わたし、全裸でケツ、振っていた。テレビから流れてくる軽快なミュージック、夕暮れ、犬の遠吠え、遠くから漂う匂いはカレー。腹が鳴って、それを無視して、仕送りは明日。あと一日、あと一日、あと一日、あと一日、とひたすら呟いて、気のぬけたぬるいビール飲んで、酔いなんて全然まわらないのに、なんだか楽しい、とか、そんな錯覚して。わたし、全裸だった。
全裸でケツを振っていた。
振りまくっていた。
右に左に後ろに前に、縦横無尽に振りまくっていた。
一八ビートだった。全裸だった。
最近お風呂に入っていないので、脇からほのかにフレグランスが香る。その臭いを、うっへっへ、笑い飛ばして。
わたし、ケツ、振っていた。
ふいに、がちゃり、音がした。
「……なにしてんの」
とドアを開けた加賀は言って。
「……踊ってんの」
とわたしは言った。全裸だった。
○
「だいたいね、嫁入り前の娘があんなはしたないことしちゃいけません」
「そうは言っても、わたし、嫁に入る予定がないのだもの。加賀はわたしに一生踊ってくれるな、と言うの? そんなの、あまりに辛すぎる!」
「な、なんで? そんなにお尻を振りたいの?」
「もろちん!」
加賀は美人で優しくていいお母さんになれるわたしのアイドルなので、お腹の空いたわたしを気遣って大量の食べ物を持ってきてくれた。それらをあたたかなお鍋にして、おいしく食べながら、服をきたわたしときさせた加賀はとりとめのない話をしている。
「もろちん言うな。……だいたい藤田こそ嫁にいく気あんの? ないでしょ? だって、まず彼氏とか作る気ないでしょ?」
「作る気は、ある」
「ほう。コクられては振り、振ってはコクられ、また振りまた振り、振りに振り倒して、積み重ねた屍は累々の山々、イケメンだろうと秀才だろうと容赦なし、あまりに見事な振りっぷりについたあだ名は氷の女王、な、あんたが? 本当に?」
「とりあえずひとつ修正させて。わたし、氷の女王なんてあだ名ついてない」
「ついてるよ。というか、私がつけた。今」
「つけるなよ、そんなあだ名」
わたしは加賀の白滝をかすめとってやった。
「あ、おい、白滝! 私の白滝! ……いや、なんで白滝だよ。肉とかも入ってるのに」
「肉は好かん」
「ふうん、そうかいそうかい」
と、加賀はうんうん頷いて、
「で? 作る気あんの? マジで?」
「うん? 子供? あるよ。加賀となら」
「私とかい。どうやって作るつもりよ」
「加賀知らないの? おこちゃまだな、加賀のくせに。いいか? まず充分に勃起したペニスと、よく濡れたヴァギナとをだな」
「いや、いいから。そういうのいいから。彼氏なの。今はきみの彼氏の話なの」
「なんだよう、つれないな、加賀のくせに」
「心配なんだよ。あんた、いつまでもこのままじゃいられないよ?」
「むー、自分だって彼氏いないじゃん」
「私は働いてるからいいの。問題はあんた。これから先どうするねん。このへたれ無職が」
「……加賀と結婚するからいい」
「お断りだ」
「ま、まじか。じゃあわたし、どうすればいいねん」
「それは自分で考えろよなぁ」
と加賀は言って、ぐい、とビールを一杯。心の底からマズそうな顔をして、ぷはーっ、と吐く息だけは爽快だった。わたしもマネをして勢いよく息を吐くけど、はー、とまるでさっきのビールみたいに気の抜けた風情。
「あははは、今の感じなんかいかにもあんたっぽいね」
と加賀は笑う。めちゃくちゃ笑う。あんまり笑ってむかつくので、白滝をかすめとってやった。
「あ、おい、白滝! 私の白滝! ……だからなんで白滝よ」
「白滝は美味いにゃー。リリンの文化の極みだにゃー」
「いや、あんたがいいんならそれでいいけどさ」
○
やがて鍋はあらかた食べ尽くしてしまい、窓の外は夜。月が高く昇って、金星はとうに沈んでしまっている。加賀は美人で優しくて(以下略)なので、お酒もいっぱいもってきてくれたので、わたしたちはぐてんぐてんに酔っぱらって、錯覚でなくいい気持ちで、世界への愛情を胸一杯にかき抱きながら、わたし、全裸でケツ、振っていた。
「うっへっへ、いいぞ、いいぞ藤田」
と加賀は笑いながらオヤジ口調。伸ばした手でわたしの足を撫でるように触ってくる。
「きゃっ、こら、踊り子さんにはお手を触れないでっ」
「うはははは、よいではないか、よいではないか」
と今度は加賀、がばちょ、抱きついてきて、失礼にも顔をしかめた。
「……藤田」
声は低く、真面目な表情は妙な迫力、孕んで。
「え、なに? コクられる? もしかして、わたし、コクられる?」
けれど、加賀はわたしの言葉、無視して、
「風呂、何日前にはいった?」
「えっと、たしか月曜には行って、いまは木曜……、いや、金曜?」
「わかった。明日、起きたら銭湯に行こうな」
「いや、まだ行かなくていいと思うけど」
