板の上のネギを全て味噌汁の入った鍋にぶち込んだ。さすがに量が多すぎたか。味噌汁の表面は鮮やかな緑で染まった。
まな板と包丁を洗うとふと先ほどの女性の事を考えた。勢いで追い出したが大丈夫だろうか。心配する義理もないが、さすがにあれだけ冷たくすると良心の呵責にさいなまれる。
「話くらい聞くべきだったかな」
僕は玄関まで行くと、覗き穴から外を見た。誰もいない。どこか行ったのだろうか。
鍵を開けて、恐る恐る扉を開く。扉から頭だけ出して周囲を確認した。やはり彼女の姿はない。
冷静に考えれば、あれだけの美女と話す機会などないのだ。素直にクリスマスプレゼントだと受け取っていたらよかったかもしれない。
僕は後悔の念が渦巻くのを感じながら扉を閉めようとした。しかし閉まらない。何か挟まっているのかと視線を下にやる。
頭が挟まっていた。
「酷いじゃないですかマスター。このご時勢に外に放り出すなんて」
サンタ服の彼女は横たわりながら頭を扉に挟んでいた。僕は悲鳴を上げた。
「私はクリスマスプレゼントなんですよ」
彼女は赤外線ストーブの前で手を擦りながら言った。
「クリスマスプレゼント?」
「はい。今業界ではクリスマスキャンペーンと言うものを行っていまして。全国のモテない男性方に神様からプレゼントを与えようと言うことになったんです」
どこの業界だよ、とは突っ込まずにいる事にする。
「つまり今頃僕のように全国各地の男性に肉便……彼女がプレゼントされているって事?」
「もちろん、願わなければ与えられませんけどね。それにプレゼントされるには条件があるんです」
「どんな?」
「彼女いない暦と年齢が一致している。非童貞以下、つまり童貞と素人童貞である。ノンケ、もしくはバイである。恋愛対象が三次元の女性である。二十歳以上である。そんなところです」
「なるほど、つまり女性をプレゼントしても問題ない人間がチョイスされたわけか」
「そういうことです。お分かりいただけましたか?」
「お、おぉ」僕は曖昧に返事した。「まぁ大体は。うん、プレゼントか、なるほど」
「マスターは非常に適応性と言うか、柔軟性と理解力が早いですね」
「ある日突然美少女が目の前に現れてトラブルに巻き込まれる。アニメではよくある事さ」
「現実ではまず起こり得ないと思うんですけど……」
「もちろんその通りだ。現に僕はこうして物分りが良い人間のフリをしているが君の話など微塵も信じていないし、両親の留守を狙って我が家に無断で入り込んだ詐欺師か泥棒か強盗ではないかと思っている。君が妙な行動をすれば躊躇せずに拘束して警察に突き出すつもりだよ」
「本音出しすぎですよ……」
傷ついたような表情だった。だが仕方ない。表には出さないが、僕だって混乱しているのだ。
それでも彼女をこうして家に上げているのは、もしかしたら本当に神様がクリスマスプレゼントをくれたのかもしれないと言う祈りにも似た願いがあったからだった。
「一つだけ確認したい事があるんだけど」
「何でしょう」
「君は確かに僕の肉……彼女なんだよね」
「はい。肉便……彼女です」自分で肉便器と言おうとした彼女に狂気を感じた。
「早い話、僕の願いが具現化したんだよね」
「そう思ってもらって構いません」
なるほど。それなら彼女が僕の事をご主人様ではなくマスターと呼ぶのも理解できる。
昨晩、僕は確かに肉便器を願ったが、妙な配慮から途中で彼女が欲しいと願いを改めた。つまり肉便器と恋人の中間的な存在が生まれたのだろう。
「しかしそうだとすると分からない事がある」
「なんでしょうか」
「僕の願いを具現化したくせに君はどう見ても僕の好みではない。僕が求めていたのはGカップのロリっ子美巨乳なのだが、君はCカップのお姉さん系美女だ。貧乳に用は無い」
「そんなはっきりいわないで下さいよ……」辛そうな表情だ。「ほら、マスターの願いがそのまま形になったら、色々まずいでしょう? 法律とか」
「大人の事情が配慮されたって事か……」
「そうなんです。特に最近規制が厳しいし、色々すみません」
「せめて巨乳だけでも通してくれたら……」
僕は悔しさがこみ上げるのを感じた。重い沈黙が満ちる。
「まぁ、ほら、せっかくのクリスマスに女の子がいるんですから、元気出してくださいよ」
場の雰囲気を和ませようと彼女が言った。僕は優しく微笑むと、軽く頷いた。
「そうだね。こんな機会滅多にないんだから。とりあえずエッチしようか」
「待って下さいよ。直球過ぎます。せめてもうちょっとオブラートに包んでくださいよ」
「無理だよ。僕は可愛くない女の子を無理やり褒めてどうにかエッチに持ち込もうとする世の男性方の様に器用じゃない」
「だから童貞なんですよ……」
「痛い所を突くね」
「痛い所を突くって、なんだかゲイに掘られるのを連想させますね」
「顔射されて正にホワイトクリスマスだな」
アッハッハと僕らは笑った。どうにか場は和んだようだ。酷い和み方だ。
では、と不意に彼女が手を叩いた。
「どこか出かけましょうか、マスター」
「どこかって、どこへ?」
「デートですよ、デート。クリスマスに男女がいてデートもしないなんて馬鹿げた事がありますか」
「でも僕お金ないよ。今三回生でもう時期就活だから貯金しなきゃ駄目だし、使いたくないんだ」
「そういう現実的な問題を持ってこないで下さいよ……」
「すまない。僕は男性に奢らせて当然だと言う考え方の女性が嫌いなんだ」
「大丈夫です。私が奢ってあげます」
「君、お金あるのかい」
僕の問いに彼女は頷いた。
「ちゃんと天界から軍資金を提供されています。一千万ほど、私名義の口座に」
「提供し過ぎだろ……」
「じゃあマスター、早く着替えてきてください。行きましょう、デート」
こうして夢の様なクリスマスが始まった。
「せっかくのクリスマスなのに、曇っちゃってますねぇ」
マンションから出たところで彼女が空を見上げた。確かに、何かを孕んでいるかの様な灰色の雲が空を覆っている。
「確か昨日の夜も曇ってたな」
「雪、降るんでしょうか」
「さてね。降るのは雪じゃなくて、雨かもしれない」
「なんかそんな歌ありましたよね、ほら、クリスマスになると流れるやつ」
「山下達郎の『クリスマス・イブ』の事?」
「ああ、それです。多分」
「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしいね」
「きっと君は来ない」
「独りきりの、クリスマス・イブ」
僕達はうな垂れた。
「クリスマスになんて重い歌を歌わせるんだ君は」
「マスターが振ったんじゃないですか」
「振ったつもりは微塵もなかったが」
「振りですよ、あんなの。誰だって歌います」
「そうかね」
「そうですよ」
そこで彼女はふと立ち止まった。
「ところで私達、どこに向かってるんですか?」
「どこって、ユニクロだよ」
「ユニクロ?」彼女は怪訝な顔をした。「何だってクリスマスに女の子を連れてユニクロに?」
「何故って、君がまともな格好をしていないからだろう」
僕が言うと、彼女はそこで初めて、自分の服装に気付いたようだった。
「あっ」
「ミニスカサンタ服なのは目に嬉しいけど、よそ行きには向かないだろ」
「そうですね……」
「ひょっとして、他の、君と同じ境遇の女の子も皆同じ格好をしているのかい?」
「いえ、私だけです。地上に行く前に何か服を選ばなきゃダメで……そう言えば皆レギンスとかはいてました」
「なんでサンタ服なんか選んだのさ」
「いえ、その、クリスマスだからやっぱりサンタが一番かなぁとか、そんな短絡的な思考で選んでしまいまして」
彼女は恥ずかしそうに苦笑しながら頭を掻いた。
「なるほどね」
「えっ?」
「君が何で僕の所に来たのか分かった気がする」
「どうしてですか?」
「考え方と言うか、感性が似てる」
「感性、ですか」
「まぁ、僕が君の立場だとしても多分同じ様にサンタ服を選んだって、ただそれだけの話だけどね。君の事ただの変な美人か詐欺師だと思っていたけど、ちょっと変わった」
「つまり私への好感度が上がったと言う事ですね」
「いや、別に」
僕は彼女の先に立って歩いた。後ろからウォンウォンとむせび泣く声がするが気のせいだろうと思う。
クリスマスシーズンの街は妙に彩って見える。冬と言う季節は閑散としていて、景色の色が抜けて見えるのに不思議な話だ。
今年のクリスマスは金曜日になるとあってか、平日にも関わらず街に人は多い。サンタ服を着ている人間も度々見かけられた。おそらくどこかの店のアルバイトだろう。
サンタ服を着た彼女を皆奇異の目で見るかと思ったが、意外と大丈夫みたいだ。
「サンタ服を着た人が多いですね。やっぱり流行なんですか?」
「バイトだからだよ。それ以外にその服を着る意味はないからね」
「はー、こんな日に働かなきゃ駄目なんですね。せっかくのクリスマスなのに、大変だぁ」
「本当だったら僕も今日は働いてるはずだったんだ」
こんな風に女の子と街を歩くなんて考えてもいなかった。
普通に考えて、これは幸せなことなんだと思う。女の子と過ごすクリスマスが不幸なわけない。今まで孤独だった僕が、ついに幸せな人間の側へと移る事が出来たのだ。
だけど何故だろう、落ち着かなかった。
今まで僕はずっと独りで過ごしてきた。クリスマスが来るたびにカップルや、友達と遊ぶ人間を呪ったものだ。
長い間呪う側に居すぎて、いざ自分が呪われる側に行ったら落ち着かずにイライラする。負け犬根性が骨まで染み付いてしまったのだろうか。
このまま彼女とクリスマスを過ごせばひと時ではあるが幸せな時間を過ごせるだろう。僕は幸せになれる。
でも本当にそれで良いのか? 僕は幸せになりたいのか?
