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名も無いただの1試合

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 それは甲子園の決勝でもなければ、地区予選の初戦ですらない、名前もつけられないようなただの1試合だったが、観客は居た。対戦する2つのチームは、同じ高校に所属している。しかし「紅白試合」と表現するのは躊躇われる。実力には歴然の差があったし、どちらも練習のつもりはなく、あくまで勝利を目指してやっている。何か途方もないものが懸かっているような緊張感が漂っていたが、賭けているのはプライドだけだった。
 何もかもが不明慮で、説明不足で、唐突な試合だったが、これが歴史に残すべき試合だという事だけは間違いなく言い切れる。残念ながら、試合の経過は映像にも音声にも残っていないが、私は試合の中で消費された54個のアウトを全て覚えており、それを言葉で表現出来る。これは試合を目撃出来なかった人々にとっての救済であり、野球に全てを捧げる人生を選んだ私の義務だともいえる。
 春の選抜、夏の全国、共に最多優勝校であり、毎年必ずプロが輩出されるこの「芹名高校」の野球部を名門と呼ばずに、他に名門など存在しえない。私がこの試合を最初から見る事が出来たのも、某球団にスカウトマンとして所属していたからで、試合が終わった後調査に乗り出せたのも、首から提げた入校許可書があったからに他ならない。取材に協力してくれた芹名高校の先生と生徒達には、この場を借りて感謝の言葉を申し上げたい。
 

 テレビで放送されるナイターを観てルールを知り、インタビューを受けるヒーローのファンになり、野球をしてみたくなった少年は、グローブとボールを父親にねだり、キャッチボールをする。ありがちな、野球人生の始まり。もしも少年にそこそこの才能があるならば、いずれは友達と野球遊びをするだけでは物足りなくなる。近所のリトルリーグのチームに入団し、その中で1番上手くなった少年を、両親は期待を込めて褒めちぎる。「すごい! きっとプロになれるわね」「ほら、またホームランだぞ! 流石は俺の息子だ」プロ野球選手という大いなる目標を掲げ、本人でも気づかぬ内に、遊びが努力に変わっていく。やがてその目標への最も近い道が、芹名高校への入学と、甲子園での活躍の中にある事に気づくと、少年は希望に満ち溢れた瞳を輝かせる。
 無事に合格、入学式の当日に監督の所に挨拶し、その日に入部した少年は、これまでずっと人生の主役だった経験から、この時こんな風に思うはずだ。
『いきなりレギュラーはいくらなんでも無理だろうけど、2年後、いや、1年後には俺も甲子園のマウンドに立っているはずだ……』
 しかし少年の願いは叶えられない。何より貴重で、大切な高校3年間はスパイク磨きと玉拾いだけにひたすら消費され、残るのはベンチにすら入れなかった敗北の記憶と、練習でしごかれた思い出だけ。灰色以下の青春。
 試合で、グラウンドに立てる人間はたったの「9人」しかいない。時にこの数字は、孤独なピッチャーマウンドにおいて実に頼りになる数字でもあるが、吐いて捨てるほどいる有能な野球少年に対しては残酷な数字ともいえる。ベンチに入れる人数にも限界がある。そして、与えられる時間にも。
 必要なのは才能、努力、運。しかもそれら全てを高水準で。芹名高校野球部の1軍レギュラーになる事は、オリンピックで金メダルを取るよりも凄い事だと心から信じる人間は、この地域に限ればむしろ多数派だ。実際、この取材の過程で、野球部のレギュラーが見ず知らずの人間にサインを求められる場面を私は何度も見た。
 芹名高校野球部は、芹名高校自体のブランド価値を高めるだけではなく、地域全体、ひいては県全体のアイデンティティを保つという重要な役割を担っているように私には思われる。「芹名の野球鞄があれば無料!」という張り紙のあるバッティングセンターは少なくないし、芹名高校の歴代の校長は全員がその後県の重要なポジションについているという事実もある。詰まる所、野球部への投資が、その何倍にもなって返ってくるという事実を、街全体が知っているのだ。
 まだ自立さえ出来ていない青少年への、このような過度な期待が、健康な教育になると思っている教育委員会の見解は、はっきり言ってムシが良すぎる。事実、芹名高校野球部には旧時代的な、いじめとも迫害とも言い表すべき上下関係が確実に存在していたし、「桐藤監督」のしごきと呼ばれる練習風景は、良心にさえ眼をつぶればなるほど人道的だ。
 重い重い苦労を背負い、真夜中を歩き続け、時には血反吐で足を滑らせながらも、それでもなお少年たちが野球を続けるのは、果たして何故なのだろうか。私は毎年、芹名高校を卒業して新たにプロ入りを果たす選手にこれを尋ねる事があるが、返ってくる答えはいつもこうだ。
『野球は好きですから』
 それが唯一にして絶対の真実であると言われたとしても、私はどうにも納得がいかない。ひょっとして、彼らは気づいていないだけなのではないだろうか。野球に一生を捧げる事の重み。夢が費えた時の落胆。挫折。肉体へのダメージ。私自身の人生を振り返り、そこに彼らの未来を重ねると、薄ら寒い思いが私を支配する。
 しかし彼らは野球を続ける。芹名高校野球部は、未だその栄光を失ってはいない。そして試合に勝つ事だけが、その聖火を燃やし続ける燃料となる。


