倉庫
【漫画的表現を小説で再現しようとするからそうなる】
鬱陶しい文章を読みたくないし書きたくもない。漫画的表現を小説で再現しようとするとそうなる。小説を書いているのだから勘違いしてはいけない。言葉だけが武器。取り回しを間違えると痛い目をみる。
余計なものばかり付け足してテンポの悪い文章になる。それが三行続くと読者はうんざりする。怖いのは、それこそが自分の小説の醍醐味であり、欠かすことなど叶わぬと固く信じてしまっていることである。
価値観の違う他人がひと読みすればお笑い種である。更に嫌になるのが、夜があけて再読すればその気持ちが手に取るように実感できるようになっている。地球が自転軸を一回りすれば、昨日の自分は既に他人なのだ。不思議だ!
それどころか創作中にもにも書いては消し、書いては消し。昨日どころか数分前の自分ですら何を考えていたのか憶えていない。健忘症である。この文も草稿はもっと堅苦しい、トゲトゲしたものだった。あんまり偉そうにふんぞり返っていたから全消去してやった。そうやって何度も書き出しては飽き、書いては投げて。ダメ作家である。
その、こんなん書きたいんじゃない。とか、こんなん書くつもりじゃなかった。とかいう過去の自分とのすれ違いは、自身の小説技術やら人間性なりの未熟から起こるものなのか。そもそも鬱陶しい文章が生まれるのは自分の小説技術だけが問題なのか。そういうことが気になって。もしかするとこういうことで悩むのは自分だけなのか? 新都社に名高い大作家の先輩方、未だに完結を見ぬ投げ作家の同胞。「こんなふうじゃなかった」思いとはどう折り合いをつけておられるのだ。そんな迷いも生まれぬほどに完成度を詰めてきているのか。いやそうかもしれない。それとも闇に葬り創作精神の堆肥として新連載で挽回をはかるのか。
しかし、結局他人は他人である。だよねだよねと鳩首しても、私には何の役にも立たん。それでもネットの世界は広大であるから、大っぴらにできぬ同じ思いを抱えた後ろ暗い兄弟たちのためにも、この記録は決して無駄ではないと信じたい。きっとなんらかの参考になるはず。
――閑話休題。
そもそも文章技術にうんざりして小説を放り出すということ自体が言語道断である。
小説とは、作者の想像力、構成力により、人間性や社会のすがたなどを表現した散文体の文学、であるらしい。散文体とは語数や調子にとらわれずに自由に書かれた文章のことで、対義語に韻文――詩や俳句、短歌のようなもん――とある。ようは書きたいものが先にあって物語が生まれるのであり、それを表現する方法や過程などは、本来どうでも良いものだ。文字で著せば、それは小説になる。
たとえば私が過去に放り投げた二つの小説は、一方では自分の壮大な友情論を述べたかったものであるし、また一方では学生時代の中途半端に終わらせたとある趣味を妄想の上だけでも華々しく色づけてやろうとしたかったのである。友情論のほうは、あれこれ伏線を張りすぎて回収不能に陥ってしまったし、とある趣味の方は物語の半ばですでにお腹いっぱいになってしまったような感じだ。ダメ作家の鏡である。技術不足、妄想力不足が否めない。ただ、得るものがなかったかというとそうでもない。明言しろと言われれば腕を組んで唸ってしまいそうだが、そう思いたい。
ここでいう小説技術とは、コメント欄でよく見かけるように――どこがどうそうなのか説明しろと言われて理路整然答えられる人間が何人いるものか甚だ疑問であるが――文章力あるだとか、スラスラ読めるだとか、そういった類の褒め言葉で表されるようなもの。私自身それらを小説技術と言い換えているだけで、定義できていないのが情けない話だがそういうもののこと。言葉の選び方であるとか、物語の構成であるとか、登場人物のセリフ回しであるとか、そういう技術的な小説の魅力。物語のスジとかの話ではなく。どう表現するか、の部分。
あの大作家先生の文章がスラスラ読めるのは、何故か。新都社に限らず、商業作家のあの先生。つい引き込まれてしまう力の源は。それに対して自分の文章を読み進めるといちいち小石に躓いているような気分になるのは何故か。結局は自分自身の文章にそういう魅力を感じて悦に入りたいのである。一度は恍惚に身悶えしても、それに飽きると急激に興味を失ってしまう。この際書き著したかったものは既にどうでもよくなってしまっている。ダメ作家め。
物語の魅力と小説技術うんぬんは別次元で考えるべきではないかもしれない。伝えるものあっての文章力、小説技術あっての物語である。箇条書きの物語では感傷に欠ける。難しい言葉ばかり選んでも話が伝わらなければただの自己満足だ。
いやいや創作活動なんて、もっぱら趣味なんていうものは総じて自己満足に収束する。それが悪いとは思わないが、人の目に触れるところに出す以上は他人に伝えなければならない。伝わらなければ公開マスターベーションである。あまりに空しい。なんとしても伝えねばならない。他人の価値観に戦いを挑むのである。決して容易なことではない。そのことを、今後は強く意識するべきだ。自戒。
――とある文藝戦士の戦いは続く!
鬱陶しい文章を読みたくないし書きたくもない。漫画的表現を小説で再現しようとするとそうなる。小説を書いているのだから勘違いしてはいけない。言葉だけが武器。取り回しを間違えると痛い目をみる。
余計なものばかり付け足してテンポの悪い文章になる。それが三行続くと読者はうんざりする。怖いのは、それこそが自分の小説の醍醐味であり、欠かすことなど叶わぬと固く信じてしまっていることである。
価値観の違う他人がひと読みすればお笑い種である。更に嫌になるのが、夜があけて再読すればその気持ちが手に取るように実感できるようになっている。地球が自転軸を一回りすれば、昨日の自分は既に他人なのだ。不思議だ!
それどころか創作中にもにも書いては消し、書いては消し。昨日どころか数分前の自分ですら何を考えていたのか憶えていない。健忘症である。この文も草稿はもっと堅苦しい、トゲトゲしたものだった。あんまり偉そうにふんぞり返っていたから全消去してやった。そうやって何度も書き出しては飽き、書いては投げて。ダメ作家である。
その、こんなん書きたいんじゃない。とか、こんなん書くつもりじゃなかった。とかいう過去の自分とのすれ違いは、自身の小説技術やら人間性なりの未熟から起こるものなのか。そもそも鬱陶しい文章が生まれるのは自分の小説技術だけが問題なのか。そういうことが気になって。もしかするとこういうことで悩むのは自分だけなのか? 新都社に名高い大作家の先輩方、未だに完結を見ぬ投げ作家の同胞。「こんなふうじゃなかった」思いとはどう折り合いをつけておられるのだ。そんな迷いも生まれぬほどに完成度を詰めてきているのか。いやそうかもしれない。それとも闇に葬り創作精神の堆肥として新連載で挽回をはかるのか。
しかし、結局他人は他人である。だよねだよねと鳩首しても、私には何の役にも立たん。それでもネットの世界は広大であるから、大っぴらにできぬ同じ思いを抱えた後ろ暗い兄弟たちのためにも、この記録は決して無駄ではないと信じたい。きっとなんらかの参考になるはず。
――閑話休題。
そもそも文章技術にうんざりして小説を放り出すということ自体が言語道断である。
小説とは、作者の想像力、構成力により、人間性や社会のすがたなどを表現した散文体の文学、であるらしい。散文体とは語数や調子にとらわれずに自由に書かれた文章のことで、対義語に韻文――詩や俳句、短歌のようなもん――とある。ようは書きたいものが先にあって物語が生まれるのであり、それを表現する方法や過程などは、本来どうでも良いものだ。文字で著せば、それは小説になる。
たとえば私が過去に放り投げた二つの小説は、一方では自分の壮大な友情論を述べたかったものであるし、また一方では学生時代の中途半端に終わらせたとある趣味を妄想の上だけでも華々しく色づけてやろうとしたかったのである。友情論のほうは、あれこれ伏線を張りすぎて回収不能に陥ってしまったし、とある趣味の方は物語の半ばですでにお腹いっぱいになってしまったような感じだ。ダメ作家の鏡である。技術不足、妄想力不足が否めない。ただ、得るものがなかったかというとそうでもない。明言しろと言われれば腕を組んで唸ってしまいそうだが、そう思いたい。
ここでいう小説技術とは、コメント欄でよく見かけるように――どこがどうそうなのか説明しろと言われて理路整然答えられる人間が何人いるものか甚だ疑問であるが――文章力あるだとか、スラスラ読めるだとか、そういった類の褒め言葉で表されるようなもの。私自身それらを小説技術と言い換えているだけで、定義できていないのが情けない話だがそういうもののこと。言葉の選び方であるとか、物語の構成であるとか、登場人物のセリフ回しであるとか、そういう技術的な小説の魅力。物語のスジとかの話ではなく。どう表現するか、の部分。
あの大作家先生の文章がスラスラ読めるのは、何故か。新都社に限らず、商業作家のあの先生。つい引き込まれてしまう力の源は。それに対して自分の文章を読み進めるといちいち小石に躓いているような気分になるのは何故か。結局は自分自身の文章にそういう魅力を感じて悦に入りたいのである。一度は恍惚に身悶えしても、それに飽きると急激に興味を失ってしまう。この際書き著したかったものは既にどうでもよくなってしまっている。ダメ作家め。
物語の魅力と小説技術うんぬんは別次元で考えるべきではないかもしれない。伝えるものあっての文章力、小説技術あっての物語である。箇条書きの物語では感傷に欠ける。難しい言葉ばかり選んでも話が伝わらなければただの自己満足だ。
いやいや創作活動なんて、もっぱら趣味なんていうものは総じて自己満足に収束する。それが悪いとは思わないが、人の目に触れるところに出す以上は他人に伝えなければならない。伝わらなければ公開マスターベーションである。あまりに空しい。なんとしても伝えねばならない。他人の価値観に戦いを挑むのである。決して容易なことではない。そのことを、今後は強く意識するべきだ。自戒。
――とある文藝戦士の戦いは続く!
【他人の世界に先入観を持つからそうなる】
なんとなく文藝新都のコメントランキング眺めていたんです。
おや……『新都社作家の小説の書き方アンソロ自慰』――とな? 最終更新日は去年の十月。そういや私も「よっしゃいっちょ書いたるわ」と意気込み、すぐあとに円周率の算出方法に気をとられ、数字の迷宮から抜け出せなくなり、最終的には忘れてしまって……。
私のエッセイ『妄想力貧困』はあっちに投稿すべきでした。ごめんなさい。今さら消すのも鬱陶しいので続けます。すいません。まだいくつか愚痴りたいことがありそうですので。
『アンソロ自慰』テーマは「小説の書き方」。私が『創作上の愚痴』としてこんなエッセイを掲載してたりするのも、あわよくばコメント欄を覗いて自分自身と他人様のズレを比較したいから、それに他なりません。今さらですけど全部読ませていただきました。名が体を現しており清々しいエッセイ集でした。個人的に橘先生の寄稿には共感します。私は小説を書き始めてから~のくだりは自分自身の中に潜在していたモヤモヤした思いを的確に言葉で表されたような気がします。くやしい。あと、狙って的を外した先生が二人ほどいましたが、愛すべき精神でありますね。当時、外してくる作家はもっと多くいるだろうと予想しつつ傍観してたんですが、思いのほか少なかったようです。その辺は働かないアリの比率みたいなもんなんでしょうか。――いや働いてるっつうの。喩えが悪いよ。
「そういうことを知りたいわけじゃないんですが」というのは私が『アンソロ自慰』を読んだ全体的な感想です。
自分と他人との間の境界線。同じものに対する考え方が人によって異なるという現象。いわゆる価値観の相違であります。それを収集することに嬉しさを憶える性癖があるものですから、『アンソロ自慰』企画は私にとって漁夫の利的な収穫となり得るはずでした。しかし、現に私はそこまで納得していません。なにか釈然としない……。
的確な表現とはしたくないのですが「そういうことは知りたくなかったんです」は率直な感想です。諸先生方の小説を書くプロセスは参考になりました。ですがトースターに食パンを突っ込めばトーストが出来上がる、それは誰でも知ってるんです。小学生だって腹が減れば炊飯ジャーのふたを開けます。それに、トースターの電源の確認だとか、食パンを入れる前に予熱しておけとか、途中で焼け色の確認をすると温度が下がるから止めろとか、そういうことも教えてもらわなくたっていいんです。米は水だけで洗えとか、洗ったら水を吸わせろとか、炊き上がってもしばらくはふたを開けるなとか。そういうことじゃねえんですよ……
知りたかったのは「何故トーストが食べたくなったのか」「バターは塗らないのか」「パンよりもご飯派なのか」「チャーハンという選択肢はなかったのか」そういうところであり、そこから更にトランス脂肪酸の健康への悪影響について深く掘り下げてもいいし、日本の食糧自給率についての懸念をだらだらとつづっても構いません。
もちろんなかには私の希望にかなう貴重な意見をもたらした先生もおられますが。ホントもう、そういうことじゃねえんですよ……
――おいおいなんて失礼なこと言ってるんだい? 慎めよ、口を。そう思われましたか?
そうだとしたらあなたは正しい。私も思います。これは私が悪いんです。そもそも、こういう信条的な問題についての他人様の意見に口を出すことは言語道断。個人の価値観は尊重されるべきだからです。だいいち大人げない。
私の場合、読み終えたら臨むものが手に入るという身勝手な先入観をもっていたからいけなかった。『アンソロ自慰』に寄稿した先生方は「小説の書き方」というテーマに基づいて筆を執っただけの話であり、私が常々不思議に思っていること(価値観の相違が生む、ある質問に対しての個人の返答の差異)に対して答えのサンプルを並べてくれるわけじゃないのです。私が口を尖らせるの自体がお門違いです。
結局お前は何が言いたかったのかという声が聞こえてきそうですが、苦手なジャンルや苦手な文体なども敬遠しないで読んでみませんかってことです。最新鋭の電子顕微鏡で拡大解釈してください。どんな本だって読んでみれば面白いものさ、と誰かが言ってました。視点を変えると新しい発見がありますから。未知なる知の開拓は自身を成長に導きます。人間無から有を生むことなどできません。しかしいろんなものを吸収していくと、今まで無だと思っていた領域さえ、そこにナニモノかが浮かび上がってくるに違いないのです。
「おめでとう、君は第三の視覚を手に入れたのだ」
なんとなく文藝新都のコメントランキング眺めていたんです。
おや……『新都社作家の小説の書き方アンソロ自慰』――とな? 最終更新日は去年の十月。そういや私も「よっしゃいっちょ書いたるわ」と意気込み、すぐあとに円周率の算出方法に気をとられ、数字の迷宮から抜け出せなくなり、最終的には忘れてしまって……。
私のエッセイ『妄想力貧困』はあっちに投稿すべきでした。ごめんなさい。今さら消すのも鬱陶しいので続けます。すいません。まだいくつか愚痴りたいことがありそうですので。
『アンソロ自慰』テーマは「小説の書き方」。私が『創作上の愚痴』としてこんなエッセイを掲載してたりするのも、あわよくばコメント欄を覗いて自分自身と他人様のズレを比較したいから、それに他なりません。今さらですけど全部読ませていただきました。名が体を現しており清々しいエッセイ集でした。個人的に橘先生の寄稿には共感します。私は小説を書き始めてから~のくだりは自分自身の中に潜在していたモヤモヤした思いを的確に言葉で表されたような気がします。くやしい。あと、狙って的を外した先生が二人ほどいましたが、愛すべき精神でありますね。当時、外してくる作家はもっと多くいるだろうと予想しつつ傍観してたんですが、思いのほか少なかったようです。その辺は働かないアリの比率みたいなもんなんでしょうか。――いや働いてるっつうの。喩えが悪いよ。
「そういうことを知りたいわけじゃないんですが」というのは私が『アンソロ自慰』を読んだ全体的な感想です。
自分と他人との間の境界線。同じものに対する考え方が人によって異なるという現象。いわゆる価値観の相違であります。それを収集することに嬉しさを憶える性癖があるものですから、『アンソロ自慰』企画は私にとって漁夫の利的な収穫となり得るはずでした。しかし、現に私はそこまで納得していません。なにか釈然としない……。
的確な表現とはしたくないのですが「そういうことは知りたくなかったんです」は率直な感想です。諸先生方の小説を書くプロセスは参考になりました。ですがトースターに食パンを突っ込めばトーストが出来上がる、それは誰でも知ってるんです。小学生だって腹が減れば炊飯ジャーのふたを開けます。それに、トースターの電源の確認だとか、食パンを入れる前に予熱しておけとか、途中で焼け色の確認をすると温度が下がるから止めろとか、そういうことも教えてもらわなくたっていいんです。米は水だけで洗えとか、洗ったら水を吸わせろとか、炊き上がってもしばらくはふたを開けるなとか。そういうことじゃねえんですよ……
知りたかったのは「何故トーストが食べたくなったのか」「バターは塗らないのか」「パンよりもご飯派なのか」「チャーハンという選択肢はなかったのか」そういうところであり、そこから更にトランス脂肪酸の健康への悪影響について深く掘り下げてもいいし、日本の食糧自給率についての懸念をだらだらとつづっても構いません。
もちろんなかには私の希望にかなう貴重な意見をもたらした先生もおられますが。ホントもう、そういうことじゃねえんですよ……
――おいおいなんて失礼なこと言ってるんだい? 慎めよ、口を。そう思われましたか?
そうだとしたらあなたは正しい。私も思います。これは私が悪いんです。そもそも、こういう信条的な問題についての他人様の意見に口を出すことは言語道断。個人の価値観は尊重されるべきだからです。だいいち大人げない。
私の場合、読み終えたら臨むものが手に入るという身勝手な先入観をもっていたからいけなかった。『アンソロ自慰』に寄稿した先生方は「小説の書き方」というテーマに基づいて筆を執っただけの話であり、私が常々不思議に思っていること(価値観の相違が生む、ある質問に対しての個人の返答の差異)に対して答えのサンプルを並べてくれるわけじゃないのです。私が口を尖らせるの自体がお門違いです。
結局お前は何が言いたかったのかという声が聞こえてきそうですが、苦手なジャンルや苦手な文体なども敬遠しないで読んでみませんかってことです。最新鋭の電子顕微鏡で拡大解釈してください。どんな本だって読んでみれば面白いものさ、と誰かが言ってました。視点を変えると新しい発見がありますから。未知なる知の開拓は自身を成長に導きます。人間無から有を生むことなどできません。しかしいろんなものを吸収していくと、今まで無だと思っていた領域さえ、そこにナニモノかが浮かび上がってくるに違いないのです。
「おめでとう、君は第三の視覚を手に入れたのだ」
【努力と優しさを忘れない】
何かをつくり出したい願望が、いつ頃からか憶えていませんけど気付いたら自分の中にあって、小説を書くようになってました。そのころも物語は全て未完。
一、二年前から自分がつくった物語で他人を感動させたいと思うようになりました。理想は読んだ人が『おれ、今日家に帰ったら小説書くわ』と言い出すような小説。
知らない誰かの書いた小説を読んで小説を書きたいと思うようになった自分と同じ精神的状況に、他の誰かを導くことができたら。自分の精神的分身を作りだすことができたらどんなに楽しいだろう。なんだかグロテスクな願望であります。
精神的分身とは言いましたが、自分が感じた高揚やその他感情の移ろいを完璧に相手に伝えることは、果たして可能でしょうか。自分と全く、全く同じ精神的状況に誘導することはできないのでしょうか。
それは心臓の高鳴りから、手足の痺れから、喉の奥からこみ上げる熱い何かから、明日からはもっと人に優しく接しようかと思ったりだとか、今度の休日は予定を変更して一人で街をぶらついてみようと思ったりとか、ギター始めようとかデコ娘かわいいとかやっぱ黒髪ストレートだよないやツインテも捨てがたいとか思ったりとか、そんなくだらないことまで同一の精神的状況。いやいや、無理むり。
前からもどかしく思っていたことなんですけど。『おめえが馬鹿で、教養のない、知識人気取った勘違いやろうなんだ』と言われればそれまでなんですけど、どうしてこうして。自分の感動を伝えることはこれほどまでに難しいのかと。そう思います。なんで他人様は自分と一緒の気分や考えになってくれないのかと。
力強さをみて胸を張り、直向きをみてかしこまり、可愛げを見て心は和み、悪に奥歯を噛み、正義に同調する。そんな単純なことなのに。どうしてあなたは分かってくれないのか。
他人に自分の気持ちを伝えるってことはとてもとても難しい。まして同じ思考回路を植えつけるなんてこと。
道は長く果てしないようです。
ところで独りよがりな文章を書くのは相当に気分がいいもんです。中学生の時分、自信満々に提出した作文が赤だらけで返ってきたときは国語の先生と激しい議論を交わしたものです。『俺の作文のどこが悪いんじゃ!』
自分に向けた言葉で物語を書く人は趣味人で、他人に向けた言葉で物語をつくる人こそ小説家でしょう。小説は他人に伝わらなければいけません。趣味人に小説は書けないように思います。ここでいう小説はあくまで、私の脳内辞書の中の『小説』ですけど。
趣味人の文章は伝わらなくて当然ですから、投げっぱなしの奔放な文章になっているでしょう。読者がたまにけちをつけます。
しかし作者は自己満足の趣味人ですから、基本的には他人に何を言われようと構いやしないのです。そして成長しない。
だめだめ、だめですよ。成長を妨げる愚かしい自尊心、先入観、人間は安定を求める生き物ではありましょうが、そんなことではだめ。
人の嫌がることに身を投げ、人がサボるところでも手を抜かず、努力と優しさを忘れない人間に、わたしはなりたい。
何かをつくり出したい願望が、いつ頃からか憶えていませんけど気付いたら自分の中にあって、小説を書くようになってました。そのころも物語は全て未完。
一、二年前から自分がつくった物語で他人を感動させたいと思うようになりました。理想は読んだ人が『おれ、今日家に帰ったら小説書くわ』と言い出すような小説。
知らない誰かの書いた小説を読んで小説を書きたいと思うようになった自分と同じ精神的状況に、他の誰かを導くことができたら。自分の精神的分身を作りだすことができたらどんなに楽しいだろう。なんだかグロテスクな願望であります。
精神的分身とは言いましたが、自分が感じた高揚やその他感情の移ろいを完璧に相手に伝えることは、果たして可能でしょうか。自分と全く、全く同じ精神的状況に誘導することはできないのでしょうか。
それは心臓の高鳴りから、手足の痺れから、喉の奥からこみ上げる熱い何かから、明日からはもっと人に優しく接しようかと思ったりだとか、今度の休日は予定を変更して一人で街をぶらついてみようと思ったりとか、ギター始めようとかデコ娘かわいいとかやっぱ黒髪ストレートだよないやツインテも捨てがたいとか思ったりとか、そんなくだらないことまで同一の精神的状況。いやいや、無理むり。
前からもどかしく思っていたことなんですけど。『おめえが馬鹿で、教養のない、知識人気取った勘違いやろうなんだ』と言われればそれまでなんですけど、どうしてこうして。自分の感動を伝えることはこれほどまでに難しいのかと。そう思います。なんで他人様は自分と一緒の気分や考えになってくれないのかと。
力強さをみて胸を張り、直向きをみてかしこまり、可愛げを見て心は和み、悪に奥歯を噛み、正義に同調する。そんな単純なことなのに。どうしてあなたは分かってくれないのか。
他人に自分の気持ちを伝えるってことはとてもとても難しい。まして同じ思考回路を植えつけるなんてこと。
道は長く果てしないようです。
ところで独りよがりな文章を書くのは相当に気分がいいもんです。中学生の時分、自信満々に提出した作文が赤だらけで返ってきたときは国語の先生と激しい議論を交わしたものです。『俺の作文のどこが悪いんじゃ!』
自分に向けた言葉で物語を書く人は趣味人で、他人に向けた言葉で物語をつくる人こそ小説家でしょう。小説は他人に伝わらなければいけません。趣味人に小説は書けないように思います。ここでいう小説はあくまで、私の脳内辞書の中の『小説』ですけど。
趣味人の文章は伝わらなくて当然ですから、投げっぱなしの奔放な文章になっているでしょう。読者がたまにけちをつけます。
しかし作者は自己満足の趣味人ですから、基本的には他人に何を言われようと構いやしないのです。そして成長しない。
だめだめ、だめですよ。成長を妨げる愚かしい自尊心、先入観、人間は安定を求める生き物ではありましょうが、そんなことではだめ。
人の嫌がることに身を投げ、人がサボるところでも手を抜かず、努力と優しさを忘れない人間に、わたしはなりたい。
【天ノ邪鬼を気取るからそうなる】
言葉には決まった使われかたがあって、憶えたての言葉を自分なりに解釈して登用することは不用意なことである。
ここで『登用』とは、会社組織などにおいて人材を今までより上の地位に引き上げて使うこと、とあるから、従ってこれは人間に対して使うべき言葉である。それ以外の、道具であるとか、概念であるとかに対して用いられるべきではない。そういうことをすると、上の文の通り不自然な印象を読者に与えてしまう。
管理者が数あるものの中から選んで採用するという点では、意味するものの方向として間違った方角を向いていないような気もしないでもないが、それでも上の文の場合は間違いである。なぜならば、今まで『登用』はそういう使われ方をしてこなかったからだ。
「大抵のひとはふつう、右の道を行きます」なんて言う観光ガイドがいれば、意地でも左の道を選びたがる。
「しかし左の道には、有名な景観も、建築も、なにもありませんよ。歩いたってどうってことない、どこかで見たような風景があるばかりです」好奇心で左だと口にしたアマノジャクも、こう返されると前言を撤回したくなるものだ。しかし私はどうしても左に行くと心に決めている。
「そうですか。わかりました。左の道は冗談でもなんでもなく、とりえのない道なものですから、ガイドとして恥ずべきことではありますが、私には案内することばを持ち合わせません。申し訳ありませんが静かな道案内をお許しください」かくして、聞こえるものは我とガイドの足音だけという行楽体験がはじまるのである。すれ違う人もいなければ、追いつけるような背中も見えない。
これまで私は選択肢を提示される度、ひとが選ばないほうを、数が少ないほうを努めて選んできたその理由。「おれは、ふつうとは違う感覚の持ち主の、卓越した個人であるのだ」そう思い込みたかったからである。じっさい少数派を選択した私の心持ちは上々であった。なんだか心が軽く、うきうきした気分になる。多少の見劣りや、不便さなどは、大して苦にもならなかった。まさに、ナントカと天才は紙一重であると言えよう。自分を天才だと思い込んでいたのが私である。
ただ最近では私も大人になったと言うべきであろうか、少し考え方も変わってきた。
大抵の物事にはそうあるべき姿があるようだ。いわゆる『型にはまった』というやつである。しかしそれこそ、幼い私があれほど嫌っていた大衆性であり、マンネリズムであり、最も忌むべき価値観である『ふつう』というものの捉え方だった。
『ふつう』も存外悪くはない、なんて、ひと昔以前の私が聞いたら驚天動地と騒ぎたてるに違いない。一体全体、頑固者の我が身に、近い将来何が起こるというのだろう。夜も眠れなくなるに相違ない。まァ、その辺りはあくまで内的な変化であるし、冗長になるので書かないことにする。大人になった、それで十分な説明とさせていただきたいところだ。
話を戻すと、言葉は『ふつうに』使わないと、読者をイライラさせたり、いちいちつまづかせたり、物語を他人に伝えるべき手法の一つである小説表現において、おおよそろくなことはない。
辞書とお友達になるべきであろう。しかし、彼はもの言わぬ友である。知りたいことを全て教えてくれるわけではない。つくづくそう思う。
だったら私は人生のどこかで言葉の勉強を忘れてきたのであろうか、だとしたらそれはどこか、高卒者は最高学府の文学科へ進まなかったことを嘆くばかりである。
――結論を先に言ってしまおう。汝、本を読むべし。これだけである。手っ取り早く、完成されたものからごっそり盗み取るのがよろしい。
先人たちの綴る流麗なる文章をみよ。まあ、いきなり明治の文豪に挑戦しろなどとは言わないから、順序よく辿ってみるといいだろう。手近な本屋に平積みされている新刊にさえ、脳内辞書に索引されていない言葉が見つかるはずである。そこで必ず、じっさいの辞書を引いてみるべきだ。その項を全て調べ終えたころには、心の荒れ野をひと区切り開墾したような清々しい気分になっているだろう。そして、記憶するべきはその言葉のみではなく、その一文ひとかたまりを憶えてしまうのが良い。その言葉の使い道は、そうやって覚えるのが早い。
辞書の腹を何度も指でなぞらせているうちに気付いたことであるが、じつは言葉とは、あまり応用のきかないもので、ある特定の名詞と動詞の組み合わせのときしか使い道のない副詞なんかはいくらでもある。さらに、私が読書の傍ら語彙の収集にやっきになるなかで、万能の言葉、とりわけ万能の形容詞または副詞など存在せぬことに気が付いた。よおく考えてみなくても当たり前のことのように思えて間抜けな話であるが、とにかく気付いたのだ。世に溢れる馬鹿な若者たちは、マジだとか、超だとか、半端ねぇとか言ってりゃ満足かもしれないが、私はそうはいかん。言葉にはもっと細かな配慮が必要であると思っている。過去の自分はそういう、馬鹿な若者的表現を探し求めていたようだ。改心。
それはひどく地道な作業に違いないし、憶えるより忘れるほうが早いような記憶力は頼りないことこの上なしであるが、まァ、やっていかねばなるまいよ。
言葉には決まった使われかたがあって、憶えたての言葉を自分なりに解釈して登用することは不用意なことである。
ここで『登用』とは、会社組織などにおいて人材を今までより上の地位に引き上げて使うこと、とあるから、従ってこれは人間に対して使うべき言葉である。それ以外の、道具であるとか、概念であるとかに対して用いられるべきではない。そういうことをすると、上の文の通り不自然な印象を読者に与えてしまう。
管理者が数あるものの中から選んで採用するという点では、意味するものの方向として間違った方角を向いていないような気もしないでもないが、それでも上の文の場合は間違いである。なぜならば、今まで『登用』はそういう使われ方をしてこなかったからだ。
「大抵のひとはふつう、右の道を行きます」なんて言う観光ガイドがいれば、意地でも左の道を選びたがる。
「しかし左の道には、有名な景観も、建築も、なにもありませんよ。歩いたってどうってことない、どこかで見たような風景があるばかりです」好奇心で左だと口にしたアマノジャクも、こう返されると前言を撤回したくなるものだ。しかし私はどうしても左に行くと心に決めている。
「そうですか。わかりました。左の道は冗談でもなんでもなく、とりえのない道なものですから、ガイドとして恥ずべきことではありますが、私には案内することばを持ち合わせません。申し訳ありませんが静かな道案内をお許しください」かくして、聞こえるものは我とガイドの足音だけという行楽体験がはじまるのである。すれ違う人もいなければ、追いつけるような背中も見えない。
これまで私は選択肢を提示される度、ひとが選ばないほうを、数が少ないほうを努めて選んできたその理由。「おれは、ふつうとは違う感覚の持ち主の、卓越した個人であるのだ」そう思い込みたかったからである。じっさい少数派を選択した私の心持ちは上々であった。なんだか心が軽く、うきうきした気分になる。多少の見劣りや、不便さなどは、大して苦にもならなかった。まさに、ナントカと天才は紙一重であると言えよう。自分を天才だと思い込んでいたのが私である。
ただ最近では私も大人になったと言うべきであろうか、少し考え方も変わってきた。
大抵の物事にはそうあるべき姿があるようだ。いわゆる『型にはまった』というやつである。しかしそれこそ、幼い私があれほど嫌っていた大衆性であり、マンネリズムであり、最も忌むべき価値観である『ふつう』というものの捉え方だった。
『ふつう』も存外悪くはない、なんて、ひと昔以前の私が聞いたら驚天動地と騒ぎたてるに違いない。一体全体、頑固者の我が身に、近い将来何が起こるというのだろう。夜も眠れなくなるに相違ない。まァ、その辺りはあくまで内的な変化であるし、冗長になるので書かないことにする。大人になった、それで十分な説明とさせていただきたいところだ。
話を戻すと、言葉は『ふつうに』使わないと、読者をイライラさせたり、いちいちつまづかせたり、物語を他人に伝えるべき手法の一つである小説表現において、おおよそろくなことはない。
辞書とお友達になるべきであろう。しかし、彼はもの言わぬ友である。知りたいことを全て教えてくれるわけではない。つくづくそう思う。
だったら私は人生のどこかで言葉の勉強を忘れてきたのであろうか、だとしたらそれはどこか、高卒者は最高学府の文学科へ進まなかったことを嘆くばかりである。
――結論を先に言ってしまおう。汝、本を読むべし。これだけである。手っ取り早く、完成されたものからごっそり盗み取るのがよろしい。
先人たちの綴る流麗なる文章をみよ。まあ、いきなり明治の文豪に挑戦しろなどとは言わないから、順序よく辿ってみるといいだろう。手近な本屋に平積みされている新刊にさえ、脳内辞書に索引されていない言葉が見つかるはずである。そこで必ず、じっさいの辞書を引いてみるべきだ。その項を全て調べ終えたころには、心の荒れ野をひと区切り開墾したような清々しい気分になっているだろう。そして、記憶するべきはその言葉のみではなく、その一文ひとかたまりを憶えてしまうのが良い。その言葉の使い道は、そうやって覚えるのが早い。
辞書の腹を何度も指でなぞらせているうちに気付いたことであるが、じつは言葉とは、あまり応用のきかないもので、ある特定の名詞と動詞の組み合わせのときしか使い道のない副詞なんかはいくらでもある。さらに、私が読書の傍ら語彙の収集にやっきになるなかで、万能の言葉、とりわけ万能の形容詞または副詞など存在せぬことに気が付いた。よおく考えてみなくても当たり前のことのように思えて間抜けな話であるが、とにかく気付いたのだ。世に溢れる馬鹿な若者たちは、マジだとか、超だとか、半端ねぇとか言ってりゃ満足かもしれないが、私はそうはいかん。言葉にはもっと細かな配慮が必要であると思っている。過去の自分はそういう、馬鹿な若者的表現を探し求めていたようだ。改心。
それはひどく地道な作業に違いないし、憶えるより忘れるほうが早いような記憶力は頼りないことこの上なしであるが、まァ、やっていかねばなるまいよ。
【空想世界に恋をするからこうなりました】
前回更新分『天邪鬼を気取るからそうなる』これを何度読み返しただろうか。私は初回掲載分の『漫画的表現を~』に書いたとおり、自画自賛が大好きな性分ですから、久々のヒットに今シーズンの飛躍が垣間見えて人生バラ色、生きる希望がわきました。うへへ。もっと攻撃的なコメントをください。
「若者よ批判的であれ」
上は数日前から私の思考を支配していることば。
ところで皆さんは『レジェンド・オブ・ドラグーン』というゲームソフトをご存知だろうか。当時の開発陣の意気込みとは裏腹に、プロ・アマ問わず、あまたのレビュアーから酷評という酷評を突きつけられた伝説的に可哀想なロールプレイングゲームである。知らない方は読み飛ばすがよかろう。以後しばらくこのゲームに対する私なりの批評が続くからだ。興味のない話をだらだら聞かされることほどうんざりするものはない。君たちにはもともとその権利がある。
さて、第一に私はこのゲームが大好きである。愛しているといってもよい。愛だの恋だのいう感情は決まって盲目的であるから、世間のレビュアーが否と言おうが私の中では応になる。とはいえ彼らが唇を尖らせる内容は、そっくりそのまま私自身も不満に思うことでもあるのだ。特徴的すぎる戦闘システム、苦行としか思えぬレベル上げ作業は苛烈を極め、その時点ですでにマゾゲーであるし、また、キャラクタによって極端すぎるパラメータ成長率はパーティ編成の固定を余儀なくされ、なかんずくゲーム序盤の重要装備アイテムの不足はそれを加速させるのである。
ロールプレイングゲームにおいて、気に入ったパーティ編成で物語を進めることができないことは苦痛以外のなにものでもない。だいたい、むさ苦しい男たちだけで世界を救っても、一体どんなありがたみがあるというのだ。
だから私は貧弱な女性キャラを無理やり連れ回し、強化した。初めのうちは雑魚敵の通常攻撃たった二回で瀕死という体たらくであったが、私の愛で彼女たちはそれを乗り越えた。今では立派な女戦士である。女性たちの力で、華麗に、色っぽく、しなやかに世界を救うのだ。彼女たちは今やそれが可能だ。そんなものだから主人公を戦闘パーティから外せないことには終始歯がゆい思いをさせられた。残念なことに控えの一人があぶれてしまうのだ。
欠点は時に長所ともいえる。住めば都ということわざもある。慣れてしまえばこっちのものだ。特徴的すぎる戦闘システム『アディショナル攻撃』については詳しくは書かないが――もともと知っている者だけがこの章を読んでいる前提だ――戦闘中、彼女たちはその美しい肢体をフルポリゴン描写に置き換え、剣を払い、あるいは槌を振り、躍動感あふれる動きでプレーヤーである私を魅了する。
たとえば漆黒の女剣士ロゼのアディショナル『ハードコアブレード』第三撃目、ロゼは剣を突き上げるように斬りつけるため、ひざを折ってその身を大きく屈める。その瞬間! 大発見である。屈んだ反動で漆黒の長髪は大きく舞い上がり、同時に上半身も左右方向に捻られているため、彼女の腰のくびれがこれでもかと強調されるのだ。
普段は冷ややかな態度で、仲間との距離を常にある程度空けていて「手助けなどいらぬ」と孤高の強い女を気取っている彼女であるが、やはり彼女も女性なのである。腰が細ければ髪は艶やかだし、非常に女性らしい魅力にあふれているのである。まったく妄想世界に生きているのがもったいない女性だ。死ねなんて言葉を吐いちゃいけません。
ロゼのグラフィックは片足の腿から脛までを大きく露出した格好で、黒い装備に映える白磁の肌に目がいきがちだが、しかし、ロゼの醍醐味は腰である。このゲームを十年プレイし続けた私が言うのだから間違いはない。最終的にロゼは最高レベルアディショナル『デモンズダンス』と最強装備『ドラゴンバスター』で主要フォワードになる。
また、メルという素っ裸同然の踊り子がいて、これもビジュアル重視でパーティに組み入れた。戦闘中はそれこそ、台風、大嵐のさなかのコンビニレジ袋といった具合に貧弱である。彼女を一人前の戦闘メンバーに育て上げることは相当な忍耐力を要する。しかし私は愛の力で淡々とそれをこなす。全キャラクタのアディショナル攻撃中、最大のダメージパーセントを誇る『パーキーステップ』はそれだけで私にとって魅力的であった。ただ、それを生かせる攻撃力が彼女にないのが残念至極である。武器で補正することもままならない。このゲームは装備品を二百五十六も持ち歩ける割に、その種類が絶対的に少ない。装備品を選ぶ楽しみが少ないのもプレーヤーにストレスを与える原因であろう。ただし、それは愛の力で簡単に乗り越えることができる。そもそもメルを戦闘シーンで役に立てようなんて考えていないのだ。いわば彼女は愛玩用である。戦闘画面に出演してもらえさえすればそれでいい。魔法を使えば強いが、演出が長すぎて冗長になるからめったに使わない。とはいえ高すぎるすばやさはそれなりに有用でもある。
白い女は論外である。私の愛は彼女には及ばない。まずもっさりした村娘風のビジュアルが受け付けない。後半、入れ替えとなる三十路の女も高飛車で気に入らない。残念である。
男性キャラについてうんぬんとは書かない。書く気がしない。
要約すると私はこのゲームの女性キャラ『ロゼ』および『メル』が好きなだけである。それで十余年ものあいだ、間隔は空けつつも思い出すたびにプレイし続けてきたのだ。大した愛である。もはや執着ともいえる。――否、そのものだ。
私の執着癖はこれまた偏屈であり、ほんの些細なひとかけらが気に入りさえすれば、それをとらえて以後一切放そうとしない。いつまでも記憶と憧れの中に留めておく。小さな子供が覚えたての言葉を連呼するような習性と似ている。アニメ「電脳コイル」ではヤサコの妹が「ウンチ!」とやたらに喚いていた。彼女はすぐに飽きて興味は他の対象に移ったが、あの一時的な流行が恒久的または断続的に続くものと思ってもらえればそれに近い。いくら好きだからといって私も人間だ。ときには飽きて、ときには忘れることもある。矛盾したことを言っているだろうか。
――さて、本題である。例のごとく電子顕微鏡で拡大解釈していただこうと思う。
好きなことは堂々と好きと言い、嫌いなことは決然嫌いだと言う。私はそれができるひとを心底尊敬する。思うだけなら『好き』の理由なんてなんとなくで結構だが、ひとに話すとなると一変、ときには筋道だてた理論を用意しておかねばならなくなる。ひとに理解させる言葉を考えなくてはならない。心の中の「なんとなく」にはっきり形をもたせなくてはならない。これが非常に難しいことだと考えるようになったのは、つい最近の話だ。
つまり自分を知るということだ。世の中で自分ほど理解に苦しむ行動を起こす人物はいないと思っている。自分自身と対話すると、ああ言えばこう言い、ふにゃふにゃして手応えがまるでない。ためしに、普段自分が好きだと思い込んでいる、それこそ小説なり漫画なり、映画なり音楽なり、そう考える理由を、何故なにどうしてとたどってみるといい。他人が理解できるほど明確な理由が、はたして口から出てくるものだろうか。
これは単純なみかけとは裏腹に、奥深い問題だ。そして私たち小説家は、文章に他人の価値観をねじ伏せるほどの力をもたせなければならないのだ。
当然、ときには力を抜いて、自分のためだけの文章を他人にさらしたっていいとも思っているけれど。
察しのよい読者ならすでにお気づきであろうが、このエッセイはだいたい毎回こういうことを書いている。いいかげんうんざりしてもらっても結構だが、私はいつまでも同じことを上っ面だけ変えて書き散らすことしかしないつもりだ。
前回更新分『天邪鬼を気取るからそうなる』これを何度読み返しただろうか。私は初回掲載分の『漫画的表現を~』に書いたとおり、自画自賛が大好きな性分ですから、久々のヒットに今シーズンの飛躍が垣間見えて人生バラ色、生きる希望がわきました。うへへ。もっと攻撃的なコメントをください。
「若者よ批判的であれ」
上は数日前から私の思考を支配していることば。
ところで皆さんは『レジェンド・オブ・ドラグーン』というゲームソフトをご存知だろうか。当時の開発陣の意気込みとは裏腹に、プロ・アマ問わず、あまたのレビュアーから酷評という酷評を突きつけられた伝説的に可哀想なロールプレイングゲームである。知らない方は読み飛ばすがよかろう。以後しばらくこのゲームに対する私なりの批評が続くからだ。興味のない話をだらだら聞かされることほどうんざりするものはない。君たちにはもともとその権利がある。
さて、第一に私はこのゲームが大好きである。愛しているといってもよい。愛だの恋だのいう感情は決まって盲目的であるから、世間のレビュアーが否と言おうが私の中では応になる。とはいえ彼らが唇を尖らせる内容は、そっくりそのまま私自身も不満に思うことでもあるのだ。特徴的すぎる戦闘システム、苦行としか思えぬレベル上げ作業は苛烈を極め、その時点ですでにマゾゲーであるし、また、キャラクタによって極端すぎるパラメータ成長率はパーティ編成の固定を余儀なくされ、なかんずくゲーム序盤の重要装備アイテムの不足はそれを加速させるのである。
ロールプレイングゲームにおいて、気に入ったパーティ編成で物語を進めることができないことは苦痛以外のなにものでもない。だいたい、むさ苦しい男たちだけで世界を救っても、一体どんなありがたみがあるというのだ。
だから私は貧弱な女性キャラを無理やり連れ回し、強化した。初めのうちは雑魚敵の通常攻撃たった二回で瀕死という体たらくであったが、私の愛で彼女たちはそれを乗り越えた。今では立派な女戦士である。女性たちの力で、華麗に、色っぽく、しなやかに世界を救うのだ。彼女たちは今やそれが可能だ。そんなものだから主人公を戦闘パーティから外せないことには終始歯がゆい思いをさせられた。残念なことに控えの一人があぶれてしまうのだ。