「よくない」
「え? でも」
「よくない」
加賀は続けてもう一度。
「よくない」
「……わかりました、行きましょう」
「んじゃ、夜も遅いしそろそろ寝ますか。私、布団で寝るから。藤田ソファーね。おやすみ」
「え、わたしもお布団で寝る。というか、加賀と寝る。一緒に寝る」
「くるんじゃねえよ、くさいんだから。いいから今日は寝なさい、明日いっしょに風呂はいったげるから」
しょばーん。なんだかよく分からないけど、しょばーん、みたいな。
仕方がないので、わたし、ひとり、ケツ振って。振って振って振りまくって。テンションあがって。
「いやっほう!」
「うるせえ、ばか!」
叫ぶと怒られて、しょばーん、ふたたび、しょばーん。
「しょばーん」
「……いいから寝なさい」
「はい」
ソファーに突っ伏すと、バネ、弾んで、ぼよーん。
「ぼよーん」
声に出すと加賀が怒るので、ちいさく呟いて。目を閉じると、沈んでいく、わたし、ぐんぐん引っ張られていく。やがて夢も見ないまま、眠りの深い底まで落ちてさよなら。
○
次の日、起きたら正午を超えていた。すぐに銭湯へ向かった。ひさしぶりのお風呂はひどく気持ちいい。客はわたしと加賀とのふたりきり。わたし、大声で歌うと、残響がやさしく耳をくすぐる、その感触が心地よくて、きゃっきゃ、笑った。
「きみはあれですか、箸が倒れても笑う年頃ですか。人生楽しそうでいいですね」
加賀がすこし呆れたように言う。
「わたし、若作りの子なので」
「いやいや、いくらなんでも若すぎるだろ。どこ層狙いよ。どう考えても完璧にオーバーキルだよ」
「でも加賀はそういう年頃の娘、好きなんでしょう?」
「好きじゃねえよ! 勝手にひとを変態に仕立てあげんなよ!」
「でも、いっしょに街歩いてたら、可愛い女の子見るたびに視線泳いでるし」
「勝手なエピソード作るんじゃねえよ。人聞きの悪い娘だな、こいつは」
「ああ、どうでもいいけど、加賀、わたしのぼせそう」
「……わかった。そろそろ出ような」
「そうしようか」
それから湯船でて、脱衣所でわたし、全裸でケツ振って、加賀に怒られて、一緒にいちご牛乳を飲んだ。腰に手をあて、一気飲みした。加賀は口のまわりに白いひげを作っていた。昔の泥棒みたいだった。服を着ると、突然加賀が、がばちょ、抱きついてきて、くんくんくん、となにやら鼻を鳴らしている。
「うん、これならよし」
「いや、人の匂い嗅ぐなよ。……、いい匂いする?」
「うん。するする。超フレグランス」
「うっへっへ、もっと嗅いでもいいんだぜ?」
「いや、それは遠慮しとく」
そう言って、加賀はにっこり笑った。
○
帰り道、猫を拾った。
○
「で? 連れて帰ってきちゃって、どうすんの? そいつ」
「どうするって、飼うに決まってるじゃないか」
「誰が?」
「わたしが」
猫はもふもふ柔らかな毛並みの黒猫で、右目は空色、左目は黄金、口は鮮やかに赤い。にゃあ、と鳴くと可愛すぎるので、思わず持って帰ってきてしまった。いいよね、だって首輪とかないし。可愛いし。だいたい、ついてきたのはこいつなんだよ。後ろ歩いて、にゃあ、なんて鳴かれて、他にどうしろって話だよ。
「……藤田には無理だよ」
「なぜ! ホワイ! きみぁーわたしんこと舐めてんでないかな!?」
「いや、だってさ、藤田、無職じゃん。昨日も飢え死にしかけてたじゃん。現代社会の野生児じゃん。アウトローじゃん。無理、無理。無理の無理無理」
「野生児っつったらこの子だってそうじゃんか。野良だぜ。狩猟採集生活だぜ。そうなると、むしろわたしみたいなやつのがフィーリングぴったりだと思わないかい?」
「む、そう言われると確かに……、いや、騙されるんじゃない、加賀、あいつの言ってることは全てでたらめだ。あの猫の幸福はすべて私にかかっているんだ。責任は重大だぞ……」
「なにもそんな悲壮感たっぷりな表情しないでも……。なんなら加賀も飼えばいいじゃん」
「どういうことやねん」
「どういうこともなにも、普通に加賀が餌買って、トイレとかも買ってやって、爪研ぎとかも覚えさせて……、あの苦しいよ、加賀、ヘッドロックはやめて……いたたたたたた」
「わかった。ふたり、共同で、共同で、共同で」
と、加賀は三度繰りかえして、
「飼いましょう。半々で餌買って、半々でトイレ買って、半々でしつけして、それで妥協してあげる。いい?」
「うむ。よきにはからえ」
そういうことになった。
○
「あ、猫の名前どうしよっか」
「バイアグラかカウパーかエクスタシー、どれがいい?」
「死ね。じゃあクロで!」
「普通だ」
「普通でいいんだよ馬鹿。てめえはもし子供作っても勝手に名前付けるんじゃねえぞ」
「ケチ」
「なんと言われようと私の信念は変わらない。じゃ、さっそくトイレとか猫缶とか買ってこようか」
「そうしましょうか」