夜に踊る光
夜だった。赤や緑、青の光が踊っていた。 私はお酒を飲んで、ふらふらと時間の中をさまよっていた。行きつけ、と言うには通った回数が足りないが、このクラブにはたまに来る。夏から来ているから、もうかれこれ半年になる。ダンスフロアとカウンター。前方のターンテーブルでは日替わりのDJが様々な音楽をかけている。クラブチューン、ロック、ファンク、サイケデリック、ジャズ……だっだっだっ。今夜もリズムが鳴っている。
私は二十八になる。このでたらめな時代を、あらゆるものを失いながら何とか歩いているあいだに、気がつけばこの歳になっていた。これまでに、結婚が視野に入っていなかったかといえば、そんなことはない。しかし、私は彼氏を作っても長続きしなかった。友人の水葉や律子はすでに身を固めた。律子は結婚式を開き、新婦のスピーチで、子どもがお腹にいることを明かした。拍手をしたが、その時私はどんな顔をしていただろう。彼女の夫が、大学時代に好きだった田原誠だから、というのもあるかもしれない。今となってはもう何とも思わないけれど……。
ピーチフィズのグラスを空にしてぼうっとしていると、外国人に声をかけられた。金色の髪。ブルーの瞳。馬鹿みたいに明るい声。わたしは一緒に踊った。踊っている時間だけは、いつも多くのことを忘れていられる。何かを忘れたい時、私はこういう場所に来る。たとえば今日だったら?
部長の怒鳴り声が響いたのは私の責任だった。大事なお客である、取引相手の社長に失礼をしてしまった。お茶をこぼすくらい、長い人生においてはほとんど無のようなものだと思うが、そんな考えはその場に通用しなかった。どうも、考えていることが顔に出たようだ。「すみません」と言った私には誠意がなかったらしい。君は何年この仕事をしているんだ、もう新入社員じゃないだろう! おぞましいほどありきたりな文句で怒られた。私はまた同じ言葉を繰り返したが、世の中にあふれる多くの言葉と同じように、そこにはどんな意味も含まれていなかった。そのときの私は、こんなことがこの世界では何年続いてきたのだろうと思っていた。そして、こんな問いを投げかけた。人間から活力を奪うものは何だろう?……仕事の失敗、失恋、友人の成功、過去への郷愁。どれも違う。あえて言うのなら、毎日を繰り返すことでそれは少しずつなくなっていく。まるで、最初に借りていた巨大なものを長い時間をかけて返していくように、真綿できりきりと首を絞められ呼吸が細くなってゆくように。それはこちらの身体しか見ていない男の相手をする時も、新しいバッグを買ってつかの間の高揚感に包まれる時も、夜の街を歩きながら、今日はどこへ行こうかと考えている時も同じだ。もしかしたら、粉末にした毒を誰かがぱらぱらと空から振りまいているのかもしれない。どこでどんなことをしようとも毒は身体にまわってしまう。時間が経つほどに。
その日は声をかけられた外国人と寝た。日本人と違って血気さかんな彼らは、適切な寝床を見つけた犬のように、しきりに私の身体を嗅ぎまわる。稀にシャイな人間もいるが、たいてい彼らは手慣れていて、くるりと手の平で女を転がしてしまう。あん、お尻はあんまりなめないで。ちょろいものだと思われているに違いない。今でも日本は征服されているのかも、と火照る頭で考えたが、ばかばかしくてやめた。私は笑った。いまさらこの島を征服して何になるのだろう。「どうしたんだい」「何でもないわよ」セックスのあとで(彼は三回も絶頂を迎えた、正真正銘の馬鹿だ)、彼はマークと名乗った。名前を聞いていなかったことに気がついたのはこの時だった。いつもそうだ。聞かずに終わることも珍しくない。彼はしっかりと筋肉のついた身体をしていた。たった今発した熱が汗となって、肌の上で趣味の悪い宝石のように光っている。青とグレーを混ぜた瞳が、金色の光を受けて情熱的に輝いた。必殺の武器のつもりだろうか、やめてほしい。そういうのは受け付けていない。案の定彼はこう尋ねた。「どうだった?」知らないわそんなの、と言いたかったが、言わないほうがましな言葉が出た。「よかったわ」いつもそうだが、私たちは話したい言葉を使うことが許されていない。ホテルの中は黄金色の世界だった。
夜に踊る光
私にも夢見る乙女だった時代はあった。高校時代はその筆頭だ(もう十年前よ、信じられる!)。その頃付き合っていたのは田邊恭一という男の子だった。短髪の黒い髪に、さわやかな笑顔がまぶしかった。高校生らしい、しなやかで痩せた、ひきしまった身体つきをしていた。バスケ部だった気がするが、定かではない。今思うとなぜ彼と付き合っていたのか分からない。当時のわたし(私ではない、わたしだ)はクラスメートの女の子たちとふわふわした綿菓子のような話題――たとえば好きな芸能人、理想の彼氏、見ているドラマ、教師の面白い癖、文化祭でやりたいことだとか、およそどうでもいいこと――で頭のほとんどを埋めることができた。手帳にはカラフルなペンと丸っこい文字(あいにく今もその癖が抜けない、そんなクソみたいな字体を身に着けてしまった過去の自分を引っぱたいてやりたい!)が、どんな予定であっても、まるでそれが舞踏会への招待であるかのような期待とともに書かれていた。「アツコと渋谷でお買い物(ハートマーク)」「リカせんぱいの家にお泊まり☆」その手帳を最近になって読み返した私は、顔から火が出るあまりおかしな声で叫んでしまった。今思えばあの頃、なぜあんなに短いスカートをはいていたのだろう? あれではパンツを見せているようなものだ。桃のバーゲンセール。世の中のオヤジ連中がどのような思考形態をしているのか、何を行っているのかを知ってしまった今となっては、あれは恥辱に等しい。今でも女子高生たちは私たちの頃と大差ない格好をしている(少なくともそう思っていたい。さらにスカート丈が短くなっている気がするけど。それとも今の子のほうが脚が長いのかしら?)。そして無垢な彼女たちは、闇の世界の魔物どもに食べられてしまうのだ。何たること。