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第三金曜日の朝九時。二ヶ月間も楽しませてくれた生贄を祭りに届けてきた昨夜から一睡もしていない俺は明瞭でない意識のまま家路を目指していた。
群青の空に包まれた新宿駅の木偶人形たちの隙間を擦り抜けて行くのが俺。
どしゃぶりの生温かい雨に打たれて俺の精神に傷が根付くのを悟る。
ずぶ濡れの俺を見る心無き人々の眼が俺の感性に新しい影響を与える。
人の定義する世界において罪無き人たちさえもこの空の下では唯一の共通項を得ている。
酸性雨は俺たちを浸食して晴れの日には有り得ない憎悪を胸に花咲かせる。
それは例えるなら無垢な少女に両親の性行為をこそりと覗かせるようなものだろう。
俺たちは他の霊長類のソレに比べれば鬼畜で変態で下等な肉欲の塊だろう。
俺に明日はない。今日があることが奇跡のようなもの。そして過去は振り返れない。

玲子「……きゃっ」
俺と肩がぶつかったのは小柄な女性だった。俺は人の顔は一秒以上見れない人間だから顔を背けて声だけを投げかける。
結城「大丈夫ですか?」
玲子「ちょっと、しっかり前向いてくださらないと、ってあれ…結城先輩?」
結城「奥井…?」
濡れたアスファルトに尻餅をついていた彼女に手を差し伸べる。同じ専門学校に通う奥井玲子は、僕より一つ年下の二十二歳の女優志望の女。
結城「悪かったな。前を見ていなくて」
玲子「私こそ、ボーッとしちゃってましたから、すみませんでした」
玲子とは学校では同じクラスだけど、殆ど口を聞いたことはない。クラスメイトが集まる飲み会とかイベントで他愛も無い世間話をする程度のただの知人に過ぎない。
だから、玲子の手に触れたのも、顔をこんなに長く見つめたのも初めてだった。

玲子「でもさ、こんな雨の日にどうして傘も差さずにズブ濡れになってるんですか?」
結城「身体を清める為だよ」
玲子「酸性雨で?なるほど、それもありかもしれませんね」
結城「バカ。適当な返答に納得した顔するんじゃないよ」
玲子「そうなのですか?私、先輩とあんまりお話したことありませんからよくわかりませんでした」
結城「今日は土曜だろ?奥井こそ何やってんだ?」
玲子「友達に会う約束をしていたんですが、ドタキャンされちゃいました」
結城「そうか。これから暇なんだけど、カラオケにでも行く?」
玲子「本当ですか!?是非、喜んでっ」

この子の恐らく無垢であろう笑顔が痛い。汚れた俺には投げかけて貰えるべき代物じゃない。
俺は数時間ほど前に一人の女が朽ち果てるのを見届けたばかりで、現実であるはずのそれが夢うつつのように思えてならない。
いや、寧ろ目の前の彼女との会話自体が俺にとっての夢なのか。

結衣は俺の四番目の彼女の名前で我々ヘルズファイアクラブにとって三番目の生贄に認定された哀れな子羊なのだが、結衣は高飛車で自信過剰な性格で度々僕と結衣は衝突をした。
その度にヘルズファイアクラブの参加者たちの嘲笑を浴びせられていた僕たちだったが、結局のところ最期まで結衣は僕を信用していたようだ。
それは僕が考えていた彼女の末路のシナリオとは面白いほどにズレていて若干だけど胸が痛んだ。空っぽのはずのこの胸が。鼓動をもう一度だけ呼び起こしたような。
そのせいで彼女のラストシーンに立ち会えなかったのは残念だけど、俺がその場にいたならきっと涙を流して彼女の解放を奴らに懇願していただろうと思う。
そんなことを奴らが許してくれるなんて思っていないのにね。
結衣「…ここは何処なの?それに、そのカメラは何?」
結城「ただの車載動画の撮影さ。君ならわかるだろ。ニコニコ生放送が大好きなのだから」
結衣「車載動画って、なんでデートしてるのにそんなの撮る必要があんのよ」
結城「必要があるんだよ。なんせ、すでにイベントは始まっているのだから」
結衣「…イベント?」
結城「もう少しだ。もう少しでキラメキになる」
結衣「あなた、最近になって薬の量が増えたっていってたけど、大丈夫なの?」
結城「僕はいつだって大丈夫。いつだって気分は心地いいのさ」
お前という生贄とヘルズファイアクラブというフリークスたちの競演の中心に立っているだけで俺は主役として輝いていられるんだよ」

