アクティブニートと助手
4:Steins;Neet
天才と秀才の違いとは何なのだろうか。
一例として、辞書を引いてみればこう書いてある。
天才とは『生まれつき備わっている、極めてすぐれた才能。また、その持ち主』
秀才とは『非常にすぐれた学問的才能。また、その持ち主』
一見すれば同じ意味合いだろう、しかし、そこには微妙なニュアンスの違いがある。
微妙で、けれど決定的で、ある意味で致命的な、溝が、深淵とも言える違いが。
要するに『天才』というのは他者が、場合によっては自分自身でも理解の範疇に及ばぬ所で回答を導き出す者であるのに対して、『秀才』というのは必ず理知的に、論理的に裏打ちされた、導き出された上で成り立つ、高い能力を持った者のことを指すのだ。
要するに、と言った割にややこしかったので、より至極簡単に言えば、生まれながらに潜在能力が飛び抜けている、本人でさえもその卓越されたセンスに自覚が無い者が『天才』と呼ばれ、努力に努力を上塗りし続け、他者のセンスを吸収し、使いこなし、駆使し、その当然の帰結として優れた能力を手にした者が『秀才』と呼ばれるのである。
ならば、僕は天才と呼ばれるべき存在なのだろうか。一般より偏差値の高い高等学校で、殆ど定期テストや模試において首位を維持し続けてきた僕であるならば、自信を持って自分を天才であると自負してしまってもいいのだろうか。
言うまでもない、それは違う。僕は所詮与えられたものの中で、要求された事物の中ででしか常に最上級の結果を生み出すことしか出来ない生き物なのだ。故に、手探りで、それこそ殆ど無の状態から何かを作り出すなど、もっての外である。
それ故、僕はアルベルト・アインシュタインみたく特殊相対性理論を発見することなど出来なければ、必然リチャード・トレヴィシックのように蒸気機関を発明することも、ましてや、そんな発想に至ることも、きっとないだろう。
なら寧ろ、僕は秀才という言葉の方が相応しいのだろうか。
否、それもまた、違う。こんな曖昧な言い回しでは、酷く鬱陶しく感じるかもしれないが、僕という存在は理知的にも、論理的にも裏打ち出来ないのだ。努力などという言葉とは無縁、というよりは絶縁したという方がしっくりくるかもしれない。所詮僕は、一つの希望に縋るために、全てを終わることをよしとした、死に損ないの異端児に過ぎない。
だから、根本的な問題として、そんな素晴らしく、美しい、汚染された形跡が全く無い新品同様の言葉達に僕を当てはめてなどいけないのだ。そういうのは人間の枠に収まっている者に使われるべきであって、下劣と、卑怯と、醜悪を押して、固めて、叩いて、削って綺麗に見せかけているだけの擬い物に使ってしまっては、天才や秀才に、あまりに失礼だ。
流石に生まれてこなければよかったとまでは思っていない、そこまで自分を卑下する必要はどこにもない、けれど、ここ数年を生きてきた僕の存在意義は間違い無く否定されるべきで、非難囂々とされても一切の文句は言えないだろう。
そんなことを聡ちゃんに言ったら一体どんな反応をするのかな、今時のかっくいー主人公の如く『俺がずっと傍にいてやるけん!』とかイケ顔で言ってくれるのだろうか。そうなら嬉しいけどね、やっぱり女の子はそういう献身的な王子様に憧れちゃうから。
だからといって、僕は、自分の主張を曲げるつもりは毛頭ないのだけど。
だって、必然から逃れて生き長らえる屑なんて、どう考えても駄目でしょう?
もしかしたら、『だからあなたは慈善活動という名の罪滅ぼしでもしているのですか?』とか思われてしまうかもしれないが、それも違う、甚だ違う。
僕の信念なんてね、本当にたいしたものじゃないんだ。行動力? 意志の強さ? 無茶? 向こう見ず? なにそれ、おいしいの? ってレベル、物事は常に客観的に見るべきだとかよく言うけれど、本当にそうなのかな? 私情さえ隠せばいくらでも自己は美化出来るのにさ。
言ってしまえば、僕はただ単純に負け戦をしていないだけなんだよ、まあ大抵の戦なんて、僕にとっては殆ど勝ち戦と同義なのだけれど、言うなれば電車に乗っているだけ目的地に着いてしまうような、一々考えたりもしない常識的な感覚。
逢坂結の件の時だってそう、予め全て分かっているなら、それに対抗しうる対策を配置しておけばいいだけの話、そんなの、凡人でも出来るじゃないか。
つまり僕が今現在進行形で開業している神名川人生相談事務所も、所詮見かけ倒しの張りぼてに過ぎない。実体は私利私欲、自己満足の限りを尽くした、愛欲に塗れるお城だよ。
僕はチャーリイ・ゴードンのように本当の意味で純粋で、どこまでも優しい者にはなれなかった――いや、違う、なれなかったんじゃない、なろうとさえしなかったのだ。どこまでも賤しくあり続けることを望んだ、心底欲した――それに、よくよく考えれば彼と僕ではあまりに境遇が違う、同列に扱ってしまっては、不朽の名作に傷を付けてしまう。
無駄に前置きが長くなってしまったけれど、結局僕が言いたいのは、『北海堂聡一の彼女は哀れなクソビッチ』ってこと、いや、僕処女だけどね、因みに形は半月状。
――そうやって、私は内心で延々、永遠と自分を蔑み続ける。
根底では、一切後悔をしていない癖に。
だから、その醜さが生んだ結果を、これから話そうと思う。
僕を含めた有象無象共が織り成す、茶番劇を。
それでは、はじまり、はじまり。
一例として、辞書を引いてみればこう書いてある。
天才とは『生まれつき備わっている、極めてすぐれた才能。また、その持ち主』
秀才とは『非常にすぐれた学問的才能。また、その持ち主』
一見すれば同じ意味合いだろう、しかし、そこには微妙なニュアンスの違いがある。
微妙で、けれど決定的で、ある意味で致命的な、溝が、深淵とも言える違いが。
要するに『天才』というのは他者が、場合によっては自分自身でも理解の範疇に及ばぬ所で回答を導き出す者であるのに対して、『秀才』というのは必ず理知的に、論理的に裏打ちされた、導き出された上で成り立つ、高い能力を持った者のことを指すのだ。
要するに、と言った割にややこしかったので、より至極簡単に言えば、生まれながらに潜在能力が飛び抜けている、本人でさえもその卓越されたセンスに自覚が無い者が『天才』と呼ばれ、努力に努力を上塗りし続け、他者のセンスを吸収し、使いこなし、駆使し、その当然の帰結として優れた能力を手にした者が『秀才』と呼ばれるのである。
ならば、僕は天才と呼ばれるべき存在なのだろうか。一般より偏差値の高い高等学校で、殆ど定期テストや模試において首位を維持し続けてきた僕であるならば、自信を持って自分を天才であると自負してしまってもいいのだろうか。
言うまでもない、それは違う。僕は所詮与えられたものの中で、要求された事物の中ででしか常に最上級の結果を生み出すことしか出来ない生き物なのだ。故に、手探りで、それこそ殆ど無の状態から何かを作り出すなど、もっての外である。
それ故、僕はアルベルト・アインシュタインみたく特殊相対性理論を発見することなど出来なければ、必然リチャード・トレヴィシックのように蒸気機関を発明することも、ましてや、そんな発想に至ることも、きっとないだろう。
なら寧ろ、僕は秀才という言葉の方が相応しいのだろうか。
否、それもまた、違う。こんな曖昧な言い回しでは、酷く鬱陶しく感じるかもしれないが、僕という存在は理知的にも、論理的にも裏打ち出来ないのだ。努力などという言葉とは無縁、というよりは絶縁したという方がしっくりくるかもしれない。所詮僕は、一つの希望に縋るために、全てを終わることをよしとした、死に損ないの異端児に過ぎない。
だから、根本的な問題として、そんな素晴らしく、美しい、汚染された形跡が全く無い新品同様の言葉達に僕を当てはめてなどいけないのだ。そういうのは人間の枠に収まっている者に使われるべきであって、下劣と、卑怯と、醜悪を押して、固めて、叩いて、削って綺麗に見せかけているだけの擬い物に使ってしまっては、天才や秀才に、あまりに失礼だ。
流石に生まれてこなければよかったとまでは思っていない、そこまで自分を卑下する必要はどこにもない、けれど、ここ数年を生きてきた僕の存在意義は間違い無く否定されるべきで、非難囂々とされても一切の文句は言えないだろう。
そんなことを聡ちゃんに言ったら一体どんな反応をするのかな、今時のかっくいー主人公の如く『俺がずっと傍にいてやるけん!』とかイケ顔で言ってくれるのだろうか。そうなら嬉しいけどね、やっぱり女の子はそういう献身的な王子様に憧れちゃうから。
だからといって、僕は、自分の主張を曲げるつもりは毛頭ないのだけど。
だって、必然から逃れて生き長らえる屑なんて、どう考えても駄目でしょう?
