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6 市名坂/ヨーコさん

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 あるとき市名坂が姉のアキホさんともめたらしく、オレのアパートに家出してきた。なぜ幼馴染である千羽のところへ行かないのか聞いたら、
「いや、あいつ暗いから」
「嫌いってことか」
「嫌いじゃねえんだけど、四六時中一緒にいると気が滅入るんですよ。分かるでしょハルさんも」
 分かる。千羽は本当、自分から喋らないしアクションを起こさない、石像のような人間である。
「それにしてもアキホさんと何があったんだ?」
「いや、俺はただ、自分の感情をコントロールできないやつと一緒に生活したくないだけですよ」
 問題の出来事を市名坂は話さなかった。恐らくまたアキホさんが癇癪を起こして何かをぶち壊したのだろう。市名坂は、迷惑になるといけないからほとんど部屋にいないようにするし、夜はキッチンで寝ると言った。そして邪魔だったら言ってくれれば外泊しますから、とも。オレは確かに家に人がいるとあんまり落ち着かないタチなので、まあ静かにしてくれれば、とだけ言って彼と一週間くらい同居した。
 市名坂はアキホさんのように激昂することはなかったが、突発的に妙な行動に出ることがあった。ある日の真夜中いきなり、「ハルさん、シャリアピン・ステーキが食いたくはないですか」と言い出したがオレは夜中にものを食べると、間違いなく胃もたれを起こして眠れなくなるので、食いたくはないと言った。
「そうですか、じゃあ俺だけ頂きますんで」と材料を買ってきて作り始め、食べ終えると、何事もなかったかのように寝た。また別の日は「スライムを作りたい」と言い出し、二リットルくらい作って「作ったはいいけどどうしようもないですね」と、風呂場で水に溶かして流した。蛇花火がしたいと言いだしたこともあったし、マシュマロを焼いてトーストに乗せて食べたいと言い、トースター自体買いに行ったこともある。オレの推測だが、こういう突発的な行動の中にとんでもないのがあって、それでアキホさんがブチ切れたということはないだろうか。そんな気もする。いや、やはりアキホさんが理由なき犯行に出たのが真相だろうか。
 市名坂はある日「お世話になりました」と言って去って行った。オレのもとには前日に彼がこしらえた、大量の手製石鹸が残されていた。
 
 あるとき暇だったのでニコをカラオケにでも誘ってみるか、と思ったが「その日はおもちゃのアヒルちゃんの河下りレースを見に行くから無理」と断られた。
「そういうのに興味あるのか?」と聞くと、いろんなこだわりがあるらしく、「白目があるのはだめ」とか「音が鳴るのはだめ」とか色々聞かされた。別な日、今度は「おもちゃのアヒルちゃんの河下りレース」をしないかと誘ったら「なんとなく気分が向かないので」と断られた。
 ニコは世の中と折り合いを付けることに対してなにやら居心地の悪さを感じでいるらしかった。彼女は世の中の人々に、ひどくみっともないとか、人間として間違っていると言われてそれが嫌だ、と吐き捨てるように述べた。オレは、いつどこで誰が、お前にそう言ったんだ? と聞きたかったが、言わなかった。彼女の怨念を聞くことが、自分への救済となる気がしたからだった。
 もやもやした気分は音楽じゃどうしようもない。解放されることはない。最後は自分でどうにかするしかない。ロックもパンクも、部屋をうるさくするだけの効果しかない。もし部屋をやかましくするだけで、一生罪悪感を覚えず楽しく生きていけるなら最高だ。だけどオレたちには悩みがある。邪魔なやつだ。クローゼットに放り込んでも消えはしないやつ。老衰するまで逃げ延びるしかない。部屋をうるさくしながら。

 ヨーコさんがレーベルを作ってCDの自主制作を開始したいが、金をかけずにやる方法はないだろうか、と言い始めた。そいつは無理ではないか。スタジオでレコーディングして、CD‐Rに焼くにしても金がかかる。ヨーコさんは結局止めた。
 オレはヨーコさんが普段何をしているのかまったく分からない。実家は北海道と椎名くんは言っていたが、何の目的で出てきたのかも分からないし、どこに住んでいるのかも分からない。ただ、いろいろなことに挑戦はするが結局最後まで行かないことが非常に多い人らしいと分かった。そういう意味では一応最後まで思い付きをやり遂げる市名坂と逆のタイプ。生活資金もどこから出ているのかまったく不明だった。ほんとうに錬金術で黄金を作り出しているのだろうか? 金がない、と言いつつも、ときおり新しい革ジャンやエフェクターを入手して見せびらかすが、翌週にはいつものくたびれた革ジャンと、マーシャル直結に戻っているのだった。
 ヨーコさんは色々なことに対し、自分には関係ないとか、どうでもいいと言うことが多かった。ミチコさんやオレやニコ、深山さんは違う。いろんな、自分に無関係なものにすら精神に悪い影響を与えられ、打ちのめされてしまうことが多々あったからだ。ところがヨーコさんはそういうものに対し、「おいおい、マジかよ」と言うものの、なんでもないと思っていて、深刻なダメージを負うことはない。実際彼女が怒っていたり、落ち込んでいたりしても、きっと次の日にはユーモラスなコメントとともに消化できているだろうと思えた。
 オレはそういうところをうらやましいと思っていたが、本人は「いやあ、あたしはもっと真剣にならないとダメだと思うわけよ。テキトーだからさ、何事も。そういう人生もありなんだろうけど、どうかな、と」
 オレは、ありじゃないですか、と思っていたのでそう言った。

 数日後、市名坂がやって来て「おもしろいものを見せてあげますよ」と言った。連れられるがまま河原に行くと、ヘッド部分が切断されたギターが無造作に転がしてあった。オレはすぐにそれがアキホさんの所業であると気づいた。市名坂はライターオイルをかけて火をつけ「オレは阿片街道をやめます」と突然言った。
「そうか」
「ジミヘンとかブルー・チアーみたいなハードなサイケより、ソフトサイケが好きなんですよ。『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ』みたいな。ハードなやつは疲れる。ポップが最強だ、とオレは思いますよ。そっちのジャンルなら人様の楽器をチェーンソーでぶった切るヤツもいないだろうし。まあまずは、宅録します。そのテープを流しながら演奏するスタイルでいこうと思いますよ」
「うまくいくといいな」
「初期衝動がなくなるまでが勝負ですね」

 その後、市名坂は実際にそういうスタイルでライブを始めた。ひずんだドラムスに、アコースティックギターやおもちゃのピアノ、フランジャーをかけたベースなどが乗っかっており、それを流しながら市名坂はエレキギターを弾く。それを見た理恵さんが、自分にボーカルをやらせてくれないか、と頼んだのだが、彼は曖昧に笑みを浮かべ、無言で立ち去った。
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