太陽潰し
仕事に追われ、子育てに追われ、本を読まなくなり、小説を書かなくなり、随分経った。通勤時間はスマートフォンでネットを眺め、たまに時間が空けばただただ眠った。
「これだけ、後は頼むな」
「ああ、六つですね、なら多分大丈夫だと思います」
かつて私に散々暴力を振るった先輩社員は年末に辞めていった。膨大に抱える発注商品を、辞める数日前に、散り散りにぶん投げて消えていった。彼の出社最終日にねぎらいの言葉を放ったのは工場長一人で、仕事が一段落した他の社員は他愛もない雑談で彼が帰るまでの時間を過ごしていた。
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Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて・・・・・・
鮎川信夫『死んだ男』より
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古い音楽仲間たちが集まった忘年会で、音楽を続けているのは一人だけだった。その彼が結婚するというので祝いの席も兼ねていた。妻子が実家に里帰りしているという友人の家で、高校時代の文化祭でのライブ映像が収められたビデオを見た。誰かが「この頃が一番クオリティが高かった」と呟いた。けれども私のギターは、あまり好きでもない曲をコピーしているせいもあってひどくたどたどしくて。そもそも上手くなろうとしていなくて。だけども確かに輝いていた。
それから頻りに鮎川信夫の詩が思い起こされた。「短かった黄金時代」というフレーズが頭の中で繰り返される。私たちと同世代である、一年で何十億と稼ぐ野球選手も、大記録を打ち立てていた横綱も、既に輝きを失い過去の人となってしまった。私たちは彼らにはなれなかったし、これからも何者にもなれないかもしれない。でも生きていて。でも満ち足りていて。
では物語を始める。
潰れた太陽の下で散り散りになった陽光に照らされ、体長五ミリに満たない人間たちが虫に踏み砕かれていく。私たちは進化を急ぎすぎた先祖のつけを払わされ、短い生をすり潰されていく。生まれながらに亡殻で、生まれながらに成長することを止められていて。思考停止を結論付けた同輩たちは、それなのに虫除けとして毒草色の帽子を被っている。
「この辺りの地中からはとても暑苦しい熱を感じるけれど、あれは粉々になった太陽の欠片が地面に突き刺さっているからって母が言っていたの」
そういう恋人の顔は蟻に半分かじられていて、欠けた右目は私を見ていない。
それから私は力尽きた恋人を置き去りにして地中に潜り、手に余る土くれに向けて爪で文字を刻む。刻む端から崩れていく文字は何も表せず、誰に伝えることも出来ない。それでもいつか、と私は思う。この指で、この爪で、この文字で。死にかけた太陽の一番小さな欠片にとどめを刺すことくらいは出来るんじゃないか、と。
(了)