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3-5 赤い鈴

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 軽い世間話をひとつふたつ交わし、連絡先だけ交換して、偽・正義の味方集会はお開きになった。
 奴等が帰った後も座席から動かずに天井を仰ぎ見ていると、食器を片付ける音が耳に入ってくる。
 「勝手に人を殺さないで下さい」
 ベル子の呆れたような声が聞こえる。
 「そいつは無理だ。俺は人を殺すのが趣味なんでな」
 冗談交じりにそう返すと、返事の代わりに深いため息が響いてきた。
 「お前だって言われたくなかっただろ、自分の体の事はよ」
 「言いたければどうぞお勝手に。奇異の目には慣れてます」







 自分の手で家族を皆殺しにした次の日、俺は『教育』の一環として、『失敗作』の『処理』を蜷川に命じられた。
 「失敗作は三つ。早く殺さないと君の取り分が減っちゃうかもねぇ」
 とは蜷川の言だ。
 家族を手にかけた事。それは殺害の衝動を減衰させるではなく、むしろ増幅させていた。
 「家族を殺してしまったんだ、もう何も恐れることはない」、と。
 既に崩壊しつつあった理性はもう一押しで完全に砂塵と化し、漆黒の感情のみで動く蜷川の玩具、「ジェノサイド・ゼロ」へと変貌するところだった。
 俺が逆らえない唯一の人物、蜷川。そいつに手引きされ、俺は奇声と悲鳴の入り交じる廊下を幽鬼のように歩いていく。
 頭の中はほとんど「早く」「人間を」「殺したい」で埋め尽くされている。
 殺せる人間を用意してくれる蜷川に感謝する気持ちさえ、芽生え始めていた。情けない話だ。
 「ここだよぉ。そろそろ発作が始まってる頃だから、あまり躊躇わずにやっちゃってねぇ」
 隔離病棟の奥。鉄格子と扉で二重にロックされたその部屋に足を踏み入れようとした時には、もう『それ』は始まっていた。

 骨を折る音。肉を裂く音。助けを求める少女の悲鳴。
 そう、聞こえた。中では先日のような一方的な殺戮が行われている。そう思って扉を開いた。
 事実は、俺の想像とは多少異なっていた。

 骨を噛み砕く音。肉を食い千切る音。惨劇を震えながら見ている、少女の悲鳴。
 中年の男が正気を失った目をしながら、妻と思しき女の鎖骨に喰らいついている。左耳は一部を残して失われており、ぶら下がったそれは男が動く毎に揺れていた。
 女はまだ息があるのか、白眼を向きながらも僅かに痙攣を繰り返していた。口からは血と、半分液体になった赤い肉片を垂れ流している。
 男女二人――恐らく両親だろう。彼等の行動を泣きながら見てる事しかできない少女。黒服に連れ去られた、あの小学生だ。
 そこで起こっていたのは一方的な殺戮ではなく、食うか食われるかの闘争だった。

 「……!」
 言葉を失っていた俺に、蜷川が薄笑いを浮かべる。
 「あーあぁ、一人減っちゃいましたねぇ。これらは人間を捕食してパワーアップする怪人にしようと思ったんですがぁ……戦闘能力がイマイチでしてねぇ。使えないので君の餌にする事にしましたぁ。美味しそうなら君も食べてもいいですよ」

 「まだだ」
 俺は蜷川が最後まで言い終わらない内に、女の元へと駆けた。
 手刀を胸に抉り込み、止まりかけの心臓に突き刺す。
 周りの肉より一際固い臓腑に指を入れた瞬間、分泌された脳内麻薬が体中を高速で駆け巡るのを感じる。
 大きく体全体を震えさせた後、女は糸を切った人形のように動かなくなった。
 俺を意に介さずに肉を喰らい続けている男の側頭部を、蹴りで潰す。
 頭蓋骨ごと脳を削がれた男は、女を抱きかかえたまま顔色一つ変えずに地面に倒れる。
 いとも簡単に、男女二人の死体が出来上がった。
 肉を喰う気など、起こりもしない。
 食欲でもなく、性欲でもなく、睡眠欲でもなく。
 殺戮欲が、満たされる。