もしかしたら、『だからあなたは慈善活動という名の罪滅ぼしでもしているのですか?』とか思われてしまうかもしれないが、それも違う、甚だ違う。
僕の信念なんてね、本当にたいしたものじゃないんだ。行動力? 意志の強さ? 無茶? 向こう見ず? なにそれ、おいしいの? ってレベル、物事は常に客観的に見るべきだとかよく言うけれど、本当にそうなのかな? 私情さえ隠せばいくらでも自己は美化出来るのにさ。
言ってしまえば、僕はただ単純に負け戦をしていないだけなんだよ、まあ大抵の戦なんて、僕にとっては殆ど勝ち戦と同義なのだけれど、言うなれば電車に乗っているだけ目的地に着いてしまうような、一々考えたりもしない常識的な感覚。
逢坂結の件の時だってそう、予め全て分かっているなら、それに対抗しうる対策を配置しておけばいいだけの話、そんなの、凡人でも出来るじゃないか。
つまり僕が今現在進行形で開業している神名川人生相談事務所も、所詮見かけ倒しの張りぼてに過ぎない。実体は私利私欲、自己満足の限りを尽くした、愛欲に塗れるお城だよ。
僕はチャーリイ・ゴードンのように本当の意味で純粋で、どこまでも優しい者にはなれなかった――いや、違う、なれなかったんじゃない、なろうとさえしなかったのだ。どこまでも賤しくあり続けることを望んだ、心底欲した――それに、よくよく考えれば彼と僕ではあまりに境遇が違う、同列に扱ってしまっては、不朽の名作に傷を付けてしまう。
無駄に前置きが長くなってしまったけれど、結局僕が言いたいのは、『北海堂聡一の彼女は哀れなクソビッチ』ってこと、いや、僕処女だけどね、因みに形は半月状。
――そうやって、私は内心で延々、永遠と自分を蔑み続ける。
根底では、一切後悔をしていない癖に。
だから、その醜さが生んだ結果を、これから話そうと思う。
僕を含めた有象無象共が織り成す、茶番劇を。
それでは、はじまり、はじまり。
休日だというのに酷く暇を持て余す昼下がりだった。
読者が思っている以上に僕はテレビっ子だったりするのだが、そんな関テレの土曜の正午から始まるバラエティ番組三連発もあっさり見終わってしまい、粗方2chも煽り倒したいま、ただただ僕はソファーベッドの上で仰向けになるしかなかった。
世紀末テストも終わりを告げ、あと二週間もすれば半裸の夏休みが全裸でこっちにやってくる。まあ、万年夏休みみたいな僕が今更夏休みに思いを馳せることなど何もないのだが、聡ちゃんとほぼ四六時中一緒にいられるとなれば話は別だ。今世紀最大級の夏休みになること必至、むしろ僕が全裸で待機しておきたくなるぐらい否応にテンションが上がるというもの。
確実にCまではもって行きたいところだ、可能なら未知のDまで食い込みたい。
しかし、お気づきだと思うが今ここに聡ちゃんはいない、仕事で出払っているのだ。
何の仕事? と不覚にも思った人がいるかもしれないが、こう見えても神名川人生相談事務所は慈善活動とはいえ法律事務所や探偵事務所のように依頼基づいて問題の解決にあたっている。基本家に籠もっている上に、第一章以来ロクに仕事らしい仕事をしている描写がないものだから、本分を忘れられてしまっているのも仕方が無い気もするが、見えない所でそれなりに仕事はこなしていたりするのでご注意願いたい。
因みにここ最近の依頼内容はリア充の恋のキューピット役や、親の金をくすねて望んだ安田記念で全額すってしまった憐れな学生を、逢坂結が宝塚記念で全額取り返したり、体育館の天井に引っ掛かったボールを回収したり云々――
そして、聡ちゃんは今現在同じクラスに在籍する爬虫類マニアの女の子、群馬景子が飼育するコーンスネークが脱走したとのことで捜索に向かわせている。だがしかし、食物連鎖が崩壊してでも爬虫類の撲滅を願ってやまない(本人曰く、虫が絶滅しても、その食物連鎖の穴は他の生物が埋めるから問題ない、とのこと)ほど大の虫嫌いである聡ちゃんは当然この依頼をジャンピング土下座で拒否したのであるが、とあるレイプ未遂疑惑(前章参照)をネタに強請にかけたところ、福本漫画の敗者の顔張りに悲痛に歪んだ顔で、渋々手伝いに行ってくれた。
ご存知の通り僕は弩級のマゾなのだけれど、どうやら両刀なのかもしれない。
よくよく見返すと『人生相談』などと銘打っている割に碌にそれっぽいことをしていなのはご愛敬なのだが、まあ、あくまで名目上そうなだけで実際は初めに言った通り万屋としてやっていくつもりだったから、そこら辺の定義は適当ということで。ホラ、こういうのって無意味だとしても名前って付けたくなるじゃない? 要は気持ちの問題なんだよ。
それに――こんなもの、適当でも何でもいいというのが本音だしね。囲いがあって、そこに意味が存在しているのなら別に万屋だろうが、相談事務所だろうが、どんなものでも構わない、何ならフィリピンパブにしてもいいぐらい――いや、それは流石に国籍的に無理だけど。
「それにしても暇だな……」
確か逢坂結はインターハイがどうとかで休日返上で練習しているのだっけ。
設定している割にはこれもまたあまり話が触れられてないから忘れられがちなのだが、結は陸上部の短距離部門のエースとして活躍しているのだ。新都高校はスポーツに関しても相当力を入れているから、将来を担う才能に溢れたプロの卵が結構集まってくるのだけれど、その中でも彼女の襲来は陸上界において衝撃を通り越して絶句であったらしい、僕は陸上など己の身体と比例して昔から超が付くほど興味が無いのだが、結が助手として働いている現在においても、陸上に関する情報を殆ど調べた記憶がないにも関わらず、鼓膜を劈く勢いで彼女の活躍は耳に押し寄せてくるものだった。
まあ、そうは言っても当たり前と言えば当たり前だ。新聞のスポーツ面を開けば、彼女のキメ顔が飛び出し、ニュースを見ていれば前触れもなく彼女のドヤ顔がアップで映る、彼女の陸上情報から逃れながら暮らせと言う方が無理があるまでに有名なのだから。大会に出場する度に圧倒的な速さで記録を塗り替え、しかも陰毛ヘッドを除けば中々の容姿端麗ときている、マスコミという名の鴉がその獲物を逃すはずがない。
それにも関わらず、彼女がマスコミやファンに露見ことなく、忙しい合間を縫って僕の事務所で仕事をこなせているのは大いなる愛の力と言えるだろう、最近はその力が更に増大して同じ短距離のエースである男子にも二メートルもの差を付けて勝ってしまっているらしい、らぶぱわーというのは全く恐ろしいものである。その愛が哀にならならぬよう常に学内外で絶妙な情報操作を怠らない僕の身にもなって欲しいものだが。
余談だが彼女は陸上界において『日本版GODZILLA』と称され、畏怖されているらしい、どこからどう突っ込めばいいか分からない実にシュールなあだ名である。
「結のネタはこんなものか、東橋夕季は……何でいないんだっけ」
ああ、そういえば実家に帰っているのか、寮住まいだからテストが終わるとそこからは休みに入るまで実家通いになるとかどうとか言っていたような気がする、どう考えても夏休みが始まってから帰った方が楽に決まっているのだけど、まあそこら辺は家庭の事情がどうとやら、といったところだろう、深く詮索するつもりはない。
それに、夕季の仕事は基本的にサイトの管理と依頼人との仲介役が主になっている、パソコンさえあれば常に連絡は取り合えるのだから常に事務所にいる必要などないのだ。
学校裏サイトに関する件は実はこんなところで役に立っていたりする。
加えてその一件は僕の活動は想像以上に学校中に知らしめてしまったらしく、湯水のように増えてしまった(といっても一週間に二、三人程度であるが)依頼客に対し、双方共に面倒さを取り払うために、単純な依頼であればメールのやりとりで済ませようということで彼女に我が事務所のサイトを作って貰ったのだ。因みにサイトの装飾はどこかの公式サイトと勘違いしてしまうほど無駄にお洒落で、クリエイター顔負けの高度な技術が駆使されていたりする。
恐るべしパソオタ根性、おもくそCPU喰われるけど。
依頼をする時は是非とも携帯サイトの方を利用することをオススメしたい。
そういう訳で僕の事務所は若干厄介な四角関係を除けば毎日が平穏そのものと言えるだろう、最近も桃鉄でリアルファイトに発展しかけるぐらいの平常運転だし。
「なーんて……、勘違いもいいところだ」
台詞を借りさせてもらうなら、戯言? 嘘?
本当に平常運転なら、日常を噛み締めたりしないだろうに――
「それでも暇なことに変わりはないのだけどね……」
仕方なくゆっくりと上半身を起こして、そして思案する、聡ちゃんも、逢坂結も、東橋夕季もいないこの状況で、一体何をしてどう時間を潰すべきか。
オナニーの回数最長記録に挑戦するのも悪くないな、いやでも、テクノブレイクしたら洒落にならんし……。ならジョジョを第一部から読み直すか、いや駄目だ、何巻か抜けていたような気がする。だったら潔くコナンが始まるまで惰眠を貪るか、と言いたいところだけど起きてまで3時間も経ってないから無理ダナ。こうなったらライフライナーに扮してtwitterで哀れな子羊でも演じてやろうか、それとも――
「おーい、さきのんいるかー?」
――と思ったが、ここでインターフォンを使わずに声で住人を呼ぶという原始的且つ荒技な手法で僕の名前が聞こえてきたので、仕方なく思考を止め、足を地面に降ろす。
とはいうものの、特に出迎える気も起きないので、返事もせず足をプラプラしていると、案の定奴は『御邪魔します』の挨拶も余所にズカズカとリビングへと押し入ってきた。
……まあ、ベランダを玄関と間違えなくなっただけ合格としよう。全然駄目だけど。
「うん? 何だ、さきのん、いるじゃねーか、いるなら返事しろよな」
「常識が粉砕骨折している結に説教されるほど僕は都落ちした記憶はないよ、だいたい、他の友人の家に御邪魔する時も君はそうやって不法侵入しているのかい?」
「い、いやさ、つい癖でやっちゃうんだよ、なんて言うかインターフォン云々を介さないと入れない壁みたいな感じ? それがどうにも落ち着かないっていうか、理解出来ないっていうかさ……気づいたらいつも特攻しちゃってて――」
不覚にも、彼女が短距離で活躍している理由が分かったような気がした。
「結が一定の有名人じゃなかったらとっくの昔に青い公務員と友達の輪で繋がっているところだよ、だとしても、我が家の玄関を潜っていればそれぐらい学んで然るべきだと思うのだが」
「ないんだな、それが」
「……は?」
「だからないのよ、玄関。扉みたいなのは確かにあるけど車専用の地下入り口に通じるものしかないし、あと個々人の部屋以外は全部自動ドアだしさ」
「え、何、一体誰と闘っているの」
「さきっちも社長令嬢だからこのあるあるは共感すると思ったんだけどなあ」
「ねーよ」
ボケとかいう次元じゃないよ、箱入り過ぎて脳みそダチョウになってますがな。
基本突っ込みは聡ちゃんに丸投げしていたから、あまり気にしたことはなかったけれど、いざ結を相手にするとここまでエゲついない疲労を伴うのか、聡ちゃん、ごめんよ。
まあ、閑話休題として。
「それはともかく、君は――何か相談事があって来たのだろう?」
そう告げると、僕はゆっくり人差し指を向ける、結――ではなく、その隣にいる少女を。
身長は結よりは低いが僕よりは高いといった感じで、最近の言い方をするならばパッツンというのか、綺麗に切り揃えられた前髪と後ろ髪は例えるなら雛人形のようであり、そこから垣間見えた気弱そうな目はとてもじゃないがスポーツを嗜んでいるそれではなかった。どちらかと言えば茶道部でお茶を啜っている方が明らかに様になっていると言えよう。
――ところが、彼女は僕に応答せず、何故か結の後ろに隠れてしまった。
「…………………………むむ」
なんて調子の狂う真似をしてくれるんだ、とりあえず僕のドヤ顔を返せ。
「ああごめん、この子私達と同い年で陸上部の友達なんだけど、半端なく口ベタな上に人嫌いかってぐらい人見知りでさ……、ほら! お前が相談したいって言ったから連れてきてやったんだろ、後ろに隠れてどうすんだよ、私は保護者じゃねーんだから」
「はっ……あわ、あわわ」
そうやって結に押されて再度僕の目の前に現れた彼女だったが、しかし、それでも僕と目を合わせるのには躊躇いを感じるのか、俯いてひたすら首に架けられたヘッドフォンを弄くり続けるだけで、一向に会話たる会話が起こる気配がしなかった。
ふうむ……、別に男の子と話しているわけではないのに、これは致命的なまでにコミュ障な子だね、これで一体どうやって十八年間も生きて来られたのか不思議でならない。
……ん、いや、そんなこともないか、いくら会話が苦手だと言っても友人がいない訳ではなさそうだし、まして陸上部に所属しているのだから内気過ぎる、という訳でもないのだろう、それなら何の問題もない、単純に己を主軸に行動が出来ないというだけのことだ。それなら僕よりはマシ、主導権をこちらに移せばいいだけのこと。
「うーん、じゃあそうだね、とりあえず名前を教えてくれてもいいかな?」
ここで素人AV物の触りを思い出してしまった僕はただのエロい子。
でもあのシュチュエーションは結構興奮するよね、初エッチ年齢訊くところとか特に。
「え、えっと……あの……その…………」
「うん?」
「か……籠嶋……冬子、十八歳、といいます……」
「――――」
その名前に、一瞬、顔が強ばる。
無論、その表情を悟られないよう次の瞬間には笑顔を繕っていたが、それでも素直に反応出来なかった所為か、不審とまでは思われなかったと思うが、結が僕を見て、徐に口を開く。
「うん? さきのん? もしかして、カゴちゃんのこと知っているのか?」
「……いや、僕が依頼以外で他者の個人情報を調べることはまず無い、ましてや僕は学校に通っていないのだよ、彼女のことなど知りようがないだろう」
そう言い終えてから、己の狼狽えっぷりが更に露呈したような気がして、余計に怪しまれるのではないかと危惧したが――渡りに船。突然鳴り響いた音楽によって会話が遮蔽される。
そしてその救世主は――どうやら僕のスマートフォンからだった。
「え、うわっ、魂のルフランって……、また偉く懐かしい選曲だな」
「はは、なに、これは早く『Q』を公開して欲しいという僕なりの意思表示だよ」
「作者が推敲サボり倒した所為でもう公開日発表しちゃったけどな……。それで、電話か?」
「いや、メールだね、もしかしたら聡ちゃんが勢い余って蛇を踏み殺したかもしれない、一応確認のためにも、少し失礼させてもらうよ」
まあ流石にそれは無いと思うけど、聡ちゃんの場合、踏み殺すより先に、意識が踏み殺されるだろうから。
そうして意識なく開いた未読メールに――僕の意識が遠のきそうになる。
ははは、ちょっと待てよ、まだ依頼内容すら聞いていないんだぜ? 言わばRPGのOPを見ている状態に等しい、なのに、これはちょっと横暴過ぎやしないですか?