 私は当初、この試合が実現した背景を取材によってまとめ、その経過と結果を克明かつ正確に、そして公平に報告書にまとめて、球団に上げるつもりだった。しかし、作業が進むにつれて、スコアシートと、選手の略歴だけでは試合の内容を伝える事にこれっぽっちも役に立たない事が判明した。つまり、誰がいつどこでどう考え、どのように行動したのか。そのベクトルが明確でなければならず、読む人間が選手の側に立って同じ光景を見る必要がある。これは報告というよりもむしろ、創作活動といえるだろう。登場人物への感情移入を言葉で行うというのなら、小説という形になる。
 たかだか野球の、それもまだ何者にもなっていない選手たちのたった1試合ごときを、ここまで慎重に、全力を込めて取り扱うという行動に、読む人は疑問を抱くかもしれない。しかしこれは先ほども述べた通り、私には義務、つまり、成さなければならない事であるように感じたのだ。小説という形式は不慣れではあるが、それでも必要性を否定するに十分な理由とも思えない。
 よって、この作品では登場人物が会話し、考える。それは出来る限り正確な取材に基づいてはいるが、100%の事実ではないという事はあらかじめ断っておく。特にある人物においては、取材拒否するだけならまだしも、私のこの創作活動自体を潰そうと今も画策してきているくらいなので、作品の最後には例のお決まりの文句をつけなければならないようだ。