「どうしたんですか? マスター。変な顔して」
「別になんでもないよ。変な顔は元からだ」
「それもそうですね」
「ちょっとは否定しろよ」
こう言う馬鹿げた会話が続けばいい。会話していると考える事が鈍る。
胸の中に渦巻くモヤモヤ、この気持ちに気付いてはいけないのだ。
クリスマスのユニクロは閑古鳥が鳴いている、と思っていた。
「結構人いますねぇ」
サンタ服の彼女は目を丸くした。
ユニクロには多くのカップルが生息していた。と言うより、カップルしか居ない。
その中でも特筆すべきは、全てのカップルにおいて彼女の方が驚くほど可愛いと言う事だった。はっきり言ってしまうと失礼だが、不釣合いだ。しかも彼氏の方は皆スーパーで買えそうな服を着ていて、まるで服装に無頓着と言うのが良く分かる。
「もしやとは思うが、ここに居る女の子はみんな、クリスマスプレゼントとして配布された?」
「かもしれませんね。見たことある顔がちらほらと」
面識あるのかよ、とは突っ込まなかった。
「プレゼントガールが自分の彼氏を見て、あまりのダサさに服装を改善しようと試みたと言うわけか」
安価でそこそこの服が揃うユニクロは確かに手っ取り早い。
「プレゼントガールって分かりやすくていいですね」
感心する彼女を無視して僕は続けた。
「きっとここに居る男子どもはみんな友達が少ないだろうな」
「どうしてそう思うんです?」
「僕がそうだからだよ。自ら行動を起こせないんだ。コミュニケーション能力があまり無いと言うか、そのせいで彼女も出来ない。そういう人間に配布されたプレゼントガールはちょっと強引に人を連れまわす子が多いんじゃないかな。だから服装に無頓着そうな人間が多い」
よく見ると彼氏の方はどいつもこいつも彼女に手を引っ張られてばかりだ。
「たしかにそうかも知れませんね。でもマスターは行動を起こせない人間にもコミュニケーション能力が欠如しているようにも見えないんですが」
「そうかね。ただ僕に友達が少ないのは事実だ」
「人とあまり深く関わりを持とうとしないからでしょう。例えて言えばアルバイトを『ただ金を稼ぐ場所』と割り切って同僚と交友を深めようとしない人間に見えます」
「良く見ているじゃないか」
「分かりにくいようで居て分かりやすいですよ、マスターは。自分でごちゃごちゃ考えて複雑にしているだけです」
「……かもね」
しばらく一緒に服を見て回った。女性物の服はとんと分からないので、その辺りは彼女のファッションセンスに任せることにする。
「マスター、この下着素敵ですね」
「ベージュ色だぞ……」
「このTシャツ素敵じゃないですか」
「モヒカンの絵が描いてあるじゃないか」
「これとかどうです?」
「何で虎柄選ぶんだよ」
Tシャツの柄を気にしなかったり、色が婆臭かったり、センスがまるで大阪のおばちゃんだった。
結局色々と却下した挙句、僕が選ぶ事にした。
「あれだけ人のセンスを馬鹿にしたんだから、さぞかしお洒落な物を選んでくれるんでしょうね?」
「僕だって別にお洒落じゃないよ。一応変じゃなさそうなのを選ぶだけだ」
「じゃあ何なんです? マスターの言う『変じゃない』物って」
妙に言葉にとげがある。どうやら自分のセンスを否定されて機嫌を損ねたらしい。
「とりあえず色々と試着してみようよ。ええと、ジップパーカーにTシャツにカーディガンにスキニージーンズ、カジュアルパンツなんてのもあるんだな」
「地味ですね」籠に入れられた服を見て彼女が顔をしかめる。
「我慢しなさい」
「どうでしょうマスター。思い切ってインナーに虎柄を入れるなんて言うのは。Tシャツが虎だとさぞかし見栄えしますよ」
「君のお金だから買うのは勝手だが、僕はその隣を歩くつもりはない」
「マスターさっき私と感性が似ているとか言っていたじゃないですか」
「そういうつもりで言ったんじゃないよ」
試着室で着替えさせる。思っていたよりも良かったらしく、直前まで散々文句を言っていた彼女は黙った。
「良くお似合いですよ」店員が試着室から出てきた彼女に言う。「彼氏さんの見立てですか?」
「彼氏じゃないですよ」僕は答えた。
「あ、そうなんですか。お友達だったんですね」
お友達? この女と僕が? 僕が一瞬返事に詰まると、すかさず彼女が言った。
「いえ、恋人です」
「そうなの?」思わず尋ねる。
「そうなんです。その為にプレゼントされたんです。私達はその為に来たんですから」
選ばれた人間の彼女になると言うことは、彼女達プレゼントガールにとって目的であり存在意義でもあると言うことか。
でも、僕は思う。
「君はそれで良いのか?」
「えっ?」
不意な僕の発言に、彼女は虚を突かれた様な表情をした。
「好きでもない人間の所に行かされて、あまつされそれが自分の彼氏だと言われて、それで君は幸せなのか?」
「それは……」
彼女が言葉に詰まるのが分かった。
「あの、何の話をされてるんですか?」僕達の奇妙な会話に、店員は不思議そうな顔をした。
僕は一応フォローを入れる事にする。
「あぁ、何でもないんです。気にしないで下さい。彼女、ハーフなんです。先日まで海外で暮らしていて、日本語が上手く話せないんですよ。だから時々話が噛み合わなくて。文法が不十分なんですよね」
「マスター、言いすぎですよ」
「ほらね、僕の事も名前じゃなくてマスターなんて呼んじゃうんです」
「はぁ、なるほど……」
僕の言葉で店員は少し疑問に思いつつも、納得したように頷いた。
「ところでこれ、マスターの服装と似てないですか」
「僕が普段着ている組み合わせと似たようなのを選んだからね」
彼女は鏡を見て「だから地味なんだ……」と呟いた。黙れ。
「あの、この服このまま着て帰りたいんですが」
僕が店員に言うと相手は不思議そうな顔をした。
「お会計を済ませてからこちらで着替えていただいたら大丈夫ですが。それにしても、今日はそういうお客さんが多いですねぇ」
「でしょうね」
お会計で彼女の口座から出したお金を払った。銀行でお金をおろす時に残高を見せてもらったが、確かに彼女の口座には一千万が預金されていた。
彼女の言う事は真実だ。そう確信せざるを得ない。
「マスター、このジーンズ、お股がかゆいです」
「我慢しなさい」
馬鹿な事を言いながらも、どこか彼女の顔は浮かなかった。
マンションから出たところで彼女が空を見上げた。確かに、何かを孕んでいるかの様な灰色の雲が空を覆っている。
「確か昨日の夜も曇ってたな」
「雪、降るんでしょうか」
「さてね。降るのは雪じゃなくて、雨かもしれない」
「なんかそんな歌ありましたよね、ほら、クリスマスになると流れるやつ」
「山下達郎の『クリスマス・イブ』の事?」
「ああ、それです。多分」
「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしいね」
「きっと君は来ない」
「独りきりの、クリスマス・イブ」
僕達はうな垂れた。
「クリスマスになんて重い歌を歌わせるんだ君は」
「マスターが振ったんじゃないですか」
「振ったつもりは微塵もなかったが」
「振りですよ、あんなの。誰だって歌います」
「そうかね」
「そうですよ」
そこで彼女はふと立ち止まった。
「ところで私達、どこに向かってるんですか?」
「どこって、ユニクロだよ」
「ユニクロ?」彼女は怪訝な顔をした。「何だってクリスマスに女の子を連れてユニクロに?」
「何故って、君がまともな格好をしていないからだろう」
僕が言うと、彼女はそこで初めて、自分の服装に気付いたようだった。
「あっ」
「ミニスカサンタ服なのは目に嬉しいけど、よそ行きには向かないだろ」
「そうですね……」