開封したてのプッチンプリンみたいに甘くて安くて柔らかい頭をしていた当時のわたしは、こんな風に考えていた。大学に行ったら、めいっぱい勉強して恋をして遊ぶ(また星のマークをつけたいところね、しないけど)。そして会社の事務員か何かになって、素敵な旦那様を見つけて結婚する(うるうる)。少女漫画のキャラクターと考えていたことは何も変わらないじゃないの。ちなみに高校時代、田邊恭一とはまさしくそんな恋愛をした。どきどきってやつ。きゅんきゅんってやつ。あれは高校二年の夏だったはずだ。緑が深まり、清冽な空気の中を、森の少女のように過ごしていた青春時代。告白したのはわたしのほうだった。彼は女子からの人気が高かったため、自分から行かないことには永遠にチャンスは訪れない、今行かないでどうするの、花の命は短いわ! おそらくそう考えたのだろう。馬鹿ね。彼とくっつこうがどうだろうが、あなたの一生に何の影響もないわ。そんなこともあったわね、という記憶がひとつ増えるだけよ。しかし当時、自分では瑞々しい魅力を放っていると思っていた愚かなわたしは、見事、彼の心を射止めることに成功した。晴れて彼女となり、学校にいる時も、下校する時も、休日も、四六時中粘土のようにべったりしていた。同じ女子たちの羨望を集めたわたしは、大いに満足したものだった。勝ったわ。うふふ、これが所有欲というもの。女はそれによって動いている。肝心の田邊恭一は、これも今にして思えば何の面白みもない男だった。学内ランキング上位に名を連ねる人種というものはたいていそうなのだが、一言でいえばつまらない。わたしがそれを知ったのは彼氏を何人か取り替え、多少は男を知った大学の後半になってからだった。まあそれはともかく、田邊恭一とはじつにたくさんデートをした。愛のことばをささやきあい、くすくす笑い、顔から火が出るようなこっぱずかしい行いをいくつかした。「俺のこと見てる? ほら……ちゃんと見て」「一生こんな風にしていられたらいいのに」「由佳(わたしの名だ)、可愛いよ」あの青臭い吐息! 百花繚乱の時代というのがある。そこに私もいたということだ。あいにく彼とは最後(分かるわよね)まで行かなかった。どうでもいいといえば、いいが、彼のもの(分かるでしょ?)がどれほどなのか見届けたい気持ちも、少しはあった。残念だ。
もう一人思い出させてほしい。ああ、嫌な顔をしないで。何といっても、最近ではそのくらいしか楽しみがないのだから。その相手は大学時代に私が二股をかけていた相手で、私より一回りも歳が上だった。たしか当時のバイトを通じて知り合った。大人の男をつまみ食いする悪女、それが私、とか思っていたのだろう。甘い、黒蜜のような甘さだった。オトナの彼、中村武は短期バイトの女の子を片っ端から食いものにしている大食いチャンプだった。わたしはまんまとその罠に引っかかってしまったというわけ。もちろんその頃には気づかなかったわ。彼はそこそこの財力(実はたいしたことはない)をちらつかせ、仕事ができる人間であるかのようにふるまい(これもたいしたことはない)、優しい笑顔で親切に仕事を教え(これがくせものなのだ!)、しまいには初々しい雪見大福みたいなバイトの娘をベッドまで案内してしまうという寸法である。おまけに無駄にうまい。思い出しただけでも体温が二度上がる。何といってもあの合法性犯罪者が巧妙なのは、まだぎりぎり現実に対する感覚がぼやけているおめでたい年頃の娘(二十一歳くらいまでね)を狙っているところだ。彼はそれらをまるで幕の内弁当のようにぺろりと平らげてしまう。
死ね! いったい何人の娘に結婚をちらつかせたのだろうか? 結婚詐欺師の定義に、金銭の搾取以外を含めるのであれば、彼は間違いなく該当するだろう。なにが最悪かといって、わたしの初めては記憶を辿るかぎり彼に捧げられてしまったということだ。要するに五百八十円の値段をつけられてコンビニの店頭に並んでしまい、彼に拾われ日常における一食として供されてしまったということになる。ああ、泣きたくなってきた。もちろん彼には本命がいた。それは同じ会社のチーフをしている三つ年上のばばあで、縁なしの眼鏡をしてキャリアを鼻にかけていればあと十五年は安泰とでも言わんばかりの女だった。いや、実際にそう言った。「あなたはまだ世間を知らないと思うから言ってあげるけど、彼はあなたのこと何とも思ってないわ」その通りだった。結婚話をちらつかせた二ヶ月後に、彼は連絡先を一切変えてしまい、実に手際よくわたしとの縁を切った。あの時こんな風に思ったものだ。これが大人? そう、それが大人なのよ。あなたの問いかけはとても正直なもの、今までのあなたは、とてもあざやかな世界を見てきたでしょう。そこには昼の光がひらめいていたわね。でももうあなたはそこから出るときが来たのよ。そろそろ家賃、光熱費や男の経済力、甲斐性、浮気性、親の年齢、そして何と言っても、闇に包まれた将来。そうしたあらゆることを計算して生きなければならないの。あいにく、もう今までのあなたのように、ファンタスティックな夢物語をそのまま延長したような未来を描くことはできないのよ。わたしたちの暮らす世界はそんな風にできていないわ。あなたはいま経験したよりももっと腹の立つことや、やるせないこと、首を絞めてやりたくなるようなこと、死にたくなるようなことをたくさん経験するのよ。だんだん目の粗くなっていく紙やすりで、心を擦られるの。毎日少しずつね。
