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8-8 黒が混じりて灰となる

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「なぁせんこー、どうして人を殺しちゃいけねーの?」
 にやにやと意地悪く笑いながら尋ねるのは、田中だ。
 小学生だけあって、この頃はまだ可愛げと言う物が多少はあった気がしなくもない。今に比べれば、だが。
 それに対し、困ったように眉間に皺を集めるのはほとんど総白髪のおじいさんとも呼べる歳の教師だった。
「うーん、どう言えば納得してくれるかなぁ……」
 笹壁先生は当時の担任だった。悪戯しかしない田中に対し、毎回強くは怒らず諭すように語るも、まさしく馬に念仏である。
 質問の内容なんてどうでもいい、ただ大人を困らせて楽しみたいだけの田中に、真剣に答えようとする優しい先生だった。
「まさか法律で決められているから、なんて言わねーよな? 法律が無ければ人殺し放題なわけ?」
「おい、田中……やめろよ」
「いい子の白金は黙ってろよ。俺は先生に質問してんだ、お前にゃ関係ねーだろ」
 俺の制止など聞くはずもなく、どーなんだよどーなんだよと笹壁先生を肘で小突きせかす田中。
 ここに体育の長谷川先生がやってきたら一目散に逃げるであろうこいつは、当時から小物の風格を漂わせていた。
「……そうだねぇ、例えば、の話をしようか」
 先生が、微笑んで語り始めた。
「人と言うのは、繋がりの中に生きている。家族、友達、恋人、仕事の仲間……皆、誰かと繋がっているんだよ。
 それらの繋がりをどんどん大きくしていくと、私達が生きている社会になる。社会と言うのは、人で成り立っているんだ」
「じゃ誰とも繋がってない奴は殺してもいいの? 家族もいねーし友達も恋人もいない砂漠で1人で済んでる奴はぶっ殺してもいいの??」
 話が終わっていないと言うのに口を挟む田中。
 ハイレベルなクソガキであった奴に対し、先生が匙を投げる事は決して無かった。
 尚も、優しい笑みを浮かべている。
「そんなことはないよ。その人だって将来、誰か大切な人ができるかもしれない。人じゃなくても、動物と心を通わせることがあるかもしれない。
 それでね、人を殺してしまったら、これまであった繋がりも、これからできるかもしれない繋がりも、全部切れちゃうんだ。
 大事な人が死んだら、とっても悲しい。それだけじゃなく、繋がりのあった他の人の人生も変わってしまう。もちろん、悪い方にね」
「へぇ、だとすると人を殺すようなとんでもなく悪い奴は前もって殺した方がいいってことか???」
 わざとらしく驚く田中。そもそもこいつは人を殺すのが悪い事だと思っていたのか、当時から怪しい。
「うーん、ちょっと難しい話になるね。そうだなぁ、それを決めるのは法律の話になるかなぁ。
 法律は、人が決めたルール。あくまで人や社会を守るためのものの決まりなんだ。
 誰かが人を沢山殺したからって、その誰かを殺していいわけじゃないんだよ」

 でも。なら。だって。
 田中は散々屁理屈を言いたいだけくっちゃベって、
『やっぱりジジイの話はムジュンしてるな。聞いてらんねー』
 と適当な所で飽きて行ってしまった。

「やれやれ、田中くんにわかってもらえるのは長そうだなぁ」
 結局、最後まで田中が笹壁先生の話をまともに聞くことはなかった。
 それでも先生は、田中と正面から向き合おうとしていた。
「……すいません、先生。田中がまた迷惑をおかけしました」
 俺は悪くないはずだが、幼馴染として心苦しかったのでつい謝罪の言葉が出てしまう。
 もちろん、先生は優しく笑って答える。
「いやいや、いいんだよ。白金くんはしっかりしてるね。……こんなおじいさんの私よりも、きっと君の方が田中くんと心が通じ合えるんじゃあないかな」
 別に友達でもないし心を通じ合わせるなんて嫌だと当時から思っていたが、俺は否定せず曖昧に笑って誤魔化した。
「白金くん」
「何ですか?」
 その後の言葉は、今もしっかり覚えている。忘れるはずがない。

「人との繋がりを、大事にしなさい。もしもそれを殺人と言う手段で断ち切ろうとする人がいても、行動を起こせとは言わないよ。危ないからね。
 でも、怒ることと悲しむことは、大切な事だよ。大声で叫んでもいい。間違っていないから、我慢しなくていいんだ。
 そして……もしも、誰かを殺してしまった人が、自分の行いを心から後悔していたら。罪を償うチャンスを与えてあげてほしい。
 大切な人が殺されてしまったら、許せないかもしれない。それでも、相手が繋がりを持っていると言う事を、忘れないで欲しい」

