京都、二〇一一年、八月二十二日
八月二十二日。
残暑が続く夏の日、私は京都の河原町にあるゲストハウスにいた。すでに日は暮れ、窓の外は宵。
携帯電話(四年使用している、白い、おもちゃのキューブのような形状)に着信があった。四階の居間に備えつけのパソコンでインターネットをしていた私は、表示された名前を見て、やはり来たかと思った。のち、通話ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし、ヤマディ? 元気か?」
想像したそのままのトーン。おそらく、受話器の向こうの光景も、私の想像とさして違わないだろう。
「元気ですよ」私は答えた。
「今日はどうした。時間何時だか分かる?」もちろん分かっている。念のため画面を確認すると、時刻は午後七時二十二分。
「七時過ぎですね」
「そう七時すぎだ。どうして来ないんだい?」N氏は私にそう言った。彼はバーテンをしている好青年で、歳は先日大台に乗ったところ。明るい天性を持ち、たくさんの知り合い、友人を持っている。パートはハーモニカ。
「ちょっと事情がありまして」私は答えた。地下室に黄色い明かりが灯るイメージが、私の頭にあった。「今京都にいるんですよ」
「京都? 何、どうしてまた?」N氏は驚いたようだった。私は期待そのものの反応にむしろ驚いていた。私はこう答えた。
「ちょっと言いにくい事情がありまして」
「事情って何だよ、いったいどうした」N氏は間を置かずに私に訊ねた。その表情が浮かぶようだった。
私は返答に窮した。先というものをまったく描かずに歩いた人間は、しばしばそういう状態に陥るものである。
「事情は事情です。ともかく今日は参加できません。たぶん来週も無理だと思います」
N氏は朗らかに笑った。「ちょっと待てヤマディ、大丈夫か? いったいどうした?」
「どうもしません。僕のことは過去の人間として忘れてくださってかまいません」私はほんとうにそんなことを言った。「自分でも何がどうなっているのか分からない感じなので」
「ヤマディ、もしかして夜逃げか何かじゃないだろうな? それか、やばいことでもやって逃げてるのか?」
「いいえ、そういうことじゃあないので」
「まあいいや、A子に替わるなー」N氏はそう言うと、携帯をA子さんに渡した。「やっほーやまでぃ、どうしたの?」彼女もまた、先ほどN氏が私の所在を伝えた際、爆笑していた。同じくらい無垢な女性である。彼女は時々年齢が半分になる。パートはヴァイオリン、彼女はプロである。
「いやあ、まあちょっと色々ありまして」私はあまりにもこの状態が馬鹿馬鹿しかったため、自分でも笑いそうになっていた。
「京都にいるって聞いたけどさ、元気?」
「元気といえば元気なようなそうでもないような」ほんとうのところ、元気ではなかった。ちょっと今までの人生でも類を見ないほど明るい話題がなかった。
「まあいいやー、お土産買ってきてね」私は、いつも楽団の練習場所となっているパブが、今日も光に満たされていることを知った。それでいいのだ。やがて電話の主がまた替わった。今度はD氏になった。彼はこの中では最年長者で、ロックを敬愛している。パートはギター。「もしもし。ヤマディ。さっぱり事情が分からんのやけど、何がどうなってるん」
「それは僕にも分かりません」本当によく分からないのだから仕方ないではないか。
「京都におるんか。何でまた」そう何度も訊かれると、答えるべきかいなか迷ってしまう。
「それには話すと長くなる事情がありまして」記録して思うのだが、これはほとんど政治家の答弁と変わらないではないか?
「抽象的すぎて分からんなあ」その通りである。私はあらゆることをそのようにぼかして生きているのだから。そうしなければやっていけない人種も世の中には存在するのだ。
「まあええわ。またNくんに電話替わるな」通話時間のおよそ半分、電話の向こうでは笑い声がしていた。
N氏に電話が替わった。彼は楽団のリーダーでありムードメーカーである。
「というか本当にどういうことなの?」これだけ訊かれては、さすがに黙っているわけにいかなかった。私は一度息を吐き、こう述べた。
「ええとですね。このごろ体調がとても悪くてですね、その関係でこっちに来ているんですよ」
「ええ?」
「二ヶ月くらいこんな感じなんです。たぶん原発とかそのへんの仕業じゃないかなと僕は思っているんですが」
「ほんとかよヤマディ、俺たちなんともないぞ」
ここでN氏は一度笑い、仲間に経緯を話した。しばらくして、彼は通話に戻ってきた。
「もしもし? それじゃ仕事してた時から調子悪かったのか」
「そうです」私は七月末まで短期の仕事をしていた。「練習のときも調子が悪かったんですよ、実は」
「そうだったのかー。大変だなあ」私は大変ではない。もっと大変な人が地上には何人もいる。
「まあ、ともかくそういうわけで、しばらくこっちにいようと思ってます。ほんというとずっとこっちにいたいんですけどね」関東を出る前の数週間は本当に具合がおかしかった。ここに来てからも完全ではない。具体的な症状を示すと、身体が部分的、一時的に、細かい痙攣を起こす。電気ミミズという生物を思い浮かべてほしい。それが全身に入り込んでいて、時折蠕動するのだ。痛みはないが、身体というアナログの存在に、そのようなデジタル的なバグを侵入させられたよう、と言えばよいだろうか。この歳になって初めて、直接的に危機を感じた。ほかに、胸に違和感が起きることがある。
「でもヤマディ、〝Wonderful Evening〟はどうするんだよ」軽い調子で彼は言った。〝Wonderful Evening〟とは私が作った曲であり、楽団のオリジナル一曲目として以前から練習していたものである。私は以前から用意していた回答を述べた。「僕がいないバージョンを作ってくださいよ」
「何言ってるんだよ。あれはヤマディがいないと成り立たない曲だろう」私の頭の中で、その曲の冒頭が流れた。明るい夜。
「僕はあらゆる意味で無理です」これは本心である。
楽団は今年の頭に始まり、私はギターとボーカルをやっていた。週に一度集まり、各自がやりたい曲を提案し、それを練習する。来るのは強制ではなく、来たい人が来る。これまでのべ十人以上が参加している。しかし私はもう無理だ。あらゆる意味で。
「そうだ、勝手にシンドバットを練習しといてくれよな」N氏は言った。その件なら友人(彼の楽団でのパートは道楽)から聞いていた。練習場所として使わせてもらっているパブ(東京はM市某所)のマスターがもうじき誕生日なので、彼の好きなサザンオールスターズの曲を演奏してお祝いしよう、ということである。このようないたずらが大好きな人々なのだ。
「分かりました」そう言ったが、私はこれに参加できないだろう。こちらに来る数日前に、ギターを売ってしまったのだから。いったいなぜそんなことをしたのだろう?
「まあ分かったよ。来週も電話するからな!」
「マジですか」
「それじゃまたなー」
そうして通話は終わった。京都に来てから交わした数少ない会話だった。
そして一週間が経ち、私はこれを書いている。今夜も電話が来るのだろうか、と思いながら。
<了>