「砂遊びを――しましょう」
中途半端に偏差値の高い大学に通ってしまうと碌なことがない。
いや、それは全て、総じて私が原因であることぐらい分かっている、実力相応でない大学に入り、その結果無駄に矜恃が高くなり、己よりランクが下の大学に通う人間を卑下し、哀れみ、高笑いし、学歴のみで友人をいびり、そして存分に優越感に浸る。あの頃の己がどれだけ醜く、見るに堪えない存在であったか、浅はかという言葉を用いることさえも勿体なく感じてしまうほど実に気色の悪い存在であったことだろう、よく友人が雲散霧消しなかったものである。
そんな無駄な行為に全力を注ぎ倒した結果この有様だ。卒業の為に必要な単位が4回生であるにも関わらず余裕で足りず、毎日1限目から大学に通わなければならない羽目になり、それでも足りない分は教授に土下座して単位を取りに周り、かといって公務員試験は合格せず、就職活動も大企業を中心に受けに行った結果可憐に全滅。ならば妥協し、中小企業に焦点を絞ればいい話なのだが、ここで先程の大学生活4年間で大切に培ってきた矜恃が長友顔負けの見事なディフェンスを見せつけてきた為、雁字搦めになってしまった我が精神は電車内で騒がしい純粋無垢の小学生にマジギレするまでに落ちぶれてしまっていた。
惨め、惨めの極みとしか言いようがない。
こうなると人間というのは恐ろしいもので自分の行動に一切の歯止めが効かなくなる。その日、かれこれ30から数えるのを放棄した企業の面接に全くの手応えを感じていなかった私は、気づけば西宮北口から今津線に乗り換え、何を思ったか友人の付き添い程度でしか行った経験のなかった阪神競馬場へと足を運び、あろうことか馬券に手を染めてしまったのである。精神崩壊の音が愉快なパレードにでも聞こえていたのであろうか、末期である。
しかしいざ3歳戦や4歳戦のレースに何となく新聞に書かれた情報を見ながら、時に隣にいるオッサンの賭け方を覗き見しながら馬連や馬単という形式で賭けてみたところ、次々と、面白いように的中してしまい、気づけば帰り電車賃であった野口英世氏がいつの間にか福沢諭吉氏2枚になるという変化と分身の術を会得していたのである。なんということでしょう。
無論私は舞い上がった。不幸だ、不幸だとどこかのそげぶ男の如く日々己の不遇を呪い続けていたが、全てはこの日の為の布石だったのかと、そう思える程に清々しい気分であった。
だが冷静に考えて欲しい、この状況はオイル切れの歯車を無理矢理動かしている状態に過ぎないのである。一見すれば荒んだ精神がマネーパワーによって大々的な復活を遂げたように見えなくもないがそれは大きな間違いである。たかが賭け事に勝った程度で復活した精神をどうして強靭と言えようか、そんな安い精神、継ぎ接ぎで作り上げたハリボテ以外の何物でもない、鬱になった心を薬物で誤魔化しているのと何ら大差ないのだ。ただちに影響あり、だ。
故に私は本日の大一番、桜花賞に、未開拓の三連単で、全額を賭けてダイブしたのである。浅薄な知識が数々の偶然によって優秀な頭脳という幻想を見せた果ての暴走と言っていいだろう。いや、もしかしたらここでも私の矜恃が拍手喝采ものの暗躍をしたのかもしれない。
その後の展開は一々語らなくとも先見生がおありの読者様は皆お分かりであることだろう、私の上半期最大の無様な姿を淡々と描写したところで時間の無駄というものである。
※
そうして私は帰宅手段を失い、近くの公園のベンチで無様な面をさらけ出しながら、殆ど廃人状態にいたところを突然、彼女は声かけてきたのだ。
「…………?」
昨今の制服というのは私立であれば実にお洒落で、電車に乗っていても思わず目を惹くほどのセンスを感じるものが多い、公立であっても、私立ほどではないとしても実に現代的な装飾が施されているぐらいだ。当然例外など腐るほどあるのは分かっているが少なくとも私の行動範囲で見掛ける女子高生というのは皆、そういった制服を身に纏った者が大概であった。
だからこそ、女子高生の制服をこよなく愛す、三度の飯より制服の私だからこそ一目で疑問が沸いたのである。何故彼女はセーラー服を着用しているのかと。
常日頃女子高生の制服を視姦している私には甚だ奇妙な光景だった。何故ならこの界隈でセーラー服を着用し登校している学生など見たことがなかったからである。仮に見落としていたとしてもセーラー服など前時代的な制服を採用するような高校など果たしてあるだろうか、ましてや明るい色ならまだしも、黒を基調にした制服など素朴を通り越して聊か戦後臭い。
