2週間ほど前、彼女を募集した。
大手巨大掲示板の片隅で、よくある出会い系スレッドだった。
理由は特になかった。
強いて挙げれば、ただ、なんとなく、そういう気になったから。
そうとしか言えない。
すでに出会い系サイトの常連となった大学の友人にそう話すと、
奴は、もっといい所があったのに…などと漏らした。
彼を見て、こういう風にだけはなりたくないなと思っていたが、
ついに片足を踏み入れてしまった。
まぁ、しかして、結局は掲示板である。
来るも八卦、来ないも八卦。
該当スレッドの流れを見ていると、女性の募集には100通程度の応募が来るのに対し、男性は0通が普通なのだそうだ。
だとすると、まぁまず返信なんか期待できないんじゃないか、なんて思えたが、
ついつい携帯をこまめにチェックしてしまう自分を見ると、どうも淡い期待をしてしまっているらしい。
結局、募集をかけたその日に、返信はなかった。
これで一通も来なかったら、友人にもっといいサイトを紹介してもらおうかな、とかなんとか考えつつ、
俺は床につく。
…もう完全に全身浸かってるじゃないか。などという自己突っ込みは、さながら自虐にも似ていた。
いつもの通り、アラームで目覚めると、一つのメール通知。
どきん、として急いで携帯を開き、確認する。
それが、彼女との初コンタクトだった。
「おい」
必須選択の語学授業終了後、出てくる下級生たちをかき分け、目当ての人物に近づいた。
出会い系サイト狂いの友人、田野中だ。
振り返って俺を確認するやいないや、にやにやした顔付きで挨拶に答えた。
「よう、どうだったよ成果は。あんなとこ、なかなか来ないだろ?俺がもっとよ…」
「来た!来たぞ3通!」
俺は、感情を押さえきれず、つい似合わないテンションと表情で答えてしまう。
「うわ、なんだよお前。」
えー、と言った様相で、田野中がすかさずどんビキするが、俺はかまわず話を続けた。
「いや、俺も信じられねーんだけど、3通も来たんだよ3通も!どうするんだこれ!」
「…まぁ、確かに初回にしちゃあ上出来だな。でもよ、お前サクラとか釣りって言葉知ってるか?」
サクラ、釣り、ネットにはあまり詳しくないが、なんとなくは知ってる。
「出会い系サイトとかで、宣伝したり相手を騙したりするやつだろ」
「まぁ、大まかに言えばそうだけどな。でも最近じゃ、娯楽犯的なネカマも多いから、油断もできねーよ。」
「ネカマ?」
「ネット上では女性を騙った男だよ」
「それは怖いな。」
「だろ、そういうのに遭うと、個人情報とか下手すると自分の身が大変なことになるぞ。」
「そうなのか?さすが田野中だ」
「いやー俺も前に会った女が男で、VIPでアッーして…」
いや、げふんげふん。と田野中がわざとらしく咳き込んだ。VIPってなんだ?政府の要人?
「とにかく危ないのか?んじゃ、うかつなことは…」
「まぁ、待てって!このMr出会い系、田野中が、お前にご教授して信ぜよう!」
「それはこころ強いな。」
「で、どんな女なんだ?見せてみろよメール」
「あぁ…一通目。」
「同い年の子だな。でも学年は一個下だ。」
「浪人か?まぁ、ありがちだけど。」
「留年らしい。で、T大だって。」
「T大!?めちゃくちゃ高学歴な女だな。それなら留年も多少納得いくが…」
「加えて喫煙者だそうだ。あとビジュアル系好きらしい。」
「なかなかパンチきいてんな。そりゃサクラじゃなさそうだな。ネカマかどうかは判別できねーけどさ。」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんそんなもん。後は、今後の流れから、予想していくしかねーわな」
「ふーん。じゃあ2通目。こっちは2つ下らしい。」
「高校生?」
「いや、大学1年だと。美大に通っているんだって、あとふじょしって書いてある」
「うん?あぁ、腐ってる方か。」
「どういうことだ?誤変換?」
「まぁ、今度説明してやるよ。」
「ゲームのメタルギアが好きなんだってさ。オタxスネって書いてあるぞ?」