欠点は時に長所ともいえる。住めば都ということわざもある。慣れてしまえばこっちのものだ。特徴的すぎる戦闘システム『アディショナル攻撃』については詳しくは書かないが――もともと知っている者だけがこの章を読んでいる前提だ――戦闘中、彼女たちはその美しい肢体をフルポリゴン描写に置き換え、剣を払い、あるいは槌を振り、躍動感あふれる動きでプレーヤーである私を魅了する。
たとえば漆黒の女剣士ロゼのアディショナル『ハードコアブレード』第三撃目、ロゼは剣を突き上げるように斬りつけるため、ひざを折ってその身を大きく屈める。その瞬間! 大発見である。屈んだ反動で漆黒の長髪は大きく舞い上がり、同時に上半身も左右方向に捻られているため、彼女の腰のくびれがこれでもかと強調されるのだ。
普段は冷ややかな態度で、仲間との距離を常にある程度空けていて「手助けなどいらぬ」と孤高の強い女を気取っている彼女であるが、やはり彼女も女性なのである。腰が細ければ髪は艶やかだし、非常に女性らしい魅力にあふれているのである。まったく妄想世界に生きているのがもったいない女性だ。死ねなんて言葉を吐いちゃいけません。
ロゼのグラフィックは片足の腿から脛までを大きく露出した格好で、黒い装備に映える白磁の肌に目がいきがちだが、しかし、ロゼの醍醐味は腰である。このゲームを十年プレイし続けた私が言うのだから間違いはない。最終的にロゼは最高レベルアディショナル『デモンズダンス』と最強装備『ドラゴンバスター』で主要フォワードになる。
また、メルという素っ裸同然の踊り子がいて、これもビジュアル重視でパーティに組み入れた。戦闘中はそれこそ、台風、大嵐のさなかのコンビニレジ袋といった具合に貧弱である。彼女を一人前の戦闘メンバーに育て上げることは相当な忍耐力を要する。しかし私は愛の力で淡々とそれをこなす。全キャラクタのアディショナル攻撃中、最大のダメージパーセントを誇る『パーキーステップ』はそれだけで私にとって魅力的であった。ただ、それを生かせる攻撃力が彼女にないのが残念至極である。武器で補正することもままならない。このゲームは装備品を二百五十六も持ち歩ける割に、その種類が絶対的に少ない。装備品を選ぶ楽しみが少ないのもプレーヤーにストレスを与える原因であろう。ただし、それは愛の力で簡単に乗り越えることができる。そもそもメルを戦闘シーンで役に立てようなんて考えていないのだ。いわば彼女は愛玩用である。戦闘画面に出演してもらえさえすればそれでいい。魔法を使えば強いが、演出が長すぎて冗長になるからめったに使わない。とはいえ高すぎるすばやさはそれなりに有用でもある。
白い女は論外である。私の愛は彼女には及ばない。まずもっさりした村娘風のビジュアルが受け付けない。後半、入れ替えとなる三十路の女も高飛車で気に入らない。残念である。
男性キャラについてうんぬんとは書かない。書く気がしない。
要約すると私はこのゲームの女性キャラ『ロゼ』および『メル』が好きなだけである。それで十余年ものあいだ、間隔は空けつつも思い出すたびにプレイし続けてきたのだ。大した愛である。もはや執着ともいえる。――否、そのものだ。
私の執着癖はこれまた偏屈であり、ほんの些細なひとかけらが気に入りさえすれば、それをとらえて以後一切放そうとしない。いつまでも記憶と憧れの中に留めておく。小さな子供が覚えたての言葉を連呼するような習性と似ている。アニメ「電脳コイル」ではヤサコの妹が「ウンチ!」とやたらに喚いていた。彼女はすぐに飽きて興味は他の対象に移ったが、あの一時的な流行が恒久的または断続的に続くものと思ってもらえればそれに近い。いくら好きだからといって私も人間だ。ときには飽きて、ときには忘れることもある。矛盾したことを言っているだろうか。
――さて、本題である。例のごとく電子顕微鏡で拡大解釈していただこうと思う。
好きなことは堂々と好きと言い、嫌いなことは決然嫌いだと言う。私はそれができるひとを心底尊敬する。思うだけなら『好き』の理由なんてなんとなくで結構だが、ひとに話すとなると一変、ときには筋道だてた理論を用意しておかねばならなくなる。ひとに理解させる言葉を考えなくてはならない。心の中の「なんとなく」にはっきり形をもたせなくてはならない。これが非常に難しいことだと考えるようになったのは、つい最近の話だ。
つまり自分を知るということだ。世の中で自分ほど理解に苦しむ行動を起こす人物はいないと思っている。自分自身と対話すると、ああ言えばこう言い、ふにゃふにゃして手応えがまるでない。ためしに、普段自分が好きだと思い込んでいる、それこそ小説なり漫画なり、映画なり音楽なり、そう考える理由を、何故なにどうしてとたどってみるといい。他人が理解できるほど明確な理由が、はたして口から出てくるものだろうか。
これは単純なみかけとは裏腹に、奥深い問題だ。そして私たち小説家は、文章に他人の価値観をねじ伏せるほどの力をもたせなければならないのだ。
当然、ときには力を抜いて、自分のためだけの文章を他人にさらしたっていいとも思っているけれど。
察しのよい読者ならすでにお気づきであろうが、このエッセイはだいたい毎回こういうことを書いている。いいかげんうんざりしてもらっても結構だが、私はいつまでも同じことを上っ面だけ変えて書き散らすことしかしないつもりだ。
【 私の音楽観と音楽鑑賞について】
息子を保育園へ預けに行く車内、父はカーオーディオに決まって同じジャズアルバムを流していました。
「なんてうた?」と聞く息子に、父は仲の良い友人を自慢するような口ぶりで詳細を語ります。当時、幼すぎた息子には少し難しい話だったようですが。
園までの数分間、毎回同じ曲を聴き続けた息子は「音楽とはこういうものなのか」と幼心に思ったりするのでした。普段は厳しい父の横顔が、心なしか穏やかに、優しい目をしているように見えたということです。
「バド・パウエルだよ」父が教えてくれたその名前は、その後何年も少年の記憶に居候し続けるのでした。
――遠い昔の記憶。それは情熱的な古代の夢。
○
息子は一年に三度の母の里帰りをいつも楽しみにしていました。父と母と、ふたつ年上の兄と車に乗り込み、片道三時間をかけてばあちゃんの顔を見に行きます。穏やかな笑顔を湛えた優しい祖母です。会うたびに小遣いとして封筒に大金を包むばあちゃんを、現金な目で見ていなかったかといえば、必ずしもノーとは言えないやましい孫でしたが、生家よりもずっと牧歌的な風景や、すぐ裏を流れる河口近くの川、飼われている毛の短い大型犬など、たまにしか楽しめないもうひとつの我が家を心から好いていたのもまた事実です。
さて、往路の車内で流れていた音楽というと、このときは鼻歌交じりのジャズトリオではありませんでした。古くさいロックミュージックが軽快にスピーカーを震わせています。
それから十余年後に父のCDライブラリを漁っている最中、偶然そのアルバムを見つけ出すことができ、そのときは年月の経過を光陰矢の如しと感慨にふけったものです。セブンティースロックベスト100! とか銘打った雑多な曲目だったんですが、父はその中でもデレク・アンド・ドミノス『レイラ』を特にお気に入りのようでした。ブルージーなギターサウンドが、奏者の苦みばしった大人の色気を感じさせる曲です。この曲はバンドのギタリスト、エリック・クラプトンと、かのジョージ・ハリスンとの間のある確執とともに語られる、超がつくほど有名な曲ではあるんですが……
「おまえに言っても、まだわからんだろうなあ」と、聞きたがりの息子を煙に巻く父なのでした。
○
『クレオパトラの夢』『レイラ』この二曲から幼心に感じたもの。それらは私の音楽観の基盤であり、のちにコンプレックスとなったのは今更疑うべくもありません。
小学校高学年以降の、ポップミュージックの奔流に呑まれる同世代に対し、知られざる私個人の反抗と葛藤について書き散らしていたら冗長になりすぎたので割愛します。
「君たちにとって音楽とはそれなんだな。だったら勝手にしろ。おれも勝手にするから口を出さないでくれ」とか言ってやりたかったなあ。そんな風に当時を思い出します。
○
同志もおらず、自分の音楽趣味をひたすら孤独に、手探りで這い進む私でしたが、高校在学時に師と仰ぐ人物と出会いました。しかし一度も面識はありません。勝手に弟子入りしたつもりですがその人はライトノベル作家なのです。
嫌な予感を感じた方、正解です。『さよならピアノソナタ』著者である杉井光(すぎいひかる)大先生です。とらのあなのPOPに『個人的にはけいおん! よりもこっち!』と貼り出されてましたけど全くもって同感です。
はじめは作者の音楽趣味におおいに首を傾げたものでした。クラシックとロック? 対極にあるように思える二種類の音楽が、物語の中でそれは見事に融合しています。
また、作中でこんなことを言うひとがいます。
『ロックだのクラシックだのは、しょせん、レコード会社と販売店が棚をわかりやすくするために貼り付けたラベルだ。~中略~何千ものちがう人間が作った無数の音楽を、企業の都合で仕切られた枠組みでもって分類し、その棚を指して好悪を語るのは傲慢だと思わないか』
この言葉の後半は話の流れにのった音楽批評に関しての追言ではあるんですが、音楽に限らず「ジャンルわけ行為」についての鋭すぎる警告であることに違いはありません。これを初めて読んだとき、私は雷に打たれたような気がして、それから読書も放り出し、しばらくの間ぼうっとしていたような、してないような、覚えがないこともありません。
はい。
○
ここから以下が肝心かなめ。
先入観を持った鑑賞行為はすべての創作物を冒涜する危険があるということです。
もうこれ一行で終わっていいような。
あえて蛇に足を付けましょう。私に関していえば、父の音楽趣味を刷り込まされた幼少期、それ以外を贋作だと頑なに信じた思春期、どちらも公平な耳をもって音楽を聴いていなかったということです。
好き嫌いは自分自身が判断するものです。それは他人に指し示してもらうものではありません。この通り、好き嫌いに本来理由付けは必要ないのですが、たいていの人は誰かを後ろ盾に立てないと自分の考えに自信が持てないようです。
曰く、全国CDショップ売り上げ枚数と当社独自リサーチを集計したランキングトップに輝いたアーティストである。現役バンドマンであるナントカ先輩がこっそり教えてくれた、アングラ人気ナンバーワンのインディーズバンドである。はまさきあゆである。えぐざいるである。しょうなんのかぜである、云々。彼らは音楽が好きなわけではなく、流行りものが好きなだけなのかもしれません。
耳に手をかざすと目の前の大きな音しか聞こえてこないものじゃないでしょうかね。
――小説鑑賞も然り。以上。
息子を保育園へ預けに行く車内、父はカーオーディオに決まって同じジャズアルバムを流していました。
「なんてうた?」と聞く息子に、父は仲の良い友人を自慢するような口ぶりで詳細を語ります。当時、幼すぎた息子には少し難しい話だったようですが。
園までの数分間、毎回同じ曲を聴き続けた息子は「音楽とはこういうものなのか」と幼心に思ったりするのでした。普段は厳しい父の横顔が、心なしか穏やかに、優しい目をしているように見えたということです。
「バド・パウエルだよ」父が教えてくれたその名前は、その後何年も少年の記憶に居候し続けるのでした。
――遠い昔の記憶。それは情熱的な古代の夢。
○
息子は一年に三度の母の里帰りをいつも楽しみにしていました。父と母と、ふたつ年上の兄と車に乗り込み、片道三時間をかけてばあちゃんの顔を見に行きます。穏やかな笑顔を湛えた優しい祖母です。会うたびに小遣いとして封筒に大金を包むばあちゃんを、現金な目で見ていなかったかといえば、必ずしもノーとは言えないやましい孫でしたが、生家よりもずっと牧歌的な風景や、すぐ裏を流れる河口近くの川、飼われている毛の短い大型犬など、たまにしか楽しめないもうひとつの我が家を心から好いていたのもまた事実です。
さて、往路の車内で流れていた音楽というと、このときは鼻歌交じりのジャズトリオではありませんでした。古くさいロックミュージックが軽快にスピーカーを震わせています。
それから十余年後に父のCDライブラリを漁っている最中、偶然そのアルバムを見つけ出すことができ、そのときは年月の経過を光陰矢の如しと感慨にふけったものです。セブンティースロックベスト100! とか銘打った雑多な曲目だったんですが、父はその中でもデレク・アンド・ドミノス『レイラ』を特にお気に入りのようでした。ブルージーなギターサウンドが、奏者の苦みばしった大人の色気を感じさせる曲です。この曲はバンドのギタリスト、エリック・クラプトンと、かのジョージ・ハリスンとの間のある確執とともに語られる、超がつくほど有名な曲ではあるんですが……
「おまえに言っても、まだわからんだろうなあ」と、聞きたがりの息子を煙に巻く父なのでした。
○
『クレオパトラの夢』『レイラ』この二曲から幼心に感じたもの。それらは私の音楽観の基盤であり、のちにコンプレックスとなったのは今更疑うべくもありません。
小学校高学年以降の、ポップミュージックの奔流に呑まれる同世代に対し、知られざる私個人の反抗と葛藤について書き散らしていたら冗長になりすぎたので割愛します。
「君たちにとって音楽とはそれなんだな。だったら勝手にしろ。おれも勝手にするから口を出さないでくれ」とか言ってやりたかったなあ。そんな風に当時を思い出します。
○
同志もおらず、自分の音楽趣味をひたすら孤独に、手探りで這い進む私でしたが、高校在学時に師と仰ぐ人物と出会いました。しかし一度も面識はありません。勝手に弟子入りしたつもりですがその人はライトノベル作家なのです。
嫌な予感を感じた方、正解です。『さよならピアノソナタ』著者である杉井光(すぎいひかる)大先生です。とらのあなのPOPに『個人的にはけいおん! よりもこっち!』と貼り出されてましたけど全くもって同感です。
はじめは作者の音楽趣味におおいに首を傾げたものでした。クラシックとロック? 対極にあるように思える二種類の音楽が、物語の中でそれは見事に融合しています。
また、作中でこんなことを言うひとがいます。
『ロックだのクラシックだのは、しょせん、レコード会社と販売店が棚をわかりやすくするために貼り付けたラベルだ。~中略~何千ものちがう人間が作った無数の音楽を、企業の都合で仕切られた枠組みでもって分類し、その棚を指して好悪を語るのは傲慢だと思わないか』
この言葉の後半は話の流れにのった音楽批評に関しての追言ではあるんですが、音楽に限らず「ジャンルわけ行為」についての鋭すぎる警告であることに違いはありません。これを初めて読んだとき、私は雷に打たれたような気がして、それから読書も放り出し、しばらくの間ぼうっとしていたような、してないような、覚えがないこともありません。
はい。
○
ここから以下が肝心かなめ。
先入観を持った鑑賞行為はすべての創作物を冒涜する危険があるということです。
もうこれ一行で終わっていいような。
あえて蛇に足を付けましょう。私に関していえば、父の音楽趣味を刷り込まされた幼少期、それ以外を贋作だと頑なに信じた思春期、どちらも公平な耳をもって音楽を聴いていなかったということです。
好き嫌いは自分自身が判断するものです。それは他人に指し示してもらうものではありません。この通り、好き嫌いに本来理由付けは必要ないのですが、たいていの人は誰かを後ろ盾に立てないと自分の考えに自信が持てないようです。
曰く、全国CDショップ売り上げ枚数と当社独自リサーチを集計したランキングトップに輝いたアーティストである。現役バンドマンであるナントカ先輩がこっそり教えてくれた、アングラ人気ナンバーワンのインディーズバンドである。はまさきあゆである。えぐざいるである。しょうなんのかぜである、云々。彼らは音楽が好きなわけではなく、流行りものが好きなだけなのかもしれません。
耳に手をかざすと目の前の大きな音しか聞こえてこないものじゃないでしょうかね。
――小説鑑賞も然り。以上。
【最も愚痴らしきもの及びペンネームの研究】
『メダロット』ご存知ですかね、ファーストシリーズの。ほるま☆りん先生の漫画は秀逸。で、ゲームの方。ほぼ運任せの戦闘とか、総数の割りに全然集まらないメダルとか、物申したいことはいろいろあるんですが、私が感動したのはカスタム画面のパーツの略号。もう最終プレイから久しいのでひとつしか覚えてませんが、カブトムシのパーツをKBTと略すんですね。クワガタはKWGだっけ? KGT? うわあすげえ粋だな、と思いました。小学生でした。
それに則ってみましょう。やまわか略すとYMK、おしぼりウェッティ略すとOSW。まあなにを言いたいかっていうと、いつもペンネームが気にいらねえのです。おしぼりウェッティ? なんだそれしねよ。
覆面だなんだ、認知度皆無の私が気取ったところでたいした驚きもないのは承知の上で、そんな意識もなかった。コメント一発目でそこを突っこまれたときは「そこじゃないでしょ」と心中でつっこみ返したもんです。
○
皆さんはペンネームってどうやって決めたんでしょう。
「ペンネームきまらねえワロタw」って同志は少なからずいると思うんですがね。新都社作家陣をずらっと並べてみるとそれはさまざまなものがあり、眺めてるだけで部屋の時計が加速していくようです。
新都社トップページ、全雑誌で空検索。とりとめがなさ過ぎたので、次は小説雑誌に条件変更、空検索。結果、大して変わりません。傾向が掴めぬ。ぐぬぬ。
くやしいから必死になってみる。とりあえず並べてみましょう。
真島
PA
きれいな黒兎
七瀬楓
おしぼりウェッティ
吊る死こ
へーちょ
暇゙人
シブク
エクレア
新野辺のべる
爆竹マンハッタン
興干
kesuke
わくあい
鹿なんです
無才ダンゾウ
山田真也
朱朱斗
和田 駄々
なかの
スター☆
近所の山田君
幾千トリック
顎男
シャック
おしぼりウェッティ
ty
フジサワ
歯ーマイオニー
ひょうたん
ドネツク
顎男
いそ。
江ヌワ
電波有有
股間野郎
チンコ野郎
吊る死こ
フジサワ+クロサワ
黒兎玖乃
文造 恋象
べぇぐる
文:黒兎玖乃 絵:闇鍋四杯
平川 向洋
猫瀬
青春ばくはつマン
黒兎玖乃
和田 駄々
坂
でか
近所の山田君
nao
ゆらゆら
山田一人
苺マシュマロ
ちんまなる
顎男
ミツミサトリ
猫瀬
bookman
らぁばもす
文:家鴨 編:烏龍
畑中すいか
橘圭郎
土岐白子
池戸葉若
十七番基地
永谷考悦
池田カエル
ところてん
――疲れました。無益ですこれ。
わかったことはいろいろあるってこと。おいもうちょっとあたまつかえ。無い知恵絞って世相を読み取るのだ。
【一、文字種による分類】
漢字のみ、漢字+ひらがな、漢字+カタカナ、ひらがなのみ、カタカナのみ、ひらがな+カタカナ、アルファベットのみ、記号、その他考えうる組み合わせすべての数だけ分類できます。
一時期主流は人名風の漢字+カタカナだったようですが、一覧を見てみると全然目立ちません。そしてやはり漢字は好んで使われているようです。アルファベットはかなり少ないですね。感覚の目を使ってようく見てみると、スタンドをつかって自分の体を持ち上げてい(ryなんてことはありません、ただ逆に目立ってます。統計とったらわかりませんけど、また今度にします。でもそれも面白そうだな。
【二、文字数による分類】
一字のものからさまざま。そういえば、新都社では最大何文字のペンネームを登録できるんでしょう。
多いのは四字から五字でしょうかね。人名風(氏+名、的な)ペンネームが主流なので、当然の帰結です。それ以外でもその字数は語呂のいいペンネームが多いようです。
【三、音による分類】
見てみると口に出して読めるものと、なんて読むのかわからないものがあります。造語っぽいのは振り仮名つけてもらわないと、下手に読むと間違ってしまいそうですね。読めるか、読むのに予備知識が必要か。後者は「こう読むんです」っていう作者のお墨付きのこと。ペンネームを考える最中、その辺の葛藤はなかったんでしょうか。意味はともかく、読めるものが多いのは当然ですね。
個人的に「黒兎玖乃」こくとくの? くろうさきゅうの?「池戸葉若」いけどはわか? ちとようじゃく?「文造 恋象」もんぞうれんしょう? ぶんつくこいぞう?「橘圭郎」たちばな、けいろうでいいんですかね? 各先生(敬称略、何たる非礼!)読み方教えてもらったら一年越しくらいの私のモヤモヤが消えます。お願いします。あとすいません。基本的に私自身が語彙不足です。「執行」という苗字を「しっこう」と読んでいた私です。人名むずかしす。首藤さん? くびどうさんですか?
【四、訓による分類】
明解な意味が通っているか、そうでないか。それによる二分。人名風だったりするのは意味が通っていると数えましょう。固有名詞を間借りしていたりや、連体詞+名詞も同じく分けましょう。ひらがなのみのペンネームに傾向がありますが、無意味のようにみえるペンネームは少なくありません。音も読めなけりゃ意味もわからないなんて激レアペンネームは、……激レアですからほとんどないですね。なんかキリル文字が見えたけど気付かないふり。
【五、その他の傾向】
ネタ切れのはやいこと。自嘲しちゃうくらい。
ええと、人名風、外人風、氏名イニシャル風、アダ名風、ひらがな四文字、カタカナ苗字、漢字苗字、名のアルファベット表記風、当て字、もじり、造語、怪人風、地名風、食べ物、数字の羅列、固有名詞拝借系、商標拝借系、音重視訓無視系、韻を踏んでる、音訓ともに無視系、性癖主張、願望、一発ギャグ風、述語使用、二秒で考えた風、名詞の対比、名詞の修飾、無秩序系、清清しいほどの下ネタ、そっちを題名にしろよ系、中二病、……
それまで思いついて新都社小説作家千六百件眺め終えたのでやめときます。
○
ふむ。やはり傾向はあるようです。だいたいどのペンネームも分類できるみたい。そろそろきもち悪くなってきたからペンネーム変えたいんですよね私。やまわかもymkもOSWもはなっから納得いってなかったし。もう本名でやるかな、なんて。部屋の模様替えとかしょっちゅうやるタイプです。掃除の途中で漫画を読み始めちゃうタイプ。古本屋で乱れた帯をきちんと直しちゃうタイプで、車のオイルは千キロで換えちゃう。カメラはアナログです。スピーカーはボーズでアンプはオンキヨー、ラジカセ流用のCDプレーヤー。チャリはトレック、ザックはコールマン。スレートPCロハだったけど板金修理が三十万。いまどきロハて。そんな私。
こんな内容で更新してすいませんでした。
あと今回私のペンネーム変えました。犬好きなんです。あ、どこからともなく声が聞こえる。
「どうでもいいです」
ここ数日コメントつかないから需要と供給を自己完結しちゃうぞ!
『メダロット』ご存知ですかね、ファーストシリーズの。ほるま☆りん先生の漫画は秀逸。で、ゲームの方。ほぼ運任せの戦闘とか、総数の割りに全然集まらないメダルとか、物申したいことはいろいろあるんですが、私が感動したのはカスタム画面のパーツの略号。もう最終プレイから久しいのでひとつしか覚えてませんが、カブトムシのパーツをKBTと略すんですね。クワガタはKWGだっけ? KGT? うわあすげえ粋だな、と思いました。小学生でした。
それに則ってみましょう。やまわか略すとYMK、おしぼりウェッティ略すとOSW。まあなにを言いたいかっていうと、いつもペンネームが気にいらねえのです。おしぼりウェッティ? なんだそれしねよ。
覆面だなんだ、認知度皆無の私が気取ったところでたいした驚きもないのは承知の上で、そんな意識もなかった。コメント一発目でそこを突っこまれたときは「そこじゃないでしょ」と心中でつっこみ返したもんです。
○
皆さんはペンネームってどうやって決めたんでしょう。
「ペンネームきまらねえワロタw」って同志は少なからずいると思うんですがね。新都社作家陣をずらっと並べてみるとそれはさまざまなものがあり、眺めてるだけで部屋の時計が加速していくようです。
新都社トップページ、全雑誌で空検索。とりとめがなさ過ぎたので、次は小説雑誌に条件変更、空検索。結果、大して変わりません。傾向が掴めぬ。ぐぬぬ。
くやしいから必死になってみる。とりあえず並べてみましょう。
真島
PA
きれいな黒兎
七瀬楓
おしぼりウェッティ
吊る死こ
へーちょ
暇゙人
シブク
エクレア
新野辺のべる
爆竹マンハッタン
興干
kesuke
わくあい
鹿なんです
無才ダンゾウ
山田真也
朱朱斗
和田 駄々
なかの
スター☆
近所の山田君
幾千トリック
顎男
シャック
おしぼりウェッティ
ty
フジサワ
歯ーマイオニー
ひょうたん
ドネツク
顎男
いそ。
江ヌワ
電波有有
股間野郎
チンコ野郎
吊る死こ
フジサワ+クロサワ
黒兎玖乃
文造 恋象
べぇぐる
文:黒兎玖乃 絵:闇鍋四杯
平川 向洋
猫瀬
青春ばくはつマン
黒兎玖乃
和田 駄々
坂
でか
近所の山田君
nao
ゆらゆら
山田一人
苺マシュマロ
ちんまなる
顎男
ミツミサトリ
猫瀬
bookman
らぁばもす
文:家鴨 編:烏龍
畑中すいか
橘圭郎
土岐白子
池戸葉若
十七番基地
永谷考悦
池田カエル
ところてん
――疲れました。無益ですこれ。
わかったことはいろいろあるってこと。おいもうちょっとあたまつかえ。無い知恵絞って世相を読み取るのだ。
【一、文字種による分類】
漢字のみ、漢字+ひらがな、漢字+カタカナ、ひらがなのみ、カタカナのみ、ひらがな+カタカナ、アルファベットのみ、記号、その他考えうる組み合わせすべての数だけ分類できます。
一時期主流は人名風の漢字+カタカナだったようですが、一覧を見てみると全然目立ちません。そしてやはり漢字は好んで使われているようです。アルファベットはかなり少ないですね。感覚の目を使ってようく見てみると、スタンドをつかって自分の体を持ち上げてい(ryなんてことはありません、ただ逆に目立ってます。統計とったらわかりませんけど、また今度にします。でもそれも面白そうだな。
【二、文字数による分類】
一字のものからさまざま。そういえば、新都社では最大何文字のペンネームを登録できるんでしょう。
多いのは四字から五字でしょうかね。人名風(氏+名、的な)ペンネームが主流なので、当然の帰結です。それ以外でもその字数は語呂のいいペンネームが多いようです。
【三、音による分類】
見てみると口に出して読めるものと、なんて読むのかわからないものがあります。造語っぽいのは振り仮名つけてもらわないと、下手に読むと間違ってしまいそうですね。読めるか、読むのに予備知識が必要か。後者は「こう読むんです」っていう作者のお墨付きのこと。ペンネームを考える最中、その辺の葛藤はなかったんでしょうか。意味はともかく、読めるものが多いのは当然ですね。
個人的に「黒兎玖乃」こくとくの? くろうさきゅうの?「池戸葉若」いけどはわか? ちとようじゃく?「文造 恋象」もんぞうれんしょう? ぶんつくこいぞう?「橘圭郎」たちばな、けいろうでいいんですかね? 各先生(敬称略、何たる非礼!)読み方教えてもらったら一年越しくらいの私のモヤモヤが消えます。お願いします。あとすいません。基本的に私自身が語彙不足です。「執行」という苗字を「しっこう」と読んでいた私です。人名むずかしす。首藤さん? くびどうさんですか?
【四、訓による分類】
明解な意味が通っているか、そうでないか。それによる二分。人名風だったりするのは意味が通っていると数えましょう。固有名詞を間借りしていたりや、連体詞+名詞も同じく分けましょう。ひらがなのみのペンネームに傾向がありますが、無意味のようにみえるペンネームは少なくありません。音も読めなけりゃ意味もわからないなんて激レアペンネームは、……激レアですからほとんどないですね。なんかキリル文字が見えたけど気付かないふり。
【五、その他の傾向】
ネタ切れのはやいこと。自嘲しちゃうくらい。
ええと、人名風、外人風、氏名イニシャル風、アダ名風、ひらがな四文字、カタカナ苗字、漢字苗字、名のアルファベット表記風、当て字、もじり、造語、怪人風、地名風、食べ物、数字の羅列、固有名詞拝借系、商標拝借系、音重視訓無視系、韻を踏んでる、音訓ともに無視系、性癖主張、願望、一発ギャグ風、述語使用、二秒で考えた風、名詞の対比、名詞の修飾、無秩序系、清清しいほどの下ネタ、そっちを題名にしろよ系、中二病、……
それまで思いついて新都社小説作家千六百件眺め終えたのでやめときます。
○
ふむ。やはり傾向はあるようです。だいたいどのペンネームも分類できるみたい。そろそろきもち悪くなってきたからペンネーム変えたいんですよね私。やまわかもymkもOSWもはなっから納得いってなかったし。もう本名でやるかな、なんて。部屋の模様替えとかしょっちゅうやるタイプです。掃除の途中で漫画を読み始めちゃうタイプ。古本屋で乱れた帯をきちんと直しちゃうタイプで、車のオイルは千キロで換えちゃう。カメラはアナログです。スピーカーはボーズでアンプはオンキヨー、ラジカセ流用のCDプレーヤー。チャリはトレック、ザックはコールマン。スレートPCロハだったけど板金修理が三十万。いまどきロハて。そんな私。
こんな内容で更新してすいませんでした。
あと今回私のペンネーム変えました。犬好きなんです。あ、どこからともなく声が聞こえる。
「どうでもいいです」
ここ数日コメントつかないから需要と供給を自己完結しちゃうぞ!
【物言いがつきました】
エッセイですからコメント返信なぞ愚の骨頂と思っていたんですが、ちょっと気になったメッセージが二、三あったものですから。
# [17] 俺もふつうの素晴らしさ知ったよ <2011 03/28 02:22> qmtRdBN.P
>第四回【天ノ邪鬼を気取るからそうなる】に関してのコメントかと思われます。ふつうって言葉はあくまで価値観の基準ですから、本来すばらしいもつまらないもないんですよ。あるのは好き嫌いだけで。それ自体に良し悪しはつけられません。「ふつう」は「ふつう」に過ぎないのです。
ふつうの文章ってのは、それを理解してもらえる人数が割合的に(普遍的という意味で)最大になりますから、私としては、物語をひとに伝えるため可能な限り準拠すべき規格、という認識をしています。それらを鑑みたうえで『素晴らしい』とコメントくださったのであれば、こんな忠告は私の勘違い行為に過ぎないのですが。
もちろんふつうの文章でなくとも作者に内在するぎらぎらしたエネルギーを伝えることはできます。文藝新都『ナックルボンバー』はその例のひとつといえるでしょう。あんな躍動感、私にはとても書けません。
ちなみに私自身は今なお「ふつう」を嫌っております。以上、第四回の追記として。
# [13] ウェッティ先生は非凡だと思うよ。発想力もある。脳髄モダニズムと同じ匂い。けど少々読みやすさで負けてる <2011 03/03 13:59> foHi/sa1P
>読みやすさですか。「文章力」と並んで鼻につく言葉ですね。反面その言葉でもって褒め称えられたい願望もあります。その判断基準においてかのG先生に負けてるとは、すごく参考になる意見であります。
ありがとうございます。もっと攻撃的な意見を今後もよろしくお願いしたいところです。それらが私の血肉になります。
# [10] 文章に対するストイックな姿勢、見習っていきたいと感じます <2011 03/02 13:11> U.oqAp31P
>「ストイック」で字引きますと禁欲的とあります。私はどっちかというと「文章力」向上に貪欲でありたいと思っているんですが、そういう風に伝わったんであればまだまだと言うことですね。一通り読み直すと確かに、縛りばかりで堅苦しい奴だなあと思われても仕方のないエッセイでした。表現に自由を求める一方で、その方法は無意識に制約だらけになっているのかもしれません。
# [7] 文章について語りたいのなら最低限ガチの文章がどんなタイプなんかくらいは解る状態でやってくんないと何とも言えない <2011 02/23 15:11> iufpQ5R.P
>このエッセイは愚痴ですから何も言ってもらわなくて結構です。そんな言い訳でこのコメントから逃げることもできますが、『ガチの文章』ってこのエッセイじゃだめなんですかね。小説読ませろというのなら、未完結のものでいいならニノベにありますよ。「白煙に巻く」ってあれ私のです。
# [6] 愚痴に過ぎないとしても一見文章はちゃんと書けてるんだから、あとは自然体に小説書いてみたら? 売れ線ラノベ的なものでなくていいんだから、私小説なりぐちゃぐちゃな愚痴小説なり。 <2011 02/23 14:32> J/Z/1Ug/P
>このエッセイ自体を私小説ふうに改変しても面白いかなあとか思ったりしました。ファミレスでネット作家がひとり管巻いて入り浸る話。そこで浮世離れした美少女と出会うのはお約束。
# [2] ミス とりあえず匿名やめたら? <2011 01/24 12:16> iTRJTrn/P
# [1] とりあえず匿名やめる <2011 01/24 12:10> iTRJTrn/P
>過去には『やまわか』『ymk』の名前で新都社で活動してました。
エッセイですからコメント返信なぞ愚の骨頂と思っていたんですが、ちょっと気になったメッセージが二、三あったものですから。
# [17] 俺もふつうの素晴らしさ知ったよ <2011 03/28 02:22> qmtRdBN.P
>第四回【天ノ邪鬼を気取るからそうなる】に関してのコメントかと思われます。ふつうって言葉はあくまで価値観の基準ですから、本来すばらしいもつまらないもないんですよ。あるのは好き嫌いだけで。それ自体に良し悪しはつけられません。「ふつう」は「ふつう」に過ぎないのです。
ふつうの文章ってのは、それを理解してもらえる人数が割合的に(普遍的という意味で)最大になりますから、私としては、物語をひとに伝えるため可能な限り準拠すべき規格、という認識をしています。それらを鑑みたうえで『素晴らしい』とコメントくださったのであれば、こんな忠告は私の勘違い行為に過ぎないのですが。
もちろんふつうの文章でなくとも作者に内在するぎらぎらしたエネルギーを伝えることはできます。文藝新都『ナックルボンバー』はその例のひとつといえるでしょう。あんな躍動感、私にはとても書けません。
ちなみに私自身は今なお「ふつう」を嫌っております。以上、第四回の追記として。
# [13] ウェッティ先生は非凡だと思うよ。発想力もある。脳髄モダニズムと同じ匂い。けど少々読みやすさで負けてる <2011 03/03 13:59> foHi/sa1P
>読みやすさですか。「文章力」と並んで鼻につく言葉ですね。反面その言葉でもって褒め称えられたい願望もあります。その判断基準においてかのG先生に負けてるとは、すごく参考になる意見であります。
ありがとうございます。もっと攻撃的な意見を今後もよろしくお願いしたいところです。それらが私の血肉になります。
# [10] 文章に対するストイックな姿勢、見習っていきたいと感じます <2011 03/02 13:11> U.oqAp31P
>「ストイック」で字引きますと禁欲的とあります。私はどっちかというと「文章力」向上に貪欲でありたいと思っているんですが、そういう風に伝わったんであればまだまだと言うことですね。一通り読み直すと確かに、縛りばかりで堅苦しい奴だなあと思われても仕方のないエッセイでした。表現に自由を求める一方で、その方法は無意識に制約だらけになっているのかもしれません。
# [7] 文章について語りたいのなら最低限ガチの文章がどんなタイプなんかくらいは解る状態でやってくんないと何とも言えない <2011 02/23 15:11> iufpQ5R.P
>このエッセイは愚痴ですから何も言ってもらわなくて結構です。そんな言い訳でこのコメントから逃げることもできますが、『ガチの文章』ってこのエッセイじゃだめなんですかね。小説読ませろというのなら、未完結のものでいいならニノベにありますよ。「白煙に巻く」ってあれ私のです。
# [6] 愚痴に過ぎないとしても一見文章はちゃんと書けてるんだから、あとは自然体に小説書いてみたら? 売れ線ラノベ的なものでなくていいんだから、私小説なりぐちゃぐちゃな愚痴小説なり。 <2011 02/23 14:32> J/Z/1Ug/P
>このエッセイ自体を私小説ふうに改変しても面白いかなあとか思ったりしました。ファミレスでネット作家がひとり管巻いて入り浸る話。そこで浮世離れした美少女と出会うのはお約束。
# [2] ミス とりあえず匿名やめたら? <2011 01/24 12:16> iTRJTrn/P
# [1] とりあえず匿名やめる <2011 01/24 12:10> iTRJTrn/P
>過去には『やまわか』『ymk』の名前で新都社で活動してました。
自宅から近くも遠くもない場所にある、寂れた(ここが重要だ、と彼は言う)ファミレスで、ノートPCを相手に二時間も三時間も粘る男。
それが彼であり、彼はネット作家である。しかし、作家とは名ばかりのアマチュア、その実ただの小説創作愛好家で、たまの休日をこういうつぶし方しかできない彼はもちろん、麗しき女性と過ごすアバンチュールなどとは縁遠い。その、十代から続いている自分だけの楽しみを、口外しにくいなりに誰かと分かち合わんとして、仕事の合間を見ては、ネットの海に自作の拙い小説を投稿したりしている。彼も一応は勤め人であるが、それくらいの時間は持て余していた。
彼はいろいろ不満が溜まっているらしく、このファミレスでは顔パス同然の扱いをされ始めたこの頃であるが、従業員が裏で囁きあう彼の評判について、いい顔をして語られる内容のものはあまり多くない。
というのも彼は表情が暗い。いつも怒ったように眉をひそめている。それに挙動不審である。ノートのモニタ画面にのめりこむようなときもあれば、思い切り仰け反って伸びをすることもある。かと思えば突然ニヤニヤしだして、どうやら躁鬱病の気があるらしいのが分かる。周りの目を気にした様子で笑いを堪えている時なんか、もう本当に気味が悪い。
彼は基本的に周囲から評判が悪い。それは自覚していることであったし、できることなら直してやりたい自分の欠点だと思っていた。彼ももうオトナである。カッコつけた年齢なりの常識など、一度社会に出ると嫌でも植えつけられてしまうものだ。
子供が羨ましいなあとか、学生は自由だなあとか思いたくはないんだけれども。「若いねえきみたち」なんて言う大人にだけはなりたくなかったはずなんだけども。彼の投稿する小説サイトの年齢層さえ、それら若者が幅をきかせている。
彼といえば、学生の身分を離れてから既に久しい。数字に出すと怖いので余り考えたくない心境なのであった。
ドアチャイムがからころと鳴って、彼は二人連れのカップルが入店するのを横目で確認した。年の頃はちょうど彼と変わらないように見える。両方私服でこざっぱりしているのをみると、恐らくはデートの最中でもあるんだろう。この平日におデートとは、二人して仕事の休日を合わせたりしたんだろうか。仲睦まじい様子だ。
十代のカップルのように、周囲に見せ付けるかのごとく浮かれた様子もなく、落ち着いている二人は、席に着くとお互いにだけ伝わるくらいの声で囁きあい、微笑を交わしあった。
彼はそれ以上観察するのを止めた。PC画面に目を戻すと、そこでは架空の女子高生が世間の愚痴を垂れたり、いちゃついていたりする言葉の束が読める。彼の吐いたため息すら、自身を物悲しい気分にさせる。
そんないつもの休日。
それが彼であり、彼はネット作家である。しかし、作家とは名ばかりのアマチュア、その実ただの小説創作愛好家で、たまの休日をこういうつぶし方しかできない彼はもちろん、麗しき女性と過ごすアバンチュールなどとは縁遠い。その、十代から続いている自分だけの楽しみを、口外しにくいなりに誰かと分かち合わんとして、仕事の合間を見ては、ネットの海に自作の拙い小説を投稿したりしている。彼も一応は勤め人であるが、それくらいの時間は持て余していた。
彼はいろいろ不満が溜まっているらしく、このファミレスでは顔パス同然の扱いをされ始めたこの頃であるが、従業員が裏で囁きあう彼の評判について、いい顔をして語られる内容のものはあまり多くない。
というのも彼は表情が暗い。いつも怒ったように眉をひそめている。それに挙動不審である。ノートのモニタ画面にのめりこむようなときもあれば、思い切り仰け反って伸びをすることもある。かと思えば突然ニヤニヤしだして、どうやら躁鬱病の気があるらしいのが分かる。周りの目を気にした様子で笑いを堪えている時なんか、もう本当に気味が悪い。
彼は基本的に周囲から評判が悪い。それは自覚していることであったし、できることなら直してやりたい自分の欠点だと思っていた。彼ももうオトナである。カッコつけた年齢なりの常識など、一度社会に出ると嫌でも植えつけられてしまうものだ。
子供が羨ましいなあとか、学生は自由だなあとか思いたくはないんだけれども。「若いねえきみたち」なんて言う大人にだけはなりたくなかったはずなんだけども。彼の投稿する小説サイトの年齢層さえ、それら若者が幅をきかせている。
彼といえば、学生の身分を離れてから既に久しい。数字に出すと怖いので余り考えたくない心境なのであった。
ドアチャイムがからころと鳴って、彼は二人連れのカップルが入店するのを横目で確認した。年の頃はちょうど彼と変わらないように見える。両方私服でこざっぱりしているのをみると、恐らくはデートの最中でもあるんだろう。この平日におデートとは、二人して仕事の休日を合わせたりしたんだろうか。仲睦まじい様子だ。
十代のカップルのように、周囲に見せ付けるかのごとく浮かれた様子もなく、落ち着いている二人は、席に着くとお互いにだけ伝わるくらいの声で囁きあい、微笑を交わしあった。
彼はそれ以上観察するのを止めた。PC画面に目を戻すと、そこでは架空の女子高生が世間の愚痴を垂れたり、いちゃついていたりする言葉の束が読める。彼の吐いたため息すら、自身を物悲しい気分にさせる。
そんないつもの休日。
○
「お兄さん、ねえ」
透き通るような声が、別の世界に入り込んでいた彼の意識を現実に呼び戻した。
はっとしたのも束の間、せっかく筆が乗ってたのに、そんな恨みがましい思いが心の奥に湧いて起こる。
「なにしてるの? さっきからずいぶん一生懸命みたいだけど」
彼は顔を上げる。目の前に立っていたのは、怨念が一瞬で萎えてしまうほどの美少女であった。
当然、見覚えなんかない。従って彼は頭脳をフル回転させて目の前の少女(だと思う。おそらくは十代だろう)に関する視覚データを記憶域にインプットするとともに、並行して、そんな正体不明の美少女が、面識のない自分などに声を掛けた後に発展するであろう出来事を想像する。
美人局、ネズミ講、宗教勧誘、……悪いことしか思い浮かばぬ。まさか、
「小説を書いてるみたいだけど、私が読んであげようか」
少女がそんなことを言い出すなんて、彼は思いもよらなかった。
「え?」
彼はノートを半分折り曲げながら、まことに情けないことに目を泳がせるのだった。
「それよりきみは……」
「私が誰かなんてことは――」
少女は彼ひとりが占領するボックス席に滑り込み、対面に陣取った。彼は身を引いてたじろぐ。女性に免疫のない彼には、この空間で二人きりは狭すぎるのだ。
「――どうでもいいじゃない。読まれたいんでしょ? 自分の書いた小説を、いろんな人に」
憚らずも物書きの端くれとして、それは当然の願望である。欲を言うと、さらには万人から褒め称えられたいと思っている。彼は本音を引き出されそうになって、つい黙り込んだ。
「だったらほら、ん」
彼女は手を出して、そのノートよこせとでも言いたいのだろうか。ん、じゃねえよ。
「……まだ完結してないよ」
「いいよ、関係ないよ」
少女の目は彼を見ず、ノートのモニタ背面に釘付けである。もしかするとそうやって文面を透視しているのかもしれない。
彼はしぶしぶといった様子で、今しがたようやく序盤を書き終えた、未完結の感動巨編を彼女に差し出した。
一体どこから湧いて出てきたのか分からないこの少女。終始黙って彼の小説を読み終えると、
「うん」
といってノートを返してよこした。
「おい」
「なに?」
「なんかいえよ」
「どうして」
「どうしてって、……感想くれよ」
「私は未完結の物語に口を出せるほど、偉くない」
それはもっともな意見だ。
「そうでなくても一言、あんだろ」
「読みました。これでいい?」
彼はなんとも言いがたいもどかしさを感じる。しかし、
「――それを言われるだけで満足するんだよな。分かってんだよ。……分かってるけどね。あくまで趣味で小説を書いてるんだから、完結するまでの間は、そうやって読んでくれてる人がいるってわかるだけで満足なんだ」
「だったらどうして更に一言を求めたがるの? 今なんか、私が目の前で読んでるのを見ていたはずでしょ。わざわざ『読みました』なんて言わせて」
「それがぼくの意地汚いところでね。『すげえだろ俺、俺の話面白いだろ、面白いって言え』って、いつも考えてるのさ」
少女はやれやれ、といった様子で、
「『新都社のどの小説よりも面白いです! 更新楽しみにしています!』なんて言われたいの? きみ」
あれ、おれ「きみ」とか言われちゃうわけ? 年上だよね?
