その美形、幼児期にして
その施設に訪れる朝は、世間一般のイメージよりかは平穏なものなのかもしれない。
まあまあ融通の利く起床時間で目を覚まし、用意された朝食を笑顔交じりに口にする。その和気あいあいとした空気は職員達の努力の賜物でもあろうが、何よりも、自分の境遇をまだ理解できない程に幼い子が多いというのが有り難い。
「はい、あーん」
安物のスプーンに白米を小さく盛って、職員は咀嚼を促した。
現在では『児童養護施設』と呼称を改められているが、それでも『孤児院』と言った方が分かり良い人は多いだろう。ここ、黒松つくし園にはまだその施設の意味も分からないような子が多く、職員にも単純に保育士としての能力を求める傾向にあった。
ぱくっ。
満面の笑みで白いご飯を頬張って、何が面白いのか子供は笑った。
昼の十二時を回って、まだ学校に通っていない子供たちが寝入った頃、関尾(せきお)はようやく一息つくことができる。アスレチック用のゴム製ブロックに腰掛けて、足元に並ぶ寝顔を眺めた。
「お疲れ?」
色違いのブロックを置き、杉本(すぎもと)も同じように腰掛けた。
「先輩」
杉本はこの世界では二十年目のベテランであった。もっとも、もちろん仕事上日本中を転々としており、黒松つくし園ではまだ三年目である。一方の関尾は二ヶ月前に専門学校を出たばかりの新人で、まだ子供の扱いもたどたどしい。
「随分疲れた顔してるじゃない。そんな顔、子供たちの前でしちゃ駄目よ」
「分かってます」
関尾は両手でペチンペチンと頬を叩いた。
「なんだかなあ。分かってこの世界に入ったはずなのに、こうして子供たちの寝顔を見てると、やっぱりちょっと可哀想とか思っちゃうんですよね」
「分かってるとは思うけど、そんなこと、絶対に子供たちの前で言っちゃ駄目だからね」
杉本は釘を刺した上で続けた。
「私も、新人の頃はそんなことばかり思ってたかなあ。もちろん、今でもそういう気持ちが無いわけじゃないけど、彼らの世話をする私達がそんな心構えじゃ、何よりも彼らに申し訳ないのよ」
杉本はさすがに達観した様子でそう語った。
「ですか、ね」
「そうよ。まあ、生意気を言う前に早く仕事を覚えることね」
杉本が冗談ぽく笑うと、関尾もぱっと明るくなった。
物思いに耽る姿も悪くはないが、まだ水も弾くような関尾の肌は、やはり笑顔がよく映えた。
「あっ。そういえば、あの子ってどういう子なんですか?」
立ち上がろうとした杉本のエプロンの裾を関尾が掴んだ。
「なにさ。どの子のこと?」
「あの子です」
そう言って関尾は部屋の一番隅を指差した。
杉本は、その指の先を正確に確認するよりも早く、すぐに誰のことを言っているのかを悟った。
「ああ、瑠衣ちゃんねえ。どういう子って、まあ、たしかにちょっと暗いところはあるかもしれないけど」
一瞬、『大人しい』ではなく『暗い』と表現したことを、杉本はほんの少し後悔した。
「何か楽しいことがあれば普通に笑うし、別に問題があるわけじゃないわよ」
失言を誤魔化すように後に続けた。
「そうなんですか。どうにも受け入れられていないというか、避けられている気がして」
「ただの人見知りよ。幼児期の人見知りぐらい学校で習ったでしょ? 時間が経てば無くなるわ」
「そうなんですかねえ。それだと良いんですが」
関尾はいまいち納得のいっていない顔でそう返した。
「大丈夫だってば。さ、おやつの準備しましょうか」
「はい」
そう言って二人は立ち上がると事務室に向かった。
部屋を出る直前、関尾はまたふと瑠衣の方を振り返った。
幼児期でもはっきりと感じる、嘘のように整った寝顔が、ひとつ。
まあまあ融通の利く起床時間で目を覚まし、用意された朝食を笑顔交じりに口にする。その和気あいあいとした空気は職員達の努力の賜物でもあろうが、何よりも、自分の境遇をまだ理解できない程に幼い子が多いというのが有り難い。
「はい、あーん」
安物のスプーンに白米を小さく盛って、職員は咀嚼を促した。
現在では『児童養護施設』と呼称を改められているが、それでも『孤児院』と言った方が分かり良い人は多いだろう。ここ、黒松つくし園にはまだその施設の意味も分からないような子が多く、職員にも単純に保育士としての能力を求める傾向にあった。
ぱくっ。
満面の笑みで白いご飯を頬張って、何が面白いのか子供は笑った。
昼の十二時を回って、まだ学校に通っていない子供たちが寝入った頃、関尾(せきお)はようやく一息つくことができる。アスレチック用のゴム製ブロックに腰掛けて、足元に並ぶ寝顔を眺めた。
「お疲れ?」
色違いのブロックを置き、杉本(すぎもと)も同じように腰掛けた。
「先輩」
杉本はこの世界では二十年目のベテランであった。もっとも、もちろん仕事上日本中を転々としており、黒松つくし園ではまだ三年目である。一方の関尾は二ヶ月前に専門学校を出たばかりの新人で、まだ子供の扱いもたどたどしい。
「随分疲れた顔してるじゃない。そんな顔、子供たちの前でしちゃ駄目よ」
「分かってます」
関尾は両手でペチンペチンと頬を叩いた。
「なんだかなあ。分かってこの世界に入ったはずなのに、こうして子供たちの寝顔を見てると、やっぱりちょっと可哀想とか思っちゃうんですよね」
