スーパー文芸大戦NEET
Novel 1 さらば友よ
――――空だ。
真っ白い空。なにもないキャンバス。
おれたちは、そこに自分の心を刺繍する――――。
只野空気大佐は焦っていた。高度3600キロバイトの超高空で、たったひとり『サカサマサカサ』のコックピットの中でキーボードの前に両手をかざしながら、それでも眼前の光景が信じられなかった。
――なんだあれは。
それは、まさに暴力と呼ぶのが相応しい。
たった一騎の機体に、なすすべもなく味方の文芸戦士たちがやられていく。
あっさりと。
紙を引きちぎるように。
バラバラになった紙片と、赤黒くなったパイロットたちが、ゼロに向かって落ちていく。
それを助けることは空気にはできない。彼らはもう、二度と小説を書くことはない……。
ぎりっ。
砕けるほどに歯を食いしばって、空気は、この戦争を――かつてない規模の大戦を――引き起こした機体を睨みつけた。
キャノピの向こうで、嘲笑うように飛んでいる機体。そのなかでタイピングしている姿は、まだ年端もいかない少年に見えたが、逆光が射して確かなことはわからない。
その真っ白い天使のような機体の周りを、いくつもの球体が衛星のように飛んでいた。その衛星は時として刃、時として盾。
決して主まで空気たちの攻撃を届けさせない。
その真っ白い機体を、空気は、悪夢のように呟いた。
「シファデウスの、羽ェ……!!」
シファデウスの羽。
それが、この大戦の引鉄となった機体の名前だった。
それがやってきた日は、穏やかな朝だったと後の歴史には記述されている。
単騎突撃を敢行してきた『シファデウスの羽』は――厳密には一騎ではなかったのだが――あっという間にニートノベル空域の10%を制圧した。かかった時間は三日にも満たない。
カツラ総司令、ニコ副指令不在のまま、戦争はすぐに始まった。
最高指揮権は、現場の指揮官クラスの総意によって、只野空気大佐が選ばれることになった。
悪夢だ、と空気は思う。
まだ、あの日から一週間だって経ってないのに。
俺はもう、この日常になれ始めている――。
『――――佐、空気大佐、よけっ……』
え、と思ったときには、なにもなかったはずのキャンバスに、天使の機体が浮かび上がっていた。
パイロットと目が合う。
「あ、」
やられた、と思った。
あと少しで、サカサマサカサを完結させられたのに。その全エネルギーを、あいつにぶつけてやれたのに。
畜生、俺の二年間は、こんなところで……。
ドンッ、と横殴りの衝撃。
空気と『サカサマサカサ』はきりもみして投げ出された。
「ぐあッ」
ヘルメットをコックピットの壁にしたたかに打ちつけ、どろりとこめかみを冷たい何かが滴った。
頭痛と吐き気をこらえてキャノピを見た。
見た。
人型に変形したシファデウスのレターブレード、それに貫かれる、一機の機体を。
その機体には、拙い字で、お手製の、字で。
スイーツトレジャー、と。
「ムラムラ、オ……」
さっきのスカイプは、おまえだったのか。
ザザッ、と激しいノイズ交じりの声が、コックピットに流れ込んできた。その本人の思いさえも、届けようというかのように。
『ザッ……逃げ……ザザッ……』
「ムラムラオ、しっかりしろ、ムラムラオッ!!!」
『あ』
それは、とても、純粋な驚きの声で。
きっと苦しまなかったと思う。
空気の目の前で『スイーツトレジャー』は炸裂した。バラバラになった文字列が、もうなんの意味もなさなくなってしまった文字列が、空へと還っていく。
その向こうに、空気は、あどけないムラムラオ少尉の笑顔を見た気がした。
「ムラムラオ―――――――――――――――ッ!!!!!!!」
ガン、とキーボードを殴りつける。書きかけの原稿に意味のない文字がぶわっと連なったが構わない。
なんで、あいつが、死ななきゃならないんだ……。
あいつは、ただ、小説が書きたかっただけなのに。
平和な文芸の町で、芝生に寝転んで、嬉しそうにプロットを語っていたあいつは、こんな結末を迎えていいやつじゃなかったのに。
それを、ぶち壊していたやつが、笑っていた。
『ハハハハ……ずいぶん古びた機体だったな。おかげで俺の小説に錆びがついちまったぜ』
それが、空気のすべてのスイッチをオンにした。
パイロットスーツの腕をまくりあげ、一心不乱にキーを叩く。それはマシンガンよりも、きっと速かった。
もうすぐだ。もうすぐ書き終わる。
俺の二年間が。俺のサカサマサカサが、終わる。
そのすべてを。
おまえにぶつけてやるぞ、シファデウス――――――!!!!!
