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河口姫(かこうひめ)

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 その河はちっとも美しくなくて。むしろドブに似て。淀んだ水面は空が晴れていても灰色に濁った雲を映していた。そこでは薄汚い鴨がゴミを啄み、立ったまま固まったように動かない白鷺の羽根は血の塊や泥にまみれていた。
 そこで私は人魚を見た。
 河の流れ込む先にある、あまり大きくない湖は異臭を放っていて、数キロ先からでもその臭いは鼻を刺激した。嗅覚が麻痺しだすと連動するように聴覚も視覚も狂い始めていた。何かものを食べたならば砂や泥や血のような味しかしなくなっていただろう。私は五感をたたき落とされた。私は記憶を砕き散らされた。私は人魚を見た。
 私はその湖に何か特別な思い出があった気がする。私はそんなゴミ溜めのような湖に自らを沈めに来ていた気がする。私の履く靴はボロボロで、既に何年も歩き通してきたようだった。私はあまりにも長い間歩き過ぎてきたようだった。私は人魚を見た。
 人魚は二人いた。一人は既に死んでいた。人でも動物でも人魚でも死体となったものはどれも似ているように思えた。呼吸をしなくなり、触ればおそらく冷たく、どのような死であれ周囲に何かしらの悲しみを否応なしに撒き散らす。人魚達はちっとも美しい存在ではなくて、顔は魚に似て、体つきはワニに近くて、それでも水かきつきの五本の指は人間にそっくりで、日本語に似た響きの言葉を発していた。
 彼女らあるいは彼らも私と同じようにこの国に発生し進化してきたのならば、似た響きの言葉を使うのも不思議ではない気がした。それは他の国の言葉より、なまりの強いどこかの地方の方言に聞こえた。人と人魚の違いなど、生まれ育った土地の違いでしかないのではないか。三メートル近い生きている方の人魚は尾で川原の砂利をぺたぺた打ちながら泣いているように見えた。鴨や白鷺は感情のない眼で人魚達を見据えていたが、鳥達は人魚を見ても何とも思わず、彼女らの近くにある水面を漂う葉っぱや生ゴミを見つめているだけかもしれなかった。私は人魚を見た。私は踵を返していた。私にはまだ帰る場所があった。それがどこかは記憶が砕けたままの私には思い出せなかった。生きている人魚の慟哭の中に、他人に助けを求める言葉が混ざっているように聞こえた。私は聞かなかった振りをして空を見上げた。薄汚れた河の水面がいくらこの世界の汚らしさを主張しようと、空には雲一つなく、あまりにも、あまりにも青すぎた。
 あの湖は人魚達の墓場なのだ、と私は思った。ああいったものの死骸が集まるから湖ごと腐り、酷い臭いを放つのだ、と。この河の水面が素直に真実だけを映してくれていたのなら、そこを覗き込む私の姿も、もう人の形はしていなかっただろう。
 私は歩いた。随分と長く歩き、湖から遠ざかった。異臭が薄れ、人混みの中に立った頃、私は随分と長い間涙を流していたことに気が付いた。私のようなものの涙があの河を作っていたのだ、私のようなものの涙が作った河だからこそ、あのようなものらが流れ付いていたのだ、と気が付いた。それらは全て嘘かもしれなかった。それらは全て本当かもしれなかった。
 それから靴が破れて、脱げた。

(了)
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