「分かってるとは思うけど、そんなこと、絶対に子供たちの前で言っちゃ駄目だからね」
杉本は釘を刺した上で続けた。
「私も、新人の頃はそんなことばかり思ってたかなあ。もちろん、今でもそういう気持ちが無いわけじゃないけど、彼らの世話をする私達がそんな心構えじゃ、何よりも彼らに申し訳ないのよ」
杉本はさすがに達観した様子でそう語った。
「ですか、ね」
「そうよ。まあ、生意気を言う前に早く仕事を覚えることね」
杉本が冗談ぽく笑うと、関尾もぱっと明るくなった。
物思いに耽る姿も悪くはないが、まだ水も弾くような関尾の肌は、やはり笑顔がよく映えた。
「あっ。そういえば、あの子ってどういう子なんですか?」
立ち上がろうとした杉本のエプロンの裾を関尾が掴んだ。
「なにさ。どの子のこと?」
「あの子です」
そう言って関尾は部屋の一番隅を指差した。
杉本は、その指の先を正確に確認するよりも早く、すぐに誰のことを言っているのかを悟った。
「ああ、瑠衣ちゃんねえ。どういう子って、まあ、たしかにちょっと暗いところはあるかもしれないけど」
一瞬、『大人しい』ではなく『暗い』と表現したことを、杉本はほんの少し後悔した。
「何か楽しいことがあれば普通に笑うし、別に問題があるわけじゃないわよ」
失言を誤魔化すように後に続けた。
「そうなんですか。どうにも受け入れられていないというか、避けられている気がして」
「ただの人見知りよ。幼児期の人見知りぐらい学校で習ったでしょ? 時間が経てば無くなるわ」
「そうなんですかねえ。それだと良いんですが」
関尾はいまいち納得のいっていない顔でそう返した。
「大丈夫だってば。さ、おやつの準備しましょうか」
「はい」
そう言って二人は立ち上がると事務室に向かった。
部屋を出る直前、関尾はまたふと瑠衣の方を振り返った。
幼児期でもはっきりと感じる、嘘のように整った寝顔が、ひとつ。
お昼寝の時間が終わりに近づき、子供たちがまばらに目を覚まし始める頃には、瑠衣はとっくに布団を抜け出していた。それは単に瑠衣が活動的な子ではなく体力が余っているというのが原因だが、まだ眠っている子の枕元で一人、ぼぅっと窓の外を眺めている姿が、また強い印象として関尾の頭に残った。
「はーい、おやつの時間ですよ!」
関尾が柄にもなく声を張り上げると、まだ布団で横になっていた子供たちも一緒になって一目散に駆け出した。皆が目をらんらんと輝かせて、すぐに自分の椅子を確保した頃、瑠衣は一番遠くから少しだけ駆け足でやってくる。他の子たちのように我先にと走り出すことは決してなかったが、おやつに対しての強い興味は人並みにあるらしい。その様子を見て、関尾は少し微笑ましく思った。
「杉本さーん、ちょっと来てくれる?」
子供たちが皿に盛られたりんごを食べ始めてすぐ、園長が杉本を呼んだ。
「大山さん、今日いらっしゃるって」
「あ、都合ついたんですね。分かりました」
「ええ。しっかり、ね」
園長はそう言って微笑んだ。
大山夫妻は共に四十を越えた中年夫婦だが、子宝に恵まれず養子を探している。当たり前だが、養子にとってもらえる子供というのは幼ければ幼い程よく、十代ではなかなか貰い手はつかない。黒松つくし園のように、幼児期の子供が多い孤児院にはこうして養子を探す夫婦が頻繁に訪れる。
「一度、関尾さんに応対させてみましょうか。仕事を覚えさせる意味で」
先ほどの会話を思い返し、杉本はなんとはなしに提案してみた。
「そうねえ」園長はううんと唸った。「でも関尾さん、まだ本入りの子と仮入りの子の区別もついていないでしょう」
「ああ、そうかあ」
杉本は思い出したように右手で頬を叩いた。
本入り(ほんいり)と仮入り(かりいり)とは、杉本ら職員の間で子供たちを区別する為の言葉である。孤児院には、身寄りがなく完全に孤児院で育ってゆく子供と、虐待等の理由で一時的に預けられている子供がいる。杉本達は前者を本入り、後者を仮入りと便宜的に呼び分けているのだった。当然、仮入りの子供を紹介する訳にはいかず、本入りと仮入りの区別すら曖昧な関尾に応対役はまだ早かった。
ちなみに、現代では後者の子供が圧倒的に多く、むしろいわゆる孤児はかなり少ない。
「そうですね。じゃあ、いつも通り私が」
杉本は軽く頭を下げて、関尾の元へと戻った。
「あ、先輩。何の話だったんですか?」
「この前話した大山さんが、今日来るんですって。私が案内するから、その間少し忙しくなるけどよろしくね」
関尾は冗談ぽく顔を歪めてみせて、杉本も軽く笑みをこぼした。
「養子にとってもらえる子って、どういう基準で選ばれるんですかねえ」
当然、子供たちからは少し離れた場所で関尾が切り出した。
「まあ、ウチみたいに幼い子供が多いとこじゃ、単純に性格かねえ。明るい子が好まれるわよ、やっぱり。もう少し年齢が上だと頭の良さとかも関わってくるけど」
ふうん、と関尾は頷いた。
「外見、とかってどうなんですか?」
杉本は思わず苦笑いを浮かべた。
「そりゃあ、まあ、ねえ。小学生から上になると顔の良し悪しはあるわよ。ずっと育てていくんだから、どうせなら綺麗な子が良い、とは誰でも思うじゃない。二、三歳の子供でも将来どんな顔になりそうかは吟味されるわ。こっちとしちゃ、嫌な話よ」
