偏音篇-ヘンオンヘン-
宅録
宅録
僕は今、宅録にハマっている。
中学二年生の時に始めたギターを始めた。そのまま一度もバンドを組むこともなく現在まで生きてきた。つまり長い楽器経験とは裏腹に、バンドというものをした事がないのだ。
元々他人と歩調が合わせるのが苦手だった僕は、大学に入るまで友達という友達がいなかった。音楽を語れる友達もできなかった。バンドなんてやってる奴はきっと協調性があって、自分みたいなのとは程遠い存在なんだと決めつけていた。バンドができなかったというよりは寧ろ、やる気が無かっただけなのかもしれない。
そんなこんなで自分だけの世界にしか居場所がない僕は、必然的に一人だけ世界で生きていく他に楽しみ方が存在しなかった。趣味はギターのみである。宅録しかなかった。
高校二年生の春、バイトで貯めたお金で宅録に必要な機器をそろえた。一人の世界に引き籠るための労働はまた協調性が必要で苦痛でしかなかったが、俗世から離れるための修行だと思えば不思議と続いた。そしてお金がたまった春、バイトを辞めた。
それからは本当に楽しかった。ドラムを打ち込み、ベースを弾き、ギターを掻き鳴らした。自分の声は入れなかった。そこは神聖で、他人はおろか自分も入ってはいけない領域だったのだ。
糞の様な高校生活は、パソコンとギターだけが友達だった。パソコンとギターだけが友達だったからこそ高校生活は糞の様だったのかもしれないが。いや自分の所為か。
こうして僕は自分だけの王国を築き上げていった。
三年間は弾丸より速く過ぎ、大学生になった春、軽音楽のサークルに入り、そして辞めた。やはり自分には協調性というものが足りなかったのだ。
その少しだけの充実した(ように見えた)キャンパスライフの中で、僕は一人の女の子と少しだけの交流があった。彼女はドラムを叩いていた。彼女だけが僕を少しだけ理解してくれる人だった。
彼女とは宅録の話を少しだけした。自分の曲を少しだけ聞かせた。少しだけ話して、少しだけ笑って、そして僕はサークルを辞めた。
大学に行き、講義を受け、家に帰るだけの平穏な生活がまた続いた。
数週間がたち、あれから交友が途切れていたと思った少女がいきなり僕を呼びだした。言われた場所に行くと既に彼女はそこで立っていた。
僕に気付くと彼女は無表情でずかずかと近づいて来て、久しぶり、と私に一声かけ、僕の手にUSBを押しつけてきた。帰ったら見てみてね、と去り際に囁き、不敵な笑いを残して去って行った。
USBの中には「初めに」と書かれたテキストファイルと「中身」と書かれたフォルダだけが入っていた。
テキストファイルを開くと雪の中の足跡の様にぽつんと「よかったらどうぞ」とだけ書かれていた。
一方の「中身」の中身は大量のwavファイルが入っていた。どれもこれも再生時間が三秒もいかないものだらけである。一つ選んで再生してみるとドスッと鼓動の様な音が響いた。バスドラの音だった。もうひとつ再生するとパンッと心地の良いスネアの音が響いた。
それはまさに最高の生のドラムの音源であり、ドラムの叩けない僕の最も欲しかったものであり、確かに彼女の叩くドラムの音だった。
それから彼女とは一切交友が無い。しかし僕の音楽には確かに彼女の鼓動が響いている。
僕は今、宅録にハマっている。