ウルザよりもイカれた2枚のカードの禁止によってトーナメントシーンをこおりつかせていた大寒波が去っても現実世界ではまだまだ吐く息は白く、《なだれ乗り(UL)》のように自転車を乗りまわす筆者たちにはきびしい季節がつづいていた。そんな寒さのなかウルザズ・レガシーが発売され、われわれは自販機で購入したホットココアでエコー・コストを支払いながら大いなる遺産をもとめていつもの書店にむかった(例の店でもパックは販売していたのだがなぜか発売日には書店のほうに行っていた)。
黒プレイヤーや赤プレイヤーから「プロテクばばあ」とおそれられた《ルーンの母(UL》、のちの茶単隆盛を支える《修繕(UL)》《厳かなモノリス(UL)》、現在ヴィンテージでもっともエキサイティングなクリーチャーである《ゴブリンの溶接工(UL)》、あまりに強力すぎて速攻で禁止となった《記憶の壺(UL)》、さまざまなデッキで幅広く使用されたミシュラランドなどウルザズ・レガシーには多くのパワーカードが収録されているのだが、当時の筆者の印象は「緑つよくね?」というものだった。《ウェザーシード・ツリーフォーク(UL)》《樫の力(UL)》《マローの魔術師ムルタニ(UL)》とレアには破壊力のあるカードがそろっており、なにより《怨恨(UL)》というこれまた常軌を逸したカードが存在したためだ(しかもコモン!)。ついにカード化されたムツゴロウさんこと《錯乱した隠遁者(UL)》はすこしあとに「リス対立」というジャクロ先輩垂涎なデッキで大活躍し、いまひとつパッとしない黒にくらべるとじつに優遇されているように思えた。剥いたパックからでてきた《打倒(UL)》をながめる筆者の横で友人たちは《大天使レイディアント(UL)》や《ヴィーアシーノの殺し屋(UL)》などで盛りあがっていた。
だがウルザズ・レガシー最大の魅力はべつのところにあった。プレミアム・カード――いわゆる「フォイル」の登場である。それまでほかのカードゲームにくらべると硬派なイメージのあったMTGにもついにキラカードが出現したのだ。封入されている確率はいまよりだいぶ低かったが、それでも何人かでパックを買ったときにはたいてい1枚はでてきた。色やレアリティに関係なく引いた人はまわりから羨望のまなざしでたたえられ、本人も初詣のおみくじで大吉を引き当てた外国人のようによろこんだ(筆者もよくスイミングスクールの帰りに一本70円の鶏皮をくわえながらまわした1回20円のカードダスでキラカードを引いたときは狂喜乱舞したものである)。とはいえレアのフォイルにはめったにお目にかかれず、たとえ《オパールの報復者(UL)》のようにかぎりなく無価値に近いレアカードであっても光っているだけで価値あるものとされた(そんなわけでモルツのファイルにおさめられた《樫の力(UL)》のフォイルがいったいどういったルートで入手されたものなのか筆者にははなはだ疑問であった)。人気レアのフォイルともなれば大学No.1投手より引く手あまたであり、ときには同等のノーマルレア4、5枚で取り引きされるほどレートが高騰した(同時にコレクター泣かせのカードでもあった)。
こうしてプレミアム・カードはエクソダスのレアリティの可視化とは比較にならないほど多くのプレイヤーたちを熱狂させ、もはや過ぎ去った物語になどだれも興味をしめすことなく《レガシーの魅惑(TE)》にとりつかれていた。だが筆者自身はフォイルにそこまで心惹かれることはなかった。プレイそのものには影響しないというのもあったが、なによりも時間の経過とともにぐんにゃりと反りかえってくるフォイル特有の性質がすさまじくイヤだったのだ。5版のときの黒カビもやっかいであったが、これはスリーブにいれようとも防ぐことができないのでどうしようもなかった(ガラス製のトップローダーにでもいれておけば対処できるのだろうが、パワーナインでもあるまいしそこまでする気にはなれなかった)。それでもコモンやアンコモンが光っていると得した気分にはなった。引いたばかりのまだ平面を保っているフォイルは《サファイアの大メダル(TE)》のようにうつくしかったからだ。
