航空自衛隊VS海上自衛隊(2022/2/18)
「俺、今から5分後に部長に『付き合ってくれ』って告白するから」
それは唐突な開戦の合図だった。
9月某日、時刻は一六《ひとろく》:五五《ごーごー》。
場所は〇×市立栄代高校、ミリタリー研究会の部室に割り当てられたある教室。
ミリ研は同好会規定に定められた最少部員3名ギリギリを誇る、当校でも指折りの弱小部活のひとつであった。
もっとも部の発足が今年春、それも新入生のみでの立ち上げということを考えれば、彼らはむしろ善戦している。顧問探し、部室の確保、頭の固い生徒会長を説き伏せた同好会承認。詳細は省くが、数々の試練を共に乗り越えるうち3人の間には強い結束が生まれていた。
問題は、彼らの男女比率が2:1だったという点だろう。
思春期の男女3名、狭い部室、青春ドラマ。
何も起きないはずがなく――。
というわけで、恋のバトルが勃発するのは歴史の必然だった。
先制攻撃を仕掛けたのは、山村介斗《やまむらかいと》。
掟破りとも言える彼の『告白の事前通達』は、告白対象であるミリ研部長・湯浅莉久《ゆあさりく》、並びに友人兼恋のライバルである同部員・井筒宙《いづつそら》らに対して行われた。
5分前精神。
それは旧日本海軍時代から受け継がれてきた、海上自衛隊の伝統である。
その意義は、時間ピッタリに速やかに行動できるよう、定刻の5分前には全ての準備を完了しておくということ。
艦艇という大きな戦闘単位の運用では、ときに小さな遅延が集団全体の動きに悪影響を及ぼす。海上自衛官の父を持つ村山が、幼いころから余裕を持って行動する大切さを叩き込まれたことは、普段の彼の生活態度を知る者ならば誰もが納得するだろう。そして今回、村山はその原則を恋愛の駆け引きにも適応したのである。
その行為には、奇襲戦術として十二分の効果があった。
(――この野郎、真珠湾の再現のつもりか!?)
思わず内心で毒づいたのは井筒だった。
しかし、短絡的に恋敵を非難した己の早計さを即座に自戒する。
超音速に達する現代航空戦では、一瞬の判断ミスが命取りになる。航空自衛隊の女性士官という経歴を持つ母に教育された井筒にとって、奇襲による精神的動揺から一瞬で立ち直ることは造作もなかった。
同時に、彼は村山の作戦の真の狙いを理解した。
『俺、明日の17:00に部室で部長に告白するわ(-_-)』
井筒の元に、村山から上記のLINEが送られてきたのは、前日の二二《ふたふた》:〇〇《まるまる》を回ったころだった。
『なら、俺も同時に告白する』
『了解。受けて立つщ(゚д゚щ)カモーン』
互いが同じ女性を好いていることは、二人にとって共通の認識だった。
問題はどのタイミングで現状打破を試みるかということ。自衛官の親を持つ者同士、卑怯なことはしたくはない。だから、村山はわざわざそんなLINEを送ってきたのだろう。
そう考えた己の浅はかさを、井筒は叱責せずにはいれなかった。
あのLINEの真意は宣戦布告。
つまり、国際法の観点に照らして考えれば、村山の行動は奇襲ではない。戦いは昨晩時点ですでに始まっていたのだ。
だがより重要なのは、この作戦目標が自分ひとりに限定されていないという点だ。
ミリ研部長・湯浅莉久。
2人にとって上官であり指揮官でもある彼女が、部隊のためを思って『どちらか一方を選ぶ』ことを避けるのは容易に想像できた。
一方が恋に破れたとしても、籍だけを残せばミリ研の存続に支障はない。だが、たとえそうだとしても――本心では一方に心が傾いていたとしても、指揮系統の維持のためならば私情を殺すことを選択する。
それが陸上自衛隊の最高位、陸上幕僚長の父を持つ湯浅莉久という少女だった。