テレビ番組が嫌いなせいで人と話が合わない。あのやかましいすべてが嫌。私がそうなったのは実家にいた頃、姉や母が毎日のようにテレビを見ていたからだろう。母親の好きな邦画は例外なく辛気くさい。この国の血である自己憐憫が透けてみえる。すべて演歌。ニュース番組も嫌だ。あれはある恣意に基づいた一方的な暴力にしか思えない。人が思惑を排して何かを伝達することは不可能だ。事実は事実であるべきだとしても、私たちは永遠にそれを知ることがない。テレビを見なくなり、空いた時間でこうして日記を書くようになった。人により、日記に書くことは様々だと思うが、一日にあった出来事を羅列すると実に無味乾燥なものになってしまう。出社、退社、ジムに行く(またはクラブに行く)、帰宅、就寝。これがいつまで続くのかしら? たしかに私は馬鹿にされるだけの女よ。自分でも分かってるもの。お酒はせいぜいカクテルまで、いつも結婚のことを考えてしまう、もうすぐ二十九、あまりに多くの男と寝ている、被害妄想の気がある、話が合わない、声が汚い、家庭的でも仕事ができるわけでも気が回るわけでもない。でもそれが何だっていうの? 思っていることを本当に書ける場所なんてどこにもないのよ。どこにもね。それが公衆便所の落書きであっても同じこと。今日は運命に逆らうためにワインを買ってきた。これから飲むことにするわ。
日頃何気なく思っていることというのは、それを記している時間に限って出てこないもの。きっと世の中の作家も、日頃本当に思っていることなんてどこにも書いていないわ。この国では色々人が色々なものにふたをして生きている。見ているのに見ていない。頭の中から消してしまうのね。今日何人自殺したのかしら。孤独な老人が何人いるのかしら。失業者は? 独身者の数は? 私もその一人。たまに自分がお婆さんになってしまったような気分になる。どこへもいけない、時間も身体の自由もない、あと少しの存在になってしまったような気分。たぶんこれはわたしだけじゃない。他の人だってそう、このまま何もかもが終わってしまうような気がしてる。後輩のあの子なんかそうよね、あの子、二十四だったと思うけど、最近人生には限りがあると知って(それを感じる時期が誰にでもあるわ)、行動が変わってきたのがよく分かる。慌てているもの。なぜ分かるのかって、私がそうだったからよ。二十四の頃か。今は昔ね。もう三十も目の前。それは女にとって、ひとつの懲罰みたいなもの。もう身体にいつかのようなしなやかさ、瑞々しさ、花の匂いがないのが分かるもの。男を惹きつけるために細胞がぎゅっとひきしまって、つやつやしている、あの感覚。それが少しずつ密度を落としているっていえばいいの? その延長におばさん、おばあさんの私がいる、それが分かる。まだましなのは、いくつか出会いの場を知ってることかしら。そういうところに一度も行ったことのない人だっているのよね。かわいそうだわ。課長がそう。もう三十六なのに、いまだに小学生の男の子みたいに何一つ知らないのよ。哀れね。でもそれも幸福なのかもしれない。どっちがいいかなんて私には分からない。私の中を通り過ぎていった男たちのことをしょっちゅう考えてしまう。どこかに別の選択肢があったんじゃないかってね。そうかもしれない。少なくとも、ちょっと前に別れたばかりのあの男は私との結婚をまじめに考えていた。口には出さなかったけど。ふとした瞬間に、彼が私との結婚と、その先にどんな未来があるかについて考えているのが分かることがあった。具体的に何を考えているのかは分からない。でも「あ、この人はいま将来のこと、そこから広がる闇と光について考えてる」っていうのは分かるの。そういうのって誰にでも備わってるじゃない? 私は愚かにも待っていた。いつか彼がプロポーズしてくれることを。たぶんそれがいけなかったんだと思う。こっちから押さないといけなかったのよ。もしかしたら別の女がいたのかも。やっぱり待ってるだけじゃこの時代はだめみたい。
もう一人思い出させてほしい。ああ、嫌な顔をしないで。何といっても、最近ではそのくらいしか楽しみがないのだから。その相手は大学時代に私が二股をかけていた相手で、私より一回りも歳が上だった。たしか当時のバイトを通じて知り合った。大人の男をつまみ食いする悪女、それが私、とか思っていたのだろう。甘い、黒蜜のような甘さだった。オトナの彼、中村武は短期バイトの女の子を片っ端から食いものにしている大食いチャンプだった。わたしはまんまとその罠に引っかかってしまったというわけ。もちろんその頃には気づかなかったわ。彼はそこそこの財力(実はたいしたことはない)をちらつかせ、仕事ができる人間であるかのようにふるまい(これもたいしたことはない)、優しい笑顔で親切に仕事を教え(これがくせものなのだ!)、しまいには初々しい雪見大福みたいなバイトの娘をベッドまで案内してしまうという寸法である。おまけに無駄にうまい。思い出しただけでも体温が二度上がる。何といってもあの合法性犯罪者が巧妙なのは、まだぎりぎり現実に対する感覚がぼやけているおめでたい年頃の娘(二十一歳くらいまでね)を狙っているところだ。彼はそれらをまるで幕の内弁当のようにぺろりと平らげてしまう。
死ね! いったい何人の娘に結婚をちらつかせたのだろうか? 結婚詐欺師の定義に、金銭の搾取以外を含めるのであれば、彼は間違いなく該当するだろう。なにが最悪かといって、わたしの初めては記憶を辿るかぎり彼に捧げられてしまったということだ。要するに五百八十円の値段をつけられてコンビニの店頭に並んでしまい、彼に拾われ日常における一食として供されてしまったということになる。ああ、泣きたくなってきた。もちろん彼には本命がいた。それは同じ会社のチーフをしている三つ年上のばばあで、縁なしの眼鏡をしてキャリアを鼻にかけていればあと十五年は安泰とでも言わんばかりの女だった。いや、実際にそう言った。「あなたはまだ世間を知らないと思うから言ってあげるけど、彼はあなたのこと何とも思ってないわ」その通りだった。結婚話をちらつかせた二ヶ月後に、彼は連絡先を一切変えてしまい、実に手際よくわたしとの縁を切った。あの時こんな風に思ったものだ。これが大人? そう、それが大人なのよ。あなたの問いかけはとても正直なもの、今までのあなたは、とてもあざやかな世界を見てきたでしょう。そこには昼の光がひらめいていたわね。でももうあなたはそこから出るときが来たのよ。そろそろ家賃、光熱費や男の経済力、甲斐性、浮気性、親の年齢、そして何と言っても、闇に包まれた将来。そうしたあらゆることを計算して生きなければならないの。あいにく、もう今までのあなたのように、ファンタスティックな夢物語をそのまま延長したような未来を描くことはできないのよ。わたしたちの暮らす世界はそんな風にできていないわ。あなたはいま経験したよりももっと腹の立つことや、やるせないこと、首を絞めてやりたくなるようなこと、死にたくなるようなことをたくさん経験するのよ。だんだん目の粗くなっていく紙やすりで、心を擦られるの。毎日少しずつね。