「いやそういうわけでは……」
「それとも、あらすじをいちいち書き起こして、ここが好きだあいつは嫌な奴だといわれたいわけ?」
「うん、それは言われたい」
「ふうん、そういうことがしたいんだ」
「まあね。語弊はあるけど」
彼にはいつぞや妄想世界に生きていこうと決心しかけたときがあった。しかし現実世界は、そう簡単に個人の首輪に繋がる手綱を緩めてはくれない。未だ脱出の機会を逃し続けているのがこの男だった。
「――悪いのかよ」
「それを責めはしないけど」
いちいち偉そうな少女である。このやろう。
「君はさ」
「なに?」
「えーと、君の目の前のろくでもない大人がそういう、過ぎ去った理想の青春物語を書いちゃったりしてるわけだけれど。それについては、その、どうも思わないわけ?」
「質問の要点をはっきりしてもらわないと、答えようがないよ」
「つまりは『うわこいつきんもー』とか、作者のぼくに対して思ったりしないの?」
バカだな。と少女は前置いて、
「自分で書いてるじゃない。『先入観を持った鑑賞行為はすべての創作物を冒涜する危険があるということです』自分でもまともなことを言ったと思ってたでしょ?」
「それをぼく以外も等しく心掛けているかなんて知りようがないよ。たとえあれを読んだ人が少なからずいたとしても、個人のそれまでの鑑賞精神を捨てさせた上で、そんな風に宗旨替えさせるほどの影響力なんて、ぼくにはないさ」
ていうか何で知ってるんだ。
「悲観的だね。それでも誰かしらの心を動かせる文章を書けると思っている」
「いいだろそれぐらい」
「悪くはないさ。良いことかどうかは別にしてね」
「あときみはこうも書いているね。『漫画的表現を小説で再現しようとするからそうなる』ひとに伝えよう、伝えようと考えて、余計な表現をごちゃごちゃ混ぜてしまい、その結果わかりにくい文章になるのをいつも悔やんでいる。自覚があるなら対策もできそうなものだけど」
「発展途上なんですよ。『自分が大好きですから、あきらめが悪いのです』すいませんね」
「いいさ。それに、きみの小説の一人目の読者はきみ自身に他ならないから、その一人くらいは好きで好きでどうしようもない、それこそ信者のような人間として必要だ。その傍らには必ずアンチが立っているものだからね。他人の目を気にするのなら、自分の中に常に対極の意見を用意しておくべきだ」
「信者とアンチねえ」
「二者の綱引きの上にきみが立つべきなのさ。だからといって、どちらかの意見も聞き入れる必要なんてないんだけどね」
「お兄さん、ねえ」
透き通るような声が、別の世界に入り込んでいた彼の意識を現実に呼び戻した。
はっとしたのも束の間、せっかく筆が乗ってたのに、そんな恨みがましい思いが心の奥に湧いて起こる。
「なにしてるの? さっきからずいぶん一生懸命みたいだけど」
彼は顔を上げる。目の前に立っていたのは、怨念が一瞬で萎えてしまうほどの美少女であった。
当然、見覚えなんかない。従って彼は頭脳をフル回転させて目の前の少女(だと思う。おそらくは十代だろう)に関する視覚データを記憶域にインプットするとともに、並行して、そんな正体不明の美少女が、面識のない自分などに声を掛けた後に発展するであろう出来事を想像する。
美人局、ネズミ講、宗教勧誘、……悪いことしか思い浮かばぬ。まさか、
「小説を書いてるみたいだけど、私が読んであげようか」
少女がそんなことを言い出すなんて、彼は思いもよらなかった。
「え?」
彼はノートを半分折り曲げながら、まことに情けないことに目を泳がせるのだった。
「それよりきみは……」
「私が誰かなんてことは――」
少女は彼ひとりが占領するボックス席に滑り込み、対面に陣取った。彼は身を引いてたじろぐ。女性に免疫のない彼には、この空間で二人きりは狭すぎるのだ。
「――どうでもいいじゃない。読まれたいんでしょ? 自分の書いた小説を、いろんな人に」
憚らずも物書きの端くれとして、それは当然の願望である。欲を言うと、さらには万人から褒め称えられたいと思っている。彼は本音を引き出されそうになって、つい黙り込んだ。
「だったらほら、ん」
彼女は手を出して、そのノートよこせとでも言いたいのだろうか。ん、じゃねえよ。
「……まだ完結してないよ」
「いいよ、関係ないよ」
少女の目は彼を見ず、ノートのモニタ背面に釘付けである。もしかするとそうやって文面を透視しているのかもしれない。
彼はしぶしぶといった様子で、今しがたようやく序盤を書き終えた、未完結の感動巨編を彼女に差し出した。
一体どこから湧いて出てきたのか分からないこの少女。終始黙って彼の小説を読み終えると、
「うん」
といってノートを返してよこした。
「おい」
「なに?」
「なんかいえよ」
「どうして」
「どうしてって、……感想くれよ」
「私は未完結の物語に口を出せるほど、偉くない」
それはもっともな意見だ。
「そうでなくても一言、あんだろ」
「読みました。これでいい?」
彼はなんとも言いがたいもどかしさを感じる。しかし、
「――それを言われるだけで満足するんだよな。分かってんだよ。……分かってるけどね。あくまで趣味で小説を書いてるんだから、完結するまでの間は、そうやって読んでくれてる人がいるってわかるだけで満足なんだ」
「だったらどうして更に一言を求めたがるの? 今なんか、私が目の前で読んでるのを見ていたはずでしょ。わざわざ『読みました』なんて言わせて」
「それがぼくの意地汚いところでね。『すげえだろ俺、俺の話面白いだろ、面白いって言え』って、いつも考えてるのさ」
少女はやれやれ、といった様子で、
「『新都社のどの小説よりも面白いです! 更新楽しみにしています!』なんて言われたいの? きみ」
あれ、おれ「きみ」とか言われちゃうわけ? 年上だよね?
「いやそういうわけでは……」
「それとも、あらすじをいちいち書き起こして、ここが好きだあいつは嫌な奴だといわれたいわけ?」
「うん、それは言われたい」
「ふうん、そういうことがしたいんだ」
「まあね。語弊はあるけど」
彼にはいつぞや妄想世界に生きていこうと決心しかけたときがあった。しかし現実世界は、そう簡単に個人の首輪に繋がる手綱を緩めてはくれない。未だ脱出の機会を逃し続けているのがこの男だった。
「――悪いのかよ」
「それを責めはしないけど」
いちいち偉そうな少女である。このやろう。
「君はさ」
「なに?」
「えーと、君の目の前のろくでもない大人がそういう、過ぎ去った理想の青春物語を書いちゃったりしてるわけだけれど。それについては、その、どうも思わないわけ?」
「質問の要点をはっきりしてもらわないと、答えようがないよ」
「つまりは『うわこいつきんもー』とか、作者のぼくに対して思ったりしないの?」
バカだな。と少女は前置いて、
「自分で書いてるじゃない。『先入観を持った鑑賞行為はすべての創作物を冒涜する危険があるということです』自分でもまともなことを言ったと思ってたでしょ?」
「それをぼく以外も等しく心掛けているかなんて知りようがないよ。たとえあれを読んだ人が少なからずいたとしても、個人のそれまでの鑑賞精神を捨てさせた上で、そんな風に宗旨替えさせるほどの影響力なんて、ぼくにはないさ」
ていうか何で知ってるんだ。
「悲観的だね。それでも誰かしらの心を動かせる文章を書けると思っている」
「いいだろそれぐらい」
「悪くはないさ。良いことかどうかは別にしてね」
「あときみはこうも書いているね。『漫画的表現を小説で再現しようとするからそうなる』ひとに伝えよう、伝えようと考えて、余計な表現をごちゃごちゃ混ぜてしまい、その結果わかりにくい文章になるのをいつも悔やんでいる。自覚があるなら対策もできそうなものだけど」
「発展途上なんですよ。『自分が大好きですから、あきらめが悪いのです』すいませんね」
「いいさ。それに、きみの小説の一人目の読者はきみ自身に他ならないから、その一人くらいは好きで好きでどうしようもない、それこそ信者のような人間として必要だ。その傍らには必ずアンチが立っているものだからね。他人の目を気にするのなら、自分の中に常に対極の意見を用意しておくべきだ」
「信者とアンチねえ」
「二者の綱引きの上にきみが立つべきなのさ。だからといって、どちらかの意見も聞き入れる必要なんてないんだけどね」
○
「きみは他人の言動に、いちいちけちをつけなきゃ気が済まないようだね。それは直したほうがいい悪い癖だよ。自覚はあるみたいだけど」
「ぼくはね、議論したいだけなんだ。『あんたは何を思ってそんな発言をしたのか、どうかおれに教えてくれ』って、そういう考えで聞き返してみるんだけど、それに対する反応はいつもこうさ。『喧嘩売ってんのかコノヤロー!』『謝れボケナス!』ある意味その通りなんだけど、みんな面倒くさいんだろうね。大抵は誰も相手にしてくれないんだよ」
「自分の好奇心の赴くままに発言していい気分なんだろうが、相手は感情を持った人間だってことを、よく知っておくべきだろうね」
「でもね、これだけはどうしても許せんのですよ。『文章力あるね』ってコメント。わかる?」
「ファッキン文章力、ね。それと『読みやすい』って発言も気に入らないらしいね」
「ああ、全くその通り」
「そのどちらも発言の真意としては、読んだ小説を褒める意味合いを持たせてあるのは明白だというのに。発言者のそういう心境さえ酌もうともせず、頭ごなしに物言いが気に入らないとは、傲慢甚だしいね。ついでにきみは、今までに一度だって文章力があると褒められた試しはない。僻みとはどう違うんだい?」
「あんたは一体何様だって思うのさ、他人事ながらね。あれは小説の作者を一段高い所から見下ろしてる発言だ」
「黙ってればいいんじゃないかな。きみの言うとおり、他人事だろう」
「いや、こう考えてるのはきっとおれだけじゃないと思ってる」
「強情だね」
「君ねえ、考えてもみなよ。『どうだコノヤロー渾身の出来だぜ!』つって日の目を見た自分の小説がだよ、感想を心待ちにしてようやく反応があったかと思ったら、『読みやすかった』『文章力あるね』これじゃ、街頭インタビューで無理やり答えさせられた街のひとだよ。面白かったら素直に面白いと言えばいいんだ。つまらないなら一言、ツマランってね。それを偉そうにふんぞり返って、『君の小説のここは良いがあそこは悪い』なんて、大きなお世話じゃないか。『良いことしたなあ、俺』って悦に入ってるようなアホが目に浮かぶよ。せめて『ぼくは君の小説のここが好きであそこは嫌いだ』って言い換えるべきだよ」
「たいして違わないじゃないか」
「大いに違うね。『好き嫌い』と、『良い悪い』を混同しちゃならない。前者は『感想』で、後者は『評価』だ。夏休みの宿題で読書感想文ならぬ読書『評価』文を出すように言われたらどう思う。なんだかその本の価値を決定してしまいかねない題目だろう? そんな大層なもん、夏いっぱいかけても書きあがらないよ」
「発言者はそういう自覚があるのか、って気になって仕方がないわけだ」
「それこそ余計なお世話だってのは自覚してるよ。ただ、これはあくまでぼく個人の主張だし、それが世の中の道理であるなんて、そんな偉そうなことを言うつもりもないけどね」
「チョコパフェを頼んでもいいかな」
少女はかさ張る割に品数の少ないメニュー表をもてあそびながら、彼に言った。彼にわざわざ聞くということは、奢ってもらおうという魂胆に違いない。
「……なんでおれに聞くわけ?」
分かっていても、彼は確認せずにはいられないらしい。こういうところがモテない男である。
「ご馳走してくださいな」
にっこり笑顔。普段陰気な彼には眩しすぎる。目に毒だったので呼び出しボタンを押す。駆け寄るウェイトレス。
「ご用でしょうか」
「チョコパフェふたつ」
「かしこまりました」
早足で去るウェイトレス。彼の目線は彼女の尻に釘付け。
「いやらしい行動って周りに見られてるものよ」
そう言われて、彼は少女に合わす顔がない。モテない男はとことん惨めである。
「そもそも文章力って言葉自体がおかしい。文章の力、といえばなんとなく意味は分かるけど」
「分かるの? おかしいって今言ったじゃない」
「分かる。でも、なんとなくしか分からない。文章作成に関する諸々の理解と表現が達者であること、ってことなのかな? 曖昧で嫌なんだ。曖昧な言葉で褒められたって、頭の中では発言者の真意自体が曖昧になって、このひとはぼくを褒めてるのか、煙に巻いてるのか、きっとモヤモヤする。最終的には馬鹿にされてるような気分になるだろうね。言われたことないけど」
「難儀だね」
「あと、おかしいって思うのは、あれだ。ちかごろ女子力って言葉が流行ってるけど、あれに納得できないのとまったく同じ気持ち。どうして言葉にできないのか、心底歯がゆいよ。絶対おかしい。キラキラフォーティーじゃねえっつうの。せめて熟女力にしろ」
「言葉なんてのは時代に求められ、作られてゆくものさ。きみが納得できようができまいが、そうやって大きな流れになって、小さなものを飲み込んでゆく」
「歯がゆいね、まったく」
「きみは他人の言動に、いちいちけちをつけなきゃ気が済まないようだね。それは直したほうがいい悪い癖だよ。自覚はあるみたいだけど」
「ぼくはね、議論したいだけなんだ。『あんたは何を思ってそんな発言をしたのか、どうかおれに教えてくれ』って、そういう考えで聞き返してみるんだけど、それに対する反応はいつもこうさ。『喧嘩売ってんのかコノヤロー!』『謝れボケナス!』ある意味その通りなんだけど、みんな面倒くさいんだろうね。大抵は誰も相手にしてくれないんだよ」
「自分の好奇心の赴くままに発言していい気分なんだろうが、相手は感情を持った人間だってことを、よく知っておくべきだろうね」
「でもね、これだけはどうしても許せんのですよ。『文章力あるね』ってコメント。わかる?」
「ファッキン文章力、ね。それと『読みやすい』って発言も気に入らないらしいね」
「ああ、全くその通り」
「そのどちらも発言の真意としては、読んだ小説を褒める意味合いを持たせてあるのは明白だというのに。発言者のそういう心境さえ酌もうともせず、頭ごなしに物言いが気に入らないとは、傲慢甚だしいね。ついでにきみは、今までに一度だって文章力があると褒められた試しはない。僻みとはどう違うんだい?」
「あんたは一体何様だって思うのさ、他人事ながらね。あれは小説の作者を一段高い所から見下ろしてる発言だ」
「黙ってればいいんじゃないかな。きみの言うとおり、他人事だろう」
「いや、こう考えてるのはきっとおれだけじゃないと思ってる」
「強情だね」
「君ねえ、考えてもみなよ。『どうだコノヤロー渾身の出来だぜ!』つって日の目を見た自分の小説がだよ、感想を心待ちにしてようやく反応があったかと思ったら、『読みやすかった』『文章力あるね』これじゃ、街頭インタビューで無理やり答えさせられた街のひとだよ。面白かったら素直に面白いと言えばいいんだ。つまらないなら一言、ツマランってね。それを偉そうにふんぞり返って、『君の小説のここは良いがあそこは悪い』なんて、大きなお世話じゃないか。『良いことしたなあ、俺』って悦に入ってるようなアホが目に浮かぶよ。せめて『ぼくは君の小説のここが好きであそこは嫌いだ』って言い換えるべきだよ」
「たいして違わないじゃないか」
「大いに違うね。『好き嫌い』と、『良い悪い』を混同しちゃならない。前者は『感想』で、後者は『評価』だ。夏休みの宿題で読書感想文ならぬ読書『評価』文を出すように言われたらどう思う。なんだかその本の価値を決定してしまいかねない題目だろう? そんな大層なもん、夏いっぱいかけても書きあがらないよ」
「発言者はそういう自覚があるのか、って気になって仕方がないわけだ」
「それこそ余計なお世話だってのは自覚してるよ。ただ、これはあくまでぼく個人の主張だし、それが世の中の道理であるなんて、そんな偉そうなことを言うつもりもないけどね」
「チョコパフェを頼んでもいいかな」
少女はかさ張る割に品数の少ないメニュー表をもてあそびながら、彼に言った。彼にわざわざ聞くということは、奢ってもらおうという魂胆に違いない。
「……なんでおれに聞くわけ?」
分かっていても、彼は確認せずにはいられないらしい。こういうところがモテない男である。
「ご馳走してくださいな」
にっこり笑顔。普段陰気な彼には眩しすぎる。目に毒だったので呼び出しボタンを押す。駆け寄るウェイトレス。
「ご用でしょうか」
「チョコパフェふたつ」
「かしこまりました」
早足で去るウェイトレス。彼の目線は彼女の尻に釘付け。
「いやらしい行動って周りに見られてるものよ」
そう言われて、彼は少女に合わす顔がない。モテない男はとことん惨めである。
「そもそも文章力って言葉自体がおかしい。文章の力、といえばなんとなく意味は分かるけど」
「分かるの? おかしいって今言ったじゃない」
「分かる。でも、なんとなくしか分からない。文章作成に関する諸々の理解と表現が達者であること、ってことなのかな? 曖昧で嫌なんだ。曖昧な言葉で褒められたって、頭の中では発言者の真意自体が曖昧になって、このひとはぼくを褒めてるのか、煙に巻いてるのか、きっとモヤモヤする。最終的には馬鹿にされてるような気分になるだろうね。言われたことないけど」
「難儀だね」
「あと、おかしいって思うのは、あれだ。ちかごろ女子力って言葉が流行ってるけど、あれに納得できないのとまったく同じ気持ち。どうして言葉にできないのか、心底歯がゆいよ。絶対おかしい。キラキラフォーティーじゃねえっつうの。せめて熟女力にしろ」
「言葉なんてのは時代に求められ、作られてゆくものさ。きみが納得できようができまいが、そうやって大きな流れになって、小さなものを飲み込んでゆく」
「歯がゆいね、まったく」
○
少女は彼の三倍くらいの時間をかけてようやくパフェを食べてしまった。先に食べ終えた彼のほうは、真っ白の生クリームがメッキのくすんだスプーンに乗せられて何度も何度も彼女の口に運ばれていく様子を、テーブルに肘を突いた腕に顎を乗せて、その間じっと眺めていた。
時折少女のしっとりした唇から、生クリームを舐め取る舌が這い出てくるが、それを下心抜きに眺められるほど人生を達観した彼ではなかった。胸の奥の下心の、そのちょっとうえのあたりでは、まるで展覧会で美術品を見物しているような穏やかな興奮をひしと感じていたりもした。
少女の顎の動きに合わせてしなやかに伸び縮みする肌にはもちろん皺一つなく、そのうえつやつやしている。年齢を考えれば妥当でもあるが、化粧っ気のない彼女は香水も振っていないようで、たまに空気の流れに乗った安っぽいシャンプーの残り香が彼の鼻をくすぐる。
少女は年相応に、動くままに自分の体を動かし、急いてわざと歳を取ろうとすることもなく、自分よりほんの少しだけ早く生まれた大人たちに媚を売ることもなく、自身の知識の及ぶ範囲と、身をもって体感する世界の広さを比較したって、決して臆することはないのだろう。
パフェを平らげるまでの間、少女は一言も喋ることなく、視線さえパフェグラスから外すことなく、パフェを楽しむことに全霊を集中しきっていた。
――ぼくの視線を受けたくらいでは彼女の精神は少しほども揺らぎはしないのだろうか。それともただ黙って監視の不快さに耐えているんだろうか。
結局のところは「そんなに見ないでよ」くらい言わせてやりたい彼だったが、そんなことを考えていいほど親密な関係ではなかったことをすぐに思い出した。
それから彼女に向けていた視線を脇に外すと、彼女はちょうどパフェを食べ終わったらしく、
「ごちそうさまでした」
とはっきり言った。
少女は彼の三倍くらいの時間をかけてようやくパフェを食べてしまった。先に食べ終えた彼のほうは、真っ白の生クリームがメッキのくすんだスプーンに乗せられて何度も何度も彼女の口に運ばれていく様子を、テーブルに肘を突いた腕に顎を乗せて、その間じっと眺めていた。
時折少女のしっとりした唇から、生クリームを舐め取る舌が這い出てくるが、それを下心抜きに眺められるほど人生を達観した彼ではなかった。胸の奥の下心の、そのちょっとうえのあたりでは、まるで展覧会で美術品を見物しているような穏やかな興奮をひしと感じていたりもした。
少女の顎の動きに合わせてしなやかに伸び縮みする肌にはもちろん皺一つなく、そのうえつやつやしている。年齢を考えれば妥当でもあるが、化粧っ気のない彼女は香水も振っていないようで、たまに空気の流れに乗った安っぽいシャンプーの残り香が彼の鼻をくすぐる。
少女は年相応に、動くままに自分の体を動かし、急いてわざと歳を取ろうとすることもなく、自分よりほんの少しだけ早く生まれた大人たちに媚を売ることもなく、自身の知識の及ぶ範囲と、身をもって体感する世界の広さを比較したって、決して臆することはないのだろう。
パフェを平らげるまでの間、少女は一言も喋ることなく、視線さえパフェグラスから外すことなく、パフェを楽しむことに全霊を集中しきっていた。
――ぼくの視線を受けたくらいでは彼女の精神は少しほども揺らぎはしないのだろうか。それともただ黙って監視の不快さに耐えているんだろうか。
結局のところは「そんなに見ないでよ」くらい言わせてやりたい彼だったが、そんなことを考えていいほど親密な関係ではなかったことをすぐに思い出した。
それから彼女に向けていた視線を脇に外すと、彼女はちょうどパフェを食べ終わったらしく、
「ごちそうさまでした」
とはっきり言った。
○
「猫が言ってたんだけど」
少女が妙な相槌を打ったから、彼はそれまで饒舌に語っていた、自身の半生とその音楽観についての誇張の強い自伝を話し聞かせることをしばし忘れ、半ば呆然となってしまった。
「まあ、私に身近な猫じゃないのは確かだよ。年代的にはもう死んでるだろうし、そもそも空想上の猫だしね」
まるで脈絡のない『猫』という単語に面食らった彼がぼんやりとしているうちに、会話の主導権はすっかり少女の方へ渡ってしまっていた。
「――人のことをよく観察する猫で、たまに言葉を喋って、人間にものを言うのよ。それで、――」
我に返り、ようやくそれに気付いた彼は小さくため息をついた。自分の話がそれほどにつまらなかったんだろうかと、ガラスの自尊心にヒビを走らせかねない少女の切り返しは、彼を大変悲愴な気分にさせた。
「それで、その猫が言うにはさ、――『芸術家が真の芸術家であるためには、あらゆるものから孤独でなければならない』んだって」
彼はその言葉の意味をよく噛んで飲み込もうとした。結局は噛み切ることも出来ず飲み込めなかったから、彼は聞いた。
「それが、さっきまでのぼくの話と何か関係があるっての?」
――無かったら怒るぞ、気分よく話してたのに。彼は腹の中でそう付け加えた。少し嫌味な言い方をして、なんともみみっちい奴である。
「きみがさっき言ってたでしょ。『本当のロックミュージシャンはテレビの中にはいないのだ。どうかすればその辺のサラリーマンが週末の演奏会で爪弾くような、題名も無い即興演奏のほうがよっぽど価値のあるロックだ』って。私はその言葉に強く心を打たれたの」
少女が一応は自分の話を聞いており、さらには共感を得ていたのだと分かると、彼にとってやはり悪い気はしない。彼はそれでも喜んだ顔を見せるのは時期尚早と見込んで、少女に続きを促した。
「『ほんとうのロック』ってことにきみは随分興味があるみたいだから、私の言うことも少しは理解しやすいと思うけれど。――いい? きみが嫌ういわば『にせものロック』は、職業ミュージシャンによる明日の晩ごはんのための生産活動と、それを享受する選択意思の希薄な購買大衆で成り立っている。流行音楽を媒体として金銭を循環させるそのサイクルは、芸術活動というよりはむしろ経済活動のそれね。そういう見取り図を、きみは心底嫌っているんだ」
「『聴いてくれてみんなアリガトー』だろ? 怖気がするね。ああ気持ち悪い。共依存がロックであって堪るか。本来ロックミュージックに観客など必要ないのだ。――なるほど、これのことか。そうだ、ぼくはそういうひとたちが、ぼくの愛するものと同じロックという言葉で括られているのが気に入らないんだ」
「芸術家は媚びてはならない。馴れ合ってはならない。それはその通りのことだろうね。――話を聞いていると、きみは職業ミュージシャンそのひとを嫌うというより、どちらかといえばそれらに群がる観客大衆のほうを憎んでいるように見えるよ。その一員にだけはなるまいという頑固な性格の持ち主だ。その証拠に、きみはたびたび過去の流行歌を自分の手で掘り起こしては、カーステレオでじゃんじゃん掛け流したりしているからね。聴く人がいなくなった音楽を聴くのがきみの鑑賞姿勢」
彼は黙り込んだ。そういう過去に廃れた音楽たちを聴いている最中、しばしば以下のようなことを考えていたからだ。――もし、当時リアルタイムでそれらの音楽を耳にしていたとすると、今みたいに素直な気持ちで曲に聞き入ることが出来たかどうかは怪しいものだ。――
それは少女の言う『見取り図』がそこに見え透いているから。だからきっとそれらに反感を持つに違いないのだ、と彼は確信できた。
「いま気付いたよ。ぼくは信者の野次とかレビュアーの下馬評とか、レコード会社の大げさな煽り文句とか、そんなのが聞こえない場所で音楽を聴いているつもりだったんだろう、なあ……」
ここで一つ、彼の大きな誤りが発覚した。それを少女は既に見破っており、直後に彼はそれについて言及されてしまう。
「でもそれは、その音楽の真の価値を知っているのは自分だけだという、実に傲慢な自己満足を得るための行動だったんじゃないかと、同時に気付いてしまったわけだよね」
「……ぼくは結局、とにかく自分の手で探し出したものしか認めようとしない、視野の狭い自尊主義者なんだよ。ほんとうに自分だけの手と足を動かして見つけ出したものなんて、そんなのひとつも在りはしないんだけどね」
「私はそれを否定しないよ」
彼は顔を上げて少女を見る。少女の言葉は、自分の傲慢を見咎められ詰られるものだろうと思い込んでいた彼に、少なからずの驚きとささやかな安堵をもたらしたようだ。
少女はふてくされた表情の彼を穏やかな眼差しでじっと見つめていて、テーブルに投げ出された彼の右手をそっと拾い上げると、両手でもって優しく包み込んだ。
「冷たい手だなあ」
そう言う少女の指は細かった。少女はぼくの指をじろじろ観察しながら言う。
「芸術の解釈なんて、本来個人の価値観に依存するものだし、きみや私なんかが線引きをしたところで、それが何の影響を、いったい何処に及ぼすっていうんだい。きみはきみの考えを口にしていいし、私も私の考えを言葉にするけれど、それに対していちいちけちをつける必要なんてないのさ。そんなことは野暮だよ。芸術家と同じように、鑑賞者も孤独であるべきかもしれないね」
その後少女は彼に上目遣いでこう言った。
「爪を切ってあげようか? ずいぶん伸びてる」
「猫が言ってたんだけど」
少女が妙な相槌を打ったから、彼はそれまで饒舌に語っていた、自身の半生とその音楽観についての誇張の強い自伝を話し聞かせることをしばし忘れ、半ば呆然となってしまった。
「まあ、私に身近な猫じゃないのは確かだよ。年代的にはもう死んでるだろうし、そもそも空想上の猫だしね」
まるで脈絡のない『猫』という単語に面食らった彼がぼんやりとしているうちに、会話の主導権はすっかり少女の方へ渡ってしまっていた。
「――人のことをよく観察する猫で、たまに言葉を喋って、人間にものを言うのよ。それで、――」
我に返り、ようやくそれに気付いた彼は小さくため息をついた。自分の話がそれほどにつまらなかったんだろうかと、ガラスの自尊心にヒビを走らせかねない少女の切り返しは、彼を大変悲愴な気分にさせた。
「それで、その猫が言うにはさ、――『芸術家が真の芸術家であるためには、あらゆるものから孤独でなければならない』んだって」
彼はその言葉の意味をよく噛んで飲み込もうとした。結局は噛み切ることも出来ず飲み込めなかったから、彼は聞いた。
「それが、さっきまでのぼくの話と何か関係があるっての?」
――無かったら怒るぞ、気分よく話してたのに。彼は腹の中でそう付け加えた。少し嫌味な言い方をして、なんともみみっちい奴である。
「きみがさっき言ってたでしょ。『本当のロックミュージシャンはテレビの中にはいないのだ。どうかすればその辺のサラリーマンが週末の演奏会で爪弾くような、題名も無い即興演奏のほうがよっぽど価値のあるロックだ』って。私はその言葉に強く心を打たれたの」
少女が一応は自分の話を聞いており、さらには共感を得ていたのだと分かると、彼にとってやはり悪い気はしない。彼はそれでも喜んだ顔を見せるのは時期尚早と見込んで、少女に続きを促した。
「『ほんとうのロック』ってことにきみは随分興味があるみたいだから、私の言うことも少しは理解しやすいと思うけれど。――いい? きみが嫌ういわば『にせものロック』は、職業ミュージシャンによる明日の晩ごはんのための生産活動と、それを享受する選択意思の希薄な購買大衆で成り立っている。流行音楽を媒体として金銭を循環させるそのサイクルは、芸術活動というよりはむしろ経済活動のそれね。そういう見取り図を、きみは心底嫌っているんだ」
「『聴いてくれてみんなアリガトー』だろ? 怖気がするね。ああ気持ち悪い。共依存がロックであって堪るか。本来ロックミュージックに観客など必要ないのだ。――なるほど、これのことか。そうだ、ぼくはそういうひとたちが、ぼくの愛するものと同じロックという言葉で括られているのが気に入らないんだ」
「芸術家は媚びてはならない。馴れ合ってはならない。それはその通りのことだろうね。――話を聞いていると、きみは職業ミュージシャンそのひとを嫌うというより、どちらかといえばそれらに群がる観客大衆のほうを憎んでいるように見えるよ。その一員にだけはなるまいという頑固な性格の持ち主だ。その証拠に、きみはたびたび過去の流行歌を自分の手で掘り起こしては、カーステレオでじゃんじゃん掛け流したりしているからね。聴く人がいなくなった音楽を聴くのがきみの鑑賞姿勢」
彼は黙り込んだ。そういう過去に廃れた音楽たちを聴いている最中、しばしば以下のようなことを考えていたからだ。――もし、当時リアルタイムでそれらの音楽を耳にしていたとすると、今みたいに素直な気持ちで曲に聞き入ることが出来たかどうかは怪しいものだ。――
それは少女の言う『見取り図』がそこに見え透いているから。だからきっとそれらに反感を持つに違いないのだ、と彼は確信できた。
「いま気付いたよ。ぼくは信者の野次とかレビュアーの下馬評とか、レコード会社の大げさな煽り文句とか、そんなのが聞こえない場所で音楽を聴いているつもりだったんだろう、なあ……」
ここで一つ、彼の大きな誤りが発覚した。それを少女は既に見破っており、直後に彼はそれについて言及されてしまう。
「でもそれは、その音楽の真の価値を知っているのは自分だけだという、実に傲慢な自己満足を得るための行動だったんじゃないかと、同時に気付いてしまったわけだよね」
「……ぼくは結局、とにかく自分の手で探し出したものしか認めようとしない、視野の狭い自尊主義者なんだよ。ほんとうに自分だけの手と足を動かして見つけ出したものなんて、そんなのひとつも在りはしないんだけどね」
「私はそれを否定しないよ」
彼は顔を上げて少女を見る。少女の言葉は、自分の傲慢を見咎められ詰られるものだろうと思い込んでいた彼に、少なからずの驚きとささやかな安堵をもたらしたようだ。
少女はふてくされた表情の彼を穏やかな眼差しでじっと見つめていて、テーブルに投げ出された彼の右手をそっと拾い上げると、両手でもって優しく包み込んだ。
「冷たい手だなあ」
そう言う少女の指は細かった。少女はぼくの指をじろじろ観察しながら言う。
「芸術の解釈なんて、本来個人の価値観に依存するものだし、きみや私なんかが線引きをしたところで、それが何の影響を、いったい何処に及ぼすっていうんだい。きみはきみの考えを口にしていいし、私も私の考えを言葉にするけれど、それに対していちいちけちをつける必要なんてないのさ。そんなことは野暮だよ。芸術家と同じように、鑑賞者も孤独であるべきかもしれないね」
その後少女は彼に上目遣いでこう言った。
「爪を切ってあげようか? ずいぶん伸びてる」
とあるファミレスのボックス席に、歳の離れた男女が向かい合って座っている。お互いの服装こそカジュアルであるが、社会人と女学生といった雰囲気がある。男のほうはノートPCを開いてモニタと睨めっこ。少女は文庫本をテーブルに開いている。その対話篇。
「さっきからタイプの音が聞こえないね。行きづまったかい?」
「察しの通りだよ」
「今度はまた、どうして」
「一歩先が見えていてももう一歩先が見えてこない。だからその一歩さえ足を出す気になれないんだ」
「なるほど、きみには出たとこ勝負のはじめの一歩を踏み出したがために、そののち失敗した経験が多数あると見える。慎重になるのはいいけど、臆病にならないようにね」
「言いたいこと言いやがるよ、君は。さっきから考えが堂々巡りしててさ、今日はもうこれっきり一文字も書き進めることができないかもしれないってのに」
「楽しく書くのが一番さ。苦しみながら書くにはきみには荷が重いんじゃないか?」
「ふん、大きなお世話だよ」
「だいたいきみはわざわざ用意したあらすじにはまるで無頓着だし、文字と言葉ばかりに気をとられすぎだよ。森を見ずして木ばかり見ている。そのうえ小説は読みにくいもんだから始末に負えない」
「ぼくの嫌いな文章はってのはさ」
「知ってるよ、鬱陶しい文章だろ。そもそも、それってつまりはどういうことなんだい?」
「そこで問題。例えばぼくが小学生のころなんか、自分の親父のことをすごく鬱陶しがってたんだけど、どうしてだと思う?」
「同じことを何度も繰り返して言うから」
「それじゃ、いじめっ子のT君を嫌ってたのは何故?」
「自分だけに通用する屁理屈こそ全世界のルールだと妄想してたから」
「高校のときのバイトの後輩にI君っていたんだけどすごくつまらない奴だったんだ。なんでかわかる?」
「物事をいちいち小さくまとめたがるからだろ」
「おう、全部正解だよ。それらがぼくの嫌いな文章の要素。それにしても良く知ってるよな。君っておれのストーカーだったっけ?」
「いや、きみの小説読んで感じたことを答えただけだよ」
――ああ、そう。きっついなあ。
「きみは何のために小説を書くの?」
「だったら君がどうして小説を読むのか教えてくれよ。意味なんかないさ」
「意味じゃなくて目的を聞いたんだけど」
「自己満足のために決まってる」
「自己満足なら、書きたい場面だけ抜き出して書けばいいじゃない。そんなに悩んで、NHKの大河ドラマみたいな大作長編を書くつもりでいるわけ?」
「歴史小説をお手本にするつもりはないし、なんにしたってぼくは自分が満足するまで悩み続けるだけさ」
「もどかしいひと」
「勝手にさせてくれ。そもそも君とは今日が初対面だぜ。そう簡単にぼくのことが分かってもらっちゃ沽券に関わるってもんだ」
「――そうですか、とても面倒ね」
「さっきからタイプの音が聞こえないね。行きづまったかい?」
「察しの通りだよ」
「今度はまた、どうして」
「一歩先が見えていてももう一歩先が見えてこない。だからその一歩さえ足を出す気になれないんだ」
「なるほど、きみには出たとこ勝負のはじめの一歩を踏み出したがために、そののち失敗した経験が多数あると見える。慎重になるのはいいけど、臆病にならないようにね」
「言いたいこと言いやがるよ、君は。さっきから考えが堂々巡りしててさ、今日はもうこれっきり一文字も書き進めることができないかもしれないってのに」
「楽しく書くのが一番さ。苦しみながら書くにはきみには荷が重いんじゃないか?」
「ふん、大きなお世話だよ」
「だいたいきみはわざわざ用意したあらすじにはまるで無頓着だし、文字と言葉ばかりに気をとられすぎだよ。森を見ずして木ばかり見ている。そのうえ小説は読みにくいもんだから始末に負えない」
「ぼくの嫌いな文章はってのはさ」
「知ってるよ、鬱陶しい文章だろ。そもそも、それってつまりはどういうことなんだい?」
「そこで問題。例えばぼくが小学生のころなんか、自分の親父のことをすごく鬱陶しがってたんだけど、どうしてだと思う?」
「同じことを何度も繰り返して言うから」
「それじゃ、いじめっ子のT君を嫌ってたのは何故?」
「自分だけに通用する屁理屈こそ全世界のルールだと妄想してたから」
「高校のときのバイトの後輩にI君っていたんだけどすごくつまらない奴だったんだ。なんでかわかる?」
「物事をいちいち小さくまとめたがるからだろ」
「おう、全部正解だよ。それらがぼくの嫌いな文章の要素。それにしても良く知ってるよな。君っておれのストーカーだったっけ?」
「いや、きみの小説読んで感じたことを答えただけだよ」
――ああ、そう。きっついなあ。
「きみは何のために小説を書くの?」
「だったら君がどうして小説を読むのか教えてくれよ。意味なんかないさ」
「意味じゃなくて目的を聞いたんだけど」
「自己満足のために決まってる」
「自己満足なら、書きたい場面だけ抜き出して書けばいいじゃない。そんなに悩んで、NHKの大河ドラマみたいな大作長編を書くつもりでいるわけ?」
「歴史小説をお手本にするつもりはないし、なんにしたってぼくは自分が満足するまで悩み続けるだけさ」
「もどかしいひと」
「勝手にさせてくれ。そもそも君とは今日が初対面だぜ。そう簡単にぼくのことが分かってもらっちゃ沽券に関わるってもんだ」
「――そうですか、とても面倒ね」
「職場にかわいい女の子がいるんだ。その子にはどうやら彼氏がいないらしい。そんでぼくも彼女なんていないから、周りの人たちは面白がってぼくとその女の子をくっつけようとする」
「いい歳した社会人に対して女の子って呼び方はどうだろうね」
「で、そういうおせっかいな人と最初は冗談みたいな話をしているんだけど、気付いたら向こうは真剣な顔をしてぼくに説教を垂れるようになってたんだよ。お前はあの子をどう思ってるんだとか、その気があるんならもっと誠意ある対応をしなきゃだめだとか。余計なお世話だなあと思いながらも一応は先輩だから、――ちょっとこの世に先に生まれたからってでかい顔ばかりして、さぞかしいい気分だろうねまったく。――ええと、それでもハイハイ言って聞いてたんだよ」
「きみの話はすぐ脇道に逸れるよ」
「すると先輩は『お前は彼女のことを好きなのか否か』ってことにずいぶんこだわっている様子だ。はぐらかそうとしても話をそれに戻しちゃう始末。なにか言わなきゃしょうがないだろうから少しの間腕を組んで考えたんだけどね、これが分かんないんだよ」
「きみが腕を組む時点で残念な話だが、他人の好き嫌いなんて直感的な判断だろう。分からないとはどういうことだい」
「直感的とはいうけどさ。ぼくはそう簡単に考えることができないのさ。根っから疑り深いから、本当にぼくはこの人を好きと言えるのかと考える。おい、考えてもみろよ。他人を好きになるってのはまったくの思い込みだぜ? 自分自身を騙してるんだ。良い所ばかりの人間なんていないんだ。個人がそう完璧に出来上がってるはずなんてないし、それを見る方も千差万別の価値観を持っているんだから。良い所もあれば悪いところもある。当然その女の子にも美点、欠点はある。ちょっと表情の造りが見栄えするからってそれだけを取り立てて、イコールぼくは彼女が好きですと宣言していいものか大いに疑問だ。イコールぼくは彼女のその部分が好きです、という言い方だったらできるんだけどね。それだけで彼女の容姿人格その他を全て認めるわけにはいかない」
「それで、きみは先輩に何と答えたんだ」
「好きか嫌いかと問われたら嫌いではありませんから、どちらかといえば間違いなく好きだと思います、って」
「きみには社交性ってのがまるでないね。相手がどう答えてほしいのか、知っててわざと煙に巻いてる。先輩は呆れただろうね」
「なんじゃそりゃって言われた。それきり話に興味をなくしてくれたようで、我ながらうまい切り返しだったと満足いってる」
「そう」
「ぼくは昔から、特に最近はそうなんだけど、他人のことが好きか嫌いかわからなくなっちゃってるんだ。というのも、ぼくの主観がとらえた世の人々は、とてもじゃないが理解できない行動でぼくを困らせることもあれば、同じ人がとくべつ懇意にしてくれてぼくを助けてくれるときもある。あるときぼくはその人が嫌いで、またあるときぼくはその人を好きになっている。そんな流動的な偏見を持っているうちに『ぼくはあの人のことを云々と思っています』なんて宣言を他人にしてしまうと、ぼくという人間の認識がそれで通ってしまう。それは口を介して伝わって、そのうちみんなが共有するんだ。あの人はどうだその人はどうだと言い触れてまわるのは浅はかだよ。ぼくに言わせれば危険な行為だね」
「ふうん。で、どうだい。その女性はきみが前々から行きたがっていた水族館に付き合ってくれそうかい?」
「いや、それが今までに二回も断られてる」
「だろうね。まあ、聞くまでもなかったか」
「自分のやってることが酷く馬鹿らしく思うことが何度もあって、その度にぼくは人生を初めからやり直したくなるんだ。惰眠に費やした中学生くらいに戻れてやり直せるなら手間が省けて尚良いね。慣れる、飽きる、怠ける。人間の大いなる才能のうちの三つ。向上心を妨げる強大なる敵。敵はいつも自分の中にある。ぼくはいつだって自分のことが嫌いだったし、中途半端でいつだって自分を押し殺していたよ。今よりもっと歳を取れば目の前にモヤモヤ立ち込めた霧が晴れて、背も伸びて遠くまで見渡せるようになって、車に乗って遠くの美しい景色を見ていくらだって感動できると信じてその時を待っていたけど、高校生になってもいらいらしっぱなしだったし、成人式を過ぎても遠くの景色はぼくの町のそれと大した違いを見つけられなかった」
「そう」
「つまらないことで訳わかんないくらい怒り狂って、息子に罵声を浴びせかけるぼくの親父の印象が強烈過ぎたのかどうか関係あるかないか今となってはどうでもいいけど、どうしようもない子供である自分は動物の檻に閉じ込められているんだとずっと思ってたよ。びくびくして、飼育係に噛み付く勇気もなかったよ。自分がどこで生まれていつここに連れて来られたのかなんて、考えてもしょうがなくて、決まった時間に食事を摂って、決まった時間だけ学校で教育を受けて、見えもしないレールを几帳面に辿って家に帰って風呂入って寝る。ぼくに足りなかったのは疑う心だ。自らを俯瞰する第三の眼だ。白頭鷲のような猛禽の眼だ。どうして自分はここにいるのか、それだけのためにどれだけでも時間を使う哲学の心だ。ぼくはそれまで考えていたんじゃない。数字の計算と先生の気に入るような作文の作り方は自分が考えてるんじゃない。そう教えられて習わされてそれが正しいことだと思い込んでいたんだ。正しいなんて、間違いなんて、どこの誰だって決められやしないのに。知った顔で指図する年寄り共!!!!!」
「……びっくりさせないで」
「なにより一番ばかばかしいのは他人の意思を踏みにじることだ。そういうやつらは自分がどんなに殺人的な言葉で相手を苦しめているのか知らないんだ。人の心はガラスでなんか出来てやしないぜ。ガラスはすごく硬いんだ。簡単に傷なんかつかない。それよりもっともっと頑丈に出来ている。ガラスを弾いた振動は中の空洞で複雑に絡み合って熱を生み出す。とんでもない高温だ。鉄なんか沸騰する。それは怒りの熱、人間の原動力だ。おい、よく覚えておけよ、ぼくは過ぎ去った自分の幼年時代を決して無駄にしやしないぜ。あのときのぶん殴りたくなるような怠惰は今、ぼくの胸の中で超反応を起こしてるんだぜ。とまらない無限エネルギー発生機関だ。悲しみや苦しみや妬みや恨みや僻み、絶望も羨望も物欲も性欲も、負の感情は全てぼくのハートで怒りに昇華する。鉄を溶かし空気を沸騰させる。少し零したくらいで真っ暗な宇宙に産声を上げて銀河じゅうの恒星が溶けてなくなるようなエネルギーがぼくのこの腹のなかに渦巻いてるんだ。わかるか」
「はいはい、途方もなくむかついてるわけね」
「ぼくは怒りによって動いている。そして怒りはぼくを支えている。支えを失ったとき、それはぼくは死ぬときだ。怒りを忘れちゃならない。みんなもっと怒ってなきゃいけない。努力なんかじゃ足りない。怒力するんだよ。ラッキーマンじゃないぜ。眠ってるひまなんて無い。その辺歩いてる奴らを見てりゃ、なんだよあいつら。へらへらしやがって。ちゃらちゃら着飾って先のことなんかどうでもいいと思っていやがるんだ。自分のことになんか興味のないやつらだ。嘆かわしいね! 流行に流されてそのときそのときの自分を演出して、騙されてるのを承知で、後になって写真帳を見返してはこう言うんだ『ああ、このころは楽しかったなあ』馬鹿だよ。後ろを振り返るのは馬鹿のすることだ。その懐古主義からは未来へのエネルギーは決して見つからないぜ。安定を求める社会的生物の弱点だ。否定しなきゃいけないのに。過去の自分から学ぶものや得るものは何もない。大事なのは自分がどこを見ているかってことで、どこを見ていたのかなんて気にするのは間抜けだ。立ち止まる暇があればその間に一歩前へ進めるんだ」
「結局きみは何が言いたいわけ?」
「……コインロッカーベイビーズ超面白いです、って」
「そう」
「つまらないことで訳わかんないくらい怒り狂って、息子に罵声を浴びせかけるぼくの親父の印象が強烈過ぎたのかどうか関係あるかないか今となってはどうでもいいけど、どうしようもない子供である自分は動物の檻に閉じ込められているんだとずっと思ってたよ。びくびくして、飼育係に噛み付く勇気もなかったよ。自分がどこで生まれていつここに連れて来られたのかなんて、考えてもしょうがなくて、決まった時間に食事を摂って、決まった時間だけ学校で教育を受けて、見えもしないレールを几帳面に辿って家に帰って風呂入って寝る。ぼくに足りなかったのは疑う心だ。自らを俯瞰する第三の眼だ。白頭鷲のような猛禽の眼だ。どうして自分はここにいるのか、それだけのためにどれだけでも時間を使う哲学の心だ。ぼくはそれまで考えていたんじゃない。数字の計算と先生の気に入るような作文の作り方は自分が考えてるんじゃない。そう教えられて習わされてそれが正しいことだと思い込んでいたんだ。正しいなんて、間違いなんて、どこの誰だって決められやしないのに。知った顔で指図する年寄り共!!!!!」
「……びっくりさせないで」
「なにより一番ばかばかしいのは他人の意思を踏みにじることだ。そういうやつらは自分がどんなに殺人的な言葉で相手を苦しめているのか知らないんだ。人の心はガラスでなんか出来てやしないぜ。ガラスはすごく硬いんだ。簡単に傷なんかつかない。それよりもっともっと頑丈に出来ている。ガラスを弾いた振動は中の空洞で複雑に絡み合って熱を生み出す。とんでもない高温だ。鉄なんか沸騰する。それは怒りの熱、人間の原動力だ。おい、よく覚えておけよ、ぼくは過ぎ去った自分の幼年時代を決して無駄にしやしないぜ。あのときのぶん殴りたくなるような怠惰は今、ぼくの胸の中で超反応を起こしてるんだぜ。とまらない無限エネルギー発生機関だ。悲しみや苦しみや妬みや恨みや僻み、絶望も羨望も物欲も性欲も、負の感情は全てぼくのハートで怒りに昇華する。鉄を溶かし空気を沸騰させる。少し零したくらいで真っ暗な宇宙に産声を上げて銀河じゅうの恒星が溶けてなくなるようなエネルギーがぼくのこの腹のなかに渦巻いてるんだ。わかるか」
「はいはい、途方もなくむかついてるわけね」
「ぼくは怒りによって動いている。そして怒りはぼくを支えている。支えを失ったとき、それはぼくは死ぬときだ。怒りを忘れちゃならない。みんなもっと怒ってなきゃいけない。努力なんかじゃ足りない。怒力するんだよ。ラッキーマンじゃないぜ。眠ってるひまなんて無い。その辺歩いてる奴らを見てりゃ、なんだよあいつら。へらへらしやがって。ちゃらちゃら着飾って先のことなんかどうでもいいと思っていやがるんだ。自分のことになんか興味のないやつらだ。嘆かわしいね! 流行に流されてそのときそのときの自分を演出して、騙されてるのを承知で、後になって写真帳を見返してはこう言うんだ『ああ、このころは楽しかったなあ』馬鹿だよ。後ろを振り返るのは馬鹿のすることだ。その懐古主義からは未来へのエネルギーは決して見つからないぜ。安定を求める社会的生物の弱点だ。否定しなきゃいけないのに。過去の自分から学ぶものや得るものは何もない。大事なのは自分がどこを見ているかってことで、どこを見ていたのかなんて気にするのは間抜けだ。立ち止まる暇があればその間に一歩前へ進めるんだ」
「結局きみは何が言いたいわけ?」
「……コインロッカーベイビーズ超面白いです、って」
「さっき居眠りしてる間に夢を見たんだけど」
○
「あんたら自分だけの世界で神にでもなったつもりなんだろう。
箱庭の中で思うとおりに動く人形を飼ってるんだ。
風呂場で洗い落とした老廃物を捏ね上げて作った垢太郎は、
鬼退治を決意してひとりでに歩き出したって聞くけど、
あんたのはどうだろうな、腐臭を放ちながら部屋の真ん中でごろ寝でもしてるんじゃないか?
