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肌の裏側の汚れた絵画

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 この部屋の窓から見える工場の、煙突から吐き出される黒い煙が嫌で嫌で、まるでそれをそのまま自分の肺に取り込んでいるような、まるで自分の将来もあんな色をしているような、自分は一生この薄汚い風景の中から出ていくことが出来ないような、そんな気がしていて、一人で見るのが嫌だという理由で何人も男を連れ込んで、でも男達は私のそんな感傷は鼻で笑って、どこでもいけるよ、どうにでもなるよ、なんて言いながら、決してその手で私を引っぱり出そうとはしないで、欲望だけ垂れ流してここから出て行ってしまった。すぐに町を出て。喧嘩や事故であっさり死んでいって。
 だから私は似たような境遇の女を好きになることに決めて、この町で目の合った女を片っ端から誘惑して、キチガイ扱いされたり、気味悪く思われたり、稀に肉体関係にまで持っていけたりしたのだけれど、彼女達は私よりずっと重症で、希望も絶望も持たずにただゆっくりと腐っていくだけの人間で、指や耳や心が欠けている子も大勢いた。私は存在しない指を口に含み、耳を噛んだ。幻肢痛に襲われて痛がる彼女らに私は置いてけぼりにされて結局疎外感を味わって。
 この町に来て間もない、まだ汚い空気の影響で鼻毛が伸び出してすらいない男がかつて私に言っていた。「君の顔はシミだらけだし根性も視線も変な方向に曲がってしまっているけれど、だけどそんなことくらいで人が人を想う気持ちは揺るがないよ。僕はまだ君と二回寝ただけだけど、近いうちに三回目もやりたいなって思ってる。まだはっきりとはしてないけれど、どちらかというと僕は君のことが好きだと思う」しかし男はそれ以来やってこなかった。口だけ達者でいつも眠そうにしていたあの男は今やあの憎い工場でそれなりの地位にいるという。男達女達と寝てばかりいると聞きたくもない情報ばかり集まってくる。そこで働く男達に不味い食い物や汚い身体を売る私は、大嫌いなこの町を底の底から支えてしまっている。
 私も好きだったよ、と声に出してみる。
 そう言って思い浮かぶのは思わせぶりな糞野郎ではなく、幼い頃に一度だけ肌を重ね合った、幼馴染みの少女の顔だ。汚れ腐れる前に死んでしまった彼女の顔は白く美しいままで、私はその顔の思い出をお守りみたいに頭の中に閉じ込めている。
 私達は実は絵画の中の住人で、でもその絵画は私達の肌の裏側に描かれていて、書き足したくても書き足せず、破りたくても破れないから、私達にそこから出て行く術はない。そんなことを考えるようになった頃、忘れられることなんて考えてないかのようにあの眠そうな男が再び私を抱きに来た。
「ここから出してよ」鼻毛の濃くなった男に私は頼み込む。これまでの人生で発した言葉のどれもが嘘だったかのように、生まれて初めて本心から出た言葉のように。
 いいよ、と軽く請け負って男は私の首を絞め始めた。
 でもすぐに力を緩めやがって。
 優しげに笑いやがって。

(了)
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