「ひょっとして、他の、君と同じ境遇の女の子も皆同じ格好をしているのかい?」
「いえ、私だけです。地上に行く前に何か服を選ばなきゃダメで……そう言えば皆レギンスとかはいてました」
「なんでサンタ服なんか選んだのさ」
「いえ、その、クリスマスだからやっぱりサンタが一番かなぁとか、そんな短絡的な思考で選んでしまいまして」
彼女は恥ずかしそうに苦笑しながら頭を掻いた。
「なるほどね」
「えっ?」
「君が何で僕の所に来たのか分かった気がする」
「どうしてですか?」
「考え方と言うか、感性が似てる」
「感性、ですか」
「まぁ、僕が君の立場だとしても多分同じ様にサンタ服を選んだって、ただそれだけの話だけどね。君の事ただの変な美人か詐欺師だと思っていたけど、ちょっと変わった」
「つまり私への好感度が上がったと言う事ですね」
「いや、別に」
僕は彼女の先に立って歩いた。後ろからウォンウォンとむせび泣く声がするが気のせいだろうと思う。
クリスマスシーズンの街は妙に彩って見える。冬と言う季節は閑散としていて、景色の色が抜けて見えるのに不思議な話だ。
今年のクリスマスは金曜日になるとあってか、平日にも関わらず街に人は多い。サンタ服を着ている人間も度々見かけられた。おそらくどこかの店のアルバイトだろう。
サンタ服を着た彼女を皆奇異の目で見るかと思ったが、意外と大丈夫みたいだ。
「サンタ服を着た人が多いですね。やっぱり流行なんですか?」
「バイトだからだよ。それ以外にその服を着る意味はないからね」
「はー、こんな日に働かなきゃ駄目なんですね。せっかくのクリスマスなのに、大変だぁ」
「本当だったら僕も今日は働いてるはずだったんだ」
こんな風に女の子と街を歩くなんて考えてもいなかった。
普通に考えて、これは幸せなことなんだと思う。女の子と過ごすクリスマスが不幸なわけない。今まで孤独だった僕が、ついに幸せな人間の側へと移る事が出来たのだ。
だけど何故だろう、落ち着かなかった。
今まで僕はずっと独りで過ごしてきた。クリスマスが来るたびにカップルや、友達と遊ぶ人間を呪ったものだ。
長い間呪う側に居すぎて、いざ自分が呪われる側に行ったら落ち着かずにイライラする。負け犬根性が骨まで染み付いてしまったのだろうか。
このまま彼女とクリスマスを過ごせばひと時ではあるが幸せな時間を過ごせるだろう。僕は幸せになれる。
でも本当にそれで良いのか? 僕は幸せになりたいのか?
「どうしたんですか? マスター。変な顔して」
「別になんでもないよ。変な顔は元からだ」
「それもそうですね」
「ちょっとは否定しろよ」
こう言う馬鹿げた会話が続けばいい。会話していると考える事が鈍る。
胸の中に渦巻くモヤモヤ、この気持ちに気付いてはいけないのだ。
クリスマスのユニクロは閑古鳥が鳴いている、と思っていた。
「結構人いますねぇ」
サンタ服の彼女は目を丸くした。
ユニクロには多くのカップルが生息していた。と言うより、カップルしか居ない。
その中でも特筆すべきは、全てのカップルにおいて彼女の方が驚くほど可愛いと言う事だった。はっきり言ってしまうと失礼だが、不釣合いだ。しかも彼氏の方は皆スーパーで買えそうな服を着ていて、まるで服装に無頓着と言うのが良く分かる。
「もしやとは思うが、ここに居る女の子はみんな、クリスマスプレゼントとして配布された?」
「かもしれませんね。見たことある顔がちらほらと」
面識あるのかよ、とは突っ込まなかった。
「プレゼントガールが自分の彼氏を見て、あまりのダサさに服装を改善しようと試みたと言うわけか」
安価でそこそこの服が揃うユニクロは確かに手っ取り早い。
「プレゼントガールって分かりやすくていいですね」
感心する彼女を無視して僕は続けた。
「きっとここに居る男子どもはみんな友達が少ないだろうな」
「どうしてそう思うんです?」
「僕がそうだからだよ。自ら行動を起こせないんだ。コミュニケーション能力があまり無いと言うか、そのせいで彼女も出来ない。そういう人間に配布されたプレゼントガールはちょっと強引に人を連れまわす子が多いんじゃないかな。だから服装に無頓着そうな人間が多い」
よく見ると彼氏の方はどいつもこいつも彼女に手を引っ張られてばかりだ。
「たしかにそうかも知れませんね。でもマスターは行動を起こせない人間にもコミュニケーション能力が欠如しているようにも見えないんですが」
「そうかね。ただ僕に友達が少ないのは事実だ」
「人とあまり深く関わりを持とうとしないからでしょう。例えて言えばアルバイトを『ただ金を稼ぐ場所』と割り切って同僚と交友を深めようとしない人間に見えます」
「良く見ているじゃないか」
「分かりにくいようで居て分かりやすいですよ、マスターは。自分でごちゃごちゃ考えて複雑にしているだけです」
「……かもね」
しばらく一緒に服を見て回った。女性物の服はとんと分からないので、その辺りは彼女のファッションセンスに任せることにする。
「マスター、この下着素敵ですね」
「ベージュ色だぞ……」
「このTシャツ素敵じゃないですか」
「モヒカンの絵が描いてあるじゃないか」
「これとかどうです?」
「何で虎柄選ぶんだよ」
Tシャツの柄を気にしなかったり、色が婆臭かったり、センスがまるで大阪のおばちゃんだった。
結局色々と却下した挙句、僕が選ぶ事にした。
「あれだけ人のセンスを馬鹿にしたんだから、さぞかしお洒落な物を選んでくれるんでしょうね?」
「僕だって別にお洒落じゃないよ。一応変じゃなさそうなのを選ぶだけだ」
「じゃあ何なんです? マスターの言う『変じゃない』物って」
妙に言葉にとげがある。どうやら自分のセンスを否定されて機嫌を損ねたらしい。
「とりあえず色々と試着してみようよ。ええと、ジップパーカーにTシャツにカーディガンにスキニージーンズ、カジュアルパンツなんてのもあるんだな」
「地味ですね」籠に入れられた服を見て彼女が顔をしかめる。
「我慢しなさい」
「どうでしょうマスター。思い切ってインナーに虎柄を入れるなんて言うのは。Tシャツが虎だとさぞかし見栄えしますよ」
「君のお金だから買うのは勝手だが、僕はその隣を歩くつもりはない」
「マスターさっき私と感性が似ているとか言っていたじゃないですか」
「そういうつもりで言ったんじゃないよ」
試着室で着替えさせる。思っていたよりも良かったらしく、直前まで散々文句を言っていた彼女は黙った。
「良くお似合いですよ」店員が試着室から出てきた彼女に言う。「彼氏さんの見立てですか?」
「彼氏じゃないですよ」僕は答えた。
「あ、そうなんですか。お友達だったんですね」
お友達? この女と僕が? 僕が一瞬返事に詰まると、すかさず彼女が言った。
「いえ、恋人です」
「そうなの?」思わず尋ねる。
「そうなんです。その為にプレゼントされたんです。私達はその為に来たんですから」
選ばれた人間の彼女になると言うことは、彼女達プレゼントガールにとって目的であり存在意義でもあると言うことか。
でも、僕は思う。
「君はそれで良いのか?」
「えっ?」
不意な僕の発言に、彼女は虚を突かれた様な表情をした。
「好きでもない人間の所に行かされて、あまつされそれが自分の彼氏だと言われて、それで君は幸せなのか?」
「それは……」
彼女が言葉に詰まるのが分かった。
「あの、何の話をされてるんですか?」僕達の奇妙な会話に、店員は不思議そうな顔をした。
僕は一応フォローを入れる事にする。
「あぁ、何でもないんです。気にしないで下さい。彼女、ハーフなんです。先日まで海外で暮らしていて、日本語が上手く話せないんですよ。だから時々話が噛み合わなくて。文法が不十分なんですよね」
