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8.続 女子中学生が再び姿を消したときの捜索法(2011/5/9)

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 6、7話のあらすじ  家出少女を探すため、忍者を呼ぶことになった。



 清美が携帯電話で連絡をつけてから、十分と経たずにその人物はチャイムを鳴らした。
「さすがに早いな」
「ご無沙汰してます、安田さん。こちらは旦那さんですか?」
 招き入れられた人物は高校のブレザー制服に身を包み、150cmにも満たない背丈から、開いているのかいないのか分からない程の薄目で清美と義之を見上げる。
「うむ、紹介しておこう。私の夫、安田義之だ」
「初めまして。七後由花(ななしり ゆか)といいます」
 抑揚の少ない声であいさつをしてから頭を下げた彼女に、義之は戸惑いながらも訊ねた。
「お、おう。よろしく……で、由花ちゃん、が、忍者だってのは本当?」
 すると七後はしばし沈黙を保ってから、清美に向き直る。
「安田さん。ジョークを真に受けて、しかも言いふらすのは止めてください」
「いや、すまない。それ以外にお前を言い表す適当な言葉が思いつかなかった。それに何より、全くの冗談とも思えなかったのでな」
「……それより本題に入りましょう」
 次に七後が選んだ行動は、話題を逸らすことだった。

 清美達は七後を居間に上げ、昨晩からの経緯をかくかくしかじかと説明した。
「なるほど把握しました。その『相沢ゆかり』の所在を確かめればよいのですね」
「そうだ。お前の手を借りたい。このあまねく広い世間の中で、たった一人の居場所をつき止めるのは非常に困難だからな」
「買いかぶり過ぎです。とは言え、私に出来ることなら協力しましょう」
 正座している七後は息を整えてから口を開いた。
「まず質問を。その少女の財布を見たとのことですが、残金はどのくらいでしたか?」
「確か、たったの27円しか無かったと記憶している。殆ど文字通りの一文無しだ」
 清美は鮮明に思い出して答える。
「随分と切迫した懐事情だったのですね。その状態で、一人で?」
「とりあえず家から逃げて、もっと人の多い場所へ行って、薬局で眼帯を買って、そうしたら金が無くなって、あとは途方に暮れておったらしい」
「他に金目の物は何も?」
「無さそうだったな」
「携帯電話もですか?」
「持ってはいなかった」
 そこまで訊くと今度は、七後は部屋を軽く見渡した。
「では次に、この家から現金を持ち出されてはいませんか?」
「それは七後が来る前に確認しておいた。金銭物品、何一つ欠けることなく無事だ」
「そうですか。ならばもう突き止めたも同然です」
「ま、マジでか! もう分かったのか?」
 驚いて身を乗り出す義之に、七後は深く頷く。
「はい。私でなくても安田さんほどの胆力と明晰さがあれば、いずれ同じ答えに辿り着いていたでしょうけど、早急さを要する事態でもありますので、ここは私の口から伝えます」
 七後の説明によれば、要点は以下の通り。

・金銭や荷物に余裕が無かったことから、計画性の無い衝動的な家出と思われる。多くはその場合、自宅から極端に遠い場所までは行かない。
・携帯が無ければ、予め宿泊先を確保しておくことも難しい。
・さらに物を盗らずに去ったということは、この団地から遠くない距離に自宅があると予想。
・日常的に暴力を受けていたのであれば、学校でも目立っていたはず。もしくは、それを隠すため不登校になっていたか。

「つまり、市内の中学校を回って聞き込みをし、怪我の絶えない欠席がちの女子生徒を探ればいいのです」
「しかし七後。昨今の情報事情においては、そこから住所を辿ることは難しかろう」
「一晩の時間さえもらえれば、非合法手段によって閲覧することは可能です。公立学校の警備システムくらいなら抜け穴を通るのは造作もないことですので」
 七後は、とんでもないことをさらりと言ってのけた。すると斜向かいに座っていた義之は「忍者か? やっぱり忍者なのか?」と小声で呟く。
「……というのはジョーク。最終手段にしても、教職員に事情を説明して、児童相談所に協力を求めるのが定石でしょう」
 それを受けてか、口ごもった七後が次に示唆したのは、無難で常識的な方法である。
「そこで、似顔絵を描きます」
 清美から画用紙と鉛筆を借りた七後は、少女の特徴を一問一答形式――例えば、顎の輪郭は山なりか弓形か。頬はふっくらしているか否か。額の幅は手の平よりも広いかどうか。等々――で掘り下げていく。

