スマイリーの入り口のドアで、私とラドルフは固まっていた。と、言うのも私達は目の前のモルドに掛ける言葉が見つからなかったからだ。
それもこれも、戦場では双斧という異名を持つ男が、似合わないエプロンをつけて、店内を清掃していたからである。
「…」
「…」
「……」
長い三者の沈黙が続く。とりあえずこのままなのはよろしくないので、私はモルドに思ったことをそのまま言った。
「双斧から、掃除夫に転職か?」
「会ってからの第一声がそれかよ!!」
その後ラドルフと共に声を荒げるモルドを何とかなだめ、事情を聴くことになった。
その話によると、私と別れスマイリーに戻ったモルドだったが、ラナの母親が病で倒れていたらしい。ラナと共に必死に看病したモルドの努力も報われず、そのままラナの母親は他界してしまった。その後、悲しみに暮れるラナを一人にすることもできず、モルドはスマイリーの仕事を手伝い続け、今に至る。
「まあ、そういうわけで当分傭兵業は無理だな」
一通り事情を話し終えて、ぽつりと呟くモルド。しかし、その顔には決意のようなモノが宿っていた。
「そうか…、できればラドルフに剣の使い方を教えてもらいたかったのだが…」
「ラドルフ?ああ、そのガキか。そんくらいなら暇を見て教えてもいいけどよ」
私とモルドがそう話しているのを聞いて、ラドルフは目を見開いて驚く。
「な、なんで俺がこのおっさんに剣を習うんだ?師匠が教えてくれよ!!」
「私には剣の手ほどきをした経験など無い。モルドに教わった方がお前の為だ」
「そんなの――」
私に抗議しようとしたラドルフの頭を掴み、モルドが店の奥得引きずっていく。
「目上の言うことには素直に聞いとけ。…あと、ワシはおっさんじゃない!」
騒ぎ立てるラドルフがモルドに引っ張られて店の奥に消えると、私は仕事に行くふりをして組織の状況確認のため、体を消し移動した。
確認した結果、私が傭兵アレスとして行動し始めた頃より、随分大所帯になってきているようだった。人が増えたことにより組織の指揮系統の再構築や、人数を各地に分散させて周囲から見つかりにくくしなければ組織の存在価値は無くなってしまう。
クレスト国内の情勢も怪しくなっている今、私が人間として行動していては手遅れとなってしまう可能性があった。 もう、私にはあまりアレス・フリードとしての時間は残されていないのだ。
私が一通りの確認を終えスマイリーに戻ると、足を怪我して椅子に座っているラドルフとその手当てをしているラナがいた。
「アレスさん、お久しぶりです…」
私に気付くと、力無い笑みで挨拶するラナ。どうやら、私が思っていた以上に母親の死が堪えているようだ。
「師匠、聞いてくれよ!あのおっさんが――」
「おっさんじゃねぇ!!」
ラドルフの訴えを遮る様にしてモルドが奥から顔を出す。
「アレス、お前このガキに何教えてたんだよ?ろくに足運びもできずに、ちょっと小突いてるだけで足首捻るとか、なって無いにもほどがあるぞ」
「あんたは加減をしらな過ぎなのよ」
威勢よく私に文句を言うモルドをラナが一喝し、モルドは押し黙った。
「いや、モルドの言う通りだ。私がラドルフに教えたのは生きるための心構えと、立ち振る舞い方のみだからな」
私のその言葉に、それ見たことか、というような視線をラナに向けるモルドだったが、睨みかえされて目を逸らす。
私はそんな彼らの様子を見て、少しばかり安堵した。これならば私が居なくなったとしても、ラドルフはモルドに育てられ、生き残り、私が人間であることの生き証人としての役割を果たすだろう。
――ドクン――
不意に私の中で何かが生じる。
違和感?
不安?
”わたし”から生じたものではない。”私”自身から生じた何かはひっそりとと、しかし確実に私の中に在るものだった。
私は何か今までの行動に不備が無いかを自分の中で確認するが、それらしきものは無い。
――ドクン――
しかし、私の中にあるそれは、一向に消えるそぶりを見せようとはしなかった。
「師匠?どうかしたのか?」
押し黙っている私を心配してか、ラドルフが私に話しかける。
「いや、次の仕事の段取りを思い出していただけだ」
――ドクン――
ラドルフと話していると、より一層強く、大きくなっていく私の中の何か。
これが何なのか分からないまま行動するのは少々不安ではあるが、事ここに至ってはもはや先延ばしにする余裕は無い。
「今から明日の仕事の仕込みに行ってくる。そのまま仕事に向かうから今日は戻らない」
「なら俺も――」
「お前は足に怪我してるだろーが。ガキの怪我人はおとなしくここで雑用の手伝いでもしろや」
「まじかよ~」
モルドに言われ引き下がるラドルフ。私はその顔をもう一度見ると、出口へ向かって歩き出した。
「師匠!」
「…なんだ?」
ラドルフに呼び止められ、振り向かずに私は聞き返す。
――ドクン――
「いってらっしゃい」
「…ああ、いってくる」
それが私とラドルフが交わした最後の言葉だった――。