彼女の鉄壁の防衛力の前では、通常兵器による告白はほぼ無意味となる。ゆえに村山は攪乱により目標の思考力を奪う作戦に打って出たというわけだ。
(この状況、俺が介斗を真似て告白の事前通知をするわけにはいかない――)
筒井の判断は的確だった。
5分前行動を原則とする海上自衛隊に対し、航空自衛隊では『定時・定点・必着』を基本精神としている。
決められた時間に決められた場所に必ず到着する。遅すぎても、逆に早すぎても許されない。航空機と言う、わずかなズレが部隊の連携に致命的な齟齬を生みだすほどの圧倒的機動力を有するが故の規律である。
行動を縛る枷としてその習性を利用された形になったが、対湯浅莉久の観点からは、あえて敵の狙いに乗るとことは最善手でもあった。
事前通達によって一方向から来ると思われていた告白が、定刻には別方向からも展開される。それが村山の仕掛けた作戦の全容である。
伏兵による二点同時告白は、混乱状態にある目標の正常な判断力を完膚なきまでに瓦解させるだろう。そうなれば、雰囲気に飲まれた彼女がどちらか一方の告白を承認するという可能性は十分ある。
海と空。時間軸の違いを利用した巧妙なる挟撃作戦。
村山の恐るべき発想に、井筒は戦術家としての大器の片鱗を確信した。
(介斗、日本の国防の未来に必要なのは、お前のような男かもしれん――だが、俺にも譲れない思いがあるんだ)
長机を挟み対面に座る村山に目をやると、相手も井筒に目配せを見返した。
両者はそれを『恨みっこなしだ』という合意と認識する。
共同戦線であり、同じ目標を奪い合う敵同士。この恋の鞘当ては、村山と井筒、共に将来の幕僚長を目指す2人の若者のどちらがより優れた戦術家かという戦いだ。
現状は稀代の天才戦術家、村山の圧倒的優位。
しかしながら、どんな戦術にも絶対はない。
2人の男が告白目標である湯浅に目を向けたのは、事前通達から30秒後。異変に気付いたのは、長机の端、部長席にいる彼女を視認した瞬間だ。
その顔は、耳まで真っ赤になっていた。
「………はっ?……えっ?……はっ?……」
同じ表情のまま、断続的な三転リーダーと疑問符を繰り返す湯浅。すでに思考停止状態であるのは誰の目にも明らかだった。
(マズい……莉久のやつ、こちらの想定よりも圧倒的にチョロいぞ……!?)
予想外の事態だった。
本来ならば二点同時告白により完了されるはずだった目標の攪乱が、現時点ですでに完了している。もちろん、村山にとってこれ以上の好機はない。まだ行動を起こしていない井筒に対し、村山は目標に己を異性として意識させている。定刻を待たずとも、今すぐ告白を行えば湯浅の陥落は必至。
(――ここまでなのか)
井筒が全てを諦めかけたとき、その脳裏にかつて父から受けた教えが蘇った。
《戦闘態勢を維持し続けろ》
若いころフランス外人部隊にいたという井筒の父は、軍隊格闘の達人だった。現在はインストラクターに転職し、世界を飛び回りながら各国の特殊部隊にCQCを教える日々を送っているが、一教育者としての彼の原点は息子への情操教育にある。
《いいか、宙。どんな状況でも生きている限りは希望はある。まず自分の状態、次に周囲をよく観察しろ。思考を止めなければ、活路は必ず存在する》
幼き日の父の言葉通り、井筒は周囲を観察し、圧倒的不利を覆す反撃の種を探す。
そして、それはすぐに見つかった。
告白目標の湯浅ではなく、対面の恋敵――村山もまた、自らの告白通知により耳まで真っ赤にしながら俯いているという事実を。
まさかの自爆であった。
湯浅の反応につられ、村山は自分まで恥ずかしくなっていたのだ。
事前準備を重視するが故に、突発的なアクシデントへの対応力では一歩劣る。ここに来て、筒井は両親によって鍛えられた、相手にはない己の優位性を発見した。
