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3-3 惨

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 当時の俺は、喧嘩っ早いだけの普通の人間――高校生だった。
 人を殴らない日の方が少ないくらい、毎日喧嘩に明け暮れていた。
 西に諍いを起こしている奴等がいたら両成敗の名目で乱入し、東に抗争してる奴等がいたら近所迷惑の建前で全員ボコボコにしてやった。
 誰であろうと、殴りたい奴は全員ぶん殴った。
 校舎裏で二人の女が地味な女子に因縁をつけ、土の上にひっくり返し足で踏みつけた弁当を食わそうとしていたのを目撃した時は、不快なので顔面にドロップキックと後ろ回し蹴りを食らわせてやった。元から嫁に行けるようなツラでもなかったので、別に構わないだろう。
 それを除けば女を殴った記憶はない。
 教師も、ぶん殴りたくなるような腐った教師は(俺の知る限り)いなかった。いたら俺はとっくに退学になってただろうな。
 そんなどうしようもないガキだったが、今に比べりゃずっとマシだ。

 家族は親父とお袋と、年の離れた妹が一人。
 親父に喧嘩で勝ったことは一度も無かったし、お袋は容赦なく武器を使ってくるので喧嘩どころではなかった。
 妹の春海は未来永劫俺が殴る事はないだろうと思うほど、よくできた妹だった。本当に俺の妹か疑ったほどだ。
 馬鹿だ不良だと罵りながらも、誰一人俺の事を見捨てる事は無かった。
 当時は春海以外はウザいだけだと思ってた、が……いい家族だった、な。

 友人も、それなりにいた。馬鹿ばかりだったが。
 自分を虐めていた奴等をもれなく全員病院送りにしてくれたと言う理由で、虐められ野郎に慕われた事もある。俺はそんなこと知らなかったが。
 死ぬほどどうでもよかったが、別に悪い心地はしなかった。

 喧嘩。喧嘩。説教。喧嘩。停学。喧嘩。拳骨。喧嘩。
 ただ流れていくだけの代わり映えしない毎日。満足とも不満とも言えないその日々が、俺はずっと続くと思っていた。

 今でも、たまに思い出す。




 あの日、俺は学校の帰り……喧嘩が長引いたせいですっかり日も落ちた頃に、人通りの無い裏道を走っていた。
 耳にイヤホンを付け、音楽を聴きながら自転車を転がす。
 ブレーキの利きが悪く音も大きいので、適当な所で修理にでも出すかと思いながら、角を曲がった。
「……っべ……!」
 衝突。
 死角に停めてあったワゴン車のケツに突っ込み、俺は自転車から転げ落ちて肘と手の甲を擦った。
 なんでこんなところに停めてやがる。自転車が曲がっちまった。車の修理費は俺が払わないといけないのか。なんて俺はついてないんだ。
 次々と思考が湧き出てくる。だが、それは目の前で起こっている光景を見たら全部吹き飛んでしまった。
「たすっ、っけてくださっ……!」
 一目でわかった。確認するまでもなかった。
 まさに今。ランドセルを背負った女子小学生が、眼鏡をかけたひ弱そうな男に腕と口を押さえつけられ、連れ去られようとしていた。
 俺は口元が緩むのを堪えられなかった。
 ――なんて俺はついているんだ。誘拐犯が相手なら修理費など払う必要が無い。むしろこっちが治療費に慰謝料に修理費にと請求できる。 何より、お咎め無しで人をぶちのめせる。
 俺はその場から一足に跳び、素早く拳を握りしめる。
 ヒーロー扱いされたいわけでも、ガキを助けたいわけでもない。
 思いっきり殴ってもいい奴の存在が、俺を走らせた。
「貰ったァ!!」
 容赦の欠片も無かった。別段殺したいわけではないが、殺すつもりで喉元に打ち込んだ、その拳は。

「邪魔だ、糞ガキ」

 眉の一つも動かせないほどに、全く効いていなかった。

 ――ふざけんな、急所を本気で殴って……

 俺の思考が終わらないうちに。
 手か、足か、何が来たかもわからない速度で衝撃が側頭部に走る。視界が、暗転した。










 意識が、朦朧としていた。
 俺は混濁する視界の中で、白衣にサングラスをかけた鉤鼻の男が笑いながら何かを弄くっているのを、虚ろに眺めていた。
 近い。何を楽しそうに、手に取ってるんだ……。
 拳大の、生きているかのように鼓動する朱色……
 って、おい、そりゃ俺のしんぞ――
 俺の思考など知ったことでは無いと言うかのように、再び意識は断絶する。
 電波状況が悪いテレビの電源を切るように、ぶつり、と。