しかしふと肝心の顔の方を覗いてみると、彼女は真に私好みな純和製の妖艶な顔をしており、腰まで伸びたその艶やかな黒髪は彼女の美しさを一層引き立ていた。2次元3次元差別せず様々な美男美女(ただし美男は男の娘)を分別してきた私だが、彼女はその中でも別格のオーラを放っていた。その為そのあまりの美貌に目が眩んでしまった私は、爺婆が暮らす瓦屋根の木造の一軒家の臭いが漂っていそうな制服に加えて彼女から放たれた奇奇怪怪な台詞に対しての絶大な不信感を、全てダイソンの掃除機で吸い込むかの如く盲点の彼方に破棄してしまっていた。
頭の捻子を自主的に緩めにかかった私を止める術は最早存在しない、覚せい剤取締法の容疑で尿検査をすれば陽性反応間違いなしだ。
「――ふっ、いいだろう、後悔するなよ小娘」
こうして私は山崩しに興じることとなった。
刮目せよ、これが底を貫いた男の成れの果てである。
※
休日の昼下がりだというのに公園には私と彼女以外に誰もいなかった。競馬帰りの子連れジャンキー夫婦ぐらい立ち寄りそうなものだがそんな様子もなく、まるでこの公園だけ別次元に隔離されているかのように、公園を通過する者さえ現れなかった。
よくよく周りを見渡すともう何十年も前からこの公園は存在しているのだろうか、滑り台も、ジャングルジムも、鉄棒も、バネの上にあしらわれた不気味な面をした動物の上にのってギッコギッコする遊具も、全て錆だらけになっていた。花壇も碌に手入れされていないのだろうか、草は伸び放題、花は枯れ放題という有様。こういう公共の場の手入れや補修というのは一体何処が請け負っているのかは知らないがあからさまな職務怠慢が垣間見えてしかたがなかった。
こんなずさんな仕事をしながらも彼らはのうのうと高額な給料を毎月貰っているのだと思うと己の理不尽な境遇と相俟って尋常じゃない怒りが沸き上がってきた。可能ならばいっそこのまま憤死してしまいたい。
「なあ、お前はよくこの公園を利用しているのか?」
しかし、このまま不用意に怒りをため込んでも仕方あるまい。その所為で今度は電車内でがめつい老害にマジギレしてまってはそれこそただの当たり屋になってしまう。それを危惧した私は自らの気を逸らすように眼前の不思議ちゃんと電波な会話に花を咲かせることにした。
「そうね、この年になってからは流石に利用することは殆ど無くなったけれど昔はよく両親に連れられてきたものだったわ、私はギャンブルにも馬にも何の興味も無かったから、父がギャンブルに没頭している間はお母さんや同じ境遇の子供とずっとここで遊んでいたの」
「幼少の頃からギャンブルに興味があったらモノホンの賭博狂だけどな。しかし、唐突に『砂遊びをしましょう』とか言い出すからとんだ電波少女かと思っていたが、至って普通の女子高生だな、寧ろ今時珍しい品行方正な女子高生な鏡みたいな喋り方をする」
「失業中のハローワーカーにそれを言われたらおしまいだわ」
「待て、何故現役大学生の就職活動という可能性を省いた」
「まあでも、突然そんなことを言えば気色悪いと思われても仕方ないわよね――別に大した理由じゃないわ、ただ久し振りにこの公園を通りすがったから妙に懐かしくなって……、そうしたらベンチに干物と同等のレベルの窶れた顔をしたあなたがいたから私が発案した『童心に帰っちゃおうごっこ』に誘ってあげたまでよ。どうせ暇だったんでしょ? 感謝しなさい」
そう言うと彼女は棒が突き刺さった砂山を芯だけが残った林檎みたいな形に変形させた。
「……おい、まだ1週目だぞ、いや、実質まだ半周だ。だというのにこの変形具合は一体なんだ。しかも若干棒が斜めを向いているじゃないか、これもうちょっと触れただけで倒れるぞ、おかしいだろ、どう考えてもやりこんでいるだろ、『俺全然勉強してないわー』とかいいながらちゃっかり数学で100点取ってくる奴と同じ人種だろ、ふざけろ」
「因みに敗者はジュースを奢る仕組みになっているわ、そして次戦は前戦の勝者が先攻」
「ふっ、残念だったな、つい先程私は馬券で全財産をすってきたところだ。悪いがその破産ルートまっしぐらの無茶苦茶な賭けには乗ることは出来ない」
「ちょっと行って道路を渡ったところにアコムがあるわ、そこで借りてきなさい」