テレビ番組が嫌いなせいで人と話が合わない。あのやかましいすべてが嫌。私がそうなったのは実家にいた頃、姉や母が毎日のようにテレビを見ていたからだろう。母親の好きな邦画は例外なく辛気くさい。この国の血である自己憐憫が透けてみえる。すべて演歌。ニュース番組も嫌だ。あれはある恣意に基づいた一方的な暴力にしか思えない。人が思惑を排して何かを伝達することは不可能だ。事実は事実であるべきだとしても、私たちは永遠にそれを知ることがない。テレビを見なくなり、空いた時間でこうして日記を書くようになった。人により、日記に書くことは様々だと思うが、一日にあった出来事を羅列すると実に無味乾燥なものになってしまう。出社、退社、ジムに行く(またはクラブに行く)、帰宅、就寝。これがいつまで続くのかしら? たしかに私は馬鹿にされるだけの女よ。自分でも分かってるもの。お酒はせいぜいカクテルまで、いつも結婚のことを考えてしまう、もうすぐ二十九、あまりに多くの男と寝ている、被害妄想の気がある、話が合わない、声が汚い、家庭的でも仕事ができるわけでも気が回るわけでもない。でもそれが何だっていうの? 思っていることを本当に書ける場所なんてどこにもないのよ。どこにもね。それが公衆便所の落書きであっても同じこと。今日は運命に逆らうためにワインを買ってきた。これから飲むことにするわ。
日頃何気なく思っていることというのは、それを記している時間に限って出てこないもの。きっと世の中の作家も、日頃本当に思っていることなんてどこにも書いていないわ。この国では色々人が色々なものにふたをして生きている。見ているのに見ていない。頭の中から消してしまうのね。今日何人自殺したのかしら。孤独な老人が何人いるのかしら。失業者は? 独身者の数は? 私もその一人。たまに自分がお婆さんになってしまったような気分になる。どこへもいけない、時間も身体の自由もない、あと少しの存在になってしまったような気分。たぶんこれはわたしだけじゃない。他の人だってそう、このまま何もかもが終わってしまうような気がしてる。後輩のあの子なんかそうよね、あの子、二十四だったと思うけど、最近人生には限りがあると知って(それを感じる時期が誰にでもあるわ)、行動が変わってきたのがよく分かる。慌てているもの。なぜ分かるのかって、私がそうだったからよ。二十四の頃か。今は昔ね。もう三十も目の前。それは女にとって、ひとつの懲罰みたいなもの。もう身体にいつかのようなしなやかさ、瑞々しさ、花の匂いがないのが分かるもの。男を惹きつけるために細胞がぎゅっとひきしまって、つやつやしている、あの感覚。それが少しずつ密度を落としているっていえばいいの? その延長におばさん、おばあさんの私がいる、それが分かる。まだましなのは、いくつか出会いの場を知ってることかしら。そういうところに一度も行ったことのない人だっているのよね。かわいそうだわ。課長がそう。もう三十六なのに、いまだに小学生の男の子みたいに何一つ知らないのよ。哀れね。でもそれも幸福なのかもしれない。どっちがいいかなんて私には分からない。私の中を通り過ぎていった男たちのことをしょっちゅう考えてしまう。どこかに別の選択肢があったんじゃないかってね。そうかもしれない。少なくとも、ちょっと前に別れたばかりのあの男は私との結婚をまじめに考えていた。口には出さなかったけど。ふとした瞬間に、彼が私との結婚と、その先にどんな未来があるかについて考えているのが分かることがあった。具体的に何を考えているのかは分からない。でも「あ、この人はいま将来のこと、そこから広がる闇と光について考えてる」っていうのは分かるの。そういうのって誰にでも備わってるじゃない? 私は愚かにも待っていた。いつか彼がプロポーズしてくれることを。たぶんそれがいけなかったんだと思う。こっちから押さないといけなかったのよ。もしかしたら別の女がいたのかも。やっぱり待ってるだけじゃこの時代はだめみたい。
週末、実家に帰った。二階建ての立派な一軒家は、これから先、希少価値のある建物になってしまうのかもしれない。母は近頃いらいらしていた。わたしもいずれこうなってしまうのだと思うと幻滅するが、しかたない。「おかえり」それでも彼女は嬉しそうだった。母娘というのは反発する宿命にある。家を出て四年になるが、こうして帰ってくるようになっのはここ一年のことだ。わたしは適当に買ってきた野菜や惣菜を冷蔵庫に入れた。「別にいいのに、そんなの」と母は言った。「うそよ。あんまり頻繁に出かけてないんでしょう」私は言った。彼女はたびたび身体の不調を訴える。父はこうしたことにはよそよそしい。そのくせ「ちゃんとした相手と結婚しろよ」と、口数は少ないくせに言うべきことだけきっちり言ってくる。ここへ帰ってくると、どうしても口喧嘩ばかりしていた日々を思い出してしまう。だから一日しかいられない。でも一日は帰ってくる。
「仕事はどうなの?」「まあまあ」「あんたを貰ってくれる人がいればいいけど」「またそれ? たまには別の話をしたらどうなの」「だって、ねえ。あ、そうそう、千夏ちゃん(三歳になる従姉妹の娘だ)が歩けるようになったのよ。この前写真を撮ってきたわ。あとで見せてあげる」悪気がないのは分かっている。わたしよりもっと多くの、想像もつかないほど多くのものに悩まされているのも分かっている。しかし言葉のひとつひとつに悪意が込められているのではとつい思ってしまうのだ。果たしてそう思わずにすむ日が来るだろうか? 「そうね。見せて。お盆以来会ってないし」