 やがて目元を描く段になって、七後の筆は一度だけ止まった。
 それからはまた流暢に手を動かし、程なく似顔絵を完成させる。
 出来上がった絵を見せられて清美と義之は、その完成度の高さに息を呑んだ。ちなみに聞き込み用なので、眼帯は無し。
「特に目元が……」
「そっくりだぜ」
 描かれているのは、光を映していない、隈なく深い黒色の瞳だ。
「淀んだ目、というものには見知った例がありましたので」
 ふと七後は明後日の方を見やる。清美はそんな彼女に、敢えて自分の古傷に触れる問いかけをした。
「ならば七後は、虚ろな目をしているということは何を意味すると思う?」
 そうですね、と一拍置き、自分が描いた絵を一瞥して、七後は持論を述べた。
「私の経験と観察のみに基づいて語っていいのなら、これは、根底の部分で自己肯定が出来ないことの表れ。己を責め、自我を消した末に、理不尽に対して怒りも悲しみも持てなくなった人間の目です」
「そうか。お前がそう見るのであれば、きっとそうなのだろう。そうだったのだろう」
 腕を組んで清美が思うのは、今のゆかりのことであり、過去の自分のことだ。

 その後、七後はバイクに乗って中学校を回る係を担当した。七後自身にも学校生活があるはずなのだが、それを押しても捜索に集中したいというのが彼女の主張だった。
「私も最初は放課後だけのつもりでしたが、気が変わりました。私の親友もかつて、恐らくこれと似た空虚さに捉われていました。そのとき私は彼女の救出に際して一手も二手も遅れました。そのせいで、今はもう充分ですが、回復に時間を要しました。だから本来的に私と『相沢ゆかり』の間には何の縁もありませんけど、今度こそ可能な限りは迅速に動きたいのです」とのことである。
 一方で義之は普通に会社へ行った。正確には、行かされた。
 本人はゆかり捜索に力を注ぎたがっていたのだが、清美が待ったをかけたのだ。「安田くんの気持ちは分かる。だが高校生が学校を休むのと、社会人が勤務を怠るのとでは重みが違うではないか」とは彼女の言だ。義之としてはこれにも不満げだったものの、清美はさらにこう言って意見を通した。
「あの娘を連れてきたのはきみだ。それなのに、この期に及んできみを前線から外すというのは、確かに私のわがままだ。しかし安田くん。私はかつて、きみに心を救われた。そんな私が、今度はあの娘を救うのだ。そうしてこそ恩返しの巡りが繋がると思うのだ。だからあまりに独善的で偽善的であるのは承知の上だが、いやそもそも他所の家庭問題に首を突っ込むこと自体が我執によるものなのだが、どうか安田くん。この先は私に一任してはくれまいか」
 戦場に向かう侍のような眼差しでこうも真剣に訴えられては、さすがに《全ての女の子の心に花束を》を密かにスローガンとして掲げる義之でさえも、受け入れざるを得なかったのだ。

 そして清美は似顔絵のコピーを片手に、市内でも比較的人通りの多い場所に当たりをつけて回った。順当なところではコンビニや駅前のスーパー、昔ながらの商店街など。ゆかりは母親が亡くなった後で家事を一手に引き受けていたとのことなので、どこかしらで買い物をしていたはずなのである。
 実際に予想は的を射て、すぐに目撃情報は集まった。その範囲からして清美と生活圏が近いということも分かった。
 しかし肝心の、正確な身分と所在までは不明なままだった。


