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黒に染まる

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僕はむしゃくしゃしていた。どうにもならないくらいに。
 理由はたくさんある。今日おきたことすべてがあてはまるのだ。 
 舌打ちはもうあきるほどした。学校から帰ってくる時も、ゲームをしている時も、こうして真夜中にひとりでコンビニへ行く最中でもしている。
 せっかく夏休みがはじまる直前なのに、どうしてこんなに気分が悪いんだろうか。最悪だ。
 僕はアスファルトに捨てられた空き缶をおもいきり蹴った。なかに残っていたコーヒーが黒い影をつくる。ロールシャッハテストでつかわれるものとは違って、不様な広がりをしてみせた。
「……東京は今夜も熱帯夜となるでしょう」
 天気予報が外れるなんて、そんなにあることじゃない。ましてや最近の予報は、ダーツをつかっても当たるくらい分かりきったものになっている。
 ちゃんと晴れをねらえば、という条件つきだが。


 今日は朝からずっと同じくらいの気温だった。真夏日にいくかいかないかっていうところをウロウロしていた。
「きょうテストかえってくるんでしょ? そっちはどうだった?」
「わかんねえよ、それなりにできたんじゃね?」
「これで赤点とかはよしてほしいんだけど……」
「っていうか、いっつもおまえ赤点じゃん。今回も無理だろ」
「おいおい、今回はいけたはずなんだよ」
「そのセリフ一万回目だよ~もう聞きあきた!!」
 教室は返される前からずっとテストの話でもちきりだった。
「おい、うるさいぞ……テストはすぐに返してやるからよ」
 朝のHRで、さっそく担任はテストを返した。正直、僕としてははやくテストをもらって、家にかえってクーラーをガンガンつけて、眠るかゲームか漫画でも読みたい気分だったからそれで結構だった。
 しかしながら、それもテストが返されるまでの束の間の心情だった。
「秋田……飯沼……宇野……海野……」
 返却方法はとくにひねっておらず、ベタな1番からの出席番号順だった。これだと僕がよばれるのは16番目になる。
「安本……由比」
 別に心拍数をあげることもなく、僕は席を立つ。
 担任は、僕の顔を一瞥してこう言い放った。
「おまえさあ……カンニングとか、そういうのいつ憶えたわけ?」
 驚くというよりは、担任の言ったことがよくわからなかった。
 僕に顔をあげる間も与えずに、答案が床に放り投げられた。
 クラスメートの視線は、すべて僕に対してのものとなっていた。
 慌てて答案をかき集める。
 結果は、どれもこれもこれ以上はないくらいに素晴らしかった。いつもの僕より15点ほど差をつけている。
 しかし、この結果は努力によるものだ。カンニングなどやる根性も技量も持ちあわせていない。
「放課後、職員室な」
 担任はそのまま、答案を返しつづけた。

 そのあと、僕の耳に入ってくる全ての声――退屈な校長の話も、同級生の他愛ない雑談も、僕の神経に嫌悪なる刺激を与えた。
(放課後、職員室な)
 僕は職員室にいかなかった。
 いくということは、負けを認めるということと同じだからだ。
 


 終礼が終わってから僕が何をしていたかというのは、さっき言ったとおりだ。
 つまり、いま僕は真夜中の道を、ひとりでコンビニを目指して歩いている。 
  
 
    

そもそもあの僕の成績をみて、どうして「ああ、がんばったんだな」という憶測を、担任は考えつかなかったのだろう。
 生徒に対して嫉妬? ……あるわけがない。大人が子供に対していだく感情じゃない。
 職員室で褒めるつもりだった? ……そんなまわりくどいこと、わざわざする意味がない。
 僕のことが嫌いだった? ……これかもしれない。あの担任がひいきをするのは、いまに始まったことではない。
 一応の答えにたどり着いた僕は、拳をつくり闇を殴った。何度も。何度も。
 「僕のことが嫌い」なんて、言い訳にさえなれない。公平に生徒をみるべき教師が、そんなことしていいはずがない。
 なんだよ……なんだってんだよ……畜生!! なんにも僕は、悪いことしてないってのによぉ……!
 おもわず、感情が言葉になって口から飛びだしていく。この夜の黒よりも、さらに濃い黒色の感情が。
「ねえ君、ちょっといいかな。近所迷惑だよ」
 腕をつかまれた。ハッとなって、僕は振りむいた。
 青い男が立っていた。かぶる帽子にひかる星――警官だ。
 今日という一日は、僕が大人に持つイメージを一気にかえる日となった。