立て続けに起きた小さな予感が、積もって山となり、崩れて雪崩となり、僕を生き埋めにするような、そんな感覚が脳髄に流れ込んでくる。
それを塞き止める力は、僕には無いというのに。
「聡一大丈夫なのか?」
「あ、いや、すまない、ただのメルマガだったよ」
一体、どういうつもりだ?
『籠嶋冬子の依頼を拒否しろ』
読者が思っている以上に僕はテレビっ子だったりするのだが、そんな関テレの土曜の正午から始まるバラエティ番組三連発もあっさり見終わってしまい、粗方2chも煽り倒したいま、ただただ僕はソファーベッドの上で仰向けになるしかなかった。
世紀末テストも終わりを告げ、あと二週間もすれば半裸の夏休みが全裸でこっちにやってくる。まあ、万年夏休みみたいな僕が今更夏休みに思いを馳せることなど何もないのだが、聡ちゃんとほぼ四六時中一緒にいられるとなれば話は別だ。今世紀最大級の夏休みになること必至、むしろ僕が全裸で待機しておきたくなるぐらい否応にテンションが上がるというもの。
確実にCまではもって行きたいところだ、可能なら未知のDまで食い込みたい。
しかし、お気づきだと思うが今ここに聡ちゃんはいない、仕事で出払っているのだ。
何の仕事? と不覚にも思った人がいるかもしれないが、こう見えても神名川人生相談事務所は慈善活動とはいえ法律事務所や探偵事務所のように依頼基づいて問題の解決にあたっている。基本家に籠もっている上に、第一章以来ロクに仕事らしい仕事をしている描写がないものだから、本分を忘れられてしまっているのも仕方が無い気もするが、見えない所でそれなりに仕事はこなしていたりするのでご注意願いたい。
因みにここ最近の依頼内容はリア充の恋のキューピット役や、親の金をくすねて望んだ安田記念で全額すってしまった憐れな学生を、逢坂結が宝塚記念で全額取り返したり、体育館の天井に引っ掛かったボールを回収したり云々――
そして、聡ちゃんは今現在同じクラスに在籍する爬虫類マニアの女の子、群馬景子が飼育するコーンスネークが脱走したとのことで捜索に向かわせている。だがしかし、食物連鎖が崩壊してでも爬虫類の撲滅を願ってやまない(本人曰く、虫が絶滅しても、その食物連鎖の穴は他の生物が埋めるから問題ない、とのこと)ほど大の虫嫌いである聡ちゃんは当然この依頼をジャンピング土下座で拒否したのであるが、とあるレイプ未遂疑惑(前章参照)をネタに強請にかけたところ、福本漫画の敗者の顔張りに悲痛に歪んだ顔で、渋々手伝いに行ってくれた。
ご存知の通り僕は弩級のマゾなのだけれど、どうやら両刀なのかもしれない。
よくよく見返すと『人生相談』などと銘打っている割に碌にそれっぽいことをしていなのはご愛敬なのだが、まあ、あくまで名目上そうなだけで実際は初めに言った通り万屋としてやっていくつもりだったから、そこら辺の定義は適当ということで。ホラ、こういうのって無意味だとしても名前って付けたくなるじゃない? 要は気持ちの問題なんだよ。
それに――こんなもの、適当でも何でもいいというのが本音だしね。囲いがあって、そこに意味が存在しているのなら別に万屋だろうが、相談事務所だろうが、どんなものでも構わない、何ならフィリピンパブにしてもいいぐらい――いや、それは流石に国籍的に無理だけど。
「それにしても暇だな……」
確か逢坂結はインターハイがどうとかで休日返上で練習しているのだっけ。
設定している割にはこれもまたあまり話が触れられてないから忘れられがちなのだが、結は陸上部の短距離部門のエースとして活躍しているのだ。新都高校はスポーツに関しても相当力を入れているから、将来を担う才能に溢れたプロの卵が結構集まってくるのだけれど、その中でも彼女の襲来は陸上界において衝撃を通り越して絶句であったらしい、僕は陸上など己の身体と比例して昔から超が付くほど興味が無いのだが、結が助手として働いている現在においても、陸上に関する情報を殆ど調べた記憶がないにも関わらず、鼓膜を劈く勢いで彼女の活躍は耳に押し寄せてくるものだった。
まあ、そうは言っても当たり前と言えば当たり前だ。新聞のスポーツ面を開けば、彼女のキメ顔が飛び出し、ニュースを見ていれば前触れもなく彼女のドヤ顔がアップで映る、彼女の陸上情報から逃れながら暮らせと言う方が無理があるまでに有名なのだから。大会に出場する度に圧倒的な速さで記録を塗り替え、しかも陰毛ヘッドを除けば中々の容姿端麗ときている、マスコミという名の鴉がその獲物を逃すはずがない。
それにも関わらず、彼女がマスコミやファンに露見ことなく、忙しい合間を縫って僕の事務所で仕事をこなせているのは大いなる愛の力と言えるだろう、最近はその力が更に増大して同じ短距離のエースである男子にも二メートルもの差を付けて勝ってしまっているらしい、らぶぱわーというのは全く恐ろしいものである。その愛が哀にならならぬよう常に学内外で絶妙な情報操作を怠らない僕の身にもなって欲しいものだが。
余談だが彼女は陸上界において『日本版GODZILLA』と称され、畏怖されているらしい、どこからどう突っ込めばいいか分からない実にシュールなあだ名である。
「結のネタはこんなものか、東橋夕季は……何でいないんだっけ」
ああ、そういえば実家に帰っているのか、寮住まいだからテストが終わるとそこからは休みに入るまで実家通いになるとかどうとか言っていたような気がする、どう考えても夏休みが始まってから帰った方が楽に決まっているのだけど、まあそこら辺は家庭の事情がどうとやら、といったところだろう、深く詮索するつもりはない。
それに、夕季の仕事は基本的にサイトの管理と依頼人との仲介役が主になっている、パソコンさえあれば常に連絡は取り合えるのだから常に事務所にいる必要などないのだ。
学校裏サイトに関する件は実はこんなところで役に立っていたりする。
加えてその一件は僕の活動は想像以上に学校中に知らしめてしまったらしく、湯水のように増えてしまった(といっても一週間に二、三人程度であるが)依頼客に対し、双方共に面倒さを取り払うために、単純な依頼であればメールのやりとりで済ませようということで彼女に我が事務所のサイトを作って貰ったのだ。因みにサイトの装飾はどこかの公式サイトと勘違いしてしまうほど無駄にお洒落で、クリエイター顔負けの高度な技術が駆使されていたりする。
恐るべしパソオタ根性、おもくそCPU喰われるけど。
依頼をする時は是非とも携帯サイトの方を利用することをオススメしたい。
そういう訳で僕の事務所は若干厄介な四角関係を除けば毎日が平穏そのものと言えるだろう、最近も桃鉄でリアルファイトに発展しかけるぐらいの平常運転だし。
「なーんて……、勘違いもいいところだ」
台詞を借りさせてもらうなら、戯言? 嘘?
本当に平常運転なら、日常を噛み締めたりしないだろうに――
「それでも暇なことに変わりはないのだけどね……」
仕方なくゆっくりと上半身を起こして、そして思案する、聡ちゃんも、逢坂結も、東橋夕季もいないこの状況で、一体何をしてどう時間を潰すべきか。
オナニーの回数最長記録に挑戦するのも悪くないな、いやでも、テクノブレイクしたら洒落にならんし……。ならジョジョを第一部から読み直すか、いや駄目だ、何巻か抜けていたような気がする。だったら潔くコナンが始まるまで惰眠を貪るか、と言いたいところだけど起きてまで3時間も経ってないから無理ダナ。こうなったらライフライナーに扮してtwitterで哀れな子羊でも演じてやろうか、それとも――
「おーい、さきのんいるかー?」
――と思ったが、ここでインターフォンを使わずに声で住人を呼ぶという原始的且つ荒技な手法で僕の名前が聞こえてきたので、仕方なく思考を止め、足を地面に降ろす。
とはいうものの、特に出迎える気も起きないので、返事もせず足をプラプラしていると、案の定奴は『御邪魔します』の挨拶も余所にズカズカとリビングへと押し入ってきた。
……まあ、ベランダを玄関と間違えなくなっただけ合格としよう。全然駄目だけど。
「うん? 何だ、さきのん、いるじゃねーか、いるなら返事しろよな」
「常識が粉砕骨折している結に説教されるほど僕は都落ちした記憶はないよ、だいたい、他の友人の家に御邪魔する時も君はそうやって不法侵入しているのかい?」
「い、いやさ、つい癖でやっちゃうんだよ、なんて言うかインターフォン云々を介さないと入れない壁みたいな感じ? それがどうにも落ち着かないっていうか、理解出来ないっていうかさ……気づいたらいつも特攻しちゃってて――」
不覚にも、彼女が短距離で活躍している理由が分かったような気がした。
「結が一定の有名人じゃなかったらとっくの昔に青い公務員と友達の輪で繋がっているところだよ、だとしても、我が家の玄関を潜っていればそれぐらい学んで然るべきだと思うのだが」
「ないんだな、それが」
「……は?」
「だからないのよ、玄関。扉みたいなのは確かにあるけど車専用の地下入り口に通じるものしかないし、あと個々人の部屋以外は全部自動ドアだしさ」
「え、何、一体誰と闘っているの」
「さきっちも社長令嬢だからこのあるあるは共感すると思ったんだけどなあ」
「ねーよ」
ボケとかいう次元じゃないよ、箱入り過ぎて脳みそダチョウになってますがな。
基本突っ込みは聡ちゃんに丸投げしていたから、あまり気にしたことはなかったけれど、いざ結を相手にするとここまでエゲついない疲労を伴うのか、聡ちゃん、ごめんよ。
まあ、閑話休題として。
「それはともかく、君は――何か相談事があって来たのだろう?」
そう告げると、僕はゆっくり人差し指を向ける、結――ではなく、その隣にいる少女を。
身長は結よりは低いが僕よりは高いといった感じで、最近の言い方をするならばパッツンというのか、綺麗に切り揃えられた前髪と後ろ髪は例えるなら雛人形のようであり、そこから垣間見えた気弱そうな目はとてもじゃないがスポーツを嗜んでいるそれではなかった。どちらかと言えば茶道部でお茶を啜っている方が明らかに様になっていると言えよう。
――ところが、彼女は僕に応答せず、何故か結の後ろに隠れてしまった。
「…………………………むむ」
なんて調子の狂う真似をしてくれるんだ、とりあえず僕のドヤ顔を返せ。
「ああごめん、この子私達と同い年で陸上部の友達なんだけど、半端なく口ベタな上に人嫌いかってぐらい人見知りでさ……、ほら! お前が相談したいって言ったから連れてきてやったんだろ、後ろに隠れてどうすんだよ、私は保護者じゃねーんだから」
「はっ……あわ、あわわ」
そうやって結に押されて再度僕の目の前に現れた彼女だったが、しかし、それでも僕と目を合わせるのには躊躇いを感じるのか、俯いてひたすら首に架けられたヘッドフォンを弄くり続けるだけで、一向に会話たる会話が起こる気配がしなかった。
ふうむ……、別に男の子と話しているわけではないのに、これは致命的なまでにコミュ障な子だね、これで一体どうやって十八年間も生きて来られたのか不思議でならない。
……ん、いや、そんなこともないか、いくら会話が苦手だと言っても友人がいない訳ではなさそうだし、まして陸上部に所属しているのだから内気過ぎる、という訳でもないのだろう、それなら何の問題もない、単純に己を主軸に行動が出来ないというだけのことだ。それなら僕よりはマシ、主導権をこちらに移せばいいだけのこと。
「うーん、じゃあそうだね、とりあえず名前を教えてくれてもいいかな?」
ここで素人AV物の触りを思い出してしまった僕はただのエロい子。
でもあのシュチュエーションは結構興奮するよね、初エッチ年齢訊くところとか特に。
「え、えっと……あの……その…………」
「うん?」
「か……籠嶋……冬子、十八歳、といいます……」
「――――」
その名前に、一瞬、顔が強ばる。
無論、その表情を悟られないよう次の瞬間には笑顔を繕っていたが、それでも素直に反応出来なかった所為か、不審とまでは思われなかったと思うが、結が僕を見て、徐に口を開く。
「うん? さきのん? もしかして、カゴちゃんのこと知っているのか?」
「……いや、僕が依頼以外で他者の個人情報を調べることはまず無い、ましてや僕は学校に通っていないのだよ、彼女のことなど知りようがないだろう」
そう言い終えてから、己の狼狽えっぷりが更に露呈したような気がして、余計に怪しまれるのではないかと危惧したが――渡りに船。突然鳴り響いた音楽によって会話が遮蔽される。
そしてその救世主は――どうやら僕のスマートフォンからだった。
「え、うわっ、魂のルフランって……、また偉く懐かしい選曲だな」
「はは、なに、これは早く『Q』を公開して欲しいという僕なりの意思表示だよ」
「作者が推敲サボり倒した所為でもう公開日発表しちゃったけどな……。それで、電話か?」
「いや、メールだね、もしかしたら聡ちゃんが勢い余って蛇を踏み殺したかもしれない、一応確認のためにも、少し失礼させてもらうよ」
まあ流石にそれは無いと思うけど、聡ちゃんの場合、踏み殺すより先に、意識が踏み殺されるだろうから。
そうして意識なく開いた未読メールに――僕の意識が遠のきそうになる。
ははは、ちょっと待てよ、まだ依頼内容すら聞いていないんだぜ? 言わばRPGのOPを見ている状態に等しい、なのに、これはちょっと横暴過ぎやしないですか?