最後のキーを打ち終わると、コックピットのなかがにわかに明るくなった。
作品が完結するとき、その小説はすべてのスペックを引き出すことができる。
空気はフットペダルを蹴って手に握ったハンドルバーを思い切り引いた。キャノピの向こうに、銃を構えた腕が見える。
『ほう、おまえ、この土壇場で完結させたのか。ふん、文芸の空気といえば俺たちの間じゃ笑いものだったが、なかなかどうして』
「死ね……」
バーの先端を、ジッポライターの蓋のように開けて、空気はボタンを押した。
が。
銃口から放たれた黒い弾丸は、バシュン、と情けない音を立てて。
シファデウスの機体には、傷一つつかなかった。
「なっ……」
『やれやれ……いくら完結させたとはいえ、俺と貴様では、天と地ほどの差があるのだ!』
空気の背中に、冷や汗が流れた。ムラムラオへの気持ちも、いまはどこかへ吹っ飛んでいた。
目の前の悪魔が、嗤う。
『見えたか? 気づいたか? これが……若さだ』
瞬間、キャノピが割れて、
白い光が――――
「――――ん」
空気はパチっと目を覚ました。
ここは……コックピット? しかし、サカサマサカサは……。
「ああ」
前のシートに座っていた男が、にこやかに振り返った。
「お目覚めですか、先輩」
その男を空気は知っていた。
「黒兎……か。俺は、いったい……」
「シファデウスにやられたんですよ。ですが、さすがに先輩はタフですね。爆発に巻き込まれても生きていたんで、俺がなんとかヤツを掻い潜って落ちていく先輩をマニピュレータで回収したんです」
コンコン、と黒兎はコンソールを叩いて。
「この『不可拘束少女アルスマグナ』でね」
「そう、か」
空気は途端にひどい疲労を感じて、シートに深々と身を横たえた。
そのシートは、ほとんどの文芸戦士が空席のままにしている『絵師』のシートだ。
「ほかのやつら、は」
黒兎はにこやかに首を振った。
「残念ながら、あの空域での生存者は先輩だけです。ま、弱いやつから死んでいく。それがこの世界ですからね」
「じゃ、俺も、死ぬべきだったかな」
「ははは、冗談はよしてください。ですが、ま、機体もなくなりましたし、先輩はご隠居ですかね。これからは僕が文芸を指揮しますよ。僕は速筆作家……大部隊を個人所有していますからね」
空気は何も答えずに、瞼を閉じて深々とため息をついた。
そして、眠りに落ちる前に、次の話の構想と、ムラムラオのことを少しだけ考えた。
カタタタ
カタ
文芸暦五年 十二月十五日
文芸・ニートノベル連合軍 遊撃部隊隊長 ムラムラオ少尉
ニートノベル空域にて断筆
同日、文芸新都にて『サカサマサカサ』完結
只野空気大佐、長期休養の必要のアリと軍医は診断
以降の戦闘指揮権を黒兎玖乃大尉が希求申請するも、議会はこれを棄却
只野空気大佐の戦線投下続行を決議
シファデウスの羽
現在、ニートノベル空域の15%を掌握
その攻勢は、いまのところ止むことを知らない
なお、当時の資料は散逸しており、文芸戦士の当時の手記・日記および新都軍アーカイブからの情報を参考にしてこの報告は作られているが、その真実、また『シファデウスの羽』の正体にいたっては、現在もなお、不明のままである。