そんなぐうたらに食わせる飯はないと思うんだがね。
あんたが造った人形の話だよ。
捏ね棒で叩き潰して粘土に還しちまいなよ。
燃えるゴミ袋にポイしなよ。業者が火曜日に回収に来る。
そいつら薄っぺらで横顔がない。初めから横を向いている奴もいるがそういう奴らは正面がない。
大陸の天子様は顔が半分しかないんですねって、
あんたんとこの人形の話だよ。
そいつら服も着ていない。着ている奴らもたまにいるけどそういう奴らは死ぬまで着替えをしない。
まず鏡を見ないから自分がどんな格好をしてるかまともに見たことがねえんだな。
あんたが大事にしてる人形の話だよ。
言葉は喋るがとても聞けたもんじゃない。まず声がだみ声で耳障りだよ。
耳を塞ぎたくなるくらいの大声でガキみたいなわがままを喚く。
呟く奴もいるね、言ってることは同じだったけど。
おれだったら我慢ならないね。平手で叩き潰してるとこだ。
梅雨に涌き始めた蚊をこう、叩き殺すみたいに。
あんたが腕に抱いてるきたねえお人形の話だ。わかってんの?
あんたの作ったその人形が己の意思を持って喋りだしたとき、
あんたはきっと大喜びに喜んだんだろう。
まあ、おれにとっちゃどうでもいい事なんだがな。
あんたがそれを他人に見せようと思いついたのは、
きっと長年眠っていた自分の才能を沢山の人に褒めてもらいたかったんだ。
満員の劇場で観衆に胴上げされてくす玉の紐を引いてやりたかったんだな。
妄想癖も大概にしといた方がいい。街を歩いてる他人様はそれほどあんたに優しくないぜ。
知らないのか。あんた幾つになった? そうか。
あんたがそれ以来大事にしてる人間の出来損ないは、本当にあんたにとって大切なもんなのか?
本当に喋るのか? そいつ。あんたの幻聴だったらどうする。
そいつが喋る声、おれにはあんたのそれとそっくり同じに聞こえるんだけどな。気のせい?
あ、そう。おれはそう思わんよ。
おれはさ、耳がいいからその糞人形の声が嫌でも聞こえてくるんだがな、いいか。
そいつの言葉、まったく理解できん。せっかくだから日本語訳してくれよ。
え、日本語なの? そう。じゃおれがバカだから解らないんだ。
ああよく聞きゃ日本語だ。悪いねイライラして。でもなにが言いたいのかわかんねえや。
おれにはわかんねえわ。他の奴らは解るのかな? いやあ、どうだか怪しいと思うねおれは。
だからおれは思うんだけど、あんたには自覚が足りないんだろうな。
自分ひとりで作ったルールが他人にも通用すると思っていやがるよ。
あんたは自分のつくったわかりやすいお話をその人形通じて喋らせてるつもりらしいけど、
ついてこれてる人は何人もいたもんじゃないよきっと。自覚が足りないんだよ。
だって聞いてるとムカついてくるもん。そんなデク人形破壊しろよ。
おい、手渡してくれたらおれが代わりにやってやるぜ。貸せよ。嫌? そうかい。
見たくて見てるわけじゃないんだけど、どうしても気になるんだよな。
その人形見てるとイライラするんだ、勘弁してくれよ。
大事そうに持ってるあんたのその人形だよ。必要なの? それ。
なあ、必ず要るものなのかって聞いてんだよ、違うだろ。
おれはさ、あんたが赤の他人だからこそこんなことが言えるんだぜ。
知り合いがあんたみたいな気ちがいな真似を真面目な顔してやってるのを見つけたって、
苦笑いしてまた明日職場で会いましょうごきげんようって言うだけさ。
おれはあんたが赤の他人だからこんなことを言ってるんだぜ?
あんたのその不細工な人形の話だ」
○
「あんたら自分だけの世界で神にでもなったつもりなんだろう。
箱庭の中で思うとおりに動く人形を飼ってるんだ。
風呂場で洗い落とした老廃物を捏ね上げて作った垢太郎は、
鬼退治を決意してひとりでに歩き出したって聞くけど、
あんたのはどうだろうな、腐臭を放ちながら部屋の真ん中でごろ寝でもしてるんじゃないか?
そんなぐうたらに食わせる飯はないと思うんだがね。
あんたが造った人形の話だよ。
捏ね棒で叩き潰して粘土に還しちまいなよ。
燃えるゴミ袋にポイしなよ。業者が火曜日に回収に来る。
そいつら薄っぺらで横顔がない。初めから横を向いている奴もいるがそういう奴らは正面がない。
大陸の天子様は顔が半分しかないんですねって、
あんたんとこの人形の話だよ。
そいつら服も着ていない。着ている奴らもたまにいるけどそういう奴らは死ぬまで着替えをしない。
まず鏡を見ないから自分がどんな格好をしてるかまともに見たことがねえんだな。
あんたが大事にしてる人形の話だよ。
言葉は喋るがとても聞けたもんじゃない。まず声がだみ声で耳障りだよ。
耳を塞ぎたくなるくらいの大声でガキみたいなわがままを喚く。
呟く奴もいるね、言ってることは同じだったけど。
おれだったら我慢ならないね。平手で叩き潰してるとこだ。
梅雨に涌き始めた蚊をこう、叩き殺すみたいに。
あんたが腕に抱いてるきたねえお人形の話だ。わかってんの?
あんたの作ったその人形が己の意思を持って喋りだしたとき、
あんたはきっと大喜びに喜んだんだろう。
まあ、おれにとっちゃどうでもいい事なんだがな。
あんたがそれを他人に見せようと思いついたのは、
きっと長年眠っていた自分の才能を沢山の人に褒めてもらいたかったんだ。
満員の劇場で観衆に胴上げされてくす玉の紐を引いてやりたかったんだな。
妄想癖も大概にしといた方がいい。街を歩いてる他人様はそれほどあんたに優しくないぜ。
知らないのか。あんた幾つになった? そうか。
あんたがそれ以来大事にしてる人間の出来損ないは、本当にあんたにとって大切なもんなのか?
本当に喋るのか? そいつ。あんたの幻聴だったらどうする。
そいつが喋る声、おれにはあんたのそれとそっくり同じに聞こえるんだけどな。気のせい?
あ、そう。おれはそう思わんよ。
おれはさ、耳がいいからその糞人形の声が嫌でも聞こえてくるんだがな、いいか。
そいつの言葉、まったく理解できん。せっかくだから日本語訳してくれよ。
え、日本語なの? そう。じゃおれがバカだから解らないんだ。
ああよく聞きゃ日本語だ。悪いねイライラして。でもなにが言いたいのかわかんねえや。
おれにはわかんねえわ。他の奴らは解るのかな? いやあ、どうだか怪しいと思うねおれは。
だからおれは思うんだけど、あんたには自覚が足りないんだろうな。
自分ひとりで作ったルールが他人にも通用すると思っていやがるよ。
あんたは自分のつくったわかりやすいお話をその人形通じて喋らせてるつもりらしいけど、
ついてこれてる人は何人もいたもんじゃないよきっと。自覚が足りないんだよ。
だって聞いてるとムカついてくるもん。そんなデク人形破壊しろよ。
おい、手渡してくれたらおれが代わりにやってやるぜ。貸せよ。嫌? そうかい。
見たくて見てるわけじゃないんだけど、どうしても気になるんだよな。
その人形見てるとイライラするんだ、勘弁してくれよ。
大事そうに持ってるあんたのその人形だよ。必要なの? それ。
なあ、必ず要るものなのかって聞いてんだよ、違うだろ。
おれはさ、あんたが赤の他人だからこそこんなことが言えるんだぜ。
知り合いがあんたみたいな気ちがいな真似を真面目な顔してやってるのを見つけたって、
苦笑いしてまた明日職場で会いましょうごきげんようって言うだけさ。
おれはあんたが赤の他人だからこんなことを言ってるんだぜ?
あんたのその不細工な人形の話だ」
「人間がねえ焦りを感じ始めるのはたぶん二十歳を過ぎてからだと思うんだけど、まあそんな人は平々凡々の一般ピープルなんだろうと思うよ。でも一般ピーポーにもピーポーなりの意地ってもんがあるんだ。ぼくだってそのひとりさ」
「きみが才能という言葉に対してひどい執着があることは知ってる」
「あらゆる創作物がぼくをここまで駆り立てたのは紛れもない事実だ。そしてぼくはつくる側になりたいと思ってこうやって深夜二時にもなっても三時を過ぎてもパソコンのモニタを睨み付けてキーボードを叩いたりしてるんだ」
「今さら小説家を志すなら両親や親類の悲しむ顔を踏みつけてでも今いる道を蹴るべきじゃなかったかしら。そのきみが素人の意地だ何とか、声高に叫んでいるのを聞くとよっぽど情けなく思うよ。安定を選んだ今現在は正しかったのかどうかしらね」
「その専門学生のころからかな。メディアが流す小説に限らない様々な分野で年下が華々しくデビューを飾る話を聞くたびに死刑宣告を受けたような気分になって、話題にされる人たちが年上から年下になってゆくってのはそれは、耐え難い恐怖だよ。きみも気をつけておいたほうがいい」
「ご心配なく。私は小説を読むのが楽しいだけだから。きみのように実のないくせに驕り高ぶって作家を気取るような楽しみはもたないから。貴重な十代の時間をバイトで潰し、アブク銭をパチンコ台につぎ込み、なんとなく専門学校に入って成り行きでその道の会社に就職しては、時間がない時間がないと嘆いているきみを傍から見ているとなんだか滑稽だわ。まだ見ぬ未来の立派な自分を妄想するのは勝手だけど度が過ぎるときみみたいになるのかしら。夢を叶えるための努力って、意識してできるものじゃないのかもしれないわね。そういう考え方が、天才とか才能とかいう、自分の落ち度を棚に上げた無責任な妬みや憧れを生むのだわ。きみは異端だ変わり者だと言われ続けてきたけど、それを褒め言葉として受け取ったり自分の崇高な理想は凡人には理解しがたいのだと都合のいい解釈したりを繰り返したからまずかったんだろうね」
「ぼくの頭の中にはもう一人自分がいて、そいつがよく喋る奴で、しかも口を開くときは必ずぼくの行動にけちをつけるんだよ。どんなことを考えても何がなんだろうとぼく――この意思決定の立場の自分をぼくは一の自分と呼んでるんだけど――を否定するんだ。二の自分は一の自分を苦しめるのがなにより楽しいらしい。そうやって生きているらしい」
「それを認めてしまうと精神的にアウトよ。って、もう遅いみたいね」
「そいつが幅を利かせるようになったのがその、二十歳ぐらいからだよ。それまで手離しで楽しんでた小説創作やテレビゲームや漫画なんか、全てにけちをつけてきて全く集中できなくなった。楽しめなくなったのさ。ゲームをしていると無駄な時間だぞもったいないぞ。漫画を読んでると二回も読んでどうする語り合う仲間もいないだろ。小説を書いてるとこんなの書いても誰も読まないし現に面白くないって言われてるぞ。だったら小説創作のための勉強にと古本屋に過去の名作を買いあさりに行くと山ほど買ってるがいつ読むんだこの間買った分は全部読んだのか買っただけで読んだ気になってるんだろ浅はかなやつめ。漫画なら描いてやるとスケッチブックを買っても今更絵の練習なんか始めても遅いんじゃないかお前の年下で何倍もうまい奴や何年も前に始めたやつはごろごろいるぞそいつらに敵うと思ってるのか。ゲームなんか頭の中の声がうるさ過ぎて音楽が聞こえないしテキストが読めない。ぼくはこのまま二の自分に呪われて狂ってしまうんじゃないかと思ったね」
「現に狂ってると思うけどね。きみには自意識がないけど、けっこう病的だよ」
「最近二の自分と和解したんだよ。まあ、今日の夕方の話なんだけどね。ショッピングモールをぶらぶら歩いてたら閃いたのさ。焦ることは迫りくるものがあって初めて成り立つ感情なんだけど、ぼくは実体のない怪物に責められ続けていたらしいね。後ろを振り返ったら、実は何者の影も見当たらなかったんだ。今まで怖くて背後を振り返ることが出来なかったんだけど、やってみるとなんだ、と思ったね。何もいなかった。それが分かった今はずいぶん気楽になったよ。投げてた話の続きも書き出すことが出来た」
「ふうん、何歳までに長編一本書き上げて新人賞に送るって目標はどこへ行ったの? その自分だけが知ってる期限が迫ったから先延ばしにしたってわけね。今度の怪物の年齢は何歳? 怪物の足は今までよりもずっと速いと思うんだけど?」
「嫌なこと言うなよ」
「きみが才能という言葉に対してひどい執着があることは知ってる」
「あらゆる創作物がぼくをここまで駆り立てたのは紛れもない事実だ。そしてぼくはつくる側になりたいと思ってこうやって深夜二時にもなっても三時を過ぎてもパソコンのモニタを睨み付けてキーボードを叩いたりしてるんだ」
「今さら小説家を志すなら両親や親類の悲しむ顔を踏みつけてでも今いる道を蹴るべきじゃなかったかしら。そのきみが素人の意地だ何とか、声高に叫んでいるのを聞くとよっぽど情けなく思うよ。安定を選んだ今現在は正しかったのかどうかしらね」
「その専門学生のころからかな。メディアが流す小説に限らない様々な分野で年下が華々しくデビューを飾る話を聞くたびに死刑宣告を受けたような気分になって、話題にされる人たちが年上から年下になってゆくってのはそれは、耐え難い恐怖だよ。きみも気をつけておいたほうがいい」
「ご心配なく。私は小説を読むのが楽しいだけだから。きみのように実のないくせに驕り高ぶって作家を気取るような楽しみはもたないから。貴重な十代の時間をバイトで潰し、アブク銭をパチンコ台につぎ込み、なんとなく専門学校に入って成り行きでその道の会社に就職しては、時間がない時間がないと嘆いているきみを傍から見ているとなんだか滑稽だわ。まだ見ぬ未来の立派な自分を妄想するのは勝手だけど度が過ぎるときみみたいになるのかしら。夢を叶えるための努力って、意識してできるものじゃないのかもしれないわね。そういう考え方が、天才とか才能とかいう、自分の落ち度を棚に上げた無責任な妬みや憧れを生むのだわ。きみは異端だ変わり者だと言われ続けてきたけど、それを褒め言葉として受け取ったり自分の崇高な理想は凡人には理解しがたいのだと都合のいい解釈したりを繰り返したからまずかったんだろうね」
「ぼくの頭の中にはもう一人自分がいて、そいつがよく喋る奴で、しかも口を開くときは必ずぼくの行動にけちをつけるんだよ。どんなことを考えても何がなんだろうとぼく――この意思決定の立場の自分をぼくは一の自分と呼んでるんだけど――を否定するんだ。二の自分は一の自分を苦しめるのがなにより楽しいらしい。そうやって生きているらしい」
「それを認めてしまうと精神的にアウトよ。って、もう遅いみたいね」
「そいつが幅を利かせるようになったのがその、二十歳ぐらいからだよ。それまで手離しで楽しんでた小説創作やテレビゲームや漫画なんか、全てにけちをつけてきて全く集中できなくなった。楽しめなくなったのさ。ゲームをしていると無駄な時間だぞもったいないぞ。漫画を読んでると二回も読んでどうする語り合う仲間もいないだろ。小説を書いてるとこんなの書いても誰も読まないし現に面白くないって言われてるぞ。だったら小説創作のための勉強にと古本屋に過去の名作を買いあさりに行くと山ほど買ってるがいつ読むんだこの間買った分は全部読んだのか買っただけで読んだ気になってるんだろ浅はかなやつめ。漫画なら描いてやるとスケッチブックを買っても今更絵の練習なんか始めても遅いんじゃないかお前の年下で何倍もうまい奴や何年も前に始めたやつはごろごろいるぞそいつらに敵うと思ってるのか。ゲームなんか頭の中の声がうるさ過ぎて音楽が聞こえないしテキストが読めない。ぼくはこのまま二の自分に呪われて狂ってしまうんじゃないかと思ったね」
「現に狂ってると思うけどね。きみには自意識がないけど、けっこう病的だよ」
「最近二の自分と和解したんだよ。まあ、今日の夕方の話なんだけどね。ショッピングモールをぶらぶら歩いてたら閃いたのさ。焦ることは迫りくるものがあって初めて成り立つ感情なんだけど、ぼくは実体のない怪物に責められ続けていたらしいね。後ろを振り返ったら、実は何者の影も見当たらなかったんだ。今まで怖くて背後を振り返ることが出来なかったんだけど、やってみるとなんだ、と思ったね。何もいなかった。それが分かった今はずいぶん気楽になったよ。投げてた話の続きも書き出すことが出来た」
「ふうん、何歳までに長編一本書き上げて新人賞に送るって目標はどこへ行ったの? その自分だけが知ってる期限が迫ったから先延ばしにしたってわけね。今度の怪物の年齢は何歳? 怪物の足は今までよりもずっと速いと思うんだけど?」
「嫌なこと言うなよ」
とある夏の昼下がり、田舎町のファミレスの一角に陣取り、ノートPCのモニタとしかめ面で向かい合っているのはネット作家のYという男である。接客業に従事する彼は本業の傍ら小説創作をたしなみ、その合間をみて転職活動に精を出したりする迷い多き青年である。
彼が作った小説モドキはインターネット上の漫画・小説投稿サイト『N社』に掲載されており、そこで彼は気まぐれな読者が寄せる数文字のコメントに一喜一憂し、またそれらは彼のみみっちい自尊心を慰めるのに一役買ってもいた。ただ、彼の投稿に対するサイト内の評判は、彼の自信とは裏腹に悲しいほどささやかなものであり続けた。
『N社』にアップされた彼のエッセイ文から読み取れるように、彼はどうやら自分を過大評価しすぎているきらいがある。普段の彼を知る友人たちは、ビッグ・マウスを叩き売るネット上の彼をゆめにも知らないはずであるが、もし知るところとなれば彼の内弁慶ぶりにこみ上げる失笑を隠し通すことはできないであろう。「時間がない」が口癖の彼は言行不一致甚だしく、正直なところ作家と呼ぶのも些か気が引けるのだが、いつだったか一点の曇りもない眼差しで本人がそう言ったのだから一応そういうことにしておいてもらいたい。
彼は悲しい男である。自分の喋ることはどんな些細なことさえ、相手に届くまでの間に必ず歪んで伝わってしまうように思い込んでいた。何人たりとも他人との間の意思疎通など叶わぬのだ、と半ば確信的に考えていた。そんな彼の最近の悩みは馴染みのスーパーのお菓子コーナーから神羅万象チョコの棚が無くなってしまったことである。コンビニでの食玩大人買いは彼にとって少し億劫であった。レジ係の年齢層が気がかりなのだ。いつも遠慮して二、三袋しか買わない。
まあそんなことはどうでもよろしい。
「そんな顔して、なに」
彼に話しかける少女の声は鈴が鳴るように涼やかであった。丁度季節は夏真っ盛りである。彼女の声はさながら縁側の軒に下がった風鈴が揺れるかのようである。ただし、涼やかな声が引き寄せるのはかび臭く人工的な冷房風であった。冷房の効いた店内は窓ガラスたった一枚で太陽がもたらす容赦ない熱気を遮っている。彼女は続けた。
「失礼なコメントでも見つけたの?」
「そうじゃない」
彼は言った。「ちょっと戸惑ってるのさ」
フリーソフトのテキストエディタを久々に開き、くだらない妄想をちょこちょこ書き綴ってそれが行き詰ったこのとき、Yは早くも失われかけたやる気を補充しようとして他のネット作家の集う『N社』をウェブブラウザ上に表示させていた。
『N社』上の小説二大誌トップページにさらっと目を通し、更新を期待する小説が浮上していないことに短いため息をついたあと、上から順に作品名と作者名と確認していった。いずれも彼が未読の作品名であったり、なんとなく敬遠していたりする作者名であった。
ついでに彼は自分の作品――さくひん、などというのもおこがましく思う――に新着コメントがついていないかも忘れずにしっかり確認した。その結果、ちょっと戸惑っているのである。
「シェア可能にしてほしいんだって」
「ふうん、してあげればいいじゃない」
少女は手に持った文庫本に目線を戻しつつ言った。いかにも簡単そうに言うが、してあげられるものだったら彼だってすぐにそうしている。やり方がわからないからこうやってまごついているのだった。Yは思い切って少女に訊いた。
「なあ、お前わかるか」
「なにがよ」
彼女は至極、めんどくさそうに唸った。
「シェアってなに」
「あれでしょ、さいきん流行りの、部屋とか車とかを数人で共有して――」
「いや、違うと思うなあ。だいいちそれをぼくのエッセイ文にどうやって当てはめるんだ」
「じゃあ、知らないわよ」
少女は頬を膨らませて呟いた。
「うーん、ミクシイとかSNSの用語なんだろうか」
「だとしたら絶望的ね、あなたは高校生のときから、そういうサービスにはどうしても馴染めなかったもの」
「そうなんですよ、モバゲもミキシもやろうとは思ったけど、あれさあなにが楽しいか結局わかんなかったんだよね。気が向いたときにお気に入りのブログを見に行く程度が精一杯。逐一見逃さないように張り込んだりは性に合わないんだよ。生まれついてのめんどくさがりだから」
「というより、あれは交友関係がある程度広い人たちじゃないと、まるで利用価値がないわよ」
「だろうね、友達の数が片手で数えられるくらいのぼくには、まさしく手に余る代物だし。ってなんだか悲しくなってくるぜ。すごいね飽食世代の若者たち。友達ってそんなに簡単に出来るものとは思えないんだがなあ」
「で、どうするつもり」
Yはむつかしい顔をして腕を組み、椅子に深く沈みこんだ。ひとしきり空虚な時間が流れる。少女は文庫本に再び目を戻した。そして彼は重たい口を開き、厳かに言った。
「よくわからんがこの人は、ぼくみたいな変人に少しでも興味を持ってくれたってことだろう? だったら誠意を持って対応にあたらなきゃ失礼ってものだ。だからここで電子文通でもどうですかって考えたりもしたんだけど、がんばって捨てアドなんかも取得したりしたんですけど、どうですかねえ」
ということで白い犬に意見のある方はこちらまでどうぞ。
ymk1515あっとまーくmail.goo.ne.jp
進路に迷った高校生の青臭いメッセージなんかも待ってるよ!
彼が作った小説モドキはインターネット上の漫画・小説投稿サイト『N社』に掲載されており、そこで彼は気まぐれな読者が寄せる数文字のコメントに一喜一憂し、またそれらは彼のみみっちい自尊心を慰めるのに一役買ってもいた。ただ、彼の投稿に対するサイト内の評判は、彼の自信とは裏腹に悲しいほどささやかなものであり続けた。
『N社』にアップされた彼のエッセイ文から読み取れるように、彼はどうやら自分を過大評価しすぎているきらいがある。普段の彼を知る友人たちは、ビッグ・マウスを叩き売るネット上の彼をゆめにも知らないはずであるが、もし知るところとなれば彼の内弁慶ぶりにこみ上げる失笑を隠し通すことはできないであろう。「時間がない」が口癖の彼は言行不一致甚だしく、正直なところ作家と呼ぶのも些か気が引けるのだが、いつだったか一点の曇りもない眼差しで本人がそう言ったのだから一応そういうことにしておいてもらいたい。
彼は悲しい男である。自分の喋ることはどんな些細なことさえ、相手に届くまでの間に必ず歪んで伝わってしまうように思い込んでいた。何人たりとも他人との間の意思疎通など叶わぬのだ、と半ば確信的に考えていた。そんな彼の最近の悩みは馴染みのスーパーのお菓子コーナーから神羅万象チョコの棚が無くなってしまったことである。コンビニでの食玩大人買いは彼にとって少し億劫であった。レジ係の年齢層が気がかりなのだ。いつも遠慮して二、三袋しか買わない。
まあそんなことはどうでもよろしい。
「そんな顔して、なに」
彼に話しかける少女の声は鈴が鳴るように涼やかであった。丁度季節は夏真っ盛りである。彼女の声はさながら縁側の軒に下がった風鈴が揺れるかのようである。ただし、涼やかな声が引き寄せるのはかび臭く人工的な冷房風であった。冷房の効いた店内は窓ガラスたった一枚で太陽がもたらす容赦ない熱気を遮っている。彼女は続けた。
「失礼なコメントでも見つけたの?」
「そうじゃない」
彼は言った。「ちょっと戸惑ってるのさ」
フリーソフトのテキストエディタを久々に開き、くだらない妄想をちょこちょこ書き綴ってそれが行き詰ったこのとき、Yは早くも失われかけたやる気を補充しようとして他のネット作家の集う『N社』をウェブブラウザ上に表示させていた。
『N社』上の小説二大誌トップページにさらっと目を通し、更新を期待する小説が浮上していないことに短いため息をついたあと、上から順に作品名と作者名と確認していった。いずれも彼が未読の作品名であったり、なんとなく敬遠していたりする作者名であった。
ついでに彼は自分の作品――さくひん、などというのもおこがましく思う――に新着コメントがついていないかも忘れずにしっかり確認した。その結果、ちょっと戸惑っているのである。
「シェア可能にしてほしいんだって」
「ふうん、してあげればいいじゃない」
少女は手に持った文庫本に目線を戻しつつ言った。いかにも簡単そうに言うが、してあげられるものだったら彼だってすぐにそうしている。やり方がわからないからこうやってまごついているのだった。Yは思い切って少女に訊いた。
「なあ、お前わかるか」
「なにがよ」
彼女は至極、めんどくさそうに唸った。
「シェアってなに」
「あれでしょ、さいきん流行りの、部屋とか車とかを数人で共有して――」
「いや、違うと思うなあ。だいいちそれをぼくのエッセイ文にどうやって当てはめるんだ」
「じゃあ、知らないわよ」
少女は頬を膨らませて呟いた。
「うーん、ミクシイとかSNSの用語なんだろうか」
「だとしたら絶望的ね、あなたは高校生のときから、そういうサービスにはどうしても馴染めなかったもの」
「そうなんですよ、モバゲもミキシもやろうとは思ったけど、あれさあなにが楽しいか結局わかんなかったんだよね。気が向いたときにお気に入りのブログを見に行く程度が精一杯。逐一見逃さないように張り込んだりは性に合わないんだよ。生まれついてのめんどくさがりだから」
「というより、あれは交友関係がある程度広い人たちじゃないと、まるで利用価値がないわよ」
「だろうね、友達の数が片手で数えられるくらいのぼくには、まさしく手に余る代物だし。ってなんだか悲しくなってくるぜ。すごいね飽食世代の若者たち。友達ってそんなに簡単に出来るものとは思えないんだがなあ」
「で、どうするつもり」
Yはむつかしい顔をして腕を組み、椅子に深く沈みこんだ。ひとしきり空虚な時間が流れる。少女は文庫本に再び目を戻した。そして彼は重たい口を開き、厳かに言った。
「よくわからんがこの人は、ぼくみたいな変人に少しでも興味を持ってくれたってことだろう? だったら誠意を持って対応にあたらなきゃ失礼ってものだ。だからここで電子文通でもどうですかって考えたりもしたんだけど、がんばって捨てアドなんかも取得したりしたんですけど、どうですかねえ」
ということで白い犬に意見のある方はこちらまでどうぞ。
ymk1515あっとまーくmail.goo.ne.jp
進路に迷った高校生の青臭いメッセージなんかも待ってるよ!
