俺の嫁はザンギエフ
昼休みの文藝部室にて。
「よく、誰々は俺の嫁、って言うけどさ」
金欠でパチンコへ行くこともままならない髭面男は、既に読み終えたマンガ本をぱらぱらめくりながら呟いた。
「なんですか先輩、いきなり?」
彼の斜向かいに座っていたツリ目の女は、カップうどんの湯気を吹きながら訊き返す。
「要はそれって、一番のお気に入りキャラってことだろ?」
髭面男が手にしているのは、女子高生のどうでもいい日常風景を描いた4コマ漫画だ。
「まあ、普通そうですよね」
「アニメや漫画だと、かわいいキャラとか、思わずグッズを買い集めちゃうようなのだよな? エロゲだと、個別ルートに感動して、何度も遊んじゃうような」
「はあ、そうなんですか?」
あまり興味が無さそうに、女は麺をすすった。その反応さえも気にせずに男は話を続けた。
「でもさ、やっぱり『嫁』って言うくらいだから、単に好きなだけじゃなくて、ずっと添い遂げられる感じもないとダメなんだろうな」
「はあ、ズルズル」
「スパロボなんかだと、俺はマジンガーが好きだから、まっ先にフル改造して最終面まで使うわけだ」
「あ、それはちょっと分かります。私はマリオカートやるとき、いっつもノコノコを使ってましたから」
「でもそれは、誰でも使う初心者向けじゃん? マジンガーだって、普通に強くて使いやすいし。だからマジンガーが俺の嫁かって言うと、また何か違うんだよな」
「まあ、分からなくもないですね」
「なんていうのかな。使いにくいのに頑張って使ってしまうというかさ」
「バカな子ほどかわいいって言いますしね」
「周りの皆は知らないけど、俺はこいつの良さを知ってるんだぜっていう、俺だけ感も大事だと思うんだよ」
「なるほど」
女はうどんを食べる手を休めてはいないが、本人も気付かぬうちに、髭面男の言葉に耳を傾けている。
「そういう意味で言えばさ……」
男は漫画を閉じ、おもむろに顔を上げ、噛み締めるように言った。
「俺の嫁は、ストツーのザンギエフなんだよな」
*
寝坊してしまい、学校への道を急ぐ。わき目もふらずに走っていたため、見通しの悪い十字路で、横から出てきた人物とぶつかってしまう。
でっかい筋肉の塊に跳ね飛ばされた。俺は尻餅をつく。
見上げると、そこには身長2mを超える大男がピロシキを咥えて立っていた。しかも頭はモヒカンで、身体は傷だらけ。さらに、その、なんていうか……。
俺の視線に気付いたのか、大男はいきなり股間を押さえた。
「わ、私のパンツ、見たな……!」
だってあんた、もっこりパンツしか穿いてないじゃないか。
そんな俺のツッコミを待たずに、大男はみるみる顔を赤くしていき、丸太のような腕を振り回してきた。
「この、スケベっ!」
これが俺とザンギエフとの初めての出会いであり、また、初めて食らったダブルラリアットだった。
ロシアから転校生が来る、とホームルームで先生は言った。クラス中がどよめき、色白の金髪美女を想像した。俺も例外ではなかった。
しかしやって来たのは、赤きサイクロンだ。しかもあろうことか、大男は俺を見ては指差して「今朝のノゾキ魔、変態!」と口汚く罵った。
すると呑気な先生は「お、○○(プレイヤーの名前)とは知り合いか? じゃあちょうど隣の席が空いてるから、そこがザンギエフの席な。持ってない教科書は○○に見せてもらいなさい」などと言ってのけるのだった。
その直後に、俺が二回目のダブルラリアットを食らったのは言うまでもない。
力強くて頼りがいのあるザンギエフはすぐにクラスの皆と仲良くなったが、俺だけはいつもあいつと口喧嘩ばかりしていた。
俺がバイトで帰りが遅くなったとき、人通りの少ない裏道で、ザンギエフが人を殴っているのを見た。
後で問い詰めたら、金を稼ぐために汚い仕事もやっているのだという。暴力がものを言う世界は、割と俺たちの近い場所で渦巻いているのだと。
そう説明するザンギエフの顔は、曇りっぱなしだった。
だから俺は……。
⇒「そんな仕事、辞めちまえよ。お前に似合わねえよ」
「そうか。誰にだってそれぞれ、事情があるもんな」
知ったふうな口を利くなと怒られたが、俺は諦めなかった。すると怖い人たちは俺を港の倉庫へ拉致し、「オトシマエ」と称してめちゃくちゃに痛めつけた。俺の腕が折られるかどうかのところで、駆けつけてきたザンギエフがハイスピードダブルラリアットで奴らを豪快に蹴散らした。