「マスター、言いすぎですよ」
「ほらね、僕の事も名前じゃなくてマスターなんて呼んじゃうんです」
「はぁ、なるほど……」
僕の言葉で店員は少し疑問に思いつつも、納得したように頷いた。
「ところでこれ、マスターの服装と似てないですか」
「僕が普段着ている組み合わせと似たようなのを選んだからね」
彼女は鏡を見て「だから地味なんだ……」と呟いた。黙れ。
「あの、この服このまま着て帰りたいんですが」
僕が店員に言うと相手は不思議そうな顔をした。
「お会計を済ませてからこちらで着替えていただいたら大丈夫ですが。それにしても、今日はそういうお客さんが多いですねぇ」
「でしょうね」
お会計で彼女の口座から出したお金を払った。銀行でお金をおろす時に残高を見せてもらったが、確かに彼女の口座には一千万が預金されていた。
彼女の言う事は真実だ。そう確信せざるを得ない。
「マスター、このジーンズ、お股がかゆいです」
「我慢しなさい」
馬鹿な事を言いながらも、どこか彼女の顔は浮かなかった。
ユニクロを出た時、まだ時刻はお昼を回ったばかりだった。しかしそれとは相反して、外は随分と暗い。
「もう今にも降り出しそうって感じだな」
「雨降ったら困りますねぇ」サンタ服の入ったユニクロの袋を持って彼女がポソリと言う。
「どうする? これから」
「お昼食べませんか? ここら辺でおいしい店とかで」
「そう言う店は知らない事もないが、クリスマスのお昼だぞ? 予約もなしに美味しい店に入れるわけあるまい」
「そっかぁ、そうですよね」彼女は肩を落とす。どうにかしてやりたい気もしたが、こればかりはどうにもできない。
「まぁここらへん食べ物屋さんは色々あるんだ。シラミ潰しに歩き回れば良いさ」
「そうですね」
その時、ポツリ、と空から滴が落ちてきた。
ポツリ、ポツリ、ポツリ。
「あちゃー、マスター、降ってきましたよ。雪じゃなくて雨」
「分かってるよ」
僕は周囲を軽く見回した。道の隅の方、丁度曲がり角の辺りにある小さな屋根付きのお店が目に入る。
「あそこまで走れ」
「あっ、ちょっと待ってくださいよ」
僕達はその屋根の下まで走った。どうにか被害が出る前に辿り着いて一息つく。ここなら濡れる事もなさそうだ。
まるで箍(たが)が外れたように雨は降り注ぐ。風が吹いていないから良かったものの、随分きつい雨だ。まるで夕立だ。
「きつい雨ですねぇ」
「当分動けそうにないな」
せっかくのクリスマスなのに、彼女はそうぼやくだろう。
しかし意外にも、隣から聞こえてきたのは笑い声だった。
「フッフッフ、マスター、私を侮ってもらっちゃ困りますぜ」
「侮るも何も、そもそも君の評価はそれほど高くないよ」
「これを見ても同じ事が言えますか?」
彼女はそう言ってユニクロの袋から茶色い棒状の物を取り出した。
「なにそれ、ウンコ?」
「違いますよ! 何でそういう発想になるんですか! 傘ですよ傘! 折り畳み傘」
「傘」
「はい。先ほどユニクロで傘を売っているのを発見しまして、こういう事もあろうかとお会計の時にこっそり忍ばせていたんですよね」
「いつの間に、全然気付かなかったよ」
「出来る女なんですよ、私は。何せクリスマスの使者、プレゼントガールですから」
「なるほどね。確かにこれは君の事を認めざるを得ないな。で、僕の分は?」
「えっ、一本しか買ってませんけど」
予想通りの展開に僕は舌打ちをした。彼女はイラついた僕を見て慌てたように言う。
「ほ、ほら、クリスマスだし、カップルなんだから相合傘も悪くないかなぁって」
僕は彼女を見てため息をついた。そもそもクリスマスと相合傘は関係ない。
「まぁ、傘が一本しかない以上、それしか方法はないか……」
「そうでしょう? それじゃあ開くんで、なるべく私にくっつくようにして入ってくださいね、カップルらしく」
「カップルは嫌だからセックスフレンドと言って欲しいな。それなら許容出来る」
「セック……童貞の癖におこがましいですよ」
その時隣から「くちゅん」と言う世にも可愛いくしゃみが聞こえた。
僕らは一瞬目を合わせ、同時にその音の方に目を向ける。
いつの間にいたのか、女の子が立っていた。寒そうに体を震わせている。見た感じ、小学二年生と言うところだろうか、どうやらこの雨で立ち往生してしまったらしい。全然気がつかなかった。
女の子は、右手に大きな箱の入った袋を持っていた。
僕達の視線に気付いたのか、女の子もこちらを見た。目が合う。
「君も雨宿り?」なんだか気まずくて思わず尋ねた。女の子は丸い目で頷く。
「お父さんやお母さんは?」
「おうち」
「じゃあ独りでここまで来たの?」
「うん。ケーキ買いに来たの」
彼女は僕達の背後にある窓を指差した。そこから店内が一望できる。色とりどりの洋菓子が並べられていた。
「あー、ケーキ屋さんだったんですねぇ、ここ」
「お使いで買い物に来て、帰りしなに運悪く雨が降ったってとこか」
「せっかくのクリスマスなのに、災難ですね……」
「風邪引いちゃうかもなぁ」
そこで何気なしに彼女の傘が目に入った。
「……ちょっとその傘貸して」
彼女は言われた通りに僕に傘を渡す。僕は頷くと、それを少女に手渡した。
「これ使っていいよ」
「えっ?」
少女は差し出された傘と僕の顔を交互に見た。少女の大きな目に、僕が映りこむ。
「本当?」
「うむ」僕は頷くと、彼女のユニクロの袋から帽子を取り出した。サンタ帽だ。
「実は我々はサンタなのだよ」僕は帽子をかぶった。「それは僕から君へのプレゼントさ」
「本当にいいの?」
「うむ。その代わり気をつけて帰って、楽しいクリスマスを過ごすんだ。良いね?」
僕が言うと少女はこくりと頷いた。
傘を開いて、少女は帰り際「ありがとう」と言った。僕はその背中に「メリークリスマス」と声をかける。
我ながら柄にも無い事をしてしまったと思う。
「良いんですかマスター、こんな雨の中帰らせて」
「ホールケーキなんて重い物をお使いで買いに行かせるんだ。あの子の家はここから近いと思うよ。きっと大丈夫さ」
「せっかくのクリスマスですもんね。こんな雨の下で独りは可哀想」
「うむ。……でも、多分君が居なかったらこんな事していないけどね」
「どうしてですか?」
「分かりやすく言うと、人を楽しませようとする君の姿勢に心打たれた」
「マスター……」彼女はそっと微笑む。
「よせやい」僕はなんだか照れくさくなって、鼻をすすった。
「あの傘で、向かいのコンビニのビニール傘を買ってくれば私達も移動できたのに……」
「よせやい」
過ぎた事をとやかく言うべきではない。
しばらく、僕たちは黙って雨が降る様を見つめた。なかなか弱まる気配がない。
「雨、やまないですね」
「そうだね。……ところで君、寒くはないかい?」
「少し寒いです」
「そうか、頑張れ」
「……」
責める様な視線を僕は無視した。
またしばらく雨を眺める。一粒が大きい。一体いつまで降るのだろうか。
クリスマスに降る雨。立ち往生。せっかくのデートなのに盛り下がる雰囲気。
あまり幸せとは言えないこの状況下で、どうしてだろう、どこかホッとしている自分が居る。
「僕は、クリスマスに誰かと過ごすのがあまり好きじゃないんだ」
何となく、口にしていた。
「昔からこの季節になると特に楽しい事もなくてさ、親からのクリスマスプレゼントも中学までには打ち切られていたし、新学期になって学校に行くといつも皆がクリスマスパーティーの話をしているんだ。クラスで開かれたクリスマスパーティー、もちろん、僕は呼ばれていない」
彼女は何も言わない。雨を眺めながら、僕は続けた。
