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◆第七話「卑怯な一手」

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「まどろみ続ける選択も、貴方にはあるってことよ」


 その言葉は、多分以前までの僕であったら喜んで受け入れていただろう。なぜなら僕は理衣子を愛していたし、例え僕が彼女が愛していなくても、一緒にいれるだけで幸せだと思えていたのだから。多分、これが未練の正体だろう。
 けれども、念願の言葉は、今の僕には何も幸福の感情を与えはしなかった。
「それは……?」
「それは、というのは?」
 抽象的な質問に対して、理衣子は首を傾げる。僕は再び、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感情を一つ一つ必死に繋ぎ合わせながら、言葉を紡ぐ。
「何故今になって、戻る事を許すんだ?」
 やっと出てきた言葉は、多分“喜んだであろう時期”の僕が何度も聞いた言葉であった。
「そうね……」
 理衣子は暫く言葉を探していた。その間に、僕はふと、この状況がとても居心地が悪くなっていることに気付き、そして僕はすっと理衣子から身体を離した。僕が離れたことに理衣子は少しだけ驚いた後、ふふ、と笑った。
「今の貴方はとても見てみたいと思えるから、よ」
 多分、それは彼女の真意である。今まで彼女を動かしてきたものであり、これからも生き続ける為に行われる彼女の思考の一つ。彼女はきっと、誰かを見続けなければならないのだ。誰かを見続けて、誰かを感じとって、そして“そこ”に居続けてやらねばならない。
「三日後に、また会いましょう」
「……三日?」
「ええ、貴方、考える時間が必要になってるみたいだから」
 揺らいでいる事はどうやら感じとられていたようだ。いや、きっと彼女は以前の僕と比べた結果を述べているのだ。
「また、喫茶店でいいかな?」
 理衣子は笑みを浮かべると、僕を抱いていたことで若干よれた衣服を手で丁寧に整え、そして僕の横を通って路地を出て行った。
 振り返り、僕は彼女の姿を見る。
 理衣子の背後には、哀れさも、寂しさも、マイナスの感情を感じさせる空気は存在していなかった。むしろ凛としていて、迷いすら感じさせなかった。
 椎森は、何故あれだけの寂しさを感じながら理衣子を模倣しているのだろうか。多分、ここが理衣子と椎森の違いなのだろう。
「あ……」
 ふと思って、そして思わず笑みを浮かべてしまった。これは思い込みかもしれないが、けれども僕には若干の確信としてその感情を受け取れた。

 僕は、やっと理衣子を多少ではあるが理解できたようだ。

   ――第七話

 薄汚れた教室で講義を受けながら、周囲を何度も見渡す。椎森は今日も来ていないようであった。流石に休み過ぎなのではないかとも思ったが、僕が出ているのだから当たり前かと思った。そんな講義に出てこれるほど多分、椎森は強くはない。
 彼女は僕以上に理衣子に憧れを抱いていた。いや執念ととれるかもしれない。僕との出会いの理由も、それからの行動も、夜に行っていた出来事も、生活の大半がそうであったと言ってもいいのかもしれない。
 僕は聞いていて眠気を誘ってくる教授の言葉を完全にシャットアウトすると、鞄から一冊の本を取りだした。
――細雪。
 あれほど読むことに苦しさを感じていた筈なのに、理衣子と会話してからはそれほど苦ではなくなっている自分がいた。そればかりか読んでいくほどに、何故だか僕はこの雪子という女性が椎森に見えてならなくなる。理由はよくわからないが、どこかが似ているのだ。
 けれども、一つだけ違うのは、椎森は何かを欲しがっていることだと、そう思う。この小説を読み終えた時、僕は雪子と椎森が似ている理由が分かるのかもしれない。だからこそ、今はこの小説を読み進めようと思った。
 紐を挟んでおいたページを開くと、僕は無言でその世界へと足を踏み入れた。