立て続けに起きた小さな予感が、積もって山となり、崩れて雪崩となり、僕を生き埋めにするような、そんな感覚が脳髄に流れ込んでくる。
それを塞き止める力は、僕には無いというのに。
「聡一大丈夫なのか?」
「あ、いや、すまない、ただのメルマガだったよ」
一体、どういうつもりだ?
『籠嶋冬子の依頼を拒否しろ』
身の丈に合わない行動というのはいつだって苦しいものだ。
けれど人は、それでも決して止めようとはしない、どうしてなのか。
簡単なことだ。それは自分がこの程度ではないと常に思っているから、もっと素晴らしい、凡人と隔絶された潜在的才能が己の中にはあると信じて止まないから、平凡であることを必死に、躍起に否定したがるのである。
どこまでも自意識過剰で自信家、大いに結構なことだと思う。
しかし、だからといって努力すれば誰でも報われるのかと言えば全くそんなことはない。簡単なことだが、天才が努力を上積みしたら努力した凡人はそれを超えられるのだろうか?
無理だ。絶対的な差を努力で埋めようとしているのにも関わらず、その分相手に努力をされてしまってはどう足掻いたって同じ視界を覗くことなど出来ない、徒労もいいところである。
よくアスリートなどで『あの人は努力でのし上がった人』などと言う話をちらほら聞くことがあるが、それは大きな勘違いである。彼らは何かしら凡人とは違う、絶望的な才を必ず有しているのだ。だが、その才を除いて、彼らはそれ以外の数値を努力によって一定値まで底上げしている為に、本人は持ち合わせた才が最も重要であったことに自覚すら持たない。
所詮そういうものだ。あらゆる世界で、高位置で生き残るには必須の所有物なのだから。
残酷な現実だろう。けれど、表舞台で活躍する者は総じて天才しかいないんだよ。
故に天才というのは一部の例外を除いて、自分が凡人と比べて天文学的数値を持っていることに自覚がない、だからそれをひけらかすこともしない。ただひたすらに、自己満足、自己完結の為に、探求心、好奇心に身を任せ、終着点を追い求め続ける。果ては他者が用意した名誉などには根本的に無関心な者さえ、いや、そもそも興味がないというべきか。
逆に凡人はそこら辺を意固地になってアピールしたがる、背伸びして手に入れた些細な成果を印籠のように見せびらかすのだ。どうして? そうやって人と差異を作り続けないと自我を保つことが出来ないからだよ。
別に秀才を揶揄している訳ではない、秀才は秀才で、僕は努力の天才と評していいと思っている。ただ、天才が雲の上の存在であるならば、秀才は凡人山の山頂が限界であろう。
そのような事実を突きつけたところで、だからどうした、という話ではある。何故なら、その程度で背伸びを止める奴などいる筈ないのだから。
むしろ余計に必死になって頑張ろうとするのではないだろうか。
まあ、そんな奴は一人もいないと言えば嘘になる。しかし、もし歩みを止めて、能書きだけを垂れ流す輩に成り下がってしまえば、そいつは最早人として生きる価値がないだろう。
――うむ、少し自分語りが過ぎてしまったかな、そろそろ本編に戻るとしようか。
…………え? 僕かい? 僕は天才以外の何者でもないよ。
いや、それは違うか。
※
「え、えっと……確か世紀末テストが始まる一週間前ぐらいだったと思います……」
籠嶋冬子はアイスカフェラテ(逢坂作、味薄い)を一口飲むと、静かに語り始めた。
「そ、その……突然なっちゃんが『テストで満点を取る方法って知ってる?』って――私に変なことを言ってきたんです……」
「なっちゃん?」
「あっ……! す、すみません…………、その、あの……なっちゃんは、私の友達で……、本名は……蒼森夏美って言うんですけど……」
――分かりきっている癖に一々聞き直すのは何とも滑稽で、酷く惨憺なものだ。
「友人だね――分かった。続けてくれ給え」
「は、はい……。そ、それで……、最初は、ま、まったく意味が分からなかったんですけど。で、でも、よくよく考えてみたらそんな裏技みたいな話、あ、ある訳がないですし……だから、そんなの……あるはずないよって……そう言ったんです……」
「まあ、普通はそうなるよな。でも、そのなっちゃんって奴は何て言ったんだ?」
「え、あ……そ、そうしたらなっちゃ――な、夏美は『それはね、最初から出題内容を知っていればいいのよ』って、そう言って――」
「…………はい? い、いやいやいや! 何だよそれ、そんなの出来たら今頃誰も苦労してねーだろうが。その気になったら私でも上位に入れるような神業じゃないか」
その気にならないと入れないのは結構問題だけどね。
「しかし現実問題、彼女――蒼森夏美は世紀末テストにおいて全科目満点取っている」
「え……? それって一体どういう――」
「か、神名川さんは…………知っていたんですか……?」
「知っていたことは確かだけれど、今ので得心した、と言った方が正しいかな。僕は今まで行われてきた定期テストで二位になったことは一度しかなかったからね。しかもその一度はテスト中に下痢が限界に来て残り時間を全部棒に振ってしまったから――けれど、今回はそんな無様な真似は一切していない、つまり完全に実力で負けてしまっているんだ、あり得ない事にね。ならば、一ヶ月前の夕食の献立でさえ覚えているこの僕が覚えていないなど、不可能な話だろう」
「女の子が平然と下痢とか言うな」
まあ、厳密に言えば実力で負けた、訳ではないのだけれど。
わざと満点にしない方が都合がいいだけであって。
「でも、言われてみれば確かに…………、あ、そういえばさきのんの首位陥落はクラスでもかなりの話題になっていたっけ、すっかり忘れてたぜ」
そしてその日の校内新聞には『堕天』の文字が躍ったらしい、しかも号外で。
ある意味恥辱プレイみたいで感じてしまうから是非止めて欲しいものだ。
「だ、だから……私……最初はカンニングしたんじゃないかと思ったんです……でも――」
「でも、いくらなんでも満点は取るのにカンニングだけでは無理がある、と」
「はい…………」
「新高のテストって尋常じゃないぐらい難しいからなあ、ましてや世紀末なんて常人がこなせる量、レベルじゃねえよ、私だって(事情があって)無茶苦茶頑張ったのに全然点伸びなかったし……。全く、スポーツ推薦で入った身としてはたまったもんじゃないよ」
「うん? 結はスポーツ推薦で新都高校に入学していたのかい?」
「なんだよ、知らなかったのか? さきのん」
「いや、てっきり理事長の権力で裏口入学していたのかと」
「さきのんの中での私の扱い半端なくね?」
閑話休題。
「籠嶋さん、期末課題の後に彼女にそのことを訊いてみたりはしたのかい?」
「い、いえ…………。き、訊こうとは思ったんですけど、も、もし本当に違法も反則もしてなかったらと思うと、ど、どうしても言い出せなくて――だ、だからって、このまま放ってもいられないし……そんなこと考えてたら……頭がこ、こんがらがって――どうすればいいか分からなくなっちゃったんです……。そ、そしたら神名川さんの噂を小耳に挟んで、そ、それで、か、神名川さんの助手だって聞いていた結ちゃんに、相談したんです…………」
籠嶋は膝に置いたヘッドフォンを弄りながら、消え入るような声でそう言った。
「ふむ……、つまり籠嶋さんは友人としてカンニングをしたかもしれない蒼森夏美を咎めてあげたいと、そう思っているんだね。けれど確証がないから事実を調べて欲しい、と」
「そ、そんな感じ……です…………」
「そんなの、私が行って白状させちまえば一発じゃないのか?」
「結は相変わらず目的を完遂するにあたってやることが荒療治だね。そんな下種な方法で事物が円満に解決出来るなら誰も苦労なんてしないよ、ここは警察の取調室でも秘密機関の拷問部屋でもないんだ」
「あ、いや、まあ……そうした方が手っ取り早いかなーって、思ったので……」
「少しは冷静に考え給え、仮に蒼森夏美が本当に不正以外の手段で出題箇所が分かっていたとする。にも関わらず『カンニングしただろ』と一方的に自白を促すような真似をしたら、一体どうなると思う?」
「う、うーん……? え、えっと、だ、駄目……ですよね……」
「そんな浅慮の極みとも言える手段で一体どれだけの冤罪が発生したことか、そういう行為は確定的な証拠を突きつけて、それでもしらばっくれる輩に対して初めて使うべきなんだよ」
「うにゅう……で、でも、だったら一体どうやって満点を取ったっていうんだよ?」
「まだ相談を受けたばかりなのだから、はっきりとは分からない――ただ候補ならいくらでもあるだろう、単純に学校に侵入して問題用紙を盗む手も然り、他にももし蒼森夏美がパソコンが得意な少女ならば、クラックで入手していたって何ら不思議ではない」
「ううん……けど、クラッカーとかいうのはともかくウチの警備は意外と厳重だぜ? ミンポじゃあるまいし、一端の女子高生が職員室に侵入出来るとは思えないけどな」
「クラッカーはあながち間違っていないから無視するとして、なんだいそのインポって」
「インポじゃねえよ、ミンポだって。ミッション:インポッシブルの略」
「絶対誰も使ってないよね、それ」
ここまでくると最早天然ボケですらないからタチが悪い。
軽く咳払いをしてから、話を戻す。
「なんなら、もっと簡単の方法だってある、学校に内通者を作る、とかね」
「? そんなのもっと無理だろ、理事長が親父の私でも絶対出来ないのに――」
「ある意味で王道の、男では到底出来ない裏技が女にはあるじゃないか」
「裏技…………? え? い、いや、待てよ、それって――」
「そ、そんなことなっちゃんがするわけない!!」
鈍器で頭蓋を砕かれたが如き怒声に、僕と逢坂は思わず声の主の方を振り向く。
「あ……………………、す、すみません……! えっと……、あの、その…………」
「ユッキー……お前――」
「いや、推察とはいえあまりに無神経だったね、申し訳ない」
「あ、あの……わたしからお願いしておきながら……こんなこというのはおかしいってことぐらい分かってます…………、で、でも夏美に限ってそんなこと…………」
「分かっているよ。それに、第一これら手段をやる、やらないにしても、彼女の行動そのものにあまりに不可解な点が多すぎる」
「不可解な点? 何だよそれ」
「どうして高校三年の今頃になってこんな行為に及んだのか、だよ」
「どうしてって……。あ、推薦が欲しかった、とか?」
「多少の誤差はあるが、推薦というのは一年生から三年生一学期の中間考査ぐらいまでの成績と生活態度で決まるのが相場だと言われている、仮に彼女が推薦狙いだとしたら時期としてはあまりに手遅れなんだよ――籠嶋さん、蒼森夏美は今までの定期考査全てを合わせた平均順位はどれくらいだったか分かるかな? 大体でいいんだ」
「え、えっと……、だいたいいつも百位似内には入っていたと思います……、で、でも……、上位四十七名が張り出される成績優秀者には入っていたことはないかと…………」
「ここ最近の定期考査で大幅に順位が上がっていたことは?」
「た、多分……無かったと思います…………」
平凡だった生徒が突然の学年首位、手法は不明、私欲目的ではないのか、それとも――
「なあさきのん、ユッキーの言うことが本当なら、蒼森って奴は先生達の出題パターンでも見抜けるような必殺技を突然編み出した以外に説明がつかないぞ……?」
「……………………」
いや。
本当はまだ、もう一つ可能性がある。
それこそ結が言う通り、必殺技にも似た荒技が。
けれど、それを提起する必要は、今はない。
だが、それが事実であれば、きっと辻褄は華麗に合わさるだろう。
何故なら真理を妨げる矛盾など最早意味を成さなくなるから。
そして、同時にそれはどう足掻いても、僕の手に負えなくなる。
違う、足掻いていい正当性が無いといった方が正しいのかもしれない――