 まだ三十路にいっていなさそうなその警官は、担任よりもずっと優しかった。
「どうしたんだ? 嫌なことでもあったか」
 無言でうなずく。
「学校、家、悩みの種は」
 ぼそぼそと学校です、担任がちょっと……と答えた。
「ふーん。まあ、悩み事が多い年頃だろうね。……いま何歳?」
 十五です。
「ああ、なるほど。家は近所?」
 ええ、そうです。僕はシンプルに応じ続ける。
「ならよかった。深夜に未成年が出歩くのは条例違反だよ。家に帰りな」
 しってるよ、そんくらい。これは心のなかのひとりごと。
「じゃあな、気をつけて帰れよ。夏休みは健全に過ごしなさい」
 僕は無言で交番を出た。きっと若い警官には、僕の微かなうなずきが分かっただろう。
 交番の向かいにあるコンビニに目をむける。今ごろ、あそこで漫画を立ち読みしていたはずなのにな……少しばかり、あの警官を憎んだ。
 僕は黙々とアスファルトの上を歩く。街灯以外の明かりはない。それすらない公園は真っ暗だ。
 その公園を通りすがったとき――



「ねえ、こっちきてよ」
 ……女の子? 
 僕が頭の上に疑問符を浮かべる前に、みえない手によって僕は公園に引きずりこまれた。  
 
2, 1

  


僕はひっぱられた左腕をさする。不思議なことに、まったく痛みは感じなかった。傷もみあたらない。
 それにしても……さっきの声、なんだったんだ?
 僕がひとりごとのように呟くと、耳元に呼吸を感じた。だれかいる。僕に話しかけようとしている。
「ごめんね、どうしても君と会いたかったんだ。君がどんな人なのか、見てみたかった」
 僕は顔を声のするほうへ向けた。そこには――

 
 誰もいなかった。むこうのほうにはジャングルジムとすべり台がある。でも、僕の目のまえには、何もないのだ。夜の黒い煙がたちこめているだけ。
 なぁ、お、おまえは誰なんだよ。答えろよ。
 僕の心臓は、恐怖心という燃料で心拍数をあがる所まであげている。おもわず声が震えた。
「ああ、すっかり溶け込んでいた。失礼、いま、輪郭をつくるから……」
 輪郭……? いったい、目の前にいるのはなんなんだ。幽霊か精霊か、はたまた死神だろうか。
 しかしながら、僕が用意していた選択肢を、その「声」の主はどれも選ぶことなく姿をみせた。
「どうも、『黒』のリーダーのミツキです」
 現れたのは、十歳くらいの女の子だった。肩にかかる黒い髪、黒い半袖のTシャツに、黒いスカート、そして黒いニーソックス。いうまでもなく黒ずくめ。
 僕は、このとてつもなく怪しいミツキという女の子に、公園に引きずりこまれたというわけだ。しかし……こんな小さな女の子のどこにあんな力があったのだろう。
 どこから聞いたらいいのかすらわからない僕に、ミツキはさらに言葉を放つ。
「ねえ、よかったら、『黒』のメンバーになってくれないかな?」
 ――どういうことだよ、それ。
    
 

とりあえず、僕はミツキの発言をただしく理解することにした。まずはその、『黒』というものがどういうものなのかということを聞かなきゃならない。
 なあ、まず聞きたいんだが、『黒』ってなんだ? 
 僕はストレートにミツキに問う。
「うーん、なんというかな……色、かな」
 それくらいは分かる。もう1回、ミツキに聞く。今度はもっと丁寧に。
 僕が聞きたいのは、その単語が意味するものについてなんだよ。『黒』って、いったいどんな存在なんだ?
「なるほど、さすがに分かんないか。そうだね、ボクが率いる『黒』は、『色』のなかでもかなり特殊な類にはいる。願うのならば他の『色』を消すことだってできる」
 ちょっとまってくれ。僕は頭のなかで今の発言を必死に理解する。
 ……それは運動会みたいなものなのか。紅組、とか白組、やら。
「うんどーかい? ……なにそれ」
 しばしの沈黙。
 まさか、ミツキは運動会を知らないというのか。想定外というか、常識がないっていうレベルじゃない。
 なんでしらないんだよ、小学校でもポピュラーだろ。僕は少々きつい語気で問う。
「ああ、仕方ないよ。なぜなら――」
 なぜなら?
「ボクは、人間じゃないからね。そもそも、この次元の存在ではない。いや、この次元の存在ともいえるけど、違うともいえる」
 