 授業が終わり、僕は荷物をまとめてから学校を後にする。
「すみません」
 校門を出た辺りで声が聞こえた。そちらを見ると、そこには見知らぬ男性が立っていた。
「浅野、晃さんですね」
 僕の名前を言うと彼は、少しだけ微笑む。三十代半ばくらいだろうか。印象は薄いが整った顔立ちに、上等なスーツを身につけている。こんな男性と知り合いであっただろうかと暫く思考を巡らせるが、特に該当する人物はいなかった。
「三藤といいます。突然声をかけてしまい申し訳ありません」
 彼は小さな名詞を差し出す。そこには「三藤 信一郎」と名前だけが印刷されていた。裏表を丁寧に見て、何かそれ以外の情報はないものかと確認してみるが、どうやら本当にそれだけのようであった。
「その名刺をご不審に思われるのは無理のないことです。ただ、私の仕事は肩書きを付けようのないものなんです。差し障りがあって、連絡先も載せられない。そのあたりの事情はご斟酌頂けるとありがたいのですが」
 余計に疑いたくなるような言葉を羅列していくが、何故だか僕は彼の話を聞くべきである気がした。僕のようなどこにでもいる人物をわざわざ訪ねる人物なんてそういない。話くらいは聞くべきなのだろう。
「三藤さん」
 僕はじっと三藤を見る。
「僕に何の御用ですか? あなたにお会いしたことはないと思うんですが」
「いえ、一度お会いしています。すれ違っただけと言うべきかもしれませんが」
 一度、とは一体どこだろう。僕は彼の顔をじっと見つめながら、自らの記憶と照らし合わせていく。いや、出会った時点で何も思い浮かばない、名前を聞いても分からない時点で思い出せるわけはないだろう。
「今日お訪ねしたのは、聞いて頂きたい話があったからです。椎森沙紀。川原理衣子。この二人に関係した話です」
 その人物の名が出てきた時、感覚が一瞬どこかへ吹き飛んでいったような気がした。彼は、一体何をしている人物なのだろうか。
 三藤は続ける。
「もちろんこれはごく私的な話です。聞くかどうかの選択権はあなたにあります」
「どうしてあなたがその二人の名前を知っているんです?」
 僕の問いかけに、彼は一度だけ目を瞑ると、それから再び口を開いた。
「それを説明するのも話の一部に含まれます。少し時間がかかります。ここではちょっと」
 三藤は少し居心地の悪そうな表情で周囲を見回していた。確かにここは学校の門の前だ。通り過ぎる学生達はこちらを見ているし、名刺に名しか載せていないような人物の口から出る言葉が周囲に伝わっていいわけはないのだろう。
「ただ、浅野さんと私は一度だけ顔を合わせています。かなり前のことですが……踏み切りで、私は『彼女』と一緒でした」
 ああ。
 その一言は、僕の記憶の錠を開いた。あの時、僕が“逃げだした日”に、彼女、理衣子の隣にいた男性だ。あの時僕は彼を客だと思っていたが、どうやらこの様子だとまだ彼女には何かあるらしい。
 さて、どうしたものかと暫く唸った後、僕は三藤を見つめる。
「正直なところ、貴方を完全に信頼することはできません。けれど、貴方の話はきっと、僕にとっても重要なものなのだろうということは理解できます。お話を、聞かせてください」
 僕の言葉に、三藤は静かに頷いた。
「わかりました。では、場所を変えましょう」