玲子「ボーっとして大丈夫ですか?顔色悪いですよ」
結城「大丈夫だよ」
そうだ。次の標的は玲子にしよう。顔も良し、性格も良し、身体も良し、将来性もある。
ヘルズファイアクラブは将来有望な生贄ほど壊すことに快楽を抱く連中の集まりなのだ。
玲子ならきっと過去最高のヒロインになれるに違いない。
俺は鞄からアイフォンを取り出してニコニコ生放送のページにアクセスした。
結城「悪い。ちょっと気分が悪いからあそこのカフェに入って休みたいんだけど」
玲子「いいですよ」

僕たちはカフェに入って窓際の席に座った。
アイフォンでニコニコ生放送の予約枠で取得する。午前中だから今日のカラオケの最初から最後までフル配信が出来る。これは楽しみだ。
勿論、放送はコミュニティ限定で行う。見ず知らずの人間が放送を見てもただの外配信としか思わないだろうけど、念には念を入れておくのが僕のモットー。
放送開始は午前十時だ。午前中から女を引っかけてカラオケに直行とは俺も大した身分だな。
これが世間一般で認知されているリアルが充実しているということなのか。
だとしても、俺の心は満たされない。たとえリアルが充実していても俺自身は充実しない。
なんて贅沢な男なんだ。俺にとってはこれが当たり前になっているので客観的な感想を用意できなくなっている。
玲子「先輩ってアイフォン使ってるんですか。それって女の子でも持ってる人いますよね」
結城「ああ。この前、ニコニコ生放送でアイフォンからBGMを放送に乗せている女子高生がいたっけな。そういえば、君はニコ厨だったよね」
玲子「ええ。ボカロ中心に色々と見てますよ。ニコ生もたまに見てますね」
結城「だったら俺との会話には支障はないわけか」
玲子「ニコ生って面白いですよね。小さな子からお年寄りまで性別を問わずにたくさんの人たちが毎日自分の日常とかを放送で話してるんですよね」
結城「彼ら彼女たちはきっと現実世界で満たされない想いを満たされたくて放送してるんだよ」
玲子「そうなんでしょうか。私は放送したいとも思わないから全然わかんないです。先輩は放送してるんですか?」
結城「放送していないよ。俺のような男が放送したって面白くないだろうし、何より俺は口下手だから放送はただの苦痛でしかないからね」
放送は今からするんだよ。お前の顔と声と体を奴らに値踏みさせるためにな。
さて、午前十時の三分前だ。今頃、ヘルズファイアクラブの連中が放送会場に集まり始めたところだろう。予約枠では放送開始の三分前から開場されるしくみだからね。
昨夜、イベントが終わったばかりだというのにもう次のイベントがスタートしているのだから、きっと連中も評価してくれるに違いない。
玲子「そういえば、先輩って彼女いましたよね」
結城「ああ、何度か飲み会とかに連れて行ったことがあるな」
玲子「私もお会いしたことがありますが、とても綺麗で背の高いモデルみたいな人でした」
結城「そうか。でも、彼女とは別れたよ」
玲子「ええっ!?そうなんですか?あ、なんだか変なこと聞いてごめんなさい……」
結城「構わないさ。他人の目からどう思われているか興味深いからね」
玲子「じゃあ、先輩、今フリーなんですか?」
この娘は思った以上にズケズケとモノを聞いてくるんだな。他人の領域にここまで堂々と足を踏み入れることが出来る奴も珍しいだろ。
結城「完全にフリーだな。毎日が寂しくて寂しくて悲しいね」
結衣「あの…じゃあ、私が彼女に立候補して良いですか?」
結城「マジで言ってるの?」
予想もしていないところで俺という罠に獲物が引っかかった。









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