『墨田区で謎の倒壊事故 死傷者多数』
これでしょうか。
ニュースにはなってるものの、現場は混乱しているらしく……SNS(店のアカウントです)から調べると情報は錯綜しており、詳細な状況は不明のようです。
携帯をいじくっているうちに十分が経過し、二人がゴンドラから降りてきました。
「おっまたせー!」
「……お、お待たせ……」
ずんずんと歩いてくる春海さんはいつものテンションですが、後に続く服部くんは顔を赤らめています。
一体中で何をしていたんでしょうか。
気になったので聞いてみる事にしました。
「……柏木さん、中で服部くんと何をしていたんですか?」
「突然服を脱いで密着し焦らすだけ焦らして青少年の純情を弄んでやった!」
満点スマイルの春海さん。悪魔ですかあなたは。
「超楽しかった!!」
グッと親指を立てる春海さん。最悪です。
「……なんて女だ……」
服部くんは、頬を染めたまま春海さんを直視しようとはしません。
奥手、と言うか草食系ですが服部くんもやはり男の子。寸止めとは言え、女の子に迫られるのは相当緊張した、と言うか……内心楽しかったのではないでしょうか。
想像する私に、春海さんが観覧車を指差します。
「じゃ、次は鈴奈ちゃんとうつろーだね。うつろー、いくら興奮してるからって鈴奈ちゃん襲っちゃ駄目だよ?」
「襲うか! って言うか興奮もしてない!!」
興奮はしています。間違いなく。
係員の誘導に従い、私は初めて、服部くんは再びゴンドラに乗り込みます。
服部くんの顔を見て、女性が「おや?」と首を傾げていましたが、特に何か言われたりはしませんでした。
どっかりと深く腰を降ろし、それからぐったりと壁にもたれて一言。
「あいつきらい……」
「……お疲れ様でした」
春海さんの悪ふざけは、思春期の男の子の心には相当な刺激だったようです。
恐らく、彼女からすればサービスのつもりだったんでしょうが……。
「……あまり陰口を言うのもアレだけど、あいつの意地の悪さは大したものだよ」
「本質はいい人なんですけどね。自分のやりたいことをやりたいようにして、周囲を巻き込んでいく生き方ですから」
「巻き込まれる側からするとたまったもんじゃないよ……」
確かに、彼女のアグレッシブさは日陰を歩く者達にはついていけない所が多々あります。
それでも……。
「……楽しいものですね、友達と遊ぶと言うのは」
「……。…………うん。そうだね」
服部くんは何か言おうとしてから考え、遠くを見ながら呟くように答えました。
私達は、学校では常にひとりでした。
私は自分からも遠ざけていましたが、好き好んで誰とも触れ合わなかったわけではありません。事情は違いますが、その点に関しては服部くんも同じでしょう。
人は一人では生きていけない……私はそうは思いません。ですが、十代の子供に話し相手がいないと言うのは……生きづらいと、感じるのは確かです。
春海さんと、服部くんと、一緒にいるのは……楽しいと、思ってしまいます。
まるで、普通の人間の女の子のように。
先ほどと同じく、会話が止まりました。
でも、気まずさはあまりありませんでした。少なくとも、私の方は。
快晴の遠景は遠い記憶にあったものと同じで、誰かと一緒にこの景色を見るのは……悪い気分では、ありません。
「あ、あのさ」
「はい」
おずおずと口を開く服部くん。
やっぱり、彼は少し気まずいのでしょうか。
「……メールアドレス、教えてもらってもいい?」
と、携帯を取り出して言います。手は、少し震えていました。
そう言えば、私も服部くんも、春海さんの連絡先しか知りませんでした。
「……はい、構いませんよ」
私も倣って携帯を取り出し、連絡先を赤外線で送受信します。
一桁しかないアドレス欄の枠が、一人分増えました。
「あ、ありがとう」
「こちらこそ。……でも、私とメールなんてしても面白いものではありませんよ。無愛想ですし」
学校内においてはすっかり定着してしまった、自虐的な態度が出てしまいます。
フォローする春海さんもいないと、服部くんも困るでしょう。
と、思っていると――
「そ、そんな事ないよ。倉谷さん、その……可愛いし」
意を決したように、はっきりと。服部くんが私を褒めてきました。
私はしばし沈黙した後、絶対に聞こえないように小さな声でそれに答えました。
「……『マニアックすぎんだろ』」
カイトくんに言われると、腹が立つんですけどね。
「へ?」
「いえ、なんでも……お世辞でも嬉しいです、ありがとうございます」
「お、お世辞じゃないよ」
「……そう受け取っておきます」
レイジさんにも、顔の造りを褒められます。
雛ちゃんは、うちのベル姉は世界一綺麗と慕ってくれます。
春海ちゃんは、自分と二人揃って美少女と並び立ててくれます。
もしかしたら、私の顔は悪くないのかもしれません。周囲から、見れば。
でも……私自身は。自分の顔が、大嫌いです。
鏡に映る化物の姿はあまりにおぞましく。自分の顔を直視することすら、ままなりません。
「どうだったどうだった?」
十分は、想像してたよりずっと短く。
ゴンドラから出たらすぐに、春海さんが駆け寄ってきました。
「中でアドレスの交換してきました」
「体液の交換は?」
「するか!」
なんだーしなかったのかーと冗談っぽく言いつつも残念そうにする春海さん。
……ひょっとしてこの人は、私と服部くんをくっつけたいのでしょうか?
