Neetel Inside ニートノベル
表紙

日記のような何か。
真菜香(2)

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気付けば、時計の針は0時を回っていた。
――そろそろ、ご飯食べなきゃ。
慌ただしく動いていたが、この時間になるとようやく落ち着いてくる。ロッカーから引っ張り出したコンビニ袋を引っ提げ、机と椅子が並んでいるだけの殺風景な休憩室に入り、椅子に腰を落とした。固い椅子だが、それでも立って動いているのとは全然違う。大きなため息をひとつ。ようやく一息付ける、コールされなければこの時間は平和だ。ご飯を食べて、少しでも目を閉じていれば随分ましになる。コンビニの袋から中身を取り出し、机の上に並べる。おにぎりとカップうどん、お茶。きわめて不健康な食事内容だが、夜中だし、量的にはこのくらいで十分だ。――質はともかくとして。就職したての頃、私の周りにやってきた健康ブームに便乗して毎日お弁当を作ったこともあったけど、学生の頃のように食費の捻出に苦労しているわけでもなく、料理するヒマとやる気があるわけでもなかったわけで、私は、お弁当を作るために貴重な時間を使うくらいなら、その限られたパイは脳を休める時間に振り分けるべきだ、と考えたのだ。格好いい事を言っているような気がするが、要するにだらだら手を抜いているだけ。でも一人分の料理を作る作業というのは無駄が多いし、お金があるなら外食(コンビニ食)のほうが色々と無駄が少ないし私は間違ってないな、などと考えながら携帯を取り出し、いつものサイトを開きながらおにぎりを齧った。

「あ、休憩入ったんだ~、じゃああたしも~」
今日の相方、村上沙織が休憩室に入ってきて、向かいの椅子に座った。「わたしも~」って、貴女はさっきまで何度も仕事中にトイレに立って携帯を持ち込んでメールしていたんじゃないですか。十分休憩できているんじゃ、と愚痴りたい気持ちを押さえ、軽く右から左へ流しておくことにした。沙織は私と同い年で、もう20代も半ばを過ぎようという「いい年」になっても化粧や服装は未だギャル系で固め、沙織は童顔だからそのギャル系が似合っているんだけど(といってもそれなりに、だ、あくまで)。まあさすがに仕事中はそれなりの格好なのだけれども、わずかな通勤時間にも一切妥協することなくメイクしてくるその心意気は見習うべきなのかもしれない。でもあれだけ塗るのにいったい何時間早く起きなければならないのだろう、考えるだけで恐ろしくなる。
「あ、お疲れ様」
それだけ返して、携帯でニュースの続きを読む。沙織は沙織で携帯をいじっているし、特に会話がある訳じゃない。仲が悪いわけではないのだけれど、良いわけでもない。第三者視点から見ればどちらかというと悪いほうだと思うのだが、仲が悪いというのは良いの裏返しであって、その人と深い関係を持っている場合に使う言葉ではないかと思う。私と沙織の関係を表すのに適しているのは、無関心とかどうでもいいとかドライだとかあまり関わりたくないタイプとか、そういうフレーズではないだろうか。まあ要するに、私はこの子が苦手なのであまり話をしたくないのだ。趣味も合わないし、性格も対極だし、ああだしこうだし、色々あるのだけれど、決定的な溝は沙織が勝ち組側に分類されていることだろう(分類したのは私だけど)。ノロケ話を聞かされるたびに彼氏の職業や年齢が変化するとか、モテアピールが強いというか、男あさりが激しいというか、天真爛漫というか図々しいというか。それともこれが肉食系・草食系という奴なのか。とにかく沙織の話を聞いていると彼女の優雅で不自由ない男関係を自慢されているようにしか聞こえず、いやまあ実際に私を格下に位置づけして自慢しているのだとは思うのだけど、それをされると日照りの続く自分がどんどん惨めになっていくような気がするので、なるべく勝ち組とは言葉を交わしたくないのだ。