仏壇に線香をあげた。和室はいつも静かだ。小さい頃はここで毎日のように走り回っていた。擦り切れていた畳は、もう新しくなっている。二人しかいないとこの家はさぞ広く寂しいことだろう。居間に台所、和室に寝室、客間がいくつか。トイレは一階と二階にひとつずつ。前は五人暮らしだった。明るく、自由で、のびのびと。そんな言葉がよく似合う時間がこの家にもあった。
自分の部屋に入ると、木製のベッドに仰向けになった。薄いピンクの掛け布団。お姫様の部屋。ここにいると学生時代に返った気分になる。ハートマーク。ひらがな。丸文字。プリクラなんかもう何年撮ってないだろう。そうとは知らず、おとぎ話の中にいた。仰向けになったまま、しばらく目をつむった。またいくつかのことを思い出した。窓の外に、夜がゆっくりと近づいてくる。ふと思いたち、私は電話をかけた。
加奈子の家は、実家から歩いて十五分のところにある。マンションの七階。周囲には、私がこの地を離れてから建てられたアパートやマンションがいくつもあった。小さい頃、このあたりは空き地ばかりで、近所の男の子たちがよく遊んでいた。いまは小さな公園しかない。エントランスでは、もう七時だというのに、三人の男の子が集まって、みんな携帯ゲーム機の画面に没頭していた。
「久しぶり、元気だった?」加奈子はまだスーツ姿だった。控え目なポニーテールに髪を束ねている。「まあまあかな」彼女の母親に挨拶をして、部屋に上がらせてもらった。加奈子の部屋がどんな風に変わっていったかを私はよく知っている。鉛筆削りやファンシーなキャラクターのノートに囲まれていた頃、ファッション雑誌が並び、アーティストのポスターが貼られていた頃、いつか並んでいた受験のための参考書は、今は資格取得のための本に変わっている。家具も色味が抑えられ、彼女が大人になったことを示していた。加奈子はキッチンに向かい、コーヒーとお菓子を取ってきてくれた。「ごめんね。今帰ったばかりだったの」かまわないとわたしは言った。彼女とは高校生まで学校が同じだった。大学に行ってからもたびたび会っていた。何度か離れても、会うたびに、変わらない安心とともに話すことができる。そういう相手は彼女以外にいないかもしれない。「最近どう?」わたしは尋ねた。「うん、何とか落ち着いたよ」彼女は以前、情緒が不安定になってしまい、会社を休んでいた時期がある。わたしは休暇を取り、三日間ずっと彼女と一緒にいた。その間、学生の頃の思い出話をたくさんした。あの頃の友達と出かけた京都旅行は、その中でもとびきりのエピソードだった。加奈子はコーヒーにクリームと砂糖を溶かした。「みんな大変だよね。こんなご時勢だしさ」彼女はたったひとつ残してあるくまのプーさんのぬいぐるみを抱きしめた。高校の頃も同じようにしていたのを思い出す。こうしていると、時間なんて流れていないような気分になる。わたしはまだ高校生で、加奈子は好きだった先輩に告白できずに終わってしまったことにため息をついているのだ。でもそうではなかった。加奈子もわたしも、話さずにいることが少しずつ増えていっている。ちょっとした沈黙の雰囲気で、背後にそういうものがあると分かる。「この前ね、お母さんがお見合い写真を渡してきてさ。ちょっと気の回し方が違うと思うんだけどなあ」と加奈子は言った。話し方だけは変わらない。「かっこよかった? 写真の人」「うーん、見た目はあまり。ほんというと、今日その人に会ってきたんだ」「うそ、どうだった?」「いい人だったよ。真面目な人。でもね、お見合いとなると、やっぱりいつか結婚を考えなくちゃいけないし、その人と家庭を築けるかって考えるとね」それは最後の一線だ。だれと付き合おうと、いつかはそのラインまで来てしまう。そこから先へ進めばもう戻ることはできないが、いつまでも待っているわけにはいかない。ちょっとした躊躇が世の中では命取りになりうることをわたしたちは知っている。「この人だ、って思う人に会ったこと、ある?」わたしは聞いた。「ないなあ。そんなにたくさん人と会う機会がないからかもしれないけど、今のところないよ」わたしもない。母親はそういうものがあったらしい、その相手があの寡黙な父親かと思うものの、本能とも言うべき直感に動かされるのはうらやましかった。どれだけ雑誌の記事を読もうとも、最後に頼るのは自分の勘だ。現代は、多くのものごとに案内が出ている。しかし結局のところ、それらはほとんど役に立たない。「高校生の頃はさ、二十五までに結婚して、三十までに子どもが二人ほしい、なんて話したりしたよね」「そうだったっけ。忘れてる」正常な頭で将来を描くとそうなるのだ。いつかはわたしもそうだった。加奈子はぬいぐるみの耳を指先で曲げ、戻した。あの頃から変わらない仕草だ。「そろそろ女の子じゃなくなっちゃうよね。昔だったら行き遅れになってるかも」
自宅に戻ると、母親が姪の千夏の写真を見せてきた。ようやく使い慣れたデジタルカメラによる写真で、色味がいやに鮮明だった。イエロー、レッド。「ほら、少し前まであんなにぷくぷくしてたのに、もう立てるようになったのよ」千夏は子ども写真館の店頭にでも飾れそうな満面の笑みを浮かべ、手の平をこちらに突き出していた。この子はこれから先、何十年もかけてさまざまな時間の中を通り抜けるのだ。今はまだそれを知らずにいる。そう思うと何だか不思議だった。「美人になりそうね、この子」「そうよねえ。まだ幼いけど目鼻立ちがはっきりしてるし、女優になれるかも」まるで孫のように可愛がるのは、わたしたち女性があらかじめ持っている本能のはたらきなのだろう。「うちもそろそろ初孫の顔が見られると思ってたのに、どうしてみんなご縁がないのかしら」母の生活圏と現代の若者の生活圏は一致しない。わたしたちとは感覚に差があることを、近頃よく思う。「私だって結婚はしたいわよ。でも今は、自分の足元すらおぼつかない人とか、他のほうを向いてる人ばかりなのよ」それは事実だった。しばらくして父親が帰ってきた。わたしを見て眉を上げる。それが嬉しい時の父の反応だった。「おかえり」「おかえり」