「それではうつろーの美少女と急接近計画は今ひとつな結果で終わっちゃったわけだね。チャンスを生かせない男は結婚できないぞ」
「余計なお世話だ。ったく……」
「じゃー鈴奈ちゃん、中でイチャイチャしてこようか」
最後の組は、私と春海ちゃんです。
これは意味があるんでしょうか……とも思いましたが。二人きりと言うことは……
探りを入れる、チャンスでもあります。
「どこまでする? 一線越える?」
「越えません」
係員の人は慣れたものなのか、私達二人をゴンドラに再三案内しました。
再び私たちは地上から離れ、緩やかな空の旅を楽しみます……既に一回楽しみましたが。
どっかりと深く腰を下ろした春海ちゃんは開口一番。
「いやー、うつろーは草食系って言うかもう草だね草。ちゅーの一つくらいしてくれてもよかったのに。それ以上はぶっ飛ばしてたけど」
割と最悪です。
……まあそれはそれとして、少し腑に落ちない点がありました。
「……柏木さんは、服部くんのことが好きなんですか?」
そこのところがよくわかりません。
自分で誘惑(?)してみたり、私と彼で二人っきりになるように煽ったりと、意図を掴みかねます。
まさか、本当にただからかって遊んでいるだけではないでしょうが………………ないとは言い切れませんね。
「ん? まあ好きだよ。友達としては勿論、異性としてもそれなりに」
あっさりとした回答は、少々意外なものでした。
「では、何で私と二人っきりにしたのですか?」
私と恋敵になったとして、絶対的に自分が勝つ自信があるから。
あるいは、私と彼が恋仲になったとして、いつでも奪うことができるから――
そんな考えが一瞬で浮かびました。
が。
彼女がそういう事をする人に思えないのは、確かです。
「だって鈴奈ちゃん可愛いじゃん。うつろーだって選ぶ権利はあるんだし、二人きりにならないとわからないこともあるでしょ?」
彼女の理屈は、よくわからないものでした。
「それに特定の彼女なんてできたら他の女の子と遊びにくいだろうしね。あたしが彼女になったとしても大して気にしないけど。まあ遊べる内に女の子と遊んでおくべきなんだよ、男の子は」
……ああ、なんとなく理解できました。
彼女には、独占欲があまりないようです。好意を抱いた男の子を付き合うよりも、その男の子が誰と付き合えば幸せになるかを先に考える人なのでしょう。
そしてそれは、自己犠牲とか、そういう考えではなく……単純に『え、だってそっちの方がいいじゃん』で済ましてしまうのです。
きっと彼女の自己中心的な考えは……みんなが幸せだと自分も幸せ、と言う考えに基づいて、行っているのではないでしょうか。
「……それにさ、別に誰が誰と付き合ったって、生きてさえいればまた会えるわけじゃん」
ほんの少し。ほんの少しだけ。
彼女の声のトーンが、低くなったのを感じました。
「喧嘩したって、フラれたって、行き違ったって……お互い生きてさえいればさ、何度でもやり直せるんだよ」
「……」
いつも明るい、元気で、やかましい、春海さん。
今の、どこか遠くを見ている微笑みは……まるで別人のように、私の目に映ります。
「聞きにくいだろうから勝手に言うけどさ。あたし、両親いないんだ」
「!」
この、話は。
私達が友達のままでいられるかどうかの、分かれ目となるかも……しれません。
「まあ、あたしが小さい頃に色々あってね。お兄ちゃんは生きてるんだけど」
お兄ちゃん。
生きてる、お兄ちゃん。
それは――
「……どんな人、なんですか?」
私はなるべく平静を保ちながら尋ねます。
鼓動は高くなり、喉の奥に冷たい感覚が走りながらも。唯一得意のポーカーフェイスで。
「お兄ちゃん? 優しい人だよ。かっこよくて、強くて。血が繋がってなかったら今頃あたしはお兄ちゃんの女になってるね!」
にししと笑う顔に、陰などなく。
「ま、向こうはそうは見てくれないだろうけどさ。もう十五年も一緒に住んでるのに間違いの一つも無し! ……はぁ、起こってくれないかなぁ、間違い」
断言します。
彼女は嘘をついていません。
本職の雛ちゃんほどではありませんが、私は相手が嘘を言ってるかくらいは大体わかります。
これで私が騙されていたとしたら、もうどうしようもありません。私の目が節穴だっただけです。
「……起こるといいですね」
「おっ、鈴奈ちゃんも禁断の愛とかいけるクチ? 起こるといいよねぇ。ロマンがあるよね!」
私は彼女を信じます。
彼女は……私と違う、ただの女の子です。