Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女が竜を倒す話
二章

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 となりの国までの道のりは、ラクなものではありませんでした。
 なにしろ悪竜が暴れまくったおかげで、国中大混乱だったのです。あぶない目にあったことも何度かありました。けれど、竜の持たせてくれた牙のアミュレットと、つかいきれないほどの金貨が、ネルを助けてくれたのです。
 旅立ってから五日目に、ネルはようやく目的の場所にたどりつくことができました。
 それは、世界で一番とも言われる、とてつもない大きさの図書館!

 さっそく中に入っていって、ネルは司書をつかまえます。
「なんだい、お嬢ちゃん。本をさがしてるのかな?」
「うん。竜退治のできる、いちばん強い英雄が出てくる絵本をさがしてるの」
「竜? そういう探しものなら、あの人に聞くといい」
 そう言って司書が指差したのは、カウンターの向こうで分厚い本をめくっている、魔女みたいな黒髪の女性でした。
「あの人も、司書さん?」
「彼女は高等司書官だ」
「それって、えらいの?」
「えらいよ。ものすごくね。それに、本のことなら何でも知ってる」
 どうやら、たよりになりそうでした。幸先のいいスタートです。国がひとつ滅亡したのに幸先がいいというのは疑問かもしれませんが。

「ねえねえ。竜をやっつける英雄が出てくる絵本、しらない?」
 魔女みたいな司書官の前に立つと、ネルはそうたずねました。
「竜を? それは、いくつもありますが……」
 けげんそうな顔をする司書官。
 無理もありません。そんな本を探しにくる人は、めったにいませんから。ネルみたいな子供が図書館に来ることだって、かなりめずらしいほうです。
「わたしね。竜退治のできる人を探してるの」
 ネルは、ほかの人に聞こえないぐらいの小声で、いままでのなりゆきを説明しました。
 話の内容に、司書官もびっくりです。けれど、実際となりの国が一頭の竜に滅ぼされたことはニュースになっていますから、信じないわけにもいきませんでした。

「とにかく、強い人を呼び出したいの」
 ネルの言葉に、司書官は思案顔。
「強い人ですか。絵本の世界には、無敵無双の英雄豪傑が数かぎりなく登場しますが……。シグルドが敗れたというのは問題ですね」
「そんなに問題?」
「ええ。なにしろ、竜殺しの英雄といえばシグルド……すなわちジークフリートがその第一人者ですから。それを超える英雄となると、にわかには思いつきません」
「でも、神様とか天使とか、いくらでもいるでしょ?」
「仮にそのような存在を呼び出したとして、この世界はどうなるでしょう。とても、無事で済むとは思えません」
「ええっ? でも、神様だよ? わたしたちを助けてくれるんじゃない?」
「いえ、神はこの世界を見捨てて、すべてをやりなおそうとするかもしれません。聖書に描かれた大洪水のように」
「ダメだよ、そんなの!」
「もちろん、そうならない可能性もありますが。いずれにせよ、神を呼び出すのは危険きわまります」

「じゃあ、どうしよう」
 ネルは途方にくれました。いままでたくさんの絵本を読んできた彼女ですが、いざ竜を倒すとなると、そんなに都合のいい物語は思い浮かびません。
「人物ではなく、物品を呼び出すことはできませんか?」
「物品? 魔法の杖とか、そういうの?」
「ええ。人間とちがって意思がないぶん、危険は少ないと思います」
「でも、だれがつかうの? わたしが戦うなんて、やだよ?」
「ご心配なく。ひとりでに戦ってくれる剣というのが、あります」
「あ、それいいかも! どの絵本に出てくる?」
「北欧神話に登場するのですが……。ついてきてください」
 そう言って歩きだす司書官のあとを、ネルは追いかけました。

「こちらです」
 司書官が手渡したのは、豪華な装丁の絵本でした。
 ひらかれたページには、マントに身をつつんだ美男子が描かれています。北欧神話において最も愛されている神、フレイでした。
「読んだことはありますか?」
 と、司書官がネルにたずねます。
「あるよ。あるある。これとは違うけど、うちにも同じ神話の絵本があったから。フレイの剣は、なにもしなくても敵を倒してくれるんだよね」
「ええ。この神剣なら、竜を倒すのに適役ではないでしょうか」
「そうだね。……あ。でも、このページでたたいたら、フレイ本人が出てきちゃうかも。いいのかな、それでも。フレイって、悪い神様じゃなかったよね?」
「神の善悪というのは、人間に計り知れることではありません。竜を倒したあとのことまで考えると、神を呼び出すのはおすすめできませんね。……たしか、何ページか先に、その剣だけが描かれた挿絵があるはずです」
「じゃあ、そこで呼び出してみるよ」
 ネルは勢いよくページをめくりました。