おだやかな風が吹きはじめた4月にはモナコ・ヒストリックGPにならぶ2年に1度の一大イベントである基本セットの新装がおこなわれ、「クラシック」こと第6版がお披露目となった。インタラプトの廃止(青使い消沈)、ライフが0になった時点で敗北(「プロスブルーム」終了)、再生の盾化(《ガイアの揺籃の地(US)》の価格up)、「召喚酔い」「埋葬」といった用語の廃止など大幅にルールが変更され、ランページやバンドなどのエキセントリックな能力もなくなった。だがいちばんの変更点は「スタック」の導入であろう。これによってモロッコの旧市街のようにごちゃごちゃしていたルール体系がすっきりし、新規参入者にも理解しやすくなった。スタックはMTGでもっとも重要なルールであり、これさえ理解してしまえばいっぱしのプレインズウォーカーといえるだろう(もちろんこまかいルールもちゃんとおぼえよう)。
肝心のカードのほうもそれなりになじみのあるミラージュ・ブロックからの再録が散見され、とくに《リバー・ボア(6th)》《ウークタビー・オランウータン(6th)》の復活はもう1度「5CB」が組めるのではないかと一瞬でも期待してしまうほど筆者にとって衝撃的だった。同時に《火葬(5th)》が落ちたため赤使いの友人は苦虫を噛みつぶしたような顔で銀色にかがやく大蛇をにらんでいた。「まあ《ボガーダンの鎚(6th)》が復活したんだし元気だしなよ」と彼をはげます筆者だったが、すぐに人事ではなくなる。「さてと黒は……」スポイラーの黒い部分をチェックしていた筆者はあることに気づく。そこには《恐怖(6th)》《スケイズ・ゾンビ(6th)》《夢魔(6th)》とおなじみの顔ぶれがならんでいたのだが、なにかがおかしい。「あ、あれ……?」筆者はなんどもなんどもリストを見なおした。しかし《Sinkhole(UN)》があくほどスポイラーをみつめても《黒騎士(5th)》と《ストロームガルドの騎士(5th)》の名はどこにもなかった。《堕ちたるアスカーリ(VI)》につづき長いあいだ筆者に仕えてくれたふたりの忠実な騎士もスタンダードから消え去ってしまったのだ。ともに《ヴェクの聖騎士(EX)》とたたかい、ともに《火葬(5th)》で焼かれ、ともにいくつもの《非業の死(TE)》をみてきた戦友との突然のわかれはたださびしいかぎりであった。また筆者にとって思いいれのある《アーグの盗賊団(5th)》もひっそりとエルグから去った。
そんな理不尽なる変革を受けいれるまもなく6月にはウルザズ・デスティニーが発売され、筆者の思いとは裏腹に環境はいよいよ成熟していく。《アカデミーの学長(UD)》の登場によってコンボデッキがより安定性を増し、《泥棒カササギ(UD)》《対立(UD)》《不実(UD)》《火薬樽(UD)》などによって青系のデッキはさらなるコントロール力を手にいれ、《スランの発電機(UD)》《金属細工師(UD)》は茶単をさらに高速化させた。黒も《ファイレクシアの抹殺者(UD)》こそ得はしたもののウルザ・ブロック全体からすればささやかな贈りものにすぎず、《ガイアの揺籃の地(US)》《怨恨(UD)》を得た「ストンピィ」には安定性とはやさで勝てず、《変異種(US)》《ファイレクシアの巨像(US)》《欲深きドラゴン(UD)》という茶単の圧倒的なパワーには歯が立たず、「まわるディスク」こと《火薬樽(UD)》ひとつで壊滅状態におちいってしまう「黒ウィニー」はもはや時代遅れであった。きわめつけは《マスティコア(UD)》の登場である。「ストンピィ」の《ガイアの揺籃の地(US)》や茶単のマナ・アーティファクトから生みだされる膨大なマナによってブーストされた《マスティコア(UD)》は速攻に特化したゾンビやシャドーを文字どおり〝一瞬〟で薙ぎはらい、あとには《沼(6th)》と《打倒(UL)》しかのこらなかった。さらにかつて大嵐のジャングルをともに駆けぬけた赤単までもが「スライ」から「ポンザ」へとコントロールよりにシフトして裏切る始末であり、のこった《沼(6th)》すら破壊しつくされてしまった。
