4-1『( ー ー)』
すごく、気が重かった。
あの日の放課後(と言っても昨日のこと)、彼がすべてを話し、立川がそれに応えたあとは、とても勉強をできるような状態ではなかった。
彼が目の前で泣き崩れる立川に困っていると、「先に帰って」と彼女は言った。置いて帰るのはどうだろう、と彼は思ったものの、その言葉に従い速やかに帰宅した。
あれから立川がどれぐらい泣いて、何時に帰り、どんな気持ちで夜を過ごしたのか。彼の知るところではない。
帰ったのはおそらく良くない。彼もそれぐらいはわかっていたが、ならどうするのがベターだったのかと考えたとき、何も思いつかなかった。
そんなわけで、彼は朝起きたときからずっと憂鬱だった。
今日も立川は、いつもと変わらずクラスメイトと楽しげに話していた。当の立川からは、あのときの様子は少しも感じられなかった。
彼女の目がずいぶん赤いことに、彼は気づいていない。
「隣のクラスの子がね、一度はるかと遊びたいって言ってるんだけど、どう?」
「うーん、機会があったら、ね?」
立川は笑って答える。彼は気づいた。彼女は今、困っている。なにか誤魔化そうとしているときの笑い方をしている(一緒に勉強しているとき、たびたび見られた表情だ)。
「あ、先生来たよー」
いよいよ困ったのか、彼女は払うように言った。
そして、いつものタイミングで、いつもの挨拶。
「おはよーはよー」
彼はそれを返さなかった。目さえ合わせられなかった。昨日の、感情を剥き出したことを思い出してしまい、恥ずかしくなってしまったのだ。
彼女の寂しげな顔を、彼は見ようとしなかった。
かさり。
授業中、手紙がやって来た。
『おはよーはよー>(・ω・`)』
挨拶がなかったことがよほど気になったんだろう。わざわざ手紙(しかも顔文字付き)を送ってくるなんて。
返事を書こうとする。が、書けない。手がちゃんと動かない。震えている。
どうにか書けたが、人間が書いた文字に見えなかった。
結局、返事はしなかった。
放課後になった。彼はさっさと帰る準備をし、逃げるように教室を出た。
「アサ――」
彼女に呼ばれたが、無視した。
しばらくは、顔を見るのもイヤだった。きっとぎこちなくなってしまう。そんなかっこ悪いところ、見られたくなかった。
その日、自宅での勉強は身が入らず、楽しみにしていたドラマの内容さえ頭に入らなかった。
『おはよーはよー>(・ω・`)』
その次の日も同じように朝の挨拶を無視したら、同じ手紙がやって来た。
『昨日のドラマ見た? やっぱり王道の展開だったね』
『最近おもしろい曲ばっかり聞いてるんだ。デッドボールPとか』
『数学つまんないぃ』
その他にも3通来た。が、どれも返さなかった。
「おはよーはよー」
あの日から3日目。彼が挨拶を返すことはなかった。そろそろ彼女の視線が痛かった。
そして案の定、手紙が来た。ああ、またいつもと同じか。そんな彼を裏切るような、ちょっとした変化があった。
『(・ω・`)』
顔文字だけ。たしか、転校初日も似たような手紙を受け取っていた気がする。
あのときはどんな返事をしたのか、思い出せない。まさか顔文字で返したはずはないので、きっと無視したんだろう。
『(・ω・`)』
また来た。同じ顔文字。
嫌がらせだろうか。
その次の授業中。また、来た。
『(;ω;`)』
変わっていた。泣いている。
……だから、どう返事をすればいいかわからない。
返さなかった。
この日の最後の授業。それは来た。
『(T□T`)』
なんだか大変なことになっているのはわかった。
それでも返事をすることはなかった。
そしてその日以降。
彼女からの「おはよーはよー」の挨拶、手紙、放課後の勉強。
どれも、なくなった。