(――とはいえ、介斗の作戦が一定の戦果を上げたのは事実だ。数秒以内にメンタルを持ち直せば、短期決戦という選択肢に気づく可能性は十分にある。何より、莉久の赤面の原因は、介斗『だけを』異性として意識したから――)
すなわち、残り何秒かも不明な猶予で井筒が達成すべきミッションは『男友達から恋愛対象へのランクアップ』。
困難な任務である。
だが、井筒には秘策があった。
村山にはなく、自分にはある戦術的優位性。
察しのよい読者諸君であれば、お気づきだろう。
村山が湯浅を『部長』という役職名で呼ぶのに対し、井筒は『莉久』という下の名前を使っている。もちろん、この差異は単なる性格上の馴れ馴れしさによって生じたものではない。
井筒と湯浅は家が近所の幼馴染だったのだ。
一般に、男女の幼馴染はそうでない男女に比べ、カップル成立までのハードルが高い。不用意な告白が居心地のいい関係性を気まずいものに一変させる可能性があるからだ。小学生から湯浅に片思い中の井筒が、高校進学まで告白を控えたのは、その危険を避けるためだった。
しかし今、機は熟した。
通常ならばハンデになる幼馴染の条件は、比較対象が存在するときのみ、他者にない巨大なアドバンテージとして機能する。
「……莉久、そう言えば小5のとき、お前んちでカレーライスをごちそうになったことがあったよな」
「……えっ!?……ああっ、そう、そう言えばそんなこともあったっけ。私が作って、ちょっとハチミツを入れすぎちゃったけど……ははっ」
明らかに不自然な話題の転換。
だが、目標と競合相手が共に正常な判断力を失った今、戦場の主導権を握ることは容易だった。
混乱状態の湯浅は、幼馴染の昔話を場の空気を変えるための助け舟と受け取るだろう。また、慎重な村山が即座にこの会話に割って入る可能性も低い。
一瞬だけ村山のほうを確認すると、真っ赤な顔のままこちらの会話に聞き耳を立てているのが確認できた。
「まぁ、カレーにしては甘口だったけど、莉久が一生懸命作ってくれたていうのが伝わって、俺はすごく美味いと思ってたよ」
「……はぁ?……そう……まぁ、いいけど、美味しかったなら。でも宙、あのときは甘すぎるって文句言ってなかったっけ?……ってか、部活中は部長呼びだって言ってるでしょ?」
他愛ない会話で、湯浅は急速にいつもの調子を取り戻し始めている。しかし、その油断こそが逆転のチャンスだ。
真の奇襲とは、相手が『ここは安全だ』と思い込んだ瞬間に行われる。
「将来結婚するなら、俺はお前みたいにちょっと失敗してもいいから、一生懸命に料理してくれる人がいい」
「はいはい、結婚ね。あんたは昔から……えっ?」
爆弾投下である。
瞬間、井筒は己の顔面から炎が出るのを確かに感じた。いったんは落ち着きを取り戻したかに見えた湯浅の顔も、みるみるうちに紅潮していく。
「……はぁ!?……いやっ、えっ?……けっ、けけけっつこん!?……えっ? 何?……あんた、何言ってんの!?……」
通常ならハンデになる付き合いの長さ。だが、結婚という長期的な視点に立てば、互いの性格を熟知しているということはメリット以外の何物でもない。
井筒が狙ったのは、男友達から恋愛対象を飛び越して、結婚相手として己を意識させるという、まさかの二階級特進であった。
筒井は再度、村山のほうへと向き直る。
鏡映しのように耳までを赤くしたまま対峙する両者。戦局は五分五分――いや、見方によればわずかに井筒優勢か。
現時刻は一六《ひとろく》:五八《ごーはち》。
宣言された告白開始まで、残り2分を切っている。
「――なぁ、井筒」
「なんだよ」
「なんというか、こう……急に『部長の長所を褒めるゲーム』がしたくなってきたんだが、お前はどうだ」
「……オーケー、乗った」
「……ちょっ、えっ?ちょっ……ふっ、2人共、何言ってんの?……えっ?」