「寝る子は育つと言うけどね、それは嘘だよ。人間は寝ている間まで起きていられない。起きていないから思考することができない。思考しない精神は進歩できない。進歩のない精神に成長はないのだから。ぼくは小中高とそれはよく眠ったもんさ。休日の午前中に起きることなんて滅多になかったぞ。見てみろよ、このぼくを。今だって一度に十二時間以上の惰眠を平気で貪るこのぼくを。君が午後の三時に目が覚めたときの絶望を経験しないと言うんなら、君の人生間違っちゃいない。その道を外れることをぼくは断固おすすめしない。人よ覚醒すべし、だ。目が冴えている時間が長い人間ほど優秀な人種さ。眠い眠いと言って欠伸ばかりしてる人間には決まってろくな奴がいないからね」
「なに言ってるの?」
「それを踏まえて自分を顧みてみると、ぼくは実年齢よりもとても若いという事実が発覚した。ぼくはよく寝る。それは前日に夜更かしをして体内時計だか成長ホルモンの最適な分泌なんかを狂わしてしまったからかもしれないがね。さておき、起きている間は眠い、だるい、帰りたいの三拍子揃った生ける屍ともいえる精神状態にある。猫が言ってたんだけど、――そういやさっきは君も猫の話をしていたよな。――良質の思考にはおいしい食事と十分な睡眠時間が必要だと。ようは腹を満たして考えろってこと。欲求にストレスをかけた状態でものを考えても良いこと無いよって言ってた。ぼくみたいに悪質な睡眠のおかげで関節という関節をみしみし軋らせたり、なにを口にしても醤油を垂らしたスコッティと味覚変換してしまうような男は、良質な思考とどれだけかけ離れているかなんて想像するのもたやすいだろう? やってみたことはないけど知能指数テストの成績はひどいもんだろうね。実年齢にふさわしい経験も思考も想像も興奮も足りないのさ。ぼくの話をしてるんだけどね」
「だから、なんなのよ。あなたのせいで不良牧師のエッセイがちっとも頭に入ってこない。さっき読んだ聾の少年との話も台無しになっちゃったわ」
「いいかぼくは真剣に言ってるんだ。そっちこそよく聞け。ぼくが小説を書く理由だって? 自分だけを慰めるために書いたこんなでたらめな話をまじめに聞いちゃいかんよ。まず今すぐ洗面所に行きなさい、顔を洗ったら鏡に向かって問うてみるといい。『お前は誰だ』とね。それと歯磨きを忘れちゃいけない。あれは食事の後すぐに取り掛からなきゃいけない大事な仕事だ」
「ねえ」
「なんだよ」
「まあきみは一応、数ヶ月以上前に書いた上のほうのエッセイにそういうことを長たらしく記しているけれどもね。折角訊かれているんだから、現時点の新鮮な答えを出してあげればいいじゃない」
「あのねえそれは長くなりますよ、近頃ぼくを束縛している大いなる問いがあるんだけど、『人はなぜ生きるのか』ってやつさ。それと同じくらいの哲学的な問いだよ、これは。なぜ小説を書くのかだって? あまつさえ小説とは何か? プロジェクトXとかプロフェッショナル~仕事の流儀~っていうテレビ番組、見たことあるか? それであなたにとって○○とは? って出演者に訊くのと違うよ、これ。壮大な皮肉を言ってくれてるね。ぼくは自分のことは世間でどんだけちっぽけな俗人かしっかりわかってるぜ。そんな質問に答えられるほど人間できていやしないんだよ」
「へそ曲がり。たとえば君が担がされているとして、モニタの向こうで誰かに笑われているのだとしても、それでもいいじゃない。このアマノジャク。いざとなると怖気づきやがるのね。根性なし。ED」
「だれが皮被りじゃ!」
「んなこと言ってないわい。空想の世界に返事をするのよ、ここはあなたの好きな虚構の世界なんだから」
「そこまで言うなら一つだけ前置きさせてもらってから答えるぞ!」
「今度は急にへらへら笑って気持ち悪いわね」
「前に書いたことと辻褄が合わなくたって顧みない!」
「もう忘れちゃってるのね」
「小説を書くこと自体は楽しくもないし、眠いし、肩痛いし、次の日に響くし、今だって転職試験のための勉強しなきゃなんないのにこんなことしてるし。読まれたか読まれてないかわかんないし。書こうとすればするほど他人の才能が恨めしくなるし。どうして書くかなんて、書き始めた瞬間に忘れちゃったようなもんなんだよね。どうしてこの世に生まれてきたのかわからないのと同じだと思うのですよ。なんで書いてるかはわかんない。それは書かないとわかんないし、書けたと思えないことには見えてこない後付けの理由なんですよ。質問したあなたが小説創作を趣味としてるかどうか知りようが無いですがね、あなたも一度小説を書こうとして文字を並べてみてくださいよ。きっとぼくが言ってることわかると思います。書く理由なんてその日その日で変わります。ぼくの場合はね」
「よくできました」
「聴いてくれてありがとう。あとね。小説ってなんですかって質問。これは今閃いたんだけどすごい簡単だったよ。辞書を引けコノヤロー!」
「なに言ってるの?」
「それを踏まえて自分を顧みてみると、ぼくは実年齢よりもとても若いという事実が発覚した。ぼくはよく寝る。それは前日に夜更かしをして体内時計だか成長ホルモンの最適な分泌なんかを狂わしてしまったからかもしれないがね。さておき、起きている間は眠い、だるい、帰りたいの三拍子揃った生ける屍ともいえる精神状態にある。猫が言ってたんだけど、――そういやさっきは君も猫の話をしていたよな。――良質の思考にはおいしい食事と十分な睡眠時間が必要だと。ようは腹を満たして考えろってこと。欲求にストレスをかけた状態でものを考えても良いこと無いよって言ってた。ぼくみたいに悪質な睡眠のおかげで関節という関節をみしみし軋らせたり、なにを口にしても醤油を垂らしたスコッティと味覚変換してしまうような男は、良質な思考とどれだけかけ離れているかなんて想像するのもたやすいだろう? やってみたことはないけど知能指数テストの成績はひどいもんだろうね。実年齢にふさわしい経験も思考も想像も興奮も足りないのさ。ぼくの話をしてるんだけどね」
「だから、なんなのよ。あなたのせいで不良牧師のエッセイがちっとも頭に入ってこない。さっき読んだ聾の少年との話も台無しになっちゃったわ」
「いいかぼくは真剣に言ってるんだ。そっちこそよく聞け。ぼくが小説を書く理由だって? 自分だけを慰めるために書いたこんなでたらめな話をまじめに聞いちゃいかんよ。まず今すぐ洗面所に行きなさい、顔を洗ったら鏡に向かって問うてみるといい。『お前は誰だ』とね。それと歯磨きを忘れちゃいけない。あれは食事の後すぐに取り掛からなきゃいけない大事な仕事だ」
「ねえ」
「なんだよ」
「まあきみは一応、数ヶ月以上前に書いた上のほうのエッセイにそういうことを長たらしく記しているけれどもね。折角訊かれているんだから、現時点の新鮮な答えを出してあげればいいじゃない」
「あのねえそれは長くなりますよ、近頃ぼくを束縛している大いなる問いがあるんだけど、『人はなぜ生きるのか』ってやつさ。それと同じくらいの哲学的な問いだよ、これは。なぜ小説を書くのかだって? あまつさえ小説とは何か? プロジェクトXとかプロフェッショナル~仕事の流儀~っていうテレビ番組、見たことあるか? それであなたにとって○○とは? って出演者に訊くのと違うよ、これ。壮大な皮肉を言ってくれてるね。ぼくは自分のことは世間でどんだけちっぽけな俗人かしっかりわかってるぜ。そんな質問に答えられるほど人間できていやしないんだよ」
「へそ曲がり。たとえば君が担がされているとして、モニタの向こうで誰かに笑われているのだとしても、それでもいいじゃない。このアマノジャク。いざとなると怖気づきやがるのね。根性なし。ED」
「だれが皮被りじゃ!」
「んなこと言ってないわい。空想の世界に返事をするのよ、ここはあなたの好きな虚構の世界なんだから」
「そこまで言うなら一つだけ前置きさせてもらってから答えるぞ!」
「今度は急にへらへら笑って気持ち悪いわね」
「前に書いたことと辻褄が合わなくたって顧みない!」
「もう忘れちゃってるのね」
「小説を書くこと自体は楽しくもないし、眠いし、肩痛いし、次の日に響くし、今だって転職試験のための勉強しなきゃなんないのにこんなことしてるし。読まれたか読まれてないかわかんないし。書こうとすればするほど他人の才能が恨めしくなるし。どうして書くかなんて、書き始めた瞬間に忘れちゃったようなもんなんだよね。どうしてこの世に生まれてきたのかわからないのと同じだと思うのですよ。なんで書いてるかはわかんない。それは書かないとわかんないし、書けたと思えないことには見えてこない後付けの理由なんですよ。質問したあなたが小説創作を趣味としてるかどうか知りようが無いですがね、あなたも一度小説を書こうとして文字を並べてみてくださいよ。きっとぼくが言ってることわかると思います。書く理由なんてその日その日で変わります。ぼくの場合はね」
「よくできました」
「聴いてくれてありがとう。あとね。小説ってなんですかって質問。これは今閃いたんだけどすごい簡単だったよ。辞書を引けコノヤロー!」
【大人の無自覚】
特別に仲の良かった友人ふたりが、いつからかその胸の奥に密かに抱いていたであろうささやかな決意をとうとう私に打ち明けた。
それは普遍的な、取るに足らない事柄である。当たり前の年齢に達した真っ当な人間が、ごく自然に考え至り、場合によっては一種の諦めともとれる覚悟を決めたときの清々しさ、――あまりに納得がゆきすぎるために空々しくもある態度で語る純粋白色の決意表明である。
「もーすぐ結婚するんだよ。その準備がどんどん進んでる」
驚くべきところなど何一つないのである。そこはいつもの週末、いつもの酒場である。給料と拘束時間について仕事の愚痴が一通り落ち着いたとき、何かの拍子で転がり現れた日常の会話である。
彼らには浅からぬ付き合いが続く同い年の異性がいる。既に住まいを実家から借家に移し、寝食を共にして共同生活の責務を折半し、来るべき新生活に備えていることはよく聞き知っている。
そういう事実から演繹される適齢期の男女の将来など、別に本人たちから訊き出すまでもなかったのだ。ゆえに、彼らの告白にさして驚くべき新事実などは一欠片も含まれておらず、言った当人もその告白を私に聞かせて愕然とさせてやろうというつもりなど当然なかった。
穏やかな雰囲気の中で私はその言葉を聞いたのである。暖色の薄明かりの下で、衝立の向こうで盛り上がる笑い声を背景に、私は手にしていた焼酎グラスの冷やりとした感触に引っかかった意識の上で、その言葉をぼんやりと聞いていた。
「うん、知ってる」
予感と実感とは、それを目の当たりにしたときの当人に与える印象の質を、それらを予測した上での衝撃の度合いと比較するとき、往々にして全くの異質へと変貌してしまうことがある。
驚くべきことなどそこにはなにもなかったはずである。
だが、実感は、――ただ単にソロバンを弾き間違えただけなのか、今となってはその当時の浅はかな思慮がただ悔やまれ、――いや、わかっていたからこそあえて考えず、後回しにしていただけかもしれぬ。――実感は、酒場に立ち込める焼き鳥の煙と、首のすぐ後ろにわだかまる頭痛の種とに作用し、ある現実的な自覚を私にもたらしたのである。
「なんだかお前らがすごくでっかくみえるよ」
ここで彼らふたりの素性を文字にして表すことはさして意味を持たぬことで、そのある一部分に着目してみても、遠くから全体を眺めてみたとしても、とてもではないがそれほどの重責を担うことができる器ではない、と私自身が高をくくっていたといえばそれで充分である。しかしそれは、決して短くない間私が犯し続けていた過ちである。地に額を擦りつけて謝罪すべき、許しがたい侮りである。今では明らかに私こそが無責任であることが証明されたのだから。
他人のために生きること。職責を果たし、生活費を稼ぎ、次世代に自らを捧げることを決めた彼らふたりを前に、自分のどれだけ惨めで、みすぼらしいことだろうか。
私が知っているふたりは、――あるいは私がそう思い込んでいた理想の彼らは、もうじき私に別れを告げて新しく生まれ変わってしまうのだろうか。さよならといったきり二度と会えなくなってしまうのか。言いようのない寂しさに囚われた私はしばし黙りこくってしまった。
かつて彼らが私に対して憤慨した幾つかの事柄が懐かしく、――なんと悲しい表現だろうか。懐かしく思い返されたのだ。
独りバイクに跨って、帰って来るまで一度も連絡せずに各地を放浪したとき、何故だか知らないがこっぴどく怒られた。まるで人情の欠片もないと叱られた。
度々のメール返信の文章に、絵文字が一つも使われていないのは何故だと眉を逆さまにして怒り狂う片割れに詰め寄られた。男が男に媚を売ってどうすると反駁したが、そういうことを言っているのではないと聞き入れてもらえなかった。
また、彼の知られざる苦悩を酌むことすらせず、一般論を押し付けたうえに冗談めかして根性無しだと付け加えたとき、ものすごい剣幕で暴言をまくし立てられたことがある。つかみ合いの喧嘩にならなかったのは、それに気圧された私がすっかり消沈してしまったからだ。そのときはごめんなさいすら言えなかった。どちらかといえば自分のほうが悪いというのに、翌日の夜更けに彼は酔っ払った勢いで私の家までそのことを謝りに来た。その夜素面だった私は大いに戸惑った記憶がある。
三人の男たちはそれぞれに全く異なる価値観を持っていて、曲げない、媚びない、譲らないの三本柱の信条をそれぞれに固く守り通した。三人が集まれば、いつもそこは有りのままの自分でいることが許される場所になった。
なにも繋がりがないことが唯一の繋がりであり、それが三人の友情である。お互いを尊重する暗黙の矜持である。
彼らのうちのひとりは特別酔った素振りも見せずに言う。彼はうわばみである。
「披露宴など性に合わん。グアムでごく身内だけのパーティを開く予定だから、お前はパスポートの手配を出来るだけ早めにしといてくれ」
またひとりは泥酔し、赤く充血した据わった目で私を睨みつけながら言う。
「友人代表のスピーチはお前に頼むからな。下手なことをいったら飛んでいってぶっころしてやる」
彼らは大人になっていたのである。私の知らないところでその覚悟を決めていたのである。未だにフラフラして口をつく言葉のことごとくが辻褄の合わない私なんかに一言も告げずに、ふつうのオトナになっていたのである。
そしてそれをささやかな悲しみと共に受け入れる自分もまた、つまりは大人の自覚を求められているのである。
その点は未だに無自覚である。結婚して家庭を持ち、それを保ち続ける厳然たる決意など、空虚な胸裏からは浮かんでくるはずもない。
それらはかつて欠片ほども意識する必要などなかったはずである。彼らふたりにとっても同じことだっただろう。しかし彼らは決心したのだ。もしかしなくても、未だに不安の気持ちで胸が一杯に違いない。しかし私自身と決定的に違うことは、――何を差し置いても尊敬すべき点は、その一歩を既に踏み出したということである。もとより後戻りなど出来ぬ道の始まりに立ち、遠い地平を、その炯々と輝く希望の眼差しで睨み据えているということだ。
私は彼らの背中を指を咥えて眺めているのだ。私の祝福の言葉、あるいは激励の言葉は、果たして私自身が直感的にとらえた感銘の強さをそのまま彼らに伝えてくれるだろうか。無二の友人に送る並みならぬ敬意をそっくり伝えてくれるだろうか。
彼らはいつも笑いながら私に言う。
「お前もはやく、彼女くらい見つけろよ」
その点だけは、彼らは実に無責任に私をからかうのであった。
特別に仲の良かった友人ふたりが、いつからかその胸の奥に密かに抱いていたであろうささやかな決意をとうとう私に打ち明けた。
それは普遍的な、取るに足らない事柄である。当たり前の年齢に達した真っ当な人間が、ごく自然に考え至り、場合によっては一種の諦めともとれる覚悟を決めたときの清々しさ、――あまりに納得がゆきすぎるために空々しくもある態度で語る純粋白色の決意表明である。
「もーすぐ結婚するんだよ。その準備がどんどん進んでる」
驚くべきところなど何一つないのである。そこはいつもの週末、いつもの酒場である。給料と拘束時間について仕事の愚痴が一通り落ち着いたとき、何かの拍子で転がり現れた日常の会話である。
彼らには浅からぬ付き合いが続く同い年の異性がいる。既に住まいを実家から借家に移し、寝食を共にして共同生活の責務を折半し、来るべき新生活に備えていることはよく聞き知っている。
そういう事実から演繹される適齢期の男女の将来など、別に本人たちから訊き出すまでもなかったのだ。ゆえに、彼らの告白にさして驚くべき新事実などは一欠片も含まれておらず、言った当人もその告白を私に聞かせて愕然とさせてやろうというつもりなど当然なかった。
穏やかな雰囲気の中で私はその言葉を聞いたのである。暖色の薄明かりの下で、衝立の向こうで盛り上がる笑い声を背景に、私は手にしていた焼酎グラスの冷やりとした感触に引っかかった意識の上で、その言葉をぼんやりと聞いていた。
「うん、知ってる」
予感と実感とは、それを目の当たりにしたときの当人に与える印象の質を、それらを予測した上での衝撃の度合いと比較するとき、往々にして全くの異質へと変貌してしまうことがある。
驚くべきことなどそこにはなにもなかったはずである。
だが、実感は、――ただ単にソロバンを弾き間違えただけなのか、今となってはその当時の浅はかな思慮がただ悔やまれ、――いや、わかっていたからこそあえて考えず、後回しにしていただけかもしれぬ。――実感は、酒場に立ち込める焼き鳥の煙と、首のすぐ後ろにわだかまる頭痛の種とに作用し、ある現実的な自覚を私にもたらしたのである。
「なんだかお前らがすごくでっかくみえるよ」
ここで彼らふたりの素性を文字にして表すことはさして意味を持たぬことで、そのある一部分に着目してみても、遠くから全体を眺めてみたとしても、とてもではないがそれほどの重責を担うことができる器ではない、と私自身が高をくくっていたといえばそれで充分である。しかしそれは、決して短くない間私が犯し続けていた過ちである。地に額を擦りつけて謝罪すべき、許しがたい侮りである。今では明らかに私こそが無責任であることが証明されたのだから。
他人のために生きること。職責を果たし、生活費を稼ぎ、次世代に自らを捧げることを決めた彼らふたりを前に、自分のどれだけ惨めで、みすぼらしいことだろうか。
私が知っているふたりは、――あるいは私がそう思い込んでいた理想の彼らは、もうじき私に別れを告げて新しく生まれ変わってしまうのだろうか。さよならといったきり二度と会えなくなってしまうのか。言いようのない寂しさに囚われた私はしばし黙りこくってしまった。
かつて彼らが私に対して憤慨した幾つかの事柄が懐かしく、――なんと悲しい表現だろうか。懐かしく思い返されたのだ。
独りバイクに跨って、帰って来るまで一度も連絡せずに各地を放浪したとき、何故だか知らないがこっぴどく怒られた。まるで人情の欠片もないと叱られた。
度々のメール返信の文章に、絵文字が一つも使われていないのは何故だと眉を逆さまにして怒り狂う片割れに詰め寄られた。男が男に媚を売ってどうすると反駁したが、そういうことを言っているのではないと聞き入れてもらえなかった。
また、彼の知られざる苦悩を酌むことすらせず、一般論を押し付けたうえに冗談めかして根性無しだと付け加えたとき、ものすごい剣幕で暴言をまくし立てられたことがある。つかみ合いの喧嘩にならなかったのは、それに気圧された私がすっかり消沈してしまったからだ。そのときはごめんなさいすら言えなかった。どちらかといえば自分のほうが悪いというのに、翌日の夜更けに彼は酔っ払った勢いで私の家までそのことを謝りに来た。その夜素面だった私は大いに戸惑った記憶がある。
三人の男たちはそれぞれに全く異なる価値観を持っていて、曲げない、媚びない、譲らないの三本柱の信条をそれぞれに固く守り通した。三人が集まれば、いつもそこは有りのままの自分でいることが許される場所になった。
なにも繋がりがないことが唯一の繋がりであり、それが三人の友情である。お互いを尊重する暗黙の矜持である。
彼らのうちのひとりは特別酔った素振りも見せずに言う。彼はうわばみである。
「披露宴など性に合わん。グアムでごく身内だけのパーティを開く予定だから、お前はパスポートの手配を出来るだけ早めにしといてくれ」
またひとりは泥酔し、赤く充血した据わった目で私を睨みつけながら言う。
「友人代表のスピーチはお前に頼むからな。下手なことをいったら飛んでいってぶっころしてやる」
彼らは大人になっていたのである。私の知らないところでその覚悟を決めていたのである。未だにフラフラして口をつく言葉のことごとくが辻褄の合わない私なんかに一言も告げずに、ふつうのオトナになっていたのである。
そしてそれをささやかな悲しみと共に受け入れる自分もまた、つまりは大人の自覚を求められているのである。
その点は未だに無自覚である。結婚して家庭を持ち、それを保ち続ける厳然たる決意など、空虚な胸裏からは浮かんでくるはずもない。
それらはかつて欠片ほども意識する必要などなかったはずである。彼らふたりにとっても同じことだっただろう。しかし彼らは決心したのだ。もしかしなくても、未だに不安の気持ちで胸が一杯に違いない。しかし私自身と決定的に違うことは、――何を差し置いても尊敬すべき点は、その一歩を既に踏み出したということである。もとより後戻りなど出来ぬ道の始まりに立ち、遠い地平を、その炯々と輝く希望の眼差しで睨み据えているということだ。
私は彼らの背中を指を咥えて眺めているのだ。私の祝福の言葉、あるいは激励の言葉は、果たして私自身が直感的にとらえた感銘の強さをそのまま彼らに伝えてくれるだろうか。無二の友人に送る並みならぬ敬意をそっくり伝えてくれるだろうか。
彼らはいつも笑いながら私に言う。
「お前もはやく、彼女くらい見つけろよ」
その点だけは、彼らは実に無責任に私をからかうのであった。
【商業音楽の愚痴をこぼす。】
序、
以下は根も葉もない真っ赤な愚痴である。真っ赤な愚痴であるからつまり、いちおうはフンガイしているのである。私はもともと音楽理論や流行選美眼など持ち合わせぬから、この雑文を読んで大いに笑ってもらって構わぬ。
不快感とは直感である。対して発言は理性的な活動なので、こういうのは然るべき思考処理のあとになされたものと見なされる可能性が非常に高いし、ふつうはそうあるべき意思表示といえる。感じたことをそのまま口に出したり発表したりするやつは軽薄であるという良い例である。是非とも反面教師にすべき。
私は自分がどれほど底の浅い人間かということを一度はっきり自覚してみなければならぬ。
一、
私がいわゆる流行歌を好んで聴こうとしないのは只単に才能をひがんでいるだけである。つまりは民間企業の歯車として社会に組み込まれず、禿げた上司にねちっこくいびられることなく、顧客からいわれのない悪態を吐かれることもなく、ギターをかき鳴らしきれいごとを歌ってお金を稼いでいる彼らの音楽的才能が疎ましく鼻持ちならないのである。
第一に彼らはそれでお金を稼いでいるのである。こっちは散々の文句を吐きかけられようやく糊口を凌いでいるのであるぞ。才能云々よりもまず彼らの幸運を呪う。
私のほうは何を間違ってこうなったのか。そんなことはとりあえずどうでもいいとしておくが、真摯に彼らの歌うことばや奏でる演奏を聴いていないということは、文化人を自負する私としては何よりも問題である。
二、
嫌いなものを好きになろうとする遊びは楽しい。「商業主義の音楽など聞く耳もたぬわ」などと普段ふんぞり返っている私はたまにツタヤに赴くと、耳に残った流行歌を一つ二つ摘んで帰ってくる。
一曲を一、二時間延々とリピートする極端な鑑賞法に堪えぬ音楽は私に言わせると駄作である。ことに、最新流行歌ともなれば余計な修飾が多くエフェクトが多く、それらは繰り返し聴き続けるにあたって毎度小石につまづくような鬱陶しさを感じさせる。
それに、なんでもかんでもカラオケ伴奏みたいにヴァイオリン的なキーキー音をバックで鳴らしていればいいというものではないだろうに。楽器なんて高音低音拍子取で充分ではないのか。いったいいくつの楽器が鳴っているのか、わかるものはまことに少なく、嘆かれる。
ツタヤには金を払って鬱憤を溜めに行っているのである。能動的に怒る遊びはけっこうオモシロイのだ。
ついでだから言っておこう。口のでかい下品なリズム&ブルース気取りの歌姫は田舎に帰ってぎらぎらしたピアスとちりちりの髪の毛を笑われてしまえ。親に泣かれろ。
三、
いい加減な試行で自分と流行音楽は肌に合いそうにないことがわかった。こんな私だがAKB48メンバーの中ではまゆゆが好きだし、きゃりーぱみゅぱみゅのつけまつげシングルは購入した。商業音楽にも食指が動くことはある。ただしAKBのCDはジャケットを眺めるだけで済ましている。パフュームをいつか大人買いしてやろうと思っている。散々USENで流れるので今はまだその時期ではない。
USEN、職場ではUSENがだだ流しである。モノラル音声であるが。あまたの流行歌、バカソング及び低脳ソングを毎日聴かされているわけだ。まったく理解に苦しむものもある。それを口ずさむ同僚もおる。やはり私ひとりが知覚過敏でありセンチメンタルが過剰なのかも知れぬ。
これでも、世の中には理解のできかねる性格が存在し、多くのひとは自分の行動にあまり責任を持たず動機もあいまいだという事は承知しているつもりだ。では私はなにを一体お気に召さぬのか。
四、
天は我に真贋を見定める目を授けよ。私が気にかけているのは「それはホンモノなのかニセモノなのか」ということである。即ち神経質なのである。「そのこころは」といつも勘繰りつつ音楽を聴いている。
耳には嫌でも入ってくる。言葉が耳に入れば言語を処理する回路が自動的に立ち上がる。従って彼は何が言いたいのだろうか。と考えるわけである。流行歌を好む大抵の人々はこの段階まで行き着くことはなく、耳に飛び込んだ言葉を処理してオワリとしてはいないだろうか。安っぽい感動が一丁上がりである。
しかし私の不備がここで露呈する。作業しながら耳に入ってくる言葉たちはまったく断片でしかない。せいぜいサビで歌われる最も特徴的な言葉遊びの部分しか聴いていないわけである。その部分だけしか思考回路を通さないならば、歌が語る真意など読み取れようはずもないのに、私は逐一「低脳ソングである」「聴き飽きたようなきれいごとである」などとけちをつけている。これを悪といわずなんとする。だから私は次回のツタヤ来訪の際「サwwwwブwwwリwナwwww」とか「春が来るからwwww夏がクルーwwwwww」とか歌ってる誰かさんのシングルCDを拝借しなければならない。覚悟していろ。
五、
それらが本当にどこかで聞いたようなきれいごとであったとしたら、彼らは糾弾されるべきである。私からはじめてやる。
どこかで聞いたことがあるようなせりふは不要だ。それで金儲けをしようとする腐った性根には吐き気すら覚える。一番最初に始めた人は偉大だしかっこいい。しかしかっこいいは定型でありえない。型押しでかっこいいを量産できると思っておる表現者気取りの社畜は私が殴打してやるから表に出ろ。
発明の余地なしと考える短絡主義は蒙昧無知そのものである。いま存在しないものを見つけることが発明である。「発明の余地なし」この発言はそもそも発明を放棄しており知ったかぶりであり腐っておる。悪である。
従って私は彼らを糾弾せねばならぬ。淘汰されろクズ。金儲け主義の豚め。
六、
昔の音楽ばかり聴いているのは、私が妄想の中で女子中学生にぶつぶつ呟いたのとまったく同じ発言になってしまうが、企業の煽り文句や大衆の下馬評なんかが聞こえないところで音楽を楽しみたいからというのもある。
それに、単純に四十年、または三百年以上も歴史の中に埋もれず奏で続けられるものたちは、ホンモノの音楽であるとみておおかた間違いないのである。
だから私がおじいさんになってもなお、はまさきあゆみやしょうなんのかぜやえぐざいるなどが、どこぞのレーベルからリマスタープレスとかで発売されていようものなら、金払ってだっていい。そんときゃ聴いてやろう。貴重な余生をきさまらに割り当ててやろうというのだ。感謝しやがれ。
七、
この愚痴に対する苦情や攻撃は甘んじて受け入れる所存である。
序、
以下は根も葉もない真っ赤な愚痴である。真っ赤な愚痴であるからつまり、いちおうはフンガイしているのである。私はもともと音楽理論や流行選美眼など持ち合わせぬから、この雑文を読んで大いに笑ってもらって構わぬ。
不快感とは直感である。対して発言は理性的な活動なので、こういうのは然るべき思考処理のあとになされたものと見なされる可能性が非常に高いし、ふつうはそうあるべき意思表示といえる。感じたことをそのまま口に出したり発表したりするやつは軽薄であるという良い例である。是非とも反面教師にすべき。
私は自分がどれほど底の浅い人間かということを一度はっきり自覚してみなければならぬ。
一、
私がいわゆる流行歌を好んで聴こうとしないのは只単に才能をひがんでいるだけである。つまりは民間企業の歯車として社会に組み込まれず、禿げた上司にねちっこくいびられることなく、顧客からいわれのない悪態を吐かれることもなく、ギターをかき鳴らしきれいごとを歌ってお金を稼いでいる彼らの音楽的才能が疎ましく鼻持ちならないのである。
第一に彼らはそれでお金を稼いでいるのである。こっちは散々の文句を吐きかけられようやく糊口を凌いでいるのであるぞ。才能云々よりもまず彼らの幸運を呪う。
私のほうは何を間違ってこうなったのか。そんなことはとりあえずどうでもいいとしておくが、真摯に彼らの歌うことばや奏でる演奏を聴いていないということは、文化人を自負する私としては何よりも問題である。
二、
嫌いなものを好きになろうとする遊びは楽しい。「商業主義の音楽など聞く耳もたぬわ」などと普段ふんぞり返っている私はたまにツタヤに赴くと、耳に残った流行歌を一つ二つ摘んで帰ってくる。
一曲を一、二時間延々とリピートする極端な鑑賞法に堪えぬ音楽は私に言わせると駄作である。ことに、最新流行歌ともなれば余計な修飾が多くエフェクトが多く、それらは繰り返し聴き続けるにあたって毎度小石につまづくような鬱陶しさを感じさせる。
それに、なんでもかんでもカラオケ伴奏みたいにヴァイオリン的なキーキー音をバックで鳴らしていればいいというものではないだろうに。楽器なんて高音低音拍子取で充分ではないのか。いったいいくつの楽器が鳴っているのか、わかるものはまことに少なく、嘆かれる。
ツタヤには金を払って鬱憤を溜めに行っているのである。能動的に怒る遊びはけっこうオモシロイのだ。
ついでだから言っておこう。口のでかい下品なリズム&ブルース気取りの歌姫は田舎に帰ってぎらぎらしたピアスとちりちりの髪の毛を笑われてしまえ。親に泣かれろ。
三、
いい加減な試行で自分と流行音楽は肌に合いそうにないことがわかった。こんな私だがAKB48メンバーの中ではまゆゆが好きだし、きゃりーぱみゅぱみゅのつけまつげシングルは購入した。商業音楽にも食指が動くことはある。ただしAKBのCDはジャケットを眺めるだけで済ましている。パフュームをいつか大人買いしてやろうと思っている。散々USENで流れるので今はまだその時期ではない。
USEN、職場ではUSENがだだ流しである。モノラル音声であるが。あまたの流行歌、バカソング及び低脳ソングを毎日聴かされているわけだ。まったく理解に苦しむものもある。それを口ずさむ同僚もおる。やはり私ひとりが知覚過敏でありセンチメンタルが過剰なのかも知れぬ。
これでも、世の中には理解のできかねる性格が存在し、多くのひとは自分の行動にあまり責任を持たず動機もあいまいだという事は承知しているつもりだ。では私はなにを一体お気に召さぬのか。
四、
天は我に真贋を見定める目を授けよ。私が気にかけているのは「それはホンモノなのかニセモノなのか」ということである。即ち神経質なのである。「そのこころは」といつも勘繰りつつ音楽を聴いている。
耳には嫌でも入ってくる。言葉が耳に入れば言語を処理する回路が自動的に立ち上がる。従って彼は何が言いたいのだろうか。と考えるわけである。流行歌を好む大抵の人々はこの段階まで行き着くことはなく、耳に飛び込んだ言葉を処理してオワリとしてはいないだろうか。安っぽい感動が一丁上がりである。
しかし私の不備がここで露呈する。作業しながら耳に入ってくる言葉たちはまったく断片でしかない。せいぜいサビで歌われる最も特徴的な言葉遊びの部分しか聴いていないわけである。その部分だけしか思考回路を通さないならば、歌が語る真意など読み取れようはずもないのに、私は逐一「低脳ソングである」「聴き飽きたようなきれいごとである」などとけちをつけている。これを悪といわずなんとする。だから私は次回のツタヤ来訪の際「サwwwwブwwwリwナwwww」とか「春が来るからwwww夏がクルーwwwwww」とか歌ってる誰かさんのシングルCDを拝借しなければならない。覚悟していろ。
五、
それらが本当にどこかで聞いたようなきれいごとであったとしたら、彼らは糾弾されるべきである。私からはじめてやる。
どこかで聞いたことがあるようなせりふは不要だ。それで金儲けをしようとする腐った性根には吐き気すら覚える。一番最初に始めた人は偉大だしかっこいい。しかしかっこいいは定型でありえない。型押しでかっこいいを量産できると思っておる表現者気取りの社畜は私が殴打してやるから表に出ろ。
発明の余地なしと考える短絡主義は蒙昧無知そのものである。いま存在しないものを見つけることが発明である。「発明の余地なし」この発言はそもそも発明を放棄しており知ったかぶりであり腐っておる。悪である。
従って私は彼らを糾弾せねばならぬ。淘汰されろクズ。金儲け主義の豚め。
六、
昔の音楽ばかり聴いているのは、私が妄想の中で女子中学生にぶつぶつ呟いたのとまったく同じ発言になってしまうが、企業の煽り文句や大衆の下馬評なんかが聞こえないところで音楽を楽しみたいからというのもある。
それに、単純に四十年、または三百年以上も歴史の中に埋もれず奏で続けられるものたちは、ホンモノの音楽であるとみておおかた間違いないのである。
だから私がおじいさんになってもなお、はまさきあゆみやしょうなんのかぜやえぐざいるなどが、どこぞのレーベルからリマスタープレスとかで発売されていようものなら、金払ってだっていい。そんときゃ聴いてやろう。貴重な余生をきさまらに割り当ててやろうというのだ。感謝しやがれ。
七、
この愚痴に対する苦情や攻撃は甘んじて受け入れる所存である。
【感性と言語との間にある壁の正体】
一、
どうして好きなのかという問題は感性の領域ではないんでしょうか。
いかに問いが立てられるからといって、
その答えが言語により導き出せるかというと、
そうではないように思えます。
好きの正体を言語により暴こうとするのは不可能という気がします。
なぜならば言語で感性を語ること自体が無理難題と言えるからです。
二、
もともと感性だけが未知なる外界に接触することを許されています。
外界で感動を知覚できるのは、従って感性だけです。
感動は感性の特権であるといえます。
感動の発生と収束は既に感性の分野で始まって、そして終わっています。
そこに言語の働く余地などありません。
感動の発生に言語が関与することはないのです。
なぜならば感動は受動的であり思考は能動的であるからです。
三、
感性が奔放に感動を生み出せるのは、
外界から影響された受動的な活動であるからです。
これは我々が能動的に感動することは不可能であることからもわかります。
感性は『意識』の支配を免れているということです。
対して言語は緩慢であり『意識』の要請なしに働くことはありません。
言語が働く場合は『意識』の要請があったときだけです。
つまり言語は二次的な性質を持っているということです。
感性とは本来かけ離れているというわけです。
言語による思考活動は能動的であり、その材料は全て『意識』によって賄われます。
つまり自分で用意したものを自分で組み立てなければならぬのです。
その材料、行程、完成検査のうちどこか一部にでも失敗はあってならぬのです。
それらは結果として不和と破綻を約束する作業者の怠慢として糾弾されます。
言語による完璧な説得がしばしば撥ね付けられる原因としては、
思考が導いた結論の信頼性を問うべき場合もあれば、
または各々の言語感覚の個性による齟齬であるかもしれません。
四、
感動が何処から生まれるのかというと単純な話であります。
それは井戸から汲み上げられるものです。
その水脈は全世界あらゆる生命の精神世界と通じており、
各々が汲み上げた感動は同じであって異なることはありません。
そもそもこの話はそういうところから端を発したものであります。
感情の四大要素として喜怒哀楽がありますが、
果たして感動がたったの四種類しか分類されないかというと、
当たり前のことでそんなはずはありません。
ただし同じ水脈から汲み上げた感動は必ず一致しておかねばならぬのです。
感動の素体、――もしくは便宜的に感動のイデアと言い換えることも可能ですが、
これを言葉に変換し伝達することは、
――つまり言葉に置き換えられた感動をもとに、
同じ水脈の井戸の釣瓶を引くことができるのかというと、
これは毎回必ずしも成功するとは言い切れないのであります。
このことが如何に著しく私自身を不安にさせるかということは、
わざわざここに書き記すまでもなく、
社会的生物としての自らの生活を一週間でも振り返れば、
思い当たることの一つや二つ、各々方の記憶にも存在することは、
間違いのなかろうことであります。
五、
我々は不思議と不可解との蔓延する百鬼夜行の人間社会に生を受け、
これから先も何十年、
ギガの街で一つのビスとして暮らしてゆかねばならぬのですが、
それらの不可思議に直面してなお、言及を求められたとき、
なんと言い返すことができるでしょうか。
本来これらに意見を述べることは様々な意味で危険な行為であり、
可能な限り回避したほうが後の己が身のためになるのであります。
不安と畏怖の対象が世の中に跋扈している現状を、
我々はただ知っておくだけでいい。
その存在を認めるだけでよいのであり、
それについて何を考えているかなどはもともと、
誰にも言い触れる必要など微塵もないのであります。
ただ、ここで回避ならぬ問題が一つだけ浮上してきます。
我々は社会的生物である以前に、
生まれながらにして知を愛する者であり、
口を閉じて押し黙るなどということは、
天地がひっくり返っても許すことのできぬ、
言語道断、
不倶戴天、
蒙昧愚劣極まる背信行為なのであります。
従ってそれを成し遂げねばならぬ。
果敢に挑み続けねばならぬ。
六、
どうして好きなのかという問題は感性の領域であるかもしれないが、我々は唯一の武器である言語を以ってその領域を開拓せねばならぬ。
―――――――――――――――――――――――――――
ここまでが自分を励ますための歌です。
<オワリ>
一、
どうして好きなのかという問題は感性の領域ではないんでしょうか。
いかに問いが立てられるからといって、
その答えが言語により導き出せるかというと、
そうではないように思えます。
好きの正体を言語により暴こうとするのは不可能という気がします。
なぜならば言語で感性を語ること自体が無理難題と言えるからです。
二、
もともと感性だけが未知なる外界に接触することを許されています。
外界で感動を知覚できるのは、従って感性だけです。
感動は感性の特権であるといえます。
感動の発生と収束は既に感性の分野で始まって、そして終わっています。
そこに言語の働く余地などありません。
感動の発生に言語が関与することはないのです。
なぜならば感動は受動的であり思考は能動的であるからです。
三、
感性が奔放に感動を生み出せるのは、
外界から影響された受動的な活動であるからです。
これは我々が能動的に感動することは不可能であることからもわかります。
感性は『意識』の支配を免れているということです。
対して言語は緩慢であり『意識』の要請なしに働くことはありません。
言語が働く場合は『意識』の要請があったときだけです。
つまり言語は二次的な性質を持っているということです。
感性とは本来かけ離れているというわけです。
言語による思考活動は能動的であり、その材料は全て『意識』によって賄われます。
つまり自分で用意したものを自分で組み立てなければならぬのです。
その材料、行程、完成検査のうちどこか一部にでも失敗はあってならぬのです。
それらは結果として不和と破綻を約束する作業者の怠慢として糾弾されます。
言語による完璧な説得がしばしば撥ね付けられる原因としては、
思考が導いた結論の信頼性を問うべき場合もあれば、
または各々の言語感覚の個性による齟齬であるかもしれません。
四、
感動が何処から生まれるのかというと単純な話であります。
それは井戸から汲み上げられるものです。
その水脈は全世界あらゆる生命の精神世界と通じており、
各々が汲み上げた感動は同じであって異なることはありません。
そもそもこの話はそういうところから端を発したものであります。
感情の四大要素として喜怒哀楽がありますが、
果たして感動がたったの四種類しか分類されないかというと、
当たり前のことでそんなはずはありません。
ただし同じ水脈から汲み上げた感動は必ず一致しておかねばならぬのです。
感動の素体、――もしくは便宜的に感動のイデアと言い換えることも可能ですが、
これを言葉に変換し伝達することは、
――つまり言葉に置き換えられた感動をもとに、
同じ水脈の井戸の釣瓶を引くことができるのかというと、
これは毎回必ずしも成功するとは言い切れないのであります。
このことが如何に著しく私自身を不安にさせるかということは、
わざわざここに書き記すまでもなく、
社会的生物としての自らの生活を一週間でも振り返れば、
思い当たることの一つや二つ、各々方の記憶にも存在することは、
間違いのなかろうことであります。
五、
我々は不思議と不可解との蔓延する百鬼夜行の人間社会に生を受け、
これから先も何十年、
ギガの街で一つのビスとして暮らしてゆかねばならぬのですが、
それらの不可思議に直面してなお、言及を求められたとき、
なんと言い返すことができるでしょうか。
本来これらに意見を述べることは様々な意味で危険な行為であり、
可能な限り回避したほうが後の己が身のためになるのであります。
不安と畏怖の対象が世の中に跋扈している現状を、
我々はただ知っておくだけでいい。
その存在を認めるだけでよいのであり、
それについて何を考えているかなどはもともと、
誰にも言い触れる必要など微塵もないのであります。
ただ、ここで回避ならぬ問題が一つだけ浮上してきます。
我々は社会的生物である以前に、
生まれながらにして知を愛する者であり、
口を閉じて押し黙るなどということは、
天地がひっくり返っても許すことのできぬ、
言語道断、
不倶戴天、
蒙昧愚劣極まる背信行為なのであります。
従ってそれを成し遂げねばならぬ。
果敢に挑み続けねばならぬ。
六、
どうして好きなのかという問題は感性の領域であるかもしれないが、我々は唯一の武器である言語を以ってその領域を開拓せねばならぬ。
―――――――――――――――――――――――――――
ここまでが自分を励ますための歌です。
<オワリ>
≪書いた話の質に関する反省≫
ツッコミどころがいくつかあります。中学生が古文の授業を受けていたり、帰りのホームルームで「早退します」なんか言っちゃってネタとしてもお粗末な感じがしたり。誤字とか表現のくどい部分とか誤用とか、読み返すとぼろぼろ出てきて恥ずかしい限りです。書いてる最中に気付きたいものです。以下はどうしても詫びを入れたかった数箇所です。
ひさめの言葉は新潟地方の方言をベースに設定しましたが、なにしろ異邦人なので、ネイティブの方にしてみれば新潟弁には聞こえないはずです。「訛りってこんなもんだろ」的なあつかましい感じがします。ツイッター上で某氏が新潟出身だと知り、逐一校正してもらおうかと思ったんですが色々考えて断念しました。「こんなん俺の地方の言葉じゃねえ!」ってイライラされても仕方なしです。方言はもっと調査する必要があった、あるいは取り上げるべきではなかったのかもと反省してます。でも方言女子は好きです。
オチはもうごめんなさい。某所で「廣塚はどこまで本当のことを喋ったのかわからない」こんな感想を頂いたんですが、これはまさに狙ってたとこです。狙ってたとはいえ土壇場の辻褄合わせなんですが。……そう読んでいただければ幸いです。ちなみに白浜は廣塚の嘘を少なからず見抜いてますが赤司は頭から信じてます。あいつは馬鹿です。
最大の後悔は「0℃」というテーマの扱い方に納得できていないことです。拙作では単にキーワードとして出しただけにすぎません。他の作品と読み比べても、やはりどこか浮いてます。「0℃」より喪男三人組のほうに話のスジが引かれています。いくら過去の話の二次創作とはいえこれは駄目です。駄目ですよこれは。ネット同人誌ですよ? 空気読みなさいよ。「今回の話の枠外でもキャラクタが動いていて、そこも楽しかった」某所でそう言われたときは救われたような気がしましたよ。とはいえ、ほとんど白い犬アピールみたいな話になってしまったことには反省しきりです。関係各位申し訳ございません。二万字に届くかという長たらしい話になったのは明らかに悪ノリです。あの三人組が出てこなければここまで長くなることはありませんでしたが、あの落ちでなんとか平仄合わせるためには不可欠の存在になっちゃってました。申し訳。
「このテーマで書いて、冷たかったり、暗い話にならないのは珍しいよね」って某所でお言葉頂きました。そういえばそうですね。書いてて苦しくなるので暗い話は書きたくない、ってのがあるんですが。これを言うと印象変わってしまうかもしれないんですが。……
それはまた別の某所でも言われてました。ありがとうございます。ローカルルール作りたがるでしょ? 中学生とかそんなもんでしょ。小学生っぽいかな。
時間が経つに従って「あれも、これも、ああ、あそこも」ってな具合に言い訳したくなる箇所がまだ出てくると思いますが、今のところこのくらいです。反省してます。
言い訳はこのくらいにしといて、はやりに乗って各作品の感想文、印象に残った一文を挙げておこうと思います。
ツッコミどころがいくつかあります。中学生が古文の授業を受けていたり、帰りのホームルームで「早退します」なんか言っちゃってネタとしてもお粗末な感じがしたり。誤字とか表現のくどい部分とか誤用とか、読み返すとぼろぼろ出てきて恥ずかしい限りです。書いてる最中に気付きたいものです。以下はどうしても詫びを入れたかった数箇所です。
ひさめの言葉は新潟地方の方言をベースに設定しましたが、なにしろ異邦人なので、ネイティブの方にしてみれば新潟弁には聞こえないはずです。「訛りってこんなもんだろ」的なあつかましい感じがします。ツイッター上で某氏が新潟出身だと知り、逐一校正してもらおうかと思ったんですが色々考えて断念しました。「こんなん俺の地方の言葉じゃねえ!」ってイライラされても仕方なしです。方言はもっと調査する必要があった、あるいは取り上げるべきではなかったのかもと反省してます。でも方言女子は好きです。
オチはもうごめんなさい。某所で「廣塚はどこまで本当のことを喋ったのかわからない」こんな感想を頂いたんですが、これはまさに狙ってたとこです。狙ってたとはいえ土壇場の辻褄合わせなんですが。……そう読んでいただければ幸いです。ちなみに白浜は廣塚の嘘を少なからず見抜いてますが赤司は頭から信じてます。あいつは馬鹿です。
最大の後悔は「0℃」というテーマの扱い方に納得できていないことです。拙作では単にキーワードとして出しただけにすぎません。他の作品と読み比べても、やはりどこか浮いてます。「0℃」より喪男三人組のほうに話のスジが引かれています。いくら過去の話の二次創作とはいえこれは駄目です。駄目ですよこれは。ネット同人誌ですよ? 空気読みなさいよ。「今回の話の枠外でもキャラクタが動いていて、そこも楽しかった」某所でそう言われたときは救われたような気がしましたよ。とはいえ、ほとんど白い犬アピールみたいな話になってしまったことには反省しきりです。関係各位申し訳ございません。二万字に届くかという長たらしい話になったのは明らかに悪ノリです。あの三人組が出てこなければここまで長くなることはありませんでしたが、あの落ちでなんとか平仄合わせるためには不可欠の存在になっちゃってました。申し訳。
「このテーマで書いて、冷たかったり、暗い話にならないのは珍しいよね」って某所でお言葉頂きました。そういえばそうですね。書いてて苦しくなるので暗い話は書きたくない、ってのがあるんですが。これを言うと印象変わってしまうかもしれないんですが。……
それはまた別の某所でも言われてました。ありがとうございます。ローカルルール作りたがるでしょ? 中学生とかそんなもんでしょ。小学生っぽいかな。
時間が経つに従って「あれも、これも、ああ、あそこも」ってな具合に言い訳したくなる箇所がまだ出てくると思いますが、今のところこのくらいです。反省してます。
言い訳はこのくらいにしといて、はやりに乗って各作品の感想文、印象に残った一文を挙げておこうと思います。
今回の企画は参加者から表紙まで、素晴らしい名前が勢ぞろいし、表紙に名を連ねる場違いな我がペンネームを見て、首を傾げた人も多かろうとビクビクしておりました。参加できただけで幸運でした。どこの馬の骨かもわからぬついったー新参者を快く受け入れてくれた遅筆友の会会員諸氏、締め切り迄の詳細な残り時間を逐一呟いて気をはやらせた某幹事殿、元気が出る呟きをくれた人語を解す鳥類さん。ありがとうございます。最高の企画でした。脱稿までの資料を添付するという、遅筆原因の自己探求的な要素も楽しかったですし、朗読やラジオなどで様々な人の意見を数多く聴くことができたのも、その一因だったと思います。ということで流れに乗って各作品に対して逐一文句をつけるというこれまた偉そうな感想文を書かせていただきました。泣いても笑ってもコメントはためになるなあと改めて思い知らされた次第です。誰かの役に立てれば幸いです。一部敬称略。
≪零下お手紙/観点室≫
「合コンの豹変っぷりは奈良の大仏なみに見ごたえがあると噂される新入社員の大島に、休憩室で「柏木さんって最近髪薄くなってません?」などと陰口を言われたり、私の後ろにあるコピー機で「あれ? またカミなくなっちゃってる……? あ、柏木さんの髪のことじゃないです、コピー機の紙です」などと苦笑混じりに言われたりしなくても良いのだ。」
こういう風に、トントン拍子にナレーション再生されるコミカルな表現は大好きで、私も多用してます(つもり)。このような描写を積み重ねることで、人物に厚みが出てきますね。明るい話題にはぴったりの書き方だと思います。
冒頭では回想がずらずらと続きますが、それによって主人公の思考プロセスがわかりやすくなり、親近感がわきました。この人とはお友達になってあげたいですね。あらすじも出会い、片思い、別れとわかりやすく、さっぱりして読後感爽やかです。
私は文章にひそんだギミックやらにはあまり興味を示さず、キャラ読みって言うんでしょうか、人物ばかりに気をとられて目の前の文章しか頭に入ってきてくれないライトなリーダーなんですけど、この主人公には同情しきりです。がんばれ。ハゲに立ち向かえ。サクセス!