故に、現時点で僕が出来ることは、驚異の難易度を誇る世紀末テストを全科目満点で終わらせた、蒼森夏美の真相に迫る以外に存在し得ない。
たとえ胸騒ぎが僕の身体を突き破ろうが、僕に出来ることは、それしか、ない。
そうしなければ――そうし続けなければ――僕は――
「――いずれにしても、まずは情報収集から入るしかない。ここ数日の蒼森さんの行動、近辺で何か起こっていなかったか、洗いざらい調べるんだ。結、君は確か人脈は広かったね?」
「ううん? いやまあ、滅茶苦茶広いって訳じゃないけど、全校生徒の半分ぐらいは知り合いがいたと思うぜ、友達百人は優に越えてるんじゃないかな」
「いいリア充具合だ。そしたら結は主に蒼森さんを知っている人間の友人から情報を入手していってくれ。そうだな、可能なら君に惚れている人間がいればありがたいのだが」
「うんん……? なんだそれ。何でそんな回りくどいことをしなきゃいけないんだ?」
「僕達の行動が本人に悟られないようにする為だよ、直接的な関係だとどうしても本人告げ口される可能性が拭いきれないからね。だが間接的な関係性であれば客観的に蒼森さんの素性を知ることが出来る上、告げ口される心配も極端に下がる。それが君に惚れている人間であろうものなら、尚更ね。君の一声でいとも簡単に秘密を守ってくれる訳さ」
「いやいやいや! 待てって! 私に惚れている奴なんていないし、だ、第一、仮にいたとしても……そ、そんな、た、沢山いる訳ないだろう……、な、何をいきなり――」
頬に手を当て、照れまくる結。ほう、可愛いではないか。
「百合ってことだよ、言わせないでくれ恥ずかしい」
だが一瞬にして奈落に落とす。
「男じゃなくて女!? えっ、いや、おっ、男の子では……?」
「えっ、スポーツ女子って今時流行りませんし……」
「理由が雑っ! ていうか今更百合が恥ずかしいって何だよ! 散々それを遙か上をぶち抜く下ネタ言い続けて、言い倒してたじゃねえか!」
「いやいや、何それ、下ネタとかマジないわ、引くわー」
「依頼人の前だけで仮面被っても手遅れですから」
因みに女子人気が高いというのは事実。というより陸上で大活躍し、その上妙に男らしい面を持ち合わせている癖に、女にモテないという方がおかしな話なのだが。
更に突っ込むとバレンタインデーでは全校女子生徒の約六割から本命チョコを貰っていたらしい、本人はどこまでも阿呆だから友チョコと勘違いしていたらしいが。
軌道修正。
「夕季にはそうだな……、ミクシィやツイッターを使って調べて貰うとしようか、出来ることなら裏サイトも調べて欲しいところだが……」
「んん? 東橋はもう管理人を止めたんだろ? 裏サイトなんてもうない筈じゃ」
「詳しく説明すると面倒だから省くけれど、あそこは学年毎に管理者が違うんだよ。つまり三年生の裏サイトを管理していたのが夕季であっただけ過ぎない。そして、彼女は辞めたのは事実だが、管理の権利を別の人間に委譲している、私情で閉鎖という訳にもいかないからね。ま、たとえ閉鎖させた所で誰かが復活させているのが関の山だけれど」
「ふうん。あんな妬み僻みの吹き溜まりの癖に、そんな需要があるんだな」
「結には分からないだろうが、君みたいに不満を直接行動に移せる人間などそういないものなんだよ。大体不満や嫌悪を吐露することは他者との調和を乱す可能性がある、日本人は特にそれを恐れる生き物だからね、日本に鬱患者が多い原因はそこだよ。けれど、だからといっていつまでも不満を抑えずにはいられない、そうなると結局人は匿名の庭に集まってしまう。決していいことだとは言えないけれど、仕方のない部分もある、悲しい話ではあるけどね」
「そういうもんなのかね……、私にはちょっと分からないよ」
夕季ならばきっとあっさり調べ上げてくるだろうが――だからこそ気が進まない。
「さて――、残るは聡ちゃんだけれども、聡ちゃんの非リア充っぷりは異常だからね……、そこら辺は聡ちゃんを呼び戻してからにして――結、ちょっと聡ちゃんを迎えに行ってくれないか? もしかしたら仕事が滞っている可能性もあるが、その時は手伝ってやってくれ」
「えっ? わ、私がっすか?」
「いや、嫌なら別に――」
「ボケェェェ! 誰がいつ何時何分何秒地球が何回廻った時そんなこと言ったァ! 今すぐ早急迅に速に行くに決まってんだろうが! 何なら裸足で灼熱アスファルト駆け抜けてやってもいいよ!!」
そう言い終わらぬ内に結は僕から居場所も訊かずに飛び出していった。窓から。
――まあ、携帯は持っているはずだから何とかなるだろう、多分。
「そういうことで籠嶋さん、慌ただしくなってしまったけれどこの辺りでお開きとしようか。大丈夫、君の依頼は必ず解決させてもらうよ、無論その後のアフターケアも、だ」
「は、はい…………ありがとう……ございます……」
「確かに、結の言う通り本当に奇跡の裏技を見つけていたのなら、それに越したことはないのだけれどね……むしろ教えを乞いに行きたいぐらいだ」
「そう…………ですね……………………」
「? どうかしたのかい?」
「…………いや、あ、あの…………!」
その瞬間だった。
格好良く言うならば刹那。
「さ、さきのん!!」
乱暴に開かれた窓から、裸足の少女が飛び込み、床を汚す。
「……結? なんだい血相変えて――」
「そ、聡一が――」
言葉はまだ、紡がれていないというのに。
彼方から、ゆっくり血の引く音が聞こえた気がした。
けれど人は、それでも決して止めようとはしない、どうしてなのか。
簡単なことだ。それは自分がこの程度ではないと常に思っているから、もっと素晴らしい、凡人と隔絶された潜在的才能が己の中にはあると信じて止まないから、平凡であることを必死に、躍起に否定したがるのである。
どこまでも自意識過剰で自信家、大いに結構なことだと思う。
しかし、だからといって努力すれば誰でも報われるのかと言えば全くそんなことはない。簡単なことだが、天才が努力を上積みしたら努力した凡人はそれを超えられるのだろうか?
無理だ。絶対的な差を努力で埋めようとしているのにも関わらず、その分相手に努力をされてしまってはどう足掻いたって同じ視界を覗くことなど出来ない、徒労もいいところである。
よくアスリートなどで『あの人は努力でのし上がった人』などと言う話をちらほら聞くことがあるが、それは大きな勘違いである。彼らは何かしら凡人とは違う、絶望的な才を必ず有しているのだ。だが、その才を除いて、彼らはそれ以外の数値を努力によって一定値まで底上げしている為に、本人は持ち合わせた才が最も重要であったことに自覚すら持たない。
所詮そういうものだ。あらゆる世界で、高位置で生き残るには必須の所有物なのだから。
残酷な現実だろう。けれど、表舞台で活躍する者は総じて天才しかいないんだよ。
故に天才というのは一部の例外を除いて、自分が凡人と比べて天文学的数値を持っていることに自覚がない、だからそれをひけらかすこともしない。ただひたすらに、自己満足、自己完結の為に、探求心、好奇心に身を任せ、終着点を追い求め続ける。果ては他者が用意した名誉などには根本的に無関心な者さえ、いや、そもそも興味がないというべきか。
逆に凡人はそこら辺を意固地になってアピールしたがる、背伸びして手に入れた些細な成果を印籠のように見せびらかすのだ。どうして? そうやって人と差異を作り続けないと自我を保つことが出来ないからだよ。
別に秀才を揶揄している訳ではない、秀才は秀才で、僕は努力の天才と評していいと思っている。ただ、天才が雲の上の存在であるならば、秀才は凡人山の山頂が限界であろう。
そのような事実を突きつけたところで、だからどうした、という話ではある。何故なら、その程度で背伸びを止める奴などいる筈ないのだから。
むしろ余計に必死になって頑張ろうとするのではないだろうか。
まあ、そんな奴は一人もいないと言えば嘘になる。しかし、もし歩みを止めて、能書きだけを垂れ流す輩に成り下がってしまえば、そいつは最早人として生きる価値がないだろう。
――うむ、少し自分語りが過ぎてしまったかな、そろそろ本編に戻るとしようか。
…………え? 僕かい? 僕は天才以外の何者でもないよ。
いや、それは違うか。
※
「え、えっと……確か世紀末テストが始まる一週間前ぐらいだったと思います……」
籠嶋冬子はアイスカフェラテ(逢坂作、味薄い)を一口飲むと、静かに語り始めた。
「そ、その……突然なっちゃんが『テストで満点を取る方法って知ってる?』って――私に変なことを言ってきたんです……」
「なっちゃん?」
「あっ……! す、すみません…………、その、あの……なっちゃんは、私の友達で……、本名は……蒼森夏美って言うんですけど……」
――分かりきっている癖に一々聞き直すのは何とも滑稽で、酷く惨憺なものだ。
「友人だね――分かった。続けてくれ給え」
「は、はい……。そ、それで……、最初は、ま、まったく意味が分からなかったんですけど。で、でも、よくよく考えてみたらそんな裏技みたいな話、あ、ある訳がないですし……だから、そんなの……あるはずないよって……そう言ったんです……」
「まあ、普通はそうなるよな。でも、そのなっちゃんって奴は何て言ったんだ?」
「え、あ……そ、そうしたらなっちゃ――な、夏美は『それはね、最初から出題内容を知っていればいいのよ』って、そう言って――」
「…………はい? い、いやいやいや! 何だよそれ、そんなの出来たら今頃誰も苦労してねーだろうが。その気になったら私でも上位に入れるような神業じゃないか」
その気にならないと入れないのは結構問題だけどね。
「しかし現実問題、彼女――蒼森夏美は世紀末テストにおいて全科目満点取っている」
「え……? それって一体どういう――」
「か、神名川さんは…………知っていたんですか……?」
「知っていたことは確かだけれど、今ので得心した、と言った方が正しいかな。僕は今まで行われてきた定期テストで二位になったことは一度しかなかったからね。しかもその一度はテスト中に下痢が限界に来て残り時間を全部棒に振ってしまったから――けれど、今回はそんな無様な真似は一切していない、つまり完全に実力で負けてしまっているんだ、あり得ない事にね。ならば、一ヶ月前の夕食の献立でさえ覚えているこの僕が覚えていないなど、不可能な話だろう」
「女の子が平然と下痢とか言うな」
まあ、厳密に言えば実力で負けた、訳ではないのだけれど。
わざと満点にしない方が都合がいいだけであって。
「でも、言われてみれば確かに…………、あ、そういえばさきのんの首位陥落はクラスでもかなりの話題になっていたっけ、すっかり忘れてたぜ」
そしてその日の校内新聞には『堕天』の文字が躍ったらしい、しかも号外で。
ある意味恥辱プレイみたいで感じてしまうから是非止めて欲しいものだ。
「だ、だから……私……最初はカンニングしたんじゃないかと思ったんです……でも――」
「でも、いくらなんでも満点は取るのにカンニングだけでは無理がある、と」
「はい…………」
「新高のテストって尋常じゃないぐらい難しいからなあ、ましてや世紀末なんて常人がこなせる量、レベルじゃねえよ、私だって(事情があって)無茶苦茶頑張ったのに全然点伸びなかったし……。全く、スポーツ推薦で入った身としてはたまったもんじゃないよ」
「うん? 結はスポーツ推薦で新都高校に入学していたのかい?」
「なんだよ、知らなかったのか? さきのん」
「いや、てっきり理事長の権力で裏口入学していたのかと」
「さきのんの中での私の扱い半端なくね?」
閑話休題。
「籠嶋さん、期末課題の後に彼女にそのことを訊いてみたりはしたのかい?」