「たかがジュースを奢る為に消費者金融に足を運ぶ阿呆がいるか!」
「あら、既に人生を8割強詰んでいるにも関わらずまだそんな偉そうなこという元気があったのね、そんな糞以下な境遇の中私みたいな美女と遊べているだけでも奇跡に近いというのにジュース数本も奢れないだなんて……傲慢で安っぽい男だわ、童貞ならではの思考ね」
「自覚ありとは……とんだ悪女だな、絶対友達いないだろ……」
「友人の前で猫を被れないようじゃ世の中を渡り歩くのは難しいわよ」
「お前本当に高校生かよ……」
それにしても、猫を被る、か。
いつから私を含め人というのは他人に対して自分を隠して生きていくようになったのであろうか。いや、勿論自らを常にさらけ出している人もいることにはいるがそういったタイプの人間は驚異的な大成を遂げるか社会の波に揉まれて海蘊となるのが2択のみである。そんな無謀な賭けに出るぐらいなら人は無難な道を選ぶ、自らの感情を底に沈め、上の人間に媚びへつらい、良好な関係を維持しようと努める。そうすれば日々の生活は保障されるからだ。初めは辛いかもしれないがいずれは位も上がっていき贅沢な暮らしで己の精神も癒すことができる。それを考えれば誰だってその程度我慢出来る。世界は、取り分け日本というのはそういうスタイルが悠然と罷り通っている。反吐が出る話ではあるがそれが何百年に渡る歴史が生み出した答えなのである。まだ人生の半分も生きていない私如きが声を荒げて反対する権利は無い。
だが、そんな世の中においても自由奔放に、純粋無垢に己をさらけ出せる時期がある。
それが、幼少期というものだ。
※
「しかし、こうやって砂遊びをしていていると思うが、子供の頃というのは本当によかったよな。子供の頃は子供ながらに色んな不満を持っていたものだったが、何のしがらみに捕らわれることもなく、純粋に好きなことやって、夢に思いを馳せて、食って、寝て、その繰り返しだもんな、つまらない現実と向き合う必要が無いなんて、これ以上の幸せは無いよ」
「こうして5連敗することもないものね」
「子供なら得意不得意はあるとしても大体皆スタートラインが一緒だからな。後はそこからいかにやりこむかだ。結果的に差がついたとしてもこうやって狡い真似をする奴はいない」
「何と言おうがジュース5本は確定だから、今日じゃなくとも別の日に必ず徴収するわ、私達は子供じゃないもの、甘えは決して赦されない。それが社会の常識でしょう?」
「容赦なさ過ぎる」中に還暦目前のオッサンでも入っているのか。
「ふふっ、たかが750円じゃない、いくら今お金が無くともそれぐらい家にでも銀行にでもあるでしょ? それに、社会人になればそれぐらいあっとういう間稼げるようになるわよ」
「おい待て、さり気なく500mlで換算しているだろ、どこまであざといんだお前は」
「あら、いかにも文系面をしているからてっきり計算なんて高校以降習っていないものかと思っていたけれど、もしかしてあなた理系なの?」
「理系じゃなくともこれぐらい出来るわ! 俺の脳みそは公園の鳩じゃないんだぞ」
「やだ、そんなこと言って鳩に失礼だと思わないの?」
「やだ、死にたくなってきた」
「冗談よ、そんなことで一々拗ねていたら一生童貞のままよ」
「童貞前提で話を進めるのを止めて貰えませんかね」
いや、全く持ってウザいことこの上ない。というより就職間近の大学生が成人すら迎えていない高校生にいいように言われて気分がいい奴などいる訳がないだろう。もしそんな奴がいるとしたらそいつは大脳皮質が壊死しているか、生粋のマゾヒストかのどちらかだ。
だがこれが不思議なことに、会話を繰り返す度に彼女が心底楽しそうに笑う姿を見ていると、腹が立っている自分が馬鹿らしくなるのだ。真に女の笑顔というのは薬物に通ずる嫌いがある。
連日の不幸の連鎖に我が精神は完全蝕まれ、とうの昔に穴だらけになっているかと思っていたが、女の笑顔でストレスが緩和されるのならまだ防虫剤を置く価値はありそうである。
「だから次は鬼ごっこをしましょう。じゃーん、けーん――」
「次から次へとお前は好き放題してくれるな、全く――――ほい!」
負けた。
※
女だからといって侮ることなかれ。
彼女の早さは尋常ではなかった。いくらぬるま湯に浸かった大学生活を送っていたとはいえ、これでも高校時代は中々の速力を誇っていたのだ。つまり私は彼女との鬼ごっこに負けるつもりなど毛ほどもなかった。寧ろわざと捕まってゲームを盛り上げてやろうとさえ思っていた。
