少女が竜を倒す話
四章
「ネルさんは、お父様を生きかえらせたいんですね?」
司書官がたずねました。
「そうだよ! だから、魔法の時計で巻きもどそうとしたんじゃん!」
「でしたら、ほかの方法があるかもしれません」
「え? どんなの?」
スイッチが切り替わるみたいに、ネルの顔がパッと明るくなりました。
「竜を呼び出すのに使った本は持っていますか?」
「あるよ。ここに」
もしかしたら役に立つこともあるかと思って、ネルはその絵本を肌身離さず持ち歩いていました。
「私もこの本は読んだことがあるのですが、たしか最後のところに……」
つぶやきながら、司書官は優雅な手つきでページをめくります。
そして開かれた、いちばん最後のページ。物語がぜんぶ終わったあとの、巻末に描かれているのは、著者の肖像でした。物語の中の挿絵とくらべたらずっと小さいイラストですけれど、そこに描かれているのは、たしかにネルの父親の自画像です。
「絵本の中の絵を呼び出すことができるなら、作者の自画像も呼び出せるのではありませんか?」
まるで雷に打たれたように、ネルは衝撃を受けました。すりきれるほど読みかえした本なのに、どうして今までこの事実を忘れていたのでしょう。
「そ……! そうだよ! これでいいよ! これでパパを呼び出せばいいんだ!」
よろこびいさんで手をのばすネルでしたが、それより早く司書官が本をおさえつけました。
「なにすんの! かえしてよ!」
「おちついてください。あなたの使える魔法は、あと一回きりなんですよ?」
「だから、最後の魔法でパパを生きかえらせるんじゃん!」
「竜はどうするんですか?」
「そんなの、どうでもいいよ! パパがいれば、それでいいんだから!」
「ひとつの国をほろぼしてでも? いえ、ひとつとは限りません。遅かれ早かれ、竜は世界全土をほろぼすでしょう。すべてあなたのせいですが、それでもかまわないというのですか?」
「それはわたしのせいじゃないよ! 竜が悪いんじゃん!」
「ですが、呼び出したのはあなたですよ?」
「でも……!」
「だいいち、そのような事実をあなたの父親が知ったら、どう思うでしょう」
「うぅ……っ」
言い返すこともできず、ネルは頭をかかえました。正義感の強かった父親のことを、彼女はよく覚えています。退屈しのぎに竜を呼び出して、そのままにしておいたなんてこと、ゆるしてもらえるわけがありません。
「でも、だって、どうしたらいいの!?」
ネルの問いかけに、司書官は答えてはくれませんでした。
その答えは、ネルが、自分で考えなければいけないのです。
司書官がたずねました。
「そうだよ! だから、魔法の時計で巻きもどそうとしたんじゃん!」
「でしたら、ほかの方法があるかもしれません」
「え? どんなの?」
スイッチが切り替わるみたいに、ネルの顔がパッと明るくなりました。
「竜を呼び出すのに使った本は持っていますか?」
「あるよ。ここに」
もしかしたら役に立つこともあるかと思って、ネルはその絵本を肌身離さず持ち歩いていました。
「私もこの本は読んだことがあるのですが、たしか最後のところに……」
つぶやきながら、司書官は優雅な手つきでページをめくります。
そして開かれた、いちばん最後のページ。物語がぜんぶ終わったあとの、巻末に描かれているのは、著者の肖像でした。物語の中の挿絵とくらべたらずっと小さいイラストですけれど、そこに描かれているのは、たしかにネルの父親の自画像です。
「絵本の中の絵を呼び出すことができるなら、作者の自画像も呼び出せるのではありませんか?」
まるで雷に打たれたように、ネルは衝撃を受けました。すりきれるほど読みかえした本なのに、どうして今までこの事実を忘れていたのでしょう。
「そ……! そうだよ! これでいいよ! これでパパを呼び出せばいいんだ!」
よろこびいさんで手をのばすネルでしたが、それより早く司書官が本をおさえつけました。
「なにすんの! かえしてよ!」
「おちついてください。あなたの使える魔法は、あと一回きりなんですよ?」
「だから、最後の魔法でパパを生きかえらせるんじゃん!」
「竜はどうするんですか?」