 僕には全くミツキのいっていることがわからない。許容範囲をはるかに超えている。理解不能。
 だが、僕はミツキのいっていることを全て「戯言」の一言では片付けれなかった。言い換えれば、嘘だとはおもえなかった。
 なぜなら、ミツキの瞳は怖いくらいに素直な色をしていたからだ。
4, 3

  


 ……それはどうやって解釈すればいいのさ。
「まず、ボクたち『色』とよばれる存在は、次元の縛りを基本的にうけない。たとえば、一次元は単なる線だけど、それに色がつくことによって存在しているといえる。二次元でも同様に、そこに存在するものはかならず色がある。四次元でも、空間に色が広がっているならば、それはボクたち『色』がそこにいるといっても語弊はないはずだ。つまり、『色』というのは姿形をかえてどの次元にも存在しているのさ」
 長々とした説明を僕なりに結論づけてみると、「『色』というものは、どこでもいることができる」ということになった。
 へえ、すごいね。間抜けな返事を返す。
「おいおい、もうちょっと驚かないの? 自分でいうのもなんなんだけど、人から見ればボクという存在は例外だとおもうよ。しかもその例外のなかの例外である『黒』なんだし」
 いや――正確に言うと、僕は『ミツキ』という女の子がどれだけすごいのか、さっぱり理解できていないのだ。どういうものなのかは無理矢理分かったことにしておくとしても、だ。
「おや、もしかして、君はボクのすごさを理解できていないね?」
 無言のままでいる僕に、ミツキはニヤリと笑ってみせる。まるで僕の心の中を読んだかのような言葉に、少したじろぐ。
「いいよ、みせてあげる。ボクのすごさを」
 そういうとミツキは、さっきまでとおなじように闇に消えた。彼女の言葉をかりれば、「輪郭」を消したということなんだろうか。
 ミツキがいた場所をぼんやりと見続けていると、ふいに
「こっちだよ、迂闊だね」と肩をたたかれた。
 ミツキの声だ――僕はゆっくりとふりむく。しかし、そこには知らない女性が立っていた。
「さすがにびっくりしただろう。君も」
 これが、ミツキ?
 あまりにも非現実的なことに、頭がついてこない。僕はふらふらとしゃがみこんだ。
「君がこの姿のほうがいいっていうなら、このままでもいいけど?」
 僕はゆっくりと横に首を振る。大人のミツキは、まるで魔女のように怪しくみえた。まだ子供のミツキのほうが、可愛げがある。
「そんなに驚くとはね。ボクのほうがびっくりだ……」
 再びミツキは闇に消える。つづいて、少女である彼女が僕の目のまえに現れた。
 
 
 
 ミツキという存在は、やはりまだ僕にはわからない。

「ボクのすごさ、少しはわかってもらえたかな?」
 ミツキはしゃがみこんでいる僕を見下ろして、得意気に聞いてきた。
 無言でうなずく。
「ならよかった」
 そう言って、ミツキはくるりと背中を向けた。そのままジャングルジムの方へゆらゆらとあるく。
「あ、そうだ」
 ミツキはなにか思い出したように声をだす。
「君の名前、まだ聞いてなかった」
 なんだ、そんなことか……僕はジーンズについた砂を払い落としながら立ちあがる。ミツキは僕に名前をきいた場所で立ち止まっている。きっと、僕の答えを待っているのだろう。
 由比秀一だ。僕の名前は、由比秀一。大事なことだから二度くりかえした。
「秀一……か。わかった、これから君のこと、シュウって呼ぶことにするよ」
 何がわかったんだかさっぱりだが、別にニックネームで呼ばれるのは構わなかった。
 いや、待てよ。そもそもこれからミツキと会うことなんて、あるのか? 
 僕はその疑問を聞かずにはいられなかった。この夜だって偶然出会ったのだし、ミツキのいうことが本当ならば、ふたたび会うということは難しいと思ったからだ。彼女のような不定形な存在が、いつこの三次元に来るか僕には予想できなかった。
「シュウはボクのこと、空間の流れに身をまかせているひ弱な存在だと思っているのかな。それとも、さまざまな次元を渡りあるく旅人……」
 ああ、そうだよ。
 僕が即答すると、ミツキは笑い声をあげた。
「それは違うよ。ボクはこの次元を選んだ。望んでここにいるのさ。よほどのことがない限り、ボクは三次元から動くつもりはない」
 どうして? なんでさらに上の次元を目指さないんだ。
「シュウ、君は誤解しているよ。四次元に行ったら、ボクみたいな『色』は空間にも干渉してしまう。そうすると、ほかの『色』とたたかえない。ある程度の制約をうけながらも、輪郭を持ちながらなおかつ立体でいることができるこの次元が1番なのさ」
 ……なあ、今、なんていった?
「ん? だからね、四次元にいったら」
 そこじゃない、他の『色』とたたかうって……
「ああ、そうだよ。じゃあそろそろ、本題に入ろうか。シュウ、もう1回尋ねるけど、ボクが率いる『黒』にはいって闘ってみないかい? 君にはその才能がある」
 僕はミツキの背中から、視線を離せなくなってしまった。
 彼女の言っていることは、非現実と魅力に溢れていたからだ。だからもう、僕はミツキから視線を離せない。
 彼女はジャングルジムに上る。1番うえに座ると、僕の眼をみつめて
「ねえ、入ってみない?」
 と言葉を繰り返した。
 黒いスカートと黒いニーソックスの間の太腿が、ミツキの瞳のように輝きを放っている。 
6, 5