「大学も知り合いは出来たけど、友達と呼べる人は出来なかった。三年間、アルバイトばっかりしてきたよ。毎年クリスマスになるとバイトに入ってた。幸せそうな人を眺める度に呪詛を唱える自分がいて、そんな自分がちょっと好きだったんだよ」
一呼吸置く。
「だからかなぁ。今年、一緒に過ごしてくれる人がいてくれて、何だか妙に不安になったし、ソワソワしていた。ずっと心が落ち着かないんだ。僕みたいな人間が幸せになって良いのかって疑問に思ってしまう」
それは先ほど打ち消した感情だった。気づいてはいけない感覚だったのだ。
「そもそも僕は幸せになんかなりたくないんじゃないのか、僕にその資格はないんじゃないのかって、そう思うんだ。僕はずっと、誰かを羨んだり、呪ったりしながら生きていくのがお似合いじゃないのかって、君が来て改めて感じた」
言うべき言葉ではなかった。僕が言った事は、今日僕の元に現れた彼女を否定するのと変わらないのだ。
気づいてはいけなかった。気づけばきっと相手を傷つける。分かっていたのに、言ってしまった。
しばらく重い沈黙があった。僕は罪悪感からか、まともに彼女の顔を見る事が出来なかった。
不意に隣から深いため息が聞こえた。呆れられたのだろうか。
「マスターは、本当に馬鹿ですね」
思わぬ返答に、思わず彼女を見た。
彼女は呆れたように笑っていた。
「言ったでしょう? マスターは物事を自分で複雑にしているんです。あなたの本質は簡単明瞭、いつだって単純なんです」
「どういう事だい」
「端的に言うとマスターは幸せになる事に慣れていないんです。だからいざ楽しい事や、嬉しい事が目の前に差し出されるとどう接して良いのか分からなくなってしまう。その戸惑いを、マスターは勘違いして理解してるんです」
そして彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「マスターはしっかり、幸せになりたがってますよ。その証拠に、さっき女の子に傘をプレゼントしたじゃないですか。人を幸せにしようとする人が不幸になりたがっているはず、ありません」
その言葉は妙に心の中に響いた。今朝見た夢の様に、波紋となり広がっていく。
絡まった糸が解けるような気がした。
「だと良いけどね」
知らない間に、自分の顔に笑顔が浮かんでいるのがわかった。
「あのー、よかったら中に入りませんか?」
不意に声がした。見るとケーキ屋の店員がドアから顔を覗かせていた。
「さっき女の子に傘あげてましたよね? それで困ってるんじゃないかと思って。外じゃあ寒いですし、うちの店半分カフェにもなってるんですよ。よかったらどうかと思いまして」
「良いんですか?」
「ええ。あっ、そのかわりと言っては何なんですが、ケーキ食べていきませんか?」
「ケーキ?」
僕が尋ねると、店員は笑って頷いた。
「だって今日はクリスマスじゃないですか」
「良い事ありましたね、マスター」
「良い事なのかな、上手く営業されたって気もするけど」
「でも、お腹ペコペコだったし、ちょうどよかったじゃないですか」
「まぁそれもそうだね」
お店の中は半分がケーキを販売するブース、もう半分がカフェになっていた。気に入ったケーキをそのまま店内で食べられると言う訳か。妙に古びた木製の造りが店の雰囲気を良くしている。
僕がぼやいていると、先ほどの店員がメニューを持ってきてくれた。
「でも本当に良いんですか? クリスマスだし忙しいんじゃ?」
見ると壁に十二月二十四日のカフェ営業は都合により休止すると書いてある。
「良いんですよ。ほら、この雨でしょう? やむまで当分お客さんも来そうにないですし」
「ほらマスター、こう言って下さってるんだし、素直にお言葉に甘えましょう」
「マスター?」店員が僕を見て不思議そうな顔をする。
「あだ名です」
「変わったあだ名なんですね」
「よく言われます。僕は不本意ですが、この女が僕をマスターとしか呼ばないのです」
「この女って言い方はないんじゃないですか? まったくもう、ツンデレなんだから」
「誰がツンデレだ」
僕らが言い合っていると店員はクスクスと笑った。
「お二人、仲が良いですね」
「そうですか?」僕は眉にしわを寄せた。
「そうですか?」彼女は顔を緩めた。
「ええ、とっても。見ててこっちまで楽しくなりますよ」
「そんなに褒めないで下さいよ」
デヘヘへと笑う彼女を僕は目で殺した。
「ふふっ、それじゃあご注文お決まりになったらお呼びください」
にっこり笑って店員は店の奥へと戻って行った。
季節の果物のクリームケーキと言う物とコーヒーを二つずつ頼んだ。
運ばれてきたケーキを見て、彼女が目を輝かせる。
「うわぁ、美味しそうですね、綺麗ですね、マスター」
フォークでケーキを一口。悪くない。
「んー、美味しいですねぇ」
「本当に君は何やっても楽しそうだな」
思わず苦笑した。
「そりゃあクリスマスですもん。楽しまなくちゃあ損じゃないですか」
「そうだね」
そうか。ふと不意に思う。
彼女たちにとっては今日が最初で最後のクリスマスなのか。
「ずっと気になってたんだけど」
「何ですか?」
「君たちはその、『神様』に創られた存在なのか?」
「どうなんでしょうね? 私にもよくわかりません。気がついたら私たちは天界にいまして、地上で生活するうえで常々必要な知識や常識、それに誰にプレゼントされるのかと言う事はすでに知っていましたから」
「地上へはどうやって来たの?」
「準備完了したら転送装置で送られました」
「何だそりゃ」
「私にも良くわかりませんよ。いやホントに」
「まるで出来損ないのSFみたいな設定だな」
「でしょうねぇ。私もそう思います」
「大変じゃないの? そんなに急に地上に送られて」
「んー、どうでしょうかね」
彼女は難しい顔をしてケーキを口に運んだ。
「少なくとも今は楽しいですけどね」
しばらくケーキを堪能した後、ふと窓の外に目をやった。いつの間にか雨はすっかり止んでおり、代わりに白い物がゆらゆらと揺らめいている。
「マスター、雨は夜更け過ぎに雪へと変わりましたよ」
「まだ夕方ですらないぞ……」
でも確かに、雪が降っていた。ホワイトクリスマスだ。
出来すぎだ。最低のご都合主義なクリスマスだ。気持悪いくらい環境が整っていて、体がむず痒くなる。
「素敵ですねぇ、マスター」窓を見上げながら、頬にクリームをつけて彼女が言う。
でもまぁ、少し思った。
「悪くはないな」
店員にお礼を言い、僕たちはお店を後にした。
雪の降る街を、僕たちは色々と見て回った。
空がすっかり暗くなった頃、ゆっくりと散歩しながら自宅へと向かう。
それに伴い、言葉数が徐々に少なくなる。
もう、別れの時が近いのだとお互いに感じていた。
「マスター、明日はどうされるんですか」
「どうもこうも、明日はバイトだよ」
「そうですかぁ。頑張ってくださいね」
「気軽に言ってくれる」
「だって私、明日は居ませんから」
今日一日、暗に避けていた事を彼女が言う。その言葉は予感を確信にした。
「マスター、今日一日、考えてました。私達プレゼントガールの事」
「うん」
「好きでもない人を彼氏だと言われて、果たしてそれで本当に良いのか、マスターは尋ねましたよね」
「うん」
「でも私は、少なくとも私は、今日一日楽しかったです。マスターの所に来て良かったと思っています」
「うん」
「もし、私達の感性が似ているとして、相性の良い人間がカップルとして組み合わされるとして、神様から言えば、もうプレゼントガールが幸せになる事は決まっているんだと思います。きっと、いや、絶対そうです」
「ただ適当に女の子を派遣させたわけじゃないって事か」