「そんなの、どうでもいいよ! パパがいれば、それでいいんだから!」
「ひとつの国をほろぼしてでも? いえ、ひとつとは限りません。遅かれ早かれ、竜は世界全土をほろぼすでしょう。すべてあなたのせいですが、それでもかまわないというのですか?」
「それはわたしのせいじゃないよ! 竜が悪いんじゃん!」
「ですが、呼び出したのはあなたですよ?」
「でも……!」
「だいいち、そのような事実をあなたの父親が知ったら、どう思うでしょう」
「うぅ……っ」
言い返すこともできず、ネルは頭をかかえました。正義感の強かった父親のことを、彼女はよく覚えています。退屈しのぎに竜を呼び出して、そのままにしておいたなんてこと、ゆるしてもらえるわけがありません。
「でも、だって、どうしたらいいの!?」
ネルの問いかけに、司書官は答えてはくれませんでした。
その答えは、ネルが、自分で考えなければいけないのです。
けれど。いくら考えても、こたえは出せませんでした。
ネルにとって一番たいせつなのはパパですが、竜をこのままにしておくわけにもいきません。でも、魔法の残りはあとひとつ。一回こっきりの魔法でパパを生きかえらせ、竜も退治しなければならないのです。かなりの難問でした。
これまで色々たすけてくれた司書官も、今回ばかりはお手上げです。
ネルは考えに考えて、思いつきを口にしてみました。
「もしかしたら、パパが竜をやっつけたりしてくれないかなあ」
ものすごく都合のいい発想です。
「相手は、英雄シグルドや悪神ロキをも退けた竜ですよ? ただの人間に何ができますか?」
「パパは、ただの人間じゃないよ。絵本作家だもん。……そうだよ。あの竜だって、もともとはパパが描いたんだ。もしかしたら、弱点とか知ってるかも」
「知っている可能性はありますが、もし何も知らなければ、せっかくの魔法が無駄に終わりますよ?」
「でも、ほかに方法ある?」
「……残念ながら」
司書官は首を横に振ると、手元の本をネルに返しました。
ネルは迷うことなく最後のページをひらき、そして──
目の前にあらわれたのは、まぎれもなく作者本人。ネルの父親でした。
その姿を見た瞬間、ネルはすべてのことをわすれて抱きつきました。
「パパ!」
「え? な……? これはいったい」
いきなり呼び出されて小さな女の子に泣きつかれるという状況にでくわした父ですが、すぐさま状況を理解しました。
「まさか、ネルなのかい?」
「うん! あいたかったよ、パパ!」
「おお……。こんなに大きくなって。元気にしてたかい?」
あたたかい手が、ネルの頭をやさしくなでました。
ネルは泣きじゃくりながらパパにしがみつき、何度も何度もうなずきました。
感動の再会です。氷のように冷静な司書官も、ちょっとだけ目を潤ませました。
ネルにとって一番たいせつなのはパパですが、竜をこのままにしておくわけにもいきません。でも、魔法の残りはあとひとつ。一回こっきりの魔法でパパを生きかえらせ、竜も退治しなければならないのです。かなりの難問でした。
これまで色々たすけてくれた司書官も、今回ばかりはお手上げです。
ネルは考えに考えて、思いつきを口にしてみました。
「もしかしたら、パパが竜をやっつけたりしてくれないかなあ」
ものすごく都合のいい発想です。
「相手は、英雄シグルドや悪神ロキをも退けた竜ですよ? ただの人間に何ができますか?」
「パパは、ただの人間じゃないよ。絵本作家だもん。……そうだよ。あの竜だって、もともとはパパが描いたんだ。もしかしたら、弱点とか知ってるかも」
「知っている可能性はありますが、もし何も知らなければ、せっかくの魔法が無駄に終わりますよ?」
「でも、ほかに方法ある?」
「……残念ながら」
司書官は首を横に振ると、手元の本をネルに返しました。
ネルは迷うことなく最後のページをひらき、そして──
目の前にあらわれたのは、まぎれもなく作者本人。ネルの父親でした。
その姿を見た瞬間、ネルはすべてのことをわすれて抱きつきました。
「パパ!」
「え? な……? これはいったい」
いきなり呼び出されて小さな女の子に泣きつかれるという状況にでくわした父ですが、すぐさま状況を理解しました。