「…マニアックすぎる…のかよくわからん。
そいつも釣りじゃなさそうだな。大体、そんな女を下げるようなこと、わざわざ書いたりしないだろうし。」
「なるほどな」
「3通目。体重120kg…」
「チェンジ」
「チェンジって何だよ。まぁ、聞けよ。髪型は短髪で、めっちゃ暗い性格らしい。家で昔のドラマばかり見てるって」
「そんなんサクラなわけねーよ。ネカマですらないだろ。」
「そうなのか?んじゃ、この3通目の子とメールを続けてみるか。俺も昔のドラマとか好きだしよく見るしな。」
「なんでだよ!お前!120kgだぞ!足踏まれると悶絶するような女子だぞ!」
「え?でも3人の中じゃ、一番確立的に安全なんだろ。」
「そんな悶絶系女子が相手なら、多少危険でも前2人とメールする方がましだって。」
悶絶系ってなんだよ。
いや、でも、しかし…。
「もしかしたら、底の浅い人間を見破るためにこんなこと書いてるのかもしれないぞ。」
「そんなわけねーだろうよ。」
「ネカマがいるんだし、そういうのもいるかもよ。」
まぁ、俺だって太ってる人間が好きな訳ではないし、性格だって明るい人間が好きだ。
人間なんて、大多数がそうだろう。でも、だからこそ、ってこともある。
わざと、こんなふうに書いているなら、俺は逆にどんな人間か見てみたい気もする。
田野中は、いや、まぁ、うーん、とかなんとかぶつぶつ言っている。咳払いを一つした後、いつもの軽い調子で言った。
「…一理無いこともないが。つーか、お前は3人の中から、一人選ぶつもりなのか?」
「え、そのつもりだったんだけど、駄目か?」
「…お前はどこまでも人が良いというかなんと言うか…せっかくメールくれてんだ。
そんなポケモンみたいなマネはせず、3人全員とメールしろ。」
「は?…そんな、それはマナーが。」
「別につきあったりしてる訳じゃないんだし、問題ねーよ。
俺だって、全盛期は8つのアドレスで19人とメールしていた。」
「そうだったな。恋愛セレブだったな。気分だけ。」
「気分だけとか言うな!そりゃ…その、全員ポシャったけどよ。
…誰か一人選ぶのは良いが、それはあくまで最後の最後だからな。
お前、その3人と最低、会うところまでは行けよ。」
「会うところまで?そんなん…」
「お前、ろくに良い恋愛したことないんだろ?ちょうどいいだろう。トレーニングだと思えばさ。」
「トレーニングってよ…」
「彼女云々は別にして、…女友達はいるにこしたことはないと、俺は思うぞ。いらないなら良いけどよ。」
まぁ、そうかもしれないな。
「…わかったよ。」
田野中は再びにやりと笑い、席を立った。あいつは3年になった今でも授業に忙しいのだ。
「できるだけ、俺に経過を報告しろよ。力になるから。」
とかなんとか、言って、本当はおこぼれに預かりたいだけなんじゃ。
と、一瞬頭をよぎった言葉を、俺は飲み込んだ。
そうだ。
去年の今頃、19人の女全員から降られたあいつの落ち込みようは半端じゃなかった。
ろくに学校も出ず、電話にも出ず、メールも返さず、入っていたサークルやバイトも全部辞めてしまった。
ほどなくして、学校には出てきたが、留年やサークル脱退に伴いこれまでつるんでいた友人を失い、今では、あいつとまともに会話している友人は俺くらいなものだろう。
きっと、おそらく、多分、あいつが今でも出会い系に固執する原因は、きっとその数々の恋愛にあるんだ。
やつが一番落ち込んでいたとき、俺は何一つ気の利いた言葉をかけてやることが出来なかった。
ただ、今回の一件で、少しでもあいつが気を紛らわすことが出来るなら、それも悪くはない気がした。
なにより、やつも俺にとって数少ない友人だったから。
俺はさっきまではっきりと表していた感情を、できるだけ抑え、
「頼んだ。」
と、薄く微笑んだ。
田野中は一瞥をよこし、相変わらずにやにやした笑いを緩めず、2年次必修科目を受講しに向かった。
図書館を見下ろすF棟2階の窓から見る景色は、少しだけ曇っているような気がした。