「ですねえ」
関尾の目がつい、瑠衣を追った。
「あんたの気になる瑠衣ちゃんは、どうかしらね。すっごくカワイイけどちょっと大人しすぎるところもあるからね」
「気になるって、そんな」
関尾は困ったように笑った。
「瑠衣ちゃんも、ウチじゃ少ない本入りの子だからね……。貰い手がつくなら、どうせなら今まだ幼い内に決まってくれると良いんだけどねえ」
そう語る杉本の表情は、少しだけ寂しそうでもあった。
「はーい、おやつの時間ですよ!」
関尾が柄にもなく声を張り上げると、まだ布団で横になっていた子供たちも一緒になって一目散に駆け出した。皆が目をらんらんと輝かせて、すぐに自分の椅子を確保した頃、瑠衣は一番遠くから少しだけ駆け足でやってくる。他の子たちのように我先にと走り出すことは決してなかったが、おやつに対しての強い興味は人並みにあるらしい。その様子を見て、関尾は少し微笑ましく思った。
「杉本さーん、ちょっと来てくれる?」
子供たちが皿に盛られたりんごを食べ始めてすぐ、園長が杉本を呼んだ。
「大山さん、今日いらっしゃるって」
「あ、都合ついたんですね。分かりました」
「ええ。しっかり、ね」
園長はそう言って微笑んだ。
大山夫妻は共に四十を越えた中年夫婦だが、子宝に恵まれず養子を探している。当たり前だが、養子にとってもらえる子供というのは幼ければ幼い程よく、十代ではなかなか貰い手はつかない。黒松つくし園のように、幼児期の子供が多い孤児院にはこうして養子を探す夫婦が頻繁に訪れる。
「一度、関尾さんに応対させてみましょうか。仕事を覚えさせる意味で」
先ほどの会話を思い返し、杉本はなんとはなしに提案してみた。
「そうねえ」園長はううんと唸った。「でも関尾さん、まだ本入りの子と仮入りの子の区別もついていないでしょう」
「ああ、そうかあ」
杉本は思い出したように右手で頬を叩いた。
本入り(ほんいり)と仮入り(かりいり)とは、杉本ら職員の間で子供たちを区別する為の言葉である。孤児院には、身寄りがなく完全に孤児院で育ってゆく子供と、虐待等の理由で一時的に預けられている子供がいる。杉本達は前者を本入り、後者を仮入りと便宜的に呼び分けているのだった。当然、仮入りの子供を紹介する訳にはいかず、本入りと仮入りの区別すら曖昧な関尾に応対役はまだ早かった。
ちなみに、現代では後者の子供が圧倒的に多く、むしろいわゆる孤児はかなり少ない。
「そうですね。じゃあ、いつも通り私が」
杉本は軽く頭を下げて、関尾の元へと戻った。
「あ、先輩。何の話だったんですか?」
「この前話した大山さんが、今日来るんですって。私が案内するから、その間少し忙しくなるけどよろしくね」
関尾は冗談ぽく顔を歪めてみせて、杉本も軽く笑みをこぼした。
「養子にとってもらえる子って、どういう基準で選ばれるんですかねえ」
当然、子供たちからは少し離れた場所で関尾が切り出した。
「まあ、ウチみたいに幼い子供が多いとこじゃ、単純に性格かねえ。明るい子が好まれるわよ、やっぱり。もう少し年齢が上だと頭の良さとかも関わってくるけど」
ふうん、と関尾は頷いた。
「外見、とかってどうなんですか?」
杉本は思わず苦笑いを浮かべた。
「そりゃあ、まあ、ねえ。小学生から上になると顔の良し悪しはあるわよ。ずっと育てていくんだから、どうせなら綺麗な子が良い、とは誰でも思うじゃない。二、三歳の子供でも将来どんな顔になりそうかは吟味されるわ。こっちとしちゃ、嫌な話よ」
「ですねえ」
関尾の目がつい、瑠衣を追った。
「あんたの気になる瑠衣ちゃんは、どうかしらね。すっごくカワイイけどちょっと大人しすぎるところもあるからね」
「気になるって、そんな」
関尾は困ったように笑った。
「瑠衣ちゃんも、ウチじゃ少ない本入りの子だからね……。貰い手がつくなら、どうせなら今まだ幼い内に決まってくれると良いんだけどねえ」
そう語る杉本の表情は、少しだけ寂しそうでもあった。
大山夫妻がやって来たのは、もう四時を回った頃だった。
「こんにちは。杉本と申します」
「関尾です」
杉本と関尾の二人が門の前で出迎えた。
「よろしくお願いします」
夫妻は優しそうな笑顔で応えた。イメージで語って申し訳ないが、流石に養子をとろうとしているだけあって良い人そうだ、と関尾は思った。
「今日は私が案内させていただきます。それでは、さっそくこちらへ」
杉本がそう言うと、関尾を除いた三人が園内へと歩き出した。少し離れて、関尾もその後に続く。
「良い雰囲気ですねえ」
妻の梓がおっとりとした雰囲気で呟いた。
「田舎ですから」杉本が自虐気味に笑う。「綺麗な自然だけが取り柄ですかね」
ええ、ええ、と梓はゆっくり頷いた。その動作の一つ一つに気品が漂い、白い肌と優しそうな目尻は育ちの良さを思わせる。もっとも、大山夫妻が養子を探すのは子宝に恵まれなかったからという単純な理由からであり、たとえば少女漫画やアニメなどで見られるような、大富豪が跡取り探しのために、というストーリー性はまったく無い。むしろ大山夫妻の経済力はごくごく一般的な家庭のそれであった。養子をとるという行為自体、何か随分生活に余裕がないとできないことのように思われることがあるが、実際にはそういうパターンの方が稀である。