   ―――

 落ちかけの陽の光が公園に淡い影を作る。遊びに耽る子供たちが、動く事でその黒い影を揺り動かし、カタチを何度も変えさせる。僕らは隅のベンチに腰を選んで、二人並んで座った。
「どうぞ」
 途中で買った缶コーヒーを差しだされ、僕は一度頭を下げるとそれを受けとる。まだ温かさの残るそれを開けずに手の中で転がしてみた。掌に伝わる温かさが、少しだけ心地よかった。
「単刀直入に言います。椎森沙紀に仕事を紹介しているのは私です」
 三藤の言葉が、僕の意識を戻す。最近やけに考え事が多かったからか、気を抜くとすぐにぼんやりとしてしまう。僕は首を振って意識をはっきりさせると、改めて彼に向き直って、彼の言葉を反芻する。
「仕事」
「つまり、椎森さんは職業的娼婦です。私が彼女に『客』を斡旋しています」
「……斡旋? どうしてそんな」
 そこで僕は言葉を噤んだ。多分それ以降に出てくる言葉はきっと、娼婦という存在に対しての嫌悪だろう。だが今彼女らのしてきたことをある程度把握している今、果たして僕はその行為に嫌悪感を抱いていいのだろうかと考えてしまう。
 僕がその先の言葉を決めあぐねているうちに、彼は再び喋り出す。
「椎森さんがそれを望んでいるからです。ただ、先日彼女から連絡がありました。知り合いに見つかってしまったのでしばらく仕事を中断したい、と。客からの苦情もこちらに入ってきていますが、基本的に問題はありません。全ては彼女が自由意志でやっていることです。私は偶然その手伝いをする能力を備えていたから、力を貸した。それだけです。しかし、彼女の様子が少しおかしい。何か他にも事情があるのではないかという感じでした」
 三藤は少しだけ間をあけて、言葉を続ける。
「これは私の単なる勘です。だから間違っているのかもしれませんが、椎森さんは現在とても不安定で、何かに戸惑い怯えている。彼女からは何も聞いていませんが、ある人物が、恐らくはあなたが関与しているのだろうと教えてくれました」
 三藤の言葉を聞いて、僕は暫く目を瞑る。
「ある人物というのは、理衣子……川原理衣子のことですか?」
「そうです」三藤は頷く。
「理衣子とあなたはどういう関係なんです?」
「それに答えるのはとても難しい。私は彼女の生活の面倒を見ています。ただし、恋人ではない。もちろん親子でもない。しかしここで重要なのは、理衣子の話ではないはずです」
 理衣子ではない。その言葉がなければ僕はきっと脱線していた。三藤さんの瞳を見つめ返しながら僕は頷く。
「つまり、あなたの仕事は売春の斡旋なんですか?」
 失礼だとは承知している。だが、彼には率直な言葉でなければいけないと思った。
 彼は頷く。
「そう呼ぶしかないのかもしれません。ただし、椎森さんがしていることは一般的な売春とは異なっている。彼女が相手をする『客』は限られています。同性愛者、性的不能者がほとんどです」
「それは……」
 どういうことかと、問いかけようとして、僕はどう言葉にすればいいものか悩んでしまう。
「彼女の仕事は性行為を前提としないものです。便宜上私たちは『娼婦』と呼んでいますが。それもまた、私の仕事と同じように、肩書きのつけられないものなのです」
 彼はそこで少し言葉を切り、僕の反応をうかがうようにこちらに短い視線を投げかけ、また話を続ける。
「初めて椎森さんと会ったのは一年ほど前でした。ひどい雨の日で、彼女は全身ずぶ濡れになって、何かに怯え切って逃げてきたような様子でした。偶然街角でぶつかったんです。私が彼女に車に入ってタオルを使うように勧めると、彼女は『自分を買ってくれ』と言いました。私には金で女を買う趣味はありません。ただ、予感がした。彼女は『娼婦』になりうると。それは単なるひらめきでした。もしも彼女が希望するのなら仕事として斡旋することはできる、と私は答えました。彼女はそうしてほしいと言った。そして自分を川原理衣子と名乗りました」
「理衣子?」
 椎森の言動を、僕はよく理解ができなかった。
「なぜ?」