「まさか、ネルなのかい?」
「うん! あいたかったよ、パパ!」
「おお……。こんなに大きくなって。元気にしてたかい?」
あたたかい手が、ネルの頭をやさしくなでました。
ネルは泣きじゃくりながらパパにしがみつき、何度も何度もうなずきました。
感動の再会です。氷のように冷静な司書官も、ちょっとだけ目を潤ませました。
さて。ひとしきり泣いたり笑ったりしたあとで、ようやくネルは現在の状況を説明することにしました。
いきさつを耳にして、お父さんも唖然呆然です。シグルドやロキを呼び出して竜と戦ったことについてはネルの勇気をたたえながらも「あんまり危ないことをしたらいけないよ」と諭し、魔法の時計をこわしてしまったことには「おっちょこちょいだねえ」と苦笑い。
最後の魔法をこういうふうに使ってしまったことは怒られるかもと思っていたネルですが、そんなことはありませんでした。ネルの父親はどこまでもやさしくて、おまけに知恵者だったのです。
「安心していいよ、ネル。お父さんは、あの竜の弱点を知ってるからね」
「ほんと? さすがパパ!」
「その本を貸してごらん」
言われるまま、ネルは絵本をわたしました。
なつかしそうにページをめくりながら、ネルの父は言います。
「あの竜は、とてつもなく強かったろう? それにはネルの心も影響しているんだが、なにより大きいのは、あの竜の正体がただの竜じゃないということなんだ」
「うん。ロキも言ってた。おまえはただの竜じゃないな、って」
「だろうね。あの悪竜は、ルシフェル……つまり魔王の化けたものなんだよ」
「えええ……っ!」
ネルは言葉を失いました。強いのはわかっていたけれど、まさか悪魔の王だったなんて、考えもつかなかった事実です。
「それで、弱点というのは……?」
問いかけたのは司書官です。
「かんたんなことだよ。この本を燃やしてしまえばいい。本がなくなれば、竜も消える」
「それは、たしかに簡単ですが……」
言葉をにごして、司書官はネルのほうを見ました。
ネルだって頭の回転は悪くありませんから、お父さんの言葉の意味はすぐ理解できました。
「だ、だめだよ! そんなことしたら、パパも消えちゃうじゃん!」
「……そうだね」
にっこり笑って、ネルの父は説き伏せるように言いました。
「でも、これしか方法がないんだ。それに、いちど死んだ人間が生きかえるなんて、世界の摂理に反している。すこしの時間だったけれど、お父さんは元気なネルの姿を見れただけで満足だよ」
いきさつを耳にして、お父さんも唖然呆然です。シグルドやロキを呼び出して竜と戦ったことについてはネルの勇気をたたえながらも「あんまり危ないことをしたらいけないよ」と諭し、魔法の時計をこわしてしまったことには「おっちょこちょいだねえ」と苦笑い。
最後の魔法をこういうふうに使ってしまったことは怒られるかもと思っていたネルですが、そんなことはありませんでした。ネルの父親はどこまでもやさしくて、おまけに知恵者だったのです。
「安心していいよ、ネル。お父さんは、あの竜の弱点を知ってるからね」
「ほんと? さすがパパ!」
「その本を貸してごらん」
言われるまま、ネルは絵本をわたしました。
なつかしそうにページをめくりながら、ネルの父は言います。
「あの竜は、とてつもなく強かったろう? それにはネルの心も影響しているんだが、なにより大きいのは、あの竜の正体がただの竜じゃないということなんだ」
「うん。ロキも言ってた。おまえはただの竜じゃないな、って」
「だろうね。あの悪竜は、ルシフェル……つまり魔王の化けたものなんだよ」
「えええ……っ!」
ネルは言葉を失いました。強いのはわかっていたけれど、まさか悪魔の王だったなんて、考えもつかなかった事実です。
「それで、弱点というのは……?」
問いかけたのは司書官です。
「かんたんなことだよ。この本を燃やしてしまえばいい。本がなくなれば、竜も消える」
「それは、たしかに簡単ですが……」
言葉をにごして、司書官はネルのほうを見ました。
ネルだって頭の回転は悪くありませんから、お父さんの言葉の意味はすぐ理解できました。