「こちらです」
杉本が掌を返して二人を誘う。夫妻は、寄り道することなく真っ直ぐ子供たちのいる大広間へと足を踏み入れた。
ざわわっ。
一瞬、波のようなざわめきが起こってすぐ止んだ。すでに学校から帰ってきた子供もいるこの時間帯、夫妻がここを訪れたという意味を理解する者は少なくなかった。
「お客さんよ。みんな、お行儀よくね」
杉本が子供たちに挨拶を促すと、すぐに元気の良い声が返ってきた。養子を探す夫婦の批評会に晒されるぐらい、彼らにとっても珍しいことではない。小学生より上の子達はみな明るく振る舞い、逆に、大山夫妻がどんな人間なのかを品定めしていた。
とは言え、小学生以上の子が対象に選ばれにくいことも彼らは理解している。次第に視線は夫妻から離れてゆき、またそれぞれ勝手に遊び始めた。
「元気の良い子たちですねえ」
うんうん、と頷きながら梓が言った。
「本当だなあ。養護施設ってどんなところかと思ってたが、明るいところじゃないか」
「養護施設を見学されるのは初めてですか?」
杉本が、足元に寄って来た子供の頭を撫でながらそれとなく訊いた。
「ええ。園長さんとはお話ししてありますけどね。今日は僕たちも緊張してるんです」
夫もまた、言動の一つ一つに柔らかい雰囲気を纏っている。この夫婦なら子供を大切に育ててくれそうだと杉本は少しホッとした。
と、その時。振り返った瑠衣の姿を、夫妻が同時に視界に捉えた。目が合ったことに瑠衣自身も気づき、すぐに目を逸らす。
「あの子は?」
口を開いたのは、夫の晴夫だった。
「瑠衣ちゃんのことですか? 鳥坂 瑠衣(とりさか るい)ちゃんです」
「あの、奥の方で座ってる、顔の白い」
晴夫は右手で頬を触った。
「ええ、そうです。気になりますか?」
「いやあ。なんだか、随分顔の整った子がいるなあと」
そう言って晴夫はなんだか照れ臭そうに笑った。もうちょっとオブラートに包んで言えばよかったかとも思う。
「そうねえ。ほんと、お人形さんみたい」
梓も感心したといった風に首を傾げた。この年齢になって、しかもこんな小さな子供相手に嫉妬もないだろう、同じ女性として素直に感嘆しているようだ。
「あの子は、その、いわゆる孤児なんでしょうか?」
晴夫は真剣な顔つきで尋ねた。
「はい。両親とも亡くしています。気になるようでしたら、面談してみますか?」
晴夫と梓は目を合わせ、小さく頷いて「お願いします」と答えた。
「こんにちは。杉本と申します」
「関尾です」
杉本と関尾の二人が門の前で出迎えた。
「よろしくお願いします」
夫妻は優しそうな笑顔で応えた。イメージで語って申し訳ないが、流石に養子をとろうとしているだけあって良い人そうだ、と関尾は思った。
「今日は私が案内させていただきます。それでは、さっそくこちらへ」
杉本がそう言うと、関尾を除いた三人が園内へと歩き出した。少し離れて、関尾もその後に続く。
「良い雰囲気ですねえ」
妻の梓がおっとりとした雰囲気で呟いた。
「田舎ですから」杉本が自虐気味に笑う。「綺麗な自然だけが取り柄ですかね」
ええ、ええ、と梓はゆっくり頷いた。その動作の一つ一つに気品が漂い、白い肌と優しそうな目尻は育ちの良さを思わせる。もっとも、大山夫妻が養子を探すのは子宝に恵まれなかったからという単純な理由からであり、たとえば少女漫画やアニメなどで見られるような、大富豪が跡取り探しのために、というストーリー性はまったく無い。むしろ大山夫妻の経済力はごくごく一般的な家庭のそれであった。養子をとるという行為自体、何か随分生活に余裕がないとできないことのように思われることがあるが、実際にはそういうパターンの方が稀である。
「こちらです」
杉本が掌を返して二人を誘う。夫妻は、寄り道することなく真っ直ぐ子供たちのいる大広間へと足を踏み入れた。
ざわわっ。
一瞬、波のようなざわめきが起こってすぐ止んだ。すでに学校から帰ってきた子供もいるこの時間帯、夫妻がここを訪れたという意味を理解する者は少なくなかった。
「お客さんよ。みんな、お行儀よくね」
杉本が子供たちに挨拶を促すと、すぐに元気の良い声が返ってきた。養子を探す夫婦の批評会に晒されるぐらい、彼らにとっても珍しいことではない。小学生より上の子達はみな明るく振る舞い、逆に、大山夫妻がどんな人間なのかを品定めしていた。
とは言え、小学生以上の子が対象に選ばれにくいことも彼らは理解している。次第に視線は夫妻から離れてゆき、またそれぞれ勝手に遊び始めた。
「元気の良い子たちですねえ」
うんうん、と頷きながら梓が言った。
「本当だなあ。養護施設ってどんなところかと思ってたが、明るいところじゃないか」
「養護施設を見学されるのは初めてですか?」
杉本が、足元に寄って来た子供の頭を撫でながらそれとなく訊いた。
「ええ。園長さんとはお話ししてありますけどね。今日は僕たちも緊張してるんです」
夫もまた、言動の一つ一つに柔らかい雰囲気を纏っている。この夫婦なら子供を大切に育ててくれそうだと杉本は少しホッとした。
と、その時。振り返った瑠衣の姿を、夫妻が同時に視界に捉えた。目が合ったことに瑠衣自身も気づき、すぐに目を逸らす。