 そもそものきっかけは、1人の怪物が野球部に入部した事にある。怪物、そうまさに怪物だ。「10年に1人の」と比較しても引けをとらないほどありがちな呼称かもしれないが、何度考えてもこれしかない。
 差別的表現は、時に人を傷つけるが、物事の本質を的確に捉えているというのもまた事実だ。真実を言葉にするという行為は、基本的には圧縮でしかない。言葉にすべき「何か」があり、それを圧縮し、読者はそれを読むことで空気を入れて、頭の中で膨らませる。しかし膨らんだ形は、私の意図した物とは少し違っている。出来る限り圧縮を避ける為に、私は恐れずこの言葉を使おう。
 芹名高校1年、野球部正規ピッチャー杵原良治(きねはらりょうじ)は「かたわ」だ。
 具体的にいえば、左腕の二の腕から下、つまり肘から前が丸々存在しない。先天性左腕欠損。身体障害等級で分類するところの、一上肢の2級にあたるので年間で80万円程度の障害年金がもらえる事になるが、彼は高校卒業後、その1000倍も1万倍も国に税金を納める事になるだろう。
 神は彼に左腕を授けなかったが、その代わりに、とんでもない右腕を授けた。長い芹名高校の歴史の中で、1年生でエースになれたのは彼だけだし、おそらくこれからもそんな選手は現れないだろう。それは障害に対する同情や、世間からの批判といった陳腐なものによるところではなく、実力という紛れもない黄金が背景にある。
 その日、彼が入部届けを受け取りに野球部へとやってきた時、肩から下に何もないその容姿を見て、まともにボールも投げられまいと判断したコーチは、「逆に」彼にチャンスをやった。普通ならば、入部希望者に野球部のボールを握らせる事など、芹名高校においては絶対にありえない。しかしそれが1番効率の良い、態のいい断りの文句だった。「左腕がないから駄目だ」と断るのは、流石のコーチでも気が引ける。とにかく大勢の前で恥をかけば、2度とここには近づかないはずだというその妥当な思惑は、ものの見事に大外れした。
 その1球を見た人物は、コーチと、同じ日に部を訪れた1年生の30人程度だったが、全員がはっきりと覚えていた。しかし取材でこの事を尋ねると、ある者は崇拝の混ざった眼差しで興奮気味に、ある者は身体の調子が急に悪くなったかのように気まずく、ある者は未だに目の前の光景を信じられない様子で不思議そうに、十人十色で語ってくれた。だが、共通していたのは「あんなピッチングは見た事がない」という一点だった。
 球速は145km/h程度。確かに、速い。高校生で、しかも片腕の選手がこの速度は、賞賛に値する。しかし杵原良治の投球の凄みは別にある。が、それは今は伏せておいて、まずは読者の抱く疑問に答えるとしよう。
 隻腕の投手がプロになれるか? 答えは可だ。
 これに関しては、前代未聞ですらない。メジャーリーグには、ジム・アボットという右手がない選手がプロとして10年活躍し、ノーヒットノーランも成し遂げた。同じくメジャーにはピート・グレイという野手も過去には存在した。
 杵原良治はおそらく、何か重大な事故がなければ、プロになり、そして活躍するだろう。これに関してはスカウトマンとして飯を食っている私の眼を信頼してもらうほかないが、予知や予測や希望や妄信の類ではなく、今はまだ「未来にあるだけ」の事実だ。


 これも同じく、未来にあるだけの事実の1つとして、杵原良治の率いる(あえてこのように表現させてもらうが)芹名高校野球部は、前人未到の甲子園6期連続優勝を成し遂げる事になる。ピッチャーの良し悪しだけが試合を決める訳ではないという事は重々承知の上だが、現状、何せこのチームには敵がいないのだ。彼以外の選手でも、それこそ今すぐ入団してほしいような選手がゴロゴロいる。何より、杵原良治が甲子園のピッチャーマウンドに立つ事は、例えるなら、関が原の合戦にM1エイブラムスを投入するようなもので、他の高校球児が全員園児として扱われてしまうのも仕方のない事だろう。
 断っておくが、これは過大評価ではなく、過小評価である。実際に、杵原良治のピッチングを見た人が思い描く未来はもっと途方もなく、実に馬鹿げている。何も成し遂げていない英雄。その実在を私は初めて知った。


 そして先ほどから私が述べている、名も無きただの一試合とは、芹名高校のある女子生徒が、この杵原良治を「逆恨み」し、「復讐」を果たす為に仕掛けた無謀な戦いの事だ。芹名高校「第二」野球部と名乗る、所属する選手の半分以上が昨日今日に野球を始めたばかりの素人集団と、県内最強、いや、既に全国最強と名乗っても良い芹名高校第一野球部の対決だ。
 芹名高校第二野球部は、6本指のピッチャーと、落語家を目指すキャッチャーと、感動屋のスラッガーと、秘密を共有する双子の兄妹と、運動神経信者の悪童と、ヒーローを信じる半病人と、実在を求める哲学者と、元メジャーリーガーの30歳高校生と、そして勝つためには手段を選ばないマネージャーによって構成された異色というより異常なチームであり、補欠はいない。
 この試合、この物語は、青春の輝きに満ちた、汗と涙の熱血ストーリーでもなければ、天才を追い、その生き方に習うようなドキュメンタリーでもない。狂人の「逆恨みによる復讐劇」だ。主人公は、芹名高校第二野球部を仕切る、八戸心理(はちのへしんり)という1人の女子生徒という事になる。
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