「その通りです。童貞の男子諸君へのプレゼントになる一方で、私達へのプレゼントでもあるんです、これは」
「そうだといいね」
「私はそう信じます」
「そうか、ならそう言うことにしておこう」
今日一日、色々あった。
十二月二十四日、この日不幸だった人は確かに居ると思う。
もしかしたら世界のどこかで誰かが殺されているかもしれない。
恋人が待ち合わせ場所に来なくて、明石家サンタに電話しているかもしれない。
就職活動で故郷を離れ、東京に行かなければならない人も居るかもしれない。
一日仕事で、酷い目にあった人もいるかもしれない。
それでも、クリスマスは平等にやってくる。きれい事でしかないが、今はこう言える。
この日は、良くも悪くも特別なのだ。
やがて僕のマンションの前へとやってきた。そこで、隣を歩いていた彼女が僕と対峙する。
「それじゃあ私はここで失礼します」
「もうお別れか」
「寂しがらないで下さいね」
「寂しがるもんか。……結局、クリスマスに童貞卒業は叶わなかったな」
「二十年も童貞してるんですから、そう甘くはないですよ、世の中」
「本当、口だけは達者だな」
僕は右手を差し出した。
「握手、してくれないか」
「普通こういう時はキスシーンでしめるのが常套でしょう」
「それが出来たら童貞じゃないさ」
彼女は呆れた様に笑うと、「はい」と僕の手を握ってきた。
僕は彼女の手を握り返し、引き寄せて軽くハグした。彼女の体が緊張で強張るのが分かった。
「マスター?」
「童貞でもこれくらいは出来るさ」
そこで一瞬間が空く。
「今日一日、ありがとう」
ありがとう。君はどんな事でも楽しもうとしていた。その姿勢が、どれだけ今日を楽しく染め上げてくれたか、君は知っているだろうか。
「私も、ありがとうございます」
「お別れだ」
「はい」
いつか会えるだろうか、なんて愚問はしない事にする。
会うよ、絶対。そう思う。
手を振る彼女を見送り、僕は空を見上げた。
雨は雪に変わったらしい。
「もう今にも降り出しそうって感じだな」
「雨降ったら困りますねぇ」サンタ服の入ったユニクロの袋を持って彼女がポソリと言う。
「どうする? これから」
「お昼食べませんか? ここら辺でおいしい店とかで」
「そう言う店は知らない事もないが、クリスマスのお昼だぞ? 予約もなしに美味しい店に入れるわけあるまい」
「そっかぁ、そうですよね」彼女は肩を落とす。どうにかしてやりたい気もしたが、こればかりはどうにもできない。
「まぁここらへん食べ物屋さんは色々あるんだ。シラミ潰しに歩き回れば良いさ」
「そうですね」
その時、ポツリ、と空から滴が落ちてきた。
ポツリ、ポツリ、ポツリ。
「あちゃー、マスター、降ってきましたよ。雪じゃなくて雨」
「分かってるよ」
僕は周囲を軽く見回した。道の隅の方、丁度曲がり角の辺りにある小さな屋根付きのお店が目に入る。
「あそこまで走れ」
「あっ、ちょっと待ってくださいよ」
僕達はその屋根の下まで走った。どうにか被害が出る前に辿り着いて一息つく。ここなら濡れる事もなさそうだ。
まるで箍(たが)が外れたように雨は降り注ぐ。風が吹いていないから良かったものの、随分きつい雨だ。まるで夕立だ。
「きつい雨ですねぇ」
「当分動けそうにないな」
せっかくのクリスマスなのに、彼女はそうぼやくだろう。
しかし意外にも、隣から聞こえてきたのは笑い声だった。
「フッフッフ、マスター、私を侮ってもらっちゃ困りますぜ」
「侮るも何も、そもそも君の評価はそれほど高くないよ」
「これを見ても同じ事が言えますか?」
彼女はそう言ってユニクロの袋から茶色い棒状の物を取り出した。
「なにそれ、ウンコ?」
「違いますよ! 何でそういう発想になるんですか! 傘ですよ傘! 折り畳み傘」
「傘」
「はい。先ほどユニクロで傘を売っているのを発見しまして、こういう事もあろうかとお会計の時にこっそり忍ばせていたんですよね」
「いつの間に、全然気付かなかったよ」
「出来る女なんですよ、私は。何せクリスマスの使者、プレゼントガールですから」
「なるほどね。確かにこれは君の事を認めざるを得ないな。で、僕の分は?」
「えっ、一本しか買ってませんけど」
予想通りの展開に僕は舌打ちをした。彼女はイラついた僕を見て慌てたように言う。
「ほ、ほら、クリスマスだし、カップルなんだから相合傘も悪くないかなぁって」
僕は彼女を見てため息をついた。そもそもクリスマスと相合傘は関係ない。
「まぁ、傘が一本しかない以上、それしか方法はないか……」
「そうでしょう? それじゃあ開くんで、なるべく私にくっつくようにして入ってくださいね、カップルらしく」
「カップルは嫌だからセックスフレンドと言って欲しいな。それなら許容出来る」
「セック……童貞の癖におこがましいですよ」
その時隣から「くちゅん」と言う世にも可愛いくしゃみが聞こえた。
僕らは一瞬目を合わせ、同時にその音の方に目を向ける。
いつの間にいたのか、女の子が立っていた。寒そうに体を震わせている。見た感じ、小学二年生と言うところだろうか、どうやらこの雨で立ち往生してしまったらしい。全然気がつかなかった。
女の子は、右手に大きな箱の入った袋を持っていた。
僕達の視線に気付いたのか、女の子もこちらを見た。目が合う。
「君も雨宿り?」なんだか気まずくて思わず尋ねた。女の子は丸い目で頷く。
「お父さんやお母さんは?」
「おうち」
「じゃあ独りでここまで来たの?」
「うん。ケーキ買いに来たの」
彼女は僕達の背後にある窓を指差した。そこから店内が一望できる。色とりどりの洋菓子が並べられていた。
「あー、ケーキ屋さんだったんですねぇ、ここ」
「お使いで買い物に来て、帰りしなに運悪く雨が降ったってとこか」
「せっかくのクリスマスなのに、災難ですね……」
「風邪引いちゃうかもなぁ」
そこで何気なしに彼女の傘が目に入った。
「……ちょっとその傘貸して」
彼女は言われた通りに僕に傘を渡す。僕は頷くと、それを少女に手渡した。
「これ使っていいよ」
「えっ?」
少女は差し出された傘と僕の顔を交互に見た。少女の大きな目に、僕が映りこむ。
「本当?」
「うむ」僕は頷くと、彼女のユニクロの袋から帽子を取り出した。サンタ帽だ。
「実は我々はサンタなのだよ」僕は帽子をかぶった。「それは僕から君へのプレゼントさ」
「本当にいいの?」
「うむ。その代わり気をつけて帰って、楽しいクリスマスを過ごすんだ。良いね?」
僕が言うと少女はこくりと頷いた。
傘を開いて、少女は帰り際「ありがとう」と言った。僕はその背中に「メリークリスマス」と声をかける。
我ながら柄にも無い事をしてしまったと思う。
「良いんですかマスター、こんな雨の中帰らせて」
「ホールケーキなんて重い物をお使いで買いに行かせるんだ。あの子の家はここから近いと思うよ。きっと大丈夫さ」
「せっかくのクリスマスですもんね。こんな雨の下で独りは可哀想」
「うむ。……でも、多分君が居なかったらこんな事していないけどね」
「どうしてですか?」
「分かりやすく言うと、人を楽しませようとする君の姿勢に心打たれた」
「マスター……」彼女はそっと微笑む。
「よせやい」僕はなんだか照れくさくなって、鼻をすすった。
「あの傘で、向かいのコンビニのビニール傘を買ってくれば私達も移動できたのに……」
「よせやい」
過ぎた事をとやかく言うべきではない。
しばらく、僕たちは黙って雨が降る様を見つめた。なかなか弱まる気配がない。
「雨、やまないですね」
「そうだね。……ところで君、寒くはないかい?」
「少し寒いです」
「そうか、頑張れ」
「……」
責める様な視線を僕は無視した。