 「起きなさぁい、ジェノサイド・ゼロォ」
 不快極まりない声と同時に、頭に強烈な電流が流れた。
 脳がひどくシェイクされ、覚醒を促される。
 冴えた頭で周りを見回すと、小型のドーム状の部屋に自分が寝かされていたのがわかった。小型と言っても、フットサルの練習ができる程度には広い。
 部屋にはエレベーターとドアしか無く、白い証明で照らされた赤黒い染みがそこら中に転々とこびり付いていた。
 立ち上がると肩を叩かれた。振り向くと、先程の白衣の男が歪な笑顔を俺に向けている。年齢は、五十の半ばってところか。
「おはよぉ、ジェノサイド・ゼェロォ。早速だが調整を始めようかぁ」
 粘り気のある口調で俺に語りかける。
「なんだ、てめ……」
【殺したい】
「ッ!?」
 再び、俺の頭に電流が流れる。直立するのが難しくなるほどに、俺の感覚を支配している。
 痛いと言うよりは、気持ち悪い。波が頭を揺さぶるような感覚が嘔吐感をかき立て、とても不快だ。
 頭を触り、その発生源を探す。機械などは装着されてなかった。
 外からではない。この電流は……中だ。脳の中から放射状に発生している。
「ああ、それは暴走防止の保険だよぉ。まあ、私や自分を攻撃しようとしなければぁ、これからは流れないからねぇ」
「っ……ハァ、ハァ……」 
 沸き上がる感情を、俺は沈める。
 その言葉通り、電流は微弱なものになった。
 俺は自分の体を確認する。
 服は病院着のようなものに着替えさせられていて、白一色だった。それ以外は、特にこれと言って変わったようには見えない。
 しかし、頭の中……脳を弄くられたらしい。記憶が正しければ、心臓も。この男に。何の目的があって、だ。
【殺したい】
【殺そう】
 電流が再び、脳を強く刺激する。
「うっ!」
「ほらほらぁ、相手は私じゃないんだからさぁ」
 そう言って男は、扉の方を示す。
 その先から意識を失っている人間が三人、台車で運ばれてきた。
 見覚えのある顔だった。見間違えようがない。
「はっ……?」
 俺の、家族だった。

 何でここに家族がいるんだ?
 何で眠らされているんだ?
 何で俺の前に出されているんだ?
 何で俺は――



【いいのが、いる】



 ――こいつらを、殺したいと……思っているんだ?




【殺したい】
【殺そう】
【殺すべきだ】


 あの深い極まりない電流は、頭に流れなかった。

「私は君の行動を強制したりしないよぉ。君が家族を殺したくないと言うのならぁ仕方なぁい、解放してあげよぉう。明日からはまた全員揃って食卓を囲むことができるだろうねぇ。さぁ、どうするかなぁ?」

 俺の足は、自然に家族を乗せた台車の方に向かっていった。
(は……? 俺は、何をやっている……? 何をする、つもりだよ、おい……!)

【殺したい】
【殺そう】
【殺すべきだ】




【殺せ】

「……!!」

 殺したくない、と言う声はどういうわけだか出てこなかった。感情は全て真っ黒に塗りつぶされていた。
 それでも、理性は止めている。こいつらを殺してはいけないと言うことは、頭では理解できている。 殺したら、絶対に後悔する。
 わかっている。わかっている、はずなのに。
「ぐ……あ……」 
 父親の頭に、手が伸びていく。
 手が、震える。

【殺したい】
【殺そう】
【殺すべきだ】
【殺せ】
【殺せ】
【殺せ】
(止めろ)
(駄目だ)
(止めろ)
(殺してはいけない)
(止めろ)
(止めろ)

 俺の拳が、理性とは裏腹に振り上げられる。

【殺したい】(ふざけるな)
【殺そう】(黙れ)
【殺すべきだ】(殺してたまるか)
【殺せ】【殺せ】(やめろ――)
【殺せ】【殺せ】【殺せ】【殺せ】


「止めろッ!!」

 俺はこれ以上無いほどの大声を出した。自分を押し戻すように、腹の底から叫んだ。
 頼む、俺。勘弁してくれ。
 絶対に後悔するってわかってるんだろ。

【ああ、わかってる】
【ひどい自責の念に囚われるだろうな】

(じゃあ――)



【それで――お前は殺したくないのか?】


(当然だ……!)



