「あの子は?」
口を開いたのは、夫の晴夫だった。
「瑠衣ちゃんのことですか? 鳥坂 瑠衣(とりさか るい)ちゃんです」
「あの、奥の方で座ってる、顔の白い」
晴夫は右手で頬を触った。
「ええ、そうです。気になりますか?」
「いやあ。なんだか、随分顔の整った子がいるなあと」
そう言って晴夫はなんだか照れ臭そうに笑った。もうちょっとオブラートに包んで言えばよかったかとも思う。
「そうねえ。ほんと、お人形さんみたい」
梓も感心したといった風に首を傾げた。この年齢になって、しかもこんな小さな子供相手に嫉妬もないだろう、同じ女性として素直に感嘆しているようだ。
「あの子は、その、いわゆる孤児なんでしょうか?」
晴夫は真剣な顔つきで尋ねた。
「はい。両親とも亡くしています。気になるようでしたら、面談してみますか?」
晴夫と梓は目を合わせ、小さく頷いて「お願いします」と答えた。
ふっ、と、隣にいる晴夫にも気付かれない程に小さく息を吐いた。
「瑠衣ちゃん、いらっしゃい」
瞬間、その事の意味を理解する子供たちだけが杉本の方を振り返った。そしてその視線はすぐ、瑠衣の方へと移ってゆく。頷くでもなく、本当に微かな反応だけを示して、瑠衣はすぐに杉本の元へと駆け寄った。
「おいで」
駆け寄ってきた瑠衣の頭に右手を置いて、杉本は優しい笑顔でそう言った。今度は、瑠衣もはっきりと頷いた。
「はじめまして」
面談をする部屋へと歩く間の、静寂を破るように晴夫は瑠衣に話し掛けた。瑠衣は杉本の背後に回り込み、顔を隠して晴夫の言葉に応えようとしない。
「すいません」杉本は苦笑いを浮かべて言った。「幼児期は、人見知りが激しい頃でもありますので。全然平気な子供もいるんですけどね」
「ああ、そうなんですか。いやまさか、こんな小さな子供も人見知りをするとは知らなかったなあ。そんなもの、大人になっていく中で覚えるものかと」
晴夫が恥ずかしそうしながらそう語る隣で、梓もうんうんと頷いていた。
「そうですねえ。どちらかと言えば、瑠衣ちゃんは特に大人しい方かもしれませんので」
杉本は遠慮気味に瑠衣の普段の様子を伝え始めていた。
「いやいや。まあ、それぐらいはどんな子供相手でも苦労することでしょう。こんなことで、判断はしませんよ」
「そう言っていただけると、助かります」
三人が、面談室とは名ばかりの小部屋の前で足を止めた。
「どうぞ」
杉本が入室を促した。まず晴夫、それに続いて梓が中へと入ると、既に園長が椅子に座って待っていた。杉本に手を引かれる瑠衣の姿を一瞥し、小さく頷いたかのように見えた園長が、「やっぱりね」と思ったのかどうかは、誰にとっても定かではない。
園長は立って頭を下げ、大山夫妻に腰を下ろさせてから座り直した。
中では園長、瑠衣、杉本の並びで座り、その対面に晴夫と梓が座る。
「瑠衣ちゃんですか」
「第一印象で決めてしまって申し訳ありませんが」
晴夫は少し悪そうに頭を下げた。
「いえいえ、良いんですよ。このぐらいの年頃だと内面的な区別というのも難しいでしょう。それにもちろん、この後も時間がおありなら色々な子と面談していただけますし」
「ええ。もちろん、そのつもりです」
そう話す晴夫はしかし、この時には既に「養子をとるならこの子しかいない」ぐらいに考えていた。たとえどれだけ年が離れていようと、男性が綺麗な女性に心を惹かれるというのは仕方のないことなのである。当然、晴夫にそういう趣味がある訳ではなかったが、一目見た時から晴夫は瑠衣に心を奪われていたのだ。
「瑠衣ちゃん、好きな食べ物はなにかな?」
体勢をぐっと低く下げて、晴夫が今度は瑠衣に話し掛けた。
その仕草の一つ一つ、表情、声色まで、とにかく晴夫からは親、それも養親として最適と思える人格が見てとれた。園長も安心し切った様子でその姿を眺めている。
しかし、瑠衣はまったく応えない。じっと晴夫の目を見つめたまま、その視線を動かそうとすらしない。
「瑠衣ちゃん?」
あやすように杉本が笑みを向けると、はっとしたように表情を崩す。
「好きな食べ物はなーに? って大山さんが」
すると瑠衣はあっさり「りんご」と答えた。恐らくは先程のおやつの時間に出たものがまだ強く記憶に残っているというだけのことだろうが、ともかく、杉本に対する様子はまったく普通の幼児である。
人見知りと言ってもこうまで極端なものかと、晴夫は少し頭を悩ませた。
「おいくつですか?」
諦めず語りかける晴夫に、やはり瑠衣は何も答えない。本当に、じっと晴夫の目を見たまま口も動かさない。
この、じっと他人の目を見つめて黙り込むという行動自体は、幼児期にはよく見られるものである。ただ、さすがにこの時にはもう晴夫もはっきりとした違和感を抱いていた。
その後に晴夫がいくら何を問いかけても、瑠衣はまったく言葉を返さなかった。
(いくらなんでも、普段ならここまで大人しい子ではないのに)
焦っているのは教育係の杉本である。何とかして大山に心を開かせようと必死に瑠衣をあやしている。
そして――、瑠衣の横に座っている杉本と園長には分かり難かったのだろうか。正面にいる晴夫も、「そういうものか」と誤って納得していたのか。異変に始めに気がついたのは、晴夫の横の梓だった。