またしばらく雨を眺める。一粒が大きい。一体いつまで降るのだろうか。
クリスマスに降る雨。立ち往生。せっかくのデートなのに盛り下がる雰囲気。
あまり幸せとは言えないこの状況下で、どうしてだろう、どこかホッとしている自分が居る。
「僕は、クリスマスに誰かと過ごすのがあまり好きじゃないんだ」
何となく、口にしていた。
「昔からこの季節になると特に楽しい事もなくてさ、親からのクリスマスプレゼントも中学までには打ち切られていたし、新学期になって学校に行くといつも皆がクリスマスパーティーの話をしているんだ。クラスで開かれたクリスマスパーティー、もちろん、僕は呼ばれていない」
彼女は何も言わない。雨を眺めながら、僕は続けた。
「大学も知り合いは出来たけど、友達と呼べる人は出来なかった。三年間、アルバイトばっかりしてきたよ。毎年クリスマスになるとバイトに入ってた。幸せそうな人を眺める度に呪詛を唱える自分がいて、そんな自分がちょっと好きだったんだよ」
一呼吸置く。
「だからかなぁ。今年、一緒に過ごしてくれる人がいてくれて、何だか妙に不安になったし、ソワソワしていた。ずっと心が落ち着かないんだ。僕みたいな人間が幸せになって良いのかって疑問に思ってしまう」
それは先ほど打ち消した感情だった。気づいてはいけない感覚だったのだ。
「そもそも僕は幸せになんかなりたくないんじゃないのか、僕にその資格はないんじゃないのかって、そう思うんだ。僕はずっと、誰かを羨んだり、呪ったりしながら生きていくのがお似合いじゃないのかって、君が来て改めて感じた」
言うべき言葉ではなかった。僕が言った事は、今日僕の元に現れた彼女を否定するのと変わらないのだ。
気づいてはいけなかった。気づけばきっと相手を傷つける。分かっていたのに、言ってしまった。
しばらく重い沈黙があった。僕は罪悪感からか、まともに彼女の顔を見る事が出来なかった。
不意に隣から深いため息が聞こえた。呆れられたのだろうか。
「マスターは、本当に馬鹿ですね」
思わぬ返答に、思わず彼女を見た。
彼女は呆れたように笑っていた。
「言ったでしょう? マスターは物事を自分で複雑にしているんです。あなたの本質は簡単明瞭、いつだって単純なんです」
「どういう事だい」
「端的に言うとマスターは幸せになる事に慣れていないんです。だからいざ楽しい事や、嬉しい事が目の前に差し出されるとどう接して良いのか分からなくなってしまう。その戸惑いを、マスターは勘違いして理解してるんです」
そして彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「マスターはしっかり、幸せになりたがってますよ。その証拠に、さっき女の子に傘をプレゼントしたじゃないですか。人を幸せにしようとする人が不幸になりたがっているはず、ありません」
その言葉は妙に心の中に響いた。今朝見た夢の様に、波紋となり広がっていく。
絡まった糸が解けるような気がした。
「だと良いけどね」
知らない間に、自分の顔に笑顔が浮かんでいるのがわかった。
「あのー、よかったら中に入りませんか?」
不意に声がした。見るとケーキ屋の店員がドアから顔を覗かせていた。
「さっき女の子に傘あげてましたよね? それで困ってるんじゃないかと思って。外じゃあ寒いですし、うちの店半分カフェにもなってるんですよ。よかったらどうかと思いまして」
「良いんですか?」
「ええ。あっ、そのかわりと言っては何なんですが、ケーキ食べていきませんか?」
「ケーキ?」
僕が尋ねると、店員は笑って頷いた。
「だって今日はクリスマスじゃないですか」
「良い事ありましたね、マスター」
「良い事なのかな、上手く営業されたって気もするけど」
「でも、お腹ペコペコだったし、ちょうどよかったじゃないですか」
「まぁそれもそうだね」
お店の中は半分がケーキを販売するブース、もう半分がカフェになっていた。気に入ったケーキをそのまま店内で食べられると言う訳か。妙に古びた木製の造りが店の雰囲気を良くしている。
僕がぼやいていると、先ほどの店員がメニューを持ってきてくれた。
「でも本当に良いんですか? クリスマスだし忙しいんじゃ?」
見ると壁に十二月二十四日のカフェ営業は都合により休止すると書いてある。
「良いんですよ。ほら、この雨でしょう? やむまで当分お客さんも来そうにないですし」
「ほらマスター、こう言って下さってるんだし、素直にお言葉に甘えましょう」
「マスター?」店員が僕を見て不思議そうな顔をする。
「あだ名です」
「変わったあだ名なんですね」
「よく言われます。僕は不本意ですが、この女が僕をマスターとしか呼ばないのです」
「この女って言い方はないんじゃないですか? まったくもう、ツンデレなんだから」
「誰がツンデレだ」
僕らが言い合っていると店員はクスクスと笑った。
「お二人、仲が良いですね」
「そうですか?」僕は眉にしわを寄せた。
「そうですか?」彼女は顔を緩めた。
「ええ、とっても。見ててこっちまで楽しくなりますよ」
「そんなに褒めないで下さいよ」
デヘヘへと笑う彼女を僕は目で殺した。
「ふふっ、それじゃあご注文お決まりになったらお呼びください」
にっこり笑って店員は店の奥へと戻って行った。
季節の果物のクリームケーキと言う物とコーヒーを二つずつ頼んだ。
運ばれてきたケーキを見て、彼女が目を輝かせる。
「うわぁ、美味しそうですね、綺麗ですね、マスター」
フォークでケーキを一口。悪くない。
「んー、美味しいですねぇ」
「本当に君は何やっても楽しそうだな」
思わず苦笑した。
「そりゃあクリスマスですもん。楽しまなくちゃあ損じゃないですか」
「そうだね」
そうか。ふと不意に思う。
彼女たちにとっては今日が最初で最後のクリスマスなのか。
「ずっと気になってたんだけど」
「何ですか?」
「君たちはその、『神様』に創られた存在なのか?」
「どうなんでしょうね? 私にもよくわかりません。気がついたら私たちは天界にいまして、地上で生活するうえで常々必要な知識や常識、それに誰にプレゼントされるのかと言う事はすでに知っていましたから」
「地上へはどうやって来たの?」
「準備完了したら転送装置で送られました」
「何だそりゃ」
「私にも良くわかりませんよ。いやホントに」
「まるで出来損ないのSFみたいな設定だな」
「でしょうねぇ。私もそう思います」
「大変じゃないの? そんなに急に地上に送られて」
「んー、どうでしょうかね」
彼女は難しい顔をしてケーキを口に運んだ。
「少なくとも今は楽しいですけどね」
しばらくケーキを堪能した後、ふと窓の外に目をやった。いつの間にか雨はすっかり止んでおり、代わりに白い物がゆらゆらと揺らめいている。
「マスター、雨は夜更け過ぎに雪へと変わりましたよ」
「まだ夕方ですらないぞ……」
でも確かに、雪が降っていた。ホワイトクリスマスだ。
出来すぎだ。最低のご都合主義なクリスマスだ。気持悪いくらい環境が整っていて、体がむず痒くなる。
「素敵ですねぇ、マスター」窓を見上げながら、頬にクリームをつけて彼女が言う。
でもまぁ、少し思った。
「悪くはないな」
店員にお礼を言い、僕たちはお店を後にした。
雪の降る街を、僕たちは色々と見て回った。
空がすっかり暗くなった頃、ゆっくりと散歩しながら自宅へと向かう。
それに伴い、言葉数が徐々に少なくなる。
もう、別れの時が近いのだとお互いに感じていた。
「マスター、明日はどうされるんですか」
「どうもこうも、明日はバイトだよ」
「そうですかぁ。頑張ってくださいね」
「気軽に言ってくれる」
「だって私、明日は居ませんから」