「い、いえ…………。き、訊こうとは思ったんですけど、も、もし本当に違法も反則もしてなかったらと思うと、ど、どうしても言い出せなくて――だ、だからって、このまま放ってもいられないし……そんなこと考えてたら……頭がこ、こんがらがって――どうすればいいか分からなくなっちゃったんです……。そ、そしたら神名川さんの噂を小耳に挟んで、そ、それで、か、神名川さんの助手だって聞いていた結ちゃんに、相談したんです…………」
籠嶋は膝に置いたヘッドフォンを弄りながら、消え入るような声でそう言った。
「ふむ……、つまり籠嶋さんは友人としてカンニングをしたかもしれない蒼森夏美を咎めてあげたいと、そう思っているんだね。けれど確証がないから事実を調べて欲しい、と」
「そ、そんな感じ……です…………」
「そんなの、私が行って白状させちまえば一発じゃないのか?」
「結は相変わらず目的を完遂するにあたってやることが荒療治だね。そんな下種な方法で事物が円満に解決出来るなら誰も苦労なんてしないよ、ここは警察の取調室でも秘密機関の拷問部屋でもないんだ」
「あ、いや、まあ……そうした方が手っ取り早いかなーって、思ったので……」
「少しは冷静に考え給え、仮に蒼森夏美が本当に不正以外の手段で出題箇所が分かっていたとする。にも関わらず『カンニングしただろ』と一方的に自白を促すような真似をしたら、一体どうなると思う?」
「う、うーん……? え、えっと、だ、駄目……ですよね……」
「そんな浅慮の極みとも言える手段で一体どれだけの冤罪が発生したことか、そういう行為は確定的な証拠を突きつけて、それでもしらばっくれる輩に対して初めて使うべきなんだよ」
「うにゅう……で、でも、だったら一体どうやって満点を取ったっていうんだよ?」
「まだ相談を受けたばかりなのだから、はっきりとは分からない――ただ候補ならいくらでもあるだろう、単純に学校に侵入して問題用紙を盗む手も然り、他にももし蒼森夏美がパソコンが得意な少女ならば、クラックで入手していたって何ら不思議ではない」
「ううん……けど、クラッカーとかいうのはともかくウチの警備は意外と厳重だぜ? ミンポじゃあるまいし、一端の女子高生が職員室に侵入出来るとは思えないけどな」
「クラッカーはあながち間違っていないから無視するとして、なんだいそのインポって」
「インポじゃねえよ、ミンポだって。ミッション:インポッシブルの略」
「絶対誰も使ってないよね、それ」
ここまでくると最早天然ボケですらないからタチが悪い。
軽く咳払いをしてから、話を戻す。
「なんなら、もっと簡単の方法だってある、学校に内通者を作る、とかね」
「? そんなのもっと無理だろ、理事長が親父の私でも絶対出来ないのに――」
「ある意味で王道の、男では到底出来ない裏技が女にはあるじゃないか」
「裏技…………? え? い、いや、待てよ、それって――」
「そ、そんなことなっちゃんがするわけない!!」
鈍器で頭蓋を砕かれたが如き怒声に、僕と逢坂は思わず声の主の方を振り向く。
「あ……………………、す、すみません……! えっと……、あの、その…………」
「ユッキー……お前――」
「いや、推察とはいえあまりに無神経だったね、申し訳ない」
「あ、あの……わたしからお願いしておきながら……こんなこというのはおかしいってことぐらい分かってます…………、で、でも夏美に限ってそんなこと…………」
「分かっているよ。それに、第一これら手段をやる、やらないにしても、彼女の行動そのものにあまりに不可解な点が多すぎる」
「不可解な点? 何だよそれ」
「どうして高校三年の今頃になってこんな行為に及んだのか、だよ」
「どうしてって……。あ、推薦が欲しかった、とか?」
「多少の誤差はあるが、推薦というのは一年生から三年生一学期の中間考査ぐらいまでの成績と生活態度で決まるのが相場だと言われている、仮に彼女が推薦狙いだとしたら時期としてはあまりに手遅れなんだよ――籠嶋さん、蒼森夏美は今までの定期考査全てを合わせた平均順位はどれくらいだったか分かるかな? 大体でいいんだ」
「え、えっと……、だいたいいつも百位似内には入っていたと思います……、で、でも……、上位四十七名が張り出される成績優秀者には入っていたことはないかと…………」
「ここ最近の定期考査で大幅に順位が上がっていたことは?」
「た、多分……無かったと思います…………」
平凡だった生徒が突然の学年首位、手法は不明、私欲目的ではないのか、それとも――
「なあさきのん、ユッキーの言うことが本当なら、蒼森って奴は先生達の出題パターンでも見抜けるような必殺技を突然編み出した以外に説明がつかないぞ……?」
「……………………」
いや。
本当はまだ、もう一つ可能性がある。
それこそ結が言う通り、必殺技にも似た荒技が。
けれど、それを提起する必要は、今はない。
だが、それが事実であれば、きっと辻褄は華麗に合わさるだろう。
何故なら真理を妨げる矛盾など最早意味を成さなくなるから。
そして、同時にそれはどう足掻いても、僕の手に負えなくなる。
違う、足掻いていい正当性が無いといった方が正しいのかもしれない――
故に、現時点で僕が出来ることは、驚異の難易度を誇る世紀末テストを全科目満点で終わらせた、蒼森夏美の真相に迫る以外に存在し得ない。
たとえ胸騒ぎが僕の身体を突き破ろうが、僕に出来ることは、それしか、ない。
そうしなければ――そうし続けなければ――僕は――
「――いずれにしても、まずは情報収集から入るしかない。ここ数日の蒼森さんの行動、近辺で何か起こっていなかったか、洗いざらい調べるんだ。結、君は確か人脈は広かったね?」
「ううん? いやまあ、滅茶苦茶広いって訳じゃないけど、全校生徒の半分ぐらいは知り合いがいたと思うぜ、友達百人は優に越えてるんじゃないかな」
「いいリア充具合だ。そしたら結は主に蒼森さんを知っている人間の友人から情報を入手していってくれ。そうだな、可能なら君に惚れている人間がいればありがたいのだが」
「うんん……? なんだそれ。何でそんな回りくどいことをしなきゃいけないんだ?」
「僕達の行動が本人に悟られないようにする為だよ、直接的な関係だとどうしても本人告げ口される可能性が拭いきれないからね。だが間接的な関係性であれば客観的に蒼森さんの素性を知ることが出来る上、告げ口される心配も極端に下がる。それが君に惚れている人間であろうものなら、尚更ね。君の一声でいとも簡単に秘密を守ってくれる訳さ」
「いやいやいや! 待てって! 私に惚れている奴なんていないし、だ、第一、仮にいたとしても……そ、そんな、た、沢山いる訳ないだろう……、な、何をいきなり――」
頬に手を当て、照れまくる結。ほう、可愛いではないか。
「百合ってことだよ、言わせないでくれ恥ずかしい」
だが一瞬にして奈落に落とす。
「男じゃなくて女!? えっ、いや、おっ、男の子では……?」
「えっ、スポーツ女子って今時流行りませんし……」
「理由が雑っ! ていうか今更百合が恥ずかしいって何だよ! 散々それを遙か上をぶち抜く下ネタ言い続けて、言い倒してたじゃねえか!」
「いやいや、何それ、下ネタとかマジないわ、引くわー」
「依頼人の前だけで仮面被っても手遅れですから」
因みに女子人気が高いというのは事実。というより陸上で大活躍し、その上妙に男らしい面を持ち合わせている癖に、女にモテないという方がおかしな話なのだが。
更に突っ込むとバレンタインデーでは全校女子生徒の約六割から本命チョコを貰っていたらしい、本人はどこまでも阿呆だから友チョコと勘違いしていたらしいが。
軌道修正。
「夕季にはそうだな……、ミクシィやツイッターを使って調べて貰うとしようか、出来ることなら裏サイトも調べて欲しいところだが……」
「んん? 東橋はもう管理人を止めたんだろ? 裏サイトなんてもうない筈じゃ」
「詳しく説明すると面倒だから省くけれど、あそこは学年毎に管理者が違うんだよ。つまり三年生の裏サイトを管理していたのが夕季であっただけ過ぎない。そして、彼女は辞めたのは事実だが、管理の権利を別の人間に委譲している、私情で閉鎖という訳にもいかないからね。ま、たとえ閉鎖させた所で誰かが復活させているのが関の山だけれど」
「ふうん。あんな妬み僻みの吹き溜まりの癖に、そんな需要があるんだな」
「結には分からないだろうが、君みたいに不満を直接行動に移せる人間などそういないものなんだよ。大体不満や嫌悪を吐露することは他者との調和を乱す可能性がある、日本人は特にそれを恐れる生き物だからね、日本に鬱患者が多い原因はそこだよ。けれど、だからといっていつまでも不満を抑えずにはいられない、そうなると結局人は匿名の庭に集まってしまう。決していいことだとは言えないけれど、仕方のない部分もある、悲しい話ではあるけどね」
「そういうもんなのかね……、私にはちょっと分からないよ」
夕季ならばきっとあっさり調べ上げてくるだろうが――だからこそ気が進まない。
「さて――、残るは聡ちゃんだけれども、聡ちゃんの非リア充っぷりは異常だからね……、そこら辺は聡ちゃんを呼び戻してからにして――結、ちょっと聡ちゃんを迎えに行ってくれないか? もしかしたら仕事が滞っている可能性もあるが、その時は手伝ってやってくれ」
「えっ? わ、私がっすか?」
「いや、嫌なら別に――」
「ボケェェェ! 誰がいつ何時何分何秒地球が何回廻った時そんなこと言ったァ! 今すぐ早急迅に速に行くに決まってんだろうが! 何なら裸足で灼熱アスファルト駆け抜けてやってもいいよ!!」
そう言い終わらぬ内に結は僕から居場所も訊かずに飛び出していった。窓から。
――まあ、携帯は持っているはずだから何とかなるだろう、多分。
「そういうことで籠嶋さん、慌ただしくなってしまったけれどこの辺りでお開きとしようか。大丈夫、君の依頼は必ず解決させてもらうよ、無論その後のアフターケアも、だ」
「は、はい…………ありがとう……ございます……」
「確かに、結の言う通り本当に奇跡の裏技を見つけていたのなら、それに越したことはないのだけれどね……むしろ教えを乞いに行きたいぐらいだ」
「そう…………ですね……………………」
「? どうかしたのかい?」
「…………いや、あ、あの…………!」
その瞬間だった。
格好良く言うならば刹那。
「さ、さきのん!!」
乱暴に開かれた窓から、裸足の少女が飛び込み、床を汚す。
「……結? なんだい血相変えて――」
「そ、聡一が――」
言葉はまだ、紡がれていないというのに。
彼方から、ゆっくり血の引く音が聞こえた気がした。
「全く、驚かせないでくれよ、心配したじゃないか」
結論から言えば、聡ちゃんはただの熱中症ということであった。
何でも草むらで逃げ隠れするコーンスネークを水分補給も忘れて必死に追いかけていたらいつの間にかぶっ倒れてしまったらしい。
それもそうだろう、今日も今日とて三十五度を超す猛暑日、ズル林でなくともものの数時間コーンスネークと鬼ごっこをしていれば熱中症に襲われるなど最早必然であった。
因みに何故結があそこまで血相を変えて家に飛び込んできたかといえば、どうやら救急搬送される聡ちゃんの姿を見て毒蛇に噛まれたのだと思ったからだそうだ。
この脳筋系女子には是非とももう一度小学校からやり直して欲しいものである。
お陰で無駄な憂虞をする羽目になったじゃないか。
「いや本当に面目ないと思ってる……群馬さんにも迷惑かけちゃったしな……」
「責任がある訳ではないにせよ、彼女も何度も謝っていたし、結果的に三度の飯より爬虫類が嫌いな聡ちゃんが命を賭してとっ捕まえたのだから良しとしようじゃないか」
「何だよそれ、矛盾の極みみたいな言葉が羅列し過ぎだろう」
「ふふ、その様子だと問題はなさそうだね、しかし今日一日は入院になるのかい?」
「重症ではないにせよ、念にはということで一日だけ検査入院にはなりそうだな――もしかして他にも依頼が入っちゃってるのか? だとしたら申し訳ないな」