「わかりません。ただ、理衣子の関係者なのだと思いました。少し珍しい名前ですからね。理衣子は案の定、椎森さんの名前を知っていました。どういった関係なのかは教えてはくれませんでしたが」
 三藤は表情を変えぬまま公園の風景を見つめている。そんな彼の視線に釣られて僕も公園へと視線を移す。いつの間にか子供たちの姿は消えていて、薄らと存在していた影は今では公園を飲みこもうとする勢いで、姿を変えていた。
「仕事の代価として彼女は金銭を受け取ります。私は仲介料の類は一切取りません。『客』が払った額をそのまま椎森さんに受け渡しするだけです。つまり私にとって、これはビジネスではなくて、好意のしるしのようなものです。そして、椎森さんもお金に関してはどちらでもいいと考えているように思えます。もっと別のものを目的にしているのだと」
「別のもの……」
「おそらくは」
 三藤はそこでやっとコーヒーに手をつける。
「彼女は一人の『客』とは一度きりしか会いません。それが彼女の出した唯一の条件でした。私は慎重に相手を選び、彼女に紹介する。彼女は私の予想通りに『娼婦』として十分に優秀な能力を持っていたようです。見たところ普通の女の子で、目を引くような特徴があるわけでもない。でもほとんどの『客』は、出来ればもう一度彼女に会いたいと言います。彼らの間で何が行われているのか私にはわかりませんが」
 そこで、彼の話は終わってしまった。唐突に終わってしまった物語を思い返しつつ、僕はそこでたった一つ思い浮かんだ疑問を、三藤へと告げる。
「ひとつ教えてください。どうして僕にその話を?」
 考えた末に、やっと出てきた言葉であった。
「僕が彼女の仕事を妨害したことへの苦情ではないのだとしたら、なぜです? 理衣子に頼まれたから?」
 三藤は立ち上がるとコーヒーの缶を投げた。弧を描くようにしてそれはゴミ箱へと入ると、小気味よい金属音を鳴らした。
「あなたについて教えてくれたのは理衣子ですが、今日は私の判断でここに来ました」
 多分理衣子はこんな面倒なことはしないと思う。多分このことだって、彼が言わない限り知ることもなかったと思う。
「私は椎森さんに対して、個人的に親しみを感じているようです。だからだと思います。私がこのような理由で行動するのは本当に珍しいことなんですが」
 三藤が目を細め、遠くを見ながらそう言う。僕には何故だか、椎森の存在を羨ましがっているような、そんな受け取り方もできる言葉だと、なんとなく感じた。
「椎森さんは理衣子になろうとしているように見える。でもそれは無駄な試みに終わるようにしか私には思えない。自分を捨てて他人になろうとするなんて、結局は無意味なことです。彼女が娼婦として生きれば生きるほど、『椎森沙紀』は消えていくように見える。自分を消してしまうことの怖さと取り返しのつかなさを彼女は知らない。最初は彼女の望むものを与えていればいいと思っていました。けれど、見ている内にそれが辛くなってきてしまったんです。彼女はこちら側の人間じゃない。まだ引き返せる」
 三藤はそう言うと僕を見た。それまで表情をあまり変えなかった彼が初めて表情を変えたからなのか、どこかに生じている違和感に思わずたじろぐ。
「何も君に椎森さんを押し付けようというわけじゃない。ただ、君がこの話を聞くことを望んでいるのではないかと思ったんです。理衣子から事情を聴いたときにね」
 僕は思わず三藤から視線を逸らした。多分、不可思議さを持っていながら、理衣子と同じく軸のブレていない彼の姿を直視できなくなってきたのだと思う。
「そろそろ時間です。行かなければ」
 お時間をとらせました、と三藤は丁寧に言い、公園を立ち去った。
 その後ろ姿を見つめながら、彼の言葉を思い返し、そして立ったひとつだけ、脳裏に浮かんだ答えを見つめながら、僕は静かに呟く。
「……正直になっても、いいんだろうか」
 いつの間にか辺りは夜闇が支配していて、僕は冷めたコーヒーをやっと開けると、ぐいと一気に飲み干した。