東京に帰ってくると、たちまちのうち、元の自分に戻るのが分かる。DJのいる地下のクラブに出かけていって踊る。赤、青、緑の光が舞う。モスコミュールを飲み、ぼんやりした頭で人々を眺める。時間が漂っている。今は何時かしら?……十時半。みな楽しく話をして、くすくす笑っている。多くのことを隠しながら、今日も地面の下で踊っている。これが私たちの時代なのだ。悲鳴をあげている人を見ずに。気がつくと誰かがいなくなっている。見えない、聞こえない、感じない。少し酔ってきた。以前、アダルトビデオの撮影に出たことがある。くすぐるような言葉で誘われ、喫茶店で話し、ホテルになだれこむ。彼らは回遊する何匹もの魚から、数匹をすくいあげる。窓の外で、夜の光が遠くまで瞬いていたのを憶えている。つめたい窓に触れ、ため息をふきかけた。こんなことが何度も繰り返されてきたのだと思った。不精髭の生えただらしない男と交わり、何度も達し、ばかばかしい嬌声をあげ。あの時いくらもらったのだっけ。あぶく銭と引き換えに、私のばかばかしい痴態を収めた映像が電子の海を永久に回遊し続ける。もらった金で鞄を買った覚えがある。しかしいつの間にかどこかへ消えていた。売ったのかもしれない。貯金はしていない。代わりに睡眠薬を貯めている。もうすぐ旅行にいけるだろう。ハバナイストリップ。先日、近所で殺人事件があった。この時代ではどんなことにも驚きはない。喜びもなく、悲しみもない。すべてがただ通過していく。いつの間にか平然と嘘を言うようになっていた。わたしも大人の一人になったということ。みんなが嘘をつくことでこの世の中は回っていく。形式だけの仕事、サービスという名の暴力、ものをつくることに逃げ込む人々。安心はインターネットの中に。傷つかない交友、安全圏からの批判、無自覚な書きこみ。それはブラックホールだ。若い力を吸いとり、やがて町を老化させる。無関心がだれかの命を奪う。私たちはそうして、いつでも間接的に人を殺している。赤、黄色、紫の光が踊る。生きものはどこかへ力を放たずにはいられない。誰かに危害を加えずにはいられない。プラスとマイナス。二杯目のお酒はアプリコット。橙、緑、青の光。みな踊っている。地面の下で。カウンターに座って、バッグから小説を取り出した。ポール・オースター。ブラック、ホワイト、ブラウン。そんな色はここにはない。あってはならない。書きたいだけ書いて終わる小説の意義とは? 完成度だけ高い小説の意義とは? なくなってもかまわないものがあふれている。地上では人々が踊らされている。うん……お酒がまわってきた。エッチな気分? ばかね。今日は誰かに抱かれるまで帰りたくない。どうせ要求に応えることのできない女だけど。愛想もふりまけないし。熱。仏壇に上げてきた線香の光を思い出す。ねえ、誰か教えて。どうして弟は死んだのかしら? ああ、だめだ、ノスタルジックになっちゃう。顔を伏せた。二十八。もう衰えはじめている。光が消えていく。そこにも、ここにも、嘘があふれている。もうじきこの国は沈むのではないかしら。溺死は苦しそうだ。早く〝貯金〟をすませなければ。知らない男が誘ってきた。まだ何とかそのくらいの魅力はあるらしい。席を立ち、ふらつく足で踊る。すぐにおぼつかなくなり、もたれる。いい匂いだ。スーツを着ている。青いシャツ、紺のネクタイ。いまどきネクタイピンなんてしている。顔も悪くない。彼の胸に顔を埋めた。くすぐるような声を出すことができないから、代わりにこうする。ラップのような曲がかかっている。けだるい、心地いい時間が流れる。ずっと同じことを繰り返している。私たちにはそうすることしかできない。何が起きても冷たく、ふらふらとさまようこと以外に。こちらからキスをする。これは通行料みたいなもの。価値があるうちに与えなければ。そう思いながらここまで来た。それなのに何もない。リズムに身をゆだねることが愉しい。もう少し呑んでおくべきだったかもしれない。好きにして、お願いだから。ピンク、オレンジ、グリーンの光。それらは夜の中でだけ光ることができる。
もう少し若い頃、あれは真夏の夜。モノレールの改札があるデッキで踊っていた男の子たちを見ていた。何ものからも開放された時間がそこには流れていた。彼らは練習していたのだと思うが、同時に楽しんでいた。身軽に身体を動かし、両腕で地面を押し出し、ひょいと回る。しばらくそれを眺めていた。その時も、今と同じような曲がかかっていた。べつに特定のアーティストじゃなくていい。こだわりを持つ必要もない。価値観も必要ない。いまここにいる時間を楽しむための音楽。踊れる音楽。それさえあれば。夏の夜。街の光が誰もいない道路を等間隔に照らす。銀と橙。無限に蒸し暑い夜が続いていく気がした。明るい夜が。その時、わたしは自分のいる場所を知ったのかもしれない。
ぼんやり。急速に毒がまわるより、そのほうがずっといい。綺麗だ、と誰かが言う。綺麗ね、と私も思う。夜にだけ自由がある。夜にだけ光がある。デジタル録音されたループ音がくるくる回る。もう一度キスをする。今度は長く。この時間がもっともすばらしい。あとは湖の底へ下っていくだけだ。遊ぶような鍵盤の音がエナメルのヒールを動かす。夢を見る時期も、夢から覚める時期も、空っぽになる時期も、何かを憎む時期も、すべて終わった。諦める段階に足を踏み入れかけている。ブルー、パープル、オレンジ。
その晩は顔のない男と寝て、明け方に家へ戻った。日の出が近づくと、もう光が踊ることはない。太陽にすべて消されてしまうから。昼の光に夜に踊る光は見ることができない。いつか足が止まるまで、そうして時間の中を漂っている、さまざまな色の光たちが。
〈了〉
「仕事はどうなの?」「まあまあ」「あんたを貰ってくれる人がいればいいけど」「またそれ? たまには別の話をしたらどうなの」「だって、ねえ。あ、そうそう、千夏ちゃん(三歳になる従姉妹の娘だ)が歩けるようになったのよ。この前写真を撮ってきたわ。あとで見せてあげる」悪気がないのは分かっている。わたしよりもっと多くの、想像もつかないほど多くのものに悩まされているのも分かっている。しかし言葉のひとつひとつに悪意が込められているのではとつい思ってしまうのだ。果たしてそう思わずにすむ日が来るだろうか? 「そうね。見せて。お盆以来会ってないし」
