サバイバルレース途中経過第四章~賢い奴から去っていく~
娘をあやしているとよくちんちんを殴られる。
娘に顔を近付けると鼻に指を突っ込まれる。
基本ぺちぺち叩かれる。
Dの働いている会社は大量の従業員を抱えながら社員数は少ない。
その社員達もどんどん減っていっている。
ある者は若いうちに違う道へと。
ある者達は新工場設立の為そちらへ異動して。
ある者は改革者として管理職入社して会社を引っ掻き回した後、半年で去っていった。
Dが現在の部署に異動してから四か月余り。いつの間にかあまりにも多くの仕事を押し付けられてしまっている。でもそれはDだけではないのだ。残り少ない社員達にそれぞれ負担は重くのしかかっている。誰もが寝不足で、誰もが辞めることを考え始めていて、誰もが死にかけている。
「Dさん、二か月連続残業時間が八十を超えています。今月は抑えてください」総務の人が言う。
「では社員数を増やしてください」六月の実質残業時間は百三十を超えているDは聞く耳を持たない。
Dは夜勤に入ることになった。夜勤に入っていた社員が新工場へと旅立ってしまい、夜勤担当社員が一人しかいなくなってしまったためだ。彼は「一週間か十日に一回、あとは俺の用事ある日だけでええから入ってくれ」と頼んできた。周囲の社員を見渡せば、新入社員の未成年女子、その一つ上の、入社一年でいろいろとすり切れてしまった疲れ切った女性社員、後は係長二人しかDの部署の現場社員はいないのだった。
初めての夜勤の日、近頃夜はぐっすりと眠りこんでいた娘が、一時間ごとに目を覚まして泣いたそうだ。
誰が辞めていったかなんて全部把握することは諦めた。賢い奴から去っていく。
「パパって昔ビートルズだったの?」
「違うよ」
「パパって昔からどスケベだったの?」
「違うよ」
「パパって昔小説家を目指していたの?」
「昔じゃ、ないよ」
「今も?」
「どうかな」
「ねえパパ」
「何だい。もう眠いよ」
「パパはもうすぐ死んでしまうのよ」
「大丈夫だよ」
「何が大丈夫なの」
「眠いだけだよ」
「もう目が見えてないじゃない。私はそっちにいないよ」
「こっちかい」
「そっちじゃないよ」
「じゃあこっちか」
「違うって。あはは」
「何がおかしいんだい」
「笑ってなんかないよ。あはは」
「笑ってるじゃないか」
「あはははは」
Dは想像する。残業のない世界を。
Dは想像する。誰も会社を辞めなかった世界を。
Dは想像することをやめる。
「明日って仕事だっけ。休みだっけ」妻に確認するが、か細い声がうまく届かなくて妻は「えー?」と声を荒らげた。
どっちでもいいや、と思いながらDは眠りにつく。
しかしすぐに寝ぼけた娘が背中に突っ込んできてしまうのだった。
(了)