 俺が高校生の時、笹壁先生は亡くなった。
 死因は、失血死……家の中で空き巣に遭遇し、近くにあったハサミで腹部を刺された。奥さんが見つけた時にはもう冷たくなっていたそうだ。
 犯人はすぐ捕まった。空き巣なので当然と言うべきか殺すつもりはなく、ほとんど衝動的に刺してしまったそうだ。
 笹壁先生は、きっと許していることだろう。
 だが、俺は――





















 頭を踏みつけようとする和田の足に、俺の左手が深々と突き刺さった。
「ッ!?」
 足とスニーカーを突き破って生える赤い手刀に、顔を歪める和田。
 あらぬ方向にへし折れていたはずの腕は一本の槍と成り、反撃の狼煙と|為《な》る。
 俺は仰向けに寝た状態から左足を曲げて、地面に右肘を叩き付けて強引に起き上がった。
 魔剣を抜いた俺は目の前の男よりも、数段速い。
 反応できていない和田。その顔面の、ど真ん中に。
 今この瞬間世界で何よりも速いであろう俺の拳が、吸い込まれるように入っていった。
 伸ばしたその腕は、見知った白ではなく。
 怨嗟と憤怒と、殺意をありったけ詰め込んだかのようにドス黒い色をしていた。
「ァッ……!? がッ、ぐぼッ、ぶッ……」
 魔剣抜刀……オーバートランスとも呼ばれるリミッター解除の一撃を喰らった和田は|颶風《ぐふう》に晒されたかのように吹き飛び、奥のコンテナ群へと突っ込んだ。
 轟音と共に、俺の体感時間が元通りに戻る。
 追いかけると、和田は奥のコンテナの外壁に激突し、身体が半分ほどめり込んでいた。
 どうやら、横並びだった二つのコンテナの内一つを中身毎貫通し、もう一つを弾き飛ばして、通路を挟んでようやく止まったようだ。
 口から滝のように血を吐き、左の目玉を半分飛び出させながらも、まだ敵意は消えていない。
「こ、の……雑魚の分際で、俺の、ナイスな顔、を……ッ!!」
 そしてよろめきながらも、先程と遜色ないキレの踏み込み横蹴りを放ってくる。
 だが。
 見える。
 体軸を反らし、左の平手でぱん、と受ける。
 そしてそれを突き飛ばす勢いで回転し、居合抜きのような裏拳が和田の頬を捉えた。
 めぎゃ、と骨がひしゃげる音が、耳に心地良い。
「お」
 フィギュアスケーター顔負けのクインティプル・アクセルを決めながら傾く和田。その腹が、天と平行になった瞬間。
 慈悲と遠慮を一分前に置いてきた俺の宙返り踵落としが、|衝撃波《ソニックブーム》を携えて奔った。
「―――!?」






 ●





「やっと抜いたか、アホ金。抱え落ちでもしてたら実験にもならねぇだろ」
 俺はすっかり座り込んで観戦を決めていた。あーお煙草おいしい。一仕事した後の煙草は最高だな。
 え、仕事? したじゃん。戦ったじゃん。終わり終わり。
「明らかに、身体能力が上がっている……先程とは、まるで別人だな。あれも魔剣とやらの影響か?」
「さーねー。企業秘密なんで自分で勝手に考察してくれ」
 別に言うほども秘密でもないけど、説明するのが面倒なんで適当に投げておく。
 え、知りたい? しょうがないなー。アフターペインには内緒だぞ?

 《ストーム・ブリンガー》は、かなり凶悪なチューニングを施してある。
 魔剣抜刀の持ち時間は20秒っつったけど、それをいっぺんに全部使えるわけじゃなく、『小出しに連続して使う事ができる』のな。
 だから追いかけっこにはあまり強くない。その変わり、接近戦では無類の強さを誇るわけだ。
 音速で発生する衝撃波あるじゃん? 攻撃の一発目で発生したそれに、『二発目以降を重ねて放つ』事もできる。
 しかも魔剣抜刀……と言うかオーバートランスの合間にもエンジンは暖まっているのね。そのため通常時の身体能力も大幅に上がっていると。
 これでようやく、俺達の領域に到達したってわけだ。入口前だけど。
 その代わり、元ネタ通りと言うべきか、まぁそこそこのリスクを抱えている。
 0,001秒タイミング間違えるとオーバーヒートでドロドロに溶けてスライムになっちゃう俺の《レヴァンテイン》ほどじゃないけどねー。
 まあ、あれが勝てる相手じゃないわな。
 タコ殴りモードと化した白金がタコ殴られモードと化した|和田《あれ》をボコボコにしている光景を見ながら、俺は携帯灰皿に煙草を押し当てた。