「マナちゃん、次の土曜日って休みだっけ?」
沙織から不意を突かれておにぎりを喉に詰まらせそうになる。まあこの建物なら喉に物が詰まったところですぐに対応できるのでいいんだが、いやよくないんだが、普段私のことを呼び捨てにしているくせに、ちゃん付けで呼んできたということは、例によってまた碌でもない頼み事をしてくるのだろう。やれ勤務代わってとか、やれ買い物つきあってとか、後で返すからアレ貸してだとか、思い出すだけでむかむかしてくるような、とにかくまあ色々あるのだ。
「その日、明けだから」
その日は夜勤明けで疲れているから一日寝て過ごしたい、だから貴女の頼み事は聞けませんよ、というこちらの意思を短いフレーズに詰め込んでやんわりと伝えているつもりなのだけれども、果たしてこの子に言わんとすることが伝わっているのだろうか。いや、おそらく伝わっていないだろう。伝わっていたところで都合の悪いことは右から左へ受け流されるだけ、これはお互い様だけど。
「じゃあ夜ヒマじゃん?合コンやるんだけど来てよ~」
やっぱり、だ。というか、じゃあってなんだ、それマジで言っているのか。考えられる中でもかなりハードな頼み事が振りかかってきた。夜勤明けでそのまま夜の飲み会は、気の許せるメンバー同士でも厳しいというのに。そもそも人間は昼間起きて夜寝るようにできているのだから、午前中に帰宅して夕方まで6時間寝られるから大丈夫でしょ、とかそう言う問題では決してないのだ。なるべくなら、というかかなり聞きたくない頼み事なので、言うだけ無駄だとは思ったけれど、一応抗ってみることにした。ただし、直接的なフレーズをぶつけると色々険悪になってこの後の仕事に差し障るので、あくまでやんわりと、だ。こういう事に気を使える私、偉いと思う。
「え、だって、沙織彼氏いるんじゃないの」
「は?いやそれ関係ないし、マナちゃんはどうせいないんでしょ?」
はっきり言うな。
「う、まあ、居ないけど」
「じゃあ決まりじゃん、いいよね?来るってことで」
それにしても気に入らないのは、沙織の目線はさっきからずっと携帯に落とされており、私の方をチラ見すらしないってどういう態度なんだ。人の顔を見て話しなさい、と小学校で先生から教わらなかったのだろうか。しかも頼み事をしているのはそっちでこっちではないというのに、だ。だいたいそこに夜勤が入っているのはあなたたち勝ち組の無理な希望を主任が丸呑みした結果、私たちが夜勤になっているんだからとか悪いのは主任じゃないかとか色々頭の中を駆け巡ったけど、私の発した返事は、それはそれは意外なものだった。

「まあ、いいよ、うん」

そう、私は断れない女。強く懇願されると引き受けなければいけないようなそんな気になり、自分が我慢して丸く収まるなら、と思ってしまう、これがいつものパターンなのだ。学生時代もそう、仕事の勤務もそう、合コンもそう。いや、合コンっていっても、誰とでも寝る女とかそういう意味じゃなくて。私は男関係だけは妥協したくないんだ。話がずれたけど、この我慢という行為は長女に産まれてしまった人間の宿命というものなのだろう。子どもの頃からおやつやテレビ番組やゲームで弟や妹に譲ったりセーブデータを消されても我慢したり、ずっと耐え忍んできたのに、就職して一人暮らしをしてまで同じ事をしているのは果たしてどうなんだろう。我が儘を何でも聞いてくれる相手が欲しい、と思ったことは数え切れないが、それなら相手を見つけるのに合コンは願ったりかなったりなんじゃないか、とか思うけど、合コンで出会う男女交際というのは健全な交際への発展として正しいのかと疑問を抱いているので自分としてはそういうのは受け入れられない、私は王子様が迎えに来るような、マンガのような恋愛がしたいけれどそんなの現実に転がっていない、とか、色々もう頭の中が混乱して何がなんだかかわからないや。

「マナちゃんならマジそう言うと思ったし~!あとでメールするね!」
沙織は笑顔でそう言うと、ものすごい勢いでメールを打ち出した。おそらく『メンバー確保できたよ』とか『数合わせバッチリだから』とかそんなようなことを友人(勝ち組たち)に連絡しているのだろう。私が参加したところでどうせ隅っこで飲んでいるだけであまり会話に参加しない引き立て役、というのがいつものパターンだし、合コンだから金銭的な負担もそんなにないし、まあいいか、と思いこんでしまおう。――といってもやはり若干やりきれないものが胸の中を駆け巡り、さすがに愚痴メールをせずには居られなかった。はあ、と沙織に聞こえるようにため息を一つつき、指を動かして唯一気の置ける友人にメールを送る。ディスプレイが暗転するのを待たず携帯がメールを受信して震えた。『マジで!お疲れ!話聞くよ!』圭子、返事早い。さすが日照り仲間。どうせ夜更かししながらテレビでも見ていたんでしょ、そしてさすが圭子と言うべきか、私が考えていたことを的確に返してきた。お言葉に甘えて、明日は思い切り愚痴ってやることにしよう。私は気の乗らない予定をメモするために手帳を取り出した。

       

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