「なに、結も夕季もよく働いてくれているから心配ないよ、聡ちゃんが一日休んだとしても大きな影響はない、強いて言うなら食欲と性欲に影響が出るぐらいかな」
「割りと大きな影響だと思うがその二つをセットにして言うのは止めろ」
「何れにせよそこら辺はどうとでもなるから、大して気にする必要はないよ、聡ちゃんはこの折角の入院を利用して気兼ねなくナースプレイに勤しんでおくといい」
「気兼ねなくするもんじゃねえし、一応俺はお前の恋人だからな?」
「うむ、そう言ってくれるのは嬉しくてたまらないのだが、僕は意外と寝取られプレイとかもイケる口なものでね、通常の三倍のスピードで興奮する仕組みになっている」
「その変態丸出しな性癖を堂々と彼氏に主張するのはどうかと思うの」
「何にしても一日ぐらいどうってこと無いから悪いと思うことは何一つ無い、両親にも僕から連絡しておくし、何も気にせず余暇を楽しむといい」
「病院で余暇というのは変な感じではあるがな……まあそういうことならお言葉に甘えて休ませてもらうとしよう、逢阪と東橋にも宜しく言っておいてくれ」
「任せておき給え、本当なら一日中添い寝でもしてあげたい所だけれどナースに怒られたらそれはそれで興奮してしまいそうだからね、残念だがお暇させてもらうとしよう」
「馬鹿言え――――ああそうだ」
そう冗談を言って病室から出ていこうとすると、聡ちゃんが呼び止める。
「なんだい?」
「冷蔵庫の二段目の棚にポテトサラダ、鍋に味噌汁とフライパンに素麺チャンプルーがあるから温めて、ご飯をよそって食べるように」
「さっすが聡ちゃん、愛しているよ」
全く、これだから聡ちゃんの彼氏でいるのは止められないのである。
そんな高揚した気分を抱えながら、僕は病室から廊下へと出る。
さて。
聡ちゃんは丸一日は帰ってこないと考えていいだろう、こんな形とはいえ群馬景子の依頼も済んだのだし、まあ彼女は後日謝罪しに来るとのことだったが、それは退院した際に聡ちゃんに任せればいいだろう、つまりここに障害は存在しない。
結は阿呆の如く錯乱してしまっていたが、猿にでも分かるように噛み砕いて、咀嚼して、離乳食並の柔らかさにして諭したら何とか落ち着いたのでもう問題はないだろう、インターハイを前にメンタルに関わるような事態があっては僕としても困る。
何より彼女には調査が残っているからね、これはしっかりと遂行して貰わねば。
……そういえば夕季にはそもそも調査の依頼をまだしていなかったな、まあ彼女であれば瞬時に情報を仕入れてくれそうではあるので、後回しにしていいだろう。
つまり、現状において僕は紛うことなきぼっちになったという訳だ。
「さて……どうしたものかな」
「何が、どうしたのですかね」
その言葉に、その声色に、僕はその声の主に対し目線だけを送る。
病室が並ぶ廊下からほんの少し進んだ場所にある待合室、休日の昼下がりということもあって多くの患者が自分の番を退屈そうに待ち、時には咳き込み、時には泣き出す子供がいる中で、ただ一人、そこが定位置であるかのように最後部、左奥に鎮座する女がいた。
休日だというのに何故か新都高校の制服を、しかもこの糞暑い時期に冬服を身に纏い、僕の手入れが行き届いていない髪質とはまるで違う、漆黒に輝く艶やかな長い黒髪に、幸薄そうな虚ろな目を併せ持ち、その目を隠すかのように黒縁の眼鏡を掛けたその女は――
これ以上無いぐらい正しい姿勢で――BL小説を読んでいるのだった。
「……その主人公はどう考えても受けだというのに終始攻めに転じているという糞小説を、嬉々として読んでいるこの女を、どうしてくれようと思ったのさ」
「あら、彼がどういう思いで攻めであり続けたのかということを読み取れずに、主人公を受けにしなかった作者は糞だと罵るのは、随分と浅はかな考え方に私は思うけれど」
「生憎そんな生殺しプレイで興奮する程、歪んだ性癖を持ち合わせていないものでね、ファッション攻めをするのはいいとしても、最終的には受けに転じなければそれは読者冒涜していると言っても過言ではないよ、瞬時にして駄作に成り下がるのは必然でしかない」
「へえ、相変わらず自分に正直というか、本能のままに生きているのね、その喋り方は何処かの誰かさんの受け入りでしかなくて不快しかないけれど」
「受け入り、と言うよりは利便性が高いから使わせて貰っているだけの話だよ、特に僕のような人間にはいい塩梅になってくれているものでね」
「確かに、その不格好極まりない姿を誤魔化すぐらいにはなっているのかもしれないわ」
さながらマッドサイエンティストっぽくて、いいんじゃない、と、一度もBL小説から目を逸らすことなく、平坦な口調でそう言う。
「そういう君も年がら年中半袖半ズボンで過ごしている男子小学生の真逆みたいなことをしていて実にユーモアに溢れているじゃないか――蒼森夏美」
青森夏美。
そう、彼女こそが、籠嶋冬子が依頼した内容の対象者――
「冷房の寒さが苦手なのよ、神名川咲乃。暑さは大して苦痛ではないからその時折で脱げばいい話だし、ただ長袖が年中通して一番理に叶っているというだけ」
「脱げばいいだなんて君は中々ハードな性癖を持ち合わせているんだね……」
「そうやって瞬時に下ネタに繋げられるその考え方の方がよっぽど変態だと思うけれど」
「だとしても、休日に制服姿というのは疑問を禁じ得ないけどね」
「文化系の部活に入っていれば休日に制服姿であっても別に不思議ではないでしょう――まあ私の場合は学校から呼び出しがあってね、そのついでに病院に寄っただけのことよ」
「呼び出し……か、まさか満点を取ってカンニングでも疑われたのかい?」
その発言は、まるで僕が会話の流れに乗って一気に核心へと触れてみせようとしたかのように思うかもしれないだろう――
だが違う、僕はこの言葉が虚しく空を切ることを口にする前から理解していた。
現に彼女は。
「私やあなたのような人間から一番縁遠い単語を、どうしてさも核心に迫ってみたと言わんばかりの口調で言ってみせたのかしら、それって新手のボケ?」
と、にべもなく、抑揚すら入ることなく返したのだから。
「うむ、正論過ぎて返す言葉ないよ、でも僕達の視点からはそうでも他者から見ればカンニングをしたと疑われても仕方がないとは思わないかい――普通に考えて満点は異常だ」
「他人がどう思おうが知ったことではないわ、それで疎まれようとも、僻まれようとも、気にする意味はどこにもない、私は淡々と、生きたいように生きるだけなのだから」
「その行為が、近しい人間に対して、影響を与えていたとしてもかい?」
「…………何がいいたいのかしら」
そこで初めて、蒼森夏美はBL小説から目を離し、僕の方へと目線を送る。
その反応に、ようやくまともな会話が成り立つと思い、僕もまた目線だけを向けていた体勢からぐいっと、彼女の座る長椅子へと全身を向ける。
「単刀直入に言わせて貰おうか、僕は籠嶋冬子から依頼を受けている、君のカンニング疑惑を晴らして欲しいという名目でね」
「依頼……? ああ、そういえばあなたは探偵の真似事のようなことをしていのだっけ、それも思いの外繁盛しているみたいで、まあこの年頃の若者というのは些細なことでも悩みやすい多感な時期ではあるものね、存外に需要と供給がマッチしているのかしら」
「そう言いたい所だけど、現実は迷い犬探しレベルの依頼ばかりでね、僕は極度のインドア派である故、助手ばかりが活躍して一人開店休業状態さ」
「それこそ学園内で殺人事件でも起きればそれこそあなたの出番かもしれないけれど、現実はそんなものでしょうね――それで、冬子が私のカンニングを疑っているようだけれど、それなれら嘘偽りなくこう言ってあげればいいじゃない、『彼女はカンニングなどしていませんでした、実力で満点を取っていました、何の問題もありません』ってね」
それで全てが万事解決よ、と言うと、彼女はまた目線をBL小説へと戻してしまう。
「――言う通り、そう言ってしまえばそこで依頼は達成したと言ってもいいだろう、けれどそれだと解決するのは表面上の問題だけに過ぎない、悪いがその程度の慈善活動で済むのであれば僕は今頃聡ちゃんに付きっきりで看病をしているよ」
「私にはそれで証明終了だと思えてならないだけれど、一体何が不満なのかしら」
「何故この時期に満点を取るなどという真似をしたんだ、蒼森夏美」
「……その認識がそもそも間違っているのよ、神名川咲乃」
「……? どういう意味だいそれは」
「そのままの意味よ、あなたは傑作品だから理解しようがないのでしょうけれど、欠陥品である私達には全ての事象に保証がされていない――つまりいつ故障が起きてもおかしくはないし、どころか二度と使い物にならなくなってもおかしくない存在なのよ」
「それは…………」
「こうして定期的にメンテナンスをしないと、騙し騙し生きることさえ許されない」
その言葉に、僕は返す言葉が無くなってしまう。
――ああそうだ、分かりきっていたことじゃないか、そんなこと、朝起きて鏡の前で自分の姿を確認する度に思っている事だというのに、まさか真正面から、同族に現実を突き付けられただけでこうも突き刺さり、身動きが取れなくなってしまうとは。
ふっ、傑作品……か、君の視点からすればそう思うのも当然だ――
「…………」
でもね、僕からすればその先を冷静に、畏怖の感情を一つも背負うこと無く見据えられている君の方がよっぽど傑作品に思えてならないよ。
だって。
目に見えない傷の入った傑作品は、それ故先を見据えることに恐怖しているのだから。
「蒼森夏美さーん」
すると、無情にもタイムアップを告げる看護師の呼び声がかかり、彼女は読んでいたBL小説を閉じゆっくりと立ち上がると、僕の方へと身体ごと向き直り――
「……そうね、あなたの疑問を一つ解消させてあげるのだとしたら――いえ、本当はもう解消しているのかもしれないけれど、それでも確証を持たせてあげるのだとしたら、私がこうして生き永らえているのも、世紀末テストで満点を取るなどという真似をしたのも――」
言葉に重みはあるのに、一切変わらぬ平坦な口調のまま彼女は――
「あなたに命を賭してでも愛したい人がいるように、私にも命を賭してでも守りたい人がいるということ――そして一秒でも長くBL本を読んでいたい、それだけよ」
そう淡々と、言ってのけるのだった。
「……君も大概、本能に忠実に生きているじゃないか」
「これから起こる未来が分かっているのなら、本能のまま生きるのが自然の摂理というものじゃないかしら? 神名川咲乃」
「……ぐうの音も出ない真理だよ、蒼森夏美」
「そう、ならくれぐれも邪魔のないよう、お願いするわね、ではさようなら――」
そう言い残して、彼女は診察室へと姿を消してしまう。
「…………」
ああ確かに、僕に君の意思を阻害する権利はない。
傑作品だろうが欠陥品だろうが、そんなもの許されはしないだろう。
だがね、蒼森夏美。
それが神名川相談事務所に送られてきた案件だというのなら、話は別だ。
僕にも僕なりの意思――矜持というものがある。
それがかち合ってしまうのであれば、本能のまま潰すしかないだろう。
結論から言えば、聡ちゃんはただの熱中症ということであった。
何でも草むらで逃げ隠れするコーンスネークを水分補給も忘れて必死に追いかけていたらいつの間にかぶっ倒れてしまったらしい。
それもそうだろう、今日も今日とて三十五度を超す猛暑日、ズル林でなくともものの数時間コーンスネークと鬼ごっこをしていれば熱中症に襲われるなど最早必然であった。
因みに何故結があそこまで血相を変えて家に飛び込んできたかといえば、どうやら救急搬送される聡ちゃんの姿を見て毒蛇に噛まれたのだと思ったからだそうだ。
この脳筋系女子には是非とももう一度小学校からやり直して欲しいものである。