 そのとき、おもいがけないアクシデントが起こりました。
 ページをめくった拍子に、ネルの手から本が落ちそうになってしまったのです。
 あわてて本をおさえたネルですが、そのときうっかり表紙をたたいてしまい──。なんということでしょう。めくれたページのどこかから、ひとりの男が呼び出されてしまったのです。
 二メートルはありそうな、金髪碧眼の美青年。女性と見間違えそうなたたずまいからして、ただものではありません。もっとも、神話の世界から出てきた人物なのですから、ただものであるはずがないのですけれど。

 やっちゃったーと思いながら、ネルはおそるおそる問いかけました。
「ええと……。あなたは、だれ?」
「俺はロキだ。よろしくな、魔法使いのお嬢さん」
 どうやらネルは最悪の神を呼び出してしまったようです。なにしろ、ロキといえば神話世界最大の詐欺師であり、世界の終末をまねく引き金を引いた悪神なのですから。

     

 ロキという神が絵本の中でどういう活躍をしたか、思い出してみてネルはゾッとしました。知恵と力にすぐれ、幻術と変化の魔法を使いこなす神。とうてい、ひとりの少女にどうにかできる存在ではありませんでした。
「どうした? 俺に用があって呼び出したんじゃないのか? なんでも言ってみるといい。俺は、かわいい女の子にはやさしいんだ」
 案外気さくな感じで、ロキは話しかけてきました。
「ええと……。竜を倒してほしいんだけど……」
「竜? おやすい御用だが、俺ひとりでは不安だな。できれば、俺の子供たちを呼び出してほしい」
「あなたの子供って……フェンリル狼とかだよね?」
 絶対ことわらなきゃ、とネルは思いました。ロキだけでも不安なのに、巨大な狼の化け物であるフェンリルなんか呼び出したら、それこそ悪竜よりもひどいことになりそうです。

「不安そうな顔だな。俺が世界をほろぼすとでも思うのか?」
「だって、絵本の中だとあなたは他の神様たちに最終戦争をふっかけて……」
「この世界に、俺以外の神がいるのか? いないだろう? だから、俺の憎むべき相手もいない。お嬢さんの心配するようなことは起こらないさ」
「そうかもしれないけど……」
 いまにも説得されてしまいそうなネル。物語の中では何人もの神や怪物をだましてきたロキなのですから、女の子ひとりを丸めこむことなんか造作もありません。

「あいにくですが、その子の魔法はあなたを呼び出したことで使い切ってしまいましたよ」
 助け船を出してくれたのは、魔女みたいな司書官です。
 ところが、これはうまくいきませんでした。
「俺に嘘は通じない。このお嬢さんは、まだ魔法を使える。……そうだな。あと二回か三回ぐらいだろう。どうだ?」
「つかえないよ! ほんとに! ほんと!」
 あわてまくるネルの態度は、ロキでなくても(そこらへんの子供でも)ウソと見破れるほどでした。
 おもわず溜め息をつく司書官。このままだと、ほんとうにロキの子供たちが呼び出されることになってしまいそうです。
 しかし、ロキはあっさり引き下がりました。
「どうやら、俺を信用できないようだな。こんな小さな女の子に嘘をつかせるのは、俺の本意じゃない。……わかった。俺が信用できるかどうか、納得できるまで見定めてもらおう」
 たいていの詐欺師と同じで、ロキはとても紳士的です。

「では、ちいさな魔法使いのために、さっそく働いてやるとしようか」
 そう言うと、ロキはネルを持ち上げて肩の上に乗せました。
「な、なに? どうするの?」
「竜を倒してほしいんだろう? 居場所をおしえてくれ。すぐさま片付けてやる」
「う、うん」
 ネルは、すこし迷いました。悪竜の強さは折り紙つきだけれど、この万能の悪神が相手では勝ち目ゼロに思えたのです。
 胸に下げてある牙のアミュレットを見ながら、ネルは悪竜が打ち倒される場面を思い浮かべてみました。けれど、どうやってもうまく想像できません。しかし、ロキが負けるところを想像するのもまた、不可能でした。

「ロキは強いんだよね?」
「ずいぶんあたりまえのことを聞くんだな。俺が何者かは、お嬢さんにもよくわかっているはずだが?」
「うん。わかってる。……だから、ひとつおねがいがあるの」
「なんだ?」
「もしも、かんたんに勝てそうだったら、手加減してあげて」
「それは、殺すなということか?」
「うん。こらしめてあげるだけでいいの」
「了解した」
 かるい感じで引き受けると、ロキはネルを肩に乗せたまま窓辺に立ちました。
 次の瞬間。ロキの体は巨大な鷹に変身し、窓の外へと羽ばたいたのです。
 その背中にしがみつきながら、ネルは歓声をあげました。