   ―――――

 喫茶店はいつも通り閑散としていた。この客の入りようでよくやっていけるものだ、といつも暇そうにしている店員をちらりと見てから思う。
「やあ」
「貴方から声をかけてくるなんて珍しいじゃない」
 窓際の席で紅茶を口にしながら理衣子はにこりと笑みを浮かべる。僕は彼女の向かいに腰かけると、ブラックのコーヒーを注文し、そして上着を脱いでから一息ついた。
「コーヒーなんて飲むのね」
「そうか、君といた時は飲んでなかったね。意外と苦いのも良いものだよ。まあ冷たいとあまり好きではないんだけれども」
 理衣子は頬杖をつきながら僕を覗き込むように見つめる。僕は構わずにぼんやりと窓の外を見つめた。
「君は、息苦しさは感じないの?」
「何を?」
「他人を客として見る事をさ」
 理衣子は暫く宙を見つめ、ん、と小さく声を漏らした後、笑みを浮かべる。
「今のところないわね」
「今のところ?」
 理衣子は頷く。そこで、湯気を立てたブラックのコーヒーが机に置かれた。僕はそれを手にすると、一度だけ匂いを嗅いでから、一口だけ飲んだ。ただ苦いだけなのに、香りが口の中で広がることで、その苦みが別の感覚へと変わる。
「そう、今のところ」
「なら、いつかは感じるかもしれないわけか」
「そうね、そうなったら私は今こうしていることをきっと辞めるかもしれない。自分で線を引くところは引いているわ。例え自分の中に必要なことだと感じていても、よ」
 彼女は紅茶をお代わりする。今日は随分とお茶を飲むね、と言ってみると理衣子は目を細めて笑う。この笑い方がまたどこかの穴のあいた人を寄せ付けるのだろう。
「それで、どうするのかしら?」
 理衣子は早速僕にそう言ってくる。半分ほどブラックのコーヒーを飲んでからそれを皿に置くと、僕は目をつぶった。
「僕は多分、もう客になることはできないよ」
 この時の彼女の表情を、僕は見たくなかった。悲しんでいたとしても、笑っていたとしても、無表情だったとしても、それは僕をまた揺らがせる気がしたのだ。
「割り切れるほど僕はちゃんとできていないし、例えまた君にいてもらえたとしても、多分僕は同じように独占することを望むと思う」
 理衣子は無言だ。けれども、そこにいるという感覚はある。
「そして、ちゃんと分かった事もあるんだ。僕がこれからするべきことも、少しだけ分かったんだよ」
 そこで僕はやっと、目を開いた。
 理衣子は、微笑んでいた。
「そう。貴方がそう言うのなら、私は何も言わないし、何もしないわ」
「ありがとう」
 感謝の言葉を彼女にすることになるとは、まさか想いもよらなかった。今まで客として見られたり、それによって苦しめられた相手ではあるのに、僕は未だに理衣子に対して嫌悪感も、怒りも、感じてはいないのだと分かった。
 自分が分かるということは、とても心地よいものだということも分かった。
「けど、一つだけしてほしいことがあるんだ」
「何かしら?」
「多分、僕だけじゃとてもできないことなんだよ」
 その言葉で全てを理解したらしく、理衣子はいつもの笑みを浮かべる。

   ―――――

『――もしもし』
 理衣子の携帯は一、二、三とコールをしてから繋がった。
 久々に、僕と彼女は繋がった。
「やっぱり出てくれた。卑怯な手を使ってごめん」
 その電話が切られる事はないようだった。彼女はひたすらに無言であったし、なんの反応も返ってこないだろうということは大体分かっていた。だから僕は続けた。
「けれども、卑怯な手を使ってでも、君とはまた……いや、“ちゃんと”繋がりたかったんだ」
 そう言ってから、僕は一度深呼吸をした。
「明日僕は、ずっと喫茶店にいる。君が来てくれるまで待とうと思う。君が来たくないと思ったらそのまま無視してほしい」
 僕は待ち続ける。その言葉を吐きだしてから、三藤との会話が思い出される。
――まだ引き返せる。
 初めて、進む以外の道を照らしてもらえた気がしたのだ。だから、僕はもう二度と逃してはいけない。これが僕がすべきことならば、どんな結果になろうと、掴んでみせようと思ったのだ。

 僕は椎森を理解する。
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