「だ、だめだよ! そんなことしたら、パパも消えちゃうじゃん!」
「……そうだね」
にっこり笑って、ネルの父は説き伏せるように言いました。
「でも、これしか方法がないんだ。それに、いちど死んだ人間が生きかえるなんて、世界の摂理に反している。すこしの時間だったけれど、お父さんは元気なネルの姿を見れただけで満足だよ」
「やだ! ダメだよ! そんなんだったら、竜なんかほっといていいよ!」
たちまちネルの目に涙があふれました。
娘の涙を見て、お父さんもさすがに悲痛な顔になります。
「残念だけど、そうはいかないよ。あの竜を描いたのは父さんなんだ。ちゃんと責任とらないとね」
「やだあああ! せっかく会えたのに!」
「ネルがもらったのは、ちょっとだけお父さんと会える魔法だったんだよ。そういうふうに考えなさい」
「やだ! やだ! やだ!」
もう、ネルは大騒ぎです。無理もありませんでした。せっかく生きかえったパパがもういちど死ぬなんて、とても耐えられません。
「ネル。こうしてる間にも、竜は大勢の人たちを殺しているかもしれないんだ。この本は、すぐにでも処分しなければならないんだよ」
「でも、だって……っ、ああっ!」
ネルは、ようやく気付きました。自分がとんでもない失敗を犯したことに。
「これじゃなくて、ほかの本からパパを呼び出せばよかったんだ!」
そうです。五回の魔法を手に入れてから失敗ばかりしてきたネルですが、これこそ最大の失敗でした。この竜退治の絵本は、図書館にだってあります。そっちからパパを呼び出しておけば、なんの問題もなく竜を灰にすることができたのでした。
けれど、なにもかも後の祭りです。
「あの……。竜の出てくるページだけを焼いて……という方法では駄目でしょうか」
さすがに見かねて、司書官が口をはさみました。
「駄目だ。この本の最初から最後まで、すべて灰にしなければ竜は倒せない」
「……そうですか」
「すまないが、火を貸してもらえるかな」
ネルの父親は、とても意志の強い男でした。かわいい娘がいくら泣きついても、決心を変えようとはしません。
「やめて! 火なんか持ってこないで! おねがい!」
ネルは必死の形相で司書官を説得しようとしました。
けれど、この状況で司書官にできることはひとつだけです。彼女は哀れむようにネルを見つめると、カウンターの上から火のついたランプを持ち上げました。
「やめてってば! 燃やさないで!」
ネルは、引き裂きそうな勢いで父親の上着をひっぱりました。
「聞き分けなさい、ネル。おまえは良い子だろう?」
「悪い子でいいから! おねがい、パパ!」
「ネルが悪い子でも、お父さんはおまえを愛しているよ。けれど、こうするしかないんだ」
ネルの嘆願は通じませんでした。
もう、どうやってもパパは説得できない──。そう悟った瞬間、ネルは自分でも信じられないような行動をとりました。
彼女は牙のアミュレットをにぎりしめると、大声で呼んだのです。
「たすけて! パパを止めて!」
たちまちネルの目に涙があふれました。
娘の涙を見て、お父さんもさすがに悲痛な顔になります。
「残念だけど、そうはいかないよ。あの竜を描いたのは父さんなんだ。ちゃんと責任とらないとね」
「やだあああ! せっかく会えたのに!」
「ネルがもらったのは、ちょっとだけお父さんと会える魔法だったんだよ。そういうふうに考えなさい」
「やだ! やだ! やだ!」
もう、ネルは大騒ぎです。無理もありませんでした。せっかく生きかえったパパがもういちど死ぬなんて、とても耐えられません。
「ネル。こうしてる間にも、竜は大勢の人たちを殺しているかもしれないんだ。この本は、すぐにでも処分しなければならないんだよ」
「でも、だって……っ、ああっ!」
ネルは、ようやく気付きました。自分がとんでもない失敗を犯したことに。
「これじゃなくて、ほかの本からパパを呼び出せばよかったんだ!」
そうです。五回の魔法を手に入れてから失敗ばかりしてきたネルですが、これこそ最大の失敗でした。この竜退治の絵本は、図書館にだってあります。そっちからパパを呼び出しておけば、なんの問題もなく竜を灰にすることができたのでした。