仏壇に線香をあげた。和室はいつも静かだ。小さい頃はここで毎日のように走り回っていた。擦り切れていた畳は、もう新しくなっている。二人しかいないとこの家はさぞ広く寂しいことだろう。居間に台所、和室に寝室、客間がいくつか。トイレは一階と二階にひとつずつ。前は五人暮らしだった。明るく、自由で、のびのびと。そんな言葉がよく似合う時間がこの家にもあった。
自分の部屋に入ると、木製のベッドに仰向けになった。薄いピンクの掛け布団。お姫様の部屋。ここにいると学生時代に返った気分になる。ハートマーク。ひらがな。丸文字。プリクラなんかもう何年撮ってないだろう。そうとは知らず、おとぎ話の中にいた。仰向けになったまま、しばらく目をつむった。またいくつかのことを思い出した。窓の外に、夜がゆっくりと近づいてくる。ふと思いたち、私は電話をかけた。
加奈子の家は、実家から歩いて十五分のところにある。マンションの七階。周囲には、私がこの地を離れてから建てられたアパートやマンションがいくつもあった。小さい頃、このあたりは空き地ばかりで、近所の男の子たちがよく遊んでいた。いまは小さな公園しかない。エントランスでは、もう七時だというのに、三人の男の子が集まって、みんな携帯ゲーム機の画面に没頭していた。
「久しぶり、元気だった?」加奈子はまだスーツ姿だった。控え目なポニーテールに髪を束ねている。「まあまあかな」彼女の母親に挨拶をして、部屋に上がらせてもらった。加奈子の部屋がどんな風に変わっていったかを私はよく知っている。鉛筆削りやファンシーなキャラクターのノートに囲まれていた頃、ファッション雑誌が並び、アーティストのポスターが貼られていた頃、いつか並んでいた受験のための参考書は、今は資格取得のための本に変わっている。家具も色味が抑えられ、彼女が大人になったことを示していた。加奈子はキッチンに向かい、コーヒーとお菓子を取ってきてくれた。「ごめんね。今帰ったばかりだったの」かまわないとわたしは言った。彼女とは高校生まで学校が同じだった。大学に行ってからもたびたび会っていた。何度か離れても、会うたびに、変わらない安心とともに話すことができる。そういう相手は彼女以外にいないかもしれない。「最近どう?」わたしは尋ねた。「うん、何とか落ち着いたよ」彼女は以前、情緒が不安定になってしまい、会社を休んでいた時期がある。わたしは休暇を取り、三日間ずっと彼女と一緒にいた。その間、学生の頃の思い出話をたくさんした。あの頃の友達と出かけた京都旅行は、その中でもとびきりのエピソードだった。加奈子はコーヒーにクリームと砂糖を溶かした。「みんな大変だよね。こんなご時勢だしさ」彼女はたったひとつ残してあるくまのプーさんのぬいぐるみを抱きしめた。高校の頃も同じようにしていたのを思い出す。こうしていると、時間なんて流れていないような気分になる。わたしはまだ高校生で、加奈子は好きだった先輩に告白できずに終わってしまったことにため息をついているのだ。でもそうではなかった。加奈子もわたしも、話さずにいることが少しずつ増えていっている。ちょっとした沈黙の雰囲気で、背後にそういうものがあると分かる。「この前ね、お母さんがお見合い写真を渡してきてさ。ちょっと気の回し方が違うと思うんだけどなあ」と加奈子は言った。話し方だけは変わらない。「かっこよかった? 写真の人」「うーん、見た目はあまり。ほんというと、今日その人に会ってきたんだ」「うそ、どうだった?」「いい人だったよ。真面目な人。でもね、お見合いとなると、やっぱりいつか結婚を考えなくちゃいけないし、その人と家庭を築けるかって考えるとね」それは最後の一線だ。だれと付き合おうと、いつかはそのラインまで来てしまう。そこから先へ進めばもう戻ることはできないが、いつまでも待っているわけにはいかない。ちょっとした躊躇が世の中では命取りになりうることをわたしたちは知っている。「この人だ、って思う人に会ったこと、ある?」わたしは聞いた。「ないなあ。そんなにたくさん人と会う機会がないからかもしれないけど、今のところないよ」わたしもない。母親はそういうものがあったらしい、その相手があの寡黙な父親かと思うものの、本能とも言うべき直感に動かされるのはうらやましかった。どれだけ雑誌の記事を読もうとも、最後に頼るのは自分の勘だ。現代は、多くのものごとに案内が出ている。しかし結局のところ、それらはほとんど役に立たない。「高校生の頃はさ、二十五までに結婚して、三十までに子どもが二人ほしい、なんて話したりしたよね」「そうだったっけ。忘れてる」正常な頭で将来を描くとそうなるのだ。いつかはわたしもそうだった。加奈子はぬいぐるみの耳を指先で曲げ、戻した。あの頃から変わらない仕草だ。「そろそろ女の子じゃなくなっちゃうよね。昔だったら行き遅れになってるかも」
自宅に戻ると、母親が姪の千夏の写真を見せてきた。ようやく使い慣れたデジタルカメラによる写真で、色味がいやに鮮明だった。イエロー、レッド。「ほら、少し前まであんなにぷくぷくしてたのに、もう立てるようになったのよ」千夏は子ども写真館の店頭にでも飾れそうな満面の笑みを浮かべ、手の平をこちらに突き出していた。この子はこれから先、何十年もかけてさまざまな時間の中を通り抜けるのだ。今はまだそれを知らずにいる。そう思うと何だか不思議だった。「美人になりそうね、この子」「そうよねえ。まだ幼いけど目鼻立ちがはっきりしてるし、女優になれるかも」まるで孫のように可愛がるのは、わたしたち女性があらかじめ持っている本能のはたらきなのだろう。「うちもそろそろ初孫の顔が見られると思ってたのに、どうしてみんなご縁がないのかしら」母の生活圏と現代の若者の生活圏は一致しない。わたしたちとは感覚に差があることを、近頃よく思う。「私だって結婚はしたいわよ。でも今は、自分の足元すらおぼつかない人とか、他のほうを向いてる人ばかりなのよ」それは事実だった。しばらくして父親が帰ってきた。わたしを見て眉を上げる。それが嬉しい時の父の反応だった。「おかえり」「おかえり」