0℃短編トップバッターとして申し分ない仕事を見せつけてくれた観点室先生。この話や二番手のアルマイト先生の話を読んだあと、拙作を呪いに呪ったのは秘密です(理由は反省文参照のこと)。そのころ半ば衝動的に書いた猛省文はもはや狂気じみており不気味です。残してますが日の目を見ることはないでしょう。上のやつは第二稿です。そこはどうでもいい。
≪袖に余るは霰なり/硬質アルマイト≫
「それからの行動はとてもスムーズでした。首をかきむしる手のうち、右だけ手袋を外すと、渾身の力をもって(人は死を認識すると、時に自分すら驚く力が出るものなのですね)振り向くと、彼の顔を肌の露出した右手で思い切り掴んだのです。
」
一文というか、この文に辿り着くまでの一連の流れが強く印象に残ってます。この辺はまさに、特異体質となった主人公が、周囲からのけ者にされる決定的な原因をつくった場面でしょう。特異体質とかなんとかいうと、冒険ファンタジーとか、ゆるふわの日常系4コマとかにすぐ結びつけちゃう、ぬるい頭の私ですが、この文の臨場感はすごいと思います。実際にどれだけ不幸な呪いをかけられてしまったのか、ということがしっかり書かれていると思いました。やっぱり特殊体質なんてアニメの中だけで十分ですね。普通が一番ですね。いちばん難しいけど。
刑事さん二人はどうしてこの家(小屋だったかな)に来たのだろう、主人公はどうして苦しくても学校に通い続けたんだろう、そんな疑問も残ったんですが、アルバイト中に構想メモを取る(しかも仕事してるふり)アルマイト先生を想像したらどうでも良くなりました。
「雪女! うわあ、ネタかぶった!」とモジモジ慌てたのは秘密です。書き方がまた違って楽しいです。あと、タイトル作成のメモを読んで、わかり易くてぴったりのタイトルだと感服いたしました。今回の企画のタイトル王に推薦です。
≪身削ぎの山/ピヨヒコ≫
「コノマの脇には、障子戸に柴犬のくるりとした尻尾と手足の生えた生き物が並走していました。それだけではありません。森の奥では首の長い象が、道の脇にはうさぎの顔をつけた岩が、木立には魚のようなひれのあるカブトムシがいました。そのいずれもがコノマの姿を見ています。あるものはコノマを見ると逃げ出し、あるものは息を荒げてコノマに近寄り凝視します。」
退いたどいた! ピヨヒコ先生のお通りだ! 感想を言うのも恐縮してしまうようなクオリティ。ジェットコースター民話だなんだ言われてますが、もうね。完成度が群を抜いてます。一体なんなんだこの人は。隙が無い。勘弁してください。ピヨヒコ先生の小説を全部読んだわけではないですが(理由は面白すぎてこっちが凹むから)安定して超品質ですね。私なんかがあれこれけちをつけるよりも、本人はどこが好きでどこが気に入らないのか(あるいはそんな箇所はあるのか)それを聞いてみたいところです。
ただ、唯一思ったことは「あれ、0℃どこだ?」ってことでした。つばき先生の懺悔ラジオにて、境界線の話を聴いて、それがもし本当にテーマの解釈として正しいのなら、ピヨヒコ先生は間違いなく天才だと思います。そしてこれを読んだ人は間違いなくレッドブル買いに走ったはず。
上の文章のあたりで、幻想世界に迷い込んだ主人公の少年は色んな物の怪と遭遇します。私は障子戸の犬が一番好きです。この一文で物語のイメージが確立しました。読み違えててもいいです。読んでからこっちはもう俺の物語です。渡さんよ!
鹿のおフダの記述が変わったり、ココアがなんだか怪しかったり、なんとなく裏設定を想像したりはしてる(完成度が群を抜いてるといいながら、変な話ですけど)んですが、プリントアウトして読み直しながらまた考えます。何度も読みたいですね。むしろこれは読者の想像力が試される短編かもしれません。
≪終の栖/近松九九≫
「 『ここ』では、死とは生命の終わりではない。
『ここ』では、死とは『彼女』の糧なのである。」
難解なお話で、三回読んでもまだ釈然としません。氷女と語り手の男の関係とか、場所に関する疑問とか、あえて書かなかったことは間違いなかろうと思いますが、なんだかそういうことばかりが気になってしまいます。書かれている非日常、というよりもはや異常、もっと言えば狂気じみたやりとりに面食らって、しかもそれ自体の説明も詳らかではなく、ゼロ距離の視界で繰り広げられるような出来事をインプットしきれないからだと思います。恐らくは、だからこそ場所や二人の関係くらいは明らかにしておきたいという衝動が、自分の中で湧き起こっているんでしょう。上に挙げた一文も、その興味を最終的には解決してくれるという期待を読者に持たせる部分だと感じます。
女の常軌を逸した行動については、もはやわかるものではないだろうと決め込んで読んでいる、というのもあります。ですから場所や二人の関係についてあれこれ詮索すること自体野暮だとも言えますし、わからないことをわからないままに受け入れる素直な精神を子供のころに捨て置いてきた(つもり)の自分としては、それでもやっぱり物足りないというか、なんだかお預けを喰らった犬のような気持ちがするのであります。裏設定や舞台背景があれば知りたいところですが、知りたくないような気もします。
ちなみに私が読んでて想像してたのは、どうしたわけか冷たい日の鉄道ガード下(くぐって通り抜けるようなちょっとしたやつ。筒抜けで照明もなく、日も出ていて明るい感じ)で、女は薄着ですが男はコートを着ており、食われた男は裸でした。
近松先生は検索するだけでズラリと作品名が並び、私なんかよりたくさん書かれてて、こんな意見を述べるのは尻込みしてしまいますけれど。佐崎黄昏でその名を知ったような俄かファンの私が言うのもおこがましいですが、この短編は新しい試みか何か、そういう初爆のアイドルアップ的な排気ガス臭さを感じてます。なんとなく佐崎~の書き方と通ずるところはありますね。細かく追及すると違うんですけど。ついったーで耽美系と呟いていたのはおぼろげな記憶に残ってます。何か意図があってのこととは思うんですが、さてどうなんでしょうか。
≪パンドラの箱に何も残らなかったら/53≫
「小汚い暖簾が掛かった居酒屋に入ると、カウンターに彼女は居た。変な男二人が彼女に声をかけていた。
「可愛いねー」
「可愛くないー」
「え、可愛いって。ずっと一人だよね?一緒に飲まない?」
「飲まないー」
こんな小汚い居酒屋でよくナンパなんて出来るなと感心しながら、彼女に近づいた。
「ごめん、お待たせ」
「待った!!ちょーーーー待った!!遅すぎるんだけど!!そのせいで私今ナンパされてるんですけど!!」」
こういうやりとりをしてみたいです。潤いが欲しいです。なんとあの53先生がこんなにかわいいオトナ女子を書きましたよ! 裏切られたよ! そんな感じです。
この話は別れの物語なのか許しの物語なのか、そういう議論をぽつぽつ目の当たりにしたんですが、私は後者だと思います。お互いに普段口に出さなかったけれどモヤモヤわだかまっていた思いを打ち明けて、もとさや。それでいいじゃん。人間関係なんてそれくらい単純でいいじゃん。と自分都合の解釈で何度か読み返しました。
しかしその解釈でいくと、この物語はゴールデンタイムのテレビドラマばりにベタベタで甘あまなオトナの恋愛物語になってしまいますね。あれ、私はそういう話は嫌いのはずだったのに、なぜだろう。しかし53先生王道もいけるんですね。むしろ私はそっちのほうが読みたいです。リアルな生活風景を上手に書かれる方ですし、ため息混じりの人物描写はくせになります。
泥酔エッセイを読むと、書いてあることは鬼畜ですが書き方は軽やかでのどごし抜群だったりします。タイトルで読まず嫌いしたり一話だけ読んで放置したりしてるお話がたくさんあるので(←失礼)これからチェックしに行きたくなりました。
ただ唯一、先生の肝臓が心配です。あと、男に関してハゲの話は切実なので少しは気を遣ってくださいお願いします……
≪絶対零度の音響少女/七瀬楓≫
「画面に映っていたのは、ランドマークタワーだった。」
拙作とベクトルが同じ方向に向いてる気がします。勝手にライバル視をしております。印象に残った文といえばもうこれしかないでしょう。もはや伝家の宝刀ですね。破壊力ある単語ランドマークタワー。それから以降はもう安心して読めました。どんな展開もドンと来いとどっしり構えましたね。さらにはこれが高次発言になってないところがうまい。「「……なんで?」」この切り返しに爆笑した人は私ひとりではないはず。なんでじゃねえよっ。
ヒロインのヘッドホン女子は非常にすきなキャラクタです。面倒くさい振りをしている、本当は人一倍気を遣うたちなんでしょうか。クラスにいたら周りに誰もいないときに喋りかけたいですね。この物語の主人公よろしく。気になってしまうんですよね。そういうひと。本当はものすごく優しい性格なんですよ。優しいからこそ臆病なんですよ。
主人公を自分とダブらせて読める、気分のいいハッピーエンドでした。キャラ読み嗜好の私にとっておいしくいただけたのです。
≪融点付近/白い犬≫
きみはもっと空気を読んだほうがいい。なんだかんだ好評だからといって図に乗るのは止めたほうがいい。某先生のリスペクトに多大の感謝を。
≪春過ぎて嗅ぐ冬の印象/つばき≫
「半分くらい削ってて自分でその量にびっくりしてそう」とまるで自分のいびきにびっくりして起きる犬みたいな感じの扱いを受けたのですが、」
難しかったー。いや、難しくはないんです。深読みしなきゃならない小説はとんと苦手なんだと再発見しました。九九会長やピヨヒコ先生の話みたいに、読後も頭を抱えてしまうような物語でした。読みが浅いのは自覚してます。というのはいろんな人の感想やレビューなど聴いたり読んだりした後のことで、私自身ははじめから終わりまですらすらと読み進めて「うん、おしまい」て言って満足してたんですけど。弟は姉が好きだったのかもとかそういうことは新しい発見でした。「そうだったのか」と。なんだか自分がばかみたいに思えてしまったのでその後読み直して、記憶が飛んでる部分もいくつかあって、「ああなるほどそう読めないこともないけどなあ証拠が無い」ってなって、やっぱり印象は一回目と変わらず、「お姉ちゃん気の毒やで…」それしかわかりませんでした。自分がばかみたいです。
しかし深読みに耐える小説を書けるってのはすごいですね。あらを探そうとしても出てこない気がします。実際出てきません。もともと弟を見る目に偏執があり、主観一人称で書かれる文からは主人公の捻くれた性格がにじみ出ています。さらにはそんな主人公からみても変人というか異質というか、そんな性格のヒキタサユリと何度か会話せざるをえない状況にあり、いよいよ主人公が気の毒で仕方が無かった。もっとそれが別の人だったら救われたりしたんじゃなかろうか。あの子は突き放しすぎですよ。それに対して主人公は自分で考えろ、って言われて呆然としてる小さな子供みたいです。泣いたって何も解決しない。子供には慰めてくれる親が必要です。駄々をこねても手を振り回しても、はいはいと言って抱きしめてあげて、顔をはたかれても強く引き寄せてくれる存在が必要ですよ。救いがないとは思いたくないですが、この先も主人公は弟の影を引きずって生きていくのかと考えただけでもう気の毒です。ああ、もう彼女にイケメンでお金持ちでスポーツ選手的な絶対無敵の素敵な男性が現れてくれんことを祈ります。男でなくても何らかの幸せを貪って生きていって欲しいです。宝くじが当たるとか。金か。男じゃないものを考えて第一番に金か。いやね、世の中の大抵のことはお金を積めば解決しますからね。死んだ人は戻りませんがお金があれば生活を続けられます。ああ気の毒。
印象に残った一文としてあとがき資料から引き出すのはアホとしか言いようが無いですが、自分のいびきにびっくりして起きる犬が好きです。猫より犬派です。断然ね、譲らんよ! ……というのも、この物語のどこか一部分を切り取ってしまうのに気が引けたんです。全体がカッチリひと塊になっていて隙がない。ピヨヒコ先生とはまた別の意味で隙が無い印象です。読みごたえありとはこの小説の感想にぴったりだと思います。
≪停車時間/黒兎玖乃≫
「「知ってる? 私もうすぐ死ぬんだって」
「ああ、うん。知ってる」
いてて。そう答えたら耳たぶを横に引っ張られた。
「馬鹿。危機感なさすぎ。私が突然いなくなったらどうするつもりなの?」
「探す。手当たり次第に探す」
「もし探しても見つからなかったら?」
「もし、ってそんな仮定的状況、陥ってみないと分からないじゃないか」
「回りくどい。何かの受け売り?」
「僕の好きな小説の一文だったりしてね」
いててて。二度目はさらに痛い。」
かわいいですね。しかしこれ五回まで続くんですよね。「まさか四度目があるとは仏も思わなかっただろう。」ここまで好きです。ベタで。五度目は以下省略されてショボンってなっちゃいました。しかしメタはいません。高次発言ですね。小説の中で“まるで小説のような”って言っちゃったらショボンってなるでしょ。それと一緒でだめです。手癖といわれてるのは残念ですが、もう少し丁寧に書いて欲しかった感は残ります。「終着駅は、」これで切ってる部分にはハッとさせられましたが、もっとその他を詰めて書いていたらこれが際立ったのかな、なんて思いました。
いくつかわかり難い表現がありました。重ね重ねですが惜しい物語です。ここに全ては挙げませんが、「土曜日なのに電車の酸素は今日も多い。」これが一番難解でした。人が多いから? だったらむしろ二酸化炭素かなあとか。自他共に認める速筆家であらせられる黒兎先生ですがもう少し時間をかけていただきたかった。
≪表紙/ハトヤ≫
いやもうすんばらしいですね。「ガチ文芸ぽい」とは本人ついったーからの引用ですが、新潮文庫の古い版なんかはこんな感じですね。思いついたので手元にあるのが梶井基次郎の檸檬。平成三年五十八刷分。と思って本棚から引き出してみたら「あれ、ちょっと違う」。言ってることはわけがわかりませんがなんだかビビビとくる霊感(いんすぴれーしょん、と読んでください)を感じたのは確かです。らーらーら、ららーら、こと、ばに、できなーい。この表紙に名前が載ったことを誇りに思います。家宝にします。孫の代まで引き継がせます。既に自宅のパソコン二台とスマホ一台の壁紙はこれです。専用のフラッシュメモリ買って来て容量一杯にコピーして持ち歩きたいです。「なに? それ」って訊かれても「フフ、ちひつむりを知らぬ者にはわかるまい……」とか呟いて白い目で見られたいです。普段仕事場では糞害しかもたらさない憎き鳩ヤロウを少しは可愛がれるようになると思います。鳩孝行します。私が言うのもなんですが感謝してます。制作日誌的な資料も見れて、絵描きさんの専門知識の奥深さと知られざる創意工夫にため息が出るばかりでした。最高でした!
<オワリです>
≪零下お手紙/観点室≫
「合コンの豹変っぷりは奈良の大仏なみに見ごたえがあると噂される新入社員の大島に、休憩室で「柏木さんって最近髪薄くなってません?」などと陰口を言われたり、私の後ろにあるコピー機で「あれ? またカミなくなっちゃってる……? あ、柏木さんの髪のことじゃないです、コピー機の紙です」などと苦笑混じりに言われたりしなくても良いのだ。」
こういう風に、トントン拍子にナレーション再生されるコミカルな表現は大好きで、私も多用してます(つもり)。このような描写を積み重ねることで、人物に厚みが出てきますね。明るい話題にはぴったりの書き方だと思います。
冒頭では回想がずらずらと続きますが、それによって主人公の思考プロセスがわかりやすくなり、親近感がわきました。この人とはお友達になってあげたいですね。あらすじも出会い、片思い、別れとわかりやすく、さっぱりして読後感爽やかです。
私は文章にひそんだギミックやらにはあまり興味を示さず、キャラ読みって言うんでしょうか、人物ばかりに気をとられて目の前の文章しか頭に入ってきてくれないライトなリーダーなんですけど、この主人公には同情しきりです。がんばれ。ハゲに立ち向かえ。サクセス!
0℃短編トップバッターとして申し分ない仕事を見せつけてくれた観点室先生。この話や二番手のアルマイト先生の話を読んだあと、拙作を呪いに呪ったのは秘密です(理由は反省文参照のこと)。そのころ半ば衝動的に書いた猛省文はもはや狂気じみており不気味です。残してますが日の目を見ることはないでしょう。上のやつは第二稿です。そこはどうでもいい。
≪袖に余るは霰なり/硬質アルマイト≫
「それからの行動はとてもスムーズでした。首をかきむしる手のうち、右だけ手袋を外すと、渾身の力をもって(人は死を認識すると、時に自分すら驚く力が出るものなのですね)振り向くと、彼の顔を肌の露出した右手で思い切り掴んだのです。
」
一文というか、この文に辿り着くまでの一連の流れが強く印象に残ってます。この辺はまさに、特異体質となった主人公が、周囲からのけ者にされる決定的な原因をつくった場面でしょう。特異体質とかなんとかいうと、冒険ファンタジーとか、ゆるふわの日常系4コマとかにすぐ結びつけちゃう、ぬるい頭の私ですが、この文の臨場感はすごいと思います。実際にどれだけ不幸な呪いをかけられてしまったのか、ということがしっかり書かれていると思いました。やっぱり特殊体質なんてアニメの中だけで十分ですね。普通が一番ですね。いちばん難しいけど。
刑事さん二人はどうしてこの家(小屋だったかな)に来たのだろう、主人公はどうして苦しくても学校に通い続けたんだろう、そんな疑問も残ったんですが、アルバイト中に構想メモを取る(しかも仕事してるふり)アルマイト先生を想像したらどうでも良くなりました。
「雪女! うわあ、ネタかぶった!」とモジモジ慌てたのは秘密です。書き方がまた違って楽しいです。あと、タイトル作成のメモを読んで、わかり易くてぴったりのタイトルだと感服いたしました。今回の企画のタイトル王に推薦です。
≪身削ぎの山/ピヨヒコ≫
「コノマの脇には、障子戸に柴犬のくるりとした尻尾と手足の生えた生き物が並走していました。それだけではありません。森の奥では首の長い象が、道の脇にはうさぎの顔をつけた岩が、木立には魚のようなひれのあるカブトムシがいました。そのいずれもがコノマの姿を見ています。あるものはコノマを見ると逃げ出し、あるものは息を荒げてコノマに近寄り凝視します。」
退いたどいた! ピヨヒコ先生のお通りだ! 感想を言うのも恐縮してしまうようなクオリティ。ジェットコースター民話だなんだ言われてますが、もうね。完成度が群を抜いてます。一体なんなんだこの人は。隙が無い。勘弁してください。ピヨヒコ先生の小説を全部読んだわけではないですが(理由は面白すぎてこっちが凹むから)安定して超品質ですね。私なんかがあれこれけちをつけるよりも、本人はどこが好きでどこが気に入らないのか(あるいはそんな箇所はあるのか)それを聞いてみたいところです。
ただ、唯一思ったことは「あれ、0℃どこだ?」ってことでした。つばき先生の懺悔ラジオにて、境界線の話を聴いて、それがもし本当にテーマの解釈として正しいのなら、ピヨヒコ先生は間違いなく天才だと思います。そしてこれを読んだ人は間違いなくレッドブル買いに走ったはず。
上の文章のあたりで、幻想世界に迷い込んだ主人公の少年は色んな物の怪と遭遇します。私は障子戸の犬が一番好きです。この一文で物語のイメージが確立しました。読み違えててもいいです。読んでからこっちはもう俺の物語です。渡さんよ!
鹿のおフダの記述が変わったり、ココアがなんだか怪しかったり、なんとなく裏設定を想像したりはしてる(完成度が群を抜いてるといいながら、変な話ですけど)んですが、プリントアウトして読み直しながらまた考えます。何度も読みたいですね。むしろこれは読者の想像力が試される短編かもしれません。
≪終の栖/近松九九≫
「 『ここ』では、死とは生命の終わりではない。
『ここ』では、死とは『彼女』の糧なのである。」
難解なお話で、三回読んでもまだ釈然としません。氷女と語り手の男の関係とか、場所に関する疑問とか、あえて書かなかったことは間違いなかろうと思いますが、なんだかそういうことばかりが気になってしまいます。書かれている非日常、というよりもはや異常、もっと言えば狂気じみたやりとりに面食らって、しかもそれ自体の説明も詳らかではなく、ゼロ距離の視界で繰り広げられるような出来事をインプットしきれないからだと思います。恐らくは、だからこそ場所や二人の関係くらいは明らかにしておきたいという衝動が、自分の中で湧き起こっているんでしょう。上に挙げた一文も、その興味を最終的には解決してくれるという期待を読者に持たせる部分だと感じます。
女の常軌を逸した行動については、もはやわかるものではないだろうと決め込んで読んでいる、というのもあります。ですから場所や二人の関係についてあれこれ詮索すること自体野暮だとも言えますし、わからないことをわからないままに受け入れる素直な精神を子供のころに捨て置いてきた(つもり)の自分としては、それでもやっぱり物足りないというか、なんだかお預けを喰らった犬のような気持ちがするのであります。裏設定や舞台背景があれば知りたいところですが、知りたくないような気もします。
ちなみに私が読んでて想像してたのは、どうしたわけか冷たい日の鉄道ガード下(くぐって通り抜けるようなちょっとしたやつ。筒抜けで照明もなく、日も出ていて明るい感じ)で、女は薄着ですが男はコートを着ており、食われた男は裸でした。
近松先生は検索するだけでズラリと作品名が並び、私なんかよりたくさん書かれてて、こんな意見を述べるのは尻込みしてしまいますけれど。佐崎黄昏でその名を知ったような俄かファンの私が言うのもおこがましいですが、この短編は新しい試みか何か、そういう初爆のアイドルアップ的な排気ガス臭さを感じてます。なんとなく佐崎~の書き方と通ずるところはありますね。細かく追及すると違うんですけど。ついったーで耽美系と呟いていたのはおぼろげな記憶に残ってます。何か意図があってのこととは思うんですが、さてどうなんでしょうか。
≪パンドラの箱に何も残らなかったら/53≫
「小汚い暖簾が掛かった居酒屋に入ると、カウンターに彼女は居た。変な男二人が彼女に声をかけていた。
「可愛いねー」
「可愛くないー」
「え、可愛いって。ずっと一人だよね?一緒に飲まない?」
「飲まないー」
こんな小汚い居酒屋でよくナンパなんて出来るなと感心しながら、彼女に近づいた。
「ごめん、お待たせ」
「待った!!ちょーーーー待った!!遅すぎるんだけど!!そのせいで私今ナンパされてるんですけど!!」」
こういうやりとりをしてみたいです。潤いが欲しいです。なんとあの53先生がこんなにかわいいオトナ女子を書きましたよ! 裏切られたよ! そんな感じです。
この話は別れの物語なのか許しの物語なのか、そういう議論をぽつぽつ目の当たりにしたんですが、私は後者だと思います。お互いに普段口に出さなかったけれどモヤモヤわだかまっていた思いを打ち明けて、もとさや。それでいいじゃん。人間関係なんてそれくらい単純でいいじゃん。と自分都合の解釈で何度か読み返しました。
しかしその解釈でいくと、この物語はゴールデンタイムのテレビドラマばりにベタベタで甘あまなオトナの恋愛物語になってしまいますね。あれ、私はそういう話は嫌いのはずだったのに、なぜだろう。しかし53先生王道もいけるんですね。むしろ私はそっちのほうが読みたいです。リアルな生活風景を上手に書かれる方ですし、ため息混じりの人物描写はくせになります。
泥酔エッセイを読むと、書いてあることは鬼畜ですが書き方は軽やかでのどごし抜群だったりします。タイトルで読まず嫌いしたり一話だけ読んで放置したりしてるお話がたくさんあるので(←失礼)これからチェックしに行きたくなりました。
ただ唯一、先生の肝臓が心配です。あと、男に関してハゲの話は切実なので少しは気を遣ってくださいお願いします……
≪絶対零度の音響少女/七瀬楓≫
「画面に映っていたのは、ランドマークタワーだった。」
拙作とベクトルが同じ方向に向いてる気がします。勝手にライバル視をしております。印象に残った文といえばもうこれしかないでしょう。もはや伝家の宝刀ですね。破壊力ある単語ランドマークタワー。それから以降はもう安心して読めました。どんな展開もドンと来いとどっしり構えましたね。さらにはこれが高次発言になってないところがうまい。「「……なんで?」」この切り返しに爆笑した人は私ひとりではないはず。なんでじゃねえよっ。
ヒロインのヘッドホン女子は非常にすきなキャラクタです。面倒くさい振りをしている、本当は人一倍気を遣うたちなんでしょうか。クラスにいたら周りに誰もいないときに喋りかけたいですね。この物語の主人公よろしく。気になってしまうんですよね。そういうひと。本当はものすごく優しい性格なんですよ。優しいからこそ臆病なんですよ。
主人公を自分とダブらせて読める、気分のいいハッピーエンドでした。キャラ読み嗜好の私にとっておいしくいただけたのです。
≪融点付近/白い犬≫
きみはもっと空気を読んだほうがいい。なんだかんだ好評だからといって図に乗るのは止めたほうがいい。某先生のリスペクトに多大の感謝を。
≪春過ぎて嗅ぐ冬の印象/つばき≫
「半分くらい削ってて自分でその量にびっくりしてそう」とまるで自分のいびきにびっくりして起きる犬みたいな感じの扱いを受けたのですが、」
難しかったー。いや、難しくはないんです。深読みしなきゃならない小説はとんと苦手なんだと再発見しました。九九会長やピヨヒコ先生の話みたいに、読後も頭を抱えてしまうような物語でした。読みが浅いのは自覚してます。というのはいろんな人の感想やレビューなど聴いたり読んだりした後のことで、私自身ははじめから終わりまですらすらと読み進めて「うん、おしまい」て言って満足してたんですけど。弟は姉が好きだったのかもとかそういうことは新しい発見でした。「そうだったのか」と。なんだか自分がばかみたいに思えてしまったのでその後読み直して、記憶が飛んでる部分もいくつかあって、「ああなるほどそう読めないこともないけどなあ証拠が無い」ってなって、やっぱり印象は一回目と変わらず、「お姉ちゃん気の毒やで…」それしかわかりませんでした。自分がばかみたいです。
しかし深読みに耐える小説を書けるってのはすごいですね。あらを探そうとしても出てこない気がします。実際出てきません。もともと弟を見る目に偏執があり、主観一人称で書かれる文からは主人公の捻くれた性格がにじみ出ています。さらにはそんな主人公からみても変人というか異質というか、そんな性格のヒキタサユリと何度か会話せざるをえない状況にあり、いよいよ主人公が気の毒で仕方が無かった。もっとそれが別の人だったら救われたりしたんじゃなかろうか。あの子は突き放しすぎですよ。それに対して主人公は自分で考えろ、って言われて呆然としてる小さな子供みたいです。泣いたって何も解決しない。子供には慰めてくれる親が必要です。駄々をこねても手を振り回しても、はいはいと言って抱きしめてあげて、顔をはたかれても強く引き寄せてくれる存在が必要ですよ。救いがないとは思いたくないですが、この先も主人公は弟の影を引きずって生きていくのかと考えただけでもう気の毒です。ああ、もう彼女にイケメンでお金持ちでスポーツ選手的な絶対無敵の素敵な男性が現れてくれんことを祈ります。男でなくても何らかの幸せを貪って生きていって欲しいです。宝くじが当たるとか。金か。男じゃないものを考えて第一番に金か。いやね、世の中の大抵のことはお金を積めば解決しますからね。死んだ人は戻りませんがお金があれば生活を続けられます。ああ気の毒。
印象に残った一文としてあとがき資料から引き出すのはアホとしか言いようが無いですが、自分のいびきにびっくりして起きる犬が好きです。猫より犬派です。断然ね、譲らんよ! ……というのも、この物語のどこか一部分を切り取ってしまうのに気が引けたんです。全体がカッチリひと塊になっていて隙がない。ピヨヒコ先生とはまた別の意味で隙が無い印象です。読みごたえありとはこの小説の感想にぴったりだと思います。
≪停車時間/黒兎玖乃≫
「「知ってる? 私もうすぐ死ぬんだって」
「ああ、うん。知ってる」
いてて。そう答えたら耳たぶを横に引っ張られた。
「馬鹿。危機感なさすぎ。私が突然いなくなったらどうするつもりなの?」
「探す。手当たり次第に探す」
「もし探しても見つからなかったら?」
「もし、ってそんな仮定的状況、陥ってみないと分からないじゃないか」
「回りくどい。何かの受け売り?」
「僕の好きな小説の一文だったりしてね」
いててて。二度目はさらに痛い。」
かわいいですね。しかしこれ五回まで続くんですよね。「まさか四度目があるとは仏も思わなかっただろう。」ここまで好きです。ベタで。五度目は以下省略されてショボンってなっちゃいました。しかしメタはいません。高次発言ですね。小説の中で“まるで小説のような”って言っちゃったらショボンってなるでしょ。それと一緒でだめです。手癖といわれてるのは残念ですが、もう少し丁寧に書いて欲しかった感は残ります。「終着駅は、」これで切ってる部分にはハッとさせられましたが、もっとその他を詰めて書いていたらこれが際立ったのかな、なんて思いました。
いくつかわかり難い表現がありました。重ね重ねですが惜しい物語です。ここに全ては挙げませんが、「土曜日なのに電車の酸素は今日も多い。」これが一番難解でした。人が多いから? だったらむしろ二酸化炭素かなあとか。自他共に認める速筆家であらせられる黒兎先生ですがもう少し時間をかけていただきたかった。
≪表紙/ハトヤ≫
いやもうすんばらしいですね。「ガチ文芸ぽい」とは本人ついったーからの引用ですが、新潮文庫の古い版なんかはこんな感じですね。思いついたので手元にあるのが梶井基次郎の檸檬。平成三年五十八刷分。と思って本棚から引き出してみたら「あれ、ちょっと違う」。言ってることはわけがわかりませんがなんだかビビビとくる霊感(いんすぴれーしょん、と読んでください)を感じたのは確かです。らーらーら、ららーら、こと、ばに、できなーい。この表紙に名前が載ったことを誇りに思います。家宝にします。孫の代まで引き継がせます。既に自宅のパソコン二台とスマホ一台の壁紙はこれです。専用のフラッシュメモリ買って来て容量一杯にコピーして持ち歩きたいです。「なに? それ」って訊かれても「フフ、ちひつむりを知らぬ者にはわかるまい……」とか呟いて白い目で見られたいです。普段仕事場では糞害しかもたらさない憎き鳩ヤロウを少しは可愛がれるようになると思います。鳩孝行します。私が言うのもなんですが感謝してます。制作日誌的な資料も見れて、絵描きさんの専門知識の奥深さと知られざる創意工夫にため息が出るばかりでした。最高でした!