今日一日、暗に避けていた事を彼女が言う。その言葉は予感を確信にした。
「マスター、今日一日、考えてました。私達プレゼントガールの事」
「うん」
「好きでもない人を彼氏だと言われて、果たしてそれで本当に良いのか、マスターは尋ねましたよね」
「うん」
「でも私は、少なくとも私は、今日一日楽しかったです。マスターの所に来て良かったと思っています」
「うん」
「もし、私達の感性が似ているとして、相性の良い人間がカップルとして組み合わされるとして、神様から言えば、もうプレゼントガールが幸せになる事は決まっているんだと思います。きっと、いや、絶対そうです」
「ただ適当に女の子を派遣させたわけじゃないって事か」
「その通りです。童貞の男子諸君へのプレゼントになる一方で、私達へのプレゼントでもあるんです、これは」
「そうだといいね」
「私はそう信じます」
「そうか、ならそう言うことにしておこう」
今日一日、色々あった。
十二月二十四日、この日不幸だった人は確かに居ると思う。
もしかしたら世界のどこかで誰かが殺されているかもしれない。
恋人が待ち合わせ場所に来なくて、明石家サンタに電話しているかもしれない。
就職活動で故郷を離れ、東京に行かなければならない人も居るかもしれない。
一日仕事で、酷い目にあった人もいるかもしれない。
それでも、クリスマスは平等にやってくる。きれい事でしかないが、今はこう言える。
この日は、良くも悪くも特別なのだ。
やがて僕のマンションの前へとやってきた。そこで、隣を歩いていた彼女が僕と対峙する。
「それじゃあ私はここで失礼します」
「もうお別れか」
「寂しがらないで下さいね」
「寂しがるもんか。……結局、クリスマスに童貞卒業は叶わなかったな」
「二十年も童貞してるんですから、そう甘くはないですよ、世の中」
「本当、口だけは達者だな」
僕は右手を差し出した。
「握手、してくれないか」
「普通こういう時はキスシーンでしめるのが常套でしょう」
「それが出来たら童貞じゃないさ」
彼女は呆れた様に笑うと、「はい」と僕の手を握ってきた。
僕は彼女の手を握り返し、引き寄せて軽くハグした。彼女の体が緊張で強張るのが分かった。
「マスター?」
「童貞でもこれくらいは出来るさ」
そこで一瞬間が空く。
「今日一日、ありがとう」
ありがとう。君はどんな事でも楽しもうとしていた。その姿勢が、どれだけ今日を楽しく染め上げてくれたか、君は知っているだろうか。
「私も、ありがとうございます」
「お別れだ」
「はい」
いつか会えるだろうか、なんて愚問はしない事にする。
会うよ、絶対。そう思う。
手を振る彼女を見送り、僕は空を見上げた。
雨は雪に変わったらしい。
二十五日は一日アルバイトをして過ごした。例年通りなら荒んで過ごしたろうが、今年はそうでもない。
きっと、彼女のおかげだと、そう思うことにする。
プレゼントガールとは結局なんだったのか。
神様の贈り物、気まぐれ、聖なる夜の奇跡。だがやっぱり、サンタの贈り物だと考えるのが一番良いだろう。
彼女達は、それぞれ一人一人がクリスマスプレゼントであり、そっと僕達の心に大切な物を残してくれるのだ。
「ただいま」
いつもと同じ時刻にアルバイトから帰宅した。
「お帰り」相も変わらず母は寝間着姿でテレビを見ている。
「何見てるの?」
ふと画面を覗き込む。ニュースの様だ。
「色んなアパートの空きが急激に埋まったんですって。ちょっと遅い不動産業界へのクリスマスプレゼントかしらね」
「ふぅん」
割とどうでもいいニュースだ。僕は曖昧に頷く。
その時、インターホンが鳴った。
「お客さん? こんな時間に」母が眉をひそめた。
確かに、もう夜の十二時だ。この時間帯に人が来るとは考えがたい。
「僕が出るよ」
恐る恐る玄関の鍵を開け、扉を開いた。
「どちらさ……」言いかけて黙った。それもそのはずだ。
彼女がいた。
「いやぁ、マスター、お久しぶりです。大体二十四時間ぶりです」
「なんでいるんだ」突然の事に、当惑した。
「何でって、会いに来たんですよ。バイトで疲れてると思って、彼女であるこの私が」
「そうじゃなくて」僕は一区切りして言った。「帰ったんじゃないのか、天界に、自分が生まれた世界に」
すると彼女は怪訝な顔をした。
「なんでそうなるんですか」
「プレゼントガールなんだろう? クリスマスが終わったら消えるんじゃないのか?」
「嫌だなぁ、そんな事私一言も言ってませんよ? それに一体どこの世界に人に渡したプレゼントを回収しちゃう人間がいるんですか。プレゼントはプレゼント、未来永劫その人の物です」
「じゃあ今日一日何やってたんだよ」
「何って、住む場所を探してたんですよ。アパート借りてきました。これから生活するんだから、色々大変なんですよ」
先ほどのニュースを思い出す。すべてのプレゼントガールが住む家を探し出したとしたら、アパートも空きが大量に埋まるだろう。
そうか、不意に僕は悟った。
だから軍資金一千万か。
「そういうわけでこれが私の住所です。いつでも遊びに来てくださいね」
住所と地図が書かれた紙を渡される。
そして彼女はにっこり笑った。
「これからよろしくお願いしますね、マス」
僕はドアを閉め、鍵をかけた。
──了
きっと、彼女のおかげだと、そう思うことにする。
プレゼントガールとは結局なんだったのか。
神様の贈り物、気まぐれ、聖なる夜の奇跡。だがやっぱり、サンタの贈り物だと考えるのが一番良いだろう。
彼女達は、それぞれ一人一人がクリスマスプレゼントであり、そっと僕達の心に大切な物を残してくれるのだ。
「ただいま」
いつもと同じ時刻にアルバイトから帰宅した。
「お帰り」相も変わらず母は寝間着姿でテレビを見ている。
「何見てるの?」
ふと画面を覗き込む。ニュースの様だ。
「色んなアパートの空きが急激に埋まったんですって。ちょっと遅い不動産業界へのクリスマスプレゼントかしらね」
「ふぅん」
割とどうでもいいニュースだ。僕は曖昧に頷く。
その時、インターホンが鳴った。
「お客さん? こんな時間に」母が眉をひそめた。
確かに、もう夜の十二時だ。この時間帯に人が来るとは考えがたい。
「僕が出るよ」
恐る恐る玄関の鍵を開け、扉を開いた。
「どちらさ……」言いかけて黙った。それもそのはずだ。
彼女がいた。
「いやぁ、マスター、お久しぶりです。大体二十四時間ぶりです」
「なんでいるんだ」突然の事に、当惑した。
「何でって、会いに来たんですよ。バイトで疲れてると思って、彼女であるこの私が」
「そうじゃなくて」僕は一区切りして言った。「帰ったんじゃないのか、天界に、自分が生まれた世界に」
すると彼女は怪訝な顔をした。
「なんでそうなるんですか」
「プレゼントガールなんだろう? クリスマスが終わったら消えるんじゃないのか?」
「嫌だなぁ、そんな事私一言も言ってませんよ? それに一体どこの世界に人に渡したプレゼントを回収しちゃう人間がいるんですか。プレゼントはプレゼント、未来永劫その人の物です」
「じゃあ今日一日何やってたんだよ」
「何って、住む場所を探してたんですよ。アパート借りてきました。これから生活するんだから、色々大変なんですよ」
先ほどのニュースを思い出す。すべてのプレゼントガールが住む家を探し出したとしたら、アパートも空きが大量に埋まるだろう。
そうか、不意に僕は悟った。
だから軍資金一千万か。
「そういうわけでこれが私の住所です。いつでも遊びに来てくださいね」
住所と地図が書かれた紙を渡される。
そして彼女はにっこり笑った。
「これからよろしくお願いしますね、マス」
僕はドアを閉め、鍵をかけた。
──了