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 だいごろうという男がいた。随分昔の話だ。

 僕がまだ皮被った初心者VIPPERで、ブーンとワロスだけで毎日を過ごしていた頃だったように思う。 だいごろうはコテハンだった。彼にどれほどの知名度があったのか、僕は知らない。彼は別段面白いレスをつけるでも無かったし、うpや晒しとも無縁だった。話題になるようなこともなかった。居ても居なくても変わらない、いわゆる空気コテというものだったのだろう。
 ただ、僕はだいごろうの偏執的なまでに細かいレスの付け方が好きだった。「テラワロスwwww」だけの僕のレスに、だいごろうはいつも律儀にレスを返してくれた。 彼独特のみっちり十行詰まったレスは読むだけで人をげんなりさせるような、冗長なだけのつまらないものだった。それでも僕はそれが嬉しかった。VIPという板に僕の居場所が出来た気がしたのだ。
 だいごろうと僕はなんでもない雑談系のスレに常駐していた。スレの名前は失念してしまった。今スレッド一覧を開けば似たようなスレが十は見つかる、dat落ちした瞬間に忘れ去られるようなスレの一つだった。
 僕がくだらないどうでもいいレスをつけ、それを名無しの誰かが繋げ、また誰かがネタを振り、だいごろうが独特の読みにくいレスをつける。 そんな繰り返されたパターンが僕はなんとなく好きだった。ヴェルタースオリジナルを舐め続けるのと似たような感覚――舌が麻痺してしまっていたのだ。今の僕ならそう思える。けれど、その時の僕は酔っていた。2chに、VIPに、そして僕にレスを返してくれるだいごろうに。

 もっとも、だいごろうの方が僕を認識していたはずは無かった。
 僕は星の数ほど居る名無しの一人だったし、だいごろうのレスはどのレス番に返しても問題ないような荒唐無稽なものだったからだ。 だいごろうはレスの一行目に返答めいた書き込みを入れて、それからは延々と自分の事だけを書き連ねた。
 最近下腹がたるんできたこと。ダイエット器具を買ったものの結局使わずにホコリを被ったままであること。 妻の作るコロッケが美味しいということ。息子が最近目を見て話してくれなくなったこと。
 彼のレスには彼の日常が詰まっていた。だいごろうのレスはいつもスルーされていたけれど、僕はこの滲み出る家庭の臭いが好きだったのかもしれない。
 上司とそりがあわなくて湯飲みにつばを吐いたこと。会社の屋上でブーンしているところを同僚に見られたこと。 何もしていないのに頬が歪んで自然と笑みになってしまうこと。ワロスが口癖になって困るということ。

 だいごろうはレスの内容を信じるならば、中年の冴えないサラリーマンそのものだった。
 日本の家庭の四分の一を占めるであろう、善良さだけが取り柄のサラリーマン。僕はそこにも共感を覚えた。僕の親父もその手の人種だった。
 だから、彼の読みにくいレスも僕はしっかりと読んだ。レスを返すことはなかった。どう返していいのかわからないのがだいごろうのレスだったし、そもそも、僕に言えることなんて何もなかった。
 僕は適当なくだらないレスをつけ、誰かがそれにレスを付け足し、ネタを振り、僕が書き込み、誰かが書き込み、1000を取り、そしてスレが落ちる。ループする話題の中で、僕はだいごろうが書き込むのをじっと待っていた。その読みにくい書き込みを。

 だいごろうは不器用な男だったのだ。何かを書かずにはいられなかった。けれど、彼には表現する文才も、表現する場もなかった。VIPという板だけが彼に与えられた創作の場だった。

 だいごろうの最後の書き込みは良く覚えている。彼にしては珍しく、明瞭で簡素なものだった。
「今日になってようやく上司、あの嫌らしい上司との面談がありました。まえまえから再三の打診はありましたが、自主退職をするか否かについての答えを聞かせてほしいということで、
私は思いあまって辞表と一緒に湯飲みとサンダルをたたきつけてしまいました。その時の上司の顔は見物だった。少しの満足と高揚と引き替えに家族と人生を失ったんです。
もうこれで家に帰れなくなったので今ネカフェで書いてます。隣の部屋にうるさい女二人が居てしゃくにさわる。これからの身の振り方について考えつつここで筆をおかせていただきたいと思います。」
 この書き込みを機に、だいごろうはVIPから姿を消した。
 同じ日に、僕の家へ警察から連絡があった。親父が都内の雑居ビルから身を投げて死んだということだった。そのビルの五階に小さなネットカフェが入っていることを僕は後で知った。

 だいごろうは死んだ。それも、随分昔の話だ。
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