お陰で無駄な憂虞をする羽目になったじゃないか。
「いや本当に面目ないと思ってる……群馬さんにも迷惑かけちゃったしな……」
「責任がある訳ではないにせよ、彼女も何度も謝っていたし、結果的に三度の飯より爬虫類が嫌いな聡ちゃんが命を賭してとっ捕まえたのだから良しとしようじゃないか」
「何だよそれ、矛盾の極みみたいな言葉が羅列し過ぎだろう」
「ふふ、その様子だと問題はなさそうだね、しかし今日一日は入院になるのかい?」
「重症ではないにせよ、念にはということで一日だけ検査入院にはなりそうだな――もしかして他にも依頼が入っちゃってるのか? だとしたら申し訳ないな」
「なに、結も夕季もよく働いてくれているから心配ないよ、聡ちゃんが一日休んだとしても大きな影響はない、強いて言うなら食欲と性欲に影響が出るぐらいかな」
「割りと大きな影響だと思うがその二つをセットにして言うのは止めろ」
「何れにせよそこら辺はどうとでもなるから、大して気にする必要はないよ、聡ちゃんはこの折角の入院を利用して気兼ねなくナースプレイに勤しんでおくといい」
「気兼ねなくするもんじゃねえし、一応俺はお前の恋人だからな?」
「うむ、そう言ってくれるのは嬉しくてたまらないのだが、僕は意外と寝取られプレイとかもイケる口なものでね、通常の三倍のスピードで興奮する仕組みになっている」
「その変態丸出しな性癖を堂々と彼氏に主張するのはどうかと思うの」
「何にしても一日ぐらいどうってこと無いから悪いと思うことは何一つ無い、両親にも僕から連絡しておくし、何も気にせず余暇を楽しむといい」
「病院で余暇というのは変な感じではあるがな……まあそういうことならお言葉に甘えて休ませてもらうとしよう、逢阪と東橋にも宜しく言っておいてくれ」
「任せておき給え、本当なら一日中添い寝でもしてあげたい所だけれどナースに怒られたらそれはそれで興奮してしまいそうだからね、残念だがお暇させてもらうとしよう」
「馬鹿言え――――ああそうだ」
そう冗談を言って病室から出ていこうとすると、聡ちゃんが呼び止める。
「なんだい?」
「冷蔵庫の二段目の棚にポテトサラダ、鍋に味噌汁とフライパンに素麺チャンプルーがあるから温めて、ご飯をよそって食べるように」
「さっすが聡ちゃん、愛しているよ」
全く、これだから聡ちゃんの彼氏でいるのは止められないのである。
そんな高揚した気分を抱えながら、僕は病室から廊下へと出る。
さて。
聡ちゃんは丸一日は帰ってこないと考えていいだろう、こんな形とはいえ群馬景子の依頼も済んだのだし、まあ彼女は後日謝罪しに来るとのことだったが、それは退院した際に聡ちゃんに任せればいいだろう、つまりここに障害は存在しない。
結は阿呆の如く錯乱してしまっていたが、猿にでも分かるように噛み砕いて、咀嚼して、離乳食並の柔らかさにして諭したら何とか落ち着いたのでもう問題はないだろう、インターハイを前にメンタルに関わるような事態があっては僕としても困る。
何より彼女には調査が残っているからね、これはしっかりと遂行して貰わねば。
……そういえば夕季にはそもそも調査の依頼をまだしていなかったな、まあ彼女であれば瞬時に情報を仕入れてくれそうではあるので、後回しにしていいだろう。
つまり、現状において僕は紛うことなきぼっちになったという訳だ。
「さて……どうしたものかな」
「何が、どうしたのですかね」
その言葉に、その声色に、僕はその声の主に対し目線だけを送る。
病室が並ぶ廊下からほんの少し進んだ場所にある待合室、休日の昼下がりということもあって多くの患者が自分の番を退屈そうに待ち、時には咳き込み、時には泣き出す子供がいる中で、ただ一人、そこが定位置であるかのように最後部、左奥に鎮座する女がいた。
休日だというのに何故か新都高校の制服を、しかもこの糞暑い時期に冬服を身に纏い、僕の手入れが行き届いていない髪質とはまるで違う、漆黒に輝く艶やかな長い黒髪に、幸薄そうな虚ろな目を併せ持ち、その目を隠すかのように黒縁の眼鏡を掛けたその女は――
これ以上無いぐらい正しい姿勢で――BL小説を読んでいるのだった。
「……その主人公はどう考えても受けだというのに終始攻めに転じているという糞小説を、嬉々として読んでいるこの女を、どうしてくれようと思ったのさ」
「あら、彼がどういう思いで攻めであり続けたのかということを読み取れずに、主人公を受けにしなかった作者は糞だと罵るのは、随分と浅はかな考え方に私は思うけれど」
「生憎そんな生殺しプレイで興奮する程、歪んだ性癖を持ち合わせていないものでね、ファッション攻めをするのはいいとしても、最終的には受けに転じなければそれは読者冒涜していると言っても過言ではないよ、瞬時にして駄作に成り下がるのは必然でしかない」
「へえ、相変わらず自分に正直というか、本能のままに生きているのね、その喋り方は何処かの誰かさんの受け入りでしかなくて不快しかないけれど」
「受け入り、と言うよりは利便性が高いから使わせて貰っているだけの話だよ、特に僕のような人間にはいい塩梅になってくれているものでね」
「確かに、その不格好極まりない姿を誤魔化すぐらいにはなっているのかもしれないわ」
さながらマッドサイエンティストっぽくて、いいんじゃない、と、一度もBL小説から目を逸らすことなく、平坦な口調でそう言う。
「そういう君も年がら年中半袖半ズボンで過ごしている男子小学生の真逆みたいなことをしていて実にユーモアに溢れているじゃないか――蒼森夏美」
青森夏美。
そう、彼女こそが、籠嶋冬子が依頼した内容の対象者――
「冷房の寒さが苦手なのよ、神名川咲乃。暑さは大して苦痛ではないからその時折で脱げばいい話だし、ただ長袖が年中通して一番理に叶っているというだけ」
「脱げばいいだなんて君は中々ハードな性癖を持ち合わせているんだね……」
「そうやって瞬時に下ネタに繋げられるその考え方の方がよっぽど変態だと思うけれど」
「だとしても、休日に制服姿というのは疑問を禁じ得ないけどね」
「文化系の部活に入っていれば休日に制服姿であっても別に不思議ではないでしょう――まあ私の場合は学校から呼び出しがあってね、そのついでに病院に寄っただけのことよ」
「呼び出し……か、まさか満点を取ってカンニングでも疑われたのかい?」
その発言は、まるで僕が会話の流れに乗って一気に核心へと触れてみせようとしたかのように思うかもしれないだろう――
だが違う、僕はこの言葉が虚しく空を切ることを口にする前から理解していた。
現に彼女は。
「私やあなたのような人間から一番縁遠い単語を、どうしてさも核心に迫ってみたと言わんばかりの口調で言ってみせたのかしら、それって新手のボケ?」
と、にべもなく、抑揚すら入ることなく返したのだから。
「うむ、正論過ぎて返す言葉ないよ、でも僕達の視点からはそうでも他者から見ればカンニングをしたと疑われても仕方がないとは思わないかい――普通に考えて満点は異常だ」
「他人がどう思おうが知ったことではないわ、それで疎まれようとも、僻まれようとも、気にする意味はどこにもない、私は淡々と、生きたいように生きるだけなのだから」
「その行為が、近しい人間に対して、影響を与えていたとしてもかい?」
「…………何がいいたいのかしら」
そこで初めて、蒼森夏美はBL小説から目を離し、僕の方へと目線を送る。
その反応に、ようやくまともな会話が成り立つと思い、僕もまた目線だけを向けていた体勢からぐいっと、彼女の座る長椅子へと全身を向ける。
「単刀直入に言わせて貰おうか、僕は籠嶋冬子から依頼を受けている、君のカンニング疑惑を晴らして欲しいという名目でね」
「依頼……? ああ、そういえばあなたは探偵の真似事のようなことをしていのだっけ、それも思いの外繁盛しているみたいで、まあこの年頃の若者というのは些細なことでも悩みやすい多感な時期ではあるものね、存外に需要と供給がマッチしているのかしら」
「そう言いたい所だけど、現実は迷い犬探しレベルの依頼ばかりでね、僕は極度のインドア派である故、助手ばかりが活躍して一人開店休業状態さ」
「それこそ学園内で殺人事件でも起きればそれこそあなたの出番かもしれないけれど、現実はそんなものでしょうね――それで、冬子が私のカンニングを疑っているようだけれど、それなれら嘘偽りなくこう言ってあげればいいじゃない、『彼女はカンニングなどしていませんでした、実力で満点を取っていました、何の問題もありません』ってね」
それで全てが万事解決よ、と言うと、彼女はまた目線をBL小説へと戻してしまう。
「――言う通り、そう言ってしまえばそこで依頼は達成したと言ってもいいだろう、けれどそれだと解決するのは表面上の問題だけに過ぎない、悪いがその程度の慈善活動で済むのであれば僕は今頃聡ちゃんに付きっきりで看病をしているよ」
「私にはそれで証明終了だと思えてならないだけれど、一体何が不満なのかしら」
「何故この時期に満点を取るなどという真似をしたんだ、蒼森夏美」
「……その認識がそもそも間違っているのよ、神名川咲乃」
「……? どういう意味だいそれは」
「そのままの意味よ、あなたは傑作品だから理解しようがないのでしょうけれど、欠陥品である私達には全ての事象に保証がされていない――つまりいつ故障が起きてもおかしくはないし、どころか二度と使い物にならなくなってもおかしくない存在なのよ」
「それは…………」
「こうして定期的にメンテナンスをしないと、騙し騙し生きることさえ許されない」
その言葉に、僕は返す言葉が無くなってしまう。
――ああそうだ、分かりきっていたことじゃないか、そんなこと、朝起きて鏡の前で自分の姿を確認する度に思っている事だというのに、まさか真正面から、同族に現実を突き付けられただけでこうも突き刺さり、身動きが取れなくなってしまうとは。
ふっ、傑作品……か、君の視点からすればそう思うのも当然だ――
「…………」
でもね、僕からすればその先を冷静に、畏怖の感情を一つも背負うこと無く見据えられている君の方がよっぽど傑作品に思えてならないよ。
だって。
目に見えない傷の入った傑作品は、それ故先を見据えることに恐怖しているのだから。
「蒼森夏美さーん」
すると、無情にもタイムアップを告げる看護師の呼び声がかかり、彼女は読んでいたBL小説を閉じゆっくりと立ち上がると、僕の方へと身体ごと向き直り――
「……そうね、あなたの疑問を一つ解消させてあげるのだとしたら――いえ、本当はもう解消しているのかもしれないけれど、それでも確証を持たせてあげるのだとしたら、私がこうして生き永らえているのも、世紀末テストで満点を取るなどという真似をしたのも――」
言葉に重みはあるのに、一切変わらぬ平坦な口調のまま彼女は――
「あなたに命を賭してでも愛したい人がいるように、私にも命を賭してでも守りたい人がいるということ――そして一秒でも長くBL本を読んでいたい、それだけよ」
そう淡々と、言ってのけるのだった。
「……君も大概、本能に忠実に生きているじゃないか」
「これから起こる未来が分かっているのなら、本能のまま生きるのが自然の摂理というものじゃないかしら? 神名川咲乃」
「……ぐうの音も出ない真理だよ、蒼森夏美」
「そう、ならくれぐれも邪魔のないよう、お願いするわね、ではさようなら――」
そう言い残して、彼女は診察室へと姿を消してしまう。
「…………」
ああ確かに、僕に君の意思を阻害する権利はない。
傑作品だろうが欠陥品だろうが、そんなもの許されはしないだろう。
だがね、蒼森夏美。
それが神名川相談事務所に送られてきた案件だというのなら、話は別だ。
僕にも僕なりの意思――矜持というものがある。
それがかち合ってしまうのであれば、本能のまま潰すしかないだろう。