だがしかし、いくら全力で追いかけても彼女との距離は一向に縮まらないのだ。まるでランニングマシーンで走っているのではないかと思わせるほど、彼女と距離は常に一定に保たれていた。それだけならまだしも、彼女の瞬発力は群を抜いて異常だった。私の巧妙な策の末、稀に公園の隅に追い詰める機会があったのだが、彼女は一切動じることなく私のメッシ顔負けのフェイントなど完全無視で自分の信じた隙間をその瞬発力でかいくぐって行くのである。
その度に私は何度もこのリクルートスーツが悪いのだと服装を言い訳にしようとしたが、それはセーラー服を着ている彼女も同じなのだから流石に声に出しては言えない、その悪循環が時間と共に己の小物っぷりを浮き彫りにし、気づけば私は殆ど半泣きになっていた。
「ああ……、俺はもう本当に駄目なのかもしれない……」
「何よ、もう音を上げたの? 情けないわね、本当は童貞じゃなくて去勢済みなの?」
「そうじゃねえよ……もう全てが駄目なんだ……、何でこんなことになっちまったんだろうなあ……いや、総じて俺の所為なんだけどさあ……たまたま実力不相応の大学に入学して、それで全部満足しちゃって……、それで無駄に矜恃だけが高くなっちまって、碌に勉強もしてなかった癖にお山の大将気取って、それがこの有様だよ……、単位もギリギリで1日1回は土下座しに行って……、公務員試験も受からず、50社受けても内定は出ない、調子に乗って馬券は外れる、終いには女子高生相手に脚力で勝つことも出来ない……、終わりだ……もう何も残っていやいしない……お前の言うように俺は彼女も出来ない童貞の……、鳩にも満たない蚤以下の存在だよ」
走り、疲れが溜まると同時に精神までやられてしまい、人は簡単にボロを出す、惨めさもここまでくると弁護の余地がないが、精神的、肉体的に限界に来ていた私という存在にそんな矜恃は最早存在しない、社会経験どころか大学経験さえ皆無の彼女に赤裸々に吐露してしまっている時点でそれは明白であろう。気づけば私の速力は競歩、いや、徒歩以下となっていた。
するとそれに対し彼女は一切息を切らすことなく、淡々とした口調でこう答えた。
「……そうね、あなたは蚤どころか塵みたいな存在だわ、醜いったらありゃしない――けれど終わりではないわ、それはあなたが勝手に自分の周りにバカスカと壁を作った所為で脱出方法が分からなくなって、嘆いているだけだもの。勝手に一本道しかないと勘違いしているだけ、それではいつまで経っても塵は塵のままよ。もっと俯瞰的に物事を見れるようになりなさい、子供の頃のように、自由奔放に、勿論奔放過ぎてはいけないけれど、大人だからといってそうやって考えるのが駄目な理由はないわ、寧ろそういう考え方も出来る様にならないと駄目。あなたはこの公園じゃないのだから、道はいくらでも造れるはずよ」
「この公園……? 何を――」
一瞬何を言っているのか理解が遅延したが、ふと周りを見渡すと先程私が座っていたベンチの丁度真後ろに『工事のお知らせ』と書かれた看板が立て掛けられており、よくよく見るとそこにはこの公園の閉鎖にお知らせについて書かれていた。
「なんだよ、この公園……潰れるのか?」
「そうよ、潰して更地にして、駐車場に生まれ変わるみたい。でも仕方ないわ、昔は子供の声が絶えない程利用者も沢山いたけれど今は殆ど来ていない、子供も外で遊ぶより家内でゲームをしている方が断然楽しいもの、そういった時代の変化にありきたりの遊具しか置いていない公園が太刀打ち出来るわけないわ。だからといって自治体が力を入れるほどの価値がある公園という訳でもない、なら売り払ってお金にして、別のことに使った方がよっぽど有意義よね」
成程、荒れ果てていたのは職務怠慢ではなく、単純にもう整備する必要がないから放置されていたのか、人気のない公園に最後までお金を使う必要はないのはもっともな話だ。
「でも……思い出の場所が無くなるっていうのはやっぱり辛いものがあるよな、ずっと使ってなかった分際で偉そうなことは言えないのだろうけど。だからといって署名を集められるほどの反対の声も無いのだろうな、寂しい話だがこの公園の運命は決まったも同然って訳か」