けれど、なにもかも後の祭りです。
「あの……。竜の出てくるページだけを焼いて……という方法では駄目でしょうか」
さすがに見かねて、司書官が口をはさみました。
「駄目だ。この本の最初から最後まで、すべて灰にしなければ竜は倒せない」
「……そうですか」
「すまないが、火を貸してもらえるかな」
ネルの父親は、とても意志の強い男でした。かわいい娘がいくら泣きついても、決心を変えようとはしません。
「やめて! 火なんか持ってこないで! おねがい!」
ネルは必死の形相で司書官を説得しようとしました。
けれど、この状況で司書官にできることはひとつだけです。彼女は哀れむようにネルを見つめると、カウンターの上から火のついたランプを持ち上げました。
「やめてってば! 燃やさないで!」
ネルは、引き裂きそうな勢いで父親の上着をひっぱりました。
「聞き分けなさい、ネル。おまえは良い子だろう?」
「悪い子でいいから! おねがい、パパ!」
「ネルが悪い子でも、お父さんはおまえを愛しているよ。けれど、こうするしかないんだ」
ネルの嘆願は通じませんでした。
もう、どうやってもパパは説得できない──。そう悟った瞬間、ネルは自分でも信じられないような行動をとりました。
彼女は牙のアミュレットをにぎりしめると、大声で呼んだのです。
「たすけて! パパを止めて!」
ネルのねがいは、ただちに聞きとどけられました。
万能の力を持つ悪竜──その正体であるルシフェルにとって、どれほどの距離も意味を成しません。
切り裂くような豪風が図書館を襲い、天窓が割れて一羽のカラスが飛びこんできました。
カラスは一直線にネルのもとへ飛び、くるりと回転して人間の姿に。
なにもかも、あっというまのことでした。
「約束どおり、すぐに駆けつけたぞ。我が妻ネルよ」
キザっぽい笑みを浮かべて、ルシフェルはネルの頭をなでました。
ぞくぞくするような感覚。どうして呼んじゃったんだろうという後悔とともに、この人なら全部なんとかしてくれるんじゃないかという期待が、ネルをつつみました。
一方、ネルの父と司書官のふたりは、言葉もありません。なにしろ、目の前に立っているのはひとつの国を滅亡に追いやった魔王なのです。いますぐ殺されても不思議ではありませんでした。
しかし、ネルの父親は勇敢です。司書官の手からランプを取ると、その火を絵本に移そうとしました。
「やめておけ」
ルシフェルが右手を払うと、一陣の風が吹いてランプの火は消えてしまいました。もう、どうすることもできません。
悠然と微笑むルシフェル。
「おおよそ状況は把握した。ネルよ、私にどうしてほしいのだ?」
「パパを……、パパを死なせないで」
ネルのたのみに、ルシフェルは難しい顔を返します。
「それは私の手にあまる願いだな」
「どうして? あなた、魔王なんでしょ? それぐらいの魔法、つかえないの?」
「私はあらゆる魔法をつかえるが、みずから命を絶とうとする人間を救う魔法など、どこにも存在しない」
そのとおりですが、ネルはひとつだけ方法を知っています。
「おねがいがあるの」
「言ってみるがいい」
「死んで」
ネルの『おねがい』に、ルシフェルは大笑いしました。
「なるほど、なるほど。たしかに、私が死ねばおまえの父は死ぬ必要がなくなる。しかしな。私とて、死ぬのはごめんだ」
「死んでくれないなら、わたしが死ぬよ? そしたら、あなただって死ぬんだから。そうでしょう?」
ネルの真剣な目を見て、ルシフェルは頭をかきました。
「ふむ。おまえに死なれるのは困るな」
「だから、あなたが死んで」
「どちらにしても私は死ぬことになるのか?」
「うん。わたしには、パパがいればいいの。あなたなんか必要ないんだから」
このとき。心の底からネルがそう思っていたなら、ルシフェルは霧みたいに消え去っていたかもしれません。ネルの魔法で呼び出された者は、彼女の意思がなければ生きられないのです。
しかし、こういう状況になってもなお、ネルは心のどこかでルシフェルを必要としているのでした。当然です。わざわざ牙のアミュレットまで使って呼び寄せたぐらいなんですから。