「遅いんだよ、バカ」と俺が切れた唇で言うと、ザンギエフは「バカはお前だよ。私なんかのために……」と涙を流した。
動けない俺を背負うザンギエフの背中は、ロシアの大地のようにとても広くて、しかも燃える暖炉のように温かかった。
見舞いに来たザンギエフは、土鍋いっぱいのボルシチを持ってきてくれた。
「つ、作り過ぎてしまったから、仕方なく、お前にも分けてやるぞ……あ、でもその腕じゃあスプーンを持てないよな。よし、し、仕方ないな。ほら、あーんしろ、あーん」
照れくさそうに言うザンギの指には、いくつも絆創膏が巻かれていた。プロレスで出来た傷じゃないことはすぐに分かった。
修学旅行。
東京ディスティニーランドの名物恐怖アトラクション「ドキドキ☆運試し肝試し」の前で俺は決断を迫られていた。ここでベストコースを選んだカップルは一生を添い遂げられると言われているのだが、誰を選ぶべきか……。
なじ美「ねえ○○。これすっごい面白いらしいよ。一緒に入らない?」
ボク子「ずるいよ、なじ美! ボクだって○○と行きたいんだからね!」
おび江「わた、わたし、怖いの、ダメなんですけど、○○さん、となら……」
⇒ザンギ「何を言っているんだ、○○は私とに決まっているだろう」
俺とザンギとの距離に反して、日本とロシアの関係は悪化していった。戦争開始が秒読みとまで噂されるようになった。
それに従ってザンギには、いつでも祖国のために戦えるようにと帰還命令が下された。
港で二人っきり。潮風に冬の匂いが混じっている。
こんなときに何を言えばいいのか分からなかった。俺が黙っているうちに、ザンギを迎えに船が来た。
あいつがこれに乗ってしまったら、今度はいつ会えるか分からない。いやもしかしたら、敵同士になっているかもしれない。
そんなのは嫌だ。俺が、俺が言わなけりゃ……!
「行くな! 俺と日本で暮らそう!」
⇒「行こう! 俺もロシア人になるよ!」
「ほ、本気なのか○○!」
俺が決意を口に出すと、ザンギは驚いて訊き返した。
「お前は、私のために祖国を捨てられるのか? それがお前の答えなのか?」
「そうだ。これが俺のファイナルアンサー、いや、ファイナルアトミックバスターだ! お前と一緒にいられるなら、毎日朝晩、偉大な指導者に祈りを捧げるのだって怖くない!」
ここまでくれば、もう言葉はいらなかった。
俺は愛のスーパーコンボをぶつけるべく、両手を広げて駆け寄った。
*
ツリ目の女は、げほげほと苦しそうに身を震わせている。
「だ、大丈夫、後輩ちゃん?」
「だい、じょうぶ、じゃないです!」
どうにか声を出せるまでに呼吸器官を落ち着かせた女は、開口一番、この状況を作った原因を非難した。
「もーう! 先輩がいきなり変なこと言うから、↑みたいなの想像して吹いちゃったじゃないですか! もうこのうどん、食べられないじゃないですか! どうしてくれるんですか! 弁償してください!」
「あ、ごめん。え、俺が悪いの?」
「当たり前です! けほっ」
思い出したように何度も咳をしながら、女は机の上に散った麺や汁気をティッシュでふき取っていく。その様子を眺めて、髭面男はまた余計なことを言い出すのだ。
「でもザンギエフとは別にさ、たまに他のキャラもやっぱり使いたくなっちゃうんだな」
「先輩は黙っててください」
「そういう意味で言うとさ……」
「だから、もう喋らないでくださいよ。嫌な予感しかしないんですから」
しかし止められているにも関わらず、男はまるで自分の半生を振り返るかのようにしみじみ呟くのであった。
「ブランカは、俺の愛人なんだよ」
ザンギエフを抱きしめに走る男を、後ろから緑色の肌をしたジャングル育ちが鋭い爪で引き止める。もちろん切実な愛の言葉と共に。
そんな場面を想像して、とうとうツリ目は突っ伏して泣いた。
☆
実話を基にしたフィクション。
「俺の嫁はザンギエフ」という発言は実際に橘の知人が口に出した台詞です。
ふと思いついてしまったので、勢い任せに書きました。
書いているうちに、本当にこんなギャルゲがあったら探して、ザンギルートを攻略したくなってくる不思議。