晴夫を見つめたまま固まったように動かない瑠衣の表情に、疑念を抱き始めていた。
「あなた」
小声で晴夫に囁いた。
「あの子、」
――前述しているように、少女漫画やアニメなどで見られるような、大富豪が養子を探しにくる展開など実際にはそうそう起こりえない。そもそも、瑠衣の美貌を知る第三者がそういったサクセスストーリーを瑠衣の将来に見たとしても、そんなことは幼い瑠衣には知る由もない。だから、大山夫妻の経済力が豊満ではないという事情など、金銭の概念すら理解していない瑠衣には関係なかった。
だから、『この行動』が単に幼児期に見られる一般的なものであることは間違いない。
だが、もっとお金持ちの家に引き取られたい。先々、世の中のことを理解できるぐらいには成長した瑠衣がそう考えるようになるとしたなら、この時のこの行動は、本能という、抽象的で曖昧な言葉で表現するしかなかった。
「まるで、あなたのことを睨みつけているみたい」
瑠衣の全身、細胞が、全力で大山夫妻のことを拒絶していた。
「瑠衣ちゃん、いらっしゃい」
瞬間、その事の意味を理解する子供たちだけが杉本の方を振り返った。そしてその視線はすぐ、瑠衣の方へと移ってゆく。頷くでもなく、本当に微かな反応だけを示して、瑠衣はすぐに杉本の元へと駆け寄った。
「おいで」
駆け寄ってきた瑠衣の頭に右手を置いて、杉本は優しい笑顔でそう言った。今度は、瑠衣もはっきりと頷いた。
「はじめまして」
面談をする部屋へと歩く間の、静寂を破るように晴夫は瑠衣に話し掛けた。瑠衣は杉本の背後に回り込み、顔を隠して晴夫の言葉に応えようとしない。
「すいません」杉本は苦笑いを浮かべて言った。「幼児期は、人見知りが激しい頃でもありますので。全然平気な子供もいるんですけどね」
「ああ、そうなんですか。いやまさか、こんな小さな子供も人見知りをするとは知らなかったなあ。そんなもの、大人になっていく中で覚えるものかと」
晴夫が恥ずかしそうしながらそう語る隣で、梓もうんうんと頷いていた。
「そうですねえ。どちらかと言えば、瑠衣ちゃんは特に大人しい方かもしれませんので」
杉本は遠慮気味に瑠衣の普段の様子を伝え始めていた。
「いやいや。まあ、それぐらいはどんな子供相手でも苦労することでしょう。こんなことで、判断はしませんよ」
「そう言っていただけると、助かります」
三人が、面談室とは名ばかりの小部屋の前で足を止めた。
「どうぞ」
杉本が入室を促した。まず晴夫、それに続いて梓が中へと入ると、既に園長が椅子に座って待っていた。杉本に手を引かれる瑠衣の姿を一瞥し、小さく頷いたかのように見えた園長が、「やっぱりね」と思ったのかどうかは、誰にとっても定かではない。
園長は立って頭を下げ、大山夫妻に腰を下ろさせてから座り直した。
中では園長、瑠衣、杉本の並びで座り、その対面に晴夫と梓が座る。
「瑠衣ちゃんですか」
「第一印象で決めてしまって申し訳ありませんが」
晴夫は少し悪そうに頭を下げた。
「いえいえ、良いんですよ。このぐらいの年頃だと内面的な区別というのも難しいでしょう。それにもちろん、この後も時間がおありなら色々な子と面談していただけますし」
「ええ。もちろん、そのつもりです」
そう話す晴夫はしかし、この時には既に「養子をとるならこの子しかいない」ぐらいに考えていた。たとえどれだけ年が離れていようと、男性が綺麗な女性に心を惹かれるというのは仕方のないことなのである。当然、晴夫にそういう趣味がある訳ではなかったが、一目見た時から晴夫は瑠衣に心を奪われていたのだ。
「瑠衣ちゃん、好きな食べ物はなにかな?」
体勢をぐっと低く下げて、晴夫が今度は瑠衣に話し掛けた。
その仕草の一つ一つ、表情、声色まで、とにかく晴夫からは親、それも養親として最適と思える人格が見てとれた。園長も安心し切った様子でその姿を眺めている。
しかし、瑠衣はまったく応えない。じっと晴夫の目を見つめたまま、その視線を動かそうとすらしない。
「瑠衣ちゃん?」
あやすように杉本が笑みを向けると、はっとしたように表情を崩す。
「好きな食べ物はなーに? って大山さんが」
すると瑠衣はあっさり「りんご」と答えた。恐らくは先程のおやつの時間に出たものがまだ強く記憶に残っているというだけのことだろうが、ともかく、杉本に対する様子はまったく普通の幼児である。
人見知りと言ってもこうまで極端なものかと、晴夫は少し頭を悩ませた。
「おいくつですか?」
諦めず語りかける晴夫に、やはり瑠衣は何も答えない。本当に、じっと晴夫の目を見たまま口も動かさない。
この、じっと他人の目を見つめて黙り込むという行動自体は、幼児期にはよく見られるものである。ただ、さすがにこの時にはもう晴夫もはっきりとした違和感を抱いていた。
その後に晴夫がいくら何を問いかけても、瑠衣はまったく言葉を返さなかった。
(いくらなんでも、普段ならここまで大人しい子ではないのに)
焦っているのは教育係の杉本である。何とかして大山に心を開かせようと必死に瑠衣をあやしている。
そして――、瑠衣の横に座っている杉本と園長には分かり難かったのだろうか。正面にいる晴夫も、「そういうものか」と誤って納得していたのか。異変に始めに気がついたのは、晴夫の横の梓だった。
