空の跡
かつて空があった空間はゴミと墓で埋め尽くされている。そこに理不尽に取り残された鳥類たちの断末魔が聞こえてくるはずなのだけれど、聞きたくない音は聞こえないように進化してしまった僕らの耳には届かない。
転んだの、と彼女が言う。
自転車に乗っていたらすぐ横を凄い速さで男子高校生が通り過ぎていって、びっくりしてふらついてこけちゃったの。顔から落ちるなんて馬鹿だよね、と。
彼女を殴った男を知っている。その男を僕が殴り倒したこともある。小柄で口ばかり達者なそいつは女性には暴力を振るえても、僕のような大男にはへりくだる。問い詰めればすぐにDVを白状する。それでも愚行を繰り返す。
僕がそいつを殺してしまわないように、彼女は下手な嘘をつく。
裏側を太陽に灼かれて燃え上がるゴミの火が大気を揺らしていてこの星は常に暑い。だから僕らはすぐに服を脱いで簡単にセックスをする。誰とでも繋がり合って、絡まり合って、ほどきようがなくなって行き詰まる。
その男子高校生の容姿は、と僕は聞く。
坊主頭だったか、スポーツバッグは持っていたか、自転車に荷台はついていたか、と。
そういえばそうね、いやそうじゃない、多分ついていた、と彼女は、僕の助けを受けてどこにもいない男子高校生に肉付けをしていく。
虫は多いよ。
鳥達が随分と食べてくれていたからね。
耳栓なしで眠ると鼓膜をかじられる。
小さな絆創膏を十枚も貼り付けて彼女は額の内出血を隠している。
帽子はもう流行ってないからね。被りにくいものね。
今日はどうするの、と、何もしたくなさそうな素振りで彼女が聞く。
まだ何も考えていない、ただ顔を見たかっただけだから。忙しいならもう帰ろうか。僕も家ですることがあるんだ。
爪が伸びてるんだ。
せっかく来たのに。そう言いながら彼女は剥がれかけた一枚の絆創膏を指で引っ掻いている。僕はそれを見て、やっぱりあの小男は殺そう、と気楽なノリで決意する。
別にもうどうでもいい奴なのだけれど。
どうでもいい奴だから、なのかな。
空の跡にうまく埋め込まれていなかった安物の墓石が墜ちてきて地面に穴を空け、巻き込まれた数人が生きることを止めている。
何か事情があって急いでたんだと思う、あの高校生。好きな人に会おうとしてたとか、嫌いな人に会いたくなかったとか。
そうだね。
ぼくも男子高校生だった頃は、と少しの間僕らはどうでもいい会話を交わす。彼女の額の絆創膏が二枚剥がれ落ちる。
虫の羽音で互いの声が聞きとれなくなった頃、僕らは別れた。
一晩眠れば殺意も消えていた。
枕元では小さな蜘蛛が二匹潰れていて。
(了)