<オワリです>
身削ぎの山を読み込む
序、動機の提示
ピヨヒコ氏の遅筆企画参加作品『身削ぎの山』の衝撃は大変なものであった。読後、私は物語の外側に、目には見えぬが意思を持つ巨大なナニモノかが息をしているのを、確かに感じ取ったのである。それは不気味な存在感で私を威嚇し続けたのである。
この物語には必ず裏側がある。それが気になってしょうがない。しかもそれは綿密に隙を埋めた、揺るぎない基礎の上に成り立っているとみて間違いないだろう。でもなければ私がこれほど執着するわけもないのである。
この物語の展開の早さと爽快な結末は特筆すべき長所である。一読しただけで充分満足することができる完成度はしかし、熟考を重ねたであろう裏設定が、その背後でぴったりと物語を支えているからこそ、実感できるものなのだ。
その裏側を覗いてみたい気分である。大体からしてちらちらと垣間見えて落ち着かないのである。ここらで一度、私は自分の考えを整理する必要に迫られたのである。
半ば霊感的な発想から思いついたような、分不相応ともいえる個人企画である。以下の諸処には間違いもあれば、読者の鼻につくような書き方になった部分もあるに違いない。掲載後の苦情や攻撃は甘んじて受け入れる所存である。
一、目的の提示
読み解くとはいえ、この短編の謎と不可解はテンコ盛りである。膨大である。いちいち検証したり推測したりするのは私も疲れるし、読者にとってもうざったいであろう。よって対象を限定し、簡潔な目的を提示することが親切である。
○コノマはどこにいたのか。
○そこはどんな場所だったのか。
○コノマの体験と現状にどのような因果関係があるのか。
ざっとこの三つを解決すれば、この物語の不可解の穴埋めとして、おおよその範囲を補うことができそうに思える。そして実際、それらの問題は解決した。衝撃の解釈にご期待あれである。
二、単刀直入に言おう
実はこの日記じみた論文を完成させるまで、既に二度の書き直しを経ている。ようやく文章としての体裁が保てたようであり、しかし心身はボロ布のように成り果てた。すったもんだの悪戦苦闘があったのである。第一稿は目もあてられぬほどに滅茶苦茶であり、第二稿はようやく結論までこじつけたものの、読み直すと回りくどく、さらには高慢ちきな書き方になっていた。だからもう小細工はしない。ぜんぶ一遍に片付けてやろうと思う。この短編を読み解くカギは日付である。それは必要不可欠の情報であり、同時に最も親切といえる語り手の配慮である。分量を間違えたコーヒーが苦い。
三、時系列について
“十二月五日の午後は良く晴れて”いたのである。ピヨヒコ氏は書き出しから伏線を張っていたのである。
コノマはその日にソリで空を飛んで気を失った。雪遊びも早々に大転倒するものだから、雲の上から見ていたカミサマも大いにうろたえたことだと思う。
次に“祖母はコノマを助けた二日後の十二月八日に他界”したという記述がある。逆算してみると、祖母がコノマを助けた日付は十二月六日であるのがわかる。コノマは十二月五日のよく晴れた午後に裏山で倒れたのだから、少なくとも一晩は雪の中で昏倒していたという衝撃の事実がここで浮かび上がる。祖母の日記の“寒かったろうに”とはそういうことである。ちなみにこの記述にも二重の意味が隠されていると私はにらんでいる。
祖母の日記も時系列を考える上で重要な資料になる。コノマが夢幻世界の祖母の部屋で見つけた日記の最終頁の記述と、後日談でコノマが遺品の中から見つけた祖母の日記の最終頁の記述が違っているのは、あれは単に、祖母が日記を書き進めたというだけの話である。それから頁を何枚か逆に繰ると、夢幻世界でコノマが読んだ文面も簡単に見つけ出せたはずである。
従って、祖母の日記の記述が前後で食い違っていることを不思議がる必要はない。祖母の日記には確かに、この物語の謎と不可解を解くための最も重要な情報が隠されているが、記述は変化したわけではなく、書き進められたのだということを納得してもらえれば、ここでは充分である。鹿頭のお札の記述も、私からすれば時系列を考えるためのいち資料に過ぎない。
四、鹿と祖母について
この二者(三者といった方が正確か)を結び付かせうる情報は本文中に散在しており、今さらそれを疑うことは無粋である。よって棄却する。
ここで、鹿頭のおフダと祖母の日記の、それぞれ記述を比較してみよう。面白い展開が導かれる。おフダのほうはこうだ。
「己が非力をげに嘆き 雄雄しき鹿を憧憬す 我が身果てても許すべからず」
二度目に見たときは書き改めてあった。記述が変わったのはごく短期間の出来事である。しかし、ここではとりあえず、記述の変化の件については放っておく。
「コト八日に堕獄 見逃し難き非違につき」
次は日記である。最終頁の文面であるが、二種ある理由は前項で既に述べた。まずは時系列的に前のもの。
「見つかる。窪地に淀む魔を恨まずにおられようか。己が無力に涙が止まらない。寒かったろうに。寒かったろうに。」
下は後のもの。
「見つけた。あの子の為なら命など惜しいものか。私は今、とても幸せだ。」
四つの記述を比較してみて、内容を祖母と関連付けて考えてみて、なにか不審に思った点はないだろうか。日記はともかくとして、鹿のおフダは誰によって書かれたのかと思わなかっただろうか。
書かれ方は明らかに違っており、両極端である。日記のほうは(まあ、当たり前に)主観的な文面であるが、おフダのほうは客観的である。誰か別の者が、祖母について観察や記録を残したような印象である。それは誰の手によるものか。文字が書かれたということは、それを書いた者が存在するとみて間違いないはずだ。
何を隠そう、これこそ私が『目には見えぬが意思を持つ巨大なナニモノか』の存在を主張する根拠である。きっと何かがいるのだろう。
それと、鹿頭のおフダの記述では“コト八日に堕獄”の部分を忘れてはならない。十二月八日は祖母の没した日付である。やはりこれは祖母について書かれたものであるのがわかる。ちなみに“コト”は祖母の名前であるとみて間違いないだろう。いちおう古語文法的な扱いを疑って、辞書を引いてはみたが新しい発見は得られなかった。
六、身削ぎの山SF論
私が特に主張したいのは、この短編はサイエンス・フィクションだということである。
タイムパラドクスの要素さえ孕んでおり、そのカラクリは予想よりも難解である。私は祖母の日記を時間の流れに沿って解釈し、祖母の行動を推察することでしか、読み解く手順を思いつくことができなかった。
ただし、前置いておきたいことがある。コノマの夢幻体験を実際あったこととして肯定すること、祖母を一定以上特別視すること、証拠はなくあくまで推論であること。
では始める。
十二月五日午後、コノマが裏山で転んで昏倒、そのまま雪に埋もれゆく彼に死が迫る。
同日、日が暮れても戻らぬ孫を心配する祖母。“己が非力をげに嘆き 雄雄しき鹿を憧憬”する。
十二月六日夕刻、祖母は裏山の窪地でコノマが倒れているのを見つける。負ぶって山を駆け下りる。コノマは病院に搬送された。祖母は日記に“見つかる”と記した。
十二月五日午後、裏山に寝転がっていたコノマは祖母の顔をした鹿に頬を舐められ覚醒する。理解に苦しむ異形どもに囲まれている。自分の家に帰らねばならないと思い至る。
十二月五日午後、様子のおかしい我が家に帰宅したコノマはココアと祖母の日記を見つける。コノマは祖母を呼ぶ。鹿頭が祖母の声で答えた。
十二月六日十九時、祖母は自室でコノマの声を聞いた。祖母は日記に“見つけた”と記した。“命に代えても”孫を助け出す決心をする。
祖母は十二月五日の午後に未だ取り残されたままのコノマを助けるため、時の流れに干渉した。そしてコノマの時計の針を再び動かすことに成功した。
しかしそれは“見逃し難き非違”であり、あってはならないことだった。十二月八日、祖母の命はナニモノかによって絶たれ、祖母は“堕獄”させられた。
十二月六日の夕刻、本来の時の流れに合流することができたコノマは病院に搬送され、以後特筆すべき点もなく回復。
後日、コノマは祖母の葬式で弔問客に自分の体験を話す。取り合ってもらえない。
更にずっと後の正月、大人になったコノマは祖母の遺品の中に日記を見つけて、幼い頃の体験を思い出す。裏山の窪地のそばに赤い実のなる矮樹を見つける。
――以上。これにて時系列の辻褄は合わせられたはずである。
七、終わりに寄せて
蛇足かもしれないけれど、私自身のおさらいも兼ねて、命題と結論を再提示します。
○コノマはどこにいたのか。
○そこはどんな場所だったのか。
○コノマの体験と現状にどのような因果関係があるのか。
∴そこは時間軸の抜け落ちた異次元空間である。
∴そこは時間に置き去りにされた者の中継地である。
∴コノマは祖母の時間干渉により、その場所から脱出することができた。その代わり祖母は命を絶たれた。
無粋な補足であります。他の読者にとっては物語のイメージを破壊してしまいかねないですね。正直に言うと、これらの想像を掲載することは、そのような理由からも引け目しか感じていないんですが、一度この企画を宣言してしまった以上、もう後には退けないのであります。
ピヨヒコ氏にしてみれば、そんな義理を立てられるいわれなどない、と思われる向きもありましょう。しかしながら、これを読んだ方々の、件の短編を議論する機会が再び増すことがあれば、などと思っていたりもするのであります。
恐惶謹言。
<オワリ>
序、動機の提示
ピヨヒコ氏の遅筆企画参加作品『身削ぎの山』の衝撃は大変なものであった。読後、私は物語の外側に、目には見えぬが意思を持つ巨大なナニモノかが息をしているのを、確かに感じ取ったのである。それは不気味な存在感で私を威嚇し続けたのである。
この物語には必ず裏側がある。それが気になってしょうがない。しかもそれは綿密に隙を埋めた、揺るぎない基礎の上に成り立っているとみて間違いないだろう。でもなければ私がこれほど執着するわけもないのである。
この物語の展開の早さと爽快な結末は特筆すべき長所である。一読しただけで充分満足することができる完成度はしかし、熟考を重ねたであろう裏設定が、その背後でぴったりと物語を支えているからこそ、実感できるものなのだ。
その裏側を覗いてみたい気分である。大体からしてちらちらと垣間見えて落ち着かないのである。ここらで一度、私は自分の考えを整理する必要に迫られたのである。
半ば霊感的な発想から思いついたような、分不相応ともいえる個人企画である。以下の諸処には間違いもあれば、読者の鼻につくような書き方になった部分もあるに違いない。掲載後の苦情や攻撃は甘んじて受け入れる所存である。
一、目的の提示
読み解くとはいえ、この短編の謎と不可解はテンコ盛りである。膨大である。いちいち検証したり推測したりするのは私も疲れるし、読者にとってもうざったいであろう。よって対象を限定し、簡潔な目的を提示することが親切である。
○コノマはどこにいたのか。
○そこはどんな場所だったのか。
○コノマの体験と現状にどのような因果関係があるのか。
ざっとこの三つを解決すれば、この物語の不可解の穴埋めとして、おおよその範囲を補うことができそうに思える。そして実際、それらの問題は解決した。衝撃の解釈にご期待あれである。
二、単刀直入に言おう
実はこの日記じみた論文を完成させるまで、既に二度の書き直しを経ている。ようやく文章としての体裁が保てたようであり、しかし心身はボロ布のように成り果てた。すったもんだの悪戦苦闘があったのである。第一稿は目もあてられぬほどに滅茶苦茶であり、第二稿はようやく結論までこじつけたものの、読み直すと回りくどく、さらには高慢ちきな書き方になっていた。だからもう小細工はしない。ぜんぶ一遍に片付けてやろうと思う。この短編を読み解くカギは日付である。それは必要不可欠の情報であり、同時に最も親切といえる語り手の配慮である。分量を間違えたコーヒーが苦い。
三、時系列について
“十二月五日の午後は良く晴れて”いたのである。ピヨヒコ氏は書き出しから伏線を張っていたのである。
コノマはその日にソリで空を飛んで気を失った。雪遊びも早々に大転倒するものだから、雲の上から見ていたカミサマも大いにうろたえたことだと思う。
次に“祖母はコノマを助けた二日後の十二月八日に他界”したという記述がある。逆算してみると、祖母がコノマを助けた日付は十二月六日であるのがわかる。コノマは十二月五日のよく晴れた午後に裏山で倒れたのだから、少なくとも一晩は雪の中で昏倒していたという衝撃の事実がここで浮かび上がる。祖母の日記の“寒かったろうに”とはそういうことである。ちなみにこの記述にも二重の意味が隠されていると私はにらんでいる。
祖母の日記も時系列を考える上で重要な資料になる。コノマが夢幻世界の祖母の部屋で見つけた日記の最終頁の記述と、後日談でコノマが遺品の中から見つけた祖母の日記の最終頁の記述が違っているのは、あれは単に、祖母が日記を書き進めたというだけの話である。それから頁を何枚か逆に繰ると、夢幻世界でコノマが読んだ文面も簡単に見つけ出せたはずである。
従って、祖母の日記の記述が前後で食い違っていることを不思議がる必要はない。祖母の日記には確かに、この物語の謎と不可解を解くための最も重要な情報が隠されているが、記述は変化したわけではなく、書き進められたのだということを納得してもらえれば、ここでは充分である。鹿頭のお札の記述も、私からすれば時系列を考えるためのいち資料に過ぎない。
四、鹿と祖母について
この二者(三者といった方が正確か)を結び付かせうる情報は本文中に散在しており、今さらそれを疑うことは無粋である。よって棄却する。
ここで、鹿頭のおフダと祖母の日記の、それぞれ記述を比較してみよう。面白い展開が導かれる。おフダのほうはこうだ。
「己が非力をげに嘆き 雄雄しき鹿を憧憬す 我が身果てても許すべからず」
二度目に見たときは書き改めてあった。記述が変わったのはごく短期間の出来事である。しかし、ここではとりあえず、記述の変化の件については放っておく。
「コト八日に堕獄 見逃し難き非違につき」
次は日記である。最終頁の文面であるが、二種ある理由は前項で既に述べた。まずは時系列的に前のもの。
「見つかる。窪地に淀む魔を恨まずにおられようか。己が無力に涙が止まらない。寒かったろうに。寒かったろうに。」
下は後のもの。
「見つけた。あの子の為なら命など惜しいものか。私は今、とても幸せだ。」
四つの記述を比較してみて、内容を祖母と関連付けて考えてみて、なにか不審に思った点はないだろうか。日記はともかくとして、鹿のおフダは誰によって書かれたのかと思わなかっただろうか。
書かれ方は明らかに違っており、両極端である。日記のほうは(まあ、当たり前に)主観的な文面であるが、おフダのほうは客観的である。誰か別の者が、祖母について観察や記録を残したような印象である。それは誰の手によるものか。文字が書かれたということは、それを書いた者が存在するとみて間違いないはずだ。
何を隠そう、これこそ私が『目には見えぬが意思を持つ巨大なナニモノか』の存在を主張する根拠である。きっと何かがいるのだろう。
それと、鹿頭のおフダの記述では“コト八日に堕獄”の部分を忘れてはならない。十二月八日は祖母の没した日付である。やはりこれは祖母について書かれたものであるのがわかる。ちなみに“コト”は祖母の名前であるとみて間違いないだろう。いちおう古語文法的な扱いを疑って、辞書を引いてはみたが新しい発見は得られなかった。
六、身削ぎの山SF論
私が特に主張したいのは、この短編はサイエンス・フィクションだということである。
タイムパラドクスの要素さえ孕んでおり、そのカラクリは予想よりも難解である。私は祖母の日記を時間の流れに沿って解釈し、祖母の行動を推察することでしか、読み解く手順を思いつくことができなかった。
ただし、前置いておきたいことがある。コノマの夢幻体験を実際あったこととして肯定すること、祖母を一定以上特別視すること、証拠はなくあくまで推論であること。
では始める。
十二月五日午後、コノマが裏山で転んで昏倒、そのまま雪に埋もれゆく彼に死が迫る。
同日、日が暮れても戻らぬ孫を心配する祖母。“己が非力をげに嘆き 雄雄しき鹿を憧憬”する。
十二月六日夕刻、祖母は裏山の窪地でコノマが倒れているのを見つける。負ぶって山を駆け下りる。コノマは病院に搬送された。祖母は日記に“見つかる”と記した。
十二月五日午後、裏山に寝転がっていたコノマは祖母の顔をした鹿に頬を舐められ覚醒する。理解に苦しむ異形どもに囲まれている。自分の家に帰らねばならないと思い至る。
十二月五日午後、様子のおかしい我が家に帰宅したコノマはココアと祖母の日記を見つける。コノマは祖母を呼ぶ。鹿頭が祖母の声で答えた。
十二月六日十九時、祖母は自室でコノマの声を聞いた。祖母は日記に“見つけた”と記した。“命に代えても”孫を助け出す決心をする。
祖母は十二月五日の午後に未だ取り残されたままのコノマを助けるため、時の流れに干渉した。そしてコノマの時計の針を再び動かすことに成功した。
しかしそれは“見逃し難き非違”であり、あってはならないことだった。十二月八日、祖母の命はナニモノかによって絶たれ、祖母は“堕獄”させられた。
十二月六日の夕刻、本来の時の流れに合流することができたコノマは病院に搬送され、以後特筆すべき点もなく回復。
後日、コノマは祖母の葬式で弔問客に自分の体験を話す。取り合ってもらえない。
更にずっと後の正月、大人になったコノマは祖母の遺品の中に日記を見つけて、幼い頃の体験を思い出す。裏山の窪地のそばに赤い実のなる矮樹を見つける。
――以上。これにて時系列の辻褄は合わせられたはずである。
七、終わりに寄せて
蛇足かもしれないけれど、私自身のおさらいも兼ねて、命題と結論を再提示します。
○コノマはどこにいたのか。
○そこはどんな場所だったのか。
○コノマの体験と現状にどのような因果関係があるのか。
∴そこは時間軸の抜け落ちた異次元空間である。
∴そこは時間に置き去りにされた者の中継地である。
∴コノマは祖母の時間干渉により、その場所から脱出することができた。その代わり祖母は命を絶たれた。
無粋な補足であります。他の読者にとっては物語のイメージを破壊してしまいかねないですね。正直に言うと、これらの想像を掲載することは、そのような理由からも引け目しか感じていないんですが、一度この企画を宣言してしまった以上、もう後には退けないのであります。
ピヨヒコ氏にしてみれば、そんな義理を立てられるいわれなどない、と思われる向きもありましょう。しかしながら、これを読んだ方々の、件の短編を議論する機会が再び増すことがあれば、などと思っていたりもするのであります。
恐惶謹言。
<オワリ>
レッドブルとコーラを混ぜてみたけれど、べつにまずくもおいしくもない。
(01/22 23:39)
カチガラス、歩む姿が可愛くて「え? カチガラス?」ああ、知らないの。
(01/22 23:40)
ジミヘンのかき鳴らすギター遠のいて、ガム噛む音が聞こえる自室。
(01/22 23:41)
どんどどだどんだどんどんだん、しゃん、どんどどだどんだどんどんだん。
(01/22 23:46)
各局のらじおDJナビゲータ、さすがに難なく涼しい声で。
(01/22 23:47)
「ご存知、ただいまお送りした曲は、きゃりーぱみゅぱみゅぽんぽんぽんです」
(01/22 23:50)
頭上に目覚まし時計をのせた、ルービックキューブがまだらな色で。
(01/22 23:51)
いつからかぼくの名前はそういえば、真ん中の「い」がどかへ消えたよ?
(01/22 23:53)
キジバトの選択以外にありますか? たとえばハトなら、ドバトではなく。
(01/22 23:58)
おれのことを手足のようにご随意に。頭のあなたがぐらぐらしないで。
(01/22 23:59)
二十余年、ベッドのうえで続けてる。「あと五分だけ」のあざといねごと。
(01/23 00:02)
目に見えぬものは触れられぬのですよ。あせり、いらだち、しせん、かげぐち。
(01/23 00:06)
苦しみを糧に労い、慰め、笑顔、優しさを糧に漸進、展望。
(01/23 00:08)
ひとまずはそれで一応成り立っている。色んなものに目を伏せている。
(01/23 00:08)
仕事とか、生活の愚痴をこぼすなら、君は黙って小説でも書いてろ。
(01/23 00:10)
それは魔法、言葉でそのときをここまで。無二の景色を切り取るのです。
(01/23 00:12)
優しさを量り売りするまちの売り子。なんだか疲れた顔に見えるが。
(01/23 00:13)
ないですよ。何も面白くないですよ。なにをへらへらしてるんですか。
(01/23 00:16)
帰りたい。帰宅願望膨張茫洋、転職まであとふた月の冬。
(01/23 00:17)
ともすれば、そうねそうかも、そうだけど。そうかもしらんがあんたはきらいだ。
(01/23 00:18)
恐らくは、何の思い入れもないだろう、靴が一揃え投げ込まれてる。
(01/23 00:20)
なにげなし気になる呟きよくみてみると、なにげの主体は五七五で。
(01/23 00:22)
ぼくとおれ、わたしが交代交代に、ひとりの男を動かしています。
(01/23 00:23)
字余りと、たわらまナントカ現象を結局どうにもできていません。
(01/23 00:24)
さよならで別れたくない青春は、いつも「またね」と手を振っていた。
(01/23 00:25)
交通を妨げてまで友達の横を並んではしる自転車。
(01/23 00:26)
挨拶の例の魔法の魔力より、破格に強いぞ今度の魔法。
(01/23 00:33)
悲しみを抱いて歩んでゆくために、笑顔がそこにはあってほしいです。
(01/23 00:34)
のぞみならそれほど多くはないのです。なるべく遠くへ、なるべく遠くへ。
(01/23 00:35)
言葉だけ分からぬだけで笑顔の奥のこころを疑うだめな男です。
(01/23 00:37)
黄色い柑橘入れられた網。ラベルが張りつけてあり「メークイン」
(01/23 00:40)
おれには理解のできない愛が、どこぞで切り売りされてるらしいね。
(01/23 00:40)
台本を読み上げついえてしまうなら、そのまま動くな。燃やしてやろう。
(01/23 00:42)
「わたがしをほおばる君の夢を見た」と。十年以上も「昔の君の」
(01/23 00:43)
「まゆゆ、って?」「だれそれ」「しらん」「おそらくは、オタクに好かれるようなやつ」「ああ」
(01/23 00:44)
引いて引く。あなたはええ、そう言いますが。ぼくはどうしても足してしまいます。
(01/23 00:47)
わがわんこ。おれはあたまを撫でたいのだが。きみは寄り、喉をおしつける。
(01/23 00:49)
小川でカモが水浴びをする。寒くないのだろうなあいつら。
(01/23 00:49)
怪しげな、もう見るからに怪しげな、その中華屋はWifiがつかえる。
(01/23 00:51)
ふむ、おれが何事をつぶやかねども、社会は騒がしいので黙ろう。
(01/23 00:53)
ひと時を、あるいは一瞬の未来を、あったことにするおれの幽波紋。
(01/23 00:54)
先の端の、その先に立つ彼の人の、言葉はやはり宇宙語のよう。
(01/23 00:55)
ごとごとごとがたがたと、うるさいはずの工事の音は、つけまつげの勢いに負けてる。
(01/23 00:56)
普段だと、未だ仕事の真っ最中で。そうか戦争に巻き込まれたか。
(01/23 00:57)
おれの後ろに二台も光が続けばストレスフルロード。
(01/23 00:58)
すぐ前に箱バン軽が滑り込み、セルビデオ屋に右折してった。
(01/23 00:59)
ハンドルと新聞握り締めるおっさんの、車とすれ違う通勤路。
(01/23 01:00)
ぼくたちの町には随分似合わない日野製V型10気筒。
(01/23 01:01)
好奇の目、きらりとひかり、濡れ羽色、さっとはためく。そんな一瞬。
(01/23 01:02)
週末の工事現場のお留守番、トイレの扉をくぐりどこかへ。
(01/23 01:02)
「もしおれが」女に生まれていたならば、スエード編み上げブーツを履きたい。
(01/23 01:04)
秋山雅史によく似た男が、キョロキョロしながら歩いてくるよ。
(01/23 01:05)
君はよく何言ってるかもわからぬような、遠い異国の歌をよく聴く
(01/23 01:06)
「アーチスト? 馬鹿を言うなよ。君たちはフィロソフィストと名乗るべきだろ!」
(01/23 01:07)
ラジオから70年のポールみたいなポップソングが流れ続ける。
(01/23 01:08)
持ち物はちゃんと確認したつもりだが。「『昨日』をどうも、忘れてきちゃって」
(01/23 01:12)
コンビニで売ってるような愛をみな、これから蹴り飛ばしに行きますか?
(01/23 01:14)
憧れを口にするのはもうやめる。後悔を予行練習しない。
(01/23 01:15)
工場の端っこのほうの窓ガラス、ハトがぶつかった跡が二ヶ所ある。
(01/23 01:16)
尻尾を丸めた身近な季節を、君とおれだけの秘密にしようか。
(01/23 01:21)
(01/22 23:39)
カチガラス、歩む姿が可愛くて「え? カチガラス?」ああ、知らないの。
(01/22 23:40)
ジミヘンのかき鳴らすギター遠のいて、ガム噛む音が聞こえる自室。
(01/22 23:41)
どんどどだどんだどんどんだん、しゃん、どんどどだどんだどんどんだん。
(01/22 23:46)
各局のらじおDJナビゲータ、さすがに難なく涼しい声で。
(01/22 23:47)
「ご存知、ただいまお送りした曲は、きゃりーぱみゅぱみゅぽんぽんぽんです」
(01/22 23:50)
頭上に目覚まし時計をのせた、ルービックキューブがまだらな色で。
(01/22 23:51)
いつからかぼくの名前はそういえば、真ん中の「い」がどかへ消えたよ?
(01/22 23:53)
キジバトの選択以外にありますか? たとえばハトなら、ドバトではなく。
(01/22 23:58)
おれのことを手足のようにご随意に。頭のあなたがぐらぐらしないで。
(01/22 23:59)
二十余年、ベッドのうえで続けてる。「あと五分だけ」のあざといねごと。
(01/23 00:02)
目に見えぬものは触れられぬのですよ。あせり、いらだち、しせん、かげぐち。
(01/23 00:06)
苦しみを糧に労い、慰め、笑顔、優しさを糧に漸進、展望。
(01/23 00:08)
ひとまずはそれで一応成り立っている。色んなものに目を伏せている。
(01/23 00:08)
仕事とか、生活の愚痴をこぼすなら、君は黙って小説でも書いてろ。
(01/23 00:10)
それは魔法、言葉でそのときをここまで。無二の景色を切り取るのです。
(01/23 00:12)
優しさを量り売りするまちの売り子。なんだか疲れた顔に見えるが。
(01/23 00:13)
ないですよ。何も面白くないですよ。なにをへらへらしてるんですか。
(01/23 00:16)
帰りたい。帰宅願望膨張茫洋、転職まであとふた月の冬。
(01/23 00:17)
ともすれば、そうねそうかも、そうだけど。そうかもしらんがあんたはきらいだ。
(01/23 00:18)
恐らくは、何の思い入れもないだろう、靴が一揃え投げ込まれてる。
(01/23 00:20)
なにげなし気になる呟きよくみてみると、なにげの主体は五七五で。
(01/23 00:22)
ぼくとおれ、わたしが交代交代に、ひとりの男を動かしています。
(01/23 00:23)
字余りと、たわらまナントカ現象を結局どうにもできていません。
(01/23 00:24)
さよならで別れたくない青春は、いつも「またね」と手を振っていた。
(01/23 00:25)
交通を妨げてまで友達の横を並んではしる自転車。
(01/23 00:26)
挨拶の例の魔法の魔力より、破格に強いぞ今度の魔法。
(01/23 00:33)
悲しみを抱いて歩んでゆくために、笑顔がそこにはあってほしいです。
(01/23 00:34)
のぞみならそれほど多くはないのです。なるべく遠くへ、なるべく遠くへ。
(01/23 00:35)
言葉だけ分からぬだけで笑顔の奥のこころを疑うだめな男です。
(01/23 00:37)
黄色い柑橘入れられた網。ラベルが張りつけてあり「メークイン」
(01/23 00:40)
おれには理解のできない愛が、どこぞで切り売りされてるらしいね。
(01/23 00:40)
台本を読み上げついえてしまうなら、そのまま動くな。燃やしてやろう。
(01/23 00:42)
「わたがしをほおばる君の夢を見た」と。十年以上も「昔の君の」
(01/23 00:43)
「まゆゆ、って?」「だれそれ」「しらん」「おそらくは、オタクに好かれるようなやつ」「ああ」
(01/23 00:44)
引いて引く。あなたはええ、そう言いますが。ぼくはどうしても足してしまいます。
(01/23 00:47)
わがわんこ。おれはあたまを撫でたいのだが。きみは寄り、喉をおしつける。
(01/23 00:49)
小川でカモが水浴びをする。寒くないのだろうなあいつら。
(01/23 00:49)
怪しげな、もう見るからに怪しげな、その中華屋はWifiがつかえる。
(01/23 00:51)
ふむ、おれが何事をつぶやかねども、社会は騒がしいので黙ろう。
(01/23 00:53)
ひと時を、あるいは一瞬の未来を、あったことにするおれの幽波紋。
(01/23 00:54)
先の端の、その先に立つ彼の人の、言葉はやはり宇宙語のよう。
(01/23 00:55)
ごとごとごとがたがたと、うるさいはずの工事の音は、つけまつげの勢いに負けてる。
(01/23 00:56)
普段だと、未だ仕事の真っ最中で。そうか戦争に巻き込まれたか。
(01/23 00:57)
おれの後ろに二台も光が続けばストレスフルロード。
(01/23 00:58)
すぐ前に箱バン軽が滑り込み、セルビデオ屋に右折してった。
(01/23 00:59)
ハンドルと新聞握り締めるおっさんの、車とすれ違う通勤路。
(01/23 01:00)
ぼくたちの町には随分似合わない日野製V型10気筒。
(01/23 01:01)
好奇の目、きらりとひかり、濡れ羽色、さっとはためく。そんな一瞬。
(01/23 01:02)
週末の工事現場のお留守番、トイレの扉をくぐりどこかへ。
(01/23 01:02)
「もしおれが」女に生まれていたならば、スエード編み上げブーツを履きたい。
(01/23 01:04)
秋山雅史によく似た男が、キョロキョロしながら歩いてくるよ。
(01/23 01:05)
君はよく何言ってるかもわからぬような、遠い異国の歌をよく聴く
(01/23 01:06)
「アーチスト? 馬鹿を言うなよ。君たちはフィロソフィストと名乗るべきだろ!」
(01/23 01:07)
ラジオから70年のポールみたいなポップソングが流れ続ける。
(01/23 01:08)
持ち物はちゃんと確認したつもりだが。「『昨日』をどうも、忘れてきちゃって」
(01/23 01:12)
コンビニで売ってるような愛をみな、これから蹴り飛ばしに行きますか?
(01/23 01:14)
憧れを口にするのはもうやめる。後悔を予行練習しない。
(01/23 01:15)
工場の端っこのほうの窓ガラス、ハトがぶつかった跡が二ヶ所ある。
(01/23 01:16)
尻尾を丸めた身近な季節を、君とおれだけの秘密にしようか。
(01/23 01:21)
【短歌速記集(あるいはその残骸)】
風すさぶ、荒野の端の午前四時、ひさしまぶかに飾り布は揺れ。
(01/23 22:30)
都合のよい神が目の前に現れて、わたしになにかくれるというなら。
(01/23 22:30)
ウミガメの卵か葡萄の房のようなパチンコ屋の電飾がまぶしい。
(01/23 22:31)
そのようなことをあなたに言われずと、わかってますとも! わかってますとも。
(01/23 22:34)
よくも悪びれずに言えたよね「またね」 軟弱者は独りで呑んでろ。
(01/23 22:36)
おなかいっぱいで力がでないのですよ。「彼奴は丸腰」「武士の情けじゃ」
(01/23 22:50)
浪人に扮する名優仲代達矢。「切腹」三十分をみのがす。
(01/23 22:53)
「小作人とゴマは搾れば搾るだけ」などと笑った代官がいたね。
(01/23 22:55)
コーヒーよ我にカフェインを与えたも。愚痴との境界線が見えない。
(01/23 22:58)
ほめないでください、私は放っといて。すぐに図に乗るタイプですから。
(01/23 23:00)
五時までは昼休みです、二時からは。営業時間をよく見といてね。
(01/23 23:02)
朝食を済ませたからねケロッグで。四時半中華屋でなに食うか。
(01/23 23:04)
「オツリデス」「今度は時間を守ります」「アリャターター」疎通はかれず。
(01/23 23:09)
苦笑い、万国共通普遍の心理「面倒くさい奴だなこいつ」
(01/23 23:11)
腕を組みCDショップを漂う男、歩いて十分「よしかばん買おう」
(01/23 23:15)
「これあけてみてもいいです?」「はいどうぞ」「あ、すいませんあけたいんです」
(01/23 23:17)
「革だから、時間が経てば飴色に」それを期待してるのですフフフ。
(01/23 23:18)
「あえて言おう」ぼくの短所はどこですか。「真顔で冗談飛ばすとこかな」
(01/23 23:34)
見て驚くな、ルーラーと、カリキュレータが一緒になった文房具です。
(01/23 23:52)
爪切りを手にした後に指先を、気にしてパチパチやりはじめる夜。
(01/23 23:53)
帰路、抜け道の一時停止で思い出す。まるいものです。銀色の。
(01/23 23:57)
ついでだし、あそこでコーヒー飲んでこう。寄り道のための本は持ってる。
(01/24 00:00)
日をまたぎ、明日が今日になりそうですから。そろそろレッドブル、お時間です。
(01/24 00:04)
16:30に食べた炒飯と回鍋肉、明け方にようやく落ち着きました。
(01/24 03:10)
どれくらい、そうですね強いていうのなら。その程度だと思ってください。
(01/24 03:12)
今日得た知識の嬉しい発見、回鍋肉の肉はぶたにく。
(01/24 03:13)
今のままでは当月は中華屋に、三人は誘い込まれますよね。
(01/24 03:16)
くしゃみを我慢するような、例の偉人の同じ顔。三人もです。
(01/24 03:18)
不眠、いや再起のための青の赤牛、わたくしにさえも翼を?
(01/24 03:26)
服装にあまり執着はないといえ、街の鏡でたまに自戒する。
(01/24 03:35)
今日買った一生付き合う覚悟のかばんと、釣合うようなひとになります。
(01/24 03:36)
一芸に秀でる職人、尊敬します。それこそフィギュアの職人さんも。
(01/24 03:39)
憧れを強く正しく抱かねば、きっと間違ったほうへ向かいます。
(01/24 03:41)
「若造が、知ったような言葉をよくも」うるせえ先輩面しやがって。
(01/24 03:42)
「特技は」と、聞かれたら「ふむ」勿体つけて「自分と延々会話ができます」
(01/24 03:44)
例えるとまさしく日記、速記帳。現状これで精一杯です。
(01/24 03:48)
風すさぶ、荒野の端の午前四時、ひさしまぶかに飾り布は揺れ。
(01/23 22:30)
都合のよい神が目の前に現れて、わたしになにかくれるというなら。
(01/23 22:30)
ウミガメの卵か葡萄の房のようなパチンコ屋の電飾がまぶしい。
(01/23 22:31)
そのようなことをあなたに言われずと、わかってますとも! わかってますとも。
(01/23 22:34)
よくも悪びれずに言えたよね「またね」 軟弱者は独りで呑んでろ。
(01/23 22:36)
おなかいっぱいで力がでないのですよ。「彼奴は丸腰」「武士の情けじゃ」
(01/23 22:50)
浪人に扮する名優仲代達矢。「切腹」三十分をみのがす。
(01/23 22:53)
「小作人とゴマは搾れば搾るだけ」などと笑った代官がいたね。
(01/23 22:55)
コーヒーよ我にカフェインを与えたも。愚痴との境界線が見えない。
(01/23 22:58)
ほめないでください、私は放っといて。すぐに図に乗るタイプですから。
(01/23 23:00)
五時までは昼休みです、二時からは。営業時間をよく見といてね。
(01/23 23:02)
朝食を済ませたからねケロッグで。四時半中華屋でなに食うか。
(01/23 23:04)
「オツリデス」「今度は時間を守ります」「アリャターター」疎通はかれず。
(01/23 23:09)
苦笑い、万国共通普遍の心理「面倒くさい奴だなこいつ」
(01/23 23:11)
腕を組みCDショップを漂う男、歩いて十分「よしかばん買おう」
(01/23 23:15)
「これあけてみてもいいです?」「はいどうぞ」「あ、すいませんあけたいんです」
(01/23 23:17)
「革だから、時間が経てば飴色に」それを期待してるのですフフフ。
(01/23 23:18)
「あえて言おう」ぼくの短所はどこですか。「真顔で冗談飛ばすとこかな」
(01/23 23:34)
見て驚くな、ルーラーと、カリキュレータが一緒になった文房具です。
(01/23 23:52)
爪切りを手にした後に指先を、気にしてパチパチやりはじめる夜。
(01/23 23:53)
帰路、抜け道の一時停止で思い出す。まるいものです。銀色の。
(01/23 23:57)
ついでだし、あそこでコーヒー飲んでこう。寄り道のための本は持ってる。
(01/24 00:00)
日をまたぎ、明日が今日になりそうですから。そろそろレッドブル、お時間です。
(01/24 00:04)
16:30に食べた炒飯と回鍋肉、明け方にようやく落ち着きました。
(01/24 03:10)
どれくらい、そうですね強いていうのなら。その程度だと思ってください。
(01/24 03:12)
今日得た知識の嬉しい発見、回鍋肉の肉はぶたにく。
(01/24 03:13)
今のままでは当月は中華屋に、三人は誘い込まれますよね。
(01/24 03:16)
くしゃみを我慢するような、例の偉人の同じ顔。三人もです。
(01/24 03:18)
不眠、いや再起のための青の赤牛、わたくしにさえも翼を?
(01/24 03:26)
服装にあまり執着はないといえ、街の鏡でたまに自戒する。
(01/24 03:35)
今日買った一生付き合う覚悟のかばんと、釣合うようなひとになります。
(01/24 03:36)
一芸に秀でる職人、尊敬します。それこそフィギュアの職人さんも。
(01/24 03:39)
憧れを強く正しく抱かねば、きっと間違ったほうへ向かいます。
(01/24 03:41)
「若造が、知ったような言葉をよくも」うるせえ先輩面しやがって。
(01/24 03:42)
「特技は」と、聞かれたら「ふむ」勿体つけて「自分と延々会話ができます」
(01/24 03:44)
例えるとまさしく日記、速記帳。現状これで精一杯です。
(01/24 03:48)
【仙人の夢です】
桃源郷で霞を食べて苔むして、精一杯の愚痴のつもりです。
(01/25 00:02)
おれのため世界よ回れと考えて、そりゃつまらんぞと考えなおす。
(01/25 00:06)
こんにちはいらっしゃいませ本日の来店プレゼントのこれバブです。
(01/25 00:07)
エコカーです。お手軽な環境破壊法。ハイブリッドをゼヒ一台。
(01/25 00:17)
今エコでさっきは少しエコでない「車がいちいちやかましいので」
(01/25 00:20)
ヨーリンチ(チキン南蛮のマヨなし)を五目そばのスープで流し込む。
(01/25 05:12)
本日はドーピングをしていないので今目が覚めて。喉が痛いです。
(01/25 05:15)
当座嫌いな言葉はエコとがんばろう日本とバナナかな。
(01/25 05:33)
積み上げるレッドブルウォール、強いて言うならお守りのようなものです。
(01/25 05:35)
食べたくば勝手に持ってきたらいいでしょう。昼食と言い張れば良い。
(01/25 05:40)
寒いですコタツで短歌をよんでます歯につきにくいガムを噛みながら。
(01/25 05:43)
あくる日のスタートダッシュを考慮して腹八分目が大人ですよ。
(01/25 05:46)
大食が罪ならおれは大罪人。でもねおいしいからねしらない。
(01/25 05:48)
明六つは良い時間です。
(01/25 05:54)
そろそろです。家にいるのはわたしひとりです。
(01/25 05:55)
街が皆寝静まるような星の夜に点滅交差点の下に立つ。
(01/25 05:59)
おしずかに。息さえここでは慎重に。心が凪いでいるのです。今。
(01/25 06:02)
桃源郷で霞を食べて苔むして、精一杯の愚痴のつもりです。
(01/25 00:02)
おれのため世界よ回れと考えて、そりゃつまらんぞと考えなおす。
(01/25 00:06)
こんにちはいらっしゃいませ本日の来店プレゼントのこれバブです。
(01/25 00:07)
エコカーです。お手軽な環境破壊法。ハイブリッドをゼヒ一台。
(01/25 00:17)
今エコでさっきは少しエコでない「車がいちいちやかましいので」
(01/25 00:20)
ヨーリンチ(チキン南蛮のマヨなし)を五目そばのスープで流し込む。
(01/25 05:12)
本日はドーピングをしていないので今目が覚めて。喉が痛いです。
(01/25 05:15)
当座嫌いな言葉はエコとがんばろう日本とバナナかな。
(01/25 05:33)
積み上げるレッドブルウォール、強いて言うならお守りのようなものです。
(01/25 05:35)
食べたくば勝手に持ってきたらいいでしょう。昼食と言い張れば良い。
(01/25 05:40)
寒いですコタツで短歌をよんでます歯につきにくいガムを噛みながら。
(01/25 05:43)
あくる日のスタートダッシュを考慮して腹八分目が大人ですよ。
(01/25 05:46)
大食が罪ならおれは大罪人。でもねおいしいからねしらない。
(01/25 05:48)
明六つは良い時間です。
(01/25 05:54)
そろそろです。家にいるのはわたしひとりです。
(01/25 05:55)
街が皆寝静まるような星の夜に点滅交差点の下に立つ。
(01/25 05:59)
おしずかに。息さえここでは慎重に。心が凪いでいるのです。今。
(01/25 06:02)
【倦怠ナパーム弾三発目】
敏感な誰かの耳が聴き取った雪が自らをたしかめる音。
(01/26 01:05)
人の名は呼ばれることで成り立つように小説もまた同じことです。
(01/26 01:06)
キジバトが冬の照り葉の梢を揺らし首を捻ってこちらを見ている。
(01/26 01:08)
お勧めの飯屋どこかと君が問い「ただし一人前で二倍ある」
(01/26 01:13)
「てんさい」と読むお手軽な言葉あり。ここはどれほど暖かい街!
(01/27 01:02)
真実は多数が支持するものでなく、隠されたものと思ってました。
(01/27 01:04)
おれみたいなのに話しかけるから君は田舎くさく見えるのだよ。
(01/27 01:07)
中華屋で食事を済ませ、あと半刻。静かな明日を迎えそうです。
(01/27 01:13)
視界凍て、ぼうぼうと唸るデフロスター。運転席で解氷待機中。
(01/27 01:15)
「人影が!」物見やぐらに北の風。冬の小僧の寒太郎です。
(01/27 01:17)
あの山がどう呼ばれてるか知らないが、雪を被ってとても甘そう。
(01/27 01:20)
鮮やかな水色ソーダぶくぶくと空の水面に浮く絹の泡。
(01/27 01:25)
見上げれば蛍光管が十重二十重。「シャングリ=ラ?」まさか、馬鹿げてる。
(01/27 01:29)
「意味なんかないさ」とあなたは笑います。パープル・ヘイズが鼻につきます。
(01/27 01:30)
山田氏が帰られたので「さあ先輩、そろそろ店仕舞いをはじめましょう」
(01/27 01:32)
自動車とバイクは期待したほどの自由を運んでくれなかったね。
(01/27 01:34)
自販機の眩い光に吸い寄せられて、ちょうどぴったりのお時間ですよ。
(01/27 01:37)
沈む夜の栓たる陰より魔性出づ、金弧の月はにやりと嗤う。
(01/27 01:43)
真実にきみの車と行きつけの中華屋のにおいが換わらぬのだよ。
(01/27 01:44)
敏感な誰かの耳が聴き取った雪が自らをたしかめる音。
(01/26 01:05)
人の名は呼ばれることで成り立つように小説もまた同じことです。
(01/26 01:06)
キジバトが冬の照り葉の梢を揺らし首を捻ってこちらを見ている。
(01/26 01:08)
お勧めの飯屋どこかと君が問い「ただし一人前で二倍ある」
(01/26 01:13)
「てんさい」と読むお手軽な言葉あり。ここはどれほど暖かい街!
(01/27 01:02)
真実は多数が支持するものでなく、隠されたものと思ってました。
(01/27 01:04)
おれみたいなのに話しかけるから君は田舎くさく見えるのだよ。
(01/27 01:07)
中華屋で食事を済ませ、あと半刻。静かな明日を迎えそうです。
(01/27 01:13)
視界凍て、ぼうぼうと唸るデフロスター。運転席で解氷待機中。
(01/27 01:15)
「人影が!」物見やぐらに北の風。冬の小僧の寒太郎です。
(01/27 01:17)
あの山がどう呼ばれてるか知らないが、雪を被ってとても甘そう。
(01/27 01:20)
鮮やかな水色ソーダぶくぶくと空の水面に浮く絹の泡。
(01/27 01:25)
見上げれば蛍光管が十重二十重。「シャングリ=ラ?」まさか、馬鹿げてる。
(01/27 01:29)
「意味なんかないさ」とあなたは笑います。パープル・ヘイズが鼻につきます。
(01/27 01:30)
山田氏が帰られたので「さあ先輩、そろそろ店仕舞いをはじめましょう」
(01/27 01:32)
自動車とバイクは期待したほどの自由を運んでくれなかったね。
(01/27 01:34)
自販機の眩い光に吸い寄せられて、ちょうどぴったりのお時間ですよ。
(01/27 01:37)
沈む夜の栓たる陰より魔性出づ、金弧の月はにやりと嗤う。
(01/27 01:43)
真実にきみの車と行きつけの中華屋のにおいが換わらぬのだよ。
(01/27 01:44)
ひら仮名のひとことに込めよ我が思い「あなたのことが好きです」つたわれ!
(01/29 02:21)
かなしみにこれはよく似た感覚で一平ちゃんで済まされる程度。
(01/29 02:33)
行きつけの顔なじみたちが膝を突き、たとえば「今日は来ないね」なんて。
(01/29 02:52)
ぬはは既に我には効かぬレッドブル千八百円分の抜け殻。
(01/29 02:59)
午前四時、喉の渇きで目が覚める。気が触れたように水をもとめる。
(01/29 03:15)
写真でも映画でもない三十一字の配達予定はいつにしますか。
(01/31 00:21)
望みなら記憶力なり。「如何ほどの?」夜毎の夢を覚える程度の。
(01/31 00:24)
「この歳で何もない場所でころんだの」すりむいた膝に消毒液を。
(02/01 23:57)
「もったいない」が、かさばって。半月浮かぶ夜だから、ぜんぶ捨てましょ。
(02/02 00:00)
テレビなど窓の向こうに投げ捨てよ。忘れずに止めを刺しておけ。
(02/02 00:04)
真っ先に恋に落ちたる両耳が、みすがたよりも声を求めおる。
(02/02 00:05)
いい加減食傷気味の「愛してる」おまけ程度でいいんじゃないの?
(02/03 00:55)
好きさえも、もうすぐぼくは、飽き、疎み、嫌いになって忘れていきます。
(02/03 01:01)
厳冬に発熱機関は全稼動。古い呪いの伝達法1。
(02/03 01:03)
骨の多い番傘のような雨避けをひざがしら赤き女子が差し。
(02/03 01:07)
(01/29 02:21)
かなしみにこれはよく似た感覚で一平ちゃんで済まされる程度。
(01/29 02:33)
行きつけの顔なじみたちが膝を突き、たとえば「今日は来ないね」なんて。
(01/29 02:52)
ぬはは既に我には効かぬレッドブル千八百円分の抜け殻。
(01/29 02:59)
午前四時、喉の渇きで目が覚める。気が触れたように水をもとめる。
(01/29 03:15)
写真でも映画でもない三十一字の配達予定はいつにしますか。
(01/31 00:21)
望みなら記憶力なり。「如何ほどの?」夜毎の夢を覚える程度の。
(01/31 00:24)
「この歳で何もない場所でころんだの」すりむいた膝に消毒液を。
(02/01 23:57)
「もったいない」が、かさばって。半月浮かぶ夜だから、ぜんぶ捨てましょ。
(02/02 00:00)
テレビなど窓の向こうに投げ捨てよ。忘れずに止めを刺しておけ。
(02/02 00:04)
真っ先に恋に落ちたる両耳が、みすがたよりも声を求めおる。
(02/02 00:05)
いい加減食傷気味の「愛してる」おまけ程度でいいんじゃないの?