晴夫を見つめたまま固まったように動かない瑠衣の表情に、疑念を抱き始めていた。
「あなた」
小声で晴夫に囁いた。
「あの子、」
――前述しているように、少女漫画やアニメなどで見られるような、大富豪が養子を探しにくる展開など実際にはそうそう起こりえない。そもそも、瑠衣の美貌を知る第三者がそういったサクセスストーリーを瑠衣の将来に見たとしても、そんなことは幼い瑠衣には知る由もない。だから、大山夫妻の経済力が豊満ではないという事情など、金銭の概念すら理解していない瑠衣には関係なかった。
だから、『この行動』が単に幼児期に見られる一般的なものであることは間違いない。
だが、もっとお金持ちの家に引き取られたい。先々、世の中のことを理解できるぐらいには成長した瑠衣がそう考えるようになるとしたなら、この時のこの行動は、本能という、抽象的で曖昧な言葉で表現するしかなかった。
「まるで、あなたのことを睨みつけているみたい」
瑠衣の全身、細胞が、全力で大山夫妻のことを拒絶していた。
大山夫妻は去った。
「いやはや。私達も子供好きでいるつもりでしたが、奥が深いというか、何と言えばいいのか。正直少し、養子をとる自信が無くなりました」
「普段はあそこまで人見知りする子ではないのですが。本当に申し訳ありません」
杉本は深々と何度も頭を下げた。その様子を見た晴夫が困ったように苦笑いを浮かべる。
「でしたら尚更ですよ。きっと、私に何か気に食わない部分があったのでしょう。勉強します」
「いえ、まさか……。私達の目から見ても、とても優しくご丁寧に接せられていました。もしよろしければ、これに懲りずに是非またお越し下さい」
杉本がそう言ってまた深く頭を下げると、今度は何も言わずに小さく笑うだけで門を出た。
梓が待つ白の車体に乗り込んで、進み出した車がやがて見えなくなるまで杉本はその場で二人を見送った。
「瑠衣ちゃん」
園内に戻った杉本はすぐに瑠衣を呼び出した。こちらを振り返った瑠衣が、とぼけたように不思議な顔をして歩いてきたので、杉本は胸の中に苛立ちを落とした。
「瑠衣ちゃん。どうして何も言わなかったの?」
あくまでも優しい口調と表情で。膝を折り顔を瑠衣に近づけて尋ねた。
「わかんない」
吐き捨てるようにそう呟いて、すぐに元いた場所へと戻ろうとする。
「待って」その腕を杉本が掴んだ。「ちゃんと話して? 別に怒ってるわけじゃないの」
「わかんないもん」
そう答えた瑠衣が本当に嫌そうな目をするので、杉本はとっさに手を放してしまった。切れ長なその目に睨みつけられるのは幼児とはいえ、いや、何も分かっていない幼児だからこそなのか、想像以上に威力があった。
「そう……。ごめんね、戻っていいわよ」
そう言って瑠衣の頭に置いた右手は、ほんの少し強く当たってしまった幼児をあやしているのか。あるいは、自分の存在を嫌な物として記憶させない為の処世術なのか。自分の元を走って離れてゆく瑠衣の姿を見ながら杉本は、晴夫を追い返した瑠衣のあの目を思い返していた。
「なにかあったの?」
ブロックで遊んでいる子の元へ真っ直ぐ瑠衣は戻っていった。
「わかんない」
軽くはぐらかしてその場に座り込み、瑠衣もブロックに手を伸ばす。
「ふうん」
手元に夢中になっているからなのか、瑠衣と同い年の京子は興味なさげに頷いた。
瑠衣の友達、少なくとも瑠衣が心を開いている友達というのはこの京子ただ一人であり、同い年の女子では二人きりの“本入り”であった。もちろん、“本入り”だなんだという概念を瑠衣が理解している訳ではなかったが。
内向的で大人しすぎる程に大人しい瑠衣とは違って、京子は園内でも同年代の中ではいわゆる中心人物であった。ことある毎に自然と京子の周りには人が集まり、活発で元気いっぱいに走り回る様などは瑠衣とはまるで正反対である。
「お疲れ様です」
職員室に戻ってきた杉本に関尾が湯呑を手渡した。
「ありがと。まったく、困ったものよ」
「瑠衣ちゃん、一言も喋らなかったらしいですね」
先ほどのことはもう園長から伝わっていた。
「ええ。まさかあそこまでとはね、手を焼いたわ。慣れてくれば今回みたいなことも無くなるんでしょうけど、あの子の人見知りはちょっと強度かもしれないわ」
「それこそ、京子ちゃんみたいな子なら初対面の大人相手でも平気そうなんですけどね」
関尾が子供たちのことをどこまで理解しているのかは知らないが、事実京子にはそう思わせる程の社交性が先天性的に備わっていた。小学生以下の子供で、関尾が一番はじめに名前を覚えたのも京子であった。
「今回大山さんは懲りてすぐ帰っちゃったみたいですけど、京子ちゃんとも面談していってくれれば良かったんですけどねえ。あの子なら今回みたいなことも無いんじゃないですか」
「ええ、そうね」
杉本は少しだけ、悩ましそうに頷いた。
美人が不細工を見下す。
それは、どの年代の社会にも必ず存在する。もちろん、はっきりと表立ってその事が影響するのは一部の話である。だが、どれだけ能力的に優れた人物であっても、目を覆いたくなるほどの不細工であれば、周りは心の中では非難し笑うこともあるだろう。唯一、そういった意識がまだ薄いのが瑠衣たち小学生以下の年代であり、まず顔の良し悪しという価値観が備わっていない。