東京に帰ってくると、たちまちのうち、元の自分に戻るのが分かる。DJのいる地下のクラブに出かけていって踊る。赤、青、緑の光が舞う。モスコミュールを飲み、ぼんやりした頭で人々を眺める。時間が漂っている。今は何時かしら?……十時半。みな楽しく話をして、くすくす笑っている。多くのことを隠しながら、今日も地面の下で踊っている。これが私たちの時代なのだ。悲鳴をあげている人を見ずに。気がつくと誰かがいなくなっている。見えない、聞こえない、感じない。少し酔ってきた。以前、アダルトビデオの撮影に出たことがある。くすぐるような言葉で誘われ、喫茶店で話し、ホテルになだれこむ。彼らは回遊する何匹もの魚から、数匹をすくいあげる。窓の外で、夜の光が遠くまで瞬いていたのを憶えている。つめたい窓に触れ、ため息をふきかけた。こんなことが何度も繰り返されてきたのだと思った。不精髭の生えただらしない男と交わり、何度も達し、ばかばかしい嬌声をあげ。あの時いくらもらったのだっけ。あぶく銭と引き換えに、私のばかばかしい痴態を収めた映像が電子の海を永久に回遊し続ける。もらった金で鞄を買った覚えがある。しかしいつの間にかどこかへ消えていた。売ったのかもしれない。貯金はしていない。代わりに睡眠薬を貯めている。もうすぐ旅行にいけるだろう。ハバナイストリップ。先日、近所で殺人事件があった。この時代ではどんなことにも驚きはない。喜びもなく、悲しみもない。すべてがただ通過していく。いつの間にか平然と嘘を言うようになっていた。わたしも大人の一人になったということ。みんなが嘘をつくことでこの世の中は回っていく。形式だけの仕事、サービスという名の暴力、ものをつくることに逃げ込む人々。安心はインターネットの中に。傷つかない交友、安全圏からの批判、無自覚な書きこみ。それはブラックホールだ。若い力を吸いとり、やがて町を老化させる。無関心がだれかの命を奪う。私たちはそうして、いつでも間接的に人を殺している。赤、黄色、紫の光が踊る。生きものはどこかへ力を放たずにはいられない。誰かに危害を加えずにはいられない。プラスとマイナス。二杯目のお酒はアプリコット。橙、緑、青の光。みな踊っている。地面の下で。カウンターに座って、バッグから小説を取り出した。ポール・オースター。ブラック、ホワイト、ブラウン。そんな色はここにはない。あってはならない。書きたいだけ書いて終わる小説の意義とは? 完成度だけ高い小説の意義とは? なくなってもかまわないものがあふれている。地上では人々が踊らされている。うん……お酒がまわってきた。エッチな気分? ばかね。今日は誰かに抱かれるまで帰りたくない。どうせ要求に応えることのできない女だけど。愛想もふりまけないし。熱。仏壇に上げてきた線香の光を思い出す。ねえ、誰か教えて。どうして弟は死んだのかしら? ああ、だめだ、ノスタルジックになっちゃう。顔を伏せた。二十八。もう衰えはじめている。光が消えていく。そこにも、ここにも、嘘があふれている。もうじきこの国は沈むのではないかしら。溺死は苦しそうだ。早く〝貯金〟をすませなければ。知らない男が誘ってきた。まだ何とかそのくらいの魅力はあるらしい。席を立ち、ふらつく足で踊る。すぐにおぼつかなくなり、もたれる。いい匂いだ。スーツを着ている。青いシャツ、紺のネクタイ。いまどきネクタイピンなんてしている。顔も悪くない。彼の胸に顔を埋めた。くすぐるような声を出すことができないから、代わりにこうする。ラップのような曲がかかっている。けだるい、心地いい時間が流れる。ずっと同じことを繰り返している。私たちにはそうすることしかできない。何が起きても冷たく、ふらふらとさまようこと以外に。こちらからキスをする。これは通行料みたいなもの。価値があるうちに与えなければ。そう思いながらここまで来た。それなのに何もない。リズムに身をゆだねることが愉しい。もう少し呑んでおくべきだったかもしれない。好きにして、お願いだから。ピンク、オレンジ、グリーンの光。それらは夜の中でだけ光ることができる。
もう少し若い頃、あれは真夏の夜。モノレールの改札があるデッキで踊っていた男の子たちを見ていた。何ものからも開放された時間がそこには流れていた。彼らは練習していたのだと思うが、同時に楽しんでいた。身軽に身体を動かし、両腕で地面を押し出し、ひょいと回る。しばらくそれを眺めていた。その時も、今と同じような曲がかかっていた。べつに特定のアーティストじゃなくていい。こだわりを持つ必要もない。価値観も必要ない。いまここにいる時間を楽しむための音楽。踊れる音楽。それさえあれば。夏の夜。街の光が誰もいない道路を等間隔に照らす。銀と橙。無限に蒸し暑い夜が続いていく気がした。明るい夜が。その時、わたしは自分のいる場所を知ったのかもしれない。
ぼんやり。急速に毒がまわるより、そのほうがずっといい。綺麗だ、と誰かが言う。綺麗ね、と私も思う。夜にだけ自由がある。夜にだけ光がある。デジタル録音されたループ音がくるくる回る。もう一度キスをする。今度は長く。この時間がもっともすばらしい。あとは湖の底へ下っていくだけだ。遊ぶような鍵盤の音がエナメルのヒールを動かす。夢を見る時期も、夢から覚める時期も、空っぽになる時期も、何かを憎む時期も、すべて終わった。諦める段階に足を踏み入れかけている。ブルー、パープル、オレンジ。
その晩は顔のない男と寝て、明け方に家へ戻った。日の出が近づくと、もう光が踊ることはない。太陽にすべて消されてしまうから。昼の光に夜に踊る光は見ることができない。いつか足が止まるまで、そうして時間の中を漂っている、さまざまな色の光たちが。
〈了〉