 ……いや、満たされたと思ったそれは、すぐにまた飢えを感じることとなった。

 足りない。
 足りない。
 もっとだ。
 もっと殺したい。

 他の誰でもない、俺自身がそう言っていた。
 獲物を求める目は、恐怖と絶望に震え逃げることもできず、喉が痙攣して悲鳴も上げることのできない少女へと向けられた。
 「いいですねぇ、いいですよぉ。その順番は私も最高だと思いますねぇ。さぁ、それを殺しましょう。じっくり四肢をもぎ取っていたぶり殺すも、さっさと頭を潰して次の部屋に行くのも自由ですよぉ」
 隣で煽り立てる蜷川の言葉を、頭で反芻する。

 まだ殺せる。
 何人も殺せる。
 自由に殺せる。
 この乾いた器を、満たすことができる。

 俺は、自分の衝動に逆らう事ができなかった。
 いや、逆らおうとする気があったのかどうかすら、わからない。

 やりたいことを、したいようにする。
 そのためなら俺は何でもできた。不可能など、無かった。





 と、言う事を――その時、思い出した。




 もっと早くに思い出しておけばよかった。思い出しておくべきだったのだ。
 あの時に。あの瞬間に。
 悔やむ時間も無かった。俺は手を大きく振り上げる。



 「殺したいんだ。俺は――」


 その手は自分の頭蓋骨を易々と突き破り。
 寒天のように柔らかい脳へと刺さり。
 その中にある、小型チップ。電流を発する大元のそれを摘み取って、思いっきり引き抜く。

 脳が爆発した。
 そう思ったほどの気持ち悪さと衝撃が頭を埋め尽くす。
 視界は黄色と白の光が高速で点滅を繰り返して、聴覚も嗅覚も味覚も触覚もがバラバラに異物と抱き合って混じり合い、滅茶苦茶になった平衡感覚によって俺は受け身も取らずに頭から崩れ落ちた。
 指の感覚が、ゆっくりと戻ってきた。確かにチップを掴み取っているのを確認して、思いっきり握りつぶした。
 脳が、再生する。五感が戻ってくる。俺はよろめきながらも立ち上がり、奴に向かって叫ぶ。




 「てめぇを、一番……ぶち殺したいと思っていたんだ……蜷川ッ!!!」


 「待て、わたっ」
 喉を鷲掴みにして、続く言葉を消し去る。
 死なない限界まで、喉を締め上げた。発声も呼吸もままならない蜷川の四肢を――

 ――俺は丁寧に、もぎ取り始めた。
 

 首を二回転させてねじり切った後、俺は部屋から廊下へ駆けだしていった。
 鎖から解き放たれた猛獣のように、獲物を求めて疾駆する。
 研究員と目が合った。声を発するより早く、腕の一薙ぎで、顔面が削ぎ落とされて脳がこぼれ落ちた。
 一瞬の静寂の後、それを見ていた白衣の男が逃げ惑う。
 追いかけて、背後から頭頂部を掴み、縦に押し潰した。

 白衣姿の男と女は見つけ次第全員殺して、銃を持った男は見つかり次第全員殺した。
 数えられないほどの人間を死体に変えてから、ようやく俺は正気に戻った。
 見れば両手は真っ赤に染まっている。
 手だけではない。全身で赤くない所の方が少ないほど、俺は血液を浴びていた。
 着ていた服を脱ぎ、裏返して顔の血を拭い取る。
 ふと思い立って、俺は来た道を戻りだした。
 「……さっきのガキは、まだ正気だったな」
 どこから来たのかは、床を見れば一目瞭然だ。迷いようが無い。
 赤い軌跡を辿り、落ちてる肉片を避けながら俺は蜷川を殺した部屋へと再び足を踏み入れた。



 「……あの糞野郎…!」



 骨を噛み砕く音。肉を食い千切る音。

 自分の両親の死体を泣きながら喰い漁っている、少女が座っていた。
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