だからもし、目を惹くほどの美人として生まれてきた瑠衣が、これから小学中学と成長してゆく瑠衣が、自分より明らかに劣る周囲の女子達を強く見下すようになったとしたならば、不細工を心から友人と呼ぶことができるのは、長い人生の中でも京子が最後のチャンスかもしれなかった。
自分が美人だと理解するまで、あとどれくらいだろうか。
今は瑠衣は、京子と仲良く遊んでいる。
2話へつづく。
「いやはや。私達も子供好きでいるつもりでしたが、奥が深いというか、何と言えばいいのか。正直少し、養子をとる自信が無くなりました」
「普段はあそこまで人見知りする子ではないのですが。本当に申し訳ありません」
杉本は深々と何度も頭を下げた。その様子を見た晴夫が困ったように苦笑いを浮かべる。
「でしたら尚更ですよ。きっと、私に何か気に食わない部分があったのでしょう。勉強します」
「いえ、まさか……。私達の目から見ても、とても優しくご丁寧に接せられていました。もしよろしければ、これに懲りずに是非またお越し下さい」
杉本がそう言ってまた深く頭を下げると、今度は何も言わずに小さく笑うだけで門を出た。
梓が待つ白の車体に乗り込んで、進み出した車がやがて見えなくなるまで杉本はその場で二人を見送った。
「瑠衣ちゃん」
園内に戻った杉本はすぐに瑠衣を呼び出した。こちらを振り返った瑠衣が、とぼけたように不思議な顔をして歩いてきたので、杉本は胸の中に苛立ちを落とした。
「瑠衣ちゃん。どうして何も言わなかったの?」
あくまでも優しい口調と表情で。膝を折り顔を瑠衣に近づけて尋ねた。
「わかんない」
吐き捨てるようにそう呟いて、すぐに元いた場所へと戻ろうとする。
「待って」その腕を杉本が掴んだ。「ちゃんと話して? 別に怒ってるわけじゃないの」
「わかんないもん」
そう答えた瑠衣が本当に嫌そうな目をするので、杉本はとっさに手を放してしまった。切れ長なその目に睨みつけられるのは幼児とはいえ、いや、何も分かっていない幼児だからこそなのか、想像以上に威力があった。
「そう……。ごめんね、戻っていいわよ」
そう言って瑠衣の頭に置いた右手は、ほんの少し強く当たってしまった幼児をあやしているのか。あるいは、自分の存在を嫌な物として記憶させない為の処世術なのか。自分の元を走って離れてゆく瑠衣の姿を見ながら杉本は、晴夫を追い返した瑠衣のあの目を思い返していた。
「なにかあったの?」
ブロックで遊んでいる子の元へ真っ直ぐ瑠衣は戻っていった。
「わかんない」
軽くはぐらかしてその場に座り込み、瑠衣もブロックに手を伸ばす。
「ふうん」
手元に夢中になっているからなのか、瑠衣と同い年の京子は興味なさげに頷いた。
瑠衣の友達、少なくとも瑠衣が心を開いている友達というのはこの京子ただ一人であり、同い年の女子では二人きりの“本入り”であった。もちろん、“本入り”だなんだという概念を瑠衣が理解している訳ではなかったが。
内向的で大人しすぎる程に大人しい瑠衣とは違って、京子は園内でも同年代の中ではいわゆる中心人物であった。ことある毎に自然と京子の周りには人が集まり、活発で元気いっぱいに走り回る様などは瑠衣とはまるで正反対である。
「お疲れ様です」
職員室に戻ってきた杉本に関尾が湯呑を手渡した。
「ありがと。まったく、困ったものよ」
「瑠衣ちゃん、一言も喋らなかったらしいですね」
先ほどのことはもう園長から伝わっていた。
「ええ。まさかあそこまでとはね、手を焼いたわ。慣れてくれば今回みたいなことも無くなるんでしょうけど、あの子の人見知りはちょっと強度かもしれないわ」
「それこそ、京子ちゃんみたいな子なら初対面の大人相手でも平気そうなんですけどね」
関尾が子供たちのことをどこまで理解しているのかは知らないが、事実京子にはそう思わせる程の社交性が先天性的に備わっていた。小学生以下の子供で、関尾が一番はじめに名前を覚えたのも京子であった。
「今回大山さんは懲りてすぐ帰っちゃったみたいですけど、京子ちゃんとも面談していってくれれば良かったんですけどねえ。あの子なら今回みたいなことも無いんじゃないですか」
「ええ、そうね」
杉本は少しだけ、悩ましそうに頷いた。
美人が不細工を見下す。
それは、どの年代の社会にも必ず存在する。もちろん、はっきりと表立ってその事が影響するのは一部の話である。だが、どれだけ能力的に優れた人物であっても、目を覆いたくなるほどの不細工であれば、周りは心の中では非難し笑うこともあるだろう。唯一、そういった意識がまだ薄いのが瑠衣たち小学生以下の年代であり、まず顔の良し悪しという価値観が備わっていない。
だからもし、目を惹くほどの美人として生まれてきた瑠衣が、これから小学中学と成長してゆく瑠衣が、自分より明らかに劣る周囲の女子達を強く見下すようになったとしたならば、不細工を心から友人と呼ぶことができるのは、長い人生の中でも京子が最後のチャンスかもしれなかった。
自分が美人だと理解するまで、あとどれくらいだろうか。
今は瑠衣は、京子と仲良く遊んでいる。
2話へつづく。