「そう、だから己の力でどうこう出来るあなたには腐って貰っては困るのよ、諦めず頑張れば、きっとあなたなら現状より遙か上の、素晴らしい未来を掴めるはずよ、あなたにはその素質がある――これは今日私と遊んでくれたお礼としての助言」
「……? お前、一体何を言って――」
その刹那、私は異常なまでの眠気に襲われ、前のめりに倒れそうになる。
それを避けようと、必死に踏ん張って地に膝を着け耐えようとしたが、まるで上から何物かによって押さえつけられるような身体の重みに抵抗できず、あっさりと倒れ込んでしまった。
それでも彼女を見ようと、睡魔と攻防戦を繰り広げながら何とか顔を上げると、彼女は私の方を向いて、少し寂しそうな顔をしながらも――微笑み、そして――
「今日は本当に楽しかったわ、もうこんな廃れた場所、業者以外もう誰も来ないと思っていたけれど、最後まで待ってみた甲斐があった――次はいつ会えるか分からないけれど、そうね――あなたがお金持ちになってここら辺に今よりもっと立派で、子供が毎日笑って楽しんでくれるような公園でも建ててくれれば――また会えるかもしれないわ、その時はちゃんと約束のジュースを奢ってちょうだいね、贅沢なお願いかもしれないけれど、あなたならきっと出来るわ、鬼ごっこに負けた罰とでも思って、叶えて頂戴、叶えてくれたら――」
※
果たしてどれぐらい眠っていたのだろうか、そんなありがちな思索に耽りながらゆっくりと起き上がり、時計を見ると、気を失ってからたったの5分しか経っていなかった。
何故突然眠気に襲われたのだろうか、精神的な疲労と肉体的な疲労がピークに達すると身体が強制的にシャットダウンでもしたのであろうか、いや、それは流石に無理がある。
「……………………あの子は?」
ふと彼女のことを思い出し、辺りを見渡してみるが何処にも彼女の姿はなく、公園の中心に汚れたリクルートスーツを着た男が立ち尽くしているだけであった。つまり私だった。
全部……夢、だったのであろうか、苦痛すぎる現世から逃れるために強制的に眠りに入り、夢想の美女との好奇な遊びに興じる夢を見てしまっていたのであろうか。ならばせめて家に帰ってから気を失って欲しいものである。こんな所で倒れていてはあらぬ勘違いされて救急車を呼ばれてしまうではないか、自分の身体も満足に管理出来ないとは……全く情けない――
「――いや、やっぱり夢じゃない……のか?」
そこには、砂場にはくっきりと、林檎の芯だけが残った状態のような砂山がそのままになっていた。こんなハイクオリティな芸当が出来る奴、彼女以外にいるまい。
あれが現実だったとするならば、彼女は実に奇妙な女だった。
この山崩し技術もさることながら、鬼ごっこにおける彼女の脚力は常人の域を超えていた。それに加え、彼女はまるでこの公園を知り尽くしているかの如く縦横無尽に隅々まで動き回るので、結果私はどれだけ頑張っても捕まえることが出来なかった。走っている時は己の精神が脆弱であった為に全て自分の軟弱な身体の所為にして嘆いていたが、あの身体能力や地の利はどう考えても異常と言わざるを得ない。丁寧且つ辛辣な口調に惑わされてっきり平凡な女子高生だと思い込んでいたが……最後の言動といい、まさか――
「いや、そんなわけないか」
いくらなんでもそれはない、流石の私もそこまで狂ってなどいない。
――しかし、たとえ私の妄想であったとしても彼女の言っていた助言を鵜呑みするのも悪くないかもしれない、どうせここまで落ちてしまったのだから不毛な就職活動や単位取りに必死になるのではなく、あえて別の、新しい分野に挑戦してみるのも1つの手だ。それで駄目だったら、また別の、可能な限り頑張ってみよう、少なくとも現状よりはまだ、楽しい未来があるかもしれない。それで彼女が言うように道が開け、あわよくば成功するのならしめたものだ。
すると、ポケットにあった携帯が突然激しく私を囃し立てたので、私は慌てて電話に出る。
「もしもし――はい、――はい、――え? あ、はい! ぜ、是非よろしくお願いします!」
どうやら、彼女は本当に神様だったのかもしれない。
※
「あ、ちょっと君いいかな」
「え? はい、何でしょうか」
「先程黒いスーツを着た不審者がこの公園で女子高生を追い回している、といった通報が入ってきたんだけどね、ちょっとお話を聞かせて貰ってもいいかな」
「えっ!? あっ、いやっ、その…………、はい……」
しかし彼女は、どこまでもサディストな神様でもあるようだ。
【了】