「――ぶっ殺したいに、決まってんだろ」
















 振り下ろされた俺の拳は、親父の頭蓋骨をいとも簡単に砕いた。
「あ、ああ……ッ」
 手に、痺れるような感覚が残る。神経を伝わって脳に届いたそれは、快楽の渦となって全身を駆け巡った。
 血に、肉に、皮に骨に、神経に、細胞全てに。
 気持ちいい、などと言うレベルではない。
 今までは、死んでいたも同然だった。生の実感を、初めて味わったに等しい悦楽だった。
 世界が塗り変わる。生まれて初めて、俺は満たされた。
 満たされたと、思ってしまったのだ。

 早く、次のを殺さないと。
 この幸福感が続いている内に。
 この多幸感が終わってしまう前に。
 動かぬ母の頭を鷲掴みする俺に、既に躊躇は無かった。
 赤子の手を捻るのとなんら変わりはない。
 俺の手の中で、母親の顔面は潰れた。爆散して、中身が飛散した。
 再び、脳を直接舐められたような甘美な刺激が俺を飲み込む。
 これだ。麻薬のような、いや恐らくそんなものよりずっと極上の、快楽。
 この感覚を、何度でも味わいたい。味わえるなら、殺したい。何人でも、何十人でも、何百人でも、何千人でも。
 死体になったそれの腕を、無造作に引きちぎる。
 快楽が体に染み込む。が、殺した時に比べれば、脳内に流れるそれの量は遙かに劣っていた。
 やはり殺さないと駄目だ。殺さないと。殺さないと。
「え……これ……なに……?」
 声のした方を、向く。
 春海だった。妹が目覚めて、この凄惨な有様を眺めていた。
 そして俺の姿を見て、怖々と尋ねる。
「お兄ちゃん……なにしてるの……?」
 言われて見た俺の手は、返り血に塗れていた。肉親の血が、べったりと染み付いていた。
「これ、は……」

 俺は、何をしていた? 
 答えられない。

 春海は首から上がバラバラの肉と骨と脳漿になっている『それ』を見て、短く悲鳴を上げる。
「ひっ……! この、これ……お母さんじゃ、ないよね? なんでこの人、顔が無いの……?」
 がくがくと、春海が震え出した。
「お父さん……頭が……」
 春海は、そこで激しく嘔吐しだした。肩を震わせ、奇声に近い悲鳴を上げながら涙を流していた。
 どうやら、状況を理解しかけたようだ。
 なおも胃液を吐き出す春海の首に、俺は腕をゆっくりと伸ばす。
【もうひとり、殺せる】
 胃液が腕に飛散した。汚いとは、思わなかった。
「どうし……」
 言いかけたその喉元を、俺の手が掴んだ。
「あっ……ふっ……ぐっ……!」
(止まれ……ッ! 止まれ止まれ止まれ止まれッ……!!)
 妹の声に反応して生まれた、ほんのわずかな理性の欠片。
 それが、そこで首をへし折ろうとする筋肉をどうにか抑えた。
「お兄ちゃん……やめて……」
 逃げるように身を捩らせながら、春海は懇願してきた。
 何を、やっているんだ俺は。 
 妹の泣き顔なんて、見たくなかったのに。
【見たいのは、こいつの死に様だ】
 理性が、徐々に消えていく。俺の指によって、ゆっくりと春海の喉は絞められていく。
 絞り出すような声で、春海は言った。
「くるしいよ……おにいちゃん……」
(ああ……苦しいだろう。ごめんな、今――)






「楽にしてやる」











 ごぎん――




 最悪な、最高の音が手の中で生まれた。
 俺は自分の妹の首を、この手でへし折った。


 三つの屍が、台車の上に転がっている。
 快楽の波が収まった俺が、その元に立っていた。
 夢ではないことは、俺が一番よくわかっていた。

「あ……あ……」

 後悔した、などと言う話ではなかった。
 絶望だった。 崩壊だった。
 
 なんでだ。
 なんで、俺は生まれて来たんだ。
 なんで、俺は感情に負けてしまったんだ。
 
「てめぇは……
 なんで、生きている……?」

 生まれてくる前に、ぶち殺してやりたかった。
 俺はこの手で――

















「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」










 言い訳などしないし、できるはずもない。

 自分の意思で。楽しみながら。
 俺はこの手で、家族を皆殺しにした。
14

はまらん 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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