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プロローグ

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 病院の天井はとうに見飽きた。あらかじめ持ってきておいた本も読み尽くしてしまった。テレビを眺めようにもカードを買うだけの金がない。普段よりも億劫だが、歩くことはできる。だが、外へ出ることはできない。
何もすることが無かった。宿題は片付けてあるので何をしようが自由であるのだが、その自由が制限されているのだ。当然、勉強はやる気にならない。
 自然とため息がこぼれる。
「まったく、本当に運が悪いな。よりによって、こんな時に・・・」
 気だるい体を起こして、のろのろとした足取りで廊下に出た。廊下ですれ違った看護師と挨拶の言葉を交わしながら、お気に入りの場所へと歩いていった。
 そこは、小さな長方形のテーブルに二つのソファが置いてあり、大きなガラス張りの窓から街を臨める場所であった。
 窓から日の沈む方角を見る。夕方の薄暗い闇に辺りが刻々と閉ざされていく。まるで今の自分の心境を空が反映しているように思えた。
 今から数日前。何の前触れも無く、マーティは原因不明の高熱を患った。どこからもらってきたのか、風邪の中でも特に悪い性質を持ったものが体内に入り込んできたらしい。発症してしばらくは、ひどい咳と頭痛と体の節々の痛みにすっかりまいっていた。
 それは現在、完全とまでは言えないまでもすっかり落ち着いていた。一日もすれば完全に回復するという。
 それでも、マーティの心は未だに深く沈んだままだった。
 マーティの入学したノーサイドA区高等学校では、五月に新入生同士の親睦を深めるという名目で、四日間の旅行が予定されていた。本年度から導入されたこの行事に歓声を上げた生徒は少なくなかった。マーティもそのうちの一人なのだが、この有様なのである。
 ポケットの中で振動とともに軽快なメロディが流れた。携帯電話をマナーモードにしていなかったのだ。着信の画面には、友人の一人の名前が表示されていた。
「はい、もしもしルイ。元気?」
 通話ボタンを押したとたん、にぎやかなざわめきが聞こえてきた。
「ああ、へーき。お前はどう、風邪。大丈夫か」
 ルイが明るい声を返してきた。
 ぽつねんとただ一人で病院の窓の前にたたずんでいる自分と、どこかしらの宿泊施設でクラスの解放的な雰囲気に浸りながら笑っているであろうルイとを、まるで別次元のように隔てているものがあるように感じた。
「明日付けで退院できるんだ。いやー、ホント暇だったわ」
「ハハッ。まあ、災難だな。すごい苦しんでたからなぁ、お前」
 電話の向こうのルイはマーティを気遣ってか、あえて旅行の話題には触れてこないらしい。
「お前にこの苦しみがわかるか。笑ってやがると電話越しに感染させてやるぞ」
 ルイが明るい笑いが聞こえた。この男はいつも明るくていいな、とマーティは思った。
「お、アリアが居るぞ。代わってやろうか」
「いや、いいって。それよりもそっちの様子を聞かせてくれよ」
「照れるなよ。あ、行っちまった。まあ、いいや。ちょっと雨が降ってるけど、かえってそれがいいムードを醸してるって感じだ。ほかに聞きたいことは?」
「ああ。ひとつ聞いていいか?」
「うん、何だ?」
 マーティは少しいいにくそうに言った。
「お前から借りといたやつ、もうしばらく借しといてくれるか?」
 ルイはあぁ、と小さくこぼして、言った。
「別にかまわねーよ。でも、無くすなよ。結構値の張るモンなんだから」
「わかってる。ありがとう、心の友よ」
「この前はヤバかったよな。もう少しで見つかるところだったしなぁ」
 ルイが思い出したように笑いながら言った。
「見つかってたらと思うと、怖くて夢に出そうだ」
 マーティも笑う。
「まあ、今度はうまくやれよ。見つかっても俺は知らんからな」
「わかってる。そんなどじな真似はしないさ」
「言うねぇ。おっと、自由時間が終わっちまう」 
「あ、そうか。そんじゃあな、お土産よろしく」
「ああ。じゃーなー。見つかんなよー」
「じゃあ」
 通話が切れた。マーティはしばらく待ち受け画面に戻った携帯電話をぼーっと見つめていた。ルイと話していたときに忘れていた虚しさが、二倍となって返ってきたようだった。
 自動照明が点いた。外はもう暗く、街の灯が無数に夜を彩っている。数分ほどそれを見やっていたが、マーティは窓に背を向け、来たときと変わらない足取りで自室へと戻っていった。
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