ルシフェルには、それがわかっています。だから、この場の主導権をにぎっているのは彼なのです。
万能の力を持つ悪竜──その正体であるルシフェルにとって、どれほどの距離も意味を成しません。
切り裂くような豪風が図書館を襲い、天窓が割れて一羽のカラスが飛びこんできました。
カラスは一直線にネルのもとへ飛び、くるりと回転して人間の姿に。
なにもかも、あっというまのことでした。
「約束どおり、すぐに駆けつけたぞ。我が妻ネルよ」
キザっぽい笑みを浮かべて、ルシフェルはネルの頭をなでました。
ぞくぞくするような感覚。どうして呼んじゃったんだろうという後悔とともに、この人なら全部なんとかしてくれるんじゃないかという期待が、ネルをつつみました。
一方、ネルの父と司書官のふたりは、言葉もありません。なにしろ、目の前に立っているのはひとつの国を滅亡に追いやった魔王なのです。いますぐ殺されても不思議ではありませんでした。
しかし、ネルの父親は勇敢です。司書官の手からランプを取ると、その火を絵本に移そうとしました。
「やめておけ」
ルシフェルが右手を払うと、一陣の風が吹いてランプの火は消えてしまいました。もう、どうすることもできません。
悠然と微笑むルシフェル。
「おおよそ状況は把握した。ネルよ、私にどうしてほしいのだ?」
「パパを……、パパを死なせないで」
ネルのたのみに、ルシフェルは難しい顔を返します。
「それは私の手にあまる願いだな」
「どうして? あなた、魔王なんでしょ? それぐらいの魔法、つかえないの?」
「私はあらゆる魔法をつかえるが、みずから命を絶とうとする人間を救う魔法など、どこにも存在しない」
そのとおりですが、ネルはひとつだけ方法を知っています。
「おねがいがあるの」
「言ってみるがいい」
「死んで」
ネルの『おねがい』に、ルシフェルは大笑いしました。
「なるほど、なるほど。たしかに、私が死ねばおまえの父は死ぬ必要がなくなる。しかしな。私とて、死ぬのはごめんだ」
「死んでくれないなら、わたしが死ぬよ? そしたら、あなただって死ぬんだから。そうでしょう?」
ネルの真剣な目を見て、ルシフェルは頭をかきました。
「ふむ。おまえに死なれるのは困るな」
「だから、あなたが死んで」
「どちらにしても私は死ぬことになるのか?」
「うん。わたしには、パパがいればいいの。あなたなんか必要ないんだから」
このとき。心の底からネルがそう思っていたなら、ルシフェルは霧みたいに消え去っていたかもしれません。ネルの魔法で呼び出された者は、彼女の意思がなければ生きられないのです。
しかし、こういう状況になってもなお、ネルは心のどこかでルシフェルを必要としているのでした。当然です。わざわざ牙のアミュレットまで使って呼び寄せたぐらいなんですから。
ルシフェルには、それがわかっています。だから、この場の主導権をにぎっているのは彼なのです。
「ネルよ。以前にも言ったが、私たちはおまえの意思によって生かされている。おまえは私を必要ないと言ったが、こうして私が立っている事実こそ、おまえの言葉が偽りであることの証明だ」
「そんな……」
「おまえは自らの強欲さを認めなければならない。なにしろおまえは父親を助けたいとねがいながら、一方で私にも生きていてほしいと望んでいるのだからな」
「そう……かも、しれないけど……」
ネルは認めました。パパが一番なのは絶対ですけれど、この悪竜にも死んでほしくはないのです。
「認めたな? おまえには私が必要だと」
ルシフェルの問いかけに、ネルは小さくうなずきました。
その頭に手のひらを置いて、ルシフェルが言います。
「よし、えらいぞ。……では、ほうびに『答え』をおしえてやろう」
「答えって……?」
「おまえの父を死なせず、私も生き残り、すべてが丸くおさまる方法だ」
さすがは魔王です。ネルたちが三人がかりでも思いつかなかった解決法を、知っているというのですから。
「そんなこと、どうやったらできるの?」
「よく考えてみろ。私は、その本から呼び出されたのだぞ」
「だから、パパが燃やそうとして……」