     

 悪竜の住んでいる城までは、ロキの翼でひとっとびでした。
 シグルドのときは歩いて追いかけたことを思い出すと、ネルはあらためてロキの力に恐れを抱かずにいられません。
 竜は『英雄だろうと神だろうと、すべて灰にしてやる』と言っていたけれど、まさか悪神ロキをつれてくるなんて予想もしなかったはず。そう思って、ネルは複雑な気持ちにとらわれました。
 でもちょっと気がラクなのは、竜を殺さないとロキが約束してくれたことです。

「ねえ。ぜったい、殺さないでね?」
「ぜったい、か。さっきは、できれば殺さないでくれと聞いたように思うが」
「ううん。ダメ。やっぱり、ぜったいに殺さないで。あなたならできるでしょ?」
「いやはや、まったく。女という生きものは、こんなに幼いころから男をあやつる術を心得ているのだからたいしたものだ」
「だって……」
「まぁいい。殺さないと約束しよう。では、行くぞ」

 ロキは巨大な鷹の姿のまま、主門の上に降り立ちました。かたいツメにえぐられた石のカケラが、バラバラと音をたてて落ちていきます。
「どうやら、どこぞの神をつれてきたようだな」
 悪竜は人間の格好で前庭に立っていました。
 ロキの背中に乗ったまま、ネルが言います。
「この人、ほんとうに強いよ? 降参したほうがいいんじゃない?」
「私が降参するところを見たいのか?」
 その質問に、ネルは答えられませんでした。悪竜に負けてほしくはないけれど、だからといってこのまま自由にさせておくわけにはいきません。

「ロキ、やっちゃって」
 ネルはロキの背中から降りて、城門の上に立ちました。
「では、ひと勝負しようか」
 ロキは翼を三角形に折りたたむと、弾丸のような速さで突撃しました。
 悪竜の姿が竜本来のものに変化し、灼熱の炎が吐き出されます。
 岩をも溶かす竜の吐息ですが、ロキは水浴びでもするような顔で炎の中を突っ切り、空中で狼の姿に転じると、竜の喉笛に噛みつきました。
 狼の大きさは竜の半分ほどですが、それでも相当なものです。
 いまにも竜の首が噛みちぎられるのではないかとネルが思った、次の瞬間。竜の尻尾が薙ぎ払われて、ロキは地面にころがりました。見たところ、いい勝負です。

「俺の一撃を受けて倒れないとは、ただの竜じゃないな?」
 人間の姿にもどって、ロキが問いかけました。
「おまえこそ、ただの神ではないようだ」
「ああ。俺の名はロキ。人は俺を詐術の神と呼ぶが、本当の生まれは炎の神だ。貴様の吐息など、ぬるま湯みたいなものさ」
「なるほど。たしかに、おまえを灰にするのは難しいようだ」
「わかったら、降参したほうが利口というものだぞ?」
「灰にするかわりに、こうしてやろう」

 次に起きたことを、ネルは信じられない思いで見つめていました。
 なんと、悪竜の体が大きくなったのです。それも、ちょっとどころではありません。頭の高さは天をつくほど、胴体は前庭すべてを埋めつくして城壁をぶちやぶるほどで、それはもう想像を絶する大きさなのでした。
 押しつぶされないよう、とっさに鷹の姿をとって飛び上がったロキですが、そこをぱっくりと竜のアゴがとらえました。五メートルぐらいはある巨大な鷹も、いまの悪竜にとっては一口サイズです。声もあげずに飲みこまれてしまうロキ。
 げふっと息を吐くと、竜は一瞬で元の大きさにもどり、そして人間の姿に変わりました。

「え……? ロキは……?」
 ぼうぜんとして、ネルはたずねました。
「味は悪くなかったが、消化は悪そうだな」
「食べちゃったの?」
「見たとおりだ」
「でも、だって、ロキってすごい強いんじゃなかった……?」
「私のほうが強かったということだな。それだけだ」
「うそ……」
「よかったな。おまえの期待どおりに、私は勝利したぞ。これが、おまえの望んでいる力だ」
 その言葉は、まるで麻薬みたいにネルの心をとらえました。絶対的で暴虐的な力。それこそ、ネルのほしいものだったのです。

 そして、ネルにもわかってきました。この悪竜は、ただの竜なんかではないと。
 けれど、どうすればいいのかは全然わかりません。
 彼女に残された魔法は、あと二つです。悪神ロキをあっさり破ってしまったこの竜に対して、いったいどうすればいいのでしょう。ネルは竜の花嫁になるしかないのでしょうか。
 それは、彼女の知恵しだい。絵本しだいです。

       

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Neetsha