本来、『互いの長所を褒めるゲーム』は村山が対湯浅莉久において、彼我の距離を急速に縮めるために考案した没作戦の一つだった。
それを応用し、敵である筒井への変則的な攻撃を行ったのは、状況を限定し、ペースを乱されるのを防ぐためというのが一点。
そしてもう一点、たとえ幼馴染が相手でも確実に勝つという強烈な自負が村山にはあった。
根拠はない。自分のほうが湯浅を好きだと思っていること以外には。
もちろん、それを受ける筒井にも同様の理由で勝つ自信はあった。
「井筒、まずはお前からだ」
「いいのか? お前の提案だ」
「時間がない。早くしろ」
「分かったよ。じゃあ、まず何事も一生懸命にやるところだな。料理にしても、家事にしても、やるべきと思ったことは最後までしっかりやる。ミリ研の部長だってそうだ――」
「あっ……えっ?……そうかな……いや、そう問題じゃなくて……」
「待て、一言に絞れよ。俺の番が来ない」
「はいはい、『何事にも一生懸命』。これでいいだろ」
「よし、俺の番だ。そうだな……」
遅延作戦。
井筒があえて長々と言葉を続けたのは、村山の時間を奪い主導権を握り続けるためだった。相手に何もさせるつもりはない。わずかな優位を保ったまま告白開始まで駆け抜ける。
相手がそう考えるのは村山にとって当然の予測だ。
だから《《あえてそうさせた》》。
現在時刻は一六《ひとろく》:五九《ごーきゅう》。
残り30秒。
その短時間で、これを上回る答えを考えることは不可能だ。
「――部長のいいとろこは『世界一かわいいところ』、かな」
その場にいるだれよりも顔を真っ赤に染めながら、山村は言い放った。
絶叫。
歯の浮く台詞に、恥ずかしさの限界を迎えた湯浅はそのまま告白開始時刻まで「ふぇええええ!?」という叫びを続ける。
そして、その叫びが終わるころ、二人の男が首を垂れて彼女に腕を差し出していた。
『好きです。俺と付き合ってください』
同じ台詞を息ぴったりにハモった2人に、互いへの対抗心はすでにない。己が選ばれないとしても、成すべきことは成したから。
やるじゃないか、介斗。
井筒、お前こそ。
言葉にせずとも通じ合う、無言の男の友情がそこにはあった――
以上が、第16次対湯浅莉久告白作戦の記録である。
「だーかーらー、これは赤面症で!! そんなんじゃないって言ってるでしょ!? 大体、私には将来を約束した婚約者がいるの!!」
湯浅が呆れを通り越し、怒りを露わにしたのは久しぶりだった。
村山の『世界一かわいい』発言が効いたのだろう。村山につられ「怒った顔もかわいいよ」と言っていれば、二人共々顔面ビンタを喰らっていただろう。
喰らうのはいい。
問題はLINEの既読スルーがセットという点だ。
井筒はため息をつき、LINEを無視され絶賛不貞腐れ中の相棒に声をかけた。
「介斗の作戦、けっこういい線行ったと思ったけどな」
告白作戦から1日明けたミリ研部室、ご立腹が収まらない部長は授業後直帰し、平の男子部員2名だけが残っていた。
「……大体、統合幕僚長の息子で、柔道国体レベルの長身イケメンの婚約者ってなんなんだよ。自衛隊の新兵器かよ。ぜってー裏では禄でもないやつだろ、クソが」
「会ったことあるけど、普通にいい人だったぞ」
「井筒てめー、どっちの味方だ」
「少なくともお前は『恋敵』ってやつだよ」
だが、この共同戦線はしばらくは続きそうだ、井筒は思った。
どれだけ高度な戦略家も、好きな相手を前にすればその知能はチンパンジー並になると言う。ましてや負けると知ってる戦いに、何度も挑み続けるなんて、戦略家の風上にも置けないだろう。
だが、それもまた青春というやつだ。
「何嬉しそうにしてんだよ」
「……別に」
俺たち馬鹿だなって思っただけさ。
そう言いながら、井筒は次なる作戦を練り始めていた。