ネルの言葉に、ルシフェルは失笑しました。
「つくづく愚かな話だ。……いいか? 本を焼き捨てる必要などない。ただ一文だけ書き加えればいいのだ。『竜は人を殺したりしません』とでもな」
「そんなことで……!?」
「『竜はケーキ作りがなにより好きです』などの戯言でもかまわんぞ」
思いもかけない『答え』に、ネルたち三人は顔を見合わせました。
「なんで、そんなこと教えてくれるの……? あなた、悪魔の王なんでしょ?」
「言ったろう。私とて、死ぬのはごめんだと。私は邪悪の王だが、それは絵本にそう書かれているからにすぎない。私を作った作者本人が記述を書き換えれば、書き換えられたとおりに私は変容する」
その言葉を聞くやいなや、ネルの父はカウンターに手をのばし、ペンを取りました。
絵本に書き加えたのは、こんな一行。
『ほんとうのところ、悪竜は人助けが大好きです』
こうして、すべてが解決しました。
すてきな恋人と大好きなパパを手に入れたネルは大満足です。おおぜいの人々が死んで国がひとつ滅亡しましたが、それはネルにとって些細なこと。だれだって、赤の他人より親しい人のほうがたいせつに決まってます。
とはいえ、さすがにネルも少しは反省しました。
だから、ネルは毎日教会に足を運んでボランティア活動に精を出してます。もちろん、人助けの大好きなルシフェルも一緒に。
絵本作家として返り咲いたお父さんも、印税を福祉団体に寄付したりして人々を助けています。
さらにルシフェルは趣味を生かしてケーキショップをひらき、大人気を博しますが、その話はまたいずれ。
「そんな……」
「おまえは自らの強欲さを認めなければならない。なにしろおまえは父親を助けたいとねがいながら、一方で私にも生きていてほしいと望んでいるのだからな」
「そう……かも、しれないけど……」
ネルは認めました。パパが一番なのは絶対ですけれど、この悪竜にも死んでほしくはないのです。
「認めたな? おまえには私が必要だと」
ルシフェルの問いかけに、ネルは小さくうなずきました。
その頭に手のひらを置いて、ルシフェルが言います。
「よし、えらいぞ。……では、ほうびに『答え』をおしえてやろう」
「答えって……?」
「おまえの父を死なせず、私も生き残り、すべてが丸くおさまる方法だ」
さすがは魔王です。ネルたちが三人がかりでも思いつかなかった解決法を、知っているというのですから。
「そんなこと、どうやったらできるの?」
「よく考えてみろ。私は、その本から呼び出されたのだぞ」
「だから、パパが燃やそうとして……」
ネルの言葉に、ルシフェルは失笑しました。
「つくづく愚かな話だ。……いいか? 本を焼き捨てる必要などない。ただ一文だけ書き加えればいいのだ。『竜は人を殺したりしません』とでもな」
「そんなことで……!?」
「『竜はケーキ作りがなにより好きです』などの戯言でもかまわんぞ」
思いもかけない『答え』に、ネルたち三人は顔を見合わせました。
「なんで、そんなこと教えてくれるの……? あなた、悪魔の王なんでしょ?」
「言ったろう。私とて、死ぬのはごめんだと。私は邪悪の王だが、それは絵本にそう書かれているからにすぎない。私を作った作者本人が記述を書き換えれば、書き換えられたとおりに私は変容する」
その言葉を聞くやいなや、ネルの父はカウンターに手をのばし、ペンを取りました。
絵本に書き加えたのは、こんな一行。
『ほんとうのところ、悪竜は人助けが大好きです』
こうして、すべてが解決しました。
すてきな恋人と大好きなパパを手に入れたネルは大満足です。おおぜいの人々が死んで国がひとつ滅亡しましたが、それはネルにとって些細なこと。だれだって、赤の他人より親しい人のほうがたいせつに決まってます。
とはいえ、さすがにネルも少しは反省しました。
だから、ネルは毎日教会に足を運んでボランティア活動に精を出してます。もちろん、人助けの大好きなルシフェルも一緒に。
絵本作家として返り咲いたお父さんも、印税を福祉団体に寄付したりして人々を助けています。
さらにルシフェルは趣味を生かしてケーキショップをひらき、大人気を博しますが、その話はまたいずれ。