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底町集より

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 コーヒー色の雨がクリトリスの上に降る。

 美しかったから
 女は
 殺された

 久木譲吉の三行詩に詠まれたような女の死骸が全裸で横たわっているのを、雨で遮られた視界の中で垣間見る。その顔は穏やかな寝顔に見えた。しかし顔以外は切り刻まれ、恐らく血にまみれていたであろうが、今は雨で汚されて二重三重に彼女は殺されている。包皮を毟られて天に向かって剥き出しにされたクリトリスはどこか誇らしげで、そんなところだけはカメラのピントを合わせたようにくっきりと見えた。
 女の死骸も男の死骸もこの町では珍しいものではなくて、轢き殺された猫なんかよりずっと多い。照度の低い太陽が昇り、主にブラウン系の色をした雨の降るこの町で、人は次々と倒れ、また次々とやってくる。
 地獄に近い、と聞いた。
 誰にか、は忘れた。

 久木譲吉(くぎ・じょうきち 1966-2006)はこの町に生まれたがこの町では死んでいない。主にこの町の日常を三行で詠み、全作品にタイトルはない。自費出版された二冊の詩集の題名も「底町」「底町・二」と随分そっけないものだった。全国的に有名になったり著名な詩人に絶賛されたりすることはなかったが、地元の書店には常に二冊とも置いてあった。しかしこの町の最後の書店は二年前になくなってしまった。

 下り坂が
 続く
 ので、下る

 狭いこの町には公立・私立含めて図書館が十六館ある。多すぎる。有料施設を除けば、どこも金のない読書家と無職とホームレスの吹きだまりとなっており、人々の汗と垢の臭いと相まって、書籍までが発酵したような臭気を放っている。
 その中の一館で生前の久木を見たことがある。僕は小学六年生の頃、つげ義春全集を読み漁っていた。つげ漫画の旅物に出て来そうなぱっとしない人物が床に寝そべって辞書を引きつつ、何やら手帖に書き綴っていた。その日外では土砂降りの雨が降り続いていた。リノリウムの床は靴底を拭かずに館内を歩くろくでなしどものせいで汚れきっていた。それなのに服を濡らすことも、他人の邪魔になることも構わず、久木はペンを走らせていた。
 あの頃の雨は今よりずっと色が薄かった気がするけれど、それはおぼろげな記憶の中の雨だからかもしれない。

 それを
 それを
 くれ

 久木は東京でホームレスとなって寒さで死んだ。それは底町での暮らしと大差なかったかもしれない。増刷されない彼の詩集の著者プロフィールには彼が亡くなった事実は追記されない。僕が見た頃と同じ顔をしている顔写真に死相は浮かんでいない。図書館にある彼の詩集はどのページも誰かの手垢で汚されている。

 休日を丸一日図書館で過ごしたものの、本を開いているより眠っている時間の方が多かった。帰り道で女の死骸を確認すると、カラスにでも突かれたのか眼球が失われており、彼女が美しかったかどうかはもうあやふやになってしまった。近付いてもっとよく見ておけばよかった、と少し後悔した。

 雨はやんだ
 が、

 久木の真似をして何か書こうとしたが三行目を思いつけなかった。

(了)
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