 ◎





「この、俺が、モブ野郎、ごときにッ……」
 ダメージが蓄積し、動きが散漫になっている和田は、もはや俺の敵ではなかった。
 蹴り足を掴んで握り潰し、そのまま引きちぎる。
「ぎょあああああああああああああッ!!」
 人体が、手の中で壊れる感覚。
 苦痛の表情と、悲鳴に近い叫び声。
 それらはとても、俺の脳に刺激的な快楽をもたらした。
 再生能力にも支障が出ているのか、失った足は中々戻らずに和田はバランスを崩して倒れる。
 万が一にも逃げられないように、俺はもう片方の足を思い切り踏み砕いた。
 ほとんど金切り声のような高音で叫ぶそいつの顔からは、もはや笑顔は生まれないだろう。

 ああ。
 いいな、これ。

 足の次は、手を潰す。
 指を掴んで捻り、一回転。そして逆関節に折り曲げて、最後に引きちぎる。
 右手は一本ずつ摘み取り、左手は人差し指から小指まで纏めてむしり取ってやった。
 ほとんど泣き顔になった和田はひとしきり絶叫した後で、俺の後ろに向かって大声で呼びかけた。
「おっ、おいッ! 宮越ッ! 助け、助けろッ! 早くッ! 速くッッ!!」
 振り返ると、戦っていたはずの二人が何故か並んで立っていた。
 桝田は面白そうに笑っており、宮越は無表情ながらも、俺をじっと見つめている。
「特に必要のないいたぶりを、嬉々として行う……精神の均衡が取れていないのか。どっちに寄るにしろ、心が備われば脅威となる事だろう。技と体は、既に量産型にどうこうできる領域ではない」
「何、言って……助けろよッ! 助けてくれよッ!! 仲間だろッ!?」
 そう懇願された宮越はちら、と和田に目をやってから、大した興味も無さそうに呟く。
「……灰塵衆の新入りに負けるようなフンコロガシが俺の仲間か。冗談にしてはくだらん」
 そして、背を向けて歩き出した。
「ッ! おい、冗談じゃ……おいッ!!」
 見捨てられた事を知り、自分は最終的には助かると信じていた和田が青ざめる。
「いいの? まぁ止めないだろうなーとは思ってたけど」
「構わん。所詮は二桁、使い捨てだ。もっとも……首領にとっては、俺も似たようなものだろうがな」
「ほーん」
 戦っていた二人の間で何があったかは知らないが、宮越はそのまま去り、桝田は特に追いかけたりはしなかった。
 まぁ、どうでもいい。
 俺にとっては、目の前にいるこいつが今の全てだ。
「やめ、て、くれッ……」
 まずは唇に向かって拳をぶち込み、歯と言う歯を全部へし折った。
 口の中で血だまりができ、その中で多数の歯が泳ぐのは見ていて面白く、童心に帰ったような気分だった。
 ついでに千切れかけた唇と、もぎ取った鼻と、抉り取った両目、それに引っ張れば簡単に裂けてしまった両耳を口の中に突っ込んでいく。
 自慢だった顔が見るも無残な半死人となり、ふがふがと何か言おうとするたびに口の中で福笑いのようにパーツが躍るのは滑稽だ。
 顔面を殴る手も、自然と速くなる。
「怪人って凄いな! こんなことしても死なないんだもんな!」

 そこでハッとした。
 何をしているんだ、俺は。
 人を殺してはいけないだろう。
 でも、なんでかはよく思い出せない。
 まあ、殺しちゃいけないからには殺さない。
 うっかり殺してしまうところだった。
 危ない危ない。

「死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ! 死ぬなっ!」

 俺は殺さないように、手加減しながら目の前の男を殴り続けた。
 この楽しみがずっと続くように、ただひたすら拳を振るう。
 延々と。






 ●





 うわーえぐいなー。
 白金はもはや動かなくなった和田の惨殺死体を、死ぬな死ぬなと言いながら数分も殴り続けている。まぁその内気付くだろ。
 ナンバーズ自体は生け捕りに出来なかったが、量産型を数人生かしておいたのでそれでなんとか誤魔化そう。
 はー疲れた疲れた。軽井沢行きたい。
 と、白金の右腕の黒色がぺり、と剥がれ始め、どんどん瓦解していった。
 黒い腕の中から、《ストーム》の右腕が脱皮したかのように現れる。
「あ? ……え……?」
 同時に、白金が眼前の光景に気付く。
「これ、死んで……あれ……?」



『ストーム・ブリンガー』。
 呪われた魔剣。
 一度抜けば、その力は……誰かを殺したと認識するまで、止まることはない。




「うそ、だろ……?
 俺が、殺し……」



 おめでとう白金。
 お前は今日から、『こっち側』の人間だ。
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はまらん 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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