《肉占い(TE)》からのダメージを《打倒(UD)》で相殺しながら《まやかしの預言者(UD)》の前で立ち尽くす筆者につぎなる転機をあたえてくれたのはやはりあの男だった。「ヘイボーイ、いつまでそんなアンティーク品を使っているんだ? 時代はコントロールだぜ」とヤコブ・スレマーは笑って言いながら「黒コントロール」でみごとに世界選手権ベスト8に入賞してみせた。「そうか、黒でコントロールするという手もあるのか」それまでコントロールといえば青やサポートにまわった白の役割だと認識していた筆者にとってそれはまさに〝ヤコブのはしご〟であり、天使たちに気づかれぬよう《ダウスィーの抱擁(TE)》でシャドー化しながら筆者は一段階上の場所をめざしてハシゴをゆっくりとのぼっていった。
こうなると英語屋で4枚購入した《ファイレクシアの抹殺者(UD)》が路頭に迷うことになってしまうのだが(ウルザズ・デスティニー発売当初は1枚300円くらいで買うことができた)、ライフを水のように支払ったりパーマネントをサクるのが3度のメシより好きな黒使いに当初から人気の高かった〝エヴァ〟はトレードで有効に働いてくれ、《ファイレクシアの疫病王(UL)》《火薬樽(UD)》などをあつめるのに役立ってくれた(《火薬樽(UD)》も最初は数百円程度といまからすれば信じられないほど安く、これと《マスティコア(UD)》は最終的にヤフー株のごとく価格が高騰した)。しかしヤコブ・スレマーがメイン・サイドあわせて3枚の《ファイレクシアの抹殺者(UD)》を積んでいることをあとから知った筆者はあわてて2枚ほどあつめなおした。
はじめこそ《ファイレクシアの疫病王(UL)》の重さや《貪欲なるネズミ(UD)》の地味さにとまどっていたが、なれてくると非常に使いでのあるおもしろいデッキで、これまで「場をコントロールされる前にたおす」立場だった筆者にとって「場をコントロールする」ことを目的にプレイするのは新鮮だった。とくにこのデッキのキーカードともいえる《死体のダンス(TE)》は予想以上のポテンシャルを発揮してくれ、戦場でおどる《ファイレクシアの疫病王(UL)》や《ボトルのノーム(TE)》の演技はイリーナ・スルツカヤのビールマンスピンのように完璧であり、クリーチャーを中心とする「ストンピィ」やライフをホールピペットで計る赤単にとってロードやノームのダンスはまさに〝死の舞踏〟となった。さらに《貪欲なるネズミ(UD)》をうまくおどらせれば毎ターン手札を破壊することもでき、《死体のダンス(TE)》さえバイバックでまわりだせば強大なアドバンテージを得ることができた(たとえコンビネーションジャンプで転倒しても《ヴォルラスの要塞(ST)》《ヨーグモスの意志(US)》がその失敗をとりかえしてくれ、《悪魔の布告(TE)》《強迫(US)》《火薬樽(UD)》がつねに安定したエキシビションマッチを演出してくれるだろう)。このときの「黒コントロール」は黒単でありながらほとんどなんでもできるユーティリティープレイヤーであり、あいかわらず赤には分がわるいこととエンチャントには手がだせない点をのぞけばこれといった弱点のない優秀なデッキであった。
またしても「Cerna vitezi(黒は勝つ)」ことをスレマー師資に教えられた筆者は勝率をさらにあげるためにデッキを調整しつつ、某日に○のつけられたチェキッ娘のカレンダーをながめていた――例の大学主催の大会開催日である。次回はその模様をお送りしたい。