(02/03 00:55)
好きさえも、もうすぐぼくは、飽き、疎み、嫌いになって忘れていきます。
(02/03 01:01)
厳冬に発熱機関は全稼動。古い呪いの伝達法1。
(02/03 01:03)
骨の多い番傘のような雨避けをひざがしら赤き女子が差し。
(02/03 01:07)
【個人的吸上げメモ】
「お嬢さん、これからどちらへ」「古書店へ。今日読むための本を探しに」
あしもとに空あり私、逆立ちをして両足の靴を放すの。
来年は冬の信濃川へゆこうよおじろわしのあの啼きを聴こうよ。
濃く甘く少しだけ冷めた赤い箱運んでくれた手乗り鷹『く号』
あの歌はいいねと誰かが言ったけど二の句を継げるのはやめておく。
「寒いです」の言い訳ひとつで毎朝を見送り暖かい国へ。
ふんわりとシュークリームに包まれた、おかしですかね、きぼうですかね。
雨露をしのぐ旅でも僕でした。どこまで行けど僕がいました。
ごみ捨てと派手な未納金振り込みと、ぼくは早起き苦手なのにね。
名前だけずっと前から知っていた即席めんを今日食べてみる。
「カモシカとヤギは親戚だよ、あの目」「それはいいけど遅刻するわよ」
「稲びかり轟かすならこの太鼓!」電気市です。シーズンオフです。
本来は無意味に意味を求むことこそが私たちの仕事です。
白銀の街で笑っていられるように、羽織を一枚、私にください。
ただ声が大きい人が指を差し「これが芸術だ」と親切に。
ケロッグをむさぼりながら「本日は休日である」と宣言します。
母曰く、電子レンジのない時代「蒸したご飯はおいしくないわよ」
「もうダメだしにたい。ころしてくれ」だとか、おれを感動させてから言え。
砂の城波に飲まれて消えゆく、とジミヘンだって歌ってただろ。
衝突も喧嘩も言い争いもない。役割を分けるだけの遊び。
「そうですね」強いて理由を言うのなら、それはあなたが禿げているから。
友よきけ、話をきけよ我が友よ。旧き友、話をきいてくれ。
とつがわ、けいぶは、むずかしい、かおで、テープレ、コーダ、-に、ききい、ってい、た。
鼻先を丸めた体に押し込んだ犬と無言でにらみ合う朝
プロフィール フォローしている/されている 友達を検索 ブロックユーザー
今日までを乗りきるためにもう一日、もう一日だけぱみゅぱみゅにたよる
「まじバカだし」電話の相手に告げたはず。君はにらまれなくて良かった。
「お嬢さん、これからどちらへ」「古書店へ。今日読むための本を探しに」
あしもとに空あり私、逆立ちをして両足の靴を放すの。
来年は冬の信濃川へゆこうよおじろわしのあの啼きを聴こうよ。
濃く甘く少しだけ冷めた赤い箱運んでくれた手乗り鷹『く号』
あの歌はいいねと誰かが言ったけど二の句を継げるのはやめておく。
「寒いです」の言い訳ひとつで毎朝を見送り暖かい国へ。
ふんわりとシュークリームに包まれた、おかしですかね、きぼうですかね。
雨露をしのぐ旅でも僕でした。どこまで行けど僕がいました。
ごみ捨てと派手な未納金振り込みと、ぼくは早起き苦手なのにね。
名前だけずっと前から知っていた即席めんを今日食べてみる。
「カモシカとヤギは親戚だよ、あの目」「それはいいけど遅刻するわよ」
「稲びかり轟かすならこの太鼓!」電気市です。シーズンオフです。
本来は無意味に意味を求むことこそが私たちの仕事です。
白銀の街で笑っていられるように、羽織を一枚、私にください。
ただ声が大きい人が指を差し「これが芸術だ」と親切に。
ケロッグをむさぼりながら「本日は休日である」と宣言します。
母曰く、電子レンジのない時代「蒸したご飯はおいしくないわよ」
「もうダメだしにたい。ころしてくれ」だとか、おれを感動させてから言え。
砂の城波に飲まれて消えゆく、とジミヘンだって歌ってただろ。
衝突も喧嘩も言い争いもない。役割を分けるだけの遊び。
「そうですね」強いて理由を言うのなら、それはあなたが禿げているから。
友よきけ、話をきけよ我が友よ。旧き友、話をきいてくれ。
とつがわ、けいぶは、むずかしい、かおで、テープレ、コーダ、-に、ききい、ってい、た。
鼻先を丸めた体に押し込んだ犬と無言でにらみ合う朝
プロフィール フォローしている/されている 友達を検索 ブロックユーザー
今日までを乗りきるためにもう一日、もう一日だけぱみゅぱみゅにたよる
「まじバカだし」電話の相手に告げたはず。君はにらまれなくて良かった。
ふとよこをみるとながいながい坂がのびていて、
ぼくのときめきはそのときからいとせず
すいよせられ、今もおきざりになっている。
そろそろむかえにいかないといけない
雪が降るような季節だ。こごえているだろう。
いけいけマンが 幼女を
横断させる、あつぎ、長くつした。
我々は良き社会を
他人に実感させるための
演出をすることができても、
その中に自ら生活すること
など、かなわぬのである。
モデリスタのロゴがコトブキヤロゴににてる。
だれかのかわりに口動かすひと。
そんなのは架空の人物にいわせとけよ。
なつめそうせきの屁の話にもあるように、
政治を問うことが即ち
党を挙げたけなしあいなのか
老人皆死すべし
何度もうたわれた
老いると考えてることをすべて口に出さ
なきゃならなくなるなら
おれは老いるわけにはいかない
みずぼらしいからだ。
どろどろした赤い液体に浮かぶ
麺をすする青白いわたし
きみのため 台所に立つ ひとあれば
メシは冷めないうちにくえ、念を押しとく。
どうしよう もなくふまじめの
産物に 慰められるような
今日でいいや。
給油毎、レシートを灰皿に
ためてる。なにか役立てる
よていはない
これからも、だれかをすきには
ならなくて、
あなたのカケラの だれかが好きです
スズメがトリカゴの
まわりにちらばったエサを
つついてる。ちょんちょん。
なぐりがきでも
こいをしてるの、
せをみせる
あなたはそのまま
ふりむかないで
原付でさんぽにつれ
ゆかれる大型犬
ラブラドールがうなだれて
こばしりに。
かぶとむしの においのする
車にのるおじさんは よくいる。
ぐちをこぼすていどの卑屈さと
図々しさは持ち合わせておるらしい
有料駐車場を占拠する
程度の能力です
自分ひとりが正しければ
なにも敵はないと思ってたが、
みんなで正しくないと許してもらえ
ないらしいよ。息苦しいもの。
いきなりぶん殴られたら「え?」
つって相手のかおみつめるしかない
よね、その瞬間身をよじって
カウンターパンチとかムリだから。
戦闘民族と違げーから。
けっこうボコボコ。
いちいちケチつけなきゃ気がすまねーのか。
ケチつけてる気がねーなら
黙っておけないのか
喋るんなら俺見て喋れよ、
どこ向いてんだオメーは。
57588
悪意の本質はもしかすると
自分のおそれにあるのかもしれません。
おなかが痛いですね。
自分にもっとも言われたくないことを
言われるんですよ。
客観的に考えたい人は主観的に
生きられぬ。車や服やそういう
あこがれは客観的だ。
(短絡)主観的だけで生きられぬ
のは自明だから、異質をみとめるこ
とはなによりも重要だ。だれかの
意思をふみつけようとするきみは失格
いうまでもなく。
FOZZTONEになら一枚3千円
払ってもいいよ。
曰く他人の目をどれくらい気にするかと
いうことで、程度の違いで主観/
客観と分けへだてるのも 変な話だが、
客観主体に日々を暮らすひとは車に金
をかけ洋服に金をかけ腕時計に金
をかける。あるいはとにかく、何かひとめにつく
ものをごてごてと飾る。
(ホイコーローとチンジャオロースで
なりたってるみせである)
但しそういう人々はあるものをギセイに
しておる。利便性、耐久性、機動力。
短歌のよさって
読者の入る余地が大きいとこだね。
よむことで想像することで完成する
文学とはまた深遠な…
だれかのつくった明確ななに
かを指して文学だ芸
術だ哲学だと形容
するのが嫌なわけだ。
そういうことばはぼくにとって
あこがれであって
いつまでも抽象的で
あってほしい
世界共通万人普遍の
ものがあるなんていう
前提を保証してくれる
のはそれこそ神様か?
しかしそれは前提というよりも
結論だ。
結論が前提としてそれ自身を
支えているなんていうへんちくりんな
世界は破壊してしまわねばな
らぬ。おれ自身の見ている
世界のことで、それはおれによって
いまもつくられつづけている。
おれという創造主を放棄する
つもりでいるなら、あとがまとしてだれが
適格だろう。不安定な自我を
保障してもらいたいのである。
真実は多数が支持するもので
はなく隠されているものだ。
依らば大樹のカゲ、それが
おれの世界にあてはまるのか?
「写真に撮ってしまえば、
それはもう、見た者の想像力
をぐっと押し縮めて、なんでもない
ただの風景にしちまうだろ。
淡白な写真なんかに、人間の
偉大な才能が負かされて
たまるか。無から有をつく
りだしうる、感性を生まれ
もった人間の唯一の美点
だ。おれはこっちのほうを信じるよ」
「おまえのきてるパーカーの柄、どっかで
みたことあんだよな。スゲーイライラする。
ま、どーでもいーんだけど」
「ひとのしゃべってる声きいてる、と、アタシ
安心すんの」
ってそいつは言った、おれには全然わかん
ないんだけど。
「ナチュラルに赤信号つっきる
奴だからね、アイツ」
よそはよそ、自分は自分のまちしか
あるけないんじゃないか。そもそも車じゃ
だめだ。
「え、お前 自転車のれないわけ?」
「うるさいなーもう」
ハンドルがぷるぷるなってる。
創作物への評価は他者によって
なされるものであり、作者がとやかく
悔やみを言おうと、その客観的な
印象には何のえいきょうもおよぼさず、
無様な言い訳はさながら、未就学
児があーだこうだ母親にわがま
まを言っているのと、たいした違い
もないものとは、百も承知であります。
創作家はつくったものすなわち
結果がすべて。過程など本来、
何の意味もなければ当然、そんな
ものに価値などもちえないわけで
あります。
だからこのざんげは野暮を承知の
若いカラスが街のあちこちに
救急車に道をあける
システムは正常に機能してる。
「レストア子ちゃん」の案。
ぼくのときめきはそのときからいとせず
すいよせられ、今もおきざりになっている。
そろそろむかえにいかないといけない
雪が降るような季節だ。こごえているだろう。
いけいけマンが 幼女を
横断させる、あつぎ、長くつした。
我々は良き社会を
他人に実感させるための
演出をすることができても、
その中に自ら生活すること
など、かなわぬのである。
モデリスタのロゴがコトブキヤロゴににてる。
だれかのかわりに口動かすひと。
そんなのは架空の人物にいわせとけよ。
なつめそうせきの屁の話にもあるように、
政治を問うことが即ち
党を挙げたけなしあいなのか
老人皆死すべし
何度もうたわれた
老いると考えてることをすべて口に出さ
なきゃならなくなるなら
おれは老いるわけにはいかない
みずぼらしいからだ。
どろどろした赤い液体に浮かぶ
麺をすする青白いわたし
きみのため 台所に立つ ひとあれば
メシは冷めないうちにくえ、念を押しとく。
どうしよう もなくふまじめの
産物に 慰められるような
今日でいいや。
給油毎、レシートを灰皿に
ためてる。なにか役立てる
よていはない
これからも、だれかをすきには
ならなくて、
あなたのカケラの だれかが好きです
スズメがトリカゴの
まわりにちらばったエサを
つついてる。ちょんちょん。
なぐりがきでも
こいをしてるの、
せをみせる
あなたはそのまま
ふりむかないで
原付でさんぽにつれ
ゆかれる大型犬
ラブラドールがうなだれて
こばしりに。
かぶとむしの においのする
車にのるおじさんは よくいる。
ぐちをこぼすていどの卑屈さと
図々しさは持ち合わせておるらしい
有料駐車場を占拠する
程度の能力です
自分ひとりが正しければ
なにも敵はないと思ってたが、
みんなで正しくないと許してもらえ
ないらしいよ。息苦しいもの。
いきなりぶん殴られたら「え?」
つって相手のかおみつめるしかない
よね、その瞬間身をよじって
カウンターパンチとかムリだから。
戦闘民族と違げーから。
けっこうボコボコ。
いちいちケチつけなきゃ気がすまねーのか。
ケチつけてる気がねーなら
黙っておけないのか
喋るんなら俺見て喋れよ、
どこ向いてんだオメーは。
57588
悪意の本質はもしかすると
自分のおそれにあるのかもしれません。
おなかが痛いですね。
自分にもっとも言われたくないことを
言われるんですよ。
客観的に考えたい人は主観的に
生きられぬ。車や服やそういう
あこがれは客観的だ。
(短絡)主観的だけで生きられぬ
のは自明だから、異質をみとめるこ
とはなによりも重要だ。だれかの
意思をふみつけようとするきみは失格
いうまでもなく。
FOZZTONEになら一枚3千円
払ってもいいよ。
曰く他人の目をどれくらい気にするかと
いうことで、程度の違いで主観/
客観と分けへだてるのも 変な話だが、
客観主体に日々を暮らすひとは車に金
をかけ洋服に金をかけ腕時計に金
をかける。あるいはとにかく、何かひとめにつく
ものをごてごてと飾る。
(ホイコーローとチンジャオロースで
なりたってるみせである)
但しそういう人々はあるものをギセイに
しておる。利便性、耐久性、機動力。
短歌のよさって
読者の入る余地が大きいとこだね。
よむことで想像することで完成する
文学とはまた深遠な…
だれかのつくった明確ななに
かを指して文学だ芸
術だ哲学だと形容
するのが嫌なわけだ。
そういうことばはぼくにとって
あこがれであって
いつまでも抽象的で
あってほしい
世界共通万人普遍の
ものがあるなんていう
前提を保証してくれる
のはそれこそ神様か?
しかしそれは前提というよりも
結論だ。
結論が前提としてそれ自身を
支えているなんていうへんちくりんな
世界は破壊してしまわねばな
らぬ。おれ自身の見ている
世界のことで、それはおれによって
いまもつくられつづけている。
おれという創造主を放棄する
つもりでいるなら、あとがまとしてだれが
適格だろう。不安定な自我を
保障してもらいたいのである。
真実は多数が支持するもので
はなく隠されているものだ。
依らば大樹のカゲ、それが
おれの世界にあてはまるのか?
「写真に撮ってしまえば、
それはもう、見た者の想像力
をぐっと押し縮めて、なんでもない
ただの風景にしちまうだろ。
淡白な写真なんかに、人間の
偉大な才能が負かされて
たまるか。無から有をつく
りだしうる、感性を生まれ
もった人間の唯一の美点
だ。おれはこっちのほうを信じるよ」
「おまえのきてるパーカーの柄、どっかで
みたことあんだよな。スゲーイライラする。
ま、どーでもいーんだけど」
「ひとのしゃべってる声きいてる、と、アタシ
安心すんの」
ってそいつは言った、おれには全然わかん
ないんだけど。
「ナチュラルに赤信号つっきる
奴だからね、アイツ」
よそはよそ、自分は自分のまちしか
あるけないんじゃないか。そもそも車じゃ
だめだ。
「え、お前 自転車のれないわけ?」
「うるさいなーもう」
ハンドルがぷるぷるなってる。
創作物への評価は他者によって
なされるものであり、作者がとやかく
悔やみを言おうと、その客観的な
印象には何のえいきょうもおよぼさず、
無様な言い訳はさながら、未就学
児があーだこうだ母親にわがま
まを言っているのと、たいした違い
もないものとは、百も承知であります。
創作家はつくったものすなわち
結果がすべて。過程など本来、
何の意味もなければ当然、そんな
ものに価値などもちえないわけで
あります。
だからこのざんげは野暮を承知の
若いカラスが街のあちこちに
救急車に道をあける
システムは正常に機能してる。
「レストア子ちゃん」の案。
○自作短歌三首解説と個人選八首の感想。/白い犬
▲南国に雪も降るならやさしさを思い出したくなる二月です。 /白い犬
解説:福岡は雪が降っておりました。気温は氷点下、指先の感覚はおぼつかず、手の甲はひび割れ、血がにじみ、透き通った鼻水が、唇に冷たく垂れ下がるような日でした。そんな日にもかかわらず、しがない整備工Yはジャンパーも羽織りません。ごわごわして動きにくいだのなんだの言っておるようでした。ツナギの下には何枚も重ね着をし、寒さを堪え凌いで社会貢献に勤めております。「さむい。なんてさむいんだ」ふと彼は暖かいココアが飲みたい、と思いました。ふわふわの耳当てをつけた、赤いマフラーとフェルトのコートに包まった美少女が「はい、どうぞ」と言って湯気の立つマグカップを自分に手渡すところを妄想しました。彼女は鍋つかみの様な手袋をはめていました。ぼんぼんが二つずつ垂れています。それはとても心地よい想像でした。雪の降る中、顧客の洗車用命を二つ返事で引き受けるような、自らの身上を憂うことなど、ばかばかしく思えてきたのだ、と後に語ります。一年に一度あるかないか、峻烈な寒気に支配された自分の街が、どことなくのどかな景色に見えだしたというのです。それは彼の凍える自意識にやさしく寄り添ってくれました。時計の針の動きがとてもゆっくりに感じられました。「そうやね」気がつくとひとりでにやにや笑っていました。周りには誰もいませんでした。「そうやね、こんなに寒いんやし」彼は独り言を呟きました。ごうごうとうなる門型洗車機の、乾燥行程がまもなく完了します。二月でした。
■幾たびか待ちぼうけした銅像の首を貰ったマフラーで絞める /Thollys Gurry
感想:とても情景の浮かびやすい歌であります。某所でも超絶に持ち上げましたが、これは非常に優れた歌であります。「待ちぼうけ」をくった少女(だと想像したほうが個人的趣味にぴったりですので)は、いつ、どこで、いかなる理由で、そのような奇行に及ぶに至ったのか。この歌は経過と心情が非常に想像しやすくつくられています。
「マフラー」という季節観は冬を表しております。おそらくは恋人か、それに準ずる異性との待ち合わせだったのでしょう。冬の洋服を纏った少女はマフラーに顔をうずめ、赤い鼻をすすり、なにやらむすくれた表情をしています。
「銅像」を待ち合わせ場所に指定していたようであり、駅前や公園、広場など、人通りのあるざわめいた背景が想起されます。行き交う人々は動き続け、風景のなかに停止しているものは少女と銅像の二人組だけであります。白い息が何度も吐かれ、すぐにそれは冬の寒さと同化してしまいます。
「幾たびか」待ちぼうけの経験のある少女はもはや、その銅像とは一種顔見知りとも呼べる関係であり、心の中で呟く愚痴の数々を、都度銅像に聴いてもらっていたことと思われます。一種怪しげではあるといえ、少女は彼(銅像)に素朴な信頼を寄せているとみて間違いありません。
にもかかわらず、少女は銅像の首を締上げるわけです。なんたる倒錯、八つ当たり。恩をあだで返すような仕打ちであります。
しかしこの、目尻にナミダを浮かべながらぷんぷん怒っているようなコミカルな表現は、手に持った「マフラー」という季語によって、不思議と柔らかな印象を、鑑賞者の我々に与えてくれるのです。しかもこれ「貰ったマフラー」なんですね。誰からか、言わずもがなでありましょう。
いま、降って湧いた狂気に身を任せる彼女を遠くから眺めていると想像してみましょう。
なにが見えますか。
まだ首を絞めているように見えますか? ちゃんと十メートルくらい離れてくださいね。
いいですか、銅像の首にマフラーを巻いてあげているように見えませんか。
そうですか。
はい、この通り「銅像の首を貰ったマフラーで」この一回きりの動作には、絞める(恨み)と巻く(慈しみ)の両極的な二つの動き(感情)をみることができるのです。そして、この二面性は、映像の枠外から眺める我々に、彼女たち若年特有のもどかしさを伝え、この歌になんともやさしい世界観を加味するのであります。
この歌に使われている言葉には一つも無駄がありません。それぞれが相互に関与し合い、風景を、感情を、関係を、多彩に構成しております。マイ・ベストであります。好きです。完敗です。白旗降伏。こういう写真を撮りたいです。くやしいぜ。
■ケモ耳は犬か猫かで多数決。忍者の里の新術会議。 /橘圭郎
感想・持論:これは実際にはありえない風景であります。「忍者」が「ケモ耳」を「新術会議」にて論じておるのであります。わけがわかりません。しかしこの珍妙な風景は、読者の誰の脳裏にも一瞬で、しかも鮮明に思い描かれるわけであります。これは短歌という形式が見せてくれる魔法であります。ぱっと見では不可解な印象だったり、実際にはありえない取り合わせだろうと、それらをひっくるめて素直に受け入れるためのスイッチを押してくれるのです。あるいは、そうさせるための包装定型が五七五七七なのです。少なくとも、たったの三十一文字で、読者に状況を理解させるための定型であることは確かであります。この歌は読者をじつに陽気な心地にさせてくれます。ポップでコミカルでそれでいて眉間に皺を寄せているという、何が彼らをそこまで熱くさせるのでしょうか。わかりませんが彼らは絶対に間違っちゃいないのであります。
橘先生の忍者短歌は、今回の企画において最低限おさえておくべき優良シリーズです。必読。
■妹が
夜中 二時間
出て行って
さてはもしやと
恐怖募りゆ /顎男
感想:お兄ちゃんの歌であります。額男先生本人の心情であるかどうかは知る由もありませんが、この歌を詠んだ「お兄ちゃん」の心配のほどは、緊迫感を伴って読者の我々に迫ってくるのであります。ただの心配ではなく既に「恐怖」を感じるほど、絶望的な予感がしたのでしょう。「さてはもしや」この言葉に全てが詰め込まれているのであります。愛する妹に水面下で近寄る魔手、平和な一家は兄の鋭敏な直感によって危険を察知します。やがて引きずり出される黒幕。今後ひと波乱、ふた波乱巻き起こるのは疑いようのないことに思われます。もしくは単純に、いつの間にかすっかり成長した妹との精神的な別れを予感した「お兄ちゃん」のせつなげな哀歌であるのかもしれません。緊迫感と哀愁が、どちらも強烈な印象を与える、にもかかわらず、どこか微笑ましいという優良歌であります。すばらしい。
■難解な言葉を弄して並べても愚直な例の五文字に勝てない /ピヨヒコ
感想:とくべつ何を言うことも必要ないと思われます。考えて考えて考え抜いた結果、そのときの到達点がそこだったわけです。このとき、消去法であったのかもしれませんが、少なくとも「彼」はその答えを選ぶほかなかったわけです。きっと勝てないのでしょうね。
■りんごあめ並ぶ屋台に浴衣揺れ笑うお面に染まる橙 /硬質アルマイト
感想・考察:「りんごあめ」「並ぶ屋台」「浴衣」「お面」これらは夏の季語であります。夏祭りの風景がまざまざと想起されます。「お面に染まる橙」色はちょうちんの灯りでしょう。歌の全てが視覚イメージで構成されており、最後は「橙」というちょうちんの暗喩にて締めくくられています。私は「笑う」の部分も、笑い声としてではなく笑顔として想像しましたので、この歌を初めて読んだとき、夏祭りの風景をそのまま切り取って目の前に提示されたような思いがしました。かんざしのような飾りを髪につけた女の子がこっちを向いて笑っていました。アルマイト先生のリア充記憶でしょうか。妬ましいですね。
夏祭りにもかかわらず静かな印象を私に与えたことの理由は、その、誰かがいつか経験した記憶を、自分が見せられているような気がしたからだと思います。それはこの歌の構成に秘密があるに違いありません。先ほど言った視覚イメージで統一された構成、であります。人の感覚には視覚聴覚触覚嗅覚味覚と五つ備わっておりますが、これを視覚のみに特化させたからこそ、記憶を共有(したと錯覚)するにまで至ったのではないかとにらんでいます。そして、記憶共有装置を最終的に起動させたのが下の句の「笑うお面に染まる橙」であったのです。
「笑うお面に染まる橙」これは引き金であるといえます。輪ゴムで指鉄砲を撃つときのような緊張があります。上の句の視覚情報の羅列は、読んだ瞬間に何のことを言っているのか具体的に想像することが出来るのであります。下の句にいたって、とんとん拍子の連想はつまづき、少しの間力を溜めるのであります。「わらうおめんにそまる」ここまで来れば、感動の期待や準備が既に終えているわけであります。次の言葉を読むまでその緊張は持続しています。はやくおれを納得させてくれ、という心地です。「~だいだい」ときて、読者は下の句の全貌をようやく把握できるわけです。さらに、上の句で並べられた断片的な情報も、橙という色によって鮮やかに色づけられてゆくのです。ああこれは良い夏祭りだな。と誰しもが思うわけであります。浴衣に赤い鼻緒のショートカット少女と夏祭りに行きたかったんですよぼくは。
■鈍色の便せんに書くラブレター。なんと赤ペン入れて戻され。 /橘圭郎
感想と個人的趣味:同じ作者さんの作品を二度も挙げるのはどうかと思うんですが。どうかと思ってみただけです。「ラブレター」を書いた(そして渡した)のはいいものの、添削されて返ってきたようです。残念。想い人は年上なんじゃなかろうか。そしてよほどの奇人に相違ない。受け取ったラブレターを「赤ペン入れて」つき返すとは、なんとも居丈高な女傑であります。性別は私の都合です。明晰な麗人に、年下の男子が一生懸命言い寄る姿は健気でよろしいじゃないですか。すばらしい。百点。この文通シリーズはきちんと完結しております。七通目でようやく届いたそうです。
橘先生の短歌は恋の歌も素晴らしい出来です。鏡の前で洋服を散らかしたり、笑顔をあざとく練習したりする女子も出てきます。もうね。たぶんこちらは女子と解釈していいと思います。男だったら気持ちが悪いので。
▲来夏こそ「西瓜おいしい」と言いながら涙も流してみたいよねって。 /白い犬
解説:この真冬(二月十九日現在)に! 夏への強烈な憧れを抱いたわけであります。私はある機関の主催する会合に強制参加させられ、そこで社会のハグルマたる心得を植えつけられるべく、さまざまな洗脳ビデオを視聴させられておりました。歯が浮くような台詞を口走る作り物の笑顔しか出てきません。「こいつらはきっと何かを隠しているに違いない。おれたちに不都合な真実を隠して、嘘と嘲りで固められた虚構の社会的集団の兵隊とするべく、誘導しているのだ」私は奇妙な疑いの目をもって心に壁を作っておりました。そこへ唐突にスイカが現れたわけです。彼らは後からあとから現れ、現れてはスイカを一切れ手に取り、画面から消えてゆきます。そしてカメラが切り替わり、笑いながらスイカにかじり付く人々が映し出されます。「ともかくこいつらはとてもうまそうにスイカを食べている」とても羨ましく見えました。「おれも来年の夏は『あいつは羨ましいやつだ』とかなんとか言われるような、スイカの食べ方をしてみたいもんだ」そう考えたわけであります。末尾で誰かに語りかけるような口調になっていますが、誰に対して言っているのかはもう忘れました。その部分がなんだか残念な出来です。
■「愛してる」気軽にばらまき過ぎました
周りで三人亡くなりました /山下チンイツ
愛についての考察:ここしばらくの間、愛とはなにかという大それたことを考えて考えて頭がぼうっとなり、職務を怠け、顧客に迷惑をかけ、靴を片方忘れ、散々な日々を送っていたのですが、とにかく、この社会では愛が安売りされているようであります。その言葉自体が最上級の表現であり、同時に代替不可の特注品という印象を我々に与えるものですから、取り扱いに注意が必要であろうなどと、そんなことは容易に想像がつくのでありますが。
そしてそれは強烈でなおかけがえがない(ように見せかけることのたやすい)ために、受け取った人はコロリと騙されてしまうのでありましょう。私はこの口から愛を吐いたことがないのでわかりませんが、好意を寄せている人に、ひと言そう告げられたならば、すぐさま言いなりになってしまいそうな気がします。実際に確かめる必要がありますが、そのためには恋人なりなんなり、とにかくパートナーとして女性が不可欠です。これは私には少し難しい条件であります。
しかし商業分野で叩き売られる愛のしょうもないこと! 薄っぺらい嘘であります。あんなものは。思ってもいないことをうたう人々など、鋭い観察眼をもって、簡単に見抜くことができるのだと確信しております。偽物の言葉には偽物の声色が宿るのであります。ならば私は本物を見抜くことが出来るのか。わかりません。「本物の」愛がどのようなものか知らないからです。偽物がゴロゴロしているのは肌身にしみて感じておりますが「本物は?」と訊かれると首を捻ってしまいます。「愛とはなんぞ」平成二十四年現在、見当もつかず途方に暮れている次第であります。
■その箱は何かに使う多分そうだからやめてよ捨てないでくれ /只野空気
感想:この箱はたしかに何かに使うんですからそんなにうるさく言わないでください。使いますから。使いますから。きっとね。箱捨てらんないよね。かっこいいし。
▲雨宿り 軒下におじいさん仲間入り「土砂降りですね」「ええ良い日ですね」 /白い犬
解説:「いい天気ですね」とおじいさんが言ったので、ぼくは次の言葉を失ってしまいました。うまく呑み込めなかったので、訊ね返そうとも思ったんですが、その横顔を眺めていると、どのみち、期待するような答えは返ってきそうにないらしく、ぼくは開きかけた口を閉じることにしました。背の低いおじいさんは、ぼくの隣で朗らかに晴れていました。どうして知らない人に話しかけたのかさえ、ついさっきのことなのに思い出すことが出来ません。ですが、ぼくの言葉に同調してほしかったことは確かに憶えています。見ていて羨ましくなるような横顔のおじいさんが立っています。もしかすると、おかしいのはぼくのほうで、おじいさんは、ただ当たり前のことを言っているのではないだろうか。それとも、おかしいとかふつうだとか、妥当である信頼を欠くとか、そういったことはもともと、どうでもいいことなのかもしれません。
○六百首以上の短歌が集まった企画ですから、他にも魅力的に私の気を惹こうとする歌はいくつもあるんですが、それらをうまく言葉で説明できる自信がありません。それは感性に働きかける歌であるわけで、言語化できない自分が情けないだけなんですが、そういう段階であまり多くのことを言うのはやめておこうと思います。今回の企画はとても楽しかったです。みなさんありがとうございました。
<オワリ>
▲南国に雪も降るならやさしさを思い出したくなる二月です。 /白い犬
解説:福岡は雪が降っておりました。気温は氷点下、指先の感覚はおぼつかず、手の甲はひび割れ、血がにじみ、透き通った鼻水が、唇に冷たく垂れ下がるような日でした。そんな日にもかかわらず、しがない整備工Yはジャンパーも羽織りません。ごわごわして動きにくいだのなんだの言っておるようでした。ツナギの下には何枚も重ね着をし、寒さを堪え凌いで社会貢献に勤めております。「さむい。なんてさむいんだ」ふと彼は暖かいココアが飲みたい、と思いました。ふわふわの耳当てをつけた、赤いマフラーとフェルトのコートに包まった美少女が「はい、どうぞ」と言って湯気の立つマグカップを自分に手渡すところを妄想しました。彼女は鍋つかみの様な手袋をはめていました。ぼんぼんが二つずつ垂れています。それはとても心地よい想像でした。雪の降る中、顧客の洗車用命を二つ返事で引き受けるような、自らの身上を憂うことなど、ばかばかしく思えてきたのだ、と後に語ります。一年に一度あるかないか、峻烈な寒気に支配された自分の街が、どことなくのどかな景色に見えだしたというのです。それは彼の凍える自意識にやさしく寄り添ってくれました。時計の針の動きがとてもゆっくりに感じられました。「そうやね」気がつくとひとりでにやにや笑っていました。周りには誰もいませんでした。「そうやね、こんなに寒いんやし」彼は独り言を呟きました。ごうごうとうなる門型洗車機の、乾燥行程がまもなく完了します。二月でした。
■幾たびか待ちぼうけした銅像の首を貰ったマフラーで絞める /Thollys Gurry
感想:とても情景の浮かびやすい歌であります。某所でも超絶に持ち上げましたが、これは非常に優れた歌であります。「待ちぼうけ」をくった少女(だと想像したほうが個人的趣味にぴったりですので)は、いつ、どこで、いかなる理由で、そのような奇行に及ぶに至ったのか。この歌は経過と心情が非常に想像しやすくつくられています。
「マフラー」という季節観は冬を表しております。おそらくは恋人か、それに準ずる異性との待ち合わせだったのでしょう。冬の洋服を纏った少女はマフラーに顔をうずめ、赤い鼻をすすり、なにやらむすくれた表情をしています。
「銅像」を待ち合わせ場所に指定していたようであり、駅前や公園、広場など、人通りのあるざわめいた背景が想起されます。行き交う人々は動き続け、風景のなかに停止しているものは少女と銅像の二人組だけであります。白い息が何度も吐かれ、すぐにそれは冬の寒さと同化してしまいます。
「幾たびか」待ちぼうけの経験のある少女はもはや、その銅像とは一種顔見知りとも呼べる関係であり、心の中で呟く愚痴の数々を、都度銅像に聴いてもらっていたことと思われます。一種怪しげではあるといえ、少女は彼(銅像)に素朴な信頼を寄せているとみて間違いありません。
にもかかわらず、少女は銅像の首を締上げるわけです。なんたる倒錯、八つ当たり。恩をあだで返すような仕打ちであります。
しかしこの、目尻にナミダを浮かべながらぷんぷん怒っているようなコミカルな表現は、手に持った「マフラー」という季語によって、不思議と柔らかな印象を、鑑賞者の我々に与えてくれるのです。しかもこれ「貰ったマフラー」なんですね。誰からか、言わずもがなでありましょう。
いま、降って湧いた狂気に身を任せる彼女を遠くから眺めていると想像してみましょう。
なにが見えますか。
まだ首を絞めているように見えますか? ちゃんと十メートルくらい離れてくださいね。
いいですか、銅像の首にマフラーを巻いてあげているように見えませんか。
そうですか。
はい、この通り「銅像の首を貰ったマフラーで」この一回きりの動作には、絞める(恨み)と巻く(慈しみ)の両極的な二つの動き(感情)をみることができるのです。そして、この二面性は、映像の枠外から眺める我々に、彼女たち若年特有のもどかしさを伝え、この歌になんともやさしい世界観を加味するのであります。
この歌に使われている言葉には一つも無駄がありません。それぞれが相互に関与し合い、風景を、感情を、関係を、多彩に構成しております。マイ・ベストであります。好きです。完敗です。白旗降伏。こういう写真を撮りたいです。くやしいぜ。
■ケモ耳は犬か猫かで多数決。忍者の里の新術会議。 /橘圭郎
感想・持論:これは実際にはありえない風景であります。「忍者」が「ケモ耳」を「新術会議」にて論じておるのであります。わけがわかりません。しかしこの珍妙な風景は、読者の誰の脳裏にも一瞬で、しかも鮮明に思い描かれるわけであります。これは短歌という形式が見せてくれる魔法であります。ぱっと見では不可解な印象だったり、実際にはありえない取り合わせだろうと、それらをひっくるめて素直に受け入れるためのスイッチを押してくれるのです。あるいは、そうさせるための包装定型が五七五七七なのです。少なくとも、たったの三十一文字で、読者に状況を理解させるための定型であることは確かであります。この歌は読者をじつに陽気な心地にさせてくれます。ポップでコミカルでそれでいて眉間に皺を寄せているという、何が彼らをそこまで熱くさせるのでしょうか。わかりませんが彼らは絶対に間違っちゃいないのであります。
橘先生の忍者短歌は、今回の企画において最低限おさえておくべき優良シリーズです。必読。
■妹が
夜中 二時間
出て行って
さてはもしやと
恐怖募りゆ /顎男
感想:お兄ちゃんの歌であります。額男先生本人の心情であるかどうかは知る由もありませんが、この歌を詠んだ「お兄ちゃん」の心配のほどは、緊迫感を伴って読者の我々に迫ってくるのであります。ただの心配ではなく既に「恐怖」を感じるほど、絶望的な予感がしたのでしょう。「さてはもしや」この言葉に全てが詰め込まれているのであります。愛する妹に水面下で近寄る魔手、平和な一家は兄の鋭敏な直感によって危険を察知します。やがて引きずり出される黒幕。今後ひと波乱、ふた波乱巻き起こるのは疑いようのないことに思われます。もしくは単純に、いつの間にかすっかり成長した妹との精神的な別れを予感した「お兄ちゃん」のせつなげな哀歌であるのかもしれません。緊迫感と哀愁が、どちらも強烈な印象を与える、にもかかわらず、どこか微笑ましいという優良歌であります。すばらしい。
■難解な言葉を弄して並べても愚直な例の五文字に勝てない /ピヨヒコ
感想:とくべつ何を言うことも必要ないと思われます。考えて考えて考え抜いた結果、そのときの到達点がそこだったわけです。このとき、消去法であったのかもしれませんが、少なくとも「彼」はその答えを選ぶほかなかったわけです。きっと勝てないのでしょうね。
■りんごあめ並ぶ屋台に浴衣揺れ笑うお面に染まる橙 /硬質アルマイト
感想・考察:「りんごあめ」「並ぶ屋台」「浴衣」「お面」これらは夏の季語であります。夏祭りの風景がまざまざと想起されます。「お面に染まる橙」色はちょうちんの灯りでしょう。歌の全てが視覚イメージで構成されており、最後は「橙」というちょうちんの暗喩にて締めくくられています。私は「笑う」の部分も、笑い声としてではなく笑顔として想像しましたので、この歌を初めて読んだとき、夏祭りの風景をそのまま切り取って目の前に提示されたような思いがしました。かんざしのような飾りを髪につけた女の子がこっちを向いて笑っていました。アルマイト先生のリア充記憶でしょうか。妬ましいですね。
夏祭りにもかかわらず静かな印象を私に与えたことの理由は、その、誰かがいつか経験した記憶を、自分が見せられているような気がしたからだと思います。それはこの歌の構成に秘密があるに違いありません。先ほど言った視覚イメージで統一された構成、であります。人の感覚には視覚聴覚触覚嗅覚味覚と五つ備わっておりますが、これを視覚のみに特化させたからこそ、記憶を共有(したと錯覚)するにまで至ったのではないかとにらんでいます。そして、記憶共有装置を最終的に起動させたのが下の句の「笑うお面に染まる橙」であったのです。
「笑うお面に染まる橙」これは引き金であるといえます。輪ゴムで指鉄砲を撃つときのような緊張があります。上の句の視覚情報の羅列は、読んだ瞬間に何のことを言っているのか具体的に想像することが出来るのであります。下の句にいたって、とんとん拍子の連想はつまづき、少しの間力を溜めるのであります。「わらうおめんにそまる」ここまで来れば、感動の期待や準備が既に終えているわけであります。次の言葉を読むまでその緊張は持続しています。はやくおれを納得させてくれ、という心地です。「~だいだい」ときて、読者は下の句の全貌をようやく把握できるわけです。さらに、上の句で並べられた断片的な情報も、橙という色によって鮮やかに色づけられてゆくのです。ああこれは良い夏祭りだな。と誰しもが思うわけであります。浴衣に赤い鼻緒のショートカット少女と夏祭りに行きたかったんですよぼくは。
■鈍色の便せんに書くラブレター。なんと赤ペン入れて戻され。 /橘圭郎
感想と個人的趣味:同じ作者さんの作品を二度も挙げるのはどうかと思うんですが。どうかと思ってみただけです。「ラブレター」を書いた(そして渡した)のはいいものの、添削されて返ってきたようです。残念。想い人は年上なんじゃなかろうか。そしてよほどの奇人に相違ない。受け取ったラブレターを「赤ペン入れて」つき返すとは、なんとも居丈高な女傑であります。性別は私の都合です。明晰な麗人に、年下の男子が一生懸命言い寄る姿は健気でよろしいじゃないですか。すばらしい。百点。この文通シリーズはきちんと完結しております。七通目でようやく届いたそうです。
橘先生の短歌は恋の歌も素晴らしい出来です。鏡の前で洋服を散らかしたり、笑顔をあざとく練習したりする女子も出てきます。もうね。たぶんこちらは女子と解釈していいと思います。男だったら気持ちが悪いので。
▲来夏こそ「西瓜おいしい」と言いながら涙も流してみたいよねって。 /白い犬
解説:この真冬(二月十九日現在)に! 夏への強烈な憧れを抱いたわけであります。私はある機関の主催する会合に強制参加させられ、そこで社会のハグルマたる心得を植えつけられるべく、さまざまな洗脳ビデオを視聴させられておりました。歯が浮くような台詞を口走る作り物の笑顔しか出てきません。「こいつらはきっと何かを隠しているに違いない。おれたちに不都合な真実を隠して、嘘と嘲りで固められた虚構の社会的集団の兵隊とするべく、誘導しているのだ」私は奇妙な疑いの目をもって心に壁を作っておりました。そこへ唐突にスイカが現れたわけです。彼らは後からあとから現れ、現れてはスイカを一切れ手に取り、画面から消えてゆきます。そしてカメラが切り替わり、笑いながらスイカにかじり付く人々が映し出されます。「ともかくこいつらはとてもうまそうにスイカを食べている」とても羨ましく見えました。「おれも来年の夏は『あいつは羨ましいやつだ』とかなんとか言われるような、スイカの食べ方をしてみたいもんだ」そう考えたわけであります。末尾で誰かに語りかけるような口調になっていますが、誰に対して言っているのかはもう忘れました。その部分がなんだか残念な出来です。
■「愛してる」気軽にばらまき過ぎました
周りで三人亡くなりました /山下チンイツ
愛についての考察:ここしばらくの間、愛とはなにかという大それたことを考えて考えて頭がぼうっとなり、職務を怠け、顧客に迷惑をかけ、靴を片方忘れ、散々な日々を送っていたのですが、とにかく、この社会では愛が安売りされているようであります。その言葉自体が最上級の表現であり、同時に代替不可の特注品という印象を我々に与えるものですから、取り扱いに注意が必要であろうなどと、そんなことは容易に想像がつくのでありますが。
そしてそれは強烈でなおかけがえがない(ように見せかけることのたやすい)ために、受け取った人はコロリと騙されてしまうのでありましょう。私はこの口から愛を吐いたことがないのでわかりませんが、好意を寄せている人に、ひと言そう告げられたならば、すぐさま言いなりになってしまいそうな気がします。実際に確かめる必要がありますが、そのためには恋人なりなんなり、とにかくパートナーとして女性が不可欠です。これは私には少し難しい条件であります。
しかし商業分野で叩き売られる愛のしょうもないこと! 薄っぺらい嘘であります。あんなものは。思ってもいないことをうたう人々など、鋭い観察眼をもって、簡単に見抜くことができるのだと確信しております。偽物の言葉には偽物の声色が宿るのであります。ならば私は本物を見抜くことが出来るのか。わかりません。「本物の」愛がどのようなものか知らないからです。偽物がゴロゴロしているのは肌身にしみて感じておりますが「本物は?」と訊かれると首を捻ってしまいます。「愛とはなんぞ」平成二十四年現在、見当もつかず途方に暮れている次第であります。
■その箱は何かに使う多分そうだからやめてよ捨てないでくれ /只野空気
感想:この箱はたしかに何かに使うんですからそんなにうるさく言わないでください。使いますから。使いますから。きっとね。箱捨てらんないよね。かっこいいし。
▲雨宿り 軒下におじいさん仲間入り「土砂降りですね」「ええ良い日ですね」 /白い犬
解説:「いい天気ですね」とおじいさんが言ったので、ぼくは次の言葉を失ってしまいました。うまく呑み込めなかったので、訊ね返そうとも思ったんですが、その横顔を眺めていると、どのみち、期待するような答えは返ってきそうにないらしく、ぼくは開きかけた口を閉じることにしました。背の低いおじいさんは、ぼくの隣で朗らかに晴れていました。どうして知らない人に話しかけたのかさえ、ついさっきのことなのに思い出すことが出来ません。ですが、ぼくの言葉に同調してほしかったことは確かに憶えています。見ていて羨ましくなるような横顔のおじいさんが立っています。もしかすると、おかしいのはぼくのほうで、おじいさんは、ただ当たり前のことを言っているのではないだろうか。それとも、おかしいとかふつうだとか、妥当である信頼を欠くとか、そういったことはもともと、どうでもいいことなのかもしれません。
○六百首以上の短歌が集まった企画ですから、他にも魅力的に私の気を惹こうとする歌はいくつもあるんですが、それらをうまく言葉で説明できる自信がありません。それは感性に働きかける歌であるわけで、言語化できない自分が情けないだけなんですが、そういう段階であまり多くのことを言うのはやめておこうと思います。今回の企画はとても楽しかったです。みなさんありがとうございました。
<オワリ>