 事態が急転したのは、正午を過ぎた辺りのこと。清美がいくばくかの不安を覚え始めた矢先に、七後からの電話連絡が入った。
『四校目にしてヒット。必要な情報は全て入手しました』
「でかした。しかしそれにしても早いな。どうやって調べた?」
 朗報に一安心し、駅近くの歩道橋を歩いていた清美は欄干に寄りかかる。
『訊けば普通に教えてくれました』
「探る側の我々が言うのも何だが、個人情報保護の意識は無いのか?」
『学校側としても、どうにかしてやりたいとは思っていたらしいです。だからといって面倒事は背負いたくないという宙ぶらりんの状態ですね。あと、私の母校でもありましたので、話を通すのは楽でした。案ずるよりも産むが易し、です』
「そうか。ますますもって、七後に頼んだのは正解だったな」
『運がよかっただけです』
「いや、縁(えん)がよかったのだ」
『同意します。ただ一点だけ、伝えられていた情報に齟齬(そご)がありました』
 電話口からの声はあくまで平淡に、家出少女のついた嘘を指摘する。
『例の少女の名前、「相沢ゆかり」ではなく、正しくは「吉瀬ゆかり」だそうです。少なくとも、学校の名簿に登録されている姓は「吉瀬」となっていました』
「きちせ……?」
 清美は呟いて目を細めた。
 聞き慣れない苗字だ。だが何か引っかかる。どこかで耳にしたような気もする。しかしどこでだろう。芸能人の名前だろうか。いや、もっと身近なところではなかったか?
『安田さん?』
 漠然としたものを解消しようと努める清美だったが、七後からの声で思考は中断された。
「ああ、すまない。名前の是非についてはこの際、脇に置くことにしよう。それよりも彼女の住所だ。どこにある?」
 うっかり余計なことを考えていた自分を胸の内でたしなめ、清美は姿勢を変えて似顔絵の紙を欄干に乗せるようにした。それから携帯を顎と肩ではさみつつ、ジーンズのポケットからボールペンを取り出す。
『はい、それが実は……』
 七後は少しだけ言いよどんだものの、得た情報は正しく伝えた。
 初めのうちは半ば機械的にメモしていた清美だが、聞くうちに眉をひそめ、全て書き終わった頃には唖然としていた。
 見慣れた住所だ。いや、見慣れたどころではない。身近も身近だ。
 同時に、先ほどの心曇りも晴れた。
「これは本当に、本当のものなのか?」
『間違いありません。一週間ほど前に家庭訪問をしたときにも父親はそこにいたと』
「ならば、そうか。ああ、そうか……」
 清美の口から乾いた笑いが漏れる。
「七後よ。私は今日という今日ほど、自分を恥ずかしく思ったことはない。自分の愚かさに怒りを覚えたことはない。これは、私の世間に対する無関心さが招いた結果の一つだ。知っていれば知っていたのだ。気付いていれば気付いていたのだ」
 無意識に、ペンが折れんばかりの力が指先に込められていく。
『猛省しているところを申し訳ないのですが、安田さん。敢えて訊ねます。然るべき公的機関に通報しますか? それとも、電撃作戦を決行しますか?』
 清美は即答した。
「無論、後者だ。この憤懣(ふんまん)やる方ない気分を抱えたまま手をこまねいているなど、はや一夜たりとて辛抱ならん。いや一刻一秒さえも」
 そこで通話を切り上げ、一も二も無く駆け出す。


 ところがそう言いながらも清美は直接そこへ行くのではなく、まず自宅に戻っていた。それから寝室の押入れを開け、ティッシュの買い置きやら日曜大工用の工具入れやらを掻き分けて、奥に眠っている桐の長箱を引っぱり出した。
 畳の上で神妙に正座し、一礼してから桐の箱を開ける。綿と乾燥剤が詰められた中に横たわっているのは、藍色の地に梅の模様が刺繍された剣道用の竹刀袋である。
 清美は深呼吸で気持ちを整えた後に、それを掴み、窓の外を一瞥して立ち上がった。
「ご一緒しましょう」
 玄関の扉を開けて歩き出すと、いつから外で待機していたのか、まるで影のように七後がついて来る。清美は足を止めず、目配せと首の動きで同行を許した。
「安田さん、それは?」
 今度は七後の僅かに開いた細目が、竹刀袋を示す。
「いざというときのためだ」
 清美は団地の廊下で立ち止まり、袋を紐解いて中身を覗かせた。
 一瞬、七後の眉が上がった。
「本気なのですか?」
「言葉だけで全てが収まるとは限らないからな。もちろん使わずに済むならば、それに越したことはないのだが」
 いつでも取り出せるように袋の口を開けたまま、また早足で目的地へ向かう。

 この界隈に、職を失って自暴自棄になっている男がいる、とは噂程度に聞いていた。その男に娘がいるらしいということも、もしかしたら聞いたことがあったかもしれない。
 しかし清美はずっと聞き流して忘れていた。所詮は他人の不幸を聞いて安心するような連中の、俗な野次馬根性だと思っていたからだ。そういった下世話なゴシップには興味が無いし、元より関わるまいと決めていた。
 今回ばかりはそれを恥じた。
 七後から報告された住所は安田夫妻が住む団地の別棟。しかも清美の部屋から見て、駐車場を挟んでまさに向かいの場所こそが「吉瀬ゆかり」の家なのである。
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