ねぇ。
お父さんや、お母さん、お姉ちゃん、そして先輩。
私は今、たった一人で生きているんだよ。
届くとは思っていない。届いたなら、なんてどうしようもない幻想を抱けるほど夢を追いかけることは出来ない。それでも私は、心の中で自分以外誰も居ないこの家の中で呟いた。
みんなが最後を迎えた場所だからともすれば聞こえるかもしれない。非科学的なことを信じているわけじゃないけれど、センチメンタルになる時だってある。都合よく神頼みするように、たまには妄想に逃げたくなるのだ。
私の居ないうちに、何かがあった。でも知る人は全員消えた。いずれにせよ犯人はお姉ちゃんなのだから別にどうというわけじゃない。枝葉末節があきらかになるだけで私が本当に望むようにはならない。
――あれから私は一人、親戚の家に預けられた。体裁上、仕方なく受け入れただけだから当然私への態度は冷たかった。それでも最後の頼みの綱だった。血が少しでも通っている最後の砦のようなものだった。
まだ天涯孤独じゃないんだと、思えるのだ。
だからこそ私は嫌われないよう嫌われないよう顔色を窺った。本当に注意深く。いつも緊張の糸を張っていてきっと心に悪かったことだろう。気を利かせることはもちろん、勉強して成績を伸ばした。最後には表情を見ればなんとなしに相手の気持ちが分かるようになって、可能な限り期待に応えることにすべてを費やした。
でも、高校受験の頃にはこう言われる。
「お前もそろそろ高校に入る。これから他人より厳しい環境で生きて行かなければならないんだから、いっそ今のうちに一人暮らしでもしたらどうか」
実質、出て行けという話だ。それまでの全てが無駄になったような気がして、なんかもうどうでもいいやと思った。だから「はい、わかりました」と二つ返事で承諾した。
……うすうすわかってはいたけれど。だって、顔を見て相手の気持ちが分かるようになったのだ。私を嫌う気持ちだって透かして見えた。しがみついても無駄だってことも分かってしまう。
私は結局、元の家に戻った。誰も居ないこの家に。どこかに住むとなれば家賃を稼がなくてはならない。だが、自分の家ならば必要がない。
トラウマの住むこの場所だけれど、多分私はそれ以上に思い出の香りに引き寄せられてしまったということもきっと否定できない。本当のところは分からない。鏡を通して見ても、自分の心だけは見通せないからだ。しかし、見通さずとも最たる理由は分かっている。これらは所詮建前だ。
次に私がしたことは、ひどく景色がゆがんで見える眼鏡をかけることだった。いわゆるビン底眼鏡と言うヤツだ。
見えない方が良いものもある。見たいものが見える一方で見たくないものも分かってしまう。
これから生きていくうえで、きっとこの能力は邪魔になるのだろうと思った。黒い感情の無い人はいない。例え良い所の方が圧倒的に多い人であったとしても、悪い点が膨張して見えることは良くある話だ。しかし、また人とかかわろうとするなら見えないものは見えない方が良い。
……とする一方で、実の所私はもう人とかかわる気は無くなっていた。第一、あの事件のことはこの家の近所には知れ渡っているし、だから近所の高校に行けば絶対に広まる。みんな引くに決まってるので関わりようもないのかもしれないが。
そして、なにより私はもう幸せになる気は無くしていた。
「お前が妬ましかった」
「俺はずっとお前が嫌いだった」
あの言葉がやはり離れない。
だから私は、幸せになるべきじゃないと思った。ただ単に生きて。それなりに生きて。なんとなしに死んでいく。
この場所はそれを叶えるのに絶好の場所だった。だからこそ私はここに戻ってきたのだ。これが本当の理由。
私はこれから、幸せにならないように生きていく。
そんな自分を鏡で見てみる。黒かった髪が、あの事件を過ごしたことですっかり白くなっているのを確認できた。