「ん、ふぁ、あっ、あっ、ああっ!」
なんでだろう。
何かを始めるとしたらその始まりは、たとえばそう、小説の書き出しなんかは、誰だって人目を引くものにしたい。そうだろ? 当然だ。魅力的な出だしで始まるお話は、期待感を煽る。
「あっ、ダメ、そこダメぇっ!」
まあしかしながら現実は、期待感を煽るだけ煽っておいて、とことん焦らす、そういうプレイが上手な人間ばかりがこの世には溢れかえっていて、しかも焦らすだけ焦らしておいて、結局イカせてくれないまま終わってしまう。なんてまあ、ざらにある。
それでも、始まりって重要だ。なんといっても、それは始まりなのだから。餌に食いつきさえすれば、魚は釣れる。その末路がどんなに凄惨なものだったとしても、出汁を目いっぱい吸い込んだおでんのがんもどきみたいに、最も味が染みてるのはやっぱり最初の一口だから。釣れちゃうし、釣られちゃう。
「いやあ、そ、そこっ! お腹側、感じちゃうっ!」
そう、例えば、ぼーいみーつがーる。
ろまんちっくな出会い方。
迷惑な話じゃないか。
人は、愚かな人間は、そんな空想夢想にあこがれたりして、自分の人生にまでろまんちっくを求めてしまうのだ。無様で無残で残酷な、何もない荒野のような未来に、あるはずもない浪漫の欠片を、日々目を凝らして探してる。世の中でそうしてる多くの人々に、僕は言ってあげたい。
そんなところに、ロマンチックは落ちてないんですよ。
「あっ、あっ、イイっ!」
そしてしかし何故かそれ故に、人とは、ひいては男とは悲しい生き物だと、つくづくそう思う。探しても見つからないとわかっているのに、探すのを止められない。どう足掻いたところで見つかるのは、無駄におっぱいの大きいお姉さんの写真とか画像とか、いい年こいてセーラー服なんて着ちゃってるイカしたオバサンの動画とか、あるいはこんなエッチぃ音声だとか、そんなものばかりなんだけど。
「あぁん、そんなにかき回さないでぇ!」
馬鹿なんだよな、僕らは。端的に言って。
始まりって、探すものじゃない。
気づいたら、もう始まっていて、一時停止のボタンなんかなくて、終わってあとから見返してみると、ああ、そこでようやく気付ける。
そういえば、こんなことが始まりだったのかも、って。
「えー、つまりだな、この部分のゼクエンツをワンセットで考えて……」
「あっ、あっあっ」
なるほど僕らは出会っているし、同時に既に、別れてる。まるでフーガの主題のように。
「シンコペーションに注目する」
「あっ、くるくる!」
始まりなんて、求めちゃだめなんだ。
『なんて感じの悪い女なのだろう。あれでも本当に女なのだろうか。それすらも疑いたくなる』
これは、ショパンの言葉。
フレデリック・ショパンとジョルジュ・サンドの出会いだってこうだった。衝撃的だろ。そんなものを、形にするのが、物語というやつなのだ。言葉であり、絵であり、音楽なのだ。
すごいと思わないか?
「ここからここまでのパートをぉぉ!」
「あっ! だめだめだめ!」
もっとも僕はそんなものを高望みしたりはしなかったし、はなから探そうともしていなかった。何かを始めようだなんて、もう思ってなかった。でも無理だ。
僕らはとっくに始まってるし、とっくの昔に終わってる。
これは、僕の言葉。
逆説的で、二律背反で、そして真理でもある。
「同じものだとおぉぉおおぉぉおぉ、考えるぅぅおうぉぉおおおおお!」
うるせえ。
「……くそ、大事なとこが聴こえなかった」
「ねえ」
と、まあ。
「何聴いてるの?」
思い返せばこんなことだったのだ、始まりは。