Neetel Inside 文芸新都
表紙

タナトスの子供たち
アイスコーヒー

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   助手・長谷川聖蓮は心配性な性格である。
 「シュガーもミィゥ(ミルク)もないからブラックでオーケィ?」
関が、客人にこうたずねた時、客人が「ブラック」と自分の肌色とを関連させ、憤慨してしまうんではないかと危惧するほどの心配性の持ち主である。
なので、続けざまに関が
「ニガいけどオーケィ?」
などと口走ったときには(もちろん関には何の意図するところもない)、自ら作り上げた気まずさに負けて、研究室から逃げ出す始末である。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってきます。」
「いってら。」
尿意など微塵も感じていないのに、長谷川は外出の口実をでっち上げるために、本当にトイレへ向かった。
「はぁ~、無神経過ぎるよ関の野郎。今頃殴り殺されてんじゃないのかな。あぁ、腕無いんだっけ。じゃぁ蹴りか頭突きでもお見舞いされてんだよきっと。ふへへ。」
聖蓮という彼の名は、哲学者セーレン・キルケゴールにちなんで同じく哲学者の父がつけたものだ。
実存主義の開祖であるキルケゴールのように、主体的に生きてほしいという願いが込められている。
しかし、彼がキルケゴールと共鳴しているところは、人を傷つけてしまうのではないだろうかという恐怖に常に駆られるほどの感受性の高さだけだった。
「何が超心理学だよ。ただのオカルトじゃないかこんなの。もういやだ、辞めてやるよこんな研究。」
当然、神と真摯に向き合ったキルケゴールのような敬虔さは、少し持ち合わせていなかった。

     

 スミスは、クロッチコートを脱ぎ、ソファーに座った。
関は氷の入ったグラスにアイスコーヒーを注ぎテーブルに置くと、スミスに飲むよう促し、そのまま窓の外を眺め始めた。
見知らぬ外国人と相対するという非日常にいささか緊張していた。
外には女子学生が一人ベンチに座っていた。
関は彼女を眺めることで緊張を解していた。
しばらくすると、その女子大生が、ポシェットからタバコを取り出しプカプカとふかし始めた。
そこで関は
「あっ!」
と声を出して、スミスの方を振り返った。
「もうコーヒー飲んじゃいました・・・よね。」
駅から大学まで歩いてきたのだとすれば、約2キロの距離を炎天下の下を歩いてきたことになる。
加えて、熱吸収率の高い黒のクロッチコートを着ているのだから、よほど喉が渇いていたのだろう。
関がテーブルに目をやると、 グラスのアイスコーヒーはすでに飲み干されていた。
臨床検査の前のカフェインを含む飲料の摂取は厳禁になっており、そのことはかつて研究生だった関も自分の師から何度も忠告を受けていた。
カフェインが脳に作用し、脳波がESP或はサイコキネシスを発揮するのに最適な状態になりづらくなるからだ。
これでは適正な検査ができない。
タバコを吸う女子大生を見てそのことを思い出したのは、喫煙も同じ理由で禁止事項だからである。
「久々の検査だったからすっかり忘れてた。」
落ち込んだ関は床に座り込んだ。
このまま感傷に浸りたい気分だったが、陳謝がまず先だと考えた関は
「ミスタースミス、えー、あー、アイ ミス、ソォリィ・・・トゥデイ・・・ ゴー ホーム プリーズ・・・」
と、今日は検査が出来なくなったことを、余りにも拙過ぎる英語で伝えた。
「中止ですか、なぜです?」
「えっ、あなた日本語話せるんですか?」
スミスは自分が、英語・ロシア語・日本語を話せるマルチリンガルであることを打ち明けた。
「早く教えといてくださいよ。気取ってミィゥとか言っちゃったじゃないですか。」
「なかなか良い発音だと思いますよ。ところでなぜ中止に?」
関は脳波とESPの関係を一通り説明し、改めて詫びた。
「頂いたものは残さない主義でしてね。申し訳ない。」
スミスが言った。
グラスから氷まで消えているところを見て関は、貰ったものは残さないという主義はどうやら貫徹されているようだと思った。
「いやいやそんな、完全にこちらの不手際ですから。」

     

 しばらくして長谷川がトイレから帰ってくると、スミスの座った後のソファーが深く凹んでいることに気づいた。
「もうお帰りになられたんですか、スミスさん。」
「うん、また後日来てもらうことになった。」
関はスミスの早い帰宅の事情を説明した。
「俺がスミスにブラックでいいかって訊ねてるときに、お前が指摘してくれたら良かったのに。気づかなかったのか?」
「すいません。あの時は尿意がもう限界に来ていたので、それどころじゃなくて。」
「そうか。気の利くお前が珍しいと思ったよ。」


 長谷川は本棚整理の続きをし始めた。
すると、ダーツの矢がブル(ダーツボードの中心)に刺さっているのが目に入った。
「やったじゃないですか先生。初めてでしょ真ん中当てたの。」
からかう長谷川。
「俺じゃないよ。」
「ですよね、先生ド下手ですもん。じゃぁスミスさんが。ダーツ上手なんですね彼。」
自分の助手の洞察力の乏しさに関は悲しんだ。
「口に矢ぁ咥えて投げたとでも思ってんのかよ、お前。」
長谷川はスミスがベトナム戦争で両腕を失っていることを思い出した。
「・・・彼の能力は本物だったんですね。」
「ああ、目の前で披露して見せてくれたよ。一級の念動力だった。」
関は思い返すように言った。
「つーかよ、お前が俺に教えてくれたんだろ。彼には腕が・・・。」
関は話している途中で何かに気づいたように、テーブルの上を振り返り見た。
そこには確かに空のグラスがあった。
洞察力が乏しいのは自分も同じだと、このとき関は痛感した。

       

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