「私は神に会ったことがある。」
僕がまだ高校生だった時だ。担任の岡野先生がそんな話をしだした。
僕が通っていたのはいわゆるキリスト教系の高校で、聖書の授業なんてものもあった。岡野先生はその聖書の授業を受け持つ先生で、クラスのホームルームの際にそんなことを語ったのだ。
「神に会った人は一目見ればわかるんだ。神に会った人は、みんな勇ましい顔をしている。」
僕は元々そんな信仰心をもった人間ではない。その日の帰りは友人たちと先生の発言を話題に馬鹿にしていた。でも、なぜだかその一言が今でも印象に残っている。神に会った人は勇ましい顔をしているという一言が。
そんな僕も高校を卒業し、実家から通える私立の大学に合格し、今のところは真面目に通っている。その日もいつも通り5限の授業を終えた後友人と食事をし、地下鉄で帰路についた。
友人と別れ、いつもと同じように電車に乗る。僕の最寄り駅に向かう電車は幸いなことに空いていた。車両には、同じように帰路へ着く大学生女子の3人組がドア際で立って話しており、仕事帰りで疲れているのであろうサラリーマンが座席によりかかるように眠っている、そして塾帰りであろう小学生の男の子2人組が座席に座っているのみであった。僕は小学生の2人組の正面に座り、これからバイトでも始めなければなどと考えていた。そんな時何気ないその2人組の会話が耳に入ってきた。
「あれさ、こないだの紅白みた?」
「見た見た!あの、トイレの神様って曲すごく良かったね。」
神という単語に無意識にも反応してしまった。岡野先生は元気にされているだろうか。
「あれどういう話だっけ?」
「なんかトイレにきれいな女神がいるってやつ。」
一時期話題になった曲だ。本来は亡くなった祖母への想いの曲であったはずだが、ずいぶんと簡略な説明である。そんな小学生達の会話を聞きながら電車に揺られていると、目的の最寄り駅へ到着した。どうやら2人組も一緒に降りるらしい。2人組に続いて車両を降りた。
改札を出ると、駅前のロータリーで先ほどの2人組を見つけた。なんとなく気になったので、近くにあったベンチに座り、様子を見てみることにした。
どうやらやはり塾の帰りらしく、一人の男の子の母親が迎えに来てくれるらしい。もう一人はそれまで一緒に待っていてあげているようだ。しかし、どうも様子がおかしい。母親を待つ子が色々と話題を振るのに対し、もう一人の反応が薄い。だんだんと口数も減っているようだ。よくよく観察してみると、その子がどうも落ち着きがない。無駄に足踏みをしたり、ずっともじもじとしているのだ。
勘のいい人ならわかるであろう。おそらくトイレを我慢しているのだ。しかしそれが言いだせないということは小さい方ではないということである。小学生男子にとってトイレの個室に行くことは非常に勇気がいることなのだ。もちろん僕もそんな経験がある。会話を遮りトイレに行くなんてことはできないのであろう。我慢に我慢を重ねて必死に今を耐えているのである。
彼が無事に危機を乗り越えられることを祈っていると、白い車がロータリーに入ってきた。もう一人の母親がやってきたようだ。
「じゃあまた明日!」
「うん、バイバイ!」
お互いに別れを告げ、男の子を乗せた車が去って行った。その瞬間、先ほどの彼が駅の横にある公衆トイレに向かって全力で走りだした。限界は近い。
心配になった僕はこっそりあとからトイレに入ることにした。公衆トイレとは狭いもので、小便器が3つと、個室が1室あるのみである。その個室のドアは不運なことに閉ざされており、その前で少年が足踏みを繰り返している。僕が小便器で用を足した頃には少年は小刻みにジャンプをしていた。もう見ていられない。
僕はトイレを後にし、先ほどのベンチで彼の無事を祈る。まだ彼女すら出来たことはないが、妻の出産を手術室の外で待つ夫の気持ちとはこのようなものではないのか。どうか無事でいられますように。
10分ほど祈りをささげていたであろうか。しばらくするとトイレから少年が出てきた。しかし何かが違う。先ほどまではカバン一つを肩から下げていた彼の手に、新たにビニール袋を提げている。そして先ほどまでのジーンズではなく体操着のハーフパンツを穿いている。そこで初めて彼の顔に目線を向けた。その瞬間岡野先生の言葉が脳裏をよぎった。
彼は実に勇ましい顔をしていた。
まさしく神に会ったのであろう。トイレの神様に。