  


 微笑を浮かべたまま、ミツキは月と一緒に僕を見つめている。
(ねえ、入ってみない?)
 なぜミツキのような常識を軽々と超える存在が、僕みたいなぶらぶらと真夜中に徘徊しているさえない少年を、わざわざ公園に引きずり込んで『黒』という得体の知れない集団にさそっているのか。好奇心という盾を用いてもふさぎきれない恐怖が、ミツキの後ろで待ち構えているように感じた。
 しかし僕は――ミツキの方へ歩いていく。彼女が差し伸べているみえない手をつかもうと、夢遊病患者のようにおぼつかない足取りで。
 実際、ミツキは僕のみている夢かもしれない。いままでずいぶん話をしたけれど、いまだに現実にいるものとは思えない。だからこそ、僕はミツキとここで別れるのが嫌だった。せめてもの最後に、ミツキの体に触れてみたいという欲に駆られたのだ。夢なら、それでいいから。
 ジャングルジムをがむしゃらに上る。その姿はきっと滑稽だっただろう。中学生が頂上の少女を求めて、時に踏み外しながらも、必死こいて頂上へ上っていくのだ。
 あともうすこしで手が届く――顔が緩む。
 だが、簡単に僕の願望は砕かれた。
「おい、まだ帰ってなかったのか!? 親でも呼ばなきゃわかんないのか! この中坊め!!」
 さっきの警官が怒鳴っている。近所迷惑になるんじゃないの? なぜだか僕は余裕をかましている。自分でも自分がわからない。夢心地だ。
「――なんだ、邪魔が入っちゃった」
 ミツキはとってつけたように残念そうな顔をした。そして、左腕をあげて
「じゃあね、シュウ。また明日あおう」
 そういうとミツキは左手をおおきく開いた。夜の闇が揺れはじめる。まるで雲のように闇はながれ、ミツキの手に集まってきた。左手はもう見えない。
「青色は嫌いなんだよなあ」
 闇を警官のほうへ放り投げた。途端に闇はミツキの手を離れ、ブラックダイヤのように輝きながら警官のほうへ流れていく。警官の叫び声が公園に響いた。そのうち、公園も警官にぶつかった闇が飛び散って、夜の暗さとは違う暗さに包まれていく。
 黒で塗りつぶされる視界。僕の意識は遠のいていく。
 その意識は、最後に恐るべき事実を心の中で叫んだ。



 ミツキは、闇を操った。
 
 

 それから先は、よく思い出せない。
 眼を開けると、そこには公園ではなく自分の部屋の天井が広がっていた。   
  
 

どうしてここにいるんだ?
 やけに冴えている頭でそんなことを考える。
 僕はたしかにさっき、というかほんのすこし前までミツキと公園にいたはずだ。
 記憶はまったく消えていない。鮮明に思い出すことができる。
 唐突にミツキに公園へと引きずり込まれて、いろいろ話をして、最後に誘いを受けようとしたら警官があらわれて、そして――
 ミツキが闇を操った。
 ざっくりとだが、こういう流れだった。
 あのとき、僕の意識は黒いマーカーで塗りつぶされるのと似た感覚に陥った。瞬く間に数多の黒い線が引かれていく。言葉にすれば、そんな感じだった。
 とりあえずベッドから起き上がる。パジャマではなく、昨日家を出た服装のままだった。
 すごい汗をかいている。僕は乱暴にシャツとズボンを脱いで、あたらしい服を引っぱり出した。
「あっ、秀一。おきてたの」
 母がエプロン姿で部屋にはいってきた。仮に息子だとしても、いまはパンツしかはいていない。もうちょっとデリカシーってものがないのだろうか。
 なに、母さん? 僕は不機嫌な声をだす。
「先生が学校にきてくれだって。どうしたのかしら?」
 担任も、ずいぶんと粘着なもんだ。
 僕は長いためいきを吐いた。もうしばらくはかないと思っていたズボンを取り出す。



 今日も、やはり東京は暑かった。朝からこんなんじゃ、昼ごろには干からびるほどのあつさになっているだろう。
 ともかく、担任と決着を着けなければ。あんな腐った脳みそを抱えているから、不毛の大地になってしまったのだ。担任を愚弄しながら通学路をあるく。
 学校までの道のりは約7分。着くまでに僕の体は汗の泉と化す。
 学校に入りさえすれば、汗も引くのだが。
8, 7

  


生徒はあまりいなかった。やはりもう、夏休みが始まったからなんだろうか。
 きている生徒のほとんどは、どうやら部活があるようだった。さまざまな色のスポーツウェアを着て、ラケットやらバットを肩にかけた生徒たちが、廊下で意味もなく雑談している。
 まあ、帰宅部の僕には関係ない話だけど。
 さほど関心を寄せずに廊下をあるいていると、背中を思い切りたたかれた。おもわず顔がゆがむほどの痛さだ。
「よお秀一。今日もつまんなそうな顔してんな」
 勝手に言っとけ。僕は友人である中井晴昌の足をけった。おかえしだ。
「いってえ。なにすんだよ、秀一」
 それはこっちのセリフだ。
「ところでよお、おまえなんか部活入ってたっけ」
 晴昌は上をむいて考え込んでいるポーズをしてみせた。
 ねえよ。僕は簡潔に答える。
「だよなあ。どうしてここにいるんだよ」
 昨日のだよ。あん畜生め。
 おもわず思い出してこぶしを握る。目つきもきつくなったのだろう。むこうにいる女子が怪訝そうに僕をみながら教室へ入る。
「ああ、あれか。おまえも災難だよなあ。あの担任も、虫の居所が特別悪い日だったんだろうな」
 晴昌は笑っているが、当事者にとってはわらえない事態だ。わざわざそのことで学校まで来たのだから。
「あっ、すまん。もうそろそろで練習の時間だ。じゃあな」
 晴昌は腕時計を確認すると、速足で音楽室へむかっていった。ラッパ吹きである彼は、吹奏楽部所属なのだ。
 僕も、何度かさそわれて、その度にことわった。
 だって、めんどうだからだ。なんで家に帰れるっていうのに学校に残るんだろうか。わけがわからない。
 そんな家を愛する僕が、こうしてこなくてもいいのに学校に行くというのは、いうまでもなく顔をしかめたくなるようなことだった。
 秒速10センチというのろさで職員室へむかう。階段もスローモーションで進んでいく。
 そうやってのろのろとしながらも、ようやく4階にたどりついた。
 今日2度目のためいきを吐く。
 その時、僕の体は強烈な違和感を覚えた。うまくいえないが――自分以外の意識が、体の中に入りこんでいるような気分になったのだ。
「ごめんね、また迷惑かけちゃうね」
 ……ミツキの声?
 意識はあっというまに薄れ、闇のなかにまぎれていく。
 

 なんだか、デジャヴ。 
 
「ここはどこだか、わかるかい」
 ミツキの声がとなりから聞こえる。
 あたりを見わたすと、不思議な光で満ちていた。クリーム色というか、やさしく揺れるカーテンのようだった。
 わからないな。僕は素直に答えた。こんな場所、見たことも聞いたこともない。
「ここはね、君の意識だよ」
 僕の……意識? どういうことだ。自分の意識の中に入っているなんて、理解できない。
「よくわからないなって顔してるね」
 ああ、そうだよ。
「まっ、仕方ないだろう。これは人間の常識をこえたことだ。違うかい?」
 ふたたび頷く。
「じゃあ教えてやろう、シュウ。この意識をボクと君が入れるだけの大きさにしたのは、このボクさ」
 ……操ったのか、闇を。
 僕は焦らされるのが嫌いだから、1番ミツキに聞きたいことを単刀直入に問う。彼女がもつ不可解な能力を、僕は知りたかった。
「……ちょっとちがうかな。でも、だいたい合ってる」
 ミツキは僕の質問にすこし驚いたようだった。僕はさらに彼女に聞く。
 じゃあ、正確にいえばどういう能力なんだよ。
「ボクは『黒』のリーダーだっていったよね。つまりそれは『黒』をつかさどる者さ。それを操ることによって、ほかの『色』とたたかっているというわけ」
 なぜにほかの『色』とたたかう必要があるんだ?
「『色』っていうのはそれぞれ自分が『色』の長になることを狙っている。おなじ『色』は集まってグループをつくるんだよ」
 じゃあいまはどの『色』が長なんだよ。
 ミツキは待ってましたといわんばかりに答える。
「ふふ、じつはね――ボクらは実質的に『色』のトップにたっている。ただ、『白』が目障りなんだけどね」
 『白』――黒色と真逆の色か。すべてを闇に閉ざす黒と、束縛から放つ白。
 

  ミツキは話を続ける。
   
10, 9

  

 
 白が目障りって、どういうことだよ
「そのままの意味さ」
 ミツキはいつものように薄い笑みをうかべている。何を考えているかよくわからない、曖昧な笑顔。
「ボクら『黒』は、のぞめば他の『色』を消すことができるっていったよね?」
 僕はうなずく。
「じつはね、『白』も同じような能力を持っているのさ」
 ……消すことができるのか?
 おもわず声にも驚きがまじる。僕はミツキの眼をみつめた。
 ミツキはすこし考える素振りをして、こういった。
「ちょっと、ちがうかな。『黒』は消すけれど、『白』は変えてしまうんだよ、その『色』を」
 僕はなにもいえない。『白』がどのような能力を持っているか、まだ完全にわからないからだ。
「『色』を変えるっていうのはね、自分の『色』――つまりは『白』と、敵の『色』をまぜて、ちがう『色』に変えちゃうのさ」
 もうちょっと、わかるように説明してくれ。
「絵の具を想像してみてよ。たとえば、青色と白色をまぜると水色ができる。『白』の能力も、おなじようなことさ」
 いい能力じゃないか。あまり考えずに率直な感想を述べる。
 するとミツキは、怒りと不快の感情をあらわにして声を荒げた。
「よくないよ。むしろ悪だ! いいかい、新しい『色』がうまれるということは、ボクたち『色』の戦いを厳しくすることになるんだよ。それに、『色』っていうのはそれぞれ自分の『色』に誇りをもっていきているんだ。いきなりなんの断りもなしに、違う『色』にされてみなよ。きっと絶望で死ぬだろうね」
 ミツキはいいたいことを言い切ると、「すまない、取り乱した」とスカートの裾をいじりながら、僕に謝った。
 いや、別に。
 そりゃあ少しはおどろいたが、きっと『黒』と『白』には僕がおもう以上の対立があるのだろう。
 それで、いつ僕はここからでることができるの? 
「ああ、わかった。いま送り返してあげるよ」
 ミツキは憂いをふくんだ笑みをうかべていた。なにか、さっき言ったことに思うところがあったのだろうか。僕はさほど気にしていていないのだが。
「そうだ。……シュウ、また今夜、公園にきてくれる?」
 いつもより声に感情が含まれていた。すこし、甘えたような声。
 ……いいけど。
「よかった。じゃあ、また公園で」
 そういうとミツキは、目を閉じて手をひらいた。昨夜と同じようなポーズ。
 僕は、体が意識から戻っていくように感じた。 


   

「……由比くん。ねえ、由比くん?」
 僕は日常へと戻ってきた。ここは……保健室か。
 薬や湿布、いろいろなにおいが混ざり合って保健室独特のにおいをつくっている。
 混ざり合って……か。
「どうしたの、由比くん? ねてる時もずっとぶつぶつ何か言ってたけど……大丈夫なの」
 はっとなって横をみる。僕を心配そうに見ているのは、保健室の先生じゃなかった。同じクラスの巻那美――だったはずだ、たしか。残念ながら、僕は記憶力が壊滅的に悪い。したがって、彼女の名前も自信をもって言えない。情けないもんだ。
 えっと……巻さんが運んでくれたの。
 僕は礼をするまえに、間抜けな質問をしてしまった。
 巻さんは首をぶんぶんとふって
「あ、いや、ちがうの。高橋先生が」
 なんだよ……よりによってあのハゲ担任か。礼をいう気が失せた。
 まあ、とりあえず巻さんにはいっておこう。ありがとう。
 かなりそっけない感謝をすると、巻さんは
「そ、そんなことないよ。ただ、部活おわったあとたまたま通りかかったら、由比くんがたおれてたから、おなじクラスだし先生よんだ方がいいかなあって」
 とそっぽをむきながら長々と理由をいった。
 きまずい沈黙が続く。別に体調をくずしたわけでもないし、もう保健室を出るかな。このままでも、巻さんに悪いし。
 そう思い、僕は布団をめくり身を起こす。なるべく巻さんの顔を見ないように、靴をはいて保健室をでる。
 じゃあ、お先に。
「あ、う、うん。じゃあね」
 保健室にふたりきりっていうのも、つらいものがある。そういうシチュエーションは想像上で結構だ。
 僕は職員室へむかう。
 時計をみると、ずいぶん時間がたっていた。 
12, 11

  


結論からいって、高橋はそんなにひどい人間じゃなかった。
(ごめんな、俺のひいきにしてた球団が負けてむしゃくしゃしてたんだ。由比、いつもより点数よかっただろ? それでイラッとしちゃってな。いやあ、ほんとにすまん)
 ……まあ、理由は許せなかったが、べつに僕はそこまで粘着じゃない。ひとまずいいことにしてやろう。
 僕は学校をでて、ぶらぶらと家路をたどる。太陽もすこしは休めばいいのに、ここ最近ずっと顔をだしている。
 とりあえず、シャワー浴びるか。
 陽炎は僕のまわりで黙々と踊っている。
 距離はそんなにないのに、やはり暑いからだろうか――なかなか家に着かない。
 僕はやはり、家が1番いいと再確認した。
 あの玄関にはいった時の涼しさ、学校では感じられない。
 僕は服を脱ぎ、シャワーの雨に打たれた。

 自分の部屋でぼーっと天井をみる。
 おもわず、今日の朝を思い出した。
 真夜中の公園で目を閉じて、開くと天井が広がっていた。
 きょう、学校でもミツキは僕の意識のなかに僕を閉じ込めた。……言葉にしてみると、訳分かんないな。
 まあ、彼女の能力なんて、人間からみれば到底信じられないものだけど。
 ぼんやりとミツキのことを考える。
 まだあいつは、言い残したことがあるんじゃないか?
 僕はベッドから起きあがり、ジャージをぬいで短パンとシャツに着替える。
 街にいけば――ミツキに会えるかもしれない。
 そうおもった僕は、ついさっきまでもう2度と出るものかと思っていた外へくりだすことにした。
 

外とは正反対の、非常にさむい財布を右ポケットにいれ、鍵を左ポケットにいれた僕はドアを乱暴に開けて外へ飛びだす。
 ……うっわ。やっぱ暑い。せっかくシャワーを浴びたのに、これじゃ意味がない。
 だが、ミツキを探すためだ。一度きめた覚悟はくずさない。
 僕はとりあえず、駅のほうへむかう。
 依然として太陽は、頭の上で強烈な太陽光線を放っている。
 いつか聞いたことがある。髪の色が黒い日本人は、太陽の光に対して不利だ、と。
 ミツキも髪が真っ黒だった。緑の黒髪という言葉がぴったりな、うつくしく光をまとった髪。
 やはり昼間は、ミツキを見つけることは難しいのだろうか。
 たれる汗をふきながら、僕の足は自然と、冷房を強力にふかせているデパートへと動いていた。
 さすが夏休みだけあって、学生の姿がめだつ。1階のロビーには、友人どうしできたとみられる女子グループ、涼をもとめて入ったであろう部活帰りの男子、そしてませたカップルが少々。ひとりの僕は、分類不可だ。
 ミツキがいるとしたら、どこだろう。やはり暗い場所だろうか。
 考えをめぐらせた僕は、おそらくデパートのなかで1番夜の雰囲気に近いゲームコーナーへ行くことにした。
 あまり、そういうところにいかない僕にとっては、未知の領域だ。
 たのしそうだが、金がかかるから行きたくないのだ。よく晴昌からは誘われるのだが、その度にことわっている。
 まさか、そこへこうやってひとりで来るとは思わなかった。
 なかにはコインゲーム、格闘ゲーム、UFOキャッチャーなどなど色々なゲームが設置されている。
 さて、ミツキはいないだろうか……僕はきょろきょろしながらコーナー内をぐるぐる回る。
 やはり、いないのだろうか。まあ仕方がないかもしれない。そもそも、今日の夜に公園であおうという約束をしたのだから、わざわざここであう必要ないのだ。馬鹿だなあ、僕ってやつは。
 後悔だけが心にうずまいている。汗をふいてゲームコーナーに背をむけた。
「ちょっと待ちなさいよ、シュウ」
 シャツの首回りをひっぱられた。だれだ、僕のこと「シュウ」なんて。呼ぶのはミツキくらいしか――
「ミツキじゃなくてごめんなさいね」
 ……誰だよ、おまえ。  
14, 13

  


ゲームの光と効果音でみちた薄暗いコーナー内で、いきなり僕の肩をたたいてきたのはしらない人だった。
 しかしながら、彼女はミツキを知っているようだ。いうならば友達の友達といった関係なのだろうか。
「ちょっと、うんとかすんとか言ったらどうなの」
 え、あ、ああ。そうだね。――なんだコイツ。はじめて会ったくせに、ずいぶん偉そうというか、図々しい態度だ。もちろん、そういう印象は口に出さず、僕は適当に返事をする。
「あんた、よくもこんなクソ暑い時にそとを出歩く元気があるわね。そこまでしてミツ――いや、リーダーに会いたかったの?」
 リーダー? ……ミツキのことだろうか。僕は首をかしげる。
「ああ、じれったいな。シュウはここまでミツキに会いにきたんでしょ? 見当もなしにさがすなんてバカみたい」
 悪かったね。え、いや、待てよ……なんで僕の心を――
「私も『黒』のメンバーなのよ。ここ、けっこう薄暗いでしょ。だから『黒』を操ってあんたの心を探ったってわけ」
 なるほど。そういうわけか……ってなに納得してるんだ。『黒』のメンバーだって? にわかには信じられない。
「だからそうだって言ってるでしょ。おなじこと何度もいわせないでよ」
 証拠はないかとおもって、僕は彼女の頭からつま先までしげしげと見た。点滅するゲームの光をうつす黒い髪。黒いシャツには英語がおどっている。したはショートパンツとニーソックス。ほとんどミツキとおなじ服装だった。まあ、凹凸は彼女のほうが激しいようだが。
 なるほど……たしかに、『黒』のメンバーといわれても頷くしかない。 
「やっとわかってくれた?」
 ああ、すまなかったな。
「ならよかった。……そういえば自己紹介をわすれていた。私はゲッカ。いちおう憶えておいてよ」
 「いちおう」って、そんな言いかたしなくてもいいだろ。
「いや……もしかしたらここで、シュウは『黒』ともう関わらないかもしれないからさ」
 ……はい? ゲッカの発言は、理解するのに時間がかかる。
「ちょっとこっちきなよ」
 残念ながら、彼女は理解する時間も満足には与えてくれないようだ。
 強引に腕をひっぱられて、僕はエレベーターまでつれこまれた。
 ゲッカがおしたボタンは、屋上―― 

エレベーターはスムーズに上がっていき、あっというまに僕たちを屋上へ連れていった。
 ドアが開く。瞳に強烈な太陽光がつきささる。さっきまで暗い場所にいたから、僕はすこし汚れている床に目をそむけた。
「……暑いわね」
 わかるのかよ、『色』にそんなこと。
「失礼ね、いまは人間の体裁をしてるんだから、暑さを感じることができるのよ」
 なるほど。さっきから僕はゲッカのいうことに納得してばかりだ。
 でもさ、なんでわざわざ暑いのに屋上にきたの?
「くさかったのよ、あそこ。タバコとか、いろいろなにおいがまざって」
 まあ、たしかにな。あそこにいる人間はあまり清潔じゃなさそうだ。
 ゲッカはパラソルの日陰にはいり、ひといきついている。ちょうどよくテーブルと椅子があった。僕もおじゃまさせていただくとしよう。
「あっ、シュウ。あそこの自販機でサイダー買ってきてよ。のど渇いちゃった」
 ……おごれってか。
 だが僕も健全な男子学生、にこにこしながら「ねえ、おねがい」なんて甘い声をだされると、簡単にしたがってしまうのだ。いやはや、情けない。
 サイダーを2本買って、僕もパラソルのなかの椅子に腰掛ける。
 なんなら、ゲッカも僕の意識をおおきくして入りこめばいいじゃないか。カンのふたをあけながら提案する。
「はあ? なにいってんの。そんなことしたら、こっちに戻ってくるころにはあんた熱中症で死ぬわよ」
 そうか、自分の意識を膨張させて存在しているとしても、肉体まではそのなかに入れないってことか。
「まあ……よくわかんないけど……そういうことよ、っていうか、なによこれ。ぜんぜん開かないじゃない!」
 なんだよ、ゲッカあけられないのか。
「うるさいわね、いつもはペットボトルなのよ」
 仕方ないなあ。僕は彼女のカンのふたをあけてやる。
 ほらよ。ゲッカにそれを手渡してやる。
「あ、ありがと。シュウ」
 ゲッカは照れているようだ。なかなか可愛いところもあるじゃないか。
「じ、じろじろみるなぁっ!!」
 ゲッカはこぶしをぶんぶん振り回した。
 なんと平和な午後だろう。僕はサイダーの爽涼感を心に染みわたせながら、しみじみと照れかくしに怒るゲッカをみていた。 
 
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