Neetel Inside ニートノベル
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俺とミケの一年
8月

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 8月、連日の猛暑で死にかけの俺に、会社という名の神は救いの手を差し伸べた(やっと)。
 まさかの土日こみでの9連休。もちろん有給。様々な事情が相互に影響しあって、奇跡の夏休みが出来上がったのだ。
 休みに入る前は、「あれをしようこれもしよう」と、期待に胸を膨らませていたのに、実際に休みが始まると、この暑さで外に出るのも億劫になる。
 どこか旅行に行こうにも、友人達とはスケジュールの折り合いがつかず、かといって1人で行くのもなんだかむなしい。この機会に英会話教室に通い始めようかとも頭の片隅で思っていたのだが、そんな計画も気づいたら消滅していた。
 結局、エアコンのきいた部屋でだらだらと、アイスを食べながら過ごして、気づいたら休みも残り2日となっていた。誰が俺の時間を飛ばしたんだ?
 そんなある日、寝転がってテレビを見る俺に、ミケは呆れたようにこう言った。
「あんた、働いてないと本当にだらけきるわね」
 普段からだらけっぱなしのこいつにだけは言われたくない。
「お前だって似たようなもんだろ」
「あら失礼ね。あたしは毎朝猫ラジオ体操に行ってるし、近所の子との集会だってやってるし、散歩だって毎日してるじゃない。何もしないあんたとは違うのよ」
 なんともムカつく居候だ。今お前が言ったのは全部遊びじゃねえか。働いてくれ。と、言いかけたが、やめた。
 せっかくもらった休みに、何もする事が無い俺だってどうかしてる。
「そういえば、ブログはやめたのか?」
「別にやめた訳じゃないけど、飽きちゃった。別に書く事もないし」
 なんとなしに、子供の頃を思い出す。
 今とは比べられない程の、長い長い夏休み。毎日友達と遊びまわって、絵日記に書き留める暇さえ無かった。嫌な宿題もあった。好きな子もいた。語りつくせない程の思い出がある中で、特に印象に残ってるのは、「海」だ。
 俺の住んでいる県は、海に面していないので、プールは良く行ったが海はほとんど行かなかった。ある夏の日、親父に車で隣の県まで連れられて見た海は、テレビで見るそれよりも遥かに圧倒的で、なんと言ったらいいのか、とりとめが無かった。
 どこまでも横に広がる水平線。潮の香りと、火傷しそうになるくらい熱い砂浜。沖に沖に歩いていくと、急に深くなる所があって、そこに自然の恐怖を感じた。
 以来、海には数える程しか行ってないが、最初に行った1回はやっぱり忘れられない。
「ミケ、お前海に行った事あるか?」
「え? ……そういえば無いわね。別に行きたくもないけど」
 つれない猫だ。
「そんな事言うなよ。そうだ、明日海行こうぜ」
 言葉にしてみて、俺も急にやる気が出てきた。ミケのきまぐれが移ったらしい。
「えー。嫌よ」
 と言いながら、顔をしかめるミケ。
「行こう行こう。じゃ、決まりな」
 水着を引っ張り出し、電車の時間を確認して、天気予報を見て、出来るだけ早めに眠りについた。せっかくなら始発で出発して、1日を丸ごと海で楽しもう。年甲斐もなく、小学生みたいにわくわくする俺に、ミケは心底うんざりした風だった。
 次の日の朝。
「おい、ミケ起きろ。海行くぞ」
「うーん、眠い。寝かせて」
「馬鹿野郎、夏は待ってくれねえぞ」
「ならあんたが待ちなさいよ」
 結局ミケはうだうだと寝転がるだけなので、俺はミケを抱えて出発した。重くなった気がする。
 電車に揺られる事4時間。途中でミケが目覚めて、腹が減っただのラジオ体操のハンコがもらえないだの文句を言いだしたが、大して気にも障らなかった。何せ海だ。これから俺は海へ行くのだ。楽しい気分に水はささせない。
 そして到着。俺達の他はカップルが多く、家族連れもちらほらといるが、猫と来ているのはいなかった。下に水着を履いてきたので、ジーンズとシャツだけ脱いでそれを海の家に預けた後、俺は叫んだ。
「海だーーー!」
「あんたテンション高すぎ」
 燦々と照る太陽とは対照的に、ミケはどうも不機嫌そうだ。
「おいおい、目の前のこの大自然を見て、お前はなんとも思わないのか? うーみは広いーな大きーいーなー!」
「うっさい! てか今日のあんた、なんかうざい!」
 いつもの5割増しで生意気なミケを見ていて、俺はピンときた。
「ははーん。さてはお前、泳げないな?」
 ぎくっ、という効果音がぴったり当てはまるようなリアクション。分かりやすい奴だ。
「違うわよ! 泳いだ事がないだけ! 泳げるか泳げないかは泳いでみるまで分からないし」
 シュレーディンガーの猫の話を思い出す。しかしこっちの問題の解決は、いとも簡単だ。
「なら、泳いでみようじゃないか」
 俺はミケを拾い上げ、鉄板のように加熱された砂浜を疾走した。「やめ、離しなさいよ! まだ心の準備ってもんが!」
「問答無用!」
 じゃぶじゃぶと音をたてて、海へと入っていく。うんうんと体を捻って嫌がるミケ。許してやるものか。普段からのこいつの横暴を考えれば、これくらいの復讐をしても、ばちは当たらないはずだ。
 ミケの足がつかない所まできて、俺は勝ち誇ったように言う。
「ほれほれ、泳いでみろ」
 しがみついてくるミケを引き剥がし、両手だけはしっかり持って、お父さんが幼稚園児にバタ足を教えるように、海にミケを預けた。
「あんた覚えてなさいよ!」
 いくら強がった所で、ここはもう大海原、原始自然、アストラルシー。お前を助けてもらえるのは、今俺しかいないのだ! はーはっはっは!
 などと悦に浸っていると、やけに冷静にミケが言った。
「あら、意外と気持ち良いわね」
「ん?」
「体、浮くし。あんたちょっと手離してみなさいよ」
 言われるがまま、俺は手を離してみる。
 すると驚いた事に、ミケは優雅に泳ぎ始めたではないか。犬かきならぬ猫かきで、四足を器用に使って、頭だけを水面から出し、すいすいーと進みたい方向に進みやがる。
「なんだお前、泳げたのか!?」
 呆れたように、ミケは言う。
「だから、泳いだ事ないから泳げるか泳げないか分からないって、さっき言ったじゃない。人の話は聞きなさいよね馬鹿」
 流暢に人を罵倒しながら、気持ちよさそうにスイミングしてやがる。人間、いや猫、何に才能があるか分かったものじゃない。
「なんか……つまんね」
 そんな俺の呟きにミケは、
「何いきなりテンション